シーズン5→6カード更新

2020.08.04 Tuesday

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     こんにちは、BakaFireです。新型コロナウイルスの影響もあり長期に渡ったシーズン5ですが、昨日9月10日にいよいよ幕を下ろし、本日よりシーズン6が開始します。それに伴い8枚のカードに更新が行われますので、本日の記事ではそれらについてお話いたします。
     
     この記事の流れを説明します。まずは本作が全体として向かっている方向を明確にします。その上で全てのメガミに対してコメントを行い、更新があるメガミについてはその理由を説明します。

     

     

    ゲームバランスに向けた現在のスタンス

     

    方針1:環境や体験の変化を重要視し、その手段として強力なメガミの追加を目指す。

     

     私は『第四拡張』から追加するメガミをより強力にする方針を取っています。理由は4つあります。いずれも『第四拡張』『第伍拡張』やそれらにおけるカード更新で共通した考えであり、禁止改定の場などでも断片的に述べていますが、ここで改めて整理します。
     
     1つ目の理由はバランス調整理念に従うためです。私どもは全てのメガミが「強い」と感じられ、その強みの方向性が異なって感じられる状態を目指しています。そのためにも各メガミがきちんと強いことは必要な条件です。
     
     2つ目は本作で提供する体験を望む方向へと動かすためです。私は気持ちいい瞬間を感じられるようにメガミをデザイン、調整しています。気持ちいいとは知恵を絞り、意思決定を繰り返し、その結果として充実感を感じられることです。しかし気持ちいいためには、充実感を感じる際の動きがきちんと強くなくてはなりません。
     
     強い動きがうまく決まった瞬間は一見して理不尽です。ですがそもそも強いカードとは須らくどこか理不尽なものです。そして両者が互いに強い動きを持ち合い、それを狙い合うのであればお互いに理不尽さを(笑顔かどうかは分かりかねますが)許し合い、総合的にはより楽しい体験に繋がると私は信じています。そしてもちろん勝者には気持ちよくなる権利が与えられます。
     
     3つ目の理由はゲームに競技的挑戦と勝利を求めるプレイヤーのためです。大会の環境が変化し、その結果としてゲーム全体の体験が前のシーズンから変化してこそ、それらのプレイヤーに新しい挑戦を提供できます。これはシーズン3から4において十分な変化を提供できなかった点を強く反省しています。
     
     4つ目の理由は失敗した際のダメージの問題です。私はここまで4年半にわたって本作を作り続けてきましたが、特定のメガミが強すぎるよりも弱すぎるほうがダメージが大きいと評価しています。
     
     第一に本作のキャラクターゲームにおける面での批判がより大きなものとなります。第二に後の調整が困難になる傾向があります。強すぎる際には使用率の高いカードを弱めればよいですが、弱すぎる際には方針が定め辛く、一部のカードだけが強くなりすぎるリスクを鑑みると調整枚数がかさみやすく、調整内容もどこか強引なものとなりやすくなります。少し弱い程度であればそこまでの問題にはならないので、もし極端に悪いほうに傾いてもその水準で済むように保険をかけておきたいのです。

     

     この方針はカード更新においても全面的に適用されています。カードの下方修正は本当にやむを得ない場合にのみ行い、更新は常に上方修正を優先する形で行われます。
     
    補足:『第参拡張』について
     
     この方針は『第参拡張』への私の中での評価の変化により強まっています。私は『第参拡張』を発売直後にはかつてないほどの大成功と表現しましたが、実態は異なり、学びとするべき失敗が含まれていました。但し、デザインの楽しさという面では成功しており、発売直後の素晴らしい評判もまた事実だったと考えます。

     

     『第参拡張』は『第弐拡張』におけるホノカの大失敗からメガミの強化を意識しつつも、シーズン1や2での問題を恐れ、本質的には「強く作る」方針を根幹に据えてはいませんでした。
     
     その結果、一見して弱すぎはせず、騒がれるような問題の気配もありませんでした。しかし今となって思えば、問題の気配がないとは即ち活躍の気配もないということでした。実体としてはコルヌもヤツハも上方修正が必要であり、(アナザー版ライラがあまりに存在感の大きい失敗であるために惑わされそうですが)総合的には『第四拡張』の方が成功したと今は評価しています。

     

     

    方針2:王道と対比して邪道のアプローチを行い、両者が輝けるようにしていく

     

     こちらの方針は『第四拡張』から始まったものであり、『第伍拡張』でもそれは引き継がれています。歴史的な経緯を含めて説明しましょう。
     
     この指針はシーズン4における失敗から始まっています。シーズン4ではユリナを中心とした王道の戦い方が強力すぎました。その結果として王道が邪道を駆逐し、ゲームの体験において多様性が失われてしまったのです。
     
     それを踏まえて私はカード更新を行いましたが、それと共に王道とは何であるのかを考え続けていました。そして現在に至り、今では王道とは以下の3要素からなると結論付けました。

     

    王道1:王道とは間合を2に近づけることで優位を取れる立ち回りである。
    王道2:王道とはなるべく多くの攻撃カードを採用する立ち回りである。
    王道3:王道とは相手のオーラを破り、ライフにダメージを通す立ち回りである。

     

     いずれも自然に強くなりやすい立ち回りですが、強くなる理由は異なります。1は本作の根幹を成す《前進》は《後退》より強いという構造から自然に由来するもので、2と3は本作の基本となる体験を「間合を合わせて攻撃するゲーム」からずらしすぎないために意図的に攻撃カードが強くデザインされるためです。
     
     これら3要素を切り分けることは有意義です。王道はゲームの軸に据えられているからこそ強いのであり、王道が邪道を駆逐しているからといって無理に全ての王道を毛嫌いしては本作は本作らしさを失ってしまいます。
     
     王道を破るためにメガミをデザインする上でも考えやすくなります。デザインにあたってどの王道を破るつもりでデザインするかを考えれば、無理をし過ぎずにメガミを設計できるのです。
     
     王道を破るかどうかは緻密に見るならば度合いの問題でもあります。ユリナは王道2と3に完全に従う一方、王道1には概ね従っているという程度です(彼女の攻撃力が最も高まるのは間合3です)。しかし私自身の意志という荒い尺度で述べるならば、ユリナは全ての王道に従っていると捉えられます。
     
     『第四拡張』では私は王道1への徹底的な抵抗を試みました。王道1はゲームの構造から自然に生まれているために強固であり、強い意志を持って取り組まなければ破れません。少なくともこの試みは成功だと評価しており、ハツミやアナザー版サリヤを私は高く評価しています。
     
     そして『第伍拡張』ではこれらの試みをさらに進めました。まずメグミは王道1への抵抗を推し進める役割を持ちます。王道1と競技的環境で競り合うには、王道1を破ろうとするメガミが三拾一捨を組める十分な数だけ存在しなくてはなりません。加えて王道2を適度に破る意図もあります。
     
     カナヱは王道3を破る可能性が生じるようにデザインされました。王道3は他の王道と比べて頻繁に破られるべきものではなく、また破るにしてもどこまで破るのかを繊細に判断する必要があります。その上で今回はクルル以来の適切な機会と判断し、本作らしくないゲーム体験の提供に力を入れました。
     
     今回のカード更新でも王道に関するこれらの考えを踏襲しています。ただしカード更新では王道を破ろうとする方向だけを向いているわけではありません。邪道が輝くためには、一方で強い王道もまた必要だと私は考えています。


     今の私が向かおうとしている方角は以上のようなものです。ここからは個々のメガミの話を行いましょう。
     
     
    ユリナ

     

     私は今のユリナにオリジン版、アナザー版ともに満足しています。彼女が第一線で戦えるほどに強く、「斬」「一閃」「月影落」などの攻撃が強くて気持ちよいのは新規のプレイヤーに安心感を与える面でも、王道をプレイヤーに認知させる面でも正しく働きます。
     
     その一方でユリナを宿せば、ユリナを宿していないプレイヤーに勝ちやすいという安易な状況ではもはやありません。間合やフレアの制御による抵抗はやりやすくなり、ユリナを超える瞬間火力を持つメガミも増えました。ユリナを宿して勝ち続けるには十分に考え、意思決定を重ねる必要があります。
     
     感覚として「月影落」への抵抗は(シーズン4と比べて大いに改善したものの)もう少しだけやりやすくてもよいと感じています。しかしそれはユリナの弱体化でなされるべきとは今は考えていません。
     
     今のユリナはシーズン4→5で唱えたトコヨ、サリヤらの立つ基準の位置に落ち着いていると私は評価します。
     

     

    サイネ

     

     今現在の20柱において、サイネは私を最も悩ませているメガミです。前回の「圏域」の調整そのものは小さな成功とは捉えています。しかしそれによってサイネが満足できる状況になったとは言えません。ここでオリジン版を強さの面でどう考えているか言及するつもりはありませんが、少なくとも体験の面で不満があります。

     

     アナザー版はより悪い状況です。2つとも強さのみならず、アナザー版で優先されるべき体験の段階で問題を抱えているのは明白です。しかしアナザー版に安易に手を入れる以前に考えるべきことがあると捉えています。
     
     実のところ、適切に感じているアイデアはすでに頭の中にはあります。しかし実行には少なくとも4枚、アナザー版まで手を入れるなら6、7枚の更新が必要であり、今回行うには負担が大きすぎると判断しました。
     
     ここで言う負担とはユーザーの皆様の心理面の負担や、私の予算面の負担など様々なものを総合したものです。今回の『第伍拡張』発売は単なる新製品という意味には留まらず、新型コロナウイルスの感染拡大という災禍を本作が乗り越え、これからも存続していくための第一歩という意味を持ちます。サイネへのアイデアは、その中で押し通すにはリスクが大きいものでした。

     


    ヒミカ

     

     私はヒミカの現状に強く満足しています。シーズン4→5での調整は一部の問題がある組み合わせを適切な立ち位置まで整えながら、ヒミカ全体の地位は保たれました。
     
     そして『第四拡張』から行われた王道1への徹底抗戦はヒミカの境遇への喜ばしい変化をもたらしました。シーズン4ではヒミカそのものは強力にもかかわらず、相方が不足して三拾一捨で活躍するには難しい側面がありましたが、それが改善しつつあるのです。『第伍拡張』でその試みはより推し進められ、ヒミカはより良い状況となると期待しています。
     
     総じて、ヒミカもまた基準の位置にいると評価します。
     
     アナザー版については体験の面では大いに満足しています。オリジン版の更新が不要となるか、あるいはアナザー版のための大きな改革を行うべき好機が訪れるならば、いくらかの上方修正を行う可能性はあります。

     


    トコヨ

     

     今のところ私はトコヨにはシーズン4→5での見方を維持しています。つまり適切な強さにあり、下方修正も上方修正も行う理由はないということです。
     
     しかしシーズン5においてトコヨは特に活躍に恵まれませんでした。これは周囲の強化や流行の戦略の変化に伴うものだと評価していますが、彼女が本当に基準の位置に立っているのかどうか観察の必要性を示す要素でもあります。
     
     今シーズンには新たなアナザー版が追加され、トコヨはオリジン版とは異なる強みを持った姿と共に、実質3柱分が環境内で考慮されます。私はその動向を強く注視するつもりです。

     


    オボロ

     

     オリジン版のオボロには絶対的な強みと、適切な弱みが両立していると評価しています。オリジン版オボロの強みは王道1に従っているゆえの強みです。ゆえに王道が支配していたシーズン4の段階では下方修正の可能性を捨てきれていませんでした。
     
     しかし王道1へと反発する方向に物事を揺り動かした結果として、オボロの弱みもまた強調され始めてきました。今ではオリジン版オボロへの下方修正は不要だと判断し、オボロもまた基準の位置に落ち着いたと評価します。
     
     ひとつ個別のカードで特記しておくことがあります。「壬蔓」です。『第伍拡張』の開発において何度か「壬蔓」との相互作用を加味するとゲームを破壊する(そして弱体化して直すと「壬蔓」前提になってしまう)カードが生まれました。即ち「壬蔓」はゲームのデザイン空間を大きく狭めています。
     
     ゆえに「壬蔓」は「第4類:環境を整えるための方向性の調整」の調整候補として俎上に乗せられました。しかし、ならばどう変更するのかとなると答えが出ませんでした。
     
     「壬蔓」は1枚のカードとしては大成功しています。「壬蔓」があるからこそ楽しく強力なデッキが多数存在し、ゲームの体験の幅を広げています。少なくとも今の時点では調整が必要なほど強力な組み合わせも生まれていません。「壬蔓」の問題を回避し、「壬蔓」と同等に体験や相互作用における楽しさを際立たせたカードを私はデザインできませんでした。この問題は「壬蔓」の問題というよりも、カードプールの拡大とゲームの骨格に伴って回避不能の問題が顕在化したのかもしれません。
     
     最終的に私は、発売日時点の禁止改定で組み合わせ禁止を出す方がゲームをより良い方向に向かわせると決断しました。組み合わせ禁止の基準や位置づけについてもバランス調整理念の更新に伴い即したものとなっています。従って今後は「壬蔓」と開発段階で問題を起こしたものは組み合わせ禁止で対処されます(※)。

     

    ※ 『第伍拡張』の当該カードは「壬蔓」とは関係のない理由で変更されたため、最終的に今回は発売時点での組み合わせ禁止は行っていません。

     

     アナザー版オボロはオリジン版オボロと同様に強力です。そしてオリジン版オボロの弱みが強調されるような環境の変化に伴って、今ではどちらかと言えばこちらが主流になっていると捉えています。私はその強さは基準の範囲に収まっていると考えており、少なくとも今回の下方修正は行いません。

     


    ユキヒ

     

     ユキヒへの見解はシーズン4→5での認識を維持しており、カード更新は不要であると結論付けました。王道1を破る方向に向かうにあたり、王道1からまさしく外れた2種類の間合を使い分けられる彼女の強みには独自性と絶対性があります。
     
     アナザー版についても私は高く評価しています。オリジン版ほど間合を制御できない反面で独自の強みがあり、成功しているアナザー版です。

     

     総じて、ユキヒも基準の位置にいると評価します。

     


    シンラ

     

     これまで考えてきたあらゆる要素がシンラの上方修正を肯定しています。
     
     まずシーズン3→4、4→5において私はシンラの調整を保留し続けていました。4→5においては更新枚数における問題もありましたが、シンラの調整に慎重である他の理由もありました。
     
     彼女の強みは確かなものである反面で王道に対して脆弱です。ゆえに彼女は王道2や3を相応の水準で破る邪道のメガミであると同時に、何かしらの方向で王道を破るメガミに対して強みを持つ邪道に強いメガミでもあるのです。

     

     ゆえに彼女の強化は邪道の強化であると同時に、王道への揺り戻しという効果も予想されます。特に「完全論破」はその側面を強めに持ちます(※)。従って実際の更新には2つの心理的な壁がありました。第一にいずれかの王道を破るような邪道の働きがある程度は形になってから行いたく、第二に彼女が上方修正するべきではない水準の強さをすでに持ち合わせていたらとしたら状況の悪化を招く懸念がありました。
     
     そして1シーズンを観察して、どちらの理由も解消されました。王道1は緩やかに崩されはじめ、邪道のあり方は定まりつつあります。そして彼女は(ユリナやオボロを相手にするような悲惨なことにはならない)多くのメガミに対しても互角か相応程度に有利に過ぎないと分かり、ヤツハという新しい天敵にも遭遇するようになりました。

     

    ※ 「完全論破」以外を更新する選択肢ももちろん考慮されましたが、他の選択肢はゲームを破壊するかシンラらしさを失わせるか強引で汚いかのいずれかでした。そして単純なカードパワーだけを見ても「完全論破」ははっきりと力不足でした。

     

     アナザー版への見解も概ね変わりません。体験の面には独自の楽しさがあり、アナザー版ヒミカと近しい位置にあるメガミだと認識しています。今回の更新はアナザー版にも影響があるため、双方の改善に繋がることを期待しています。

     

     以降の「完全論破」の説明では、達人セットの記事における説明を繰り返します。

     

     

     「完全論破」の消費は2になります。 

     

     この更新案はシーズン4→5の時点で決定に近い位置まで進んでいました。しかし開発末期にホノカへと2枚の調整を行う意義が示唆され、その時点では面付けの問題から枚数の変更が効かなかったためにシンラの更新は見送られ、ユリナやオボロの下方修正による影響を加味する意味でも次の1シーズンは様子を見るという判断が下されました。

     

     ゆえに「完全論破」は開発初期の時点から次のカード更新における最有力候補でした。その上でシーズン5におけるシンラの活躍も十分とは言えず、アナザー版ライラの過剰な強さや『第伍拡張』の内容などの周辺事情を加味した考察を進めたとしても、候補としての位置は覆されませんでした。

     

     「完全論破」は独立した1枚のカードとして力不足ですが、機能やテキストの独自性には強い魅力があります。シンラの直接的な勝ち筋の調整が困難ならば、この1枚を実用的な水準まで引き上げるべきだと私どもは判断しました。これはシンラの眼前構築をより悩ましいものとし、シンラを扱うプレイヤーの体験をより楽しいものとするでしょう。

     

     

    ハガネ

     

     ハガネへのシーズン4→5のカード更新は成功したと評価しています。そしてハガネそのものの強みという面では十分な水準に至ったのではないかと類推しています。但し彼女もシーズン5では活躍できていません。
     
     これが環境の問題なのか、根本的な力不足なのかはトコヨと同様に観察されます。アナザー版は追加されはしますが、あまり同じメガミとしては考えないほうが良いだろうと推測しています。

     

     

    チカゲ

     

     チカゲへのシーズン4→5のカード更新は成功したと評価しています。「遁術」更新は彼女の攻防の両面における骨組みを支え、極端な弱みを補いました。
     
     そもそも彼女の持つ毒という強みは唯一無二のものであり、十二分な意義がありました。特定の手札を揃える行為に依存したメガミたちにとって彼女は常に脅威であり、様々な戦略への耐性としてチカゲは確固たる立ち位置を持ちます。
     
     彼女の問題は王道1、2(、3)を全て守るメガミへの明確な弱みでした。彼女らは引いた手札をそのまま使い切り《前進》《宿し》、攻撃カードの使用を繰り返すことが正解になりやすく、それらの相手には毒が機能しづらいのです。
     
     その課題がはっきり解決し、王道のいくつかを破るメガミが台頭し始めると予測される今、チカゲもまた基準の位置にいると評価します。
     
     アナザー版はオリジン版と比べて僅かに見劣りして感じられ、期待していた体験も少し不足しています。オリジン版を優先する指針ゆえに保留していますが、アナザー版ヒミカと同様に機会があれば更新が検討されるでしょう。

     

     

    クルル

     

     クルルへのシーズン4→5のカード更新は成功したと評価しています。より多彩なカラクリの組み立てが現実的になり、カウントダウン戦略が機能し、幅広い体験を楽しめるようになりました。
     
     クルルに最も求められるのは体験そのものです。彼女の魅力は本作のメガミでありながら『桜降る代に決闘を』ではないゲームを行おうとする点にあります。その上で勝利の目途が立たないようでは話になりませんが、今の彼女は十分に勝利でき、大会に勝つつもりで持ち込めうる水準です。
     
     そして王道2、3に全面的に反する彼女が強さの面で環境の最先端に立ってはいけません。本作を遊ぶプレイヤーは基本的には本作らしい体験を求めて遊んでいます。ゆえに彼女が与える体験が本作の主流になってしまうと、本作のゲームとしての本質が変貌してしまいます(※)。
     
     存在するメガミの増加と環境の拡大に伴って彼女の戦略は多様化を続けています。それゆえに正直に申し上げて自信はありませんが、おそらく今の彼女は基準の位置にいるのではないかと考えます。
     
     アナザー版は(信じがたいことですが)全てのアナザー版の中で最大の成功を収めているのかもしれません。オリジン版とは異なる独自の体験があり、大会環境でも検討でき、ゲームバランスを壊してもいません。

     

    ※ 過去のアナザー版ウツロは強さ以上に、その面を兼ね備えていた点に問題がありました。

     

     

    サリヤ

     

     オリジン版サリヤへの見解は全く変わっていません。彼女は基準の位置に立ち続けています。
     
     アナザー版サリヤは禁止カードを解除するために下方修正が行われます。
     
     禁止改定でもお伝えした通り、後述するアナザー版ライラと異なり彼女の失敗を私は結果論としてのみ捉えています。当時の説明を繰り返します。
     
     アナザー版サリヤは覚悟と意図のもとで出版しています。私はバランス調整チームからアナザー版サリヤを安全だと自信を持てる水準まで調整することは不可能だというフィードバックを受け取っていました。その上で私は強い状態のまま出版するよう決定しました。第一にゲームデザインの観点でアナザー版サリヤがとても楽しいものになっていたこと、第二に使いこなすのが殊更に難しいためにプレイヤーの解析にも時間がかかり、熟練には間違いなく数か月の期間を要すると捉えられたことが理由です。

     

     仮にバランスを壊すリスクがあったとしても3月までであれば探求する楽しさが勝り、下手に弱めて使い勝手に乏しいものを出版するよりも楽しい結果になるだろうと当時の私は考えました。その考えは今も変わってはおりません。プレイヤーの探求速度は私の想像を越えていましたが、3月までは辛うじて楽しさが勝っていたと評価しています。新型コロナウイルスに伴う問題ゆえに大規模イベントを実施できなかった点を私は心から悔しく思います。
     
     最終的に禁止となった一点には確かな失敗があります。しかし私はその失敗は過ちに基づいたものではないと考えています。そして探求とゲームプレイの双方に楽しさを引き出した面ですばらしい成功であるとも捉えています。本作のバランス調整は難しく、挑戦しなければゲームは魅力的になりません。アナザー版サリヤの失敗については結果を受け入れ、そのうえで私どもは畏縮せずに魅力的なゲームに向けて挑戦し続けていく意向です。

     
     その上でアナザー版サリヤの何を問題視し、どのような更新が行われるのかを説明します。
     

     

     「Form:ASURA」は変形時効果が変更され、Sigma-Driveから適正距離1が削除されます。
     
     2種類の更新それぞれについて説明しましょう。
     
     前者には一部の組み合わせにおける過度な強みを抑制する狙いがあります。Sigma-Driveは一見して強力すぎるように見えますが、実際に運用すると適正距離2の不在や自身への畏縮ゆえにリソースの不足に陥り、山札1巡目から先んじて「Form:ASURA」へとTransFormしても勝ちに結びつきづらいと言えます。この範囲に限れば「Form:ASURA」はカード更新が不要な水準のカードです。
     
     しかしリソースの損耗を補えるか、リソースが損耗しきるより前に相手を倒しきれるメガミとの組み合わせに限って山札1巡目から「Form:ASURA」へとTransFormできます。
     
     その際に「Form:ASURA」は別の強みを発揮します。山札1巡目は盤面の一定さと手札の引き直しゆえに概ね想定した動きができるため、多くのデッキはその中で間合を近づけ攻撃し、山札1巡目としての打点を想定できます。しかし「Form:ASURA」へとTransFormされると手札1枚と概ね2枚分の計画された山札を失うため、デッキが機能不全に陥るのです。
     
     さらにアナザー版サリヤはTransFormを重ねるほどに強化され、長期戦を得意とします。ゆえに手札破壊の際に間合を離すことも肯定され、山札1巡目の計画をより崩しやすいのです。他の手札破壊においても「無窮ノ風」はオーラを空ける上にカードタイプでのケアができ、「引用」はカードタイプのケアに加えて《宿し》《前進》で手札を使い切る対策が肯定されやすいシンラのカードであり、「砂風塵」は効果だけは理不尽ですがその際にハガネ側に《前進》が要求され、「残光」は相手の総リソースを減らしません。
     
     後者はアナザー版サリヤの爆発力と汎用性を和らげる狙いがあります。時おり交えられる「Shield Charge」とSigma-Driveの組み合わせは他にも十分な強みがあるカードが持つにしては過剰です。そして間合1でSigma-Driveが使えるゆえに間合を近づける方向での対策もやりづらく、アナザー版サリヤの汎用性が高まり過ぎていました。

     

     

    ライラ

     

     ライラへのシーズン4→5のカード更新は成功したと評価しています。「円環輪廻旋」は十分に強力であり、ライラの強さを引き上げました。オリジン版ライラが抱える最大の不幸はアナザー版ライラが存在したことです。
     
     ゆえに私はオリジン版ライラの強さを正確に測れている自信がありません。従ってトコヨ、ハガネらと同様にもう1シーズンだけ様子を見ます。
     
     また、オリジン版ライラはシーズン1と3に最前線で輝けており、アナザー版ライラは今シーズンも一定以上の活躍はすると想定しています。ゆえにキャラクターゲームの観点から、過去も含めて輝けていないメガミのカード更新はより優先されます。
     
     アナザー版ライラは純粋な強さという面では最大の失敗です。私は追加するメガミを常に強くする方向で調整を進めていますが、ここまでの事態になっていないかどうかをバランス調整に関わる全ての協力者たちに強く確認して進めるようにしています。
     
     更新内容を説明します。
     

     

     暴風は適正距離が2-3となり、攻撃後に風神ゲージが上がらなくなります。
     
     更新枚数には限度があるため、アナザー版ライラは次のシーズンでも強力なメガミという水準は保たれると予想しています。その上で王道と邪道の駆け引きにおいてアナザー版ライラをどの位置に落ち着かせるのかどうかを私は重く考えました。
     
     結論として、アナザー版ライラは強力な王道の位置を目指すべく調整されます。そもそもオリジン版の段階でライラは王道1、3を忠実に守っており、王道2も破るというほどではありません。
     
     そうなると間合4を除くのは有意義です。まず間合を3まで近づけなくてはならない点において、より王道の立ち回りを順守しなくてはならなくなります。さらに邪道の抵抗手段が増えます。間合4から風1の嵐の力を使用される流れがなくなるため、間合による対処がいくらかやりやすくなるのです。
     
     攻撃後に風神ゲージが上がっていたのは、どこかおかしかったため取り除きます。

     

     

     嵐の力には多くの変更が行われます。
     
     アナザー版ライラのカードはすべてにどこか過剰な点がありますが、問題の根幹に位置しているのは嵐の力そのものです。ゆえにカードの更新枚数を抑える目的でも、嵐の力そのものに手を入れるのが最も正しいと判断します。
     
     雷3は明らかな問題ですが、風2と雷2にも修正するべき水準の問題があり、風3は修正が必須ではないものの強力な選択肢でした。風1と雷1についてはそのまま維持して問題ないと考えます。
     
     その結果、雷2と風2は効果をそのままに消費するゲージを雷3と風3へと引き上げ、雷3と風3は効果を弱めたうえで雷2と風2の位置に置かれます。
     
     この更新では嵐の力としての楽しさを失わせないことを重視しました。即ち6つの能力いずれも有効となる機会があり、その中でジレンマを楽しむというものです。むしろ際立って強力だった雷3が大きく弱体化するため、意思決定の楽しさとしても向上すると期待しています。

     


    ウツロ

     

     ウツロへのシーズン4→5のカード更新は成功したと評価しています。彼女は独自の戦略を正しく確立し、絶妙な位置で強みを発揮していると感じます。もう少し観察は続けますが、おそらくは基準の位置に落ち着いていると考えています。少なくとも今シーズンに更新を行う理由はありません。
     
     アナザー版にも満足しています。体験面での斬新な楽しさは言うまでもなく、メガミの総数が増えるに従って、再び(許容できる範囲の強さで)終焉の影を蘇らせうる組み合わせが表れ始めている点を私は嬉しく思います。

     

     

    ホノカ

     

     これまでのホノカへのカード更新はようやく実を結んだと評価しています。最終的には結果こそ残しませんでしたがオンライン大決戦でも理を以て彼女を選んだプレイヤーは存在し、今の彼女は大会で勝つために選ばれうる存在です。
     
     シーズン4→5の更新で打ち立てた彼女の在り方も正しく機能しているように見えます。彼女は全てが一線級ではないため単独では力不足ですが、全ての戦略を併せ持つために高い柔軟性とオールラウンダーとしての対応力を持っています。
     
     最初期の失敗が大きすぎたためにまだ警戒心は強く、これで十分だとは中々断言しづらいのですが、彼女もまた今シーズンでアナザー版が追加されます。これら2柱の活躍をトコヨ、ハガネ、ライラと同様に観察するつもりです。

     

     

    コルヌ

     

     シーズン4と5にわたるコルヌの状況を踏まえ、コルヌには上方修正が必要だと結論付けました。『第参拡張』発売直後はコルヌは強力なメガミだと認識され、実際に結果も出していました。しかし時が進むにつれて対コルヌの立ち回りが洗練され、それに伴ってコルヌ側が立ち回りを工夫しても打開できない水準の欠点を抱えていると分かりました。
     
     今回の更新はそれらの弱点を緩和し、立ち回りの工夫により弱点を補えるようにすることと、使い勝手に乏しいカードを変更して眼前構築の選択肢を増やすことを意識して行われています。
     
     コルヌは王道1に反する貴重な一員でもあります。今回の彼女の上方修正が彼女らの層を厚くし、三拾一捨における選択を悩ましくすることを望みます。
     

     

    「凍縛場」は新しいカード「霜の茨」になります。

     

     コルヌの弱点は2種類あります。1つ目はオーラを低く保つ戦い方です。コルヌは「剣の舞」さえあれば十分な攻撃力を持ちますが、それが2/1のままだとメガミ全体としての攻撃力が不足します。もちろん相手は相応に凍結しますが、それを無視してメガミの地力としての攻撃力勝負を挑めばコルヌに競り勝ててしまうのです。
     
     この更新はその戦い方にリスクを与えます。相手がターン開始時にオーラを低く保っているならば、このカードで強化した攻撃で打点を補えるのです。さらにオーラが低いならば大量の凍結を狙うチャンスでもあります。そして相手を解除できないほどに凍結させてしまえばこの1枚はさらなるボーナスをもたらします。
     
     「かじかみ」との相互作用も強力です。しかし、付与を2枚採用するといざという時に手札の攻撃が不足するリスクが生まれるため、安易な正解とは限りません。その面でこの1枚は眼前構築をより悩ましく、楽しいものにすると期待しています。

     

     

     

    「ポルチャルトー」は名前は維持されますが、全面的に別の効果になります。

     

     コルヌの2つ目の弱点は、攻撃を全てライフで受け、大技の切札を撃ち込む戦い方です。「剣の舞」が機能していたとしても、コルヌの攻撃は相手を倒しきれるほどには強くありません。コルヌには凍結など他の強みがあるため当然の話です。
     
     しかしそこに注目し、全ての攻撃をライフで受けて凍結を完全に無視し、反撃でライフを削りながら溜め込んだフレアで大技を叩きつければコルヌに勝ててしまいます。例えばユリナです。彼女は適度な攻撃と「月影落」だけでコルヌを打倒します。
     
     私は元来、凍結によるフレア阻害があるためにコルヌは大技への婉曲的耐性があると評価していました。しかし凍結を完全に無視し、その上で勝ててしまうならば話は違います。現状のコルヌは大技への耐性は全くありません。
     
     私はコルヌは大技への直接的耐性を持つべきだと判断を変えました。ポルチャルトーは第一にそのために更新されています。しかし「久遠ノ花」のような何かを安易に追加しすぎてはメガミの没個性化と体験の画一化を招いてしまいます。

     

     「ポルチャルトー」はそれを避けるために独自の使い勝手や相互作用を持ち、その上で工夫のない大技を躱せるように設計されています。さらに凍った地面を作り出すという技のフレーバーも維持しています。

     

     

    ヤツハ

     

     シーズン4時点におけるヤツハの構造面での問題は大きく、シーズン4→5での彼女への更新はやや強引なものであったと評価しています。その一方でヤツハの構造と表現したい魅力を維持しながら行う更新としては最善を尽くせていたとも考えており、賛否両論となるのは当然だと認識しながらも、私個人としては成功だと考えています。
     
     ヤツハは今は大会で勝つために持ち込める有力な立ち位置にいます。彼女の強さが下方修正に値するとは今のところ考えておらず、いくばくかの歪さを受け入れたうえでヤツハもまた基準の位置に落ち着いたと捉えています。

     

     

    ハツミ

     

     ハツミは史上まれにみる大成功でした。王道1だけに反する強力なメガミを追加し、それらのメガミを三拾一捨で機能させるための頭数として寄与させるという目的を彼女は完遂し、その上で独自の体験としても強みとしても文句のない仕上がりです。
     
     本当にごく枝葉に目を向けると(他のあらゆるメガミと同様に)より良くできそうなところも見えはしますが、そこにいちいち目を向けるのが野暮なほどにハツミは上手くいきました。
     
     彼女は基準の位置にすでに納まっていると評価します。

     

     

    ミズキ

     

     ミズキには上方修正が必要です。その上でまず、今の彼女について掘り下げましょう。

     

     ミズキのコンセプトの部分は成功を収めています。キャラクターから考慮して彼女には対応カードを駆使した高い防御力が求められていました。しかしそのようなメガミはすでにトコヨが存在します。ミズキは何よりも防御的メガミの体験としてトコヨと差別化しなくてはなりません。
     
     それこそが瞬間防御力と継続防御力の違いです。ミズキの対応カードの大半に終端を付けることで特定の1ターンの防御力を引き下げ、代わりに毎ターンに渡って対応カードを使い続けやすいようにしたのです。
     
     これによりミズキの体験は異なるものになりました。そして防御力も上がり過ぎないように整えられました。防御方面のインフレーションはゲームとして絶対に避けなくてはなりません。終わらないゲームはただ退屈なのです。
     
     これらを踏まえるとミズキの防御面は調整するべきではありません。今回はミズキらしい戦い方を強調する方向で防御以外の側面を向上しました。

     

     

     

    「反攻」はダメージの強化幅が+2/+1と+1/+1になります。

     

     ミズキは戦い方としてカウンターパンチが想定されています。相手からの攻撃を対応で妨害し、それを条件として自分のターンにパワフルな攻撃を撃ち込むのです。しかし今のミズキはコンセプトを上手く達成したとしても、得られる成果がそれに見合っていません。
     
     少し別の面に目を向けると、ミズキは王道1と3を順守し、王道2をそこまでは破っていない王道寄りのメガミです。『第四拡張』の時点で邪道を推し進める中、王道もまた異なるやり方で追加する必要を私は感じていました。加えて不動には逆説的に王道1への反発を推進する働きもあり、今の計画に相応しいものでした。
     
     しかし私は王道の強さを過信し、適正距離2-3の3/2を用意することをためらってしまいました。ミズキの条件は想定より難しく、2-3の3/2はそれに見合った正しい報酬と言えます。
     
     もうひとつ、より未来に向けた補足も行います。コルヌ、ハツミ、メグミ、そして今回の更新によるミズキと、本作は条件を満たして3/2を使用するという体験が増えつつあります。これは適正な塩梅で面白さを生む便利な方法ではありますが、多用しすぎると退屈になるリスクがあります。
     
     私はその懸念を認識しており、カナヱや今回の3柱のアナザー版メガミでは意図的に避けています。『第六拡張』でも意識して行わないようにするでしょう。

     

     

     

     「制圧前進」は名前と方向性は維持されますが、概ね別の効果になります。

     

     ミズキのもう一つの要点は兵員です。カウンターパンチは兵員との連携があればやりやすくなり、構築によっては大量の兵員を一度に叩きつける立ち回りも存在します。
     
     しかし今のミズキの徴兵カード、特に「制圧前進」はカードパワーが不足しています。この更新は望むならば大量の徴兵を可能とし、オーラの回復を常に選べることで全力の隙を緩和し、間合を一度に詰める手段として間合2の王道で相手を圧殺する助けにもなります。
     
     
     今回の更新はここまでとなります。お読みいただきありがとうございました。本作の新たなシーズンと、苦しい状況を抜けた新たな門出をお楽しみいただければ幸いです。
     
     本日は禁止改定と季節戦の記事も掲載しておりますので、良ければそちらもご覧ください。今後しばらくは『第伍拡張』に合わせた公式サイトの更新を行い、記事としては次回は来週、今後の展望2020秋やスタッフクレジットに関する変更をお話しします。
     

    2020年8月禁止改定

    2020.08.03 Monday

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       私どもはバランス調整の宣言と、それに基づく理念に従い毎月第一月曜日にカードの禁止改訂を行います。この記事はその2020年8月のものです。禁止カードを出すことそのものについて疑問や不安を感じる方は、宣言あるいはそれを要約した理念をご一読いただければ幸いです。

       

      2020年8月禁止カード

       

      『祈祷師』ライラで禁止

      暴風

      流転爪

       

      追加札から除外

      Form:ASURA

       

      ※ これらの全体禁止はシーズン5の間継続し、『第伍拡張』でのカード更新を通して解除されます。

      ※ 禁止は『祈祷師』ライラ固有のものです。オリジン版のライラでは「流転爪」は使用できます。

      ※ 「Form:ASURA」はゲーム開始時に追加札に置かれなくなる形で禁止が行われます。

       

       BakaFireです。先月と同様に私どもはシーズン5で禁止カードにこれ以上の変更を行う予定はありません。そしてその発言を覆すほどの出来事も起こっていません。

       

       次回の禁止改定につきましては平時のスケジュールではなく、シーズンの切り替わりと連動して行います。それに併せて季節戦も2020秋ノ陣へと切り替わります。切り替わりの時期は今後の『達人セット』ならびに『第伍拡張』に関する記事で告知いたしますので、そちらをお待ちいただければと思います。

      達人セット再版と第伍拡張のロードマップをお知らせ

      2020.07.31 Friday

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         こんにちは、BakaFireです。本日は様々な情報をがっつりとお伝えするべく筆を執らせていただきました。本日から9月上旬までの計画が中々に込み入ったものとなり、今後の展望で6月にお伝えした形では整理しきれません。ゆえにここでひとつ『第伍拡張』に向けた私どもの計画を改めてお伝えしようというわけです。

         

         それでは、さっそくはじめましょう!

         

         

         

        7月19日-30日
        公式小説『八葉鏡の徒桜』短期集中連載

         

         私どもはまさしく昨日まで公式小説『八葉鏡の徒桜』の短期集中連載を行っていました。エピソード5−3から6−7の合計9話を掲載し、メガミたちの活躍と新たな(アナザー版)メガミたちの登場を描きました。中々に詰まった連載だったため、まだお読みでない方も多いでしょう。ここからの掲載はペースを落としますので、ぜひともご都合がよい時にお読みいただければ嬉しい限りです。

         

         ストーリーをお楽しみいただいている皆様もご安心ください。6−7は相当にわけのわからない内容で終わっており、ここからしばらく休載しては不親切もいいところです。以降しばらくの連載は概ね週刊から隔週のペースで進んでいきます。
         
         今後も引き続き『八葉鏡の徒桜』、そして旅の先に待つヤツハの後半戦にお付き合いいただければ幸いです。

         

         

        7月31日
        カードゲーマーvol.53に広告、記事が掲載!

         

         今日です! 株式会社ホビージャパン様から発売するカードゲーム専門誌、カードゲーマーのvol.53に本作『桜降る代に決闘を』の広告が再び掲載されます。さらにカードゲーマーの記者の皆様による紹介記事や、なぜか私が出ている漫画も掲載されています。
         
         この記事は単なるゲームの紹介記事ではありません。この記事の画像に描かれたメガミに見覚えはありますでしょうか。彼女はまさしく昨日に公開した『八葉鏡の徒桜』エピソード6−7で初登場し、カードがプレビューされた新たなメガミです。
         
         そしてカードゲーマー様の記事では彼女――メグミに関する詳細情報とさらなる2種のカードのプレビューが行われております。いち早く彼女の情報を入手したい方はぜひともカードゲーマーvol.53を手に取ってみてください。

         

         より詳しく知りたい場合はこちらの記事もご参照ください。

         

        (追記)

        記事内の「森羅判証」の画像が誤ってシーズン5開発中の没案となってしまっております。誠に申し訳ございません。シーズン6において「森羅判証」へのカード更新は予定されておりません。こちらにて訂正し、お詫び申し上げます。

         

        8月5日
        小説書籍版『桜降る代の神語り 第2巻』発売!

         

         ここからは未来の話となります。今週が現行小説の特集だとすれば、来週は過去の小説に注目すべきでしょう。前シリーズの書籍版『桜降る代の神語り 第2巻』がいよいよ発売します。
         
         新たな口絵、挿絵はもちろんのこと、本作にはプロモーションカード「闇昏千影の生きる道」が封入され、さらにイエローサブマリン様で1巻か2巻のどちらかをお求めいただければ特典としてプロモーションタロット「Aトコヨ」も手に入ります。
         
         新たな形で本作の物語に再び触れてみてはいかがでしょうか。この先の物語が形になるかどうかは皆様の応援次第です。なにとぞ応援いただければありがたい限りです。

         

         より詳しく知りたい場合はこちらの記事もご参照ください。

         

         

        8月8日-9日
        オンライン大決戦、開催!

         

         

         新型コロナウイルスの影響によりシーズン5を締めくくる大規模イベントの開催は難しいものとなってしまいました。そこで私どもはそれに代わるイベントとして、2020年3月当時の環境でのオンラインによる大規模イベントを開催いたします。

         

         現在、本イベントはひとまず満席となっておりますが、欠席連絡などの影響で少しだけ空席ができております。本日まで様々な原稿や告知計画が忙しく手が回っておらず、誠に申し訳ございません。明日1日に参加者を整理し、ご連絡を差し上げますのでお待ちくださいませ。
         
         また、参加を希望される方は今のうちに申請をしておくと良いかもしれません。申請はこちらより可能です。

         

         より詳しく知りたい場合はこちらの記事もご参照ください。

         

         

        8月10日-14日
        第一次カードプレビュー期間とプレリリース開始!

         

         

         新たな拡張の発売が近づいたら何が待っているのでしょうか。そう、プレリリースです。これまで拡張の発売前には全国各地の交流祭にてプレリリースイベントを開催し、そちらで新たなメガミをいち早く体験できました。
         
         しかし今の情勢は様変わりしています。7月と8月は交流祭はお気楽交流祭として大会を中心としないイベントとしておりますし、その上で大人数が集まるイベントには参加を控える方もいらっしゃるでしょう。なればこそ、プレリリースもまた然るべき変化をしなくてはなりません。

         

         そこで今回のプレリリースでは、新たなメガミ・メグミの全カードをpdf形式で公開することにいたしました。8月10日にメグミの特集となる記事が掲載され、そこからカードプレビュー期間として何枚かのカードをプレビューしていきます。そして8月14日の夜に全カードを印刷できる形で公開いたします。
         
         ご自宅、近くのプレイスペース、あるいはお気楽交流祭などのイベントにて、いち早く新たなメガミをお楽しみくださいませ。
         
        注意:メグミは大会ではまだ使用できません。ご注意ください。

         

         

        8月16日
        ゲームマーケット出張版2020浅草に出展!

         

         

         8月16日に株式会社アークライト様より、これまでよりも小規模なゲームマーケットが浅草にて開催され、私どもBakaFire Partyも出展いたします。
         
         まずは8月5日に発売している公式小説の書籍版『桜降る代の神語り 第2巻』のキャンペーンが行われます。こちらのブースで1巻か2巻をお求め頂いた全ての方にプロモーションタロット「Aユリナ」をお贈りいたします。
         
         さらに14日より配布しているプレリリースカードを『第伍拡張』のリーフレットとしていい感じに印刷したものも無料で配布いたします。
         
         もしご都合が付けばお越しいただき、それぞれ受け取っていただければ嬉しい限りです。

         

        ※ プロモーションキャンペーンは当イベント限りのものではなく、今後のゲームマーケットでも予定しております。プレリリースカードは印刷がいい感じでメグミの大きいイラストが付属していますが、追加の情報はございません。感染拡大防止に向けた各自の判断のもとで無理のない形でお越しいただければ幸いです。

         

         

        8月28日
        『達人セット』がここに再版!

         

         

         大変ありがたいことに『達人セット』が品切れとなっております。『基本セット』の時と同様にこちらも皆様の応援のおかげでございます。本当にありがとうございます。それを受けて私どもは『達人セット』の再版を優先して進めるよう計画を切り替えました。

         

         理由は新規プレイヤーにより親切でありたいからです。新規プレイヤーはまず『基本セット』を手に取りますが、そこで気に入って頂けたら次は『達人セット』に手を伸ばします。しかしここが入手できないと他の拡張に手を伸ばすこともなく(人間は順番に手に入れたいものなのです)、最悪の場合は本作から離れてしまいます。
         
         新しいプレイヤーの入らないゲームに未来はありません。それゆえに『第伍拡張』をお待たせしている方には申し訳ない限りですが、こちらを優先する判断を下しました。同時に発売できると理想でしたが、新型コロナウイルスの影響で生産ラインそのものの制約も生まれており、それは不可能でした。

         

         『達人セット』が入手しやすくなり、カードゲーマー様での広告も機能すれば本作に興味をもってくださる方も今よりも増えるはずです。そのような中で『第伍拡張』発売に向けた盛り上がりをお見せできれば、より魅力的な試みになるという計画もございます。私どもの考えをご理解いただき、応援いただければ嬉しい限りです。

         

         『達人セット』の発売日は8月28日(金)です。新しい『達人セット』では大きな変更が行われます。これまでの『達人セット』は新幕シリーズの幕開けを記念した豪華な外箱で、そちらに12柱のメガミを収納できました。
         
         これは当時こそ最善でしたが今もそうとは限りません。メガミは18柱まで増えて多くのアナザー版メガミも存在するため、収納の面で最善の選択肢ではなくなっているのです。そこで外箱を通常のものへと切り替え、代わりによりお求めやすい価格にいたしました。

         

         カードの内容はシーズン6に準拠しています。また、ルールや書式統一を理由としたテキストの微調整も行われています(※)。こちらの発売に伴うシーズンの扱いにつきましては後日に別の記事でお伝えいたしますので、そちらをご覧ください。

         

        ※ こちらの理由での調整ではカードの挙動は変化しません。従ってカードの更新ではなく、カードの配布も行いません。ご了承ください。

         


        9月4日-10日
        第二次カードプレビュー期間と特設サイト公開!

         

         『第伍拡張』の正式な発売日は9月11日(金)に決定いたしました。折角ですので、こちらでタイトルとロゴもご覧いただきましょう。正式なタイトルは『第伍拡張:異語邂逅(コトガタリカイコウ)』となります。

         


         そして9月となれば発売は目の前です。9月6日には拡張の特設サイトが公開され、第二次のカードプレビュー期間が開始します。発売までの最後の1週間をお楽しみください。(予定を変更し、4日に新メガミの特集記事を公開し、特設サイトは6日の公開となります。私の抱えている作業が飽和しており、ちょっと限界です。誠に申し訳ございません)

         

         


        9月11日
        『第伍拡張:異語邂逅』発売!

         

         そして、発売です!
         

         

        補足:以上の計画は、今の時点で情報として伝えたほうが親切かつ魅力的だと判断したものしか書かれていません。『第伍拡張』のプレビューを中心に書かれていない計画も進んでいます。いわゆる「さぷらいず」にもご期待ください。
         
         それでは本日はここまでです。次はおそらく8月のオンライン大会についての記事でお会いすることになるでしょう。ご期待くださいませ。

        『八葉鏡の徒桜』エピソード6−7:そして彼女は家へと還る

        2020.07.30 Thursday

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           吹き込める強い風の音が、背後で化け物の嘶きのように不気味に響く。外の明るさが満足に届かない洞窟の奥へと進んでいることもあって、袋小路へと追い立てられているような錯覚に陥ってしまう。ただ、その程度の不安でヤツハが足取りを重くすることはない。

           

          「…………」

           

           黙々と、まだ節々に違和感の残る身体を引きずって、凍える洞窟をヤツハは進む。
           コルヌとの桜花決闘に勝利したヤツハたちは、休息もそこそこに目的地への歩みを再開していた。どこを見ても白一色の風景では入り口を見つけるのに一苦労かと思われたが、クルルの記録は正しくかの場所へと導いてくれた。

           

           ヤツハとしては、もしかしたら決闘後にもコルヌとひと悶着あるのでは、と少なからず心配をしていたが、それは杞憂だった。自身がさらに費やす言葉を持たなかったように、コルヌもまた黙って一行に背を向け、吹雪の中へと消えていった。
           ただ、それが敗者としての潔さから来るものかと言われれば、それは違うのだとヤツハは考えていた。決着のあのとき、己の意思を認めてくれたであろうコルヌもまた、それ以上語る言葉を持たなかったに違いなかった。

           

          「コルヌさん……」

           

           結局、この帰り路では面と向かって呼ぶことのなかった名を、口の中で唱える。
           コルヌという存在は、ヤツハと桜降る代の間での不和の象徴であった。右も左も分からない状態で向けられた敵意は、どれほどこの地を知っても、どれほど他人に良くされても、解消されることのないしこりとして残り続けていた。

           

           けれど、道を譲ってくれたあの背中を思い出すと、この極寒の中でも少しだけ心が温かくなる。それが人肌でじわりと雪が溶けていくように、今はそのしこりが消えていくように感じていた。
           自分がメガミでないのだとしても、この地に居てもいいように思えてくる。
           瑞泉で事実を突きつけられてからこちら、どこか心の片隅に居座っていた、この地へのよそよそしさにどうにか別れを告げられそうだった。

           

          「…………」

           

           ところどころ氷が這っている以外、洞窟はなんの変哲もない景色を晒していた。目覚めたときは地面が道標になっているかのように線状に凍っていたが、今は守護者の足跡はどこにもない。流石に足元が不確かになってきたのか、クルルが絡繰の明かりを取り出した。
           この頃にはもう、遥か後ろで叫ぶ吹雪の声はか細い囁きほどになっていた。時折、凍った地面を踏みしめる音のほうがよく響くほどだった。

           

           明かりが仄かに照らす洞窟の中は、ヤツハの記憶のそれよりも随分と広く感じられる。頼りない明かりしかなかったこともそうだが、風景に目を向ける余裕があまりなかったのだろう。天井のつららが、人の介在のなさを物語るように肥え太っている。

           発ったときには見えなかったものが、帰り着いた今、はっきりと見えている。この先に待っているだろうアレもまた、今度は答えをもたらしてくれるかもしれない。そんな真実へ近づいている高揚感が、ヤツハの歩みを止めさせない。

           

           きっとそれは、ヤツハだけのものではなかった。
           隣を歩くハツミも、そして何よりもクルルですら、終着点を目前に控え、何も語ることはなかった。最後には静謐さすら感じられる沈黙が残り、急いでいるようにも聞こえる三組の足音だけが、洞窟に広がっていた。
           やがて、前からやんわりと吹き返してきた空気が、肌を撫でた。
           感じた空間の広がりに、クルルが明かりを前へと掲げる。

           

          「あっ……」

           

           そこでヤツハを待っていたものを見て、彼女は声を上げた。
           洞窟の最奥に設けられた、不自然に切り取られたような空間。今までのありのままだった道とは違い、一歩足を踏み入れるだけで、寝転んだとしても痛くないほど地面が平らに整えられているのだと分かる。

           

           そして、その石床から這い出すように隆起するもの。
           遠目からは、長い年月を経た樹の根に見える何かが、部屋の突き当りから外を望むかのように腕を伸ばしていた。照らし出された表皮に植物の生々しさは薄く、その硬質さは石のそれを思わせる。

           

           さらに、当時と変わらず、目を引くソレ。
           樹の根に絡みついているのは、まるで色とりどりの鉱石の板を貼り合わせて繋げたような、奇妙な結晶質の蔦。クルルの明かりが小さく揺れるたびに、その光を受けて赤から青、緑や黄色といった色に輝きが変化する。神秘的と表現するにも異様に過ぎる、自然物であることを認めがたい見目であった。

           

          「そっか……」

           

           小さな納得が、口からこぼれた。
           桜降る代を巡った今のヤツハには分かる。地面より突き出したその樹の根は、かつて神座桜であったものの一部なのだろう。もはや見た目にも温もりはなく、あのとき周囲に散らばっていた桜花結晶と思われる小さな欠片も残っていない。枯れた大樹は、凍てつく大地の礎としてここで静かに眠り続けていたのだ。

           

           そんな樹の根本で、ヤツハは目覚めた。
           そして今、真実を求めて帰ってきた。
           私は誰なのか――あのときは名前以外に何も答えられなかった疑問に、今度こそ、はっきりと解答を与えるために。

           

          「ここです。ここが、私の知る最初の場所です」

           

           目的地に辿り着いたと、同行者に告げる。声の反響も収まって再び訪れた沈黙の中、ハツミの驚きの声が口に出さずとも伝わってくるようだった。

           

          「おぉ……」

           

           クルルが感嘆を漏らしながら、部屋の入り口の脇に明かりを置く。彼女たちには十全に照らされた空間には、やはり樹の根と蔦以外には何もなく、訪れた者は否応なしにソレと向き合うことを求められてしまう。
           けれど、ヤツハにはそれが、かえって決意が鈍らなくて済んだと思える。

           

          「これがウワサの……ではではやつはん」
          「……はい」

           

           きらきらと輝くクルルの瞳に、はにかんで応える。
           けれど、一歩前へ出たところで、ハツミの切なげな声が袖を引く。

           

          「あ……」

           

           ヤツハへと伸ばそうとした手を、途中で留めていた。事ここに至って、自分でも抑えきれなかったとでも言うような沈痛な面持ちで、その手を反対の手が捕まえていた。
           その顔を突っつけば、不安が中から飛び出してきそうなほど、ハツミはヤツハへの心配を露わにしていた。その瞳には小さく期待も宿っていたものの、クルルと比べたら水面に映る月光のようにおぼろげであった。

           

           ハツミはこの場に相応しくない自らの不手際をごまかすように、苦笑いをして今度こそヤツハを送り出す。こくり、とヤツハはそれに、自信の宿った笑みを浮かべて応える。
           とつ、とつ、と湿った足音と共に、部屋の奥へ。
           ヤツハの身体が明かりを遮っても、奇妙な蔦は、影の中でその独特な輝きを放ち続けている。

           

          「……ただいま」

           

           膝を折り、根の這った地面を指先が撫でる。
           間違えることはない。まさにこの場所で、ヤツハは目覚めを迎えた。あらゆる感触が、帰り路の終わりを告げていた。
           何もかもを失くしていた自分が、今度はここで、それを取り戻す。

           

           そのためにどうすればいいかは、もう分かっている。
           瑞泉でできなかったことを、もう一度。皆の前で――

           

          「…………」

           

           そっと、歪に輝く蔦へと手を伸ばす。
           どういった感覚かは、前にハツミに教わったものを参考に。
           けれど、何故だろう。ヤツハはそれを、もっと前に知っていたような気もしていた。

           

           そして、指先が蔦へと触れようかというそのときだ。
           小さくて、青白い光が、洞窟の中に生まれた。

           

           

          「……!」

           

           その冷めた光は、指先を中心として徐々に広がり、ヤツハを包み込むまでとなる。
           極大に至った輝きに、背後から耐えかねたようなうめきが聞こえる。けれどそれも、曖昧になった感覚の波に押し流されてしまう。

           

           自分が、この光に還元されていく。
           けれどもそれが、当たり前のようでもある。
           初めてなのに、どこかその感覚がすとんと胸に降りてくる。
           きっとこれが、あるべき場所へと帰るということ――

           

           

           

           


           光が消えたとき、どさり、とハツミが膝から崩れ落ちた。
           あの夜空から産み落とされたような人の形は、跡形もなく消え去っていた。

           

           ここにはもう、ヤツハはいなかった。
           神座桜に還った――のではない。
           二柱の視線の先で、ヤツハが還っていった奇妙な蔦が、異質に輝き続けていた。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           


           ……………………、
           …………………………………………、
           …………………………………………………………。

           

           ……そうだね。彼女はこうして、還りついたのだろう。
           これで彼女の旅は終わり。すべてが納まるべきところへ納まり、彼女は暖かく迎え入れられる。そうであれば……、そうなるのであればカナヱもそれが望ましいと思うよ。

           

           ……………………、カナヱは、わからない。
           彼女が……ヤツハがこれからどうなるのか。彼女が何者なのか。カナヱは、知らないんだ……。
           カナヱは…………、

           

           …………いや、すまない。

           

           こうして彼女の旅を見届けた今、カナヱたちにやり残したものはないはずさ。
           ふたつの舞台へ、目を遣ろう。
           先の幕引きで伝えた通りだ。一方は彼女らの円舞から僅かに数日後。手の中に輝く欠片の物語。もう一方は……、東の海の物語から数か月後にして、先の舞台よりは過去の話。海を越えた先での、一大事。

           

           行こう。カナヱたちは、ただ見届けるだけなのだから――

           

           

           

           

           

           

           

           


           古鷹という街は、その来歴からして、顕現したメガミをしばしば見かける都である。特に近年では、前当主が凶刃に斃れた折、メガミ自身が幼かった現当主に代わって政に関与していたほどだ。

           


           その現当主たる古鷹天詞は、二柱のメガミに直々に教育を施されていたほどであり、メガミと対面するのも慣れていたはずだった。

           

          「…………」

           

           だが、と表情には出さずに、久方ぶりの畏れを呑み下す。
           古鷹の屋敷、その奥まった場所に位置する広間では、空気が静かに張り詰めていた。火急の事態ではなく、喧騒も対立もない。それでも、平時とは明白に異なる気配が屋敷を包んでおり、その近寄りがたい緊迫感はあえて人払いをする必要すらなかったかと思わせるほどである。

           

           その空気を生み出している原因は、いっそ壮大とも言える光景が物語っている。
           この部屋には今、四柱ものメガミがおわしている。
           それも、観光やら言伝やら、ひいてはただ顔を出しに来たとか、そういった安穏とした理由ではなく、確かな目的の下に集っている。それがどれほど心臓に悪いことか理解しているつもりだったため、隠居間近の仲小路は同席させなかったが、天詞が何度認識を改めたか分からない。

           

           何より、己が世話になったメガミの変容を目の当たりにしてしまえば、彼女たちが具体的にどのような意思を抱いているかなんて二の次である。
           そこには、以前よりも桜色の淡く、ところどころ霜の降りたような装いに身を包むトコヨの姿があった。口元にあてた扇も青ざめたような色合いに染まっており、今から幽鬼でも演ずるのかといった風情であった。

           

           さらに目線だけ動かしてあたりを見渡すと、同じく新たな装いのサイネ、こちらは変わりないチカゲと見える。
           そして――

           

          「ここに皆を集めたということは、事情を説明していただけると期待しておりますの」

           

           四柱目のメガミとしてここに座す、ミズキが端を発した。
           先における稲鳴での一件からこちら、古鷹に留まっていた彼女は、トコヨとサイネの変化を改めて間近で眺め、衝撃を禁じ得ていないようだった。

           

          「だって、その姿は……」
          「ええ、話すわ」

           

           ゆっくりと、トコヨが扇を閉じる。
           彼女の声色に差した恐れの色が、天詞の心を捉える。まるで、来る舞台の山場を想起させるかのように。

           

          「あたしと細音に――そして、向こう側に何があったのかを」

           

           

           

           

           

           


           遠く東の海の果て。異邦の地、ファラ・ファルードの一角は、騒然とした空気に包まれていた。
           詰めかけた民衆を、鎧兜を纏った騎士たちが押し留めている。けれどここに集ったのは暴徒というわけではなく、怒号や暴力の類もほとんど存在しない。貪欲に情報を集めようとしている記者たちですら、騎士たちが示した警戒線に必要以上に近づくこともしない。

           

           野次馬たる彼らの中で飛び交うのは、根拠のない推測や絵空事。
           曰く、八ツ空の神が降臨する前兆である。
           曰く、これこそが彼の地より与えられた真なる恩寵である。
           曰く、人には過ぎた力がついにこの国を滅ぼす。
           興奮や不安を煽るような内容ではあったが、それでも破滅的な混乱が訪れる様子はない。それらが憶測であると理解しているというより、無駄に騒ぎ立てれば決定的な何かが起きてしまうと直感しているようだった。

           

           そんな人だかりの生まれた郊外に、あたかもここが桜降る代であるかのようにコールブロッサム――否、神座桜が堂々とそびえ立つ。
           以前は家屋と肩を並べるほど成長したことが問題になった、その桜。
           今やその姿は、見上げれば首を痛めるほどに、より巨大なものとなっていた。

           

          『皆をもっと下げたほうがいいかしら』

           

           桜を囲む群衆の一部に、そこだけ人が避けたようにぽっかりと空隙が生まれている。サリヤはそこで乗騎ヴィーナに腰掛けながら、この国の言葉でひとりごちた。傍ではジュリアと佐伯も同様に、この異常な光景への思案を続けている。

           

           問題が起きたのは今日の早朝のこと。彼女たちが今注視している桜が、薄く発光を始めたとの知らせが一同を騒然とさせた。

           最初に現場から報告を受けた下級貴族は、当初昨晩の酒が残った連中の見間違いだと思ったという。ただ、彼が仕えるのは、コールブロッサムの管理を担うクラーヴォ家である。使命に従って急行した彼は結局、幹まで光る桜を目の当たりにして大慌てで使いを出し、各所の知るところとなる。

           

           サリヤたちが駆け付けた頃には、騒ぎを聞きつけた人々が既に集まり始めていた。幸運だったのは、ファラ・ファルードの民には理由なくコールブロッサムに触れないという意識が根付いていたことだ。コールブロッサムは貴族の管理下にあり、万一が起きては処罰の対象となる。それゆえ、退避させるのも容易であった。
           それから数時間に亘り、こうして観察を続けている。桜が放つ光は収まるどころか徐々に強まっており、昼下がりを迎えた今、陽光をおしてなお眩さを感じるほどである。

           

          『長丁場も覚悟しなければならないことを考えると、早々にお帰り願ったほうがいいかもしれないな』

           

           そう答えながら、佐伯は臨時に供させた工場の樽椅子に腰掛け直す。彼らのすぐ後ろでは、やって来たはいいもののできることがない貴族たちが、固唾を呑んで見守っている。工場を臨時の基地にする案もあったが、万が一を考えて既に閉鎖した後だった。

           

          『少なくとも、彼らを守るのに身動きが取れなくなるのは避けたいところだ』
          『そうね……みんなとなると私にも荷が重いわ。どれくらい想定するかにもよりそうだけど、付近一帯からの避難もそろそろ考え始めたほうが――』

           

           サリヤはそこで、背後でひときわ大きくなった喧騒に言葉を切った。
           振り返ると、一点を境に人の波が外側へと広がっているようだった。まるで言われるがまま考えなしに何かを避けているようで、生まれた歪みで群衆が押し倒されないか心配になる。
           しかし、窮屈さへの憤りだけではなく、歓声が混ざっていることにサリヤは気づいた。

           

          『道をお開けください! 我々に、神との対話をお許しください!』
          『彼の地の神がお通りになられます!』

           

           張り上げられた声が、ついには人の壁を割った。
           現れた僧衣の集団は、この国に八ツ空の神々の教えを広めるフェラムの司祭たち。その先頭に立つのは、帽子からはみ出した禿頭を輝かせる最高司祭テルメレオその人である。

           

           さらに、生まれた人の道の向こうで、馬車から降りた女の姿を見てサリヤは安堵した。裾を摘んで駆け寄ってくる彼女へ、人々が熱心に祈りを捧げている。簪で留められた後ろ髪からは、結いが甘いのかはらはらと肩にこぼれ落ちていた。
           現れたユキヒが、道を作ってくれていたテルメレオに追いつくと、

           

          『すみません猊下、わざわざ送っていただいて』
          『い、いえいえ。彼の地とこの国の友好のためには喜んで。それに、これはファラ・ファルードとしても一大事となるやもしれない事態なのですから』

           

           汗を拭いながら答える彼は、呼びかけてくる民衆に会釈をかわす。
           熱心な記者たちは重鎮の登場を受けてここぞとばかりに質問を浴びせてくるが、騎士たちにさらに後ろへと追いやられていった。そろそろ何かしらの発表をしないと無謀な行動に出られかねない、とサリヤはため息をつく。
           幸い、輪の中に入ってきたユキヒは、今この国に居る中で最も桜に詳しい存在のはずだった。判断のための役者がようやく揃った形となる。

           

          「ああ、サリヤ。ごめんなさい、遅くなっちゃって」
          「とんでもない! こんなに早く捕まるとは思ってなかったわ。来てくれてありがとう!」

           

           得られた心強さに感謝するように、サリヤはユキヒを抱き留める。
           遅参したユキヒへ軽い情報共有を行ったが、その場でずばりと原因を言い当ててくれるということはなかった。
           その代わり、彼女の足はふらりと桜へと近づいていく。
           空白地帯へ現れた人影に、民衆が一瞬沈黙を生み、また喧々諤々と音を作っていく。

           

          「この光、まるで私たちが……」

           

           その呟きが、付き添ったサリヤの耳を掠める。
           そして輝ける大樹の傍まで辿り着いたユキヒが、一呼吸の後、目を見開いて桜を注視する。サリヤはそこに確かな力の脈動を感じ、縁を辿る権能によってユキヒは今、この神座桜の異常を彼女なりに紐解こうとしているのだと理解した。

           

           果たして、ユキヒが何かを視て取るまでに、そう時間はかからなかった。
          ただ、その結果がもたらしたのは、困惑と混乱であった。

           

          「なに……この、縁……?」

           

           ユキヒの口から、動揺が漏れる。桜が発光している以上に不可解なものが、彼女の目に映し出されているようで、焦りと共に黙考を始める。

           

          「ユキヒ……?」

           

           不穏な態度に思わずサリヤは名を呼ぶが、返答はない。
           やがてユキヒははっとしたように周囲を見渡し、次いでサリヤへ、さらに観察と待機をしているジュリアたち貴族へと目を向けた。
           そして、切迫した様子でユキヒは訴える。

           

          『周りの人たちを、もっと遠ざけて!』
          『……!?』
          『何かが……縁を辿って、ここに近づいてきてる!』

           

           彼女の警告が何を意味するのか、真に理解できた人間は稀であった。だが、人々の上に立つ存在として、意図を呑み込んだ貴族の動きは早かった。
           最初に反応したのは、以前サリヤ解放の一助となった、この国の法の一端を担うアルトリッド卿であった。控えさせていた騎士を急ぎ避難誘導へと向かわせたところで、テルメレオもまた連れの司祭と共に動き出す。さらに遅れて、手持ち無沙汰にしていた他の貴族たちも弾かれたように臨時の詰め所から飛び出していった。

           

           サリヤは先んじてジュリアの下へと戻り、ヴィーナを嘶かせて警戒態勢に入っている。その背後で佐伯も自前の鉄爪に手を伸ばしているが、彼もまたユキヒの言わんとすることを介した者の一人だ。歯噛みしながら、己をジュリアの盾としていた。
           不幸なことに、喧騒に紛れたために危険を察知した民衆は少数派であった。貴族たちの動きにざわめきの方向性は確かに変わっていったが、背中を押す危機感が全く足りていない。

           

          「どういうこと……」

           

           桜の前に残されたユキヒが、渋面のままに零した。
           彼女が今、目の当たりにしている縁は、何処からかこの神座桜へと結ばれたもの。だが、ユキヒでもってしても、その縁がどういったものであるか、良し悪しからして全く分かっていなかった。あまりの不可解さに、もう一人の自分と頭の中で議論を交わしていたほどだった。

           

           ただ、正体不明の縁であっても、その結びつきは視えてしまう。何にも染まっていない白い糸ですらなく、あることだけが分かる透明な縁の糸が、か細く伸びている。
           その糸は最初、神座桜から先には繋がっていないものだと彼女は思っていた。
           だが、

           

          「っ……!?」

           

           伸びた糸の先を視て、ユキヒは驚愕する。
           その先が結びついていたのは、紛れもなく自分――ユキヒ自身であった。
           縁を手繰られる手応えが増していく。
           何者かが、彼女を足がかりに急速にこちらへ――

           

          「急いでっ!」

           

           それに気づいて叫んだのと、臨界はほぼ同時だった。
           神座桜の放つ光が、陽光を塗りつぶすほど強烈に放たれる。
           眩さが、その場に居た者全ての目を焼いた。

           

           

           

           

           


           コールブロッサムの採集場には、目を刺す光にやられた人々のうめき声が広がっていた。慌てて逃げようとしたためか、民衆の一角がばたばたと倒れており、怪我人も出ていそうだった。
           けれど、貴族たちや騎士たち、果てはメガミでさえも。
           無事な者は誰もが皆、言葉を失ったように、その一点に目を奪われていた。

           

          「…………」

           

           光は絶頂を越え、残光を煌かせるのみとなった神座桜――その根本には、今までなかったはずの人影が三つ。そのどれもが、この国の民、否、桜降る代の民を含めた人間とは明らかに異なる装いに身を包んだ、女のものであった。

           

           

           三人の中心にいるのは、新緑を思わせる色合いの装いに身を包んだ少女。彼女は安堵したように息をついて、地面についた棒状のもの――唐棹と思しき道具に体重を預けていた。唐棹はそれ自体が生きていると示すかのように、ぴょこんと葉が生えている。柳のように垂れ下がった彼女の長いもみあげが、異邦の風になびいていた。

           

           右隣で伸びをしているのは、肌にぴったりと張り付くような黒の肌着も露わにした少女。快活さを醸し出す彼女だが、十代も半ば過ぎと見受けられる年頃としては、顔立ちに残る幼さは僅かなものだ。腰に提げた荷からは、金槌や火箸といった鍛冶に用いる道具が飛び出しており、左腕に袖を通しただけの着物がその荷に引っかかって揺れていた。

           

           そして最後の一人は、背後の宙に白と黒の勾玉を従えた黒髪の女。四肢にはまるで拘束具であるかのように立派な腕輪と足輪を嵌めており、表面には衣服と同様に曲線的な古めかしい文様が刻まれている。その中で唯一、人に理解できる五対の桜の花弁の意匠が、神座桜との関係性を示しているようである。

           

          「え……」

           

           彼女たちの出現を最も近くで目の当たりにしたユキヒは、混乱の最高潮にあった。
           けれど、一歩、二歩、と縋るように寄ろうとした彼女は、この場で最も、確かな驚愕に身を焼いていた。

           

           自分の良く知るメガミが、ここに現れた。
           ユキヒが間違えるはずはない。なのに、普段とは雰囲気から何まで異なっている。
           思わず、彼女はそのメガミに呼びかけていた。

           

          「ハガネ、ちゃん……?」

           

           そのメガミは、いきなり名を呼ばれたことに驚いたように肩を震わせた。
           そして彼女もまた、ユキヒに目をやり、同じように言葉を返す。それは、手繰った縁の糸の正体を推し量るかのようだった。

           

          「ユキ……ねぇ……?」

           

           鍛冶道具を携えた栗毛の少女と、互いに困惑をかわしあう。
           知っているはずの相手なのに、違う。違うはずの相手なのに、知っている。
           そんな己の記憶や感覚とのずれから生まれた違和感が、二柱に次の言葉を失わせていた。

           

          「あのー?」

           

           そんな中、中心に立っていた新緑の少女が小さく手を挙げる。
           様子を窺いに出てきたサリヤと、どちらに問えばいいのか迷うようにひょこひょこと首を動かすと、

           

          「ここ、ファラ・ファルードで合ってます……?」
          「え、ええ……そうだけど」

           

           少女に合わせて桜降る代の言葉で答えたサリヤも、密かに混乱を強める。
           ユキヒと顔を見合わせたサリヤは、答えた代わりというように、半信半疑ながらも問いを差し向けた。

           

          「この桜は、あなたがやったの?」

           

           以前シンラが言っていたように、メガミであっても桜を急成長させるなんてことはそうそう叶わない。いくら近年の桜の活性化に原因を求めるのも限界だとはいえ、実行可能な存在からして居るかどうかも分からないのだ。
           故に、この現象が危険を孕んでいたのか、心当たりを問うだけのつもりであった。
           もしも彼女たちがメガミであるならば、神座桜から現れることそれ自体については、この地で前例がないことを除けば当たり前のことなのだから。

           

          「う、うおわっ!?」

           

           指されて振り返った少女は、後ろで聳えていた桜の威容に跳び上がるほど驚いた。杖にしていた唐棹を盾にするように隠れて、先端の棒をのれんのように持ち上げて恐る恐るその光景を眺めている。
           その態度は、桜の巨大さそのものに驚愕しているというよりは、自分のしでかしたことが思ったより大ごとになっていたといったほうが、似つかわしかった。

           

           ややあって、周囲の困惑に気づいた少女は、気を取り直すように咳払いを一つ。
           姿勢を正した彼女は、成果を前にほんのり気取った様子を見せる。

           

          「うん。この桜はね――」

           

           少女は、サリヤの目をまっすぐ見て、投げられた疑問へと答える。
           だが、少女の言葉は、ただ肯定するだけでは終わらなかった。

           

           そこで告げられるのは、共犯の名。
           サリヤたちメガミにとって、その名は重い意味を持つ。
           そして同時に――その名の持ち主は、失われていたはずだった。

           

          「こちらのヲウカ様と……あたしの権能によるもの、だよ」

           

           少女に指された黒髪の女が、サリヤたちの驚愕など素知らぬように、ただ静かに佇んでいた。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           


           ……彼女は…… 瀧河希 たきがわめぐみ は、受け継いだ。
           その想いを。決して失わぬように。
           困った子だけど、だから私も救われたのでしょう。

           

           

           

           

           

           

           

           


           願わくは、その掌の温もりが、どうか零れてしまわぬように。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           降りた夜の帳は、神座桜の異変の収束を物語る。あれほど眩かった光は、地平の彼方へ沈んでいってしまったかのように、今は寡黙な樹皮を晒すのみとなっている。
           現場となった採集場は引き続き閉鎖されており、騎士たちもとうに撤収していた。常駐している警備兵も、昼間の騒動で心身共に疲れ果てたのか、一息つくのに座った木箱の上で、こっくりこっくり船を漕いでいる。

           

           だから、こんな深夜に、優しく輝く神座桜を見る者は誰もいなかった。
           だから……それを目撃した者は、誰もいなかった。
           沈黙していた樹皮の一部が、淡く桜色の光に包まれる。
           そして、

           

           ずず……、と。

           この世界をまさぐるように、桜から現れたのは手だった。
           病的なまでに白い、ほっそりとした女の手。
           月と桜の光に照らされて、透き通るようなその肌は幽鬼のように幻想めいていた。

           

           その手が、がしり、と光に還っていない樹皮を掴む。
           それはまるで、忌むべき場所から這い出す亡者のようで、見咎めるべき生者は、ここには誰もいなかった。

           

           

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          『八葉鏡の徒桜』エピソード6−6:彼女にとっての挑戦と超克

          2020.07.28 Tuesday

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             白のみが支配する極寒の地に、宵色をした一輪の花が咲く。冷厳なる山々に見下される大雪原は、人々の目が到底及ばない不変の聖域である。耳をただ苛むような吹雪の音が鳴り響く中、ヤツハに付き添っていた二つの足音も遠ざかっていった。

             

             背中を押す声援もなければ、見守る視線すらも雪煙の向こうに呑まれてしまう。けれど、それに物寂しさを感じても、不安を覚えることはなかった。
             帰り路で見続けてきたのは、誰かの背中ではない。
             自らが求めた、ここよりも一歩先にあるかもしれない答え。
             それに手を伸ばし続けてきた彼女は、凍てつく大地に一人立つ。戦わなければいけないのは、相対する北限の主から刷り込まれた恐れだけだった。

             

            「…………」

             

             互いに握りしめていた両手を胸に寄せる。己の内にある想いを手の中に移すように幾許か念じると、冷めきった世界へとヤツハはそれを解き放つ。
             生じたのは、三片の桜色の輝きだ。肌を切り裂く吹雪にも負けず、ひらりひらりと彼女の周囲を漂う盾となる。これと同じものを分け与えてくれた神座桜は、この場に存在しない。メガミではないらしい己に力が注がれる理由すらも分からないけれど、今はただ、勝利の果てにある自分自身を見つけるため、その温もりに身を焦がす。

             

             故に、再び踏みしめた氷の大地にて、ヤツハは揺るぎない眼差しを形作る。
             そして彼女の声は、見届ける者のいない舞台へと確かに響いていった。

             

            「ヤツハ。桜降る代に、決闘を」

             

             

             

             

             


             踏み出した足が、固い雪をゆっくりと噛みしめる。宣言と共に、最初に動いたのはヤツハであった。
             彼我の間合いを意識し、推し量る。それでいて、確かに前へと進む――青雲との闘いを経た今、彼女の立ち回りには明確な理があった。心構えもないままに距離を詰め切られ、慌てふためいていた往時の姿はどこにもない。

             

            「…………」

             

             黙して機を窺う彼女の手中には、既に鏡の怪物の手綱が握られていた。いつその力を振るうべきか、未だ泰然と構えるコルヌに対して見定めようとしている。
             コルヌが戦う様を見たのは、洞窟での目覚めの直後、その一度きり。覚えているのは、宙を舞う氷の刃と、滑走から繰り出される蹴撃、そして全てを凍てつかせる大吹雪である。最後の暴力的な権能はともかく、基本的な間合いはそう遠くないと踏んでいた。

             

             ここならば、まだ攻められないはず。相手の靴底に設けられた氷の刃を見やりながら、事前の予想と肌身で覚える実感の囁きに耳を傾ける。
             果たしてヤツハの読みは正しく、間合いは静かに詰まり続けるのみだった。コルヌの険しい顔つきが目前に迫れば迫るほど、威圧感に跳ね除けられそうになるけれど、それこそが見えない鍔迫り合いなのだと経験から知っていた。

             

            「はぁーっ……」

             

             深く、躊躇いを追い出すように息を吐く。
             気を整え、押し付けられる不可視の得物に怯むことなく、さらに前へ。
             確固たる意思はヤツハの瞳に宿り、その意気は彼女の勝利を確約するかのよう。吹雪に抗って周囲に漂う桜の霞も、桜花結晶が道行きを祝福しているようだった。

             

             彼我の間合いの境界が、ここにある。
             決意と共に踏み越えた一歩が、交戦の合図となった。

             

            「はあぁぁっ!」

             

             気炎を上げ、前のめりになって鏡を顕現させる。その全てが形作られるのを待てなかったとでも言うように、星空色をした怪物の咢が弾かれたように飛び出していった。

             

            「……ほう」

             

             開いた大口は、狙いを過たずにコルヌの肩口へと食らいつく。彼女はそれを避ける素振りすら見せず、微かに甘い微笑みを浮かべて結晶の盾をあてがった。
             しかし、守りを噛み砕いた咢はあくまで先陣。役割を終えて退いたそれの陰から、氷山をも切り裂きそうな巨大な爪が姿を見せる。間断なく振るわれていたその一撃は、容赦なく相手を貫くことだろう。

             

            「だが――」

             

             コルヌはそれを否定する。
             初撃に対し浮かべていた表情もまた、自ずとかき消して。

             

            「まだ甘いッ!」
            「……!」

             

             あの笑みが、北限の守護者に湧き上がる。
             喝破を皮切りに、ヤツハの知る冷厳で加虐的なあの笑みが、微笑みに取って代わった。
             瞬間、コルヌの纏っていた気配が一気に変わり、彼女の発した威風が凍土を遍く揺らした。場の空気もまた、その一粒一粒が刺々しい氷柱に変貌したかのように塗り替わる。

             

             ヤツハの送り出した大爪は、コルヌの冷気を間近で受けたせいか、ぴきりぴきりと端から音を立てて凍りついていく。爪の持ち主たる怪物が仮に声を上げられたとしても、その断末魔を響かせる前に全身を氷塊に変えられてしまうような、自然を超越した猛威をヤツハは目の当たりにさせられる。
             やがて元あった勢いも失われ、氷像と化した爪先がコルヌのこめかみ三寸ほどで止まる。彼女がそれを裏拳で軽く払うと、先端のほうからぼろぼろと砕け始めてしまった。

             

            「くっ……」

             

             これこそが、メガミへの挑戦。
             コルヌの試練とは、全身を切り裂くこの北限の寒風そのものに他ならない。
             壮絶な光景に苦境を改めて自覚するヤツハの前で、人の形をした氷雪が口を三日月に歪めていた。

             

             

             

             

             


             ばら、ばら、と。いっそう強く吹雪いてきた決闘の場に、ヤツハの攻撃の意思だったものが転がり落ちる。重くなった雪は舞い上がることなく、砕けた怪物の爪は氷ごと宙に溶けて消えていった。
             いっそ冗談じみた方法で攻撃を止められたヤツハであったが、強まる冷気は繰り出した怪物の身体のみならず、使い手たるヤツハ本人にも襲いかかる。息をするだけで胸が痛くなるほどの寒さが、彼女を芯から凍てつかせていく。

             

             伴っていた気迫すら萎れるような変化に、次の一手への動きを作れない。
             けれど、始まってしまった試練に待ったをかけることはまかりならない。

             

            「行くぞ?」

             

             吹雪に犯される耳が、若干の愉悦を孕んだ囁きを捉える。
             直後、コルヌとの間に横たわっていた間合いが、靴底の氷刃に切り裂かれた。

             

            「っ……!?」

             

             急激に腰を折った前傾姿勢からコルヌが踏み出し、次々と生まれる氷の道の上を一瞬で滑走してくる。普通の走りとは異なり、体勢の変化に乏しいその動きは、時間を切り取ったかのような至近を彼女に叶えさせる。
             そして十全に速度が乗ったところで、そのまま宙へと滑っていくように右脚を蹴り上げた。足先が素早く描いた軌跡は、無駄な予備動作に澱むことのない流麗なものであった一方、すらりと伸びた脚が生み出す斬撃は巌を断ち割るほどに力強い。

             

             ヤツハは胸元めがけて繰り出されたその剣閃を、守りの結晶を咄嗟に差し出すことで辛うじて逸らす。しかし、薄い刃一本だけで立っているはずなのに、コルヌは蹴り足を弾かれようとも姿勢を崩すことはなく、そのまま舞い踊るように背後へと回られる。
             慌てて振り返れば、剣舞の締めとばかりに、コルヌが足元に横たわる雪たちを猛然と蹴り上げる。大波となった雪が、礫のようにヤツハへ叩きつけた。

             

            「きゃぁっ!」

             

             鋭い蹴撃に比べれば、威力そのものは肌身でもまだ耐えられる領域にある。けれど、頭から被った雪は、コルヌの意思を孕んでいるかのように急速にヤツハから温度を奪っていく。

             

            「い、っ……!」

             

             右のふくらはぎに、結晶で殺しきれない痛みが走った。雪塊が鋭い刀子となって、ヤツハの柔肌を傷つけていたようだった。
            切り裂かれた脚が、直接見るまでもなく凍りついていくのが分かる。ますますぎこちなくなっていく身体の動きに、結晶の力を充てがってでも体温を取り戻す必要性を頭が訴えていた。
             しかし、それを容易く叶えさせてくれるほど、コルヌは甘くない。

             

            「かかかっ!」

             

             高笑いと共に、渦巻く冷気がヤツハを包み込む。凍える風が、肌に残っていた温もりを奪い去るように吹きつける。
             反射的に身を丸めてしまった己を胸中で叱咤し、翻弄してくるコルヌを正面に捉える。しかしその最中にも凍えた脚は満足に働かず、気を抜けばそのまま膝を折ってしまいそう。そのまま動けなくなった身体に雪が降り積もる様すら脳裏によぎる。

             

             コルヌの武器は、この極寒の大地そのもの。雪煙に紛れた氷刃という直接的な脅威だけでなく、場を支配する零下の息吹が戦意ごと挑戦者を凍りつかせてしまう。青雲も戦場に広げた影から捉えどころのない技を使ってきたが、大気に満ちる攻撃など到底捌ききれるものではない。
             さらに、寒さに麻痺した感覚ではうまく桜の力を巡らせることもできず、それが極寒への備えを失わせる悪循環が瞬く間にできあがっていた。

             

            「ぐぅっ、うぅ……」

             

             足はすくみ、手はかじかむ。心はもう枯れそうになっている。
             歯を食いしばり、必死に耐えようとしても、大いなる自然から温情を与えられることはない。冷酷な凍土は、己に相応しくない者に宿る体温全てを奪わんと、どこまでも残酷に永久の眠りへと引きずり込もうとしてくる。

             

             それこそがコルヌの務めであると、理解をしている。
             再び足を踏み入れた汝は如何ほどの存在なのかと、理不尽なまでに試された旅人が、何人もここで膝をついてきたのだろう。そして今、ヤツハもまたその旅人たちの中に並べてやろうと、守護者は使命に忠実に従っている。

             

             だが、それでもヤツハは負けられない。
             たとえ自分が何者であろうとも、己はここにいる。
             答えへ手を伸ばすこの意思だけは、本物なのだから。

             

            「く、ぅあぁぁぁっ……!」

             

             故に、吠える。か細くとも、自身の存在を訴えるように。
             霜を払い落とすが如く、心を奮わせたヤツハ。彼女の想いは未だ熱く、心は力を帯びていく。

             

             身を縮めたまま、その確かな決意を示すよう、鋭い視線がコルヌを射抜く。
             力の所在も、力の正体も何もかもが分からない中でも、彼女の魂だけはここにあった。


            「む……!」

             

             生じた現象と、向けられた意気に、コルヌが初めて怯む。
             彼女が纏っていた桜花結晶が二つ、主の動揺にあてられたかのようにふらついたかと思えば、吹雪に乗ってヤツハの下へと離反していった。確たる魂こそが我々の寄る辺だとでも言うようで、桜霞の形となって彼女の力の一端と化す。
             その様子はまるで、コルヌの身から分かたれた結晶に対し、ヤツハの意思が己の存在を認めさせたよう。

             

             だが、それでもコルヌは試しの手を緩めない。
             最後まで相手を見定めることこそ、彼女が持つ役割である。
             それに従うは、冷厳なる彼女の意思なのだから。

             

            「それで終わりか!?」

             

             再び作られた滑走の動きは、ヤツハを中心とした円を描く。立ち上る雪煙を吹雪が乱し、機を窺うコルヌの足元を隠していく。怪物の暴力を警戒しているのか、靴底の刃が氷を削る音が、間合いの外で威嚇するように嘶いている。
             そして彼女は、一段と鋭く吹いた寒風に乗って、ヤツハへと向かう速度を一気に纏った。
             氷刃の円舞を再演せんとするその身から、槍のように鋭い蹴撃が放たれる。

             

            「いいえッ!」

             

             対し、ヤツハは意思をぶつけ返すように叫ぶ。盾となった鏡が、猛進を成したコルヌを映したままに輝きを放つ。
             一つの瞬きの後、光に隠れた鏡面から、星空で形作られたモノが飛び出してくる。だがそれは、この世のものとは思えない怪物の一部などではなかった。

             

            「……!」

             

             驚きに眉目を吊り上げたコルヌの蹴りが、ソレの蹴りに受け止められる。
             現れたのは、人の形。それも、コルヌそのものの姿をした、星空の虚像。
             それは蹴撃の拮抗を先んじて崩し、反動を利用してコルヌの脇腹へと重い一撃を叩き込む。まるで攻撃という現象を照らし返したかのように反撃を成した虚像は、映し出すべき物を失って吹雪にかき消えていった。

             

            「か、ぁッ……!」

             

             虚を突かれた形となったコルヌだが、前のめりに体勢を崩しはしても、膝をつくことはなかった。試練を跳ね返したところで終わりではない。それは己の証明ではないと、暗に告げているようだ。
             だからヤツハは、さらなる先を求め、己が内に流れる力の奔流へと手を伸ばす。

             

             そこでふと、意識の指先に何かが触れた。
             そこには確かな違和感があり、この力こそ自身が望むものだという確信が生まれた。

             

            「ぁ……」

             

             

             それが、ヤツハの用いる鏡の一つであることは分かる。飼い慣らしたとまではいかないかもしれないけれど、瑞泉にて随分と親しんだ力を間違えるはずはない。
             それは、彼女に寄り添うように温かい。
             しかし心のどこかで、肌寒さも感じていた。

             

             鏡面の向こう側に、何かがいる。
             それは爪や咢を携えた、あの怪物なのだろうか。だが、この戦いの渦中ではそれを覗き見ることは叶わず、確信は得られない。
             強く意識を向ければ、そこには意識そのものを映し出すように、ヤツハ自身が映し出されているような感覚がある。

             

             ならばその怪物もまた、自分なのだろうか。
             鏡の向こう側にいる何かは、己の一部なのだろうか。

             

             分からない。
             分からないけれど、ここで前に進むために、今は――

             

            「貴様……!」

             

             コルヌの叱咤が、ヤツハの意識を己の外側へと呼び戻す。流れた刹那の時の中、コルヌは崩した体勢を無理に戻すことはせず、追撃の機会に彼女から意識を外していたヤツハへと至近を選んでいた。
             助走の短さから来る威力の不足を補うよう、コルヌは一拍遅らせてでも身体を一回転。旋回によって生み出された勢いが、鞭のように鋭い蹴撃を実現させる。

             

            「ぁぐっ……」

             

             靴底の鋭利な刃が、ヤツハの身体に真一文字を刻み込む。
             その痛みに反応するかのように、鏡の中で怪物が暴れ狂うのがありありと分かる。夕羅をしてでたらめな力と言わしめた、制御不能の暴虐が喉まで出かかっているよう。
             しかし今、ヤツハがその暴力に呑まれることはなかった。
             鏡の向こう側から、もうひとりの自分が手を合わせてくれるような感覚が、彼女を後押ししてくれる。

             

            「力を……!」

             

             呼びかけに応じ、鉤爪のついた無数の腕が鏡から解き放たれる。
             以前はヤツハ諸共その場の全てを破壊せんとしていた恐るべき怪物たちは、蹴撃の残身もそこそこに駆け抜けていこうとするコルヌに殺到する。

             

            「ちぃッ……」

             

             空間を蹂躙する複雑な軌道と密度に、彼女は早々に回避を諦めたようだった。苛立ちと苦悶を漏らしながら、大量の桜が噴き散らされていく様を、嵐が過ぎ去るまでじっと待つように身体を丸めて耐え忍んでいた。
             ヤツハの中に残っていた、自分の力への恐れ――その一端である、暴虐の象徴は今、彼女の意思と共にあった。正しく向けられた力以上に心強いものはなく、あの鏡の向こう側からひと奮いの気力を運んできてくれたようにすら感じられる。

             

            「舐め……るなァ!」
            「……!?」

             

             怨嗟の如き声が暴虐の嵐の中から聞こえたかと思うと、ヤツハの足元から急激に伸びてきた氷の茨が手足の自由を奪う。見た目の儚さとは裏腹に、かじかんだ手では引き剥がせないほど強固に絡みついている。
             そして視線を戻せば、鉤爪の輪から抜け出してきたコルヌが、身動きの取れないヤツハめがけてもう一度回し蹴りを放つ。

             

            「くぁ……っ!」

             

             受け流すことすら許されないヤツハを、鋭利な斬撃が切り刻んだ。吹き荒ぶ雪風に、身の内に宿していた結晶だったものが色濃く舞い散った。
             その時点で、暴れまわっていた怪物たちも星空へと還っていったように消え、いよいよコルヌが暴虐より解き放たれる。

             

             すれ違いざま、氷細工のような美しい指先がヤツハを指し示す。
             序盤とは打って変わって、熱を帯びた表情のコルヌが、最後の試練の名を叫んだ。

             

            「コンル……ルヤンペェッ!」

             

             轟、と大気が鳴動する。
             コルヌが背負っていた猛吹雪が、全てヤツハのいる一点へと向けられた。ただでさえ叩きつける雪が礫となっていたものを、極度の低温に晒された雪の粒はその多くが氷塊へと変貌し、間近から降り注ぐ横殴りの雹のようになっていた。

             

             これが、目覚めたヤツハを凍土へ封じようとした大吹雪。
             クルルの盾がない今、まともに喰らえば決闘の枠すら超えて、今度こそ北限の大地の一部と化してしまうかもしれない。

             

            「っ……、くぅ……っ」

             

             残された結晶の盾を酷使して、飛来する氷雨を弾いていく。一つ一つを目で追いきれるわけもなく、致命傷になりそうな鋭いものだけを取り除いてやることしかできない。必然、見逃した氷は傷を生まないまでもヤツハの体温をさらに奪っていく。
             永遠に感じられるような吹雪が弱まった頃には、彼女が自由に使える結晶は尽く塵へと還っていた。その代わり、ぽつ、ぽつ、と体内に存在する灯火は、儚くも消えずに残っている。

             

             だが、全ての守りを使い切ったその代償はあまりにも大きい。
             かちかち、と自身の口元から音が鳴る。余剰の力を失った今、凍えきった身体に焚べる薪はどこにもない。少し関節を曲げるだけで氷が割れる音すら聞こえてくるようで、茨が纏わりついたままだなんて関係なく、かじかんだ身体では一歩たりとも動ける気がしなかった。

             

            「ぁ……」

             

             まつ毛の凍った瞳が、間近で冷ややかな面差しを見せるコルヌを映す。
             怪物の暴威は、至近したままでは満足には振るえない。この間合いは、コルヌにとっての好位置でしかなかった。
             コルヌはもはや、直接手を下す必要すらなかった。臨界まで凍てついたヤツハの身体は、もはや崩れ落ちるのを待つのみ。このまま自然の脅威に屈するのを、いつものように見下ろすだけで良かった。

             

             それこそが、北限の守護者。
             そして、極寒という自然そのものの在り様。

             

             しかし――否、故にそれは、残された好機だった。
             コルヌが自然の体現者であり、そして意思を試す者だからこそ生まれる、最後の一手。
             これほどの窮地に追い込まれていても、ヤツハの瞳から意思が絶えることは、ない。

             

            「これ、で……」

             

             息も絶え絶えに、意思の断片が震える口からこぼれ落ちる。
             試練の終わりを迎えるべく、泰然と構えていたコルヌの前で、鏡が輝きを放った。
             瞬間、ヤツハの姿が蜃気楼のように歪む。

             

            「な……!」

             

             コルヌが見下ろしていたもの、それはヤツハの幻影。
             もはや怪物の力は及ばず、諸共に極寒に呑まれるのを待つのみという目論見は、虚像の奥に現れた本当のヤツハの姿によって砕かれる。
             決着の時を垣間見た怪物が、鏡の向こうから――

             

            「勝ち、ますっ……!」

             

             掠れていても、弱々しくても、それは勝利を呼ぶ魂の慟哭。
             打ち震えたコルヌの桜花結晶が、主をよそに霞へと散る。
             それごと間合いを喰らった怪物の咢が、踏み出し損ねた彼女を覆うように、大口を開けた。

             

            「ふ、はは――」

             

             最後に聞こえたのは、笑い声だった。それが、結末と、それに至ったこれまでを認めたかのようにヤツハには思えた。

             

             そして、ばくん、と。
             怪物がコルヌに頭から喰いつく。
             心なしか弱まった吹雪に、終局を告げる最後の結晶が、砕け散っていった。

             

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