『桜降る代の神語り』第36話:帰路へ

2017.10.13 Friday

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     天音揺波と氷雨細音の最後の決闘が終わり、そして二つの旅も終わりを迎えた。
     けれど、幸か不幸か天音揺波の物語はまだ終わらない。
     己の道を見出した彼女は、決闘を終え、これからどうしていくのだろうか。
     一つの区切りを迎えた天音揺波のその後から、そして新たな出会いを語ることにしよう。


    「ここ、置きますよー……?」

     

     そう揺波は恐る恐る言い、袴と薙刀を畳の上に置いた。手狭な玄関に踏み込んでいた大股の一歩を戻せば、もう揺波の身体は主のいない家から出てしまう。そして夕焼けも黒く染まってきた景色を右に左に確認して、音を立てぬよう戸を閉めた。

     

    「ふぅ……細音さん、どこ行っちゃったんだろ」

     

     彼女が案じるのは、つい先刻まで決闘をしていた好敵手の行方であった。
     結局決着の後、身体だけがそっくり消えてしまっていた氷雨細音を見つけることはできなかった。ただ、特に薙刀をそのまま置き去りにしておくのを申し訳なく思った揺波は、それらを携えて御冬の里は細音の家へとこうしてやってきていた。
     けれど、こじんまりとした一軒家の前で呼んだところで返事はなく、途方に暮れた揺波は、行儀が悪いと思いながらも勝手に入って勝手に薙刀たちを置いたのだった。

     

     ただその一方で、揺波の表情に深刻さは見られない。確かにどう考えてもおかしい去り方ではあったが、不思議でありこそすれ、悪い予感はしていなかったのである。それもまた不思議に思う揺波であるものの、これ以上の追求は無駄だという予感もまた得ていた。
     細音さんなら大丈夫。そんな根拠のない確信は、生涯で初めて引き分けた相手だからこそ生まれ出るもの。それよりもむしろ、おたおたしていたら却って彼女に怒られてしまうかもしれない――そんな想像をして、揺波は小さく笑った。

     

    「さて、と」

     

     ひとまず、今やらねばならないことは終わった。今日はこのまま御冬の里で、激戦で疲れた身体を癒やすつもりだった。そこで一休みしながら、区切りを迎えた自分の今後について考えようという腹づもりである。
     だが――考えるべきは、自分のことだけではない。

     

    「次はあなたかな」

     

     揺波の左腕に寄り添うようにしてふわふわと浮ぶ、桜色に淡く光る飛翔体。
     この、生き物かどうかすら分からない謎の存在も、目下の懸案事項であった。

     

    「わたしと一緒に行きたいの?」

     

     四枚の翅を持った謎の物体は、揺波の問に対して、彼女の目線の高さで小刻みに上下に飛んだ。まるで全身で首を縦に振る所作を模しているかのようである。
     揺波はその反応が、なんだか懐いた子犬がはしゃいでいるようで、全く悪い気はしかなかった。けれど頭を撫でてやるつもりで触れると、指は素通りする。ほんのりとした温かさがなければ、これのことを幽霊の類だと思ってしまったかもしれない。

     

    「よく分かんないけど、まあ、いい子……なのかな? えーと――」

     

     漠然と謎の存在を連れて行こうと決めた彼女は、そこで言葉に詰まった。
     呼びかけようとして、なんと呼べばいいのか分からなかったのである。

     

    「あなたなんて言うの? ――って言っても答えられないか」

     

     うーん、と唸りながら首を傾げる揺波。桜色の光は、それに追従するように彼女の眼前で漂っている。先程の反応からして、言葉は解しているようだが、名前の手がかりになるような反応は示してくれない。
     自分で考えるしかない。そもそも、口を利かない相手なのだから結局は自分で好きなように呼ぶしかないのである。ぶつぶつと呟きながら、揺波はじーっと謎の光を見つめていた。

     

    「光ってる……ふわふわしてる……ふわふわ? うーん――どっちかっていうと、ほわーっと? ほわほわ? 違うなあ、もっとこう可愛い感じですよね。あと、ぼんやり光ってる感じが足りない? ぽわー、ぽわーん……ぽわぽわーんって。ぽわぽわ……そう、ぽわぽわ、してる……?」

     

     そして、はっ、となった揺波は、ぐっと拳を握って謎の存在に呼びかけた。

     

    「ぽわぽわちゃん! あなたのお名前はぽわぽわちゃんです!」

     

     果たして桜色の物体は、喜びを露わにしたように、揺波の周りを飛び回った。可愛さを飛び越えて、いくらも間の抜けた名前であっても、少なくともこの謎の物体が持つ意志は、その名を受け入れたようだった。

     

    「さあ、行きましょうぽわぽわちゃん! おいしいご飯が待ってます!」

     

     星の見えてきた空の下、雪道を行く揺波の後を、桜色の光が追っていった。

     

     

     

     

     


     御冬の里を含めた一帯は、北限に至る玄関口とも称される。それより北は、山を一つ越える度に寒さは厳しさを増し、やがて人の住めない氷の世界へと至るのだと言われている。時には背丈以上に雪の積もる御冬の里でも、まだ優しい地域なのだ。

     

    「ぽーわっぽわー、ぽーわっぽわー、ぽーわぽーわちゃーんですよー♪」

     

     そんな里を早朝に発った揺波は、銀世界に別れを告げ、来た道を引き返すように南へ下っていた。昼餉を経た今は、食休みも兼ねてゆっくりと歩いているが、もう雪が見る影もない程度には走り通しであった。

     

    「むしろぽかぽかしてきちゃいましたね。寒かったから走ってきましたけど、今日は結構暖かかったみたいですねぇ。ぽわぽわちゃんは、寒いところじゃなくて大丈夫ですか?」

     

     揺波の問に答えるように、桜色の光は彼女の周囲を飛び回った。

     御冬の里で一晩を過ごした揺波は、当座の目的地を忍の里へと定めていた。家は焼失してしまっており、まずは知己を頼る他なかったが、それ以外にも尋ねる理由はあった。
     彼女が胸に抱いた目標は、みんなに決闘を好きになってもらうこと。そのために思いついたのは、ただ決闘をする、という漠然としたものであり、具体的な方向性について助言を欲していた。オボロは揺波が頼れる中でも一番の知識人である。無論決闘についても造詣が深い。

     

     加えて、実際に決闘を行うに際し、細音は決闘代行の立場であったことを揺波は思い出していた。その雇い主は古鷹であり、古鷹領は忍の里の森を北に抜けた場所にある。オボロに相談した次は、その線を辿ってみるのも悪くないのではないか、とぼんやりながら考えていた。

     

    「あとはぽわぽわちゃんのこと、何か分かればいいんですけど」

     

     右の肩口に留まったその存在は、悪性ではないと思われるも、謎の塊である。こんな存在について知っているなんて、オボロか、ひょっとしたらジュリアたちくらいなものだ。正体を明らかにできるのであれば、するに越したことはないのだ。

     

    「でも、ぽわぽわちゃんがなんであっても、可愛いから許しちゃえる気がします。――あっ、もう町ですよ! あそこ、草団子が美味しかったんですよぉ」

     

     とはいえ、今の揺波にとっては旅の友が増えたようなものである。行きで寄った際のことを話しながら、軽快な足取りで進んでいく。

     

     と、

     

    「ねえ」

     

     一つ、声を投げかけられた。
     足を止めた揺波は、声の源へ――後ろへと、振り返る。

     

     そこにあったのは、童女の姿であった。
     揺波より頭一つ分背の低い彼女は、腿のあたりまでで断ち切られた山吹色の着物に袖を通していたが、左は完全にはだけており、妙に肌に密着した黒の下着が顕になっている。けれどそれ以上に目を引くのは、左の肘まで覆われた、見た目に硬質な緑青色の篭手である。

     

    「あなたが、アマネユリナ……?」

     

     

     道のど真ん中で佇んでいた童女は、その問いかけに不安を滲ませていた。けれど、揺波が足を止めてまで彼女に向き合ったのは、今にも泣き出しそうに助けを求める幼子へ向けるような憐憫のためではない。
     その問いかけには、小さな圧が込められていた。
     それを無視してはいけない、無視は許されない――いっそそんな存在感を持って、もう通り過ぎたはずの場所から投げかけられたものに、揺波は通せんぼを食らっていた。

     

     だから揺波は、自然と、けれど強いられたように、それに答えた。一応世間からよく思われていなかったり、直接命を狙われたことがあったりと、真面目に答えるにはやや悪い身の上ではあるが、それでも揺波は是と答えた。

     

    「はい……わたしが、天音揺波、です」

     

     それを受け取った童女は、己の中でそれを反芻するように深く目を閉じる。
     固唾を呑んで見守る揺波だったが、ややあって童女は目を開き、篭手に守られた左の手をゆっくり握り込んでいった。
     そして、

     

    「……ッ!」

     

     真っ直ぐに、揺波を見た。
     拳を握って、揺波を見た。
     意を決して、揺波を見た。
     ただそれだけ。
     ただ、それだけのことで、揺波は、思わず腰の刀に手を伸ばしていた。いや、伸ばそうとして、脂汗の滲んだその手は、虚空で固まってしまっていた。

     

     揺波は以前に一度、同じような経験をしたことがあった。あの時は、膨大で濃密な殺意が揺波を動けなくするどころか、権能とは逆に恐怖で凍りつかせていたが、今は違う。刺されるような敵意ではないし、あの拳の中に迷いを閉じ込めているのも想像に難くない。
     これは、意志だった。害意なく、ただ純粋に、相対するという圧倒的な意志の力の発露。
     それが身の丈に合わない凄まじい存在感と、圧を生み出している。無論、ただの童女に可能なことではない。

     

    「なん、で……」

     

     メガミ。
     天音揺波は今、超越した存在と相対していた。

     

     


     天音揺波の帰路は、こんな新たな出会いによって阻まれることになった。
     『天音のため』から始まり、そして悲しき終わりを迎えたその因縁。
     劫火に焼かれ、それも鎮められたものの、残り火は未だ燻っていたというわけさ。
     さあ、彼女は再び因縁に直面する。彼女たちがどこに至るのか、ご期待あれ。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第四巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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