第弐拡張プレリリースに新アナザーあり

2018.10.19 Friday

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    今回のプレリリースは交流祭で併催だ!
    新幕 第弐拡張をいち早く体験しよう!

     

     こんにちは、BakaFireです。時が流れるのは速いものでシーズン2ももはや終盤。先日お伝えした、福岡で開催される大規模大会の日取りも近づいてまいりました。今回は多くの方にとっては遠方にもかかわらず、多数のご参加をありがとうございます。
     
     まだ席は空いておりますので、参加を検討しており、まだお申込みいただいていない方は是非ともこちらのフォームよりご申請ください。特に九州にお住まいの方はめったにない大チャンスです。地元が主役となる一大イベントを通して、九州での本作をさらに盛り上げて頂けると嬉しい限りです。
     
     
     とはいえ今日の本題はこちらではありません。そう、大規模イベントが終わればいよいよゲームマーケット2018秋が見えてまいります。私どもはもちろん前回同様にエリア出展を行わせて頂き、本作の『第弐拡張』を発売させて頂きます。もちろん様々なイベントも予定しておりますが、そちらについては今後の続報をご期待ください。
     
     本日は『第弐拡張』を用いたプレリリース大会のお知らせを行わせて頂くのです! プレリリース大会は次の拡張の先行発売直前に行われます。そしてプレリリース大会では拡張で参戦するメガミが使用でき、その遊び心地を一足早く体験できます。
     
    (とはいえ、申し訳ないながら実物のカードをお渡しすることはできません。そちらではプロキシカードを使用したイベントとなりますので、裏面が透明でないスリーブをご用意頂く必要があります。予めご了承ください)

     

     日程は11月11日、17日、18日の3日間で、これらの3日間はプレリリース期間となり、公式、準公式イベントとして全国でプレリリースイベントが開かれます。それぞれの地域での日程は以下の通りになります。未定の地域も近日中には日程が確定いたしますので、今しばらくお待ちくださいませ。
     
     東京 11/11(日)
     大阪 11/11(日)
     愛知 11/11(日)
     福岡 11/11(日)
     札幌 11/11(日)
     新潟 11/18(日)

     
     今回のプレリリース大会は11月の交流祭と併催する形となります。交流祭は大会だけでなく、カジュアルな対戦を中心としてお楽しみいただけますので、大会に出るのは厳しいと感じる方こそ大歓迎です。さらに東京では「大会あり」と「大会なし」を分けており、「大会なし」でも新カードを使ってカジュアルな対戦が可能です。

     


    新たなアナザー版メガミが登場するぞ!

     

     プレリリース大会では新たなアナザー版メガミ2柱が使用できます。そして彼女らについては、これまで公式小説『桜降る代の神語り』にお付き合い頂いている皆様はご存知かもしれません(まだ読んだことのない方はこれを機会に読んでみてはいかがでしょうか)。
     
     とはいえ、さすがに2年以上連載していると相当に長く、お読みでない方も多いかもしれません。こちらでも、新たなアナザー版メガミたちをご覧いただきましょう。アナザー版オボロと、アナザー版チカゲをご覧ください!
     
     


     
     プレリリースのうち、「菊花の交流祭:東京の部」は本日から申し込みが可能になっております。こちらのフォームに必要事項を記載し、お早めにお申し込みいただければ幸いです。あなたのご参加、心よりお待ちしております!
     
     そして本日更新した記事はこちらだけではありません。本作を始めたばかりの方を動画を通してガイドする新シリーズ『桜降る代のいろは道』が本日より開始いたしました。気合を入れた一作ですので、ぜひともご覧いただけると嬉しいです!

    『桜降る代の神語り』第67話:サリヤ・ソルアリア・ラーナーク

    2018.10.19 Friday

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       手繰り寄せた絆の果て、怨敵たるクルルを討ち取った闇昏千影。
       彼女の奮起が称賛に値しようが、目的は何も首級を挙げることじゃあない。
       寄り道を終え、己の生きる道へ共に帰る――そんな終着点に向けて、あと一歩が残っている。
       しかし、それが暗澹たるものである現実に、闇昏千影は直面することになる。

       

       ……でも、彼女には今、仲間がいる。
       誰かはこう言うだろう。出会いは必然なのだと。
       中でも、サリヤ・ソルアリア・ラーナークが、ジュリア・ヴェラシヤ・クラーヴォが、共に戦いを決意しなければ、この歴史が紡がれることはなかった。
       ミコトでも、メガミでもない、この地とは異なる存在によって、あんな結末を迎えられるようになるなんて、カナヱも想像だにしなかったさ。

       

       さあ、英雄譚の一つの終わりを、語るとしよう。
       撚り合わされる縁の糸は、君の生きるこの桜降る代まで繋がっている。

       

       

       

       


       巨人が沈黙し、クルルも消えた翁玄桜の下は、神渉装置の駆動音が未だ響いているにも関わらず、静寂を取り戻したようだった。

       

      「ツギに、この管を切断デス」
      「これで合ってますか?」

       

       慎重に確認を重ねたサイネは、ジュリアの指示通りに木でできた細長い管を断ち切る。中から特に何か出てくるということもなかったが、ほんの少しだけ、温かさが漂ってきたのをサイネは手先で感じた。

       

      「それから……コレですね。この歯車の、ここ! ここから右だけ、壊してクダサイ」
      「これですよね……?」
      「そうで――イヤ、ここからコウなって、コウ……コウ……コウ、と行って、そこからどうして上マデ伝わってるか、イマイチなんですが、たぶんコレで合ってるとは思うので、ウーン……アッ、だ、ダイジョブです!」
      「ええと、やりますよ?」

       

       後ろ髪引かれるように考えを切り上げたジュリアに困りながらも、再びサイネが刃を閃かせた。

       

       どうにかクルルを撃破した一行は、それでも止まらない神渉装置の停止、解体を試みていた。製作者本人は、千影の一撃によって白目を剥いたまま桜となって消えてしまったので、ジュリアがどうにか構造を紐解きながら指示を出している。
       ただ、実務が可能な者は限られており、死闘を繰り広げた千影とサリヤは、翁玄桜の伸びた根に背中を預けて休息をとっている。疲労が限界を迎えそうになっていたこともそうだが、二人は装置を的確に破壊する手段に乏しかったのである。

       

       サイネはぎりぎり余力を残した一人であり、ジュリアと共に高い根囲いの上で、主力となって解体作業に勤しんでいる。とはいえ、歯車に向かって繰り出す斬撃は精彩を欠いており、クルルに負わされた傷が見た目以上に深いことを物語っていた。
       と、機構の破壊によって装置全体が軋みを上げる中、根元から千鳥の声がかかる。

       

      「準備できましたよー!」
      「アリガトです! こっちも、あと一箇所だと思いマス!」

       

       眼下で彼が仕掛けの紐をまとめているところを見て、満足そうにジュリアは頷く。
       それから高所での作業を終えた彼女がサイネと共に降りれば、千鳥に仕掛けを手伝わされていた楢橋が、緊張が解けたあまりに口から魂を吐き出しそうな様相で工具箱にもたれかかっていた。

       

      「ジュリアさん……オレっち、頑張りました……自爆こわい……」
      「おつかれサマです! 皆さん、巻き込まれないようにシッカリ離れてますね? ……おや? サーキは、姿ありませんね?」

       

       彼女の疑問には、千鳥が眉をひそめながら答える。

       

      「あいつなら、やることがあるって邸内に戻りましたよ。まったく、こんなときに……」
      「オゥ、そうですか。でも、サーキにできることあまりありませんし、サーキにはサーキの考えがあるのでショウ」
      「まあ、そうですけどね」

       

       煮え切らない態度をしまうように、肩をすくめた千鳥は、手にした紐の束をそっと地面に置き、懐から火打ち石と黒い綿のような火口を取り出した。撚り合わされた紐の先はそれぞれ装置の土台の柱に繋がっており、導火線の役割を果たす。
       千鳥たちはサイネのように自身の手で装置を破壊することはできないが、知恵と工夫によって目的を果たすことは可能だった。

       

      「いきますよー!」

       

       改めて安全圏に退避したことを確認してから、彼は打った石で油を含ませた紐に点火する。
       そして、火が柱に到達するなり、ボンッ、ボンッ、と大きな音を立てて次々と爆発が生まれた。楢橋と仕込んだ爆薬は、この場の物全てを吹き飛ばしたわけではない。柱が手前側に折れるように調整し、根囲いに寄生したような装置の基幹部分を、幹から剥がそうと試みたのである。

       

      「うわあ……間違えて発火させてたら、今頃オレっち粉々じゃんかよ……」
      「火元がないんだから大丈夫だって言っただろ」

       

       ギ、ギギ……と大質量の柱が爆破によって抉られ、自重を支えられなくなったのか、ひとかたまりの絡繰群もろとも地面に部品をぶちまけられる。荒っぽいようだが、致命的と思われる箇所はジュリアの推定を元にサイネが破壊してあるため、いっそ潔く破壊されていく。
       立ち上った土煙が晴れていくにつれ、装置の変化は明確に現れた。
       自儘に時を刻んでいた、幹に取り付けられた一対の大歯車が、動くのをやめたのである。

       

      「ヤリマシタ! 予想通り、ここが受信システムだったようデス! これがなくなるダケでも、そのうちエネルギーが足りなくなって、構造を維持できなくなるハズです! 三択を外さなくて安心シマシタ!」
      「なんか最後さらっとすごいこと言いませんでした? ――って、姉さん!?」

       

       破壊された装置の箇所に向かって駆け出し、ふらり、と力を失ったように、膝をつく千影。慌てて近寄った千鳥は、姉の焦点が不安定ながらも一点に向けられているであろうことに気づく。
       貸そうとした肩を、力なく押し戻した千影は、

       

      「い、いいから、早く……早く、ホロビをっ……!」

       

       急かすその言葉に、場が色めき立つ。
       一角を破壊された装置のその向こう――幹との間に、絡繰に囲まれ、根と根の間で抱きかかえられているように、一つの棺のようなものが斜めに寝かされていた。
       誰も、それが彼女の目的のものであることに、異を唱えなかった。

       

       ただ、駆け寄った千鳥とジュリアが、その丸みを帯びた棺の中身をはっきりと見ることは叶わなかった。前面が硝子張りになっていることは理解できるものの、その硝子は内側から黒く煤けたように汚れていた。うっすら、人の形があることだけが分かる。

       

      「オォ……これが、ウワサの受信端末……。どうやってエネルギーを閉じ込めることができたのか、気になりマス……」
      「す、すいません! とりあえず今は、取り外すの優先でお願いします!」
      「オット、ソウデスネ」

       

       千鳥の要請もあって、目を奪われていたジュリアが周囲の絡繰との接合を確認し始めた。
       ややあって、合流したサイネと楢橋の助力もあり、装置に取り込まれていた棺は完全に切り離された形となる。地面に横たえてしまえば、これから最後の別れが待っているような、そんな不吉さすら思わせる。
       気力だけで存在を保っているような千影が、その棺の前にたどり着いたのは、ちょうどそんなときだった。

       

      「ほろび……ほろびっ……!」

       

       黒ずんた硝子のその向こうに、尋ね人がいるのだと確信したように、千影は棺にすがりつく。まだ開いていない棺をどうにかする余力もなく、うわ言のように名前を呼びながら、愛おしさと悲痛さが入り混じったように棺の肌を撫でる。

       

      「細音サン、結局窓破って出てきたから分かんないけど、色々調べてたから開け方の当たりはついてるよ。ほら、こことか、あそことか……」
      「ナルホド……だったら、コッチが怪しいかもしれません」

       

       実物を知っている楢橋の所感をジュリアが答え合わせするように、棺の構造を確かめていく。
       やがて、パチ、と留め具が外れるような音と共に、千影の目の前で蓋が僅かに持ち上がった。
       残った力で、放り捨てるように棺を開く。

       

      「っ……!」

       

       横たわっていたのは、故人を想起させるほどにやつれた女だった。
       吸い込まれるような深い黒をした、棺から溢れんばかりの長い髪だけを身体に纏い、下手に手を伸ばしてしまえば死出の旅に連れて行かれてしまいそうな、そんな不吉な気配を感じさせてやまない。

       

       彼女こそは、千影と共に在ったメガミにして、死を象徴するメガミ、ホロビ。
       再会を待ち望んできた千影の瞳から、涙がつぅ、と頬を伝った。

       

       しかし、

       

      「ほろ、び……?」

       

       こわごわと、その頬に手を伸ばした千影に、歓喜は色づかなかった。今まで溜め込まれていたあらゆる感情が、目の前の光景によって足場を外されたように崩壊していくようだった。
       ホロビは、静かに棺の中で眠っていた。
       息をしているかも分からないほどに、彼女は動かなかった。

       

      「ねえ、ホロビ、千影です。千影が、助けに来たんです。聞いてますよね……? 聞こえてないなんて、言わないですよね? それとも、千影のせいでこうなったこと、怒ってるんですか……? なんとか、言って、くださいよ……ホロビ……」

       

       それでも、ホロビが応えることはなかった。
       千影の呼びかけだけが、桜の下で虚しく響く。
       遠くに行ってしまったかのように、千影の求めたホロビは、目覚めない。

       

       

       

       


       気まずさの中で己を動かすのは、義務感である。

       

      「エット……まだ解体は終わってないですから、ハヤク進めましょうか」
      「そう、ですね」

       

       ジュリアの言葉にサイネが同意する。だが、ホロビの手を握りしめて額にこすりつける千影が、魂が抜けたようにとつとつと語りかける声は、サイネの心を翳らせたままである。沈痛な空気に飲まれて、すぐに気持ちを切り替えられるわけもなかった。
       けれど、無理にでもそんな空気を打ち破る変化は、唐突にもたらされる。

       

       上空から降ってきた何かが、一同の付近に着弾した。
       すわ新手かと緊張が走るが、先程ウツロ相手に暴れていた存在と比べれば、争いを思わせるような気配はなかった。
      小さな雷が弾ける音が、徐々に消えていく。

       

      「もう、むり……」

       

       言葉と同時、どさり、と倒れ込んだのはメガミ・ライラである。意識を完全に失ったのか、顔を地面に打ち付けてもうめき声一つ漏らさなかった。
       千鳥たちにとってライラは面識のないメガミであったが、彼女に連れられていたもう一柱は、とても馴染みの深いメガミである。

       

      「ゆ、ユキノさん……!?」
      「こんばんは、千鳥君。それに……千影ちゃんも」

       

       ライラの頭を撫でたユキノは、翁玄桜の下に集まる一同と、周囲の破壊の痕跡を眺めながら、重苦しい雰囲気で挨拶を口にした。彼女の手の中でライラが桜と消え、労う指先が風に溶ける塵を受け止める。。
       突然の出来事に、千鳥の頭はこれをオボロが寄越した増援と解釈した。用意していなかった言葉をかき集めながら、瑞泉城突入から装置の解体に至るまでのあらましをユキノを説明した。
       だが、「そう」とそっけなく相槌を打ったユキノは、視線をホロビの眠る棺で止める。

       

      「それで、これはどうしたの?」
      「そ、それは……前も言ってたホロビ、なんだけど……神渉装置に直接繋がれて、力を奪われてたみたいでさ。装置から外したところまではよかったんだけど、全然反応なくて……」

       

       その説明を聞きながら、ユキノは千鳥の前を通って棺へと向かう。
       から、ころ、と鳴る下駄に、千影が億劫そうに顔を上げる。彼女はここでようやくユキノたちに気がついたようで、自分が宿すメガミの登場に、徐々に瞳が光を取り戻していった。

       

      「ユキノっ! ほ、ホロビが……ほろびがぁっ!」
      「ちょっとごめんなさいね」

       

       すがりついてきたその手を、自身の手でくるむようにやんわりと引き剥がすと、膝を折って、沈黙を続けるホロビへと手を伸ばす。
       額へ、頬へ、そして胸へ、何かを確かめるかのように動かされるその手に淀みはない。まるで、こうすることを最初から覚悟して来たかのようであった。
       やがてユキノはホロビから手を離すと、屈んだままこう切り出した。

       

      「私たちも……メガミも、自分自身について理解できてるわけじゃないんだけど……」

       

       そんな前置きに、皆が息を呑む。
       そして告げられた結論は、特に千影にとって、あまりにも劇物のようであった。

       

      「ホロビは今、死にかけてる。身体だけじゃなく、存在そのものの死が、迫ってるみたいなの」
      「……!」

       

       想像が、言葉で裏打ちされる。事実への拒絶反応で、千影の肩が震えた。
       説明を求めたのは、サイネである。

       

      「存在の死、とは……?」
      「メガミって、人みたいに死ぬことは滅多にないの。この身体――顕現体が壊れても、ユキノというメガミが二度と目覚めなくなったり、消滅しちゃったりするわけじゃあない。私たちが元々いる場所に帰るだけなのね」
      「では、ホロビがそうならないのは何故でしょう……?」
      「意識が失われているから、帰るに帰れなくなってるんじゃないかしら」

       

       ユキノは続けて、

       

      「ホロビは、この装置で顕現体を引きずり出されて、メガミの力の大半を『本質』から切り離された状態にある。本質っていうのは、そのメガミ自身の根幹を成してるものを私がそう呼んでいるのね」
      「本質……」
      「それだけでも本質の維持がままならなくなるのに、顕現体に残った力も底をついたら存在全てが消えてしまう……。例えるなら、これは餓死……それも、食べ物に手を伸ばすだけの意識もない、死に絶え、朽ち果てるのを待つだけの段階に入ってるわ」

       

       残酷な宣告に、理解に努めようとする千鳥の心が沈黙を選んだ。他の者も、自分たちの手の届かない厳しい話に、地面に視線を落とすのみだった。
       ただ、千影だけは違っていた。
       半ばぶっきらぼうに、震えた声でユキノに問う。

       

      「何を言っているか、分かりません……。じゃあ、ホロビがどうしたら助かるのか、教えてくださいよっ……!」

       

       同じメガミならば、という期待の反動が、棺の縁を握りしめる力となる。諦めたくない意志と、それを否定された絶望感が彼女の中でせめぎ合っていた。
       ユキノは、不安げに答える。

       

      「たぶん……だけど、方法はある」

       

       あやふやであることに気後れしているような彼女に、先を促すような千影の視線が刺さる。

       

      「自力が無理なら、私たちがやればいい。この顕現体を本質に戻して、力を取り戻させてあげれば……」
      「だから、どうやってッ!」
      「連れていきましょう。扉を開いて、『私たちのいる場所』へ」

       

       ……ユキノ以外の誰もが、彼女の言わんとしていることを理解し、けれど納得できなかった。
       メガミがおわすのは神座桜である。だが、メガミたちがその中でどう過ごしているかなんて誰も見たことがないし、メガミもあまり語ろうとしない。桜という境界は、人とメガミの居る場所を、認識の上でも明確に分ける象徴であった。

       

       ユキノはこう言ったのだ。
       境界を越えて、メガミのおわす座に行くのだ、と。
       そしてなにより、彼女の言いようは、ユキノ自身がそれを行うのではなく、この場にいる皆に提案しているようだった。

       

      「私たちは、望めばそこに行ける。でも、ホロビはこの状態だし、私がそうやって連れ帰ることもできない。だから、扉を開いて、ここにある顕現体を、あっちに残った本質に直接引き合わせるの」
      「そ、そんな簡単に言うけど……」
      「そうね。ミコトだったとしても、普通人間ができるようなことじゃあないわ。私もおんなじ」

       

       千鳥の疑念を汲んだユキノは、言い終わるかどうかというところで、積み上げられた神渉装置の残骸に目を移した。

       

      「でも、ここは今、クルルの絡繰のせいで、場の繋がり――縁が乱れてる。何もないところからじゃ無理だったとしても、これを利用すれば、どうにか『あの場所』への扉が開けるかもしれない」

       

       それは、希望の言葉だっただろう。しかし、雲をつかむような話に、千影はまだ心が澱んだままであった。
       が、ユキノの話から具体的な方向性を見いだせた者が一人。

       

      「ハイッ! ソレなら、試せそうな方法がアリマス!」
      「えっ!? い、いくらジュリアさんでもそれは……」
      「ゼッタイいけます! この容器に繋がってた部分は、まだハカイしてません! もっとコアなシステムだと思うので、そこにエネルギーをとってもたくさん送れば――ソウデス、サリヤ! ヴィーナを持ってきてクダサイ!」

       

       興奮しながら、早口で己の考えを唱えたジュリアが、居ても立ってもいられないというように、棺の収まっていた根元の装置をせかせかと調べ始める。
       ぽかん、と置いていかれたようになった千鳥たちをよそに、少し離れて休んでいたサリヤが、主の命通りにヴィーナを押してやってくる。全身から疲労が溢れ出しているようであったが、その口元は苦笑いに歪んでいた。

       

      「ジュリア様……随分と壮大な話が聞こえてきましたけど、本当に大丈夫ですか?」

       

       その問いに、ジュリアは試しに歯車を回す手を止めた。
       顔だけでぎこちなく振り返りながら、

       

      「タブン……40パーセントくらい……?」
      「そんなことだと思いました。こういうときのジュリア様の『絶対』は、成功を信じていたいときですからね」
      「ウゥ……時間がナイなら、感覚でやるしかありませんカラ……」

       

       ただ、そう言うサリヤが、ジュリアを制止するということはない。ジュリアもまた、小言をもらったところで手を止めることはなく、ヴィーナを装置に組み込むよう絡繰を再構成していく。サリヤはまたそれに跨がり、さも操縦するのが当然だと言わんばかりに、車輪と連動する歯車の動きを確かめている。
       お互いの信頼の下に進む作業に、失意に飲まれていた場が、手の届く希望に仄かに照らされ始めたようだった。
       それに微笑みを浮かべたユキノは、

       

      「絡繰については、このお二人に任せるとして……千影ちゃんと、そこの……薙刀のあなた?」
      「サイネと申しますが……」
      「まあ! 素敵なお名前ね! ……あなたたちには、扉を開けるための後押しの役割を担ってもらおうと思うの。こちらとあちらと結ぶ縁が強ければ、それだけ開きやすくなるわ」

       

       呼ばれた千影は、思い当たるものを取り出す。
       滅灯毒の入った紫の小瓶。ユキノに出会った際、ホロビが消えたことを訴えた千影は、縁を示す品としてそれを見せたのだった。
       ユキノはその解答に深く頷く。

       

      「千影ちゃんが持ってるそれは、きっとホロビの本質と引き合うと思うの。だって、権能をそのまま抽出したものだもの」
      「ホロビの、死が……」
      「そしてサイネさん。あなたはまだ座についてない、成りたてのメガミよね? 本来、今頃あっちにいるべきあなたには、あの場所と引き合う縁が見えるの。もちろん、一人だったら、メガミとして望んで行ったほうが確実でしょうけれど……」

       

       その提案に、サイネは僅かに即答を迷った。ただ、へたりこんだままの千影に顔を向け、微笑んだことが答えの代わりとなった。

       

      「なん、で……」

       

       千影には、それが理解ができなかった。

       

      「サイネ、も……サリヤ、さんも……ホロビのために、協力して、くれるっていうんですか……?」

       

       ユキノは、人間には想像もつかなかった可能性を提示した。ましてや、彼女は自分たちでも完全に理解しているわけではない、とすら前置いた。
       千影にとって、理解が及ばない場所へ踏み出すことは、死に近づくことと同義だ。
       故に、危険を顧みずに力を貸してくれると、行動で、笑顔で、示してくれた二人のことを、彼女は理解することができなかった。

       

       けれど、恐る恐る反応を窺うように問いかけた千影に、二人は力強く応じる。
       申し訳なく思うことなんてなにもないのだ、とでも諭すように。

       

      「あなたの求めに応じて、私はここにいるのです。乗りかかった船、最後までお付き合いしましょう」
      「お姉ちゃんが、必ずホロビさんに会わせてあげるわ! だから大丈夫!」

       

       視界を滲ませた千影が、感謝を述べることはなかった。
       彼女はただ、ホロビの手を包み込むようにして祈る。
       自分にできることは、絆を強く信じることだけなのだから。

       

       

       

       


      「うぅ……細音サンもサリヤサンも行っちゃうー! オレっちも行くー!」
      「邪魔になるからやめろっつの!」

       

       千鳥に首根っこを掴まれながら、桜の根元から遠ざかっていく楢橋を見送り、ジュリアが最後の部品をヴィーナに取り付ける。瑞泉城に突入した際のように大所帯を支える機体は、発進を待ちわびているように低く唸りを上げている。
       ぐったりと力ないホロビを抱えるのは、操舵席に座るサリヤだ。その後ろにしがみつくかのように連なっているのは、千影、サイネ、ユキノである。

       

      「オーケーデス! いつでも行けます!」

       

       その合図を出したところで、ジュリアが千鳥たちのように退避しないことは、サリヤには分かりきっていた。これから常識を覆すような現象が起きるというのに、ジュリアが間近で観察したがらないはずがなかった。
       だから、諦めたようにため息をついたサリヤは、蹴りつけることでヴィーナを焚きつける。
       このために、残りの造花結晶を全て食らった乗騎が、興奮を示すように白い息を胴から吐き出した。

       

      「行くわよっ!」

       

       彼女の手によって、操縦桿が一気に前へ、回される。ヴィーナの低い嘶きが甲高い叫びに代わり、車輪に連結された絡繰が泡を食ったように動き出す。
       変化は、誰の想像よりも早く訪れた。

       

      「……!」

       

       ヴィーナの目の前の空間に、翁玄桜の結晶のものではない、桜色の光が見え始めたのである。
       その兆しに、さらに加速が叩き込まれる。少しでも気を抜いて減速したら、もう二度とその先を見ることはできないのではないか、という恐れから、暴れそうになるヴィーナを御して前へ前へと力を込める。

       

      「Go Ahead――!!」

       

       ならばいっそ装置を食い破って、加速の果てに光へ飛び込めよ、と。
       光はサリヤの気迫に応えるように、どんどん強く、そして大きく広がっていく。
       千影はそれを、手にした滅灯毒の小瓶をぎゅっと握りしめながら、しっかりと見据えていた。目の前で横たわるホロビも、絆の象徴たる滅灯毒も、それだけでは足りない。前で、その先で、待っている彼女をこそ、千影は求めているのだから。
       と、膨張した光が空間の一点から溢れ始め、ヴィーナを包む風のように流れ始める。

       

      「あ……」

       

       そんな光に撫でられた千影に、身体が浮かび上がるような感覚が芽生えた。
       そして、サリヤの身体を掴むその腕が、彼女の目に朧げに映る。もう泣き止んだはずなのに、と自分の身体が薄れていく光景に疑問を覚えるものの、それよりも奇妙な感覚に全身を支配された。

       

       身体に何かが染み込んでくる。
       じわじわと感覚だけが巡るそれは毒なのだと、なぜか千影には思えてならなかった。しかし、蝕まれた害もなければ、恐れもまたなかった。むしろそうあることが自分にとって当たり前であるかのように、毒は自然に染み入ってくる。
       それが、闇昏千影の感じた最後の感覚だった。
       まるで光に溶け込んでしまったかのように、忽然と姿が消えてしまったのだ。

       

      「えっ……!」

       

       サイネは、掴まっていた千影がいなくなったことに驚きの声を上げる。
       慌てて後ろのユキノへ、

       

      「あの、千影が――」
      「心配ないわ、ふふっ」

       

       けれど、ユキノは驚いている様子もなく、むしろ少し嬉しそうに、サイネの言葉を遮った。それがなんだかサイネには、不思議な納得感を与えてくれた。
       自分はそれを知っているような気持ちがじんわりと湧いてきたサイネは、この正念場にあって千影が消えてしまったことが、ユキノが想うように喜ばしいことのような気がして、静かに顔を綻ばせた。

       

       ただ、そんな事態を、サリヤは全く感知していなかった。
       光のさらにその先へ集中させていた意識は、己の身体を掴んでいた腕が消えたことも疑問に思う余地を持たない。
       前へ、ただ前へ。
       光の向こう側へ。

       

      「扉を……開けるわ。Open The Gate!!」

       

       

       

       光がひときわ輝き、大樹の根元は桜一色で塗りつぶされた。
       それが晴れたとき、そこにはもう誰もいなかった。
       人も、メガミも、乗騎でさえも。

       

       それでも、その光景を目撃した者たちが、彼女たちの旅路を祈る心は幻ではない。
       月夜に輝く翁玄桜の下、襤褸の外套が、風に舞った。

       

       

       

       


       英雄は生まれ、英雄として戦い、英雄に相応しい座にたどり着く。
       カナヱが語ってきた英雄譚は、そんな人間の偉業の始まりと終わりを示すものだ。
       氷雨細音。闇昏千影。サリヤ・ソルアリア・ラーナーク。
       三人の英雄は人としての終わりを迎え、彼女たちの英雄譚はここに幕を下ろす。


       光に消えた彼女たちがどうなったか……この桜降る代を生きる君であれば、もちろん分かるだろう?

       

       残されたのは、最後の英雄の物語のみ。

       

       

       

       

       

       そしてもうひとつ、カナヱは今こそ語ろう。

       表の歴史では語られぬ、ある二柱の終わりと、一柱のはじまりを。

       

       

       

       


       桜色の光の中を、歩く。
       白い枝を伝い、進んでいく。
       彼女の足取りに迷いはない。
       かつ、かつ。こつ、こつ。
       下駄を鳴らし、動かない友の身体を抱えながら、彼女はそこを目指していく。

       

       たどり着いた枝の先は、やや黒ずんだ色合いをしていて、節ばった手のひらを上に向けているような、そんな場所だった。
      そこに、光の輝きが、緩く球を描いていた。
       輝きはかなり鈍っていて、淡い光に満たされたこの空間にあっては、いっそ世界のほうが眩しいほどであった。

       

      「おまたせ」

       

       彼女は、手にしていた友の身体を、その光に焼べるように差し出した。すると、身体は徐々に光と混じり合い、ついには溶け込んだように消えてしまった。

       

      「ねえ……あの子、随分と泣いていたわ。あなたが見たら、さめざめ泣いちゃうくらいにはね。昔のあなただったら、また悲しませた、って自分の殻に閉じこもっちゃうかもしれない。一途に過ぎるのも、大変よね」

       

       懐かしむような。それを、今に見出そうとしているような。
       彼女は、ここに想いの結実を願っていた。

       

      「でも、あの子の涙を本当に拭ってあげられるのも、あなただけなのよ。どんな歪んでても、他の人が望むような、強い縁が結ばれてることには変わりないもの。……だから、お願い。返事して」

       

       しん、と。
       彼女の声が散っていき、応じる声も、そして気配も、ありはしなかった。
       鈍い光の輪郭が揺らめいて、火が消える前の最後のあがきを思わせる。ただ、そこには誰の意志も含まれてはおらず、むしろ残滓のような意志まで燃やし尽くしている最中のようであった。

       

       彼女はしばらく様子を窺っていたが、小さなため息一つ。
       ゆるゆると頭を振った彼女は、困窮を示すように頬に手を添えて、罪悪感を吐き出すように呟く。

       

      「できれば、これで目覚めてくれたらよかったんだけど……。これだけじゃ無理でした、なんてチカゲちゃんや千鳥君に言えないわ」

       

       と、彼女はそこで何かに気づいたように、自分の手をまじまじと見つめた。
       鈍い光と、己の身体を見比べる。

       

       そして、大きく深呼吸一つ、意を決したようにその光を見据える。

       

      「あなたの心は、私が受け入れる。縁を結び、心を繋ぐ、わたしならできるわ」

       

       これだけでは足りないのなら。
       足りている者を頼ればよい。
       彼女にとって、それが自分自身だったというだけのこと。
       その先で何が起きるのかを含めて、全て受け入れるための決意だった。

       

      「だって……こんな不器用ないい子が、報われないなんて、ダメでしょ?」

       

       その言葉は、他ならぬ自分に向けているようで。
       微笑みを浮かべた彼女は、目の前に浮かんだ死にかけの光に近づいた。

       己の胸を空けるように両の手を開き、抱くように光へ触れる。

       

       そして、二つの姿が光に包まれた。夜の雪路を照らす、小さな灯籠の明かりのような、そんな静かで優しい光だった。
      やがて光が消え、二つの姿もまた、消え去った。
       ユキノとホロビ……その名が示すものは、もう、どこにもなかった。

       

       

       

      語り:カナヱ
      『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
      作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

       

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      『桜降る代の神語り』第66話:闇昏千影

      2018.10.13 Saturday

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         探究者という生き物は、自分の興味あるもの以外眼中にないやつらがほとんどだ。
         けれどそれは、興味に没頭できる環境にいることが前提で、それが侵されたとき、探究者としての死を迎えるか、探究者たるべく剣を取るか、選択することになる。
         英雄たちは奪還のため、クルルという着想の体現者に絡繰の剣を抜かせた。

         

         求めるものと守るもの。歪に交錯する信念は、火花となって交錯し――

         今ここに、彼女たちの決戦が始まった。

         

         

         


         何かする前に止めなくてはならない。それが、クルルに対する千影とサイネの共通見解であった。

         

        「ちっ……!」

         

         桜の根元で絡繰を組み立て始めたクルルへ、千影は毒づきながら遮二無二前進する。サイネは右へ、千影は左へ、それぞれ展開しながら、絡繰の完成を妨害できる間合いまでの至近を己に求めていた。
         だが、クルルも黙ってそれを見ているわけではない。

         

        「お邪魔虫には、ぱーになってもらいます」

         

         組み立てていたうちの一つが、銃のような形を木で組み上げる。クルルの手中に収まったそれは、銃身が円筒ではなく角ばっていて、側面にはぴかぴかと薄桃色に光る直線的な意匠が成されていた。
         彼女はそれをおもむろにサイネに向けると、引き金を引いた。銃声はなく、代わりに桃色の光条がサイネへと一瞬で到達する。
         外傷はない。光を浴びただけなのだから当然だ。けれど、

         

        「え、ぁ、っと……」

         

         突然、サイネがたたらを踏んだ。転びそうになったところを薙刀を杖代わりにしてなんとかとどまる。
         めくらである以上、現象を把握していないだろうサイネへ、千影が短く叫ぶ。

         

        「変な光を当ててきました!」
        「あ、あたまが、かき回されたみたいで……」

         

         人為的に与えられた混乱を追い払うように頭を振り、接近を再開する。
         先行することとなった千影は、謎の光を放つ銃の射線から身体を外しつつ、毒針を投射する。

         

        「おぅふ……!」

         

         人間であれば反射的に避けるであろう脳天への一投を、クルルは避ける気も防ぐ気もなく、素直に額で受け止めた。思わず銃を取り落としてしまい、針から垂れた毒液が眉間をつー、と伝う。
         しかし、それでもクルルは嗤っていた。

         

        「くらくらしますぅ……でも、これもいい感じですぅ!」

         

         攻撃を嘲笑うのではなく、純粋に攻撃を受けたその結果を、彼女は興味深く受け入れていた。

         

        「はッ!」

         

         そこに合わせられるのは、肉薄するサイネの断ち落としだ。柄を長く持って、重力と遠心力も乗せた一太刀は、クルルの左胸から右脚にかけてを削ぎ落とし、傷口から桜色の飛沫を舞わせる。
         さらに、返す刀で腹を両断するように薙ぎ払おうと、体重をさらに前へとサイネは押し出した。
         だが、

         

        「いただきまぁす」
        「……!」

         

         突如として、クルルの背後で翼が広がった。
         それは浮雲たちが使うミソラの力によるものではない。複数の歯車を組み合わせた骨組みに、歯車模様の風呂敷を皮とした、絡繰の翼だ。元々クルルが腰の後ろに携えていたものが展開したようで、翼の全長は彼女が両腕を広げたよりもなお長いだろう。

         ただ、二撃目をもう放ってしまっていたサイネを待っていたのは、羽ばたくことによる回避ではなかった。
        振り抜く途中で、喪失感に見舞われる。
         自分が守りとしていた桜花結晶が、相手へと吸い寄せられていってしまう感覚が、サイネを襲う。

         

        「くっ……!」
        「どもども」

         

         クルルの身代わりとなって砕ける結晶。そんな軽すぎる手応えにサイネは歯噛みしつつ、あっさりと振り抜いて威力を持て余してしまった得物をどうにか宥めようと踏ん張りを利かせる。

         しかし、それだけの猶予だろうが、クルルにとっては十分だった。
         彼女は両手共に組み上げた同じ絡繰を、にわかにサイネ、そして畳み掛けようと飛び込んできた千影に向けた。
         バリ、と閃光と同時、大気が裂けた。

         

        「あ、がぁ……っ!?」
        「ぐぁ……!」

         

         雷撃が二人を焼く。身構えることができた分だけ、千影は素早く数歩下がった。傷は結晶が肩代わりしてくれたとしても、手足のしびれまでは防ぎきれない。追撃よりも、クルルが下がっていくことを許容しても、一呼吸置くことを千影は選んだ。

         一方で、遅れて薙刀を構え直すサイネにその選択肢は許されない。相手の奇想天外な手のきっかけが見えない分、いっそう己のやり方を貫き通さなければならないというのは、クルルを宿していたであろう五条との戦いで身にしみている。

         

        「嫌ですね……」

         

         背後を見やりながら、ぽつりと千影は呟く。
         その言葉は、目の前のメガミに向けられたものではない。クルルのために揃えた戦力を分散せざるを得なかった、その元凶たる浮雲たちに苛ついていた。

         

         こんな速度が命の展開にも関わらず、最速の戦力たるサリヤをクルルへあてがうことはできていない。否、そうしたくともできない状況下にあった、というほうが正しい。彼女の強みは速さだけではなく、集団への対応能力の高さも挙げられるのだから。
         追いついてきた兵は、クルルへの加勢ではなく、屋敷へ向かっていたジュリアたち怪我人を狙ったのである。一部を割いてくるとは予想されていたが、千影たちを見向きもしないのは想定外にも程があり、サリヤをその対応へ回さざるを得なかったのだ。

         

        「お願いしますよ」

         

         戦場に閃く白銀は未だ健在である
         それだけ確認した千影は、再び奪還への一歩を刻んだ。

         

         

         

         


         サリヤの避けがたい剣閃は、鞭のような刀身とヴィーナの急制動によって生まれる。しなりながら蛇のように食らいつく刃が、目を疑うような予測困難の動きで敵を切り刻むのである。速度と合わせ、その広く読みづらい間合いが人数差を覆す武器であった。
         けれど、今のサリヤが扱う剣は、手にした一本だけではない。
         飛来する兵たちの主戦場である宙は今、ヴィーナから伸びた幾本もの剣の鞭によって切り刻まれていた。

         

        「行かせない!」

         

         三輪へと変化した機体を急停止させ、勢いをそのまま手中の剣に込める。有翼の兵に向けて一直線に飛びかかるが、すんでのところで回避される。構えられた弓は、空色の矢をつがえられていた。
         それを見たサリヤは、左手と脚の操作でヴィーナにその場で車輪を急回転することを命じる。得られた回転はヴィーナの各部から伸びた剣の鞭に躍動を与え、サリヤの舵さばきによって指向性を与えられる。
         予想外の二の矢を受けて、兵の血が夜空に咲いた。

         

        「ぐあっ!」
        「まだまだ、いけるわよっ!」

         

         威嚇するように吠えるサリヤの横を、打ち損じた矢が抜けていった。余裕を持って避けられない程度には、その威勢は絞り尽くされたものであった。
         敵の狙いを読み違えたことで、本来メガミの力を使える状態の千影やサイネと共に相手にするはずだった兵を、こうして全員サリヤが抱えることになった負担は大きい。主人たちを狙う兵の数をどうにか減らそうと奮闘するも、体力には限界がある。

         

        「次……!」

         

         砂利をヴィーナで巻き上げながら、残りの兵を五と見定める。いつ相手の気が変わって、先に千影たちにも手を出されるか分からない状況では、その数字はやはりサリヤ一人で支えるにはあまりに多すぎる。
         ちら、と屋敷の廊下を窺うや、立ち位置をやや下げた。重傷者がいる中では退避すらもおぼつかない有様で、唯一無傷であるジュリアが楢橋と共に藤峰に肩を貸しているところであった。千鳥が流れ弾を撃ち落としていなければ、とうに全員射抜かれていただろう。

         

         と、そんなときだ。
         ヴィーナの嘶きに紛れるように、どたどたと廊下を駆ける音が響く。

         

        「みなさん、早くこちらへ!」
        「さ、サーキ!」

         

         息を切らして廊下の向こうから現れた佐伯が、ジュリアたちを急かすように手招きする。
         味方が増えたことに安堵する中、千鳥は、

         

        「おいあんた、今までどこ行ってたんだよ!」
        「いいから急げ、ここじゃいい的だ! 逃げ込むぞ!」

         

         怒りを無視し、ジュリアと交代して庭からでは容易に様子も伺えない屋内を目指す佐伯。正論でしかないそれに千鳥は言葉を飲み込み、最大限の警戒でもって殿を買って出た。
         そして佐伯は、サリヤに対して声を張り上げる。

         

        「一人ずつならこちらでなんとかします! サリヤさんはあちらの援護を!」
        「オーケー、ありがとう!」

         

         彼の復帰により、天秤の傾きが緩くなった。残る相手が全員、閉所を不得手とする、翼を生やした射手であることも大きい。きちんと立ち回れるのであれば、囲まれる心配はかなり減る。
         ヴィーナが、威圧するように低く鳴いた。
         千影とサイネへ加勢するために、サリヤは前を向く。

         

        「チッ……! 先にあの黒焦げ女から殺るよ、囲め囲め!」

         

         浮雲の命令により、桜の下に向かって発進したサリヤを、四人の兵が四方から取り囲もうと展開する。ヴィーナの速度についていこうとしたのか、精度を気にせず雨あられと空色の矢が降り注ぐ。
         だが、サリヤとヴィーナだからこそ為せる変則的な機動は、面で制圧するほどの数がいない相手にとっては、手の中からすり抜けていくようであっただろう。背後に気を回さなくてよくなった分、その走りはいっそうキレを増している。

         

         行く手に待ち受ける兵の一人が、狙いあぐねて集中を回しすぎたのか、翼の動きが鈍る。無論、その隙を見逃さず、サリヤは剣を持つ手に力を込めた。

         

        「はぁッ!」

         

         急制動から繰り出される斬撃が、咄嗟に避けた兵の脚を掠めただけに終わる。
         次いで、急旋回するヴィーナから繰り出される刃が、背後から追ってきていた兵を捉えた。自らの速度も相まって、まるで挙動の定まらない剣を回避することができず、刃のついていない平らな面で打撃され、撃ち落とされる。

         

         脚が止まれば狙われるのはサリヤも同様だ。ヴィーナの初速はいかにその不利を少なくしていようと、無ではない。
         視界に光る空の色に反応し、サリヤは思いっきり腰を落とす。

         

        「っ……!」

         

         浮雲の精密な援護射撃が、サリヤの左肩を掠めた。鏃がある程度肉を削いだようで、褐色の肌に赤い直線が刻まれる。
         痛みに耐えながら速度を纏い、それでも初速を稼ぐまでの僅かな間に避けきれなかった分の矢は、どうにか手甲で弾く。
         当たりを確信していた兵の一人へ、主人を害した怒りをぶつけるように、ヴィーナの刃が閃いた。

         

        「あ、あぁぁぁっ!」

         

         思わず腕で顔を守ってしまった彼は、絡繰の故障に伴って翼を奪われ、落下する。サリヤにそれを見送る必要も余裕もなく、今度は手にした剣で矢を払い落としながら、砂利から土へ変わった地面を疾駆する。

         

         ……しかし、だ。サリヤは一つ、勘違いしていることがあった。
         浮雲たちが真っ先にジュリアたちを狙ったのは、そうするだけの積極的な理由があったからではなく、他方を狙えないだけの理由があったからだ。

         

        「うるさいですねぇ」
        「……!」

         

         思っていたよりも近くから聞こえた、苛立たしげなメガミに声に、サリヤは肩を震わせる。それは、宙にいた浮雲の兵たちもまた、同様だった。
         撹乱しながらヴィーナを駆ってたサリヤは、空を行く相手ということもあって、目まぐるしく移り変わる戦場を把握しきれていなかった。可能な限り相手の戦力を減らしながら、最終的には千影とサイネに合流する、という目的だけを抱えていた。

         

         クルルは今、サイネの振り下ろした薙刀と、千影の放つ苦無を、妖しく光る壁によって防いでいた。二人の攻撃はそれだけでは捌ききれるものではなく、防護壁の届かない位置から的確に傷をつけられている。
         けれど、クルルの苛立ちは千影とサイネに向けられていなかった。
         じろり、とその瞳が、宙空を――サリヤを追っていた、浮雲たちへ向いた。

         

        「集中できないんで……静かにしてもらえますか?」

         

         感情の起伏の少ない言葉が、普段の彼女の言動と相まって、息を呑むような威圧感を生む。
         その直後だった。
         浮雲を始め、空にいた者たちの複製装置が、音もなく弾け飛んだように、一瞬で分解された。大小様々な部品が、水の中を揺蕩っているかのようにふわふわと浮かぶ。

         

        「でも――」
        「そ、総員、着陸ッ!」

         

         その意味を察した浮雲が、悲鳴じみた命令と共に、自らもまた急降下を始める。
         だが、一つ数える間に、彼女たちの翼が消えた。
         複製装置によってもたらされていたミソラの力が、装置の分解によって霧散した。
         後に待っているのは、仮初の翼をもがれた人間が、ただ地面に引かれて落ちるという至極当然な帰結だ。

         

        「ぉぐっ……!」

         

         咄嗟の警告が功を奏したのか、浮雲たちが地面の染みになることはなかった。受け身をとってもなお衝撃に息が詰まる高度ではあったが、苦しむ程度で済んでいる。人によっては骨も折れているかもしれない。少なくとも、精度を求められる射撃は彼らにはもうできそうになかった。
         そんな突然の同士討ちに困惑するサリヤの前から、分解された部品が飛び立った。
         他ならぬ、クルルの下へと。

         

        「歯車ちゃんたちを連れてきてくれたことには、感謝しますぅ」

         

         千影も、サイネも、無意識にたじろいでいた。
         集まる部品は複製装置の残骸のみならず、神座桜の周辺に散らばっていた一見ゴミにも見える物体から何まで、使えるものはなんだって使うという有様であった。それらはクルルの目の前に集まり、下からどんどん組み上げ、時にはクルル自身が生み出した部品とも組合わさり、体積を増やしていく。

         

         数多の歯車の集積の果て、生まれた形は、人であり、山であった。
         背後にそびえる翁玄桜も相まって、大きさの感覚が破壊される。真っ直ぐに伸ばされた両腕が、桜の輝きを受けて大きな影を地面に落としていた。足はなく、極太の丸太によって支えられた上半身は、まるで案山子のようであった。

         

        「な、に……これ……」
        「かもーんっ! びっぐ、ごーれむ……あるてましーん、もーどっ!」

         

         向かい合った千影の呟きが、組み上がった巨大絡繰の駆動音にかき消される。
        見上げるほどの巨体が、その双眸に妖しい光を湛えた。

         

         

         

         


         質量は、それだけで暴力になる。ただしそれは、その大質量を動かし得たら、と但し書きがつく。
         ならば、山のような巨体が拳を振るうという動作は、正しく暴力であろう。
         巨人の胴体が回転し、右の巨腕が前方で絶句していた千影を襲う。

         

        「ぁ――」
        「危ないッ!」

         

         回避の遅れた千影を、サイネが薙刀の柄で殴りつけるように弾き飛ばす。サリヤが間一髪、自力で逃れると、殴打の軌道には結晶をまとめて構えたサイネの姿だけが残ることになる。

         

        「く、うぅッ――ぅあッ!」

         

         薙刀の柄も合わせ、巨大な拳を受け流す。圧倒的な暴力に砕け散った結晶たちが、風圧によって吹き散らされる。
         しかしサイネにとって、盾の喪失は攻撃への転換を意味する。己の技を曇らせる結晶を捨てた彼女は、むしろ予備動作の聞こえやすい巨人へ、躊躇なく刃を振るう。

         

        「たぁッ!」
        「はっはっは。たくさーん遊んであげてくださーいな」

         

         巨人の後ろへ下がったクルルは、自慢げに笑う。サイネの斬撃は、去っていく巨人の右手首に傷をつけたが、巨体からすればかすり傷に過ぎない。メガミの威力でその程度である以上、千影とサリヤは観察を続けるしかない。
         と、巨人に回転打撃を続けさせるクルルの視線が、そんなサリヤを射止めた。
         正確には、彼女の乗っているものを。

         

        「おほーっ! さっきがっしゃんがっしゃんしてた乗り物じゃあないですか! よく戻ってきてくれました! くるるんにそれ、貸して触らせて見せてくださいよぅ!」
        「誰があなたなんかに!」
        「そんな意地悪しないでー」

         

         ではまあ、と拒絶されたクルルが、顔の横で人差し指を立てる。

         

        「ごーれむが壊しちゃう前に、ここはひとつ、このすーぱー兵器で眠っててもらいましょう! かおすすとーむ、ぽちっとな!」

         

         言い終わる直前、巨人の双眸の光が、一瞬引っ込められた。
         そして声を上げる間もなく、放たれたまだら模様の光条がサリヤを直撃した。

         

        「うっ、あぁ……」
        「サリヤさん!」

         

         サイネを襲った光線同様、やはり外傷はない。だが、サリヤは機上でふらふらと身体を揺らし、耐えきれないというように手で抑えた。重心がまるで定まっておらず、思考の焦点もまた定まっていないように、視線を彷徨わせている。
         無論、そんな状態で操作できるほど、ヴィーナは優しくない。搭乗者の混乱は増幅されて動きに反映される。左右に倒れそうになったり、急制動で身体が投げ出されそうになったり……唯一の救いは、ヴィーナを暴れさせながらもどうにか後退できたことであった。

         

         狂乱したヴィーナの嘶きが、桜の下に痛々しく響く。
         光景を目の当たりにせずとも、サイネが異常を察知して余りあるほどには。

         

        「一体何をしたんですかッ!」
        「ふむふむ、これでのーぷろぶれんです」

         

         問いには答えず、満足そうにクルルは頷く。
         だが、その笑みが凍りついた。
         投げつけられた三本の針から、胸を締め付けられるような破滅の気配が漂っていた。

         

        「っは……!」

         

         忘れていた呼吸を取り戻し、とんと味わったことのない感情に戸惑いながらも、強いられたように咄嗟に首を横に倒した。
         とす、とす、と。
         首筋に一本、左肩に一本、いっそ間の抜けた音をたてて、投げつけられた針はクルルの身体に突き立った。ぬらり、とたっぷり塗られた毒液が傷口から滴り落ちる。だが、この負傷はクルルにとって特筆すべきものではなかった。

         

         彼女の額めがけて飛んでいた、最後の一本。
         何もしなければ刺さっていたそれは、クルルが初めて選んだ回避によって、彼女の背後で、背後でしゃりん、と音を鳴らして地面に落ちた。

         

        「…………」

         

         クルルが無言で瞳だけを動かしたのは、毒によって身体が麻痺したわけではない。
        緊張。そして安堵。
         どうしてもそれだけは避けなければならない、という強迫観念に屈し、けれど従ったことで命拾いしたという事実が彼女に染み渡っていた。クルルは回避を選んだのではなく、回避を選ばされていた。最後の一本には、メガミに致命を確信させるだけの破滅が込められていた。

         

         クルルの視線の先には、同じく無言で、じろりと睨む千影の姿がある。
         破滅の残り香を、その手に纏わせて。

         

        「そうですかぁ……!」

         

         冷や汗を流しながら、恐れを塗りつぶすように、狂気の笑みを浮かべる。
         す、とクルルの右手が緩く掲げられた。

         

        「完全態神渉装置……滅灯禍辻」

         

         今まで時を刻むように駆動していた翁玄桜の装置が、ガコッ、ガコッ、と動きを速めていく。
         すると、クルルの背後から、澱んだ薄墨のような、不吉な未来を予感させてやまない霧が撒き散らされた。

         

        「これは……」

         

         巨人に対抗していたサイネは、気配の変化に警戒し、距離を取る。
         けれど千影は、逆に一歩前へ踏み出した。
         その霧の正体を、知っていたから。
         千影は、煮詰められた殺意を込めて、問いを放つ。

         

        「ホロビは、どこですか」

         

         応じるクルルは、親指で背後を指した。
         すなわち、メガミの力を奪う、神渉装置を。
         隠し立てすることなく。

         

        「ここですよ」

         

         黒い霧に包まれた舞台が、終着点であると、クルルは示していた。

         

         

         

         


         全ては自分の安寧のため、そして安寧の大部分を占める大切な彼女を救うため。
         瑞泉驟雨は、千影のせいだと言った。実際、そのとおりだった。千影は、己の選択が大切な人を苦しめる結果を生んだことを後悔もした。

         

         しかし、彼女が後悔に埋もれることはない。
         彼女の悲嘆も、彼女の怒りも、どんな激情もよき未来の枷になると理解していた。振り返ることはあっても、慚愧に囚われることは無意味なのだと、澱んだその瞳で前だけを見ることができていた。

         

         彼女は忍――目的を合理的に果たす者である。
         故に、千影は宣言する。
         怨嗟の叫びを上げることもなく、ただ意志だけを一点に込めて。

         

        「返してもらいます」

         

         言葉と同時、千影は地を蹴った。サイネもまたそれに追随する。駆け出しながら構えられた得物が空を切るのに合わせ、場に満ちた黒い霧が緩慢に流れていく。
         二人にとって、絡繰巨人はただ消耗を強いられるだけの壁でしかない。本来であれば無視してクルルを直接狙いたいところである。本人も本人で、見えない防護壁を展開して守りを固めたりと、接近が叶っても一筋縄ではいかない。

         

         ただ、強い意志で飛び出したにも関わらず、彼女たちの足取りは重い。
         それは、疲労のためではない。地面に澱む黒い霧を脚がかき分けるたびに、どんどん気力が奪われていくようだった。
         何かする前に止める、というこの戦いにおける目標など、到底叶えられない。
         巨人に対抗するよりも前に、クルルが手にした絡繰を二人へ向けた。

         

        「うぐ、ぐぅぁあぁぁっ……!」

         

         雷撃に喘ぐ千影から、受けた熱量を示すかのようにか細く湯気が立ち上る。砕けた桜花結晶が、足元の霧の中へ消えていった。
         それでも千影たちは足を止めない。奪われる以上の気力を振り絞るように、焼かれた身体を押してひたすらにクルルとの距離を詰めようとする。

         

        「いいですよぅ! さあ、決着を付けましょう! そしてここからわくわくどきどきのー……」

         

         立ち向かう二人を前に、クルルは力を溜めるように身体を縮め、

         

        「科学の灯が、灯るのでぇす!」

         

         回転させるように手を揺らしながら、大きく腕を広げた。そしてその左腕を、サイネへと向ける。
         反応したのは巨人だ。クルルの所作を真似するように、左腕を震わせる。打撃同様に胴の回転が始まり、拳が振り下ろされるか、と思うものの、それだけではない。手刀を形作った手首から先が甲高い音を立ててさらに高速回転し、槍のように鋭利な刺突を形成した。

         

         しかし、拳を受け流すだけでも精一杯であったサイネだが、それに怯むことはなかった。
         防ぎはしない。避けもしない。
         むしろ、重量にものを言わせての単純な打撃よりも、小細工を弄した攻撃のほうが、彼女にとっては反撃の好機に他ならない。精緻を極めた技巧を通して見れば、威力のために工夫された攻撃は、常人には手の出せない多くの隙を孕んでいる。

         

         その隙をつくことも、サイネにならば可能だった。
         不可解で暴力的な一撃に、息をもつかせぬ連撃が叩き込まれる。

         

        「私もッ、借りを……返させて、もらいますッ!」

         

         そこに腕力は必要なかった。高速で動くものには、的確に刃を当てるだけでよい。言うは易しを実現するサイネの技は、彼女の聞き取った巨人の手の僅かな軋みに全て吸い込まれていった。
         見事に稼働に必要だった部品を断ち切られ、万物を貫くように回転していた巨人の左手が、己の持っていた力を御しきれずに自壊する。指は千切れ、手首から吹き飛んで千影の脇を掠めていった。

         

         重量の釣り合いがとれないのか、衝撃も相まってのけぞる巨人。両目を明滅させながら、左腕の代わりに後ろに回っていた右腕をどうにか千影に叩き込もうともがいている。
         今ならば、クルルに手が届く。
         千影もサイネも、狙うは本体だった。暴風のような回転攻撃が止まっている今、またとない好機であった。これを逃して新たな絡繰を組み立てられては、数々の雷撃を見舞われた二人に抗するだけの力はもう残らない。

         

        「うああぁぁっっ!!」

         

         足を前へ。己を鼓舞するように、声を発しながら。
         手にした針の切っ先が、クルルへと向けられる。
         今までは巨人の腕に阻まれて立ち入れなかった間合いへ、二人が踏み込んだ。目と鼻の先で、クルルが笑っていた。

         

         ……そう、笑っていた。
         頭の中で組み立てた流れが、目の前で再現されていることに喜んでいるように。

         

        「おめが……ぶれーどぉ!」

         

         

         ゾンッ! と光が大地に突き立った。
         サイネたちの阻止が間に合わないはずだった巨人の右手から、限界まで凝縮されたような光の奔流が放たれ、刃と化した。その威力に、あれだけ重く澱んでいた黒い霧が余波だけで吹き飛ばされる。
         右手は拳を作ることを諦め、生み出した光刃で間合いの中に潜り込んでいた二人を薙ぎ払おうと、手を傾けた。

         

        「ぁ……」

         

         その一瞬の出来事の中で、千影に光刃をかわすことは不可能だった。刃の幅は人の背丈よりもなお広い。それを巨人は、ほんの僅かに手をひねるだけで届かせることができる。
         もちろん、刃をくぐってクルルへと迫ることもまた、できなかった。
         手の届くところまでたどり着いたはずなのに、光刃で分かたれた距離は、決定的な破局を示すかのように遠かった。

         

        「ふふ……」

         

         けれど、そんな状況で、薄く笑みを浮かべる者がいた。
         千影には、少しだけ先行していたサイネが、自分に向かって小さく頷いたような気がした。
         自身に生じた想いを、おかしく思っているような。
         向けた者に望みを託すような。
         全てを切り裂く刃を前にした表情にしては、あまりに不吉で、あまりに示唆的で、あまりに希望に満ちていた。

         

        「っ……!」

         

         その意味を理解して、それを言葉で確かめる余裕がないことが、千影には恨めしかった。その選択は、千影にとっては最も理解のできない行いなのだから。
         だが、活路がそこにしかないことも分かっているからこそ、千影は足を止めない。
         他人の自己犠牲に成り立つ生を信じることが、彼女が今歩まねばならない生きる道なのだから。

         

         刃を合わせられる寸前、サイネは自らの周囲に水晶を浮かべた。
         そして、自分ら光刃に飛び込むように跳び上がり、己の身体ごと光刃を受け止めた。

         

        「――――」

         

         

         その刹那、全ての音が消えた。
         一瞬、時が止まったようだった。
         その間隙へ滑り込むように、千影は跳んだサイネの下をくぐり抜けた。彼我を絶対的に分けていた光刃の境界は、サイネに受け止められていたそのごく一部だけが、綻んでいた。
         直後、砕けた水晶、こぼれ出た結晶、それらの粒子が、音のない世界であっという間に空へ散っていく。

         

        「ぁ……ぐ……」

         

         そして音が戻り始めたとき、苦痛を訴える呻きは、クルルから見て光刃より手前から起き上がった。
         満身創痍の闇昏千影がそこにいた。
         サイネが引き受けてくれたとはいえ、光刃を紙一重でくぐり抜けた千影は、余波を至近で受けてさらにぼろ布のようになっていた。元々襤褸であった外套は引きちぎれ、一部を巻きつけるように右手に握られるのみ。

         

         それでも、彼女の意志が潰えることはない。
         整えてくれた道を踏破したその先に、長い旅路の終わりが待っている。
         澱んでいても、歪んでいても、まっすぐとクルルを――そしてその背後にいるはずの彼女を見据えていた。

         

        「ほろ、びをぉぉっっ……!!」

         

         光刃を振り回される前に、最後の気力を振り絞ってクルルへ肉薄する。
         その手に、苦無はない。
         その手に、小刀はない。
         彼女を取り戻すための最後の一撃。それは、彼女を奪った者に対して相応しい、千影と彼女だけの一撃だった。

         

         千影の右手に巻き付いていた外套のボロ布がひらめき、毒針の姿が露わになる。
         毒を芯にまで仕込むことのできるその毒針には今、紫色をした小瓶が据え付けられていた。
         ホロビの力を――死を象徴するメガミの力を濃縮した毒が。
         その権能が、一点に、クルルに、向けられる。

         

        「ひ……!」

         

         ……このとき、クルルは初めて、真に恐怖を覚えた。
         思考すら絶対的な闇で塗りつぶす、抗いようのない死という終わりに、彼女は己が持てるあらゆる絡繰を作動させようと試みた。その中には、回る歯車の力によってクルルを後ろへ運ぶというものもあり、特にその機構にすがっていた。
         絡繰は、彼女の想い通り、動作した。
         けれど結果として、クルルは足を引っ張られたように、背中から転倒する。

         

        「あっ、がぁ……なんで……」

         

         

         見れば、クルルの右脚には、銀に光る鞭のようなものが巻き付いていた。
         辿ったその先で、回転の余韻に耐えきれなかったように片膝をつくサリヤ。混乱によってヴィーナを降りた彼女が、最後の力を振り絞って、自らの力で放った剣が、クルルの逃走を妨げていた。柄に込める力をどうにか絶やさず、憔悴した顔ながらサリヤが歯を見せて笑う。

         

         原因が分かったところで、クルルにはもう為す術はない。
         目線を戻した彼女を待ち受けているのは、致死の一撃を携えた千影。
         飛びかかるその姿は、クルルにとって破滅の象徴となって、魂に刻まれる。

         

        「かえしてぇッ!!」
        「ひああぁぁぁぁぁっっッ!!」

         

         

         千影とホロビの絆が、クルルを貫いた。
         メガミの絶叫が、決着を告げる鐘となって、桜の下で響き渡った。





         こうして、闇昏千影の最後の戦いは、鮮烈なる決着を迎えた。死を恐れ、仲間からも逃げ、孤独と共依存の泥濘へと溺れつづけた彼女が、まさかこのような意思を示すとはカナヱとしても驚きだよ。

         はじまりが共依存であっても、絆は絆。闇昏千影とホロビの間で育まれた絆は決して淀み、歪んだものだけじゃあなかった。

         絆は崩れかけた心を辛うじて護り、そのわずかな時間が弟との縁を紡いだ。救いを得た彼女は敵を見定め、戦う意思を得た。決意ゆえに仲間は彼女の力となり、強大な敵へと立ち向かう勇気になった。

         そして仲間と勇気は最後には、彼女に勝利をもたらした!
         深い絶望の中から、希望の道を見出した彼女にどうか喝采を!


         

         

         

         

         

         





         そして、今この時だ。

         

         





         君が神話を辿るならば。あるいは彼女の異なる強みを探すならば。
         この時の彼女のあり方は、なかなかに興味深いと言えるんじゃないかな?
         怯え、恐れ、それゆえに生きる道を見出す暗殺者のあり方を、今だけは捨てて……、

         恐れを勇気に変えて進む、英雄として――

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        語り:カナヱ
        『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
        作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

         

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        黒幕よ雄弁に語れ(後篇)

        2018.10.05 Friday

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          議論をより深めるべき時

           

           

           こんにちは、BakaFireです。今回の記事はシンラ特集の後篇となります。前篇、中篇をまだお読みでない方は、先に読まれることをお勧めします。
           
           このシリーズは特定のメガミに注目して、本作のデザインを語るというものです。今回は新シリーズ第2回にして累計第8回となります。


           前篇ではメガミ・シンラに関する歴史を説明し、中篇では『第二幕』での個々のカードに注目して彼女を語りました。そして今回の後篇では『新幕』における彼女についての話を行うことになります。
           
           今回の後篇も前回同様、『新幕』開発の流れをシンラの視点から辿っていくのがよさそうです。
           
           それでは、さっそくはじめましょう!
           
           

          シンラの黒幕ABC

           

           『新幕』にあたっての大きな試みとして、私は全てのメガミに対して「理念文書」の作成を行いました。これは以下の項目からなっています。

           

          目的

          • そのメガミを宿していてどんな気持ちよさを味わわせたいか

          コンセプト

          • どうやって目的を実現するか
          • キーワード能力はなぜ手段となるか
          • サブコンセプトは何で、なぜそれが必要なのか

          どのリソースにどれだけ触れるのか

          苦手なこと、できないことは何か

           

           これはシンラにとっては特に重要なものでした。理念とはつまり、そのメガミを宿したプレイヤーにどのような感情を味わってもらい、そこからどのような楽しさを見出してほしいのかと言う宣言です。
           
           このような宣言は過去のハガネ特集チカゲ特集でお話しした通り、『第二幕』の『第壱拡張』のデザイン中に重要性が明らかになっていきました。それゆえハガネやチカゲ、さらには前回特集したクルルなどはこの理念がすでにはっきりしていたのです。
           
           しかし、『第一幕』からサイネまでの7柱(ユリナ、ヒミカ、トコヨ、オボロ、ユキヒ、シンラ、サイネ)はそれらの目的が未成熟でした。つまりシンラもまた、この問いかけを通して目指すべき感情を定めていく必要がありました。

           

           熟考した結果、シンラの答えは「陰謀を企てる黒幕の感覚を味わう」というものであるという考えに私は至りました。しかしこれだけでは漠然としています。黒幕の感覚とは、果たしてどのようなものでしょうか。
           
           私はそれに対し、3つの答えを用意しました。1つ目が裏で計画を進める楽しさ。2つ目は妨害工作で相手の目論みを砕く楽しさ。そして何より大事な3つ目が、自分を他人と違う異相に置き、特別感を味わうという楽しさです。黒幕は表に出て戦う戦士とは違います。相手を俯瞰して特殊な勝ち筋を探るのです。

           


           
           私はこれらの3点から今のシンラの好ましい点を整理し、それらを確実に残せるようにしました。まず、相手の山札や手札に対して干渉する点が不可欠なのは明らかです。2つ目の黒幕らしさである、妨害工作として完璧なだけではありません。山札を削って攻め筋を潰し、山札の再構築をさせて勝つという戦い方は普通の戦い方から位相を外しており、3つ目の要素も満たせているのです。
           
           ですが、今のシンラの魅力はそれだけではないはずです。私は今のカードプールを眺め、感情的に残したいカードのことを考えました。そしてそれらがなぜ残したいのかを考え、それらも今の理念に即していると気づいたのです。それこそが「天地反駁」と「森羅判証」でした。
           
           この2枚は『第二幕』でのシンラのカードの中でも特にすばらしいものです。これらは数多くの天地反駁デッキや、森羅判証デッキを生みだし、デッキタイプすらも定めうるものだったのですから。天地反駁はX/-の攻撃を使うことを求め、森羅判証は付与札を並べることを求めます。これらは普段とは異なる目標をプレイヤーに提供し、さらにすばらしいことに十分に現実味がありました。
           
           これらの2枚もまた3つ目の黒幕らしさに繋がると考えてよさそうです。さらに山札の破壊にせよこれらの2枚にせよ、十分な事前準備が必要であるため1つ目の黒幕らしさにも繋がると言えます。
           
           こうして山札や手札を通した妨害、そしていくつかのインパクトのあるカードを通した異なる位相での戦いという要素を残し、黒幕らしさを演出するという指針が決まったのです。

           


          論壇はなぜなくなったのか

           

           ここまではシンラの目指すべき姿を整理し、これまで通りにするべきところを決めてきました。しかし彼女には大きな変化もありました。彼女は『第二幕』から『新幕』にかけて唯一、特性が変化したメガミなのです。これについてもお話ししましょう。
           
           『新幕』のデザインが始まったある日のことです。デザイン班の1人から、シンラの論壇は魅力的ではないのではないかという指摘がありました。私は最初は大いに疑わしく思いました。『第二幕』のシンラは十分に魅力的であり、失敗とはとても思えなかったためです。
           
           しかし時は流れ様々な出来事が起こり、私は彼の指摘はもっともなものだったと考えを変えたのです。主な理由は3つあります。
           
           1つ目は、上述した理念文書を書いたことです。シンラは黒幕らしさを強調すべきですが、論壇はその助けになっていません。妨害工作らしさはなく、「森羅判証」には特殊な勝ち筋はありますが、それは「森羅判証」の個性であって論壇の個性ではありません。強いて言えば1つ目の計画を進める感覚へとこじつけることはできますが、それにしてもより相応しいものがありそうです。
           
           こうなるのもおかしな話ではなく、先の理念文書にはシンラを付与札に注目させる理由はなにもありません。極端な話、シンラは付与札を使わなくてもよいのです。しかし、実際はそうはなりませんでした。その理由は「森羅判証」がすばらしいカードだからです。その1枚が最高に黒幕らしい(そして黒幕が表舞台に立つというジューシーな瞬間すらも演出する)戦い方を作りだし、それが付与札に注目しているならば、その要素を外すのは賢い選択とは思えません。
           
           ですがここに大きな変化があります。もはや付与札は目的でなく、黒幕らしさを演出するための手段になったのです。こうなってくるとそれこそ、論壇の疑惑は深まることになります。
           
           2つ目は『第二幕決定版』におけるバランス調整の時の出来事です。中篇で語った通り、その際に「立論」は調整され、論壇が外されることになりました。この時点で私は論壇を付けるのが相応しい能力はそんなに多数あるのかという疑惑を持つようになりました。
           
           「引用」に限ればある程度成功していると感じます。しかし「立論」からは外され、「森羅判証」に至っては論壇という言葉を使う方が不自然にすら感じられます(※)。中篇で書いた通り『第一幕』が発売するより前の私どもはダストを枯らすという戦い方に気付いてすらいませんでした。結果として、論壇のデザイン空間は想像を超えて小さかったのです。
           
           3つ目がクルルの存在です。論壇は悲しいことにおおむね機巧(付与)であり、さらに言えば(後年にデザインされたため当然のことではありますが)機巧の方がデザイン空間は広く、プレイ感が良いのです。まるで劣化のようにも思えるギミックを残す必要はあるのでしょうか。

           それに加え、機巧はクルルの目指す発明家らしさを最高に演出していました。それに近い要素である論壇もまた、どこか発明家的な感覚があり、シンラに完璧にマッチしているとはいえなかったのです。
           
           これほどの理由があれば、1年半にわたり親しんだ論壇に別れを告げるのも不思議ではありません。こうして私どもは、新しいギミック「計略」を探し始めました。

           

          ※ 実際のところお恥ずかしいことに、論壇を持つカードの枚数が少ないため、これも論壇だということにこじつけようという目的で『第一幕』の論壇は付けられたのです。ルールの理解をし易くする意味でも、総合ルールとの奇妙な作用を避けるためにも『新幕』での「森羅判証」のテキストの変更は正しいものだったと感じています。

           


          今こそ計略を企てよう

           

           当然ですが新たな特性は、理念文書の黒幕らしさいずれかを推進するものでなくてはなりません。私はいくつかの草案を考えては没にしながら、相応しいやり方を探しました。そして結論として、1つ目の計画を進める感覚を強調するものであるべきだと結論付けたのです。
           
           理由は単純で、残り2つはどちらを強調しようとしても、既存の要素にさらに味付けをすることになり、強調され過ぎてしまうのです。妨害に紐付けると山札や手札の破壊がやりやすくなりすぎ、さらに不愉快さも笑えない水準です。特殊な勝ち筋はこれまでの3種類で十分であり、これ以上に種類を増やすとそれこそどの道も細くなりすぎてしまい、メガミとして機能しなくなる恐れがあります。
           
           ではどうすれば黒幕らしく計画を進められるのでしょうか。私はそれが「秘密計画」であることが重要に思えました。そしてここで私は、ユキヒの「変貌」に感じた疑問を思い出したのです。「変貌」において傘の開閉は相手にも伝わっており、それを前提として相手は(特に間合を近づけるか離すかにおいて)対策を試みることができ、それはそれで魅力的です。しかしそれがどちらか分からなかったら?
           
           これはすばらしく魅力的に感じられます。しかし、傘の開閉のようなもの――つまり計略の決定はいつ行えばいいのでしょうか。傘の開閉と同じやり方とすると少しばかり面倒すぎます。傘の開閉と違ってブラフも重要なので、毎ターン何かしらのコンポーネントをいじらなくてはいけません。うっかりやり忘れた際のミスをした感覚も不愉快です。かといってカードにその効果を付けると、前篇でも書いた自己閉塞問題に陥る恐れがあります。
           
           そこでもう一段思考を掘り下げ、幸いにしてブレイクスルーを見つけられました。計略を使うカードそのものに、次の計略を決める効果も付けてしまえばいいのです。こうすればストレスのないタイミングで計略を決められ、その上で計略を使うカード1枚だけを入れても問題なく機能するので、自己閉塞には陥りません。
           
           その上で計略を持つカードを多く入れれば、計略を変更するタイミングを増やせるためより柔軟に運用できます。私はこのくらいの自己完結はむしろ魅力に繋がると感じたため、この形でテストすることにしました。そして素晴らしいことに、フィードバックは良好なものだったのです!
           
           こうしてシンラは新たな技を手にし、より黒幕らしさに磨きをかけることになりました。

           

           


          残された幾ばくかの反省点

           

           さて、ここまでで私は『新幕』でシンラをいかにすばらしくしたのかを語ってきました。しかし誠に申し訳ないないことに、今のシンラは他と比べて反省点の多いメガミだと感じております。未来に向けて、その点もお話ししておきましょう。
           
           ここまで書いた内容が失敗だったとは思っていません。むしろ、ここまでの試みは全て正しい方向を向いていると強く信じています。しかしそれ以降、仕上がりの細部にはいくつかの間違いがあったと考えています。大失敗と言うほどではありませんが、小さな失敗と片づけるほどささやかなものでもありません。
           
           さらにこの失敗はゲームバランスや強さの問題というわけではありません。少なくともシンラが強すぎるということはなく、弱いのかと言われると少なくともカード1枚1枚は十分に強力なのです。
           
           それゆえにシーズン1→2のカード更新ではこの課題にメスを入れることはできませんでした。この類の問題よりも、さすがにゲームバランスの問題のほうが優先されるべきです。この問題は次回、シーズン2→3のカード更新から触れていくことになるでしょう。
           
           念のため補足しておくと、今のシンラの魅力は悪いものではありません。しかし少なくとも、ゲームを安定して展開する軸がやや不足している問題と、計略で「神算」が安定し過ぎてしまっているという2点は重くとらえており、解決するべきだと考えています。これらの課題は私どもに残された宿題と考え、お許しいただければ幸いです。
           
           
           本日はここまでとなります。しばらくは『第弐拡張』の原稿が慌ただしいと予想されますので、このシリーズの記事はお休みをいただきます。しかしその間にも別のシリーズで魅力的な記事がいくつか予定されております。ご期待くださいませ!

          『桜降る代の神語り』第65話:絶望を砕く災禍

          2018.10.05 Friday

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             戦場において、両軍が持つ駒を正確に把握できる者なんてそうはいない。
             それが増援ともなればなおさらさ。だからこそ、予想もできない増援は戦況をひっくり返すだけの可能性を秘めている。
             機巧兵団という増援は、闇昏千影たちに絶望こそもたらしたが、ある程度は予想はできていたことだ。
             突如戦場にもたらされた破壊は、混乱を代価にその絶望を打ち砕く。だけれども、その先に何があるかは誰にも予想はつかないだろうね。

             

             

             


            立ち上った土煙が、夜空を汚していた。

             

            「…………」

             

             苦無を前に構えた千影は、己の手の震えを禁じ得ずにいた。今まさに、複製装置で武装した浮雲らに狙われているというのに、千影の前で起きた破壊は、片手間などでは到底抗えないものであると、本能で悟ってしまったのだ。
             破壊は、千影のいる広場の一辺を担う塀を消し飛ばしていた。
             空から月でも落ちてきたのかと勘違いしてしまうほどに地面は陥没し、耐えきれなかったのだろうか、広場を横断するように亀裂が走っていた。

             

             その破壊は、大質量によるものではなかった。
             晴れていく土煙の向こうから現れたのは、人の形だった。
             けれど千影には、それを人と呼ぶのも、あるいはメガミと呼ぶのも憚られた。

             

            「ァ……アァ……」

             

             振り乱した長い黒髪が怨念のように全身に絡みついた女が、がくり、と首を後ろに倒した。意志の蒸発したような瞳が無機質に動き、この場にいる存在を順繰りに舐めていく。
             その手には、山をも切り倒せそうな、人間には到底扱えないであろう長大な刃。人間の尺度であれば、それはきっと刀なのだろう。刀身は、土煙に汚れることなく妖しく月光を反射している。
             彼女の姿は、異様を通し越して異物ですらあった。だが、千影が怯えているのは、その幽鬼のような女が禍々しい殺意を振りまいているからだ。

             

             ……その女が、かの武神ザンカであると結び付けられた者は、極々限られていた。
             元々恐ろしい逸話ばかりが言い伝えられているからには、素地は十分にあったはずだ。なのに誰もが、黒く煮詰めた感情を全身から溢れさせているような姿に、メガミを見出すことができなかったのである。
             だから故に、機巧兵団の反応はひどく正しいものだった。
             ザンカの視線が、人ではなく城に向いた瞬間、彼らは弾かれたように飛び出した。

             

            「貴様新手かぁッ!」

             

             脚に風を纏い、爪を装備した兵が三人。初めから殺す気概は十分に、瞬く間にザンカへと肉薄し、飛びかかった。
            だが、彼らは任務に基づく正しい反応を示したが、行動は致命的に間違っていた。

             

            「ぁ――」

             

             虫でも払うような軽い動作で、鈍器のようですらある重々しい刃が振るわれた。
             三人の男は身を守る以前に、剣閃を目で捉えることすらできない。その結果、断末魔の悲鳴を上げる暇すらなく、まとめて腹から真っ二つに断ち切られる。元々持っていた勢いそのままに、物言わぬ肉塊となってザンカの背後へと落下した。

             

             冗談のような出来事に、広場がしん、と静まり返った。
             ザンカだけが、城から目を離すことなく、息を荒げ始めた。

             

            「ガ、ァ……ウァ、アアァ……!」

             

             そして、制御できない己の怒りを絶叫に変えて、大地に向かって吠える。
             そこに長い間探し求めていた怨敵を見つけたかのように。

             

            「ォアアァァァッッッ、アアアァァァァ!!!」

             

             ぐ、とザンカが僅かに脚へ力を溜めたかと思った瞬間、再び大地が抉られた。
             土煙を置き去りにした彼女の姿は、一拍置いた頃にはもう城へと続く門の前にあった。邪魔なそれを両断するべく、にわかに刃を握る右手に力が込められている。
             ただ、瑞泉城の門を巡っては、彼女が至る以前より戦いが繰り広げられていた。すなわち、ウツロとサイネというメガミ同士の争いであり、ザンカの登場によって鍔迫り合いのまま膠着していた二柱は、走り込んでくる狂人への対応を余儀なくされる。

             

            「失礼っ!」
            「ぉ……」

             

             一気に力を込めて、サイネはウツロを突き放す。
             サイネが選んだのは離脱だ。背後より迫り来る暴力は、いかにサイネがメガミになったからといってあまりに荷が重い。
             しかし、サイネと違ってウツロは逃げる訳にはいかない。彼女は今、瑞泉城の門番としてここに立っている。

             

            「行かせない……!」

             

             一人、前に立ちはだかったウツロに、ザンカは実際目もくれていなかった。門を破壊するために、まさに宙へ踏み切ったところであった。
             ウツロは手にした大鎌をその小さな身体で振り回す。ザンカへ追いつくように地を蹴り、くるくると身体ごと回転させながら、ザンカの腹に刃を引っ掛けるように振りかざした。

             

            「グゥ――」

             

             死角からの一撃は、けれどザンカには防がれていた。天に向けていたその刀の刃では防ぐことは叶わなかったが、彼女は器用に柄でもって鎌に刈り取られることを阻止したのである。
             そこでようやく、ザンカのあるようでない意識が、ウツロへと向いた。
             がし、とザンカの左手が、影で編まれた大鎌の刀身を掴む。

             

            「……!」

             

             未だ宙にある不安定な体勢のまま、ザンカは掴んだ鎌ごとウツロを地面へ投げ飛ばした。感情を爆発させたような凄まじい膂力によって、着地どころか受け身すらろくにとる余裕のない、尋常ではない速度をウツロは纏わされる。
             だが、ウツロによって大地が割れるということはない。彼女は激突するはずだった地面に落ちていたザンカの影に、そのままするりと飲まれていった。

             

             次に彼女が現れたのは、ザンカが着地した直後――その影が、大きな門によって生じた影と混ざりあったとき、ウツロはザンカの刃の届かない暗がりから、空気に滲み出すように夜の世界へ戻ってくる。
             ウツロが鎌を突き立てた場所から、刃を模した影の波が生じ、立て続けにザンカへと迫っていく。

             

            「ウゥ……! ゥアゥ……!」

             

             それを一波目、二派目と薙ぎ払ったザンカは、現れたウツロの姿を捕捉し、肉厚の刃を盾に強引に彼女との距離を詰めようとする。得物の長さも相まって、一呼吸するうちにもうザンカの間合いに入ってしまう。
             たまらずウツロは再び足元の影に落ち、今度はザンカの背後から勢いよく飛び出した。澱んだ三日月のような刃が、ザンカの首筋を狙う。

             

             しかし、狙っていたのはザンカもまた同じであった。
             乱雑に背後を斬りつける刀には、明確な害意が宿っていた。

             

            「ぐ……」

             

             攻撃を繰り出した後のウツロに回避は不可能だった。その代わり、咄嗟に自身と凶刃の間に影色の壁を作り出し、直撃するはずの剣閃をどこか別の空間に逃がす。
             奇妙な形の空振りに終わったザンカは、そのままであれば勢い余って身体を回転させてしまうところをあっさりと踏ん張り、至近距離に来たウツロを下から強引に切り上げてみせる。
             ウツロの右脚が、付け根からすっぱりと切り離された。
             一切の手応えをなくして。

             

            「……?」

             

             動きの鈍ったザンカの前で、重症を負ったはずのウツロが色を失い、黒に染まる。そしてぐずりと形を保てなくなって地面へと広がっていく。
             色を持ったウツロは、その影の一歩向こうだ。

             

            「くぅぁぁッ!」

             

             無表情の仮面が、大鎌を振るう彼女からは失われていた。ザンカという敵に道を譲らないために、そして負けないために、その灰色の瞳には今や意志が燃えている。
             ザンカを捉えた鎌が、身体を引き裂くことはなかった。それは身体の内側だけを切り裂く刃であり、胴に潜っていた切っ先は桜花結晶の煌きを纏っていた。

             

             桜花決闘において砕けた桜花結晶の輝きは、決闘の観客が決定打が生じたことを理解する助けの一つである。特に夜闇の中では分かりやすく、達人同士の目まぐるしい攻防を追いきれずとも、状況が変化しているのだとすぐに判じられる。
             ウツロとザンカの、人間の領域では語り得ぬ二十秒足らずの攻防に、この場にいる誰もが目を奪われていた。それは決して感心などではなく、恐怖に類するものであったが、結晶の煌きという変化によってちらほらと現実に戻ってくる者が出始める。

             

            「ちっ……どうしろっていうんだい……!」

             

             浮雲は、思わず配下の機巧兵団に制止を命ずるよう上げていた腕を、もはや不要とゆっくり下ろした。
             ザンカは明らかに城にいる者を狙っているが、彼我の力量差は斃れた兵によって示されたばかりである。全力で止めなければならないほどの驚異であるものの、これ以上犬死させるわけにもいかず、乱入したザンカに手をこまねいている状況であった。

             

             一方、打倒瑞泉を掲げる部隊もまた、常識の埒外にある戦いによって吹き飛ばされていた混乱が蘇ってきたようだった。
             その中でも特に楢橋は、戦場というものから遠い存在だったということもあり、涙を流しながら千鳥にすがりついている。

             

            「こ、こここここ怖いんだけどぉー! なにあれなにあれなにあれ、絶対殺されるって平太クンこんなところで死にたくないよぉ……!」
            「そんな、俺に聞かれても……何がなんだか」

             

             呆然と答える千鳥は、あのウツロと対等に渡り合っている鬼のような剣士が何者なのか、答えを知っていそうな人物へ自然と視線を向けた。
             けれど、

             

            「あ、れ……? おい、佐伯さんは……? あの眼鏡の……」
            「知らないよぉ……もうおうち帰りたい……」

             

             先程まで近くで手当てされていたはずだったのに、忽然と姿が消えていた。狂人に巻き込まれたとも、瑞泉軍に襲われたとも考えにくいのだが、だからといってすぐには理由が思い浮かばなかった。
             気づいたところで、この状況では何もできないことにまた気づき、ウツロとザンカの衝突で生じる轟音を背景に、千鳥は思考の行き止まりを感じる。

             

             何しろ、まともに戦える戦力は既に限られているのである。ヴィーナを通常形態に戻したサリヤはその一人であるが、それでもウツロによって消耗させられた事実は無視できない。主を後ろに置き、変化する状況に神経を尖らせいては、息を整えるだけで精一杯だ。
             そして目下最大の戦力であるサイネも、塀の向こう側を伝って戦域から逃れ得たようで、飛び降りるなり安堵のため息を禁じ得なかった。

             

            「一体なんなのですか、あれは……まともにやりあっていい相手ではありませんよ」

             

             最も間近で体感した彼女の言葉に、皆が無言で同意する。
             誰もが、ザンカの存在に意識を奪われてしまっていた。出処の分からない大きすぎる力は、今は都合のよい方向に向いていても、いずれ自分たちに牙を剥くのでは、と恐れが思考をせき止めるのである。

             

             ……しかし、この予想外の事態において、一人だけ、冷静な思考を保ち続けた者がいた。いや、冷静というよりも、恐れと付き合い続けたからこそ、うまく状況を飲み込めた者がいた。
             千影だ。

             

            「サリヤ、さん……それに、ひさ――サイネ」
            「……?」

             

             残る戦力の名を呼んだ千影も、その中の一人である。
             彼女はせわしなくこの場を観察していた目を落ち着け、意を決したように言葉を続けた。

             

            「天音は送り出し、サイネを救出した今、残る目的はホロビを助けることだけです」
            「あっちには、いなかったのね……?」
            「そ、そうです。この敷地内に移されたみたいで……」

             

             返答に渋い顔を見せたサリヤ。しかし、千影は彼女がどう思うかも織り込み済みだったようで、

             

            「大まかな場所が分かっているとはいえ、これから城内を探すのは愚策でしょう。人手も明らかに足りていません。ですが、この混乱に乗じれば、ホロビを助けるまではいかずとも、ホロビを苦しめている元凶の破壊はできると思ってます」

             

             あれを、と千影が指差したのは、城の陰に隠れて見える、巨大な神座桜・翁玄桜だ。夜空に咲き誇るそれの幹には、遠目からでも分かるほどにごてごてと異物が取り付けられている。

             

            「見えますね? 寄ればもっと分かりやすいですが、あの桜にはたくさんの歯車でできた絡繰が取り付けられています。その神渉装置を、壊す――二人には、それを手伝って欲しいんです」
            「なるほど……敵の主力兵器みたいだし、叩けるうちに叩くのはいいんじゃないかしら」

             

             納得を示すようにサリヤは頷く。
             ただ、サイネはそれにすぐに追従するということはしなかった。光を映さない瞳を千影へと向け、サイネは問うた。

             

            「そこには、きっとあのクルルがいる――そうですよね?」
            「……はい。だから千影には、協力が必要なんです。手を、貸してください」

             

             見えないと分かっているのに、千影もサイネの視線に正面から応えた。

             サイネの答えは、気迫を示すよう石突を突き立てられた薙刀だった。

             

            「謹んでお受けしましょう! 奴には逃げられたままですしね」
            「あ、ありがとう、ございます」
            「ジャア、そうと決まったら、ゼンは急げ、デス!」

             

             いきなり音頭を取り始めたジュリアに度肝を抜かれたように、サリヤは振り返る。二人乗りの姿勢で既にお腹に手を回していたジュリアは、得意げな顔を見せている。

             

            「ジュリア様、話の流れ分かってますか!? 敵のメガミとの戦いになるかもしれないんですよ!? 装置の仕組みが気になるから、という理由じゃありませんよね!?」
            「むしろ、装置のシステム分からないままに、壊すつもりだったんデスカ? 影響から考えて、あれはエネルギーの分配してるハズです。テキトーすると、ボンッ! ってなるかもしれませんよ?」

             

             その理屈が当てはまるような過去があったのか、サリヤは思わず頭を掻いていた。無論、似た事例を知っていれば反論もし難い。
             ただ、それでも彼女はジュリアの騎士である。安全の確保のために、主を危険に晒すのは本末転倒である。
             そうやって渋っていると、ジュリアはさらにダメ押しするように、

             

            「そもそも、サリヤが行かなければダメなら、ワタシも一緒に行きます。単純なことデス。サリヤが守ってくれるから、なんてサスガに言いづらいデスガ、弱い人だけで逃げるのも危ない思いませんか?」
            「それは……」

             

             今度こそ、サリヤは承服せざるを得なかった。戦場では安全な場所などなく、弱い者から狙われるのが定めである。もとよりジリ貧を避けるために打って出る、という態度で二人ともここにいるのだから、問題解決のためにひたすら進むのは間違った方針ではないのだ。
             けれど、それでもサリヤの心には、メガミという戦力に対する恐れが巣食っていた。今しがた相手にしたウツロの力を思い起こしてしまい、いつものように快く応えることができないでいる。
             そんな様子を見てか千影は、塀にもたれかかって休んでいた男たちに声を投げかけた。

             

            「ほら、千鳥、楢橋。出番ですよ。確実に生き残るためにはここで逃げるのが最良ではあると思いますが、千影とホロビのために手伝ってください」

            「姉さん……もうちょっとマシな言い方あると思うよ。事実だけど」

             

             苦笑いしつつ立ち上がる千鳥は、残された力を確かめるように小刀を握っては弄ぶ。剣閃を描くことは辛うじてできるが、やはりその動きは鈍い。
             千鳥以上に見た目に重症を負っている楢橋が、信じられないという表情で、

             

            「え、待って、ほんとに行くの!? 撤退とかしちゃダメ!? オレっち腕折れてるんですけど……」
            「複製装置つきの右腕があれば十分です。それとも、空を飛ぶ敵兵から一人で逃げ切れる自信が?」
            「はい、ないです……ご一緒させてください……」

             

             がっくりと項垂れる楢橋の肩を、千鳥が勇気づけるように揺さぶった。帰り道など考えられていない作戦部隊には、一蓮托生という言葉がよく似合う。
             と、脚を射抜かれて苦悶していた藤峰が、脂汗を額に浮かべながら、塀を支えに立ち上がる。傷の処置と千影の鎮痛剤によって、どうにか歩ける状態にまで至っていたようだった。

             

            「ぐっ……。俺だけ、置いていかれては、敵わん、からな……」
            「薬、増やしたいなら言ってください。……サリヤさん、後ろにあと一人乗せられますか」

             

             手招きを答えの代わりとし、無理やり詰めてジュリアの後ろに座らせる。ヴィーナの骨格がぎし、と悲鳴を上げるが、それを隠すようにサリヤが一握りで唸りをあげさせた。
             その低い嘶きは、もう皆も慣れた、走りの前兆だった。

             

            「行きますよ……!」

             

             千影の合図と共に、翁玄桜を目指し一斉に駆け出した。天音揺波の勝利を祈る傍らで生まれた、為すべきことを為すために。
             そして少し遅れ、敵もまた彼らの動きの意図に気づく。

             

            「浮雲様、奴らが!」
            「あんの野郎……! あんたたち、装置には指一本触れさせるんじゃないよ!」

             

             追う者と追われる者の攻防が始まった中、それを見送るように、瑞泉城の門前に新たな大地の傷が一条、走った。

             

             

             

             

             


             城に桜が添えられた光景というのは、この地において珍しいものではない。けれど、城と肩を並べる桜というのは数えるほどしかない景色である。
             瑞泉の地の神座桜にして、瑞泉城に寄り添う大桜。見上げれば、夜天に花びらを咲かせようとしているような壮大さに感服するものの、今の翁玄桜は絡繰に塗れ、歯車の山から突き出た奇怪な物体としか目に映らない。

             

             桜の根本に広がっていたのは、花見の席でも、舞踊の舞台でもない。工房の中身をぶちまけたような有様と、絡繰に連なった奇妙な形の根囲いは、この庭の目指すものが、美から決定的にずれてしまっていることを示している。
             人は、いない。ガコン、ガコン、と桜の胴に取り付けられたいっとう大きな歯車が回転する無機質な音が、遠く響いてくる大地を揺るがす戦闘音に負けじと奏でられている。

             

            「…………」

             

             

             そんな、侵蝕されたメガミと決闘の象徴の前にたどり着いた千影は、何も言わず、じっ、と空を――正確には、ある枝の上に視線を注いでいた。
             追手から稼いだ時間は僅かであり、こうしている間にも追いつかれてしまうというのに、それでも千影は、ただじぃっと、待ち受けていたメガミのことを見上げていた。
             大げさに首を傾げながら、彼女は声を張り上げた。

             

            「どーして邪魔するんですかぁ!?」
            「…………」
            「この子があれば、いっろぉーんなことが分かるんですよ? 今までメガミ自身でもよく分かってなかった、あれとかこれとかそれが分かるんですよ? 世のため人のためメガミのためくるるんのためなんですよ?」

             

             クルルは、理解に苦しむ。だが、理解に苦しむクルルもまた、千影にとっては理解に苦しむ対象だ。
             一行のうち、主戦力となる三人以外は、庭に面している屋敷の廊下に避難している。負傷者は負傷者なりに、機動力の活かせない屋内へ追手を誘導し、可能な限り各個撃破しながら、屋内にまで伸びる装置の概要を探る腹づもりであった。

             

            「こんな……こんな楽しいものを、みんなは壊そうとします。らいらいたちもそうでした。もし、あなたたちも、この子を壊すっていうなら――」

             

             がくり、と頭の位置が元に戻される。
             そしてクルルは、いつもどおりの笑みを湛えて、いつもどおりにこう言った。

             

            「今度は本気でお相手しますよ」

             

             

             けれど、その最後の一言と共に纏う空気は、愉快そうな彼女とはかけ離れた、重苦しいものだった。そのメガミという超常存在の圧迫感に、同じくメガミになったはずのサイネも、先程までウツロと切り結んでいたサリヤも、息を呑んでいた。
             しかし、それでも三人が怯むことはない。
             千影は、僅かに生じた震えを砕くように拳を握り込み、キッ、とクルルを睨みつける。

             

            「勝ったら、ホロビを返してください」

             

             叫ぶことはない。取り乱すことも、怒り狂うこともない。

             千影はただ、ここまで至った原動力である己の意志を、ただ真っ直ぐにぶつけていた。どんな圧に押されようとも、芯の通った意志が潰れてしまうことは、ない。

             

            「いーですよぅ。その『挑戦』、受けましょう。まとめてかかってくるのです」

             

             快諾するなり、クルルは立っていた枝から飛び降り、根本の囲いから救いを求めるように伸ばされた、背丈ほどもある太い桜の根の先にふわりと着地する。
             勝負は、この神座桜の下に成った。
             ならばあとは、メガミの名において雌雄を決するのみである。

             

            「闇昏千影、我らがヲウカに決闘を」
            「氷雨細音、我らがヲウカに決闘を」

             

             名乗りを上げ、千影は充溢していく力にさらに心を震わせた。その手に顕現させるのはもちろん、朱色の番傘だ。
             サイネも思わずそれに倣い、既に現していた、刀身が深い海の底の色をした薙刀を構え直す。
             そして、

             

            「I AM THE DEMON. I DESTROY YOU. TRANSFORM FORM:YAKSHA!!」

             

             軋みを上げながら、ヴィーナは三度目の変形を成す。胴より伸びる、前輪を支える左右二本の骨組みが別れ、先端に車輪のついた二本の腕となる。そのまま操舵席が持ち上がり、あちこちの部品が刺々しい形状に変わると、まるで両腕を前に着いた、厳しい妖のような姿をヴィーナは得る。

             三者三様の得物を構え、クルルは悠然と腕を組む。


             ゴウン、ゴウン、と巨体を鳴らす歯車が、決闘の開始を今か今かと待ちわびているようだった。

             

             

             

             


             天音揺波と瑞泉驟雨が決戦を繰り広げたその下で、メガミとメガミの戦いもまた行われた。
             ウツロとザンカ。どちらもまたその力を理由に封じられていたと言われたとしても納得してしまうような恐ろしさだ。この戦いがどこへ向かうのか。そうだね。二十年前のその時には、カナヱですら予想がつかなかったとも。

             

             そしてそんな中であっても、いいや、そんな中でこそ。英雄たちは絶望から立ち上がる。
             闇昏千影、サリヤ・ソルアリア・ラーナーク、そしてサイネ。2人と1柱が挑むのは人とメガミ入り乱れる奪還の舞台。
             これもひとつの決戦だ。これまでに見たことのない。本気のクルルに対して彼女たちがいかに立ち向かうのか。……次はその熱戦を、語るとしよう。

             

            語り:カナヱ
            『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
            作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

             

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