『桜降る代の神語り』第69話:決戦

2018.11.09 Friday

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     絶望の中、彼女は数々の希望を受け継ぎ、再び刃を構えた。
    人も、メガミも、この地を遍く混乱に陥れた騒動は、ついに決着の刻を迎える。


     英雄・天音揺波、最後の決闘。
     その全てを、カナヱは今ここに語ろう。

     

     

     


     穏やかな夜風が、無数の傷を撫でる。天の頂に手を伸ばした月が、戦乱を物語る瑞泉城の荒れた敷地を見下ろしている中、決戦の舞台は雄大なる翁玄桜の輝きによって照らしだされていた。
     その異様な桜に、初め揺波は息を呑んだ。巻き付くように奇妙な木製の輪と数多の歯車が取り付けられた歪な姿が、事件の中心なのだと理解したからだ。ただ、そんな侵食も今や一部の歯車がぎこちなく回るのみで、整然とした動きは感じられない。

     

     故に、その下で瑞泉と向かい合った揺波は、意識から装置のことを外していた。
     勝利のためには、不要だったからだ。

     

    「…………」

     

     瑞泉も、揺波自身も、そして成り行きを見守る者たちも、訪れた静寂に身を浸している。
     相対する二人を囲むよう、瑞泉の背後には彼らの兵たちが、揺波の背後にはジュリアを始めとした仲間たちが、それぞれ位置していた。お互い考えることは同じで、本人たちに相手方が危害を加えないよう、警戒心を顕にしている。

     

     両陣営、賭ける物はあまりに大きい。
     だが、その行方を決する闘いなればこそ、この地に生きる者として最後まで見守る必要がある。神事を尊重する心と、万が一があってはならないという懸念が拮抗し、結果として遺恨なき決着を待つ舞台が出来上がっていた。

     

     

    「天音揺波、我らがヲウカに決闘を」

     

     宣誓する揺波。
     すると、ザンカから受け継いだ長大な斬華一閃が、一度桜と散り、再び彼女の手に収束していく。
     脈動する力はそのままに、天音揺波の刃となった斬華一閃は、今まで揺波が顕現させていたものよりも一回り厚く長く、けれどしっくりと手に馴染む。刃の重みと柄を握る手に伝わる温かさが、適度な緊張感と安心感をもたらし、勝利への意志を後押ししてくれた。

     

    「瑞泉驟雨、我らがヲウカに決闘を」

     

     対する瑞泉の手に、得物はない。自然体に構える彼は、しかし足元にわだかまる影を引き連れているような不気味な雰囲気を纏っており、神帯鎧も脱ぎ去ったとて、不足はないのだと気配で示している。

     

     静かに両者の意志と覚悟は出揃った。
     一方は、己の欲する世界のために。
     一方は、己の愛する決闘のために。
     未来を勝ち取るための闘いが、幕を開ける。

     

     

     

     


     彼我に挟まれた空間が、緊張のあまりに重く、硬く、横たわっている。今から一歩を踏み出さなければならないのに、揺波は静かにその開いた間合いを見つめるのみ。両者の意志だけが、既に剣戟の音を響かせているようであった。
     相向かうだけで、決闘の舞台は威圧の底に沈む。
     もはや達人の域を超え、練り上げられていく闘いの空気は神域に近づいていた。

     

     意を決し、じり、と右足を差し出す。
     二歩目は、より早く。
     だが、

     

    「っ……!」

     

     瑞泉から放たれる圧が、さらに強められ、一瞬足を止めてしまった。彼を恐れたわけではないが、揺波の内に宿る力が怯えているかのようだ。
     彼にとってそれは行動の始まりを告げる合図だった。緩く上にかざした左手の上で、収まりのいい配置を探すように、かちゃりかちゃりと何かを弄び始めた。その力の源と対峙したことのある揺波は、その動きがよくない結果をもたらすことを理解する。
     しかし、積極的な至近を選んだ揺波を、迸る黒い影が襲った。

     

    「ぅ、ぐ……」
    「そこで見ていろ」

     

     右手を突き出した彼の表情に、慢心などない。
     軌道を読みきれず、思わず結晶のみならず刀までも盾にしてしまい、揺波は前進する意志を軽くくじかれた形となる。
     決闘の場において、彼女はウツロやクルルの力に対して圧倒的に経験が足りていない。無形の影を駆使する攻め手の早さはひと目見ただけで驚異であり、自身の戦い方を体現するまでの苦境を瞬時に悟る。

     

     だが、天音揺波は最強の男の攻めをかいくぐったミコトである。
     それに及ばぬ攻めを前に、どうして彼女が怯むことがあろうか。

     

    「ふッ!」

     

     切り替えるように息を切って、飛び出すように前へ。
     襲い来る漆黒の闇が彼女の勢いを殺そうともがくが、貪欲に至近を求める揺波を止めるには至らない。ただ傷を承知で突き進むのではなく、鉛玉の雨を切り抜けたときよりも余力を残して、彼女は瞬く間に彼我の間合いを詰めていく。
     そして、足を両断しようと地面の影から生み出された刃を、巧みな足捌きで回避した揺波は、

     

    「やあぁッ!」
    「くっ……!」

     

     気迫と共に振った刃が、瑞泉の胸を切り裂いた。吹き出した結晶の破片に、有効打を確信する。
     と、

     

    「あ――」

     

     踏み込んだ足に体重を乗せていた揺波の身体が、僅かにぐらり、と傾きかけた。物理的な反撃を受けたせいではなく、どうしてか、くらくらと渦を巻いた思考が、次の一手への動きをかき乱したのである。
     それでも刹那の混乱を打ち破り、横薙ぎに二の太刀を浴びせんとするものの、瑞泉の腹に吸い込まれていくはずだった切っ先が、彼我の間に現れた影に飲み込まれた。

     

    「ふっ」

     

     手応えはなく、相手は滑るように一歩間合いを離していく。
     まるでそうくることが予期されていたかのような、抜かりのない受けだった。乱された思考も、未知の力なのかと思うと、次の一手を繰り出すまでに対策を練らなければならない。

     

     だが、天音揺波は最硬の男の守りを打ち破ったミコトである。
     それに及ばぬ守りを前に、どうして彼女が躊躇うことがあろうか。

     

    「あ、がぁぁっ!」

     

     お返しとばかりに、揺波の全身を電撃が焦がす。
     揺波の攻めを受けてなお、瑞泉からは焦りも迷いも感じられなかった。彼の攻めも守りも、最高と評するにはいくらか物足りない。けれど、それすらも予定調和だとばかりに、瑞泉は淡々と手中の次の動きを進めていた。

     

    「ふぅー……」

     

     揺波の頭は、それこそが瑞泉の強さであるとはじき出す。
     彼が達人の域に確実に至っているであろうことは間違いない。しかし、龍ノ宮が攻めを、古鷹が守りを極めたミコトであるように、瑞泉が分かりやすい技を極めているわけではない。

     

     彼が極めたものは、決闘の盤上にはない。
     己自身をも駒とし、結果への道筋を淡々となぞるその冷徹なまでの戦略こそ瑞泉驟雨の武器。無駄が生じるはずの立ち回りを一切の無駄なく完遂する達人の動きすらも歯車とする様は、勝利を生み出す完璧な構造を体現しているかのようだった。
     個々の動きでは劣っても、龍ノ宮や古鷹を超える強敵に違いない――一合交えただけで、揺波にはそう思えてならなかった。

     

    「どうした?」
    「…………」

     

     問う瑞泉の声に嘲りの色はない。間髪入れずに迫るという予測が外れてしまったではないか、とでも言うようだった。
     ずっと同じ調子で戦い続けてしまえば、彼の勝利に組み込まれてしまう。ザンカと共にこの場に立っているような境地であってもなお、揺波は勝ちを確信することができず、再び肉薄するための力を脚に溜めるのみだった。

     

     と、そんな揺波の焦りを溶かすような、斬華一閃のものではない温かさが、彼女の手に広がった。

     

    「あ……」

     

     左手のぬくもりに、励まされている。
     どこか子供らしく手を引っ張って、わたしもいることを忘れないで下さい、と主張されているかのようで、決闘の最中だというのに、揺波の顔が仄かに緩んだ。

     

    「お願いッ!」
    「む……」

     

     ホノカの力をいざ振るう。桜色に棚引く旗を顕現させた揺波は、力を送り出すように瑞泉に向かって旗を振る。
     その勢いや、風を切る音すら聞こえるほど。
     しかし、

     

    「なんだ……?」

     

     旗の軌跡から飛び立った、手のひら大の桜の精の動きはいかにも弱々しい。ぺちり、と念を押して突き出された瑞泉の結晶に阻まれ、相打つように光と消え、そして揺波の元へ戻っていった。
     大仰さとは裏腹に、決定打とは程遠い一撃に瑞泉の眉がひそまる。しかし、揺波の瞳は失望で彩られたりはしておらず、ホノカへの信頼に強く輝いている。

     

    「なら」

     

     それを見てか、警戒心を強めた瑞泉は、影を引き連れるように動く。
     安全圏に逃れるように後方へ向かったのではなく、彼が志向したのは前だ。

     

    「な……!」

     

     一気に間合いを詰めてきた瑞泉に、慌てて揺波が斬華一閃を顕現し直す。彼は途中で影から作った大鎌を手に収めていたが、実際にそれを振るうことはなかった。左手は相変わらず絡繰を弄んでいるため、そもそも満足に振れるはずもない。
     刀を持つ相手に対して、遠距離戦が行える者が自ら接近するのは一見して異常。しかし大鎌の柄を盾にするように突き出して鍔迫り合いを仕掛けてきたことから、近すぎる間合いでは刀も盾にしかならないことを瑞泉は熟知しているようであった。

     

     前方への脱出を大胆に選べる者は、それだけで強者足り得る。
     巧妙な動きを絶やさない瑞泉を相手に、時間をいたずらに生み出すこの超接近戦を続けるわけにはいかなかった。
     ただ、やや状況は異なるものの、揺波はこれに近しい場面に遭遇したことがある。
     最強の守りすら一度は崩した手を、迷いなく選択する。

     

    「……!」

     

     体内に溜め込んだ気を、肉薄する瑞泉が悟るほどに膨張させる。相手を圧し、その守りを吹き散らす威風は、計算された立ち回りに楔となって打ち込まれるだろう。
     僅かに顔を顰める瑞泉を窺いながら、揺波はさらに次の一手を考える。
     しかし、やはり彼に焦りはなかった。

     

    「全ては欺瞞」

     

     

     そう呟くと、青白く輝く奇怪な紋様が彼の周囲に浮かぶ。
     限界を迎えた揺波の気が、それごと吹き飛ばさんと破裂の瞬間を迎える。
     だが、

     

    「え……」

     

     威風が、現れない。
     溜め込んでいた気がどこかに消えてしまったかのように、何も起きなかった。
     そして、対抗するだけの力を使われたのだと瞬時に切り替えようとした揺波は、眼前の瑞泉の姿が歪んでいることにも気づく。音からしてそんな動きはしていないはずなのに、前後に行ったり来たり、距離感がまるで掴めなくなっていた。

     

    「くっ……」
    「土産だ」
    「ぐ、ぅあぁっ、あがぁ……!」

     

     やむなく打ち払って引こうとした揺波めがけ、冷徹に追い打つような雷撃が迸る。しかも、先程とは違い、二度焼かれることとなった。
     それでも刀を降ろさないまま、しびれる身体をおして瑞泉を正眼に据える。彼の周囲に広がった紋様は、余韻も残さずに消え去っていた。役割を果たしたからか、時間に限りがあるのか、もう視界は元に戻っていた。

     

     攻めは看過できる水準まで抑えられ、防ぐことの叶わない不可避の雷撃で身を焼かれる。揺波の懸念通り、彼の勝利を生み出す頑強な仕組みに飲まれてしまっていた。
     彼の勝利に盛り上がりなど必要ない。このまま淡々と傷を広げ続け、淡々と倒し切るのだろう。

     

    「これ、から……!」

     

     決意を示すよう声に出し、歯を食いしばる。
     瑞泉流の決闘を打ち破るには、どこかで爆発を起こさなくてはならない。

     

     

     

     


     刀は引き斬ることによって鋭利さを発揮できる武器である。正確には、そう振るうように作られている。故に、想定された彼我の間合いを逸すれば、なまくらの斬撃を繰り出すことになってしまう。
     しかし一方で、刀とは刃だけからできているものではない。十分な質量と硬さを備えたそれは、ある種の鈍器とも言える。

     

    「たッ!」
    「おぉっ!」

     

     切り結ぶかと見せかけ、切っ先を地面に向けた揺波は、斬華一閃の柄頭を至近の瑞泉の顔めがけて繰り出した。
     阻まれることなく吸い込まれてった柄頭は、瑞泉がわざと結晶の盾をどかしたためである。衝撃の反動を利用しながら一歩、二歩と下がりつつ、正しい刀の間合いにて斬撃を放つ。

     

    「無駄だ」

     

     再び、影が切っ先を飲み込み、振り切った勢いを逃しきれない。しかも、その動きに連動するかのように、猛烈に歯車が回転する音が響いたかと思えば、瑞泉は己の脚も動かさずに離したばかりの間合いを再び詰めてくる。
     古鷹に攻撃をいなされ続けたときのような絶望感はない。だが、細々とした攻撃は甘んじて受け入れてもらっているが、瑞泉は一向に致命的な隙を見せない。勝負の行方を左右するような大技を、彼は明確に警戒していた。

     

    「あっ、ぐぅ……!」

     

     再三の電撃に膝が折れそうになる。
     天守閣での戦いのような、天より雷を呼び出すほどではないにしろ、瑞泉の手中より迸る雷撃の回数は異様なほどに多かった。この中では、気で圧する間隙もろくに見いだすことができない。
     序盤でついた差を、どうしても取り返せない。
     歯がゆさが広がる中、体勢を立て直す猶予を作ってもらうように、心の中でホノカのあの光を求める。左手付近から飛び出していった桜の精が、彼の視界を塞ぐように顔面めがけて体当たりを敢行する。

     

    「ふん……」

     

     やはりそれは容易く防がれてしまい、構え直すだけの時間を揺波にもたらしただけであった。
     けれど、その大きさ。
     光の姿のホノカと触れ合っていた揺波には、桜の精が先程よりも大きくなっていることに気づいた。

     

    「あ……」

     

     それを裏打ちするかのように、左手に生じたぬくもりが広がっていく。
     苦境を共にし、支えてくれる頼もしい想いが、揺波の焦りを溶かしていった。

     

    「任せて下さいっ!」

     

     と。
     今度は確かに、そう聞こえた。
     まごうことなきホノカの声が、揺波さらに奮い立たせる。
     信頼の果てに選んだのは、刀も届かぬ間合いへの全力後退であった。

     

    「うん?」

     

     油断は見せないものの、訝しげな瑞泉。構うことなく、降り積もった桜の塵を巻き上げながら、華麗な足運びで距離を離す。取り残された盾の結晶に惜しさを感じつつも、防げない攻撃を繰り出す相手を前に、防御を薄くしたところで問題ないと直感していた。
    接近して、打ち合うのでなければ。
     もはや熱いとすら言える左手は、高まる力を示してやまない。

     

    「行ってッ!」

     

     合図と共に、一気にその力を放出する。
     桜の光が精霊の形に収束し、反動すら感じるほどの勢いで瑞泉へ突撃する。その姿は先程よりもさらに一回り大きく、纏う光はなお力強い。

     

    「ぐおっ!」

     

     反射的に身体を傾けての回避を選んだ瑞泉だったが、桜の精はそれを許さない。自分の意志で喰らいつくように軌道を修正し、弱々しかったことが嘘のような強さで彼の腹を打ち据える。
     散って戻ってくる光は、戦局に一石を投じた誇りを胸に、凱旋するかのようだ。

     

    「チッ……」

     

     ふらついた身体を立て直し、瑞泉がこの決闘で初めて苛立ちを顕にした。
     だが、

     

    「ふっ、ふはっ……ふははっ……!」

     

     煩わしさすらも飲み込む大きな感情が、獰猛さを帯びていく笑みに現れる。
     乱れた髪をかきあげる彼の瞳は、暗闇に潜む獣よりもなお妖しく光っていた。待ちわびた獲物を前に、狂気すら滲んでいるようだ。

     

    「そうだ、それだ……あんな弱々しいものではない……! その純然たる力こそ、謳われしヲウカの力!」

     

     彼には今、自分も他人もない。揺波にさえも焦点は合っていない。
     あまりにも大きすぎる野心に突き動かされる獣こそ、瑞泉驟雨。成就のために求めていた力を前に、今までずっと理性で蓋をしていた動力源が暴れだしている。

     

    「それを私に寄越せ、天音揺波ァ!」

     

     感情の赴くままに叫ぶ瑞泉が、二条の電撃を放つ。再び懐に潜りこもうと前進する姿は、理性にどうにか操られてさえいなければ、妄執に取り憑かれたようにしか見えなかっただろう。

     

    「っ……! お、ことわりですッ!」

     

     意志と反して雷に怯む身体を無理やり起こし、迫る瑞泉を見据える。
     彼女の体内に残された結晶は少ない。時を刻むように淡々と襲い来る雷撃は、瑞泉という機構が健在である限り、揺波の敗北の瞬間をも告げることだろう。
     けれど、すなわちそれは、敗北の刻を見定めることができるということ。
     今だからこそ、決死の執念を見せるとき。逃すことのできない機を掴み取るため、意志を燃やし、斬華一閃を強く握りしめる。

     

    「それにこの子は――」

     

     腰だめに構えた刃の腹に、桜の光を纏わせた手を添えて。
     稲妻に散らされた全身の力を総動員し、相手を討ち果たす底力を捻り出す。

     

    「ぽわぽわちゃんですッ!!」

     

     

     放たれる居合は、揺波の意志のように強く、鋭く、敗北をもたらす全てを両断する力となる。
     その勝利への執念の結晶を前に、瑞泉は、

     

    「知ったことかぁぁぁぁぁ!」

     

     さらに前へ、持てる結晶を全て動員し、強固な盾を構えて踏み込んだ。桜花結晶の輝きは、無慈悲にも揺波の意志を受け止めて、一拍遅れて生じた剣風で吹き飛ばされていく。
     全力で刃を抜き払った揺波は次なる行動に移りきれず、計算と覚悟の上で飛び込んでいった瑞泉は、ほんの僅かに生じた余裕によって影の波動を迸らせる。

     

    「っあ……!」

     

     なおも体勢を崩された揺波を前に、瑞泉が口を歪めて嗤った。手にした絡繰は、この先を暗示するかのように、ぴり、ぴり、と閃光を瞬かせている。
     その手を払うことすら、もう揺波にはできない。
     傾いでいく視界の中、残酷なまでに猶予を奪われたことだけを理解する。

     

    「これで終われよ、天音ッ! 今度こそォ!」

     

     もたらされる終焉に対して、守りは意味を成さない。満足な攻め手も見つからない。己にできることがどんどん脳裏から消え去っていく喪失感の果てでは、彼女が求めるものとは対極の概念が手招きしていた。
     でも、と揺波は自ら執念の炎を吹き消すことはしない。

     

     己が打てる手がなかったとしても。
     己に成せない勝利だったとしても。
     だからこそ、共に戦う相棒を最後まで信じ抜く。
     刃として振るったザンカの力でも届かなかったとしても、その左手に高まる力は信頼と、そして希望に満ちている。

     

    「お願い……ぽわぽわちゃん!」

     

     祈りというよりも、それは託すと呼ぶべき叫びだった。
     瞬間、舞台が桜の光に包まれた。

     

     

    「……!」

     

     手のひらに乗るような、可愛らしい姿形は過去のもの。
     光によって象られたのは、もはや人の形であった。身体を得たホノカに近いような、あるいは別の存在のような、桜の力が形を持っているということだけがはっきりと分かるその姿。

     

     現れたそれは、揺波を執念を受け継ぐように、瑞泉へと立ち向かう。
     負けないためではなく、勝つために。
     意志の宿った力が、最後の一手となって、解き放たれる。

     

    「な、あ……」

     

     自分が求めたものへ手をかけていた瑞泉に、これを受けるための手段はなかった。彼の守りは、既に欲望に喰われた後だった。

     唖然とし、言葉を失った彼は、迫る光の奔流に己の破滅を照らし出される。
     勝利を導く歯車はもう、動かない。

     

    「ちくしょぉぉぉぉぉぉっ!」

     

     獣のような慟哭が、桜の下に響き渡る。
     それも、光の中に飲み込まれた後には、塗りつぶされたかのように静まった。
     それが終わりの合図だった。
     決闘は、ここに決着を迎えた。

     

     

     

     


     敗北による動揺も、勝利の余韻も、観客からは湧いてこなかった。

     

    「なぜ、だ……」

     

     誰もがただ、膝をついて呆然と虚空を見上げる瑞泉の様子を窺っていた。あれだけ漂わせていた支配者の風格は消え去り、この敗北によって一瞬で全て失ったようにみすぼらしく見える。
     だが、彼の中で燃えていた野心は、燻るような惨めさであっても、未だ原動力のままであり続けたようだった。

     

    「貴様ら、何をしている……」
    「は……?」

     

     生気を失った目で、控えていた兵を見やる瑞泉。
     彼は理解を示されなかったことに激怒し、口から泡を飛ばして兵たちを怒鳴りつける。

     

    「天音揺波を捕らえろッ! 力を使い果たした今が好機、そんなことも分からないのか貴様らはッ!」

     

     無様だった。
     大家の長として君臨し、世を統べると謳った者の姿では決してなかった。
     しかし、手段を選んでこなかったからこそ、今日の結果があることもまた事実。彼の残った理性がはじき出した醜い正論は、どんなに無様であろうとも揺波たちが警戒しないわけにはいかなかった。

     

     咄嗟に、千鳥と佐伯が揺波へと並び、ジュリアを背中に隠す位置をとる。楢橋でさえも、彼らの後ろで複製装置を使えるよう構え、抵抗の意思を見せていた。
     泥沼の戦いが幕を開けるのか。そう悲観し、揺波が斬華一閃を握り直す。
     けれども、

     

    「おい……何故だ、何故動かない」
    「…………」
    「どうした、私の命令が聞けないのかッ!」

     

     悲鳴に近づいていく声を浴びせられたところで、瑞泉の兵が動くことはなかった。
     自軍の総大将が桜花決闘で破れたという事実は、兵の中にいるミコトの心を折るのに十分であった。直接襲うことも、重ねるように桜花決闘を挑むことも、選択肢から消えていたのである。
     そしてその諦観は、複製装置だけを持つ兵の恐れをさらに煽る。揺波の手にした斬華一閃の斬撃に身を晒すなど、到底できるはずもなかった。

     

     何より、ここでの抵抗は桜花決闘の定めに反する。
     実力差を理解してしまったという以前に、禁忌に近しい何かが、兵たちが武器を掲げることをよしとしなかったのである。

     

    「どう、して……」

     

     怒りで生じた力が、瑞泉から抜けていった。言葉を失い、兵たちもいたたまれないように沈黙を守り、意志が消えたようだった。
    それを見て、千鳥は手にした苦無を懐にしまった。

     

    「終わったな」

     

     揺波に笑いかけ、揺波もまた疲労をおしてはにかんだ。
     弛緩した空気が流れかけ、揺波たちは勝利を手にしたという事実が染み渡ってくる感覚を覚えていた。
     と、そんな彼らの耳に、砂利を踏む足音が割り込んだ。
     一瞬にして戻った緊張感の中、彼らの視線の先にあったのは、小さな影だった。

     

     ウツロ。
     揺波たちを苦しめたメガミが、ここに来て現れたのだ。

     

    「ソンナ……」

     

     絶句するジュリアに賛同するように、顔を歪めて身構える佐伯と千鳥。
     ウツロはまさしく満身創痍を体現したような姿で、その衣服のあちこちが避けていた。ふらふらと歩いてくる彼女の一部からは、砂のように細かくなった桜の光が宙に溢れている。
     しかし、メガミが立っているというそれだけで、状況がひっくり返る。
     僅かに残った力とて、人々を屠るには十分なはずなのだから。

     

    「ウツロ、ウツロッ!」

     

     地に手をつき、すがりつくような声で瑞泉は彼女の名を呼んだ。
     ただ、この場で一人だけ、ウツロのことを新手だと認識しなかったものがいた。

     

    「おい天音、何やって――」
    「もう、やめてくれませんか」

     

     揺波は、おぼつかない足取りのウツロを、瑞泉からかばうように立つ。這いつくばって懇願する瑞泉に対して抱いた憤りをぶつけるように、彼を威圧する。
     瑞泉には、彼女の行いが理解できなかった。敵どころか、最も恐ろしい存在に無防備な背中を向けるその神経が、分からなかった。ただ、自分の理屈を超えていく彼女に反抗する気力を失い、呆然とするだけだ。
     ざり、ざり、と近づいてくるウツロに、揺波は敵意のなさを伝えるように、優しく呼びかける。

     

    「ウツロさん」

     

     けれど、その先を続けることはできなかった。
     間近で見たウツロの様子は、死に体であることを除いても、なお異常であった。

     

    「え……」

     

     空虚だった瞳に、色がついている。
     その色は、恐怖――ここになって、彼女の心が塗りつぶされ、瑞泉にも揺波にも反応していないことを悟る。
     ウツロは、間違いなく何かを見ていた。
     ここにはない、誰にも分からない、何かを。

     

    「負け、たの……?」

     

     ぽつり、自問する。
     揺波の脇を、素通りしていった。

     

    「嫌……負けるのは、嫌……」

     

     戦慄く口で、怯えを訴える。
     小さく手にすがりついた瑞泉を、道に飛び出た枝であるかのように無視していった。

     

    「もう、何もない中で――」

     

     ふらふらと、ただ導かれるように。
     彼女の足取りは、翁玄桜の根元へ収束する。そこにはただ、ジュリアたちが破壊した神渉装置の残骸が静かに鎮座しているだけだった。

     

     だけの、はずだった。
     終わりを迎えた、はずだった。

     

    「ずっと一人なのは……嫌っ!!」

     

     

     激昂に賛同するように、動かないはずの神渉装置が悲鳴を上げる。
     ガタガタと、無理を通すように。
     絞り上げた命脈が、再び顕現する悪夢を想起させる。

     

    「な、なんでだよ……どうしてだよ……」

     

     後ずさる千鳥が、小石につまずき、尻もちをついた。
     誰の目にも分かる、神渉装置の再稼働。それを何より否定したがっていたのは、装置を破壊した張本人であるジュリアである。

     

    「アリエナイ……もう、動くハズありませんッ!」
    「で、でも、どう見ても――」
    「アリエナイんです! 動くことも、あのパーツが、ああやって動くことも!」

     

     目の前の光景を受け入れられないジュリアをよそに、翁玄桜の上部に取り付けられた巨大な歯車たちが崩れ始める。ズゥン、と巨大な質量が地を揺らし、これが紛れもなく現実であることを突きつけた。
     そして、壊れた歯車を追って桜の根元に目をやった者は、根元に落ちた影がだんだんと澱んでいく様を見てしまう。

     

     そして、闇は広がる。
     桜に最も近いウツロを飲み込むように。

     

    「ウツロさん……ウツロさんッ!」
    「ウツロ……頼む……! 私の、世界を……! ウツロォッ!」

     

     揺波は説得するように、瑞泉は懇願するように、それぞれ叫ぶ。
     だが、その声は彼女には届かない。

     

    「いやーっ! ぎゃーっ! 死ぬーっ! オレっち何も悪いことしてなーい!」
    「う、うわあぁぁぁ! 逃げろーッ!」

     

     溢れ出した恐怖に、悲嘆に暮れ、逃げ惑う。
     だが、その声も彼女には届かない。

     

    「ドウシテ、ですか……なんで……!」

     

     ジュリアの困惑も、届かない。
     彼女にとって、それは雑音でしかなかったのだから。

     そして影が、ウツロへと至る。

     

    「あ、ああぁぁぁぁぁぁ――」

     

     絶叫は、途絶えた。
     瞬間、広がっていた影は一度翁玄桜の根元へと戻り、そして破裂したかのように急速に広がった。

     

     揺波たちを、飲み込むように。
     否――この地を、飲み込むように。

     

    「は……?」

     

     しゃら、しゃらと、結晶の擦れ合う音が、洪水のように響き渡った。
     理解を越えた事象に、誰もが絶句する。

     翁玄桜が、散り始めていた。

     

     

     


     この日、大地から光が消えた。
     月明かりだけに照らされるこの地は、あまりにも暗かった。
     人間も、ミコトも、メガミも、影に飲まれた世界で、ただ悟る。
     終焉の訪れを。

     

     

     


     天音家が残した数少ない桜。在りし日を思い出させるその桜を前に、一人の女中は膝をつく。

     

    「あぁ……あぁ……っ!」

     

     無慈悲に散りゆく様を前に、彼女は嘆き、主の姿を反芻した。
     天音揺波が初めての決闘で勝利した、あの日のことを。

     

     

     

     


     遠く旧龍ノ宮城敷地内に毅然と立っていた桜が、風にその花びらを舞わせている。

     

    「おーおー、なんかえらいことになってんな」

     

     この地に顕現したメガミは、言葉とは裏腹に、真剣な眼差しでその光景を目に焼き付けた。
     そして紅の閃光と共に、彼女は何処かへ飛び去っていった。

     

     

     

     


     御冬の里からさらに北進した果てにある、極寒の大地。

     

    「ふむ……」

     

     吹雪に押し流されていく桜の結晶に、女は険しい顔を作っていた。
     散った結晶の輝きが失われていく中、雪の灯りすらも頼りにならない闇へ、彼女は歩きだしていった。

     

     

     

     


     仄暗い古鷹山群で光となっていた桜が、力を失ったように枯れ枝を見せつつあった。

     

    「オボロ様……一体何が……」

     

     任務を果たし、帰還した楠坂は、震える手で忍の里の桜に触れる。
     温かみなど微塵も感じない終の気配に、彼は決戦の地へと目を向けるしかなかった。

     

     

     

     


     古鷹邸。白金滝桜があった大舞台は今、影の底に落ちていた。

     

    「我々に、どうしろというのだ……」

     

     人智を超えた現象に、指示を出さなければならない叶世座座長・仲小路も、立ち尽くす他ない。
     舞台の向こう側に見えるただの細枝が、栄華の果てのようであった。

     

     

     

     


     揺波たちを見送る立場であった者共も、不吉を極めたような現象に呆然としていた。瑞泉領までほど近い平原にぽつんと生えた神座桜はもう、一切の無駄なく禿げ上がっていた。

     

    「オ、オボロ様……儂だけは、儂だけは助けてください……!」
    「お、おおおおいずりーぞおっさん! 俺様のほうが助かるんだ!」

     

     大の男たちにすがりつかれるも、オボロはその異様な光景に目を奪われていた。
     畏怖を隠しきれない彼女の頭の中では、一つの可能性が踊っている。けれど、それが正しかったとて、最悪の発現でしかない。考えることをやめそうになるくらい、あまりにも絶望的な可能性だった。

     

    「は、はは……」

     

     オボロの指先で、結晶たちが塵となり、空気に解けていった。

     

     

     

     


     そして、往時の華美を忘れたかのように散った翁玄桜。結晶の最後の一片に至るまで無に還っていった今、枝が徒に夜空を覆い隠すのみ。色あせ、命を失ったような様子は、まるであの遺構に佇む花無き桜の再現のよう。
     揺波たちに、この現象が全土で起きていることなど知る由もない。
     だが、一本が失われただけでも這い上がってくる夜闇は、それだけで前代未聞の事態が起きたと認識させるには十分であった。

     

     その下で、影は、佇んでいた。
     ウツロを依代とするように集った影が成す人の姿。

     

     

    「…………」

     

     ただ虚空を見つめるソレの容姿は、一見すればウツロが人のように成長したものに近い。齢にして、3か4を加えたあたりだろうか。
     背中に生えた影色の四枚翅がより大きくなっていることも、衣服に刻みつけられた渦を巻いたような紋様も、ともすれば装いを変えただけだと逃避できるかもしれない。

     

     けれど、彼女から溢れ出す圧倒的な力は、元のウツロよりも、他のどんなメガミよりも強大だった。この場の誰もが、彼女は決定的に変わってしまったのだ、と理解せざるを得ないほどに。
     あるいは、これこそが本当のウツロなのかもしれない。
     謳われし存在が真なる姿で降臨した――そんな可能性が、皆の脳裏をよぎる。

     

     終焉をもたらしたその影は、焦点の合っていない瞳で世界を見渡す。揺波も、瑞泉も、誰であっても平等に、風景の一部であるかのように見ていた。

     

    「ぁ……」

     

     揺波は、動けなかった。いや、揺波のみならず、皆一様に動くことができなかった。
     各々、これが畏怖によるものなのか、それとも恐怖なのか、あるいは絶望なのか、判じることはできない。彼らに分かるのは、それらの感情の坩堝と化したここにおいて、あの影だけは自由であるということだけだった。

     

     そして影は背中の翅を羽ばたかせ、なにかに導かれるように飛び立っていった。
     真の闇に落ちた、世界へ。









     このようにして、英雄たちは勝利した。
     氷雨細音はまだ人に近く、それでも人から外れた存在として英雄たちを助け、いよいよ完全に座へと至った。
     闇昏千影は縁を辿り、絆を紡ぎ、そして仲間と共に友を助けた。彼女もまたその果てに、メガミの座へと至ることになったね。
     サリヤ・ソルアリア・ラーナークは自らが仕える者のため奮迅し、その末に彼女も至った。しかし、あのような異常な侵入になるとはカナヱですら予想はできなかったよ。
     そして、天音揺波は力を受け継いだ。師であり、最後の刹那だけは並び立つ戦友だった彼女から、桜花決闘を愛する友として、ね。瑞泉驟雨との最後の決闘は、見事だったと評するほかないだろう。

     四人の英雄は決意を貫き、巨悪を打ち破った。


     だが、まだ物語は終わらない。
     終焉の影は目覚め、この地全てを揺るがす最後の戦いが始まる。

     さあ、物語を最後の段階へ――桜降る代へと進めよう。
























     ひとつだけ、カナヱの助言も聞いてもらおうかな。
     君のことだから、心躍らせているんだろう?



     

     

     

     

     






     異相の技のことは、カナヱも聞き及んでいるよ。
     君はカナヱと共に神話を辿り、この時の彼女へと至った。
     まさかとは思うけれど、宿そうなどとは考えていないよね?

     図星かい? まあ、止めても無駄なのだろうね。
     だが、終焉の影は君の想像を超えて危うい存在だ。



     ならばせめて、死を越えて、塵すらも残らぬ――

     無への恐怖を知っておくことだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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    『桜降る代の神語り』第四章

    2018.11.08 Thursday

    0

       

      第54話:口火

      第55話:佐伯識典

      第56話:熱意と冷酷の都

      第57話:激震の時

      第58話:大乱戦、再び!

      第59話:潜入

      第60話:狂気の坩堝

      第61話:メガミマンVSメカゴジョー

      第62話:サイネ新生

      第63話:影の中枢へ

      第64話:瑞泉驟雨

      閑話:ある最後の閑話

      第65話:絶望を砕く災禍

      第66話:闇昏千影

      第67話:サリヤ・ソルアリア・ラーナーク

      第68話:斬華一閃

      第69話:決戦

       

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      2018年11月禁止改定

      2018.11.05 Monday

      0

         私どもはバランス調整の宣言と、それに基づく理念に従い毎月第一月曜日にカードの禁止改訂を行います。この記事はその2018年11月のものです。禁止カードを出すことそのものについて疑問や不安を感じる方は、こちらよりリンクしている宣言か、それを要約した理念をご一読いただければ幸いです。

         

         

        2018年11月禁止カード

         

        全体で禁止

        Thallya's Masterpiece

         

        トコヨ/ユキヒで禁止

        二重奏:吹弾陽明

         

         これらの禁止はシーズン2の間、即ち11月下旬まで継続し、『第弐拡張』でのカード更新を通して解除されます。

         

         こんにちは、BakaFireです。実に一昨日の11月3日、シーズン2を締めくくる大規模イベントが福岡にて開催されました。これで環境が全て明らかになったとはとても言えませんが、ひとまずの結論が出たと言えるでしょう。
         
         それらを踏まえ、素晴らしいことに上記の禁止カード一覧は10月のものから変更させる必要はないと判断できました。より細かいシーズン2への総評はシーズン2から3へのカード更新の記事で行うものとして、ここでは簡単に報告いたします。
         
         
        禁止カードを出さない理由を軽く

         

         今回、禁止カードを出さない理由は簡単です。11月24日と25日のゲームマーケット2018秋にて『第弐拡張』が先行頒布され、併せてシーズン3へのカード更新も行われます。それゆえに今月に禁止カードを出してもすぐに更新されて解除されるため、いたずらに混乱を招くだけとなってしまいます。
         
         前回のシーズン1ではこのような理由を破り、私どもは「Thallya's Masterpiece」をシーズンを跨る形で禁止としました。それは私どもの力不足ゆえにサリヤの強さを十分な速さで認識できず、シーズン2へのカード更新で彼女への調整を十分に行えなかったためでした。
         
         今回は喜ばしいことに、このような過ちを繰り返すことはありませんでした。大規模イベントも終わったため正直にお話ししますと、シーズン2のバランスは良好ながらも、そこには改善すべき点もまた存在します。しかしその中で急ぐべきと考えている点には、全て次のシーズンでのカード更新で手を入れられております。
         
         
         本日は以上となります。次回の禁止改訂は12月3日(月)となりますが、こちらでも禁止カードの追加は行わないつもりです。なぜなら『第弐拡張』の発売から近すぎるため、環境の研究が禁止を考慮するに値するほどには進んでいないと予見されるためです。このようなタイミングでは一見して危険性があっても、それが誤った判断である可能性が十分に高いのです(※)。

         

        ※ 例えばシーズン2の最初期においてバランス調整チームではヒミカA/オボロが話題に上がりましたが、実際はまったく問題のないデッキでした。

        『桜降る代の神語り』第68話:斬華一閃

        2018.11.02 Friday

        0

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           ひとつの英雄譚が幕引きを迎えても、この物語の舞台は一つじゃあない。
           最後の英雄・天音揺波。そして、狂える武神・ザンカ。
           二人が刃を振るうそれぞれの舞台もまた、結末に向けて収束していく。

           

           さあ、剣戟高鳴る二人の行く道を、今こそここに語ろう。

           

           

           

           


           晴れの夜空の下、瑞泉城の一画は霧で澱んでいた。水霧などではないことは、薄墨を垂らしたような灰色で地表を塗りたくっていることからも分かる。
           それは、尋常ではない量の桜花結晶が、砕けに砕け、空気に混じった光景だった。どうにか形を残している結晶も、積もることを許されずに舞い上がっている。宵闇の底にあって、そこは命の行き着く先であるかのように色を失っていた。

           

           ウツロとザンカは、その死地にて未だ打ち合っていた。
           荒げた息も、あちこち穴の空いた地面も、死闘を物語る要素ではあるものの、人間には血の赤が見えなければ、凄惨という印象は受けないかもしれない。
           だが、メガミ同士の戦いとはすなわち、桜の力によって維持される顕現体の破壊を意味する。
           この場に漂った塵全てが、彼女らが失った血肉に他ならないのだ。

           

          「はぁ……あぁッ!」

           

           突進して切り込んで来るザンカに対し、ウツロは影の大鎌を真正面から地面に突き立てる。その切っ先はザンカを捉えることはなかったが、突き立った刃を支点として、ザンカを跳び越すように己の身体を宙に打ち上げた。
           眼下に見るザンカを狙うよう、ウツロは手をかざす。漂っていた塵が、ザンカの周囲で色を濃くしていく。
           しかし、たった数秒といえど、時間をかけて絡め取るだけの猶予は存在しない。
           壮絶な衝撃の踏み込みによって勢いを殺したザンカが、己の頭上を越えようとしていたウツロへ急反転して飛びかかった。

           

          「……!」
          「ァウガァッ!!」

           

           猛烈なザンカの切り上げに、咄嗟に大鎌を再形成して振り下ろす。
           刀から発したとは思えない鈍い音と共に、二柱が宙で静止する。ただ、ウツロはそこで一時的に大鎌を塵に還し、ザンカが勢い余って空を切り裂こうとする中、崩した体勢を整えるべく着地する。
           そこにきっと、油断はなかったのだろう。
           反転し、無防備になったザンカを切り裂こうと構えたウツロは、

           

          「ぎ、ぃっ……!?」

           

           左腕を深くえぐった大質量に、思わず一歩たじろいだ。
           ウツロのすぐ隣に、ザンカの投げつけた刀が突き立っていた。不利な体勢を憂うのではなく、ザンカは追撃の一手を選んでいた。それどころか、彼女はウツロの隙に乗じて、無手のまま再び飛び込もうと駆け込んでいさえする。
           痛みを堪えるウツロが、今度こそ無防備になったザンカめがけて影の刃を地面に走らせる。避けようともしない進撃に両脚から大量の結晶が溢れ出すものの、蒸発した理性はただ前を目指すのみ。

           

           果たして、再び刀を手にしたザンカの間合いからウツロは脱し得なかった。
           影で編んだ壁を肉厚の刃が両断し、叩きつけた地面から凄まじい風が迸る。

           

          「うぐ……!」

           

           全力でその場から飛び退くウツロ。そんな彼女の目に、ザンカから遠ざかる膨大な塵が映る。
           すかさず、次の一歩の代わりに地面に落ちた影へウツロは飛び込み、一拍経って現れた彼女は、背中に生やした二対の闇色の翅を大きく羽ばたかせ、一気に人の手の届かない上空へと舞い上がる。
           本来ならば、弓でもなければ手のだしようもない安全圏。
           しかし、謳われし者たちの戦いにおいて、その程度の彼我の距離で安心を得ることはできない。

           

          「……っ」

           

           眼下に置いているはずなのに、ザンカから立ち上る気配にちりちりと焼かれる錯覚がウツロを襲った。
           これまでのザンカも、恨みを練り上げ、怒りを纏い、己の理性すら既に刀の錆にしてしまったような、常人では御し得ない気配を振りまいていた。だが、ウツロを見上げるザンカは今、狂人の慟哭すら内に秘し、これまでの狂気すら生ぬるいと告げるように、恐ろしくおぞましい気配を高めていた。

           

          「斬華六道――獄」

           

           声は、ないはずだった。
           けれど、そう宣言されたと感じ取ったウツロは、爆発的に膨れ上がったザンカの圧気に飲み込まれてしまう前に、決意していた力を先に放った。

           

          灰滅 ヴィミラニエ ――!」

           

           桜花結晶は、塵に。
           力ある者は、世界に積もる灰と共に。
           存在の根幹を奪い去るウツロの権能が、ザンカをザンカ足らしめているものを塵と散らせる。ただ手をかざしただけで、ザンカの全身からとめどなく色を失った結晶がこぼれ始めた。
           だが、

           

          「……!?」

           

           ザンカの気迫は潰えない。
           ただ真っ直ぐ、今から切り捨てる者を見定めるように刃を構え、脚に溜めていた力を解き放たんとしていた。
           ウツロにとって、直接塵化してなお止まらないというのは予想外だった。ただ、それでも致命に足る一撃である確信はあったため、ザンカの次の一撃を捌きえすれば問題ないはずだった。受けきれる自信がなくとも、躱せばそれで終わりのはずだった。

           

           ザンカの構えた刃の切っ先が、微妙にズレていることに気づくまでは。
           存在を賭して相手を屠る一撃であることは間違いない。
           けれど、ウツロは激戦の中で失念していたのだ。
           門番として、怨嗟振りまくザンカの侵入を阻止していたことを。

           

          「はっ……!」

           

           背後には、瑞泉城が静かにそびえていた。
           ザンカの一撃は立ちはだかるメガミを殺すためのものではなく、それすら超え、怨敵のいる瑞泉城そのものを破壊するためのものであった。
           故にウツロは、回避を選択することはできなかった。

           

          「オ……アァ……ッ――」

           

           臨界を越え、ザンカの禍々しい気配が赤黒い波動となって彼女から発される。
           直後、ザンカは消えた。僅かして、彼女の立っていた地面がクモの巣状にひび割れ、陥没した。

           砲弾のように飛び出したザンカは、ただの障壁であるウツロめがけて、一直線に突撃する。

           

          終末 カニェッツ ――」

           

           その一声で、瞬く間に城を覆うような巨大な影の壁が展開される。真正面から受け切るのではなく、左手に力を逃がすように傾けて。
           激突は、一瞬だった。

           

          「う、ぐぁっ……!」

           

           壁で吸収しきれなかった衝撃は、主たるウツロへと伝わる。弾かれたように吹き飛ばされた彼女は、その小さな身体を何度も地面を跳ね、門の前に転がされた。影の壁の残骸は、不甲斐なさを詫びるように空気に溶けて消えていった。

           

          「ウ、アゥ……」

           

           足をもつれさせながら降り立ったザンカに、先程までのおぞましい気配はない。威力こそ完全に殺されたが、邪魔者であるウツロは、意識こそあるものの立ち上がることさえできない。それを理解したのか、ザンカは荒い息を乱暴に吐き出した。
           そして、狂えるメガミは守り手のいなくなった門を越え、城内へと駆け出した。
           後にはただ、土のついたメガミだけが横たわっていた。

           

           

           

           


           時は遡り、天より降り注いだ雷が揺波を焼いた天守閣。
           持てる力、そして与えられた力を使い果たした彼女からは、身体に残っていた数少ない結晶が塵となってこぼれ出ている。視界の端を流れるその輝きに、丸腰となった揺波は思わず歯噛みする。

           

          「くくく……どうだ、敗北の味は?」

           

           嘲笑う瑞泉の頭上では、立ち込めていた暗雲が、雷鳴の余韻を残して散ろうとしていた。それを決着の余裕と捉える程度には、揺波の闘志は燃え尽きてはいなかったが、どんな手であっても抗えないだろう、という現実もまた見えていた。
           武器にできるものも、部屋の入り口に転がった普段遣いの刀くらいしかない。けれど桜の助けを失った今、メガミの力をふんだんに使う瑞泉相手に、それがどれほどの助けになるというのだろうか。

           

          「ま、だ……」
          「諦めが悪いのはいいことだ。だが……ふふ、私としても舞台を血に染める真似はしたくなくてね」
          「っ……!」

           

           愉悦に口を吊り上げる瑞泉を前に、何も言い返せない。
           勝敗は、決してしまったのか。
           揺波の理性が、残酷な答えに手を伸ばそうとした、そのときだ。

           

           轟、と。
           凄まじい衝撃が足元を揺らした。
           城の外で起きた、常識の埒外にある『何か』が、大地に楔を打ち込んだかのようだった。

           

          「なんだッ!?」

           

           動揺した瑞泉が、一瞬、窓の外に目をやった。
           揺波にとって、それだけで十分だった。
           彼に生じた隙をついて、全力で踵を返す。現実から導き出した戦略的撤退という結論を体現するべく、疲労に満ちた身体に鞭を打つ。

           契機となった破壊は、ここに来た味方の誰もが成し得るはずがない規模のものだ。けれど一方で、瑞泉の反応は揺波の不思議な感覚を後押ししていた。
           轟音の正体が、どうしてか分かったような気がする。
           根拠のないその予想は、敗北の絶望の中で小さな希望となって、未来への道筋を暖かく囁いてくれたようだった。

           

          「……チッ!」

           

           一拍遅れて逃走に気づいた瑞泉が、舌打ちと共に現した銃の引き金を引く。けれど脚を狙ったそれは床を抉るのみで、下へ続く階段に飛び込んだ揺波の足を止めるには至らない。

           

          「絶対に逃すなッ!」

           

           響く怒声を背後にした揺波は、辛うじて拾えた自前の刀を鞘ごと前に構えながら、先程辿ってきた廊下を戻らんとする。
           しかし、もう一つ下った先で、瑞泉の命に応えるように人影が現れ始めた。
           今まで不気味なまでに人のいなかった城内が、やはり不吉な幻であったかのように、逃亡を阻止するべく瑞泉の兵が続々と姿を見せたのである。

           

          「どい、てッ!」
          「がっ……!」

           

           さらなる階下への道を塞ぐように立ちはだかった兵を、刀の峰で殴打する。振り払われた棍をすんでのところで躱しての一撃は、相手を打ち払って廊下から追い出せたものの、瑞泉との戦いによる損耗のためか、威力の低下が著しい。
           と、僅かに足を止めた揺波を、冷ややかな空気が撫でた。

           

          「あぶ――」

           

           瞬時に今倒したばかりの兵に飛び乗ると、廊下の床が揺波のいた場所に氷が押し寄せるように凍りついた。
           ちら、と背後を窺えば、複製装置を装備した兵が追手に混ざっていた。常人であればどうにかまだ相手する余地があるものの、燃え上がる忍の里を思い出せば、メガミの力で武装した複数の相手と戦う愚は犯せない。

           

           階段への最短距離にも装置持ちの配置を確認すれば、正面突破を回避するのは自然なことだった。
           狭められていく人の網を食いちぎるように、一般の兵を薙ぎ倒して別の経路へ逃げ込むことを揺波は選ぶ。
           そこへ、瑞泉が叱咤する声が響く。

           

          「何故階段を固めなかった!」

           

           確実に同じ階にいると、揺波には理解できた。彼に追いつかれれば、抗いようのない敗北が待っている。

           

          「奴はもう力を失った、複数でかかれ! 絶対に殺すなよ!」

           

           けれど同時に、間近で飛ばされる指揮は、さらなる組織的な追跡の呼び声となる。ここが敵の本拠地である以上、地の利は完全に向こうにあり、繕った投網に絡め取られるのは時間の問題であった。
           なんとしてでも城から脱出しなければならない。この中で勝ち筋を見出すことはもはや不可能であり、希望を外に求めるための逃げ道を、今は辿らねばならなかった。

           

          「大丈夫……」

           

           か細い可能性を通す自分を鼓舞するように。
           順路を捨て、事前に千影に教えられていた隠し通路へ揺波は駆け出した。

           

           

           

           


           静かだろうが、騒がしかろうが、関係がなかった。

           

          「ィ……ンア、ァ……」

           

           がらがら、がらがら、と長大な刀を引きずるザンカは、物々しい雰囲気に包まれた城内へ、ふらふらと何かに導かれるように足を踏み入れた。
           彼女はただ、求めるものに忠実だっただけだ。狂気の論理に後押しされただけで。
           故に、厳戒態勢の敷かれた城内に立ち入るザンカは、中の事情など当然関知しているはずも考慮することもなかった。
           けれど、相手である瑞泉の兵は違う。

           

          「お、おい! と、とと止まれ!」
          「ア……ァ?」

           

           幽鬼のような、明らかに人ではない闖入者にも、兵は槍を向けざるを得ない。
           今まで姿を隠していた彼らには、表で繰り広げられていた超常の戦いの委細を知る由もない。けれど、度重なる異常な戦闘音は、一階にいた彼らを陰で怯えさせるには十分だった。
           それでも、義務が彼らの背中を押す。尖兵となった槍使いから離れ、二人の弓兵は既に震える手で矢を番えていた。複製装置という強力な兵装を身に着けている者も、例外なくザンカの気配に呑まれていたが、逃げ出すことはできなかった。

           

          「あっ、ああっ……! 止まれよぉぉっ!」

           

           恐怖が限界に達した槍兵が、無様な動きで槍を振るう。
           だが、本来なら刀を寄せ付けない槍相手であろうと、斬華一閃は容易くその刀身を届かせる。

           

          「ぎぁ――」

           

           悲鳴すらもかき消すように、雑に振り抜かれた刀の腹に打撃された兵は、近くの柱に打ち付けられ、ぐったりと倒れ伏した。
           歪な方向に斃れた首は、破滅への引き金となる。

           

          「うわあぁぁぁぁぁっ!!」

           

           恐怖の限界を迎えた弓兵が、歩みを止めないザンカに向けて矢を放った。
           錯乱状態での射撃がまともに当たるはずもなく、右肩を掠めようとした矢をザンカは小さく身体を傾けて回避する。それで相手を障害と捉えたのか、踏み込みのために床がみしりと鳴った。

           

           そこへ、複製装置を装備した一人の兵が、悲鳴を抑えながら小刀を構えザンカに肉薄した。恐れは、忍ぶための力にぎりぎりのところで押さえつけられていた。義務を果たした先に待ち受ける結末は、常人が受け入れられるものでは到底ない。
           ただ、彼がぞんざいに斬り捨てられるということはなかった。
           彼の小刀は、ザンカの左脇腹にそのまま吸い込まれていったのだ。

           

          「へぁ!?」
          「ァグ……」

           

           素っ頓狂な声が、凄絶な戦闘の始まりを予感させた場に響く。
           刺した彼自身も、他の兵たちも、意外さのあまり言葉を失い、恐る恐るザンカの様子を窺った。
           そのザンカも、その傷が意外なものだというように、兵を振り払おうともせずにぼうっと立ち尽くしていた。

           

           彼女の意識は、一瞬だけ、その間隙にあってまっさらになっていた。
           ……そしてその瞬間、誰も気づかない中、彼女に紡がれた不可視の糸が、ほんの僅かな間だけ、淡く輝いた。
           刀をきつく握りしめるその手に、そっと、手を重ねられたような。
           自分が本当に見るべきものへ導いてくれるような、そんな温かさが、荒れ狂っていたザンカの精神に染み渡っていった。

           

          「あ……」

           

           怒りを忘れたように、ゆっくりと一度、ザンカは瞬く。
           意識の戻った瞳が、痛みを追うように、小刀を突き込む兵を捉えようとしていた。

           

          「こ、こいつは手負いだッ! やれるッ!」
          「行けるぞ! 間合いに入らせるな!」

           

           兵たちにもまた思考が戻る。どれだけ恐ろしい相手であろうとも、刺突一つ避けられないような半死半生の状態であれば活路は生まれる。集団の利を活かせば、辛うじて手に負える水準の相手であると理解したのだ。
           しかもこれは、人智を超えたメガミを討ち取るという大業の好機が、目の前に転がってきたということでもある。

           

           希望と野心は、彼らの恐怖を上回ろうとしていた。
           一つ一つでは羽虫のようであっても、束となれば明確な壁となる。

           

          「おい、逃げたぞ!」
          「撃て! 撃て!」

           

           突然、がむしゃらに突き進もうとしていた姿勢を変え、ザンカは背を向けて城内の別方向へと駆け出した。小刀を刺した兵は気力を失ったようにへたりこんでいたが、他の者は現れた好機を逃すまいと、態度と一変させて攻撃の手を休めない。
           そのまま兵に構うことなく右へ左へと進んだザンカは、後ろを顧みることなく、二階へと続く階段を駆け上がった。
           迷うことなく、上を目指して。

           

           

           

           


          「おい、いたか!?」
          「いいや。だがこの階にはいるはずだ」

           

           床を蹴る音が、明後日の方向に去っていく。胸を大きく上下させる揺波は、それを曲がり角の向こうまで響かせないよう、袖で強く口を抑えていた。
           寄りかかった壁には、つぅ、と赤い線が床まで伸びていた。結晶の守りを失った彼女へ無数に刻まれた細かい傷が、じくじくと堪えきれないように吐き出した血は、致命傷を物語るほどではないにせよ、困窮を示すには十分であった。

           

          「ふぅーっ……」

           

           一息のうちにできるだけ長く移動できるよう、深呼吸一つしてから駆け出す。
           隠し通路の存在は、揺波が追手を翻弄するに足る要素であった。交戦を避けることで体力を少しでも温存し、それでいて階下へ進む助けとなる。稼いだ距離と時間は、孤立していた揺波だけでは決して生み出せないものであった。

           

           しかし、ここが敵の本拠地であるという事実は非常に重くのしかかった。揺波が利用することが意外だっただけであって、隠し通路の存在を城の主である瑞泉本人が知らないわけがない。
           地上まで身を隠しながら、という甘い願望は、通路の出口に陣取っていた兵から受けた痛みによって打ち砕かれた。人員こそ対応に割かせることはできたが、自由に飛び込める安全圏を奪われた揺波には、城内をひたすら逃げ回る以外に道は残されていなかった。

           

           ただ、彼女の瞳はこの状況に置かれても、まだ光を失っていない。
           轟音と共に感じた繋がりを、揺波も、そして相手も、お互いに手繰り寄せている感覚が、揺波の支えとなっていた。自分たちを繋ぐ見えない糸を通じて伝わってくる、希望と暖かさがなければ、自身の足取りすらも信じることができなかっただろう。
           けれど一方で、伝わってくる暖かさが、時を追うごとに失われていくような気がしてならなかった。手をかざしていた希望の灯りが小さくなっていくともなれば、不安を焦燥で炙ったような、叫び出したい感情が湧き上がってくるのは当然のことだった。

           

          「いたぞーッ!」」
          「……っ、ぐっ……!」

           

           叫びとほぼ同時、揺波の腿を二本の矢が掠めていった。後方で二人の弓兵が構えているのを見て、嘆く暇もなく速度を上げる。時折不確かになる足つきで左右に身体を揺らすその姿は、見ているほうが不安になる必死さを滲ませていた。
           このやり取りも、何度繰り返しただろうか。その度に削られていく命は、揺波本人のものである。
           希望に手を伸ばして斃れないよう、歯を食いしばって射手の死角に入るべく、横合いに伸びている通路を目指した。

           

          「はぁっ……は、あぁっ……!」

           

           その先には、誰かの気配がある。逃げ込んだ先でも危機は続くだろう。
           それでも他に退路のない揺波は飛び込むしかない。これは決闘ではないのだ。至近という目的のために矢衾に甘んじる余裕なんてあるわけがない。

           

           だから、決断を翻すことなく揺波は逃げ込んだ。
           その先には、人の形があった。

           

          「あ……」

           

           けれど、突然の邂逅に、声が漏れた。刃を構えようとした手が、止まる。
           相手に、害意も、敵意も、ありはしなかった。長大な刀を握りしめるその手は、戦意だけははっきりと示していた。そしてそれは揺波もまた同様で、戦舞台において油断することはなくとも、目の前の相手に敵対する必要がないことを、すぐに悟った。
           お互いこの邂逅を、唐突には思っても、意外だと捉えることはなかった。
           縁を辿った末の出来事であれば、それは当然の帰結なのだから。

           

           出会ったのは、一人と一柱。
           天音揺波とザンカは、兵たちの怒号も遠く、じっと互いに視線を交わしていた。

           

          「…………」

           

           悲惨なほどに傷ついた見てくれであろうとも、誰何の声が出るはずもない。
           その代わり、一歩、また一歩と、ゆっくり間合いを詰めるようにお互いの距離を縮めていく。それは、揺波の刀にとってはちょうどよく、ザンカの長大な刀にとってはかなり近い、そんな間合いまで続いていった。

           

           やがて、二人の足が止まる。
           揺波は僅かにザンカを見上げ、
           ザンカは僅かに揺波を見下ろし、
           歓喜も、悲哀も、憐憫も、慈愛も……どのような感情をも表さず、ただ自然体のままに二人は見つめ合う。

           

           そして、二人は互いに前へと踏み込んだ。
           手にした刀を、相手へと振るう――

           

          「やあぁぁッ!」
          「はッ……!」

           

           しかし、閃光のような斬撃は、揺波も、ザンカも、喰らうことはなかった。

           

          「あ、が……はっ……」

           

           ザンカの一撃は、揺波の背後で爪を振るおうとしていた兵を斬り伏せ、

           

          「ごっ――」

           

           揺波の一撃は、ザンカの背後で小刀を突き出そうとしていた兵を叩き伏せる。

           

           残身を解いた二人が再び向かい合うと、そこには微笑みが咲いていた。再会を祝すようであり、阿吽の呼吸で同じ解答を示したことを可笑しく笑うようでもあった。

           

          「ふふ……」

           

           つかの間の沈黙が訪れる。それを、気迫の叫びを聞きつけた瑞泉の兵たちの足音が乱していくものの、彼らはもう一歩、二人のいる廊下の中へ踏み込んでいくことができなかった。

           

          「揺波」

           

           静かに。けれど、思い溢れるように。
           ザンカの声が、揺波を呼ぶ。

           

          「我は狂乱の渦に呑まれようとも、契を違えることなく、何時でもそなたの闘いを見ていたぞ」
          「はい」
          「欣然と刃を振るうことが能わぬ世情をよくぞ生き抜いた」
          「……はい」
          「為虎傅翼と斯様な高みに至る様、麗句など相応しくもあらず、幾万言費やしたとて賛美を成し得ること能わぬ。誉れ高き永久の申し子と舞い踊る一戦は――揺波……?」

           

           くすりと笑っていた揺波に呼びかければ、懐かしむように微笑みを浮かべた。

           

          「ザンカの言うことって、相変わらず難しいな、って」
          「あぁ……すまない」
          「大丈夫ですよ。何が言いたいのか、なんとなくでも伝わってくる気がします」

           

           そんな曖昧な肯定に、ザンカも自嘲するように口端に笑みを乗せ、頭を振った。とめどなく溢れ出してくる揺波への言葉をまとられるはずもないと、素直なミコトを見て諦めたようであった。
           だから、薄く、柔和な笑みに乗せて、ザンカはただ一言、こう問うた。

           

          「桜花決闘は好きか」

           

           と。

           それを受けた揺波は、僅かに曇った視界が晴れたような感覚を覚えた。
           答えは、決まっていた。

           

          「はいっ!」

           

           ザンカは、満足そうに目を細め、じっくりと頷いた。
           だが、その顔から溢れたのは、涙でも、笑みでもない。

           

          「ザンカ、それ……」

           

           気づいた揺波が、声の調子を落として訊ねる。
           さらさらと、ザンカの身体から桜の塵が落ちていた。顔だけではなく、手も足も、着ているものでさえも、巻き戻すことなどできないというように、淡々と失われ初めていた。

           

           じっと、揺波を見つめ返すことで、ザンカは問いの答えとする。そこに悲しみの色はないが、諦観が彼女の中に横たわっていなければ、そのような答えにはならなかっただろう。
           揺波はそれ以上、口に出して追求することはなかった。ザンカが受け入れたように、揺波もまた、現実とザンカの想いを受け入れた。見えないよう、少しだけ唇を噛んで。

           交わし合う視線の最後にザンカは、

           

          「これを」

           

           己の愛刀・斬華一閃を揺波へと差し出した。
           やや戸惑いながらも、揺波は自分の刀を納め、人の身には大きすぎるきらいのあるそれを受け止めるべく、両の手を差し出した。
           それを見たザンカは、安堵に身を委ねるように、ゆっくりとまぶたを落とす。

           

          「なれの愛する桜花決闘のために、受け継いで、欲しい……」

           

           言い終わる前に、刀の柄をしっかりと、揺波の手に託した。そして、揺波は一刹那の後、確かにそれを受け取るように、ぎゅっと握りしめる。
           その瞬間、ザンカの身体は弾けたように桜の光へと解けた。
           それは舞い上がるでもなく、降り積もるでもなく、抱きしめるかのように揺波へと降り注いだ。

           

          「はい……」

           

           

           噛みしめるような応えを、聞き届ける者はもういなかった。
           薄暗さを取り戻した廊下で、揺波はぽつんと取り残されたように立ち尽くしていた。
           彼女の瞳からは、気づかぬままに涙が一滴、こぼれ落ちていた。

           

           

           

           


           追い詰めた形を作ったにも関わらず、瑞泉の兵は全くそんな気がしていなかった。
           斬華一閃を手に、感傷に浸る揺波を逃すまいとする包囲網は、けれど一定の距離から先を詰めることはなかった。しないのではなく、できないというほうが正しい。厳しく敵視されているわけでも、刃を向けられているわけでもないのに、醸し出される威圧感に誰もが二の足を踏んでいた。

           

          「まったく……どこまでも手こずらせてくれる」

           

           と、苛立ちを顕にした瑞泉が、兵の壁を割って現れる。
           彼はいくつも歯車を埋め込んだ神帯鎧を未だその身に纏ったままであったが、その手には一つも武器は顕現していなかった。それどころか、それぞれが時を刻んでいたはずの歯車が、精彩を欠いたように歪な間隔で蠢いているようだった。

           揺波は瑞泉へゆるりと斬華一閃を向ける。不思議と力が湧いてくるようだったが、襲いかかってくる様子のない瑞泉に、本気で警戒をしているわけではなかった。
           彼はその刀を忌々しそうに見やると、

           

          「決着をつけねばならない。君もそう思うだろう? 戦いはまだ終わってない」
          「…………」
          「勘違いするなよ。何も、ここで続きをやろうって腹じゃあない。つまらん犠牲が増えるのは本意ではないからな、君の望むように一対一は守ってやるさ」

           

           それに同意したのは、囲んでいた兵たちだった。彼らは瑞泉以上に、揺波が構える斬華一閃の意味を知っている。
           けれど、揺波には話の展開がいまいち読めなかった。神帯鎧の圧倒的な優位性を活かした戦いにおいて、揺波は遅れを取り続けた。今ならばまだ、という想いはあるが、神代枝を使い果たした事実は絶対的なものである。

           

           でも、今の彼からはそんな有利な立場にある者の驕りはなかった。
           揺波がそれを訝しんでいると、神帯鎧の右の篭手に手をかけた。

           

          「これが気になるようだな。なら、これでいいか?」
          「な……!」

           

           あろうことか、瑞泉は篭手を外し、兵に投げて寄越したのである。
           自ら有利を手放すだけの驕りは、やはり見受けられない。巧妙に隠しているのであればともかく、揺波には彼の意図が理解しきれなかった。
           瑞泉はそんな彼女に仮初めの答えを与えるように、

           

          「言っただろう。犠牲は出したくないと。その刀から伝わってくる力を、私は計りかねている。そんなものを振り回して暴れられては、どれほどの被害が出るか分からない。ここの主として看過できないほどにはな」
          「でも……」
          「だからこそ、一騎打ちの舞台に上がってもらおうとしているんだ。分かったかな?」

           

           まだ納得しきっていない様子の揺波に、彼は大きく鼻を鳴らす。
           意志を高め、挑戦そのものであるその言葉を投げつけるために。

           

          「重ねて言おう。戦いは、まだ終わっていない」
          「…………」
          「君の好きな桜花決闘で決着をつけようじゃあないか」
          「……!」

           

           もたらされた提案に、まず兵たちがどよめいた。
           そして揺波は、受け止めた言葉に泥土のような怒りや殺意が湧いてこないことを自覚した。
           ただ勝敗を決する場に、その感情が似合わないことを、彼女は知っている。
           故に、天音揺波は応える。

           

          「望むところです」

           

           勝利への決意を込めて。

           

           


           縁の糸は、全て収束していく。
           英雄とは、そういう人物を指すのかもしれない。

           これにて数多の糸はひとつになり、大いなる道が彼女の前に広がった。分かたれた道も、途切れた道も、この終わりに向けて伸びていた。
           その先に待つのは、天音揺波と瑞泉驟雨の最終決戦。
           長い長い英雄譚の幕引きは、もうすぐそこまで迫っている。

           

          語り:カナヱ
          『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
          作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

           

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          『桜降る代のいろは道』第1回:はじまりの決闘

          2018.10.19 Friday

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             こんにちは、BakaFireです。先日の展望でも作成中であることをお知らせしたとおり(※1)、本日より新たな攻略記事として、動画を用いたシリーズを開始させて頂く次第でございます。
             
             まったくもって新しい試みであり、また私自身には繋がりや動画作成の技術がありませんでしたので、作成に当たっては有限会社センキ様、ならびにすばらしい協力者の皆様のお力添えがございました。まず第一に、この場を借りてそれら全ての皆様にお礼申し上げます。

             

             

            初心者の皆様にこそおすすめです!
             
             さて、攻略記事のシリーズでございますので、まずはシリーズの趣旨や対象を説明しましょう。本シリーズは本作を僅かに知っている、あるいは1、2回程度は遊んだことのある、いわゆる初心者の皆様を対象としております。
             
             ルールそのものの細かい解説は行っていませんが、何となくのルールは動画中の対戦を通して察せるようには作成しています(※2)。気軽に動画を楽しみ、それを通して本作の面白みや勘所を感じ取って頂ければと思います。そしてなんとなく本作を知っているという初心者から、一通りのゲームができる初級者へのステップアップの一助となれば、大変うれしい限りです(※3)。
             
             もうひとつすばらしいお知らせがございます。多くの協力者の皆様のお力添えを頂き、本シリーズの解説として本作のデジタルゲーム版ではオボロ役を務めて頂く、声優の若林直美さまをお迎えすることができました。ご協力ご出演、誠にありがとうございます。
             
             このような方をお迎えした上でとなると僭越すぎて恐縮してしまう次第ではございますが、より細かい解説や質問への解答を行う役として私、BakaFireも動画内でお話しさせて頂きます。お聞き苦しいところなどあるかもしれませんが、何卒ご容赦願えればありがたい限りです。
             
             さて、これ以上ぐだぐだとお話ししても無粋というものです。動画をお楽しみくださいませ!

             

             

            ※1 『第弐拡張』の原稿が思いのほか忙しく、公開が遅れてしまいました。申し訳ございません。

             

            ※2 より細かくルールを知りたい場合は、スマートフォン版のルールガイドか、製品のルールブックをお勧めします。

             

            ※3 中級者以上の方は気軽な動画としてお楽しみください。また、初級者から中級者へのステップアップは『第二幕』攻略記事シリーズの『半歩先行く戦いを』シリーズをお勧めします(現在、『新幕』へのバージョンアップも検討中です)。


             動画をお楽しみいただけましたら幸いです。本シリーズの次回は半月から1か月程度後、11月の上旬か中旬かという頃を予定しております。ご期待くださいませ。
             
             また、本日はもうふたつ記事を作成しております。ひとつはストーリーの最新話。そしてもうひとつは『第弐拡張』のプレリリースイベントについてのお知らせとなります。さらに先の世界、シーズン3に向けた第一歩もまた、お楽しみくださいませ!

             

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