『八葉鏡の徒桜』エピソード6−5:天音で夜風に身を焦がし

2020.07.24 Friday

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     茜色の雲が、刻一刻と黄昏に染まっていく。向かいの山と山の間に夕日がちょうど沈み始めたいて、昼の時間が大地に呑み込まれていくようだ。平野ではもうしばらく明かりに頼らなくてもいい頃合いだが、この山間ではこれからあっという間に手元が不確かになってしまう。

     

    「真っ暗になる前に着いてよかったですね……」

     

     安堵の声を漏らすのはヤツハだ。瑞泉での長きに亘る滞在は、野原で過ごす旅の夜は苦労の証であると、彼女に認識させるには十分だった。この二日ほど、うまい具合に宿場に留まれなかったこともあってか、疲れが滲み出ているようだ。

     

     ヤツハたちが辿り着いた町の名は天音。桜降る代において地理的に中央付近に位置する町であるが、それは山々に囲まれているという事実を示している。咲ヶ原の山脈地帯ほどではないにせよ、ヤツハが当分地平の向こうを拝めていない程度には山間に構えられた集落だ。

     

     

     ここに至るまでには、龍ノ宮を出てから北上し、東の港町である蟹河を経由して、そこから西に行くことさらに四日。街道の途中では岩山を延々と迂回させられたために、地図で見るより随分と長く感じられる道程であった。

     

    「話を聞く限り、もうちょっと来やすい場所かと思っていましたけど、結構かかっちゃいましたね」
    「これでも道は整備したって話らしいんですけどねえ。西から来る分にはここまで大変じゃないはずなので、抜けるのは楽だと思いますよ」

     

     苦笑いしながら、ハツミが苦言を受け止める。
     今までヤツハが訪れたどの街と比べても、ここの交通の便の悪さは目に余る。単純に道が悪いことに加え、南部の岩山地帯の存在もあって途中にまともな宿もない。昔は流通の要ではあったものの、海路の発展によって衰退していったことも頷ける。明らかに、自然と人の集まる類の土地ではなかった。

     

     しかし、目の前に広がる光景は、天音がただの僻地ではないことを示していた。
     西に向かって伸びる道を中心に広がる街並みは、宿場の賑やかさを何倍にもしたようで、この時間から早くも焚かれた灯りが、景気の良い明るさとなって遠くからでも視認できる。その灯りの数だけ客がいると思えば、実に活気に満ちた宿場町と言えよう。

     

     足を運ぶ価値がなければ、このような賑やかさは生まれない。
     天音を、これほどの町足らしめているもの。

     

    「おぉぉぉっ、凌いだぁ!?」
    「……?」

     

     熱気を帯びたどよめきが、ヤツハの耳に入った。
     視線を彷徨わせれば、もう宿に戻るような頃合いだというのに、小高い丘の上に人々が集まっていた。人の輪の中心では、小ぶりな神座桜が夕焼けの中でも煌めいており、さらに剣戟を閃かせる男女が舞うような戦いを繰り広げていた。

     

     男のミコトが爆風のように散らした炎が、追撃を試みようとしていたらしい女の気勢を削ぐ。生み出された隙を貫くよう、彼は虚空から肉厚な刀身の刀を顕現させ、相手を一刀の下に打ち据えた。
     痛手を負った女のミコトは、失われた守りを補うためか、青く透き通るような色合いの水晶を生み出した。盾となったそれに男は構うことなく、居合の形で強引に彼我の距離を切り裂くが、打ち砕かれた水晶の奥では間合いを離した女がその手に薙刀を顕現させていた。

     

    「えやァーッ!」

     

     甲高い気迫の叫びが、山間に響き渡る。
     一撃、二撃、そして三撃、と。描かれた白銀の軌跡が男の身体を捉え、傷口から砕けた結晶が鮮血の如く溢れ出す。
     だが、散った桜霞を力に変え、男が高く飛び上がった。

     

    「おぉぉぉぁぁッ!」

     

     吠える彼に決着の到来を見たか、歓声がいっときばかり止んだ。
     天から月を落とすような強烈な斬撃が、薙刀を振り抜いた女へと襲いかかる。
     しかし彼女もまたそれを予測していたのか、技の勢いを殺すことなくくるりと一回転。刃の代わりに顕現させた扇を手に、自らを花弁の如く、円を描くように舞う。

     

     彼方からでは捉えきれない刹那の稠密な交錯の果て、立っていたのは女だ。

     

     

     振り下ろされた必殺の一撃を捌き、受け流し、最後の邂逅を後の先にて制した彼女の視線の先には、敗北の認めるように倒れ伏した男の姿があった。

     

    「うおぉぉぉ! 決まったァ!」
    「ありゃあ行くしかねえよ! うまく詰め切った!」
    「くぁーっ、あそこでもっと前に出てりゃあなぁ! 惜しかった!」

     

     静寂から一転、湧き上がる歓声が二人の激闘を讃える。勝利した女が貸した手を、男が悔しさを滲ませながら取る中、観客たちは戦いの流れを身振り手振りで再現しながら口々に感想を言い合っているようだ。そのうち、当のミコトたちもその感想戦へと混ざっていった。

     

     桜花決闘。それも、正しく今この時代における、桜降る代の桜花決闘だ。
     ヤツハは色んな町で噂を聞き、実際に決闘で盛り上がっている様子も見た。山城においては自ら体験もした。
     けれど、そのどれもが、これほどの熱量があったとは思えない。
     思わず見入っていたこの光景こそが、天音を決闘の聖地足らしめている。
     そう、この町は桜花決闘に対する想いを燃やす地であり、それ故に各地から人々が集い、宿場町としてここまで栄えたのである。

     

    「これが、ユリナさんの……」

     

     ぽつり、とこみ上げる情動が口をついて出る。
     それにハツミは柔和な笑みを浮かべながら、

     

    「ええ、そうです。こここそが、人間・天音揺波が生まれ、そして彼女が桜花決闘を愛したからこそ生まれた町・天音です。この辺りの桜の下では常に剣戟が鳴り響く、って言われるくらい、日常的に決闘が行われているんですよ」
    「すごいです……」

     

     ヤツハは伝わってくる熱気に圧倒されながら、言葉もろくに選べないほど呆然とその光景を眺めていた。
     と、そんな彼女へ、随分と先に進んでいたクルルが呼びかける。

     

    「やっつはーん! はっつみーん! 置いてっちゃいますよぅ!」
    「うおっと、そうでした。急いで宿も探さないと。ヤツハ、行きましょう」
    「あ……ごめんなさい」

     

     気づけば、足は完全に止まっていた。
     せっかちな星が瞬き始めた空の下、今見たこの町の姿を胸にしまってから、ヤツハは小走りに駆けていった。

     

     

     

     


     その日の夜。

     

    「…………」

     

     布団の中で、ぱちり、とヤツハは目を開けた。明日のために寝よう寝ようと思って瞼を落としていたものの、妙に冴えたままの意識に観念した形だった。
     首を倒して隣を見ると、わざわざ用意してもらったふかふかの掛け布団を放り出したクルルが、一番廊下側にある、さらに隣の布団の上に覆い被さってふにゃふにゃと寝言を呟いていた。か細い苦悶の声がその下から聞こえてくる。

     

     身体を起こしたヤツハは、音を立てないように布団から抜け出した。蚊帳からも出て、妙に火照った身体を冷ますように窓辺に腰掛けると、山から下りてきた涼風が髪を緩やかに揺らしていった。
     外では夜空に輝ける星々と、この宿から少し離れた地上で咲いている神座桜の輝きとが、火花を散らすように天音の夜を照らしている。流石にもう、刃が打ち合う音は聞こえてこない。

     

    「ふぅ……」

     

     吐息が、夜陰に紛れて消えていく。
     瑞泉で迎えたあの日から、夜はつい考え込んでしまいがちだった。
     『私は何なのか』――目的地に辿り着くまで答えが出ることはないだろうに、ヤツハの頭は思考を止めてくれやしない。眠れなかった夜も何度もある。

     

     しかし今、彼女の脳裏に浮かんでいるものは、昨日までとは違っていた。
     高鳴る剣戟に称え合うミコトたち、湧き上がる歓声――すなわち、今日行きずりに見た桜花決闘と、この町の盛り上がりだ。その熱が感情を炙っているかのように、何度もあの光景を思い出してしまう。
     どうしてこうまで意識してしまっているのか、ヤツハには不思議でならなかった。
     自分はそれほどに、桜花決闘が好きだったのだろうか、と自問する。

     

    「んー……」

     

     好きか嫌いかで言えば、好きなのかもしれない。ユリナに答えた言葉が蘇る。
     実験の中とはいえ、青雲と戦い続ける中で、だんだんと自身の技が通用していくのは楽しかった。最初は意表を突くことで優位を取っていたが、数戦のうちに手球に取られるようになり、それから数ヶ月を経て、今度は実力が通じるようになってきた。

     

     初めのうちは自分が成長する様が楽しかっただけなのかとも思っていたが、途中から明確に勝ち負けを意識し始めていたのも確かだ。その状態でずっと負け続けていて、結局気持ちが折れることもなかったのだから、少なくとも桜花決闘が嫌いだとは言えないはずである。
     ならば、今もそこまで向き合っている桜花決闘に、身を捧げたいのか――浮かんだ問いに、ゆるゆると首を振りながら、窓枠に預けた腕へ顔を埋めた。

     

     今日戦っていた二人や、山城で決闘をした夕羅などは、応と答える様が思い浮かぶ。一方で、彼らから伝わってきた想いと自身の間には、薄くとも容易には破れない壁の存在を確かに感じていた。
     ましてや、その究極たるユリナのように在ることなど、想像することもできない。
     彼女たちの強い在り方に押されているかもしれないけれど、己の本質が桜花決闘に依拠しているとは思えなかった。理性は辛うじて、まだ判断するのは早計かもしれない、と訴えていたが、それも随分と弱々しい。

     

    「青雲さん、ユリナさん……夕羅さん……あとは、天詞さん」

     

     この地で出会ったミコトやメガミのことを考える。決して知り合った数は多くないけれど、その中であっても桜花決闘への向き合い方には違いを感じていた。
     例えば青雲はあれだけの強さを誇りながら、決闘を取り仕切る立場である宮司として積極的に刃を振るうことはなかったようだし、古鷹の当主を務める天詞も芸能へと取り入れることに興味を向けてはいるものの、その舞台そのものを本分とはしていないようだった。
     どちらもヤツハには相当の実力者であると感じられるものの、夕羅やユリナのような熱があるという印象はない。そういった距離感で接する側に自分もいるのかもしれない、という予感が彼女にはあった。

     

     では何故、と最初の疑問へと戻る。
     熱に感化されたわけではないのなら、どうして今日の決闘が気になっているのだろうか。
     あの賑わいに、温かい喧騒に、どこか焦がれてしまうのだろうか。

     

    「…………」

     

     声には出さず、分かりません、と口を形作った。
     それでもヤツハは焦がれてしまっている。心が焼け付きそうなほどに。

     

    「こころ……」

     

     山風でも冷やしきれない熱に思考が巡る中、ふとその単語から記憶が呼び起こされる。
     この帰路で出会ったメガミは、こう言っていた。

     

    「ココロに、従う」

     

     去来したそれを、小さく声に出してみる。不思議とそれは、ヤツハの心に馴染んでいった。
     この情動が何なのか、はっきりと言葉にすることはできない。自分の正体と同じように、説明することもできない。
     だったら、分からないのならば。

     

    「……うん」

     

     従ってみよう。
     今分かる心の声に、耳を傾けてみよう。
     自分がここにいる、その理由、その意思に。

     

    『私は、私を知りたい』

     

     目覚めから今に至るまで変わらない気持ちを、ヤツハの心はきちんと返してくれる。
     ただ、熟したように胸に溜まった熱は、その声をさらに後押ししてくれた。

     

    「絶対に」

     

     決意が、窓から桜降る代へ染み渡る。
     宿から眺める景色の中に、北へと続く山々が聳えていた。

     

     

     

     


     そして一行は、確かな目的を胸に大地を進んでいった。
     渓谷を抜け、玄関口たる御冬の里も抜け、その先へと。
     桜降る代を一周し、始まりの場所へ帰るように。

     

     

    「う、くっ……」

     

     吹雪が、全身に叩きつけられる。極寒の冷気が肌を深く刺す。
     自らが人でないからこそ耐えられるけれど、ヤツハにはこの冷気が自然からの拒絶であると感じられてやまなかった。それを無視してひた進むことに僅かな罪悪感を覚えていることは否定できなかったが、先を求める彼女の意思が両の脚に雪をかき分けさせる。

     

     道らしき道はとうになく、クルルの指示によって白に覆われた世界を行く。当時の記録から得た指針がなければ、延々と彷徨い歩いた果てに氷像と化してしまうだろう。
     立ち入ることさえも、ましてや何かを求めることなんて。
     ここはもう、人の領域には非ず。
     そう――

     

    『この先は、我が領域ぞ』

     

     何処からか響いてきた威圧的な声が、耳を打つ。
     まさに今踏みしめた地がどこであるのか――それを理解したからこそ、ヤツハはこの遭遇を当然のものと受け入れる。あの頃とは違う覚悟と共に、意思を込めて歩みを続ける。

     

     全てを呑み込んでいた吹雪の音が、不思議と遠くへと追いやられ、聞こえなくなる。
     何故ならヤツハに向けられたその声は、守護者のものだから。
     この地に受け入れられたものだから。
     拝聴を強いるかのように、舞台は『彼女』のために鳴りを潜める。

     

    「貴様らがこの地へと踏み込むこと、我が許すと思うか」

     

     

     白銀の帳の向こうから、肉声と共に人の形が現れた。
     北限の守護者・コルヌ。
     その瞳が、一行の先頭に立つヤツハをはっきりと見据えている。
     初めて出会ったあのときのように腕を組み、冷たい視線を投げつけてくる彼女には、やはり冷徹という言葉が似合っていた。

     

     だから今のヤツハは、瞳を逸らさない。
     今のヤツハは、一歩、前へと踏み込む。
     凍てつくような視線を向けられても、確と相対するだけの意思を胸に抱いて。

     

    「はい……。私は……私を、知りたいから」

     

     故に、ここへ戻ってきた。
     意思を貫くために、往時の言葉を自ら翻す。この地から出ていくという対価を取り下げるのであれば、必然待ち受ける試練を既に受け入れているように。
     ならばあとは、番人に告げるのみ。

     

    「だから、あなたに『挑戦』します」
    「…………」

     

     コルヌの表情が小さく揺ぐ。それでも、二柱の視線は互いを射抜いたままだった。
     やがて彼女は、ヤツハの態度に呆れすら通り越したのか、それとも何かを見定めたのか、その端正な顔立ちを少したりとも動かすことなく、静かにこう答える。

     

    「よかろう」

     

     その肯定に、ヤツハの表情が揺らぐことはなかった。

     

    「北限の守護者として、役割の遂行者として、そして人々の挑戦を受け入れる自然のメガミとして。我は、貴様を試そう」

     

     組んでいた腕を解き、右の手をヤツハへと突き出す。
     それ以上、彼女から問われることは何もなかった。
     余計な言葉は不要とばかりに、試練の担い手はただ宣言する。

     

    「北限の守護者、コルヌ。桜降る代に、決闘を」

     

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