『八葉鏡の徒桜』エピソード7−2:三盟19年の大家会合

2020.08.21 Friday

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     三盟19年。これは今、私たちが生きている時間。この現代の桜降る代。
     ユリナがその英雄譚の果てにホノカ、ウツロと盟約を結び、新たな桜花決闘を生み出した証たる年号――三盟を掲げ、数多の神座桜が鮮やかに輝く時代。桜降る代という新たな時代の到来に伴い、かつて桜花136年が三盟3年と定め直されてから16年もの月日が流れた。

     

     

     

     

     目前に広がる瀧口の港は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
     過去に類を見ない超大型船の予定外の来航は、昼下がりの穏やかな時間を海の男たちから奪い去った。水深に余裕のある桟橋から、多くの船が大慌てで別の岸へと移動していく。まだ蔵に収められていなかった荷が、港内の人間総出で運ばれていった。

     

     

     やがて、どうにか着港の叶った巨大船から、長い舷梯が下ろされる。
     多くの視線を集めながら、まず降りてきたのは四人の人影だった。

     

    「急ぎではあったけど……迷惑かけちゃったみたいね」

     

     先頭を行くサリヤが、まだ慌ただしい港を見渡しながら呟く。彼女の後ろではユキヒが、その呟きへ短く同意する。
     さらにはそこから、佐伯、ジュリアと続き、一行は船上からファラ・ファルードの民に見守られながら、久方ぶりの桜降る代の大地を踏むこととなった。
     そんな彼女たちを桟橋の上で出迎えたのは、全身汗まみれとなった恰幅のいい老人。

     

    「ごめんなさいね、銭金さん。驚かせちゃったみたいで」
    「い、いえいえ! こちらこそ、受け入れにお時間を頂戴したようで、長旅でお疲れのところ誠に申し訳ありません……!」

     

     軽く詫びたユキヒに、 銭金舐蔵 ぜにかねなめぞう は隙あらば手ぬぐいで汗を拭いながら、なんとか商人としての顔を作っていた。肥えた老体に鞭打って駆け付けてきたようで、ついた杖と脚が時折疲労に震えていた。
     彼はその苦労を笑顔の裏に隠しながら、

     

    「しかし、シンラ様からはもうしばらくあちらにご滞在なされると伺っていたものですから、驚かなかったと言えば嘘になるかもしれません。それに、まさかこのような豪勢な船でお戻りになられるとは……」

     

     それに、サリヤが苦笑いをしながら理由を告げる。

     

    「これは、その……急いで戻るって言ったら用意されて……。全面的に協力してもらえたのは嬉しいんですけど、乗客が乗客だ、って大ごとになってしまいました。皇帝陛下のお口添えまであったので、無下にするわけにもいかず……」
    「メガミ様をお送りするわけですからな、張り切るのも仕方のないことかと」
    「この大きさで、帰りは半月もかからなかったんですから、有り難い話ではあります」

     

     本来の銭金であれば、それを叶える造船技術を讃え、談笑を商売の糧とすることだろう。
     だが、彼は何かを待つように相槌を打つのみだ。
     機を見たユキヒが、彼に応えるように本題へと入る。

     

    「そうなのよ、向こうで大変なことが起こったものだから、早く帰ってこられてよかったわ。……それで、銭金さんにはお願いがあるんだけど」
    「な、なんなりと」

     

     帰り路を国の力を使ってまで急いだ事情と、その上での願いとはどれほどの規模のものか。
     笑顔を強張らせた銭金へ、ユキヒは困ったようにそれを告げた。

     

    「皆で話し合いをしたくて……臨時の大家会合を開いてもらえないかしら?」

     

     

     

     


     ふと騒ぎを耳にして少女が視線を下にやると、出迎えと思しき老人が腰を抜かしたように杖に縋っていた。彼女の位置からではユキヒたちの陰に隠れて詳しい様子は窺えなかったが、二柱ものメガミに介抱されているところを見て、老人から意識を外した。
     船の甲板では、先に降りた四人が一通り話をつけるのを待っている船員たちの他、彼らから少し離れた位置の船縁で、三人の女が眼前に広がる景色を眺めていた。

     

     生き生きとした人々は精力的に港を駆け回り、その活気を示すように立派な街が内陸へ向かって続いていく。そして街の一角で活力を象徴するかのような咲き誇るのは、瀧口の大桜。この街の神座桜は、入港する船を導くように鮮やかに輝いていた。
     高い甲板からは、さらに遠く、咲ヶ原が山々に囲まれているその様子まで見通せる。よく晴れた清々しい空の下、桜の見守る雄大な大地が地平の彼方まで広がっていた。

     

    「聞いてはいましたが、驚きました……」

     

     少女の隣で、黒髪の女が感慨深く言葉を漏らす。白く染まった一房の髪が、潮風に揺れて優しく頬を撫でていた。
     それに、彼女のさらに向こうで長い金槌を杖代わりにする少女が、

     

    「うん……。でも……、あたしはちょっと、懐かしいな」

     

     しんみりと漂わせた郷愁に、小さく頬を緩ませる。
     二人の言葉に、少女はあえて答えるでもなかった。聞かされた話を一度は呑み込んだつもりではあったけれど、こうして目の当たりにしてみると、夢でも見ているのかと思いたくなってしまう。

     

    「これが……、桜降る代」

     

     改めて、教えられた現実を胸中で噛み砕く。それが、彼女に他の二人とは決定的に違う視座を与えていた。
     少女がぼんやりと眺める先では、神座桜が当然のごとく鮮やかに咲きこぼれている。
     船縁に腕を預けた彼女は、湧き上がる複雑な感情を整理するようにひとりごちた。

     

    「あたしが、いない世界……か」

     

     

     

     

     


     龍ノ宮城。かつての英雄・ 龍ノ宮一志 たつのみやいっし が東部の荒野を開拓し、その成功の末に一代にて築き上げた居城である。二十年前、 天音揺波 あまねゆりな たちの英雄譚において重要な舞台となったが、その際に彼の命と共に失われていた。

     しかし現在、焼け跡だった場所では、往時の姿とまではいかずとも、立派な城が龍ノ宮の人々を見守っている。かの豪傑の遺志を継がんとする者たちや、彼の考えに共感していた大家たちによる旧龍ノ宮連合によって復元、管理され、会合の場などで利用されている。

     

     

     そして今、まさにその会合のため、大広間には数多くの人々が集っていた。
     急場ということ以上に、参列者が特殊に過ぎることから、席次すらろくに決められていない。各家、団体、それぞれ繋がりのある者たちでまとまって座しているのみで、皆一様に最前へ設けられた主席が埋まるのを待っている。左手に広がる庭など、もう誰も見ていなかった。
     その最後列では、末席を汚していると言わんばかりに震える男が一人。

     

    「き、きき聞いてない……聞いてねえよ旦那ぁ……」

     

     恐る恐る前列を指差しながら、隣の小太りの老人を非難するのは 楢橋平太 ならはしへいた だ。彼の前には紙と筆が用意されているが、硯に揺蕩った墨が彼の心境を表すように波紋を生んでいた。
     老人――銭金はか細い抗議を揉み潰すように、

     

    「ふん、これほどの一大事だから連れてきたんだ。きちんと書き取り、お前が感じた危機感も記しておくんだぞ」
    「オレにも心構えというものがですね……」
    「前もって教えたら、どうせ逃げ出してただろうが」

     

     縮こまっている楢橋を小声でどやしていると、銭金の隣に中老の女が案内されてきた。身に纏う着物こそ正装のそれだが、痛んだ髪が肩に散らばる様が覆い隠した粗暴さを思わせる。急いでいたのか、僅かに熱気が伝わってくる。

     

    「隣、失礼するさね」
    「なんだ、貴様か。もう始まる時間だぞ」
    「瑞泉から大慌てで飛んできたんだ。早馬なんて久しぶりだったから足腰痛くて敵わないんだ、お手柔らかに頼むよ」

     

     飄々と返すのは 浮雲耶宵 うきくもやよい 。かつて覇を唱えんとしていた瑞泉家の重臣として辣腕を振るっていた彼女は、主君の失した今もなお瑞泉の政局の一翼を担っている。
     手で顔を扇ぐ浮雲は、会場を見渡して驚きを顔に浮かべる。

     

    「……壮観だねえ。龍ノ宮、瀧口あたりの連合に、前の方に陣取ってるのは……蟹河や天音あたりの桜花拝連中かい。碩星楼からも佐伯のやつがいるし、でかいとこが勢揃いで随分と景気が良いこった。場所柄、間に合うところは全員来てるんじゃない?」
    「流石に西と北の連中は無理だろうからな。古鷹の姫さんなんて、延々馬に乗せるわけにもいかんしな」
    「そうさねえ。そんでもって――」

     

     一息置き、浮雲は意を決したように視線をさらに奥へと向ける。
     臨時の大家会合。全ての家が集うまで待つべきと主張する人間はどこにもいない。
     既に参列している彼女たちの姿を見て、異を唱えられる者がいるはずもないのだ。

     

     開会を待つのは、五柱ものメガミ。
     シンラという、この地の知性を象徴する者。
     ハガネという、この大地を象徴する者。
     そして、ユリナ、ホノカ、ウツロという、今や桜花決闘をも象徴する者。

     

     

    「はは……壮観を通り越して絶景さね」

     

     軽口を叩く浮雲の頬は引きつっている。
     五柱のメガミが一つの場に参列するという状況は、ただそれだけで一大事に他ならない。
     さらには、浮雲も、銭金も楢橋も、過去にメガミが集った大事件の当事者として、一様に悪寒を感じざるを得なかった。
     浮雲がその状況にようやく至ったのを見て、銭金はせせら笑う。

     

    「これで、あの方々ですら『集められた側』なのだからな」
    「冗談きついよ、まったく。ま、議題が本当ならさもありなんといったところさね……」

     

     事前に伝えられているのは、『桜降る代の外より三柱のメガミ来たる』という趣旨のみ。
     それだけでも、この地に根ざした桜と共にあるメガミという常識を揺さぶるものではあるが、それを当のメガミ本人が俎上に上げているのだ。それだけでは終わらないと、参列者たちは確かな予感を胸にここへ集っている。

     

     そうしているうちに、城の手の者によって障子戸が閉められ、大広間に浅く広がっていた人の声が途絶えていった。
     この地を揺るがす会合が、始まる――

     

     

     

     

     


     す、と廊下側の襖が開かれた。
     開会の刻を示すように現れたのは、二柱のメガミ、ユキヒとサリヤ。今回の会合の発起人である。大家側にこの異例の大家会合を取り切れる者はおらず、議長としてユキヒがこの場に立つとの知らせは人間・メガミ問わず多くの者を驚かせた。
     自然体のままに座すユリナもそのうちの一人であった。議長には適任でこそあるが、どちらかといえば仲を取り持つように問題を解決する側の存在が、表に立ってまで問題を運んできたのだ。機も相まって、知らせに二つ返事で龍ノ宮に向かったことは記憶に新しい。

     

     ユキヒは奥に設けられた席に向かう中、この大広間に集った面々を見渡していた。ただ、途中からその眼差しに、困惑の色が微かに滲む。
     前列にいたハガネは、そんなユキヒに向かって「はいはーい」と手を挙げた。

     

    「ヒミカっち、『後でかいつまんで聞かせてくれ』だって」
    「そう、ありがとうね」

     

     礼を述べるユキヒはしかし、微笑みを僅かに陰らせているようだった。首を傾げるハガネだったが、そのままユキヒが膝を折ったのを見て、居住まいを正す。
     そしてユキヒは一息ついてから、開会を告げた。

     

    「急なお話にもかかわらず、本日はお集まりいただきありがとうございます。本会の議長を務めさせていただきます、ユキヒでございます」

     

     その声色は、普段のたおやかなものではなく、メガミとしての威厳に満ちたものだ。参列した人間たちが改めて姿勢を正すだけではなく、ユリナを始めとしたメガミたちもまた表情を引き締めた。
     続けてユキヒは、

     

    「大家会合の名前をお借りしているのに、全大家の集合を待たずに始めるというのも些か心苦しくはありますが、今回はいち早く皆さんのお耳に入れたいことがございます。ここにお見えになっていない方々にも、今日の出来事を是非お伝えいただけると助かります」
    「…………」
    「一方で、本日の主題は同時に我々の常識を揺るがすものでもあります。故にまずは、この桜降る代を牽引する皆さんにお力添えいただきたいと考えました。ここから広く人々に伝えて良いものかどうか、本日の結果を踏まえた上で、どうかご配慮のほどお願いします」

     

     無用な混乱は避けて欲しいと、いちメガミが予め釘を刺す前置きに、参加者の中から息を呑む音が聞こえるようだった。
    皆がそれを理解したと見たか、ユキヒは間を設けてから言葉を継いだ。

     

    「さて、それでは早速本題に入りたいと思います。私たちは先日まで、遠い海の果ての地ファラ・ファルードに滞在をしていました。元はと言えば、枯れかけた桜しかないような彼の地において、神座桜が立派に咲き始めた異常現象が渡航の契機だったのですが……」

     

     その土産話を期待していたホノカも、今はユリナの隣で真剣な顔をして耳を傾けている。
     ただ、ここまでであれば、共に席につくシンラからも聞いていた内容だ。
     ユキヒはその胸中を読んだかのように、先を続けた。

     

    「今からご紹介したいのは、メガミの居なかった彼の地において、その異常な桜より現れた三柱のメガミです」

     

     どうぞ、と。
     一度閉ざされていた襖が再度開き、ユキヒに促された三柱が議場へと姿を現した。

     

     山吹色の着物を腕につっかけるように着崩した栗毛のメガミ。
     萌え出づる草花に袖を通したような装いのメガミ。
     そして、巨大な腕輪を備え、白と桜、さらに濃い灰の衣装を纏った黒髪のメガミ。
     ただ彼女たちが現れた……それだけで、場には瞬く間に混乱が生まれた。

     

    「え、えぇーっ!?」

     

     まず反射的に声を上げたのはハガネであった。彼女は、先頭で入ってきた栗毛のメガミ――ハガネが人間のように一つ歳を重ねる間に、いやに大人びて見えるようになってしまったような見た目の少女に向かって、指を指しながら議場の静謐さを破った。
     次にユリナの意識に入ったのは、隣で口を開けたまま、言葉を失って少し青ざめているホノカである。彼女の視線は最後に入ってきた黒髪のメガミを捉えており、それはウツロもまた同様だった。微かにひそめられた眉が、警戒の証であるとユリナは気づく。

     

     さらにハガネの声を皮切りとして、ざわめきは人間の参列者たちにも伝播していく。
     ちらり、と背後を窺えば、全員がありありと驚きを顔に浮かべていた。ただ、その中でも最も強く、そして毛色の異なる反応を見せているのは、ユリナたちとほぼ同じ列に陣取っていた桜花拝宮司連合の面々であった。

     

    「よ、よもや……本当に……?」
    「今までずっと、彼の地にお隠れなさっていたのかもしれんぞ……!」

     

     彼らはホノカとは逆に、三柱目のメガミを目の当たりにしてから、高揚とでも言うべき情動を露わにしていた。始めは小声で勝手な憶測を隣同士で語っていたが、時を経るごとにつれて彼らの声がざわめきをさらに大きなものとしていく。

     

     その驚愕のさざなみに打たれている当のメガミたちもまた、集った面々を目の当たりにして動揺しているようだ。
     中でも特に、中央に立つ新緑の少女の感情は、容易く見て取れるほどに揺れていた。こみ上げてくる想いに瞳はせわしなく、わなわなと震える口元は、溢れ出しそうになっている感情を辛うじて喉元で留めているのだと示していた。

     

     この場で驚いていないのは、事前に顔を合わせているはずのユキヒとサリヤだけ。
     しかし、この大広間があっという間に動揺で満たされてしまい、ユキヒはどう先へ進めてよいものか切り出しかねているようだった。
     そこへ、

     

    「『お静かになさい……!』」
    「――――」

     

     不思議とよく通る声が、騒々しさをぴしゃりと抑え込んだ。自分がいきなり口をつぐんだことを、後になって気づく者すらいる。
     明確に権能を乗せた、力の籠もった声を発したのはシンラだ。取り戻した静寂に、彼女に対してユキヒは小さく頭を下げる。
     ユキヒは、三柱に腰を落ちるけるよう促してから、

     

    「人によって驚かれる点は様々かとは思いますが、質問を含めて、どうか今しばらく胸の内に納めておいてください。混乱はごもっともですから、これから少しずつ解きほぐしていこうと思います」

     

     そして議長は、会を前へと進める。
     事の重大さに気づき始めた人々の背中を、後押しするように。

     

    「まずは、彼女たちから一人ずつお話をいただきます。ご静聴ください」

     

     

     

     

     


    「じゃ、あたしから手短に済ませるよ。二人ほど込み入ってないし」

     

     そう言って手を軽く挙げたのは、ユリナたちから向かって一番左に座る少女だ。
     彼女はまず、己の名を名乗った。

     

    「あたしはハガネ。大地を象徴するメガミ」
    「……!」

     

     間違いなく、それは少女から発せられた言葉だった。
     シンラの影響がまだ残っているのか、聴衆から声が上がることはない。それはユリナのよく知るハガネも同様だったが、彼女からはもう、少女が現れたときの驚きは感じられない。
     ハガネと名乗った少女は、こちら側のハガネに少しの間、目を向けながら、

     

    「一言で言うと、そこにいるあたしとは、違う歴史を辿ったあたし、ってところかな。あたしたち三人とも、その違う歴史が流れてる別の世界からやってきたんだ」
    「…………」
    「あたしたちの居た向こう側の世界からこっちの世界には、ここにいる二人の権能と鏡の力を合わせてやって来たわけだけど……あー、難しいよね。今はそうだなあ、橋を繋げて隣町に来れた、とでも思っておいて。後で分かるからさ」

     

     最後の例えがなければ、ユリナは早くも理解を放棄してしまうところだった。聞き手は皆難しい顔をしている者ばかりで、あまり納得の空気が漂っているとは言い難い。こんな荒唐無稽な話が始まるからと、ユキヒは質問を諌めたのかもしれない。
     しかし、彼女の言葉からはっきりしたことは確かにある。
     少なくとも、メガミにとっては。

     

    「やっぱり、あたしなんだ」

     

     

     こちら側のハガネが、得心がいったように口にする。
     それに向こう側の世界のハガネは、こくりと頷いて見つめ返した。

     

    「その姿、ちょっと懐かしいなあ」
    「あたしはちょっとむずかゆいんだけど……なんだか、変な姿見でも見てる気分」
    「あはは、根っこは同じだからね」

     

     言葉を交わす二柱の姿は、まるで年の近い姉と妹のようだった。けれど、向こう側のハガネは優しく相手を見ているようでいて、声に出さない複雑な想いが時折瞳をよぎっていた。
     メガミにとって顕現体とは、あくまで仮初めの身体でしかない。そこから滲み出るメガミ本来の気配は偽れるものではないが、ユリナも肌身でこの二柱があまりに似通っていると感得していた。いわんやハガネ本人にしてみれば、だ。

     

     もちろん他人がそれを否定できるわけもなく、多くの説明を欠いた自己紹介が戯言ではないのだと、二柱の様子に聴衆は納得を強いられていた。
     向こう側のハガネは、これを『込み入っていない』と言った。
     ならば後二柱の事情とは、とユリナが不安に思ったところで、そのハガネが議長の代わりに次へと促した。

     

    「えっと、次どっち?」
    「では、私が」

     

     名乗りを上げたのは、白と桜色を基調とした衣で装った黒髪のメガミ。
     彼女は短く嘆息するように息を整えると、

     

    「私はヲウカ、向こう側の世界において主神を務めておりました」
    「おぉ……!」

     

     その名が声になった途端、抑えきれずに漏れた歓声が右手側から上がった。思わずユリナが眉をひそめる。
     ヲウカは彼らへと少しばかり淡く微笑みかけて窘めてから、

     

    「こちら側へ来た目的については、後ほど詳しくお話します。ハガネの言う通り、皆さんにとってはとても理解し難い話でしょうから、順を追うことにしましょう」
    「…………」
    「一通り、こちらの事情を説明した後で、改めて考えていただいて構わないのですが……最終的には、私たち三人をこの……桜降る代、に受け入れていただくことが、今の私の望みです」

     

     

     彼女はそこで言葉を切り、目を伏せた。しおらしいとまではいかないものの、その姿からは憂いが滲んでいる。
     そんなヲウカに、聴衆の一部からは喜色を隠しきれない声が投げかけられる。

     

    「ヲウカ様!」
    「顔をお上げください……!」
    「再びお導きいただく日が……」

     

     桜花拝宮司連合の面々だけが、まるで自分たちのほうが救いを得たとばかりに彼女を求めていた。彼らは皆、蟹河に本籍を置く宮司たちであり、この場への参加が間に合った宮司連合の大多数を占めている。
     やがて、彼らの中心に位置する、顔にひときわ皺の刻まれた老齢の男が言い放つ。

     

    「勿論ですとも!」

     

     代表格である彼に、周りの宮司たちが発言を譲る。
     今にも立ち上がらんばかりの彼は、衆目を集めていることを歯牙にもかけずに、

     

    「もしやと思っておりましたが、やはりヲウカ様であらせられましたか……! 我々が貴方様を受け入れぬ理由がどこにあるでしょう。これでこの地の未来は保証されたも同然!」
    「ああ、そう言っていただけるのですね」
    「しかし、なんと高貴な佇まいであらせられるか……これこそ、本物にしか持ち得ぬ美しさですな」

     

     びくり、と隣でホノカの肩が小さく震えた。ユリナは露骨に顔をしかめ、ウツロも同様に嫌味を垂れた男に非難の目を向けた。
     ホノカがヲウカの転生した存在であることに対しては、主神ヲウカの信奉者たちであった桜花拝宮司連合の中でも未だに態度が分かれている。中にはこうして、ホノカ自身を認めない者たちもおり、ユリナたちが顔を合わせるたびに諍いが起きる。

     

     普段であれば、決着のつかない口論がこれから始まるところだ。
     しかし、ユリナが口火を切る前に、芯のある老女の声がそれを遮った。

     

    「正村殿、仮にもそのヲウカ様の御前ですよ。言葉は選びなさいな」
    「……失礼した」

     

     天音に根ざす宮司として同席していた 高野君江 たかのきみえ が、ユリナたちに代わって男を諌めた。鼻を鳴らして居住まいを正した彼の態度にまだ憤慨は収まっていなかったが、高野の鋭い眼光によってユリナたちもまた釘を刺される。

     

     視線を戻す最中、二つ隣に座っているシンラの姿が目に入ってぎょっとする。彼女がヲウカを蛇蝎のごとく嫌っていたことを思い出したのだ。
     けれど、シンラはいつもの内面の読めない淡い笑みを湛えているだけで、敵愾心が湧き出しているなどということはなかった。それがこの場をこれ以上乱さないためなのか、あるいは他に思うところがあるのか、ユリナには判然としないまでも、杞憂に内心胸をなでおろす。

     

    「で、では、最後に」
    「……うん」

     

     途切れてしまった空気に、ユキヒは慌てて会を進行させる。
     残るは、真ん中に座った新緑の少女。
     荒唐無稽でこそあるが、ハガネも、ヲウカも、何者であるかはまだ理解が容易だった。どちらもよく知っているメガミなのだし、感覚はそれを否定しない。

     

     だが、最後の彼女だけは、ユリナの知るどのメガミともうまく符号しなかった。
     その答えが、語られ始める。

     

    「あたしはメグミ。象徴してるのは植物と開拓、かな」

     

     知らない名前に、一同は続きを待つ。

     

    「あはは、ごめんねー。かな、なんてさ。元々人間で、向こう側の世界でメガミになってそんな経ってるわけじゃないから」
    「…………」
    「今日は、みんなにあたしたちのことを、向こう側のことを、知って、もらい――もらい、たくて……っ……」

     

     どこか飄々としていそうだった彼女の口から、声が途切れる。
     押し留めていた感情が溢れたように、彼女の瞳から涙が流れ始めていた。
     すかさずユキヒが声をかけるが、

     

    「メグミさん……? 無理は――」
    「ご、ごめん……ちょっと……」

     

     手は助け舟を断るように制止を示している。
     ぐしぐし、と乱暴に袖で涙を拭うが、一度切ってしまった堰は戻らない。
     メグミは少し泣き声になりながら、

     

    「ここにいるみんなからすると、絶対訳わかんないと思うんだけど……ごめん、これだけは言わせて」

     

     そう前置きすると、彼女は聴衆の一角に熱い視線を注いだ。
     そこに座していたのは、旧龍ノ宮連合に類する者たち。その中でもとりわけ、赤東方面を治める大家の面々である。
     困惑する彼らに、メグミはくしゃりと歪めた笑顔でこう告げた。

     

    「じっちゃん……みんな……また会えて、よかったっ……!」

     

     心の底から再会を喜び、安堵した者の顔だった。メガミという肩書を忘れてしまうくらい、それはただの一人の少女が離れ離れになっていた家族に見せるような、そんな様子だった。今にも飛び出して、輪の中に飛び込んでいきそうである。
     一方、急に再会を祝された赤東の者たちは、一体誰のことを指しているのだと仲間内で見合っていた。メグミの言う通り混乱した挙げ句、もちろん誰も彼女のことを知らなかったためか、一様に首をひねっていた。

     

     このような大事な会合で妄言を吐いたとなれば、当然のようにいい扱いはされない。無視して話を進めてもらえればいいほうだろう。
     ただ、赤東の面々は、一方的に伸ばされた彼女の手を、恐る恐るだが掴もうとした。

     

    「いったいあんたは……?」
    「お祀りしてるメガミ様でもねえし、めぐみなんて子聞いたことねえが……どこん家の子だったんだ?」

     

     真摯な感情に邪険にするわけにもいかなかったのか、優しく問いかけた。
     メグミはそれにほっとしたようで、気持ちを切り替えるように頬を叩く。目端に残った涙を、身なりからすると逞しい指先がすくった。
     深呼吸一つしてから、彼女は問いに答える。

     

    「あたしの人間だった頃の名前は、 瀧河希 たきがわめぐみ 。でも、それは訳あって名乗ってた通名なんだ」

     

     そして、真名が告げられる。

     

    「あたしの本名は 龍ノ宮希 たつのみやめぐみ 。龍ノ宮一志の、実の娘だよ」
    「……!?」

     

     驚愕のあまり、誰もが絶句する。
     その男の名がここで出てくるなどと、誰が想像していようか。
     あまつさえ、彼の遺志を継いだ旧龍ノ宮連合の者たちがいる前で。
     ……あまつさえ、彼の首を断ち切った者のいる前で。

     

    「龍ノ宮さんの……」

     

     ぽつり、と次に作られた声は、ユリナの呟きだった。
     それを耳にしたか、メグミはユリナへと顔を向けた。メグミがどこまでこちらの事情を知っているか、推し量ることはできなかったが、少なくともその眼差しに敵意はなかった。

     

     彼女の正体に心当たりがあるはずもない。
     ユリナはここに来てようやく、ハガネが言っていた『違う歴史』という言葉の意味を実感し始めていた。
     英雄譚の中で没したはずの男の娘だというのなら。
     跡取りすらいなかった男の実の娘だというのなら。
     メグミは、命運を受け入れたように、その事実を告げる。

     

    「うん……だから、ここにあたしはいない」
    「…………」

     

     それにどう返していいのか、ユリナには分からなかった。
     ありそうにもない言葉を探しているうちに、メグミは皆へと向き直る。
     彼女が辿った歴史を、今こそ詳らかにするために。

     

    「ここにいるみんなに知ってほしい。向こう側で、何があったのか」

     

     

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