『桜降る代の神語り』第18話:旅立ち

2017.03.24 Friday

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     天音揺波と氷雨細音が燃え上がる龍ノ宮の城から逃げ延び、それから十日ほど。
     龍ノ宮領より僅かに北上した地で身を隠していた二人が、それだけの平穏な時間を得られたのは幸運なことだっただろう。
     激動と混乱に飲まれた彼女たちが、物事と気持ちの整理をつけるには、時間が必要だった。
     でも、世界はそんなことなんてお構いなしに廻り、そして旅立ちの時は訪れる。
     一つの終わりを直視させられたミコトたちの、次なる始まりを語るとしよう。

     


     剣閃が、枝葉を薙ぐ。

     

    「…………」

     

     息遣いだけを零し、相手も据えずにただただ空を刃で切る。自分の持っている型をひたすら確認し続けていくような、そんな淡々とした稽古。森がぽっかりと口を開けたようなこの荒れた広場も、彼女の鍛錬の舞台となってからは随分と踏み固められてしまった。
     すぐ傍にある小屋に転がりこんでから、毎日。元々戦いに偏重した教育を施されていた揺波に家のことができるわけもなく、力仕事を時折任される以外はこうして身体を動かすか、ぼうっとしているかのどちらかであった。

     

     

     さらに無心に一歩、二歩と踏み込み、袈裟に切ると、そこに混ざった自分のものではない三歩目に、動きを止めた。

     

    「ただいま戻りました」
    「……おかえりなさい」

     

     獣の通るそれに毛が生えた程度の道から、低くなった陽で影法師を伸ばしているのは細音。脇に抱えた麻袋から、泥を洗い落とされた野菜が顔を出している。
     この小屋は、以前細音が古鷹の依頼によって南に下った際に与えられた、誰にも使われていない猟師の小屋であった。細音を最後に誰も立ち入っていなかったようで、彼女記憶にあった当時の小屋よりはやや荒れてはいたものの、片付ければ当分暮らすには事足り、かなり森を入ったところにあるので隠れるにはうってつけであった。

     

    「支度をするので、薪をお願いできますか」
    「うん……」
    「そんなにたくさんは切らなくていいですよ」
    「大丈夫」

     

     まるで声から色が失われてしまったような返事に、細音は静かに嘆息する。
     逃げる最中も、そしてここに来てからも、揺波はずっとこんな調子であった。これがまだ、明らかに落ち込んでいるというのであれば激の一つでも飛ばせただろう。あれだけのこととはいえ、いつまでもぐずぐずするのは心が弱い証拠だ、と考えていたからだ。

     

     ただ、そんな細音でもどう触れていいか分からない程度には、天音揺波という存在から彼女を彼女足らしめていたものが抜け落ちていたのは明らかだった。さらに、それでもなお彼女の刃が切り裂く虚空が、今まで溜め込んでいた揺波に対する言葉を圧し殺していた。
     あくまで、揺波の真意や在り方全てに納得した結果、言葉を飲み込んだわけではない。けれど、彼女の歪さを理解し、言葉や意思をぶつけ、互いの行く道を問うのは今ではないともまた感じていた。

     

    「天音……この隠伏も、ひとまずは終わりを迎えたようです」

     

     簡素な流しで薙刀を包丁代わりに芋を剥く細音。薄い壁一枚隔てた向こうでは、小斧を振るう揺波が乾いた音を立てている。
    壁にそう小さくない隙間こそあったが、盲目の細音に揺波の顔色を伺うことはできない。
     故に細音は、食糧と共に街で仕入れてきた情報を、まずは淡々と述べる。

     

    「ヒミカが討たれたようです。曰く、各大家より遣わされたミコトたちが事にあたった、と」

     

     龍ノ宮の死を目の当たりにして、全てを灰燼に帰さんとしたメガミが、倒された。
     それは、揺波というヒミカにとっての龍ノ宮殺しの犯人が、怨嗟の炎に包まれる未来がしばらく訪れなくなった、という意味を持っていた。永遠の保証こそないが、メガミの顕現はおいそれとできるものではない。細音にとっても、少なくとも滞在中に森ごと焼き払われる心配はなくなった、とそれを聞いたときには胸中穏やかになったくらいである。

     

    「あの炎によって、城はほぼ全焼したようです。城下にもいくらか燃え広がって、かなりの者が焼け出されたとも聞きました。そして――」

     

     来ない反応に声色を伺うこともできず、細音はそのまま努めて淡々と言葉を続けた。

     

    「燃やされたのは、天音……あなたの家もだそうです」

     

     今まで軽快だった薪の割れる音が、芯を外したように鈍くなった。

     

    「城に居たはずのあなたの父君の安否も含め、それ以上のことは分かりません。ただ、ヒミカの矛先が天音へ向いたと、多くの人間が口にしていました。もちろん、実際に見てきた者はまだいないでしょうから、どこまで本当かは保証しかねますが……」

     

     取り繕うようにしても、気休めにもならないと、細音が自身で理解していた。
     ならば、とずっと切り出せていなかった、今後のことについてまで一気に言及する。

     

    「ともあれ、最大の危機は去りました。私は、ここにいつまでもいるべきではないと考えています。かといって、北にも、古鷹殿の下にも、すぐには戻るつもりはないのですが……。私は一度龍ノ宮城下まで下って、知己を頼りながら赤東の地を中心に調べて廻ろうと考えています。世情の変化もそうですし、少し、はっきりしないまでも気にかかることがあるので」
    「…………」
    「ただ、あなたが同行するのは、あまりおすすめできません。彼の地へ戻れば、焼け跡から何か……よからぬものが飛び出してくる気がするのです。勘違いで済めばよいですが、それはあなたを地獄に引きずり込む魔の手ではないかともまた思うのです」

     

     最後にもう一つ、再び快音を響かせた揺波は、やたらと細く割った薪を小さな竈に放り込んだ。石を打つ細音をよそにそのまま小上がりに寝転がると、無色の眼差しを天井へと向ける。

     

    「これから……どうするのですか」
    「私は……」


    「こちらは、早ければ明日の朝にでも発つつもりです。別に急ぎの旅というわけでもありませんから、その……もう少し時間をかけて準備をする分には構いませんが、でも、ここにこれ以上長居するつもりもまたありません」

     

     水を張ったくたびれた鍋に芋を始めとした野菜を放り込むと、屈んで窯には葉や木屑を放り込む。木肌の弾ける音だけが、小屋に響く。
     揺波の返事が来たのは、火が鍋底を舐めるほどに強まった頃合いだった。

     

    「まだ……何をすればいいか、はっきりは分からない」

     

     そんな漠然とした言葉にさえ、芯は感じられなかった。手にした勝利のあまりの歪さが、彼女から現実感を奪ってしまったようにふわふわと浮いている。細音には、自分が足をつけているべき場所をあの炎の中に置き忘れて焼かれてしまったようにも感じられた。
     けれど、なお彼女が鍛錬を忘れないように、細音には彼女がそのまま飛んで消えてしまうような気はしなかった。どこか、彼女の足を抑える何かがあるような、浮遊感とはまた違った確証も得ていた。

     

    「おうち……焼けちゃったって言われても、なんだか自分のことじゃないみたいで。でも、あのヒミカさんならそうしてもおかしくないなあ、って気もして。だから……だから、うん、お父様にも会いたいし、一度帰りたいな……」
    「そう、ですか。およそこのまま西行きの街道沿いを進めばよいですし、安全でしょう」
    「それに」
    「……?」
    「最近、夢を見るんです」

     

     何を言い出すかと思えば、と一瞬細音は思ったが、すぐに取り消した。続いた揺波の言葉が、その予想を裏付けてくれる。

     

    「たぶん……ザンカだと思う。私の、メガミ。あまり良く覚えていないんだけど、話しかけてくれてることだけは分かるみたいな、そんなぼんやりしたものなんですけど」
    「メガミが語りかけてきている……?」
    「たぶん……。でも、それで、思ったんです。私、あんまりザンカのこと知らないなあ、って。細音さんは、ザンカのこと知ってますか?」

     

     小さく、細音はそれに否定を返した。ミコトとして持っている程度の知識は、当然揺波も持っているだろう、と。

     

    「戦ってるときも助けてもらった気がするし、今もこうして……たぶんですけど、話しかけてくれてる。もし、おうちが本当に燃えちゃってて、もし、お父様にこのままずっと会えずじまいで、もし、龍ノ宮さんが……死んじゃったことで、決闘することもなくなるんだとしたら、決闘に関係してるのって、もう私にはザンカしかいなくなっちゃうのかなあ、ってさっき聞いたときに考えちゃったんです」
    「…………」
    「それなのに、一度社に行ったきりで、全然ザンカのこと知らない……もしかしたら、どうせ何もすることがないんだったら会いに来い、って言ってるのかもしれません」

     

     煮立ち始めた鍋に味噌を溶き終わると、それを居間に持っていった。さらに二人分の碗と箸。位置を覚えないとろくに動けない細音としてももう手慣れたものだ。
     のそり、と起き上がった揺波は、しかしそこに見慣れないものを認めた。

     

    「これ……地図ですか?」
    「街で旅支度をしている際に用意していただいた物です。対価はきちんと払ったので、問題はないと思いますが」

     

     北から南に向かって、水かきの張った手を広げて突き出しているような、そんな地形。およそ親指の付け根にあたる沿岸部に朱色で小さく丸がしてあり、蟹河という名と合わせて現在地なのだと分かる。大きな街と、それらを繋ぐ街道、そして主要な地名が大雑把に書き入れてあるだけの大変簡素なものである。
     揺波はそれを眺め、光に透かしながら見、そして訊ねた。

     

    「細音さん」
    「餞別です。どうせ帰り道が分からないとでも言い出すと思いまして。ここまで世話を焼いておいて、道に迷って行き倒れられても目覚めが悪いですからね」
    「あ、はい……ありがとうございます。でも……」
    「もっと詳しいほうがよかったですか? ですがあいにく手持ちが少なくて」
    「そうじゃなくて……」

     

     細音に見えないと分かっていつつも、揺波はもらった地図を細音に向けてこう言った。

     

    「私のおうち……どこですか?」

     

     細音がそれに盛大なため息をついたことは言うまでもない。
     結局、地面に書いてあげた地図と比べながらの地理講義を経て、旅の計画を共に立てることになった二人は、日没によって翌日を準備日にすることを余儀なくされ、出発は二日後と決まった。
     この十日あまりの猶予で、揺波が地に足をつけることはついぞなかった。

     

     

     


    『空き――器よ。……べき同胞よ』

     

     意識すらも霧に飲まれたような、曖昧な光の中。揺波はもう馴染みすら覚えたその声を、心の片端で受け止めていた。

     

    『疾く満た――歪んだおま……器が、妙な…………砕けて――う前に。その一振……、自ら――――てしまわぬように』

     

     もうこれが夢の中での出来事だとは分かっている。そして、何度聞いたところで、結局どうしてほしいのか分からない願いのようなものが、おそらくザンカのものであるということも半ば確信している。
     難しい問にすぐ答えられるほど、揺波は自分が頭がよくないことを知っていた。けれど、そんな彼女であっても一つだけ分かることがあった。

     

    『どうか、……を見届けよ。どうか、我と……。どうか、その…………どり着く日まで――』

     

     その声はどうにも不器用で、けれど自分を気遣ってくれている。
     その不器用さはまるで、戦うことしか能がない自分みたいで、なんだかおかしかった。ひょっとしたらザンカを宿しているからこうなったのかもしれない。

     

    『……揺波』
    (うん……)
    『――ねゆりな』
    (うん……?)
    「天音揺波ッ! 起きなさい!」
    「わっ!」

     

     一気に晴れた霧の先に、怒り顔の細音がいた。抱えていた袋をどさりと投げて寄越す。
     ここは、小屋のあった森を出たところにある街道傍の原っぱだ。日が昇る頃に起こされたせいで眠くて仕方のなかった揺波は、少し行ったところにある街へ最後の買い出しに行く細音を見送って、陽にまどろむうちに寝てしまったのである。
     揺波はそもそも細音と完全に別れた気でいたが、細音はといえば最後まで面倒を見てあげたのに当人は高いびきとあっては、それは眉根もひそまるというもの。

     

     数日分の食糧が入った二つの繋がった麻袋をありがたく肩に引っ掛けると、改めて細音に向き直る。

     

    「細音さん、色々ありがとうございました。お気をつけて」
    「それはこちらの台詞です。……はあ、まったく。よほど大丈夫かとは思いますが、ここまでさせておいて野垂れ死になんてやめてくださいね」
    「あ、あはは……頑張ります」

     そして、氷雨細音は南へ。天音揺波は西へ。

    「では、またいずれお会いしましょう」
    「はい!」

     

     片や柱が一本折れた世の行く先を見据えるために。
     片や己に残ったものと残らなかったものを確かめるために。
     心地よい日差しに見送られた二人のミコトは、それぞれの目的を胸に旅立った。

     

     


     これまで、カナヱが語ってきた第一章は、様々な縁の糸、その交錯を追ったものだった。
     次なる第二章では、この二人の英雄を追っていくこととしよう。
     天音揺波と氷雨細音の、数ヶ月の旅。
     そこで二人は何を見て、何を得るのか……しばらくおつきあい願おうじゃないか。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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