『八葉鏡の徒桜』エピソード6−1:瑞泉で自分を探して(前篇)

2020.07.20 Monday

0

    《前へ》      《目録へ》      《次へ》

     

     瑞泉という街は、港湾に流れ込む長柄河によって東西に二分されている。どちらも沿岸部は大きな港として賑わっているが、そこから河を遡るように蔵町を抜けて北部に至ると、のどかな郊外の様子が見えてくる。
     道を商人が忙しなく行き交っていた中心街とは打って変わって、物流を担う都市としての役割なんて知らないとでも言うようだ。繁栄から置き捨てられてしまったその土地は、遠くに見える瑞泉城のお膝元とは時間の流れすら異なっているようである。

     

     そんな差異に驚きながらも、ヤツハはクルルの導きのままに目的地へと向かっていた。人々の営みの間を通り、足を踏み入れたのは木々に覆われた小さな小さな山である。
     頂きへ続く小ぶりな石段にはありのままの石の形が多く並んでおり、踵の尖ったヤツハの履物では上りづらい。掃き清められてこそいるが、ここに通う者の足取りに段がすり減っているということもなく、人気の無さも相まってどこかうら寂しい。

     

    「つきましたよぉ」

     

     そうしてたどり着いたのは、古びた神社であった。
     見通しのよくなった境内の奥に、質素かつこぢんまりとした拝殿が、登頂してきた者を出迎える。きちんと人の手が入っていると分かる程度に見てくれは整えられているが、所々朽ちて痩せてしまった柱は、丁寧な手入れだけでは誤魔化しきれない時間の経過を物語っている。

     

     右手側では、神座桜が境内に唯一色を添えていた。だが、しとしとと花弁を散らせるその桜もとても小ぶりであり、小さな社と背くらべをしている始末である。今までヤツハが見てきた中でもいっとう控えめな桜で、別段目を引かれるような華やかさはなかった。

     

     

    「……?」

     

     そんな光景が逆に意外だったのか、ヤツハは不思議そうに辺りを見渡していた。
     旅の中でクルルに案内されたような、街の名所とは思えない。さりとてメガミと深い関わりがあるような特別感も見受けられない。海の中に咲く桜や、根元から温泉が湧き出る桜に比べてしまうと、場所が場所ならどこにでもあるような神社としかヤツハには感じられなかった。

     

    「あの……」

     

     そのまますたすたと社へ向かっていくクルルに、疑問を呈するべく声を上げようとする。
     けれど、それは一つの声によって妨げられた。

     

    「おや、これは珍しい」

     

     その源は、社の脇から姿を現した壮年の男だった。薄墨色をした作務衣を纏っており、手ぬぐいで髪をまとめ、手には箒を携えている。皺の刻まれ始めた面差しには、少しくたびれたような理知的な眼差しが浮かんでいた。
     この神社の者だろうか――そう思い、ヤツハは小さく会釈する。
     そして頼るようにクルルへ視線を向けると、彼女はその男にぶんぶんと手を振っていた。

     

    「おおーっ、おっひさーなのですぅ! しゅー――……うゆ?」

     

     ただ、知己らしい男が手で制止を示す。
     手を上げたまま固まるクルルに、彼は一言だけ添える。

     

    「今は」
    「そーでしたそーでした。改めましておっひさーなのですぅ、せーうん!」

     

     そのまま歩み寄り、クルルと共に拝殿の前で彼に対峙する。遠目からでは線が細く見えたものの、一本芯が通ったような佇まいが静かなる強かさを印象付けてくる。両の手では、ミコトの証が小さく主張をしていた。
     彼はヤツハに淡い笑みを向けると、

     

    「お初にお目にかかる。この神社の宮司を務める青雲という」
    「これはどうも……ヤツハ、とお呼びくださ――きゃっ!?」

     

     ただ、互いの礼すら待ちきれなかったのか、頭を上げようとしたヤツハの肩をクルルが勢いよく掴んだ。
     それから青雲に紹介するように突き出され、僅かに興奮したクルルの声が耳元から聞こえてくる。

     

    「聞いてくださいよぉ! このやつはん、なんとメガミなのに権能も分からなければ記憶もない、北限産のびっぐとれじゃーなのです! その謎を探るべく、我々くるるん探検隊は遠路はるばるこの瑞泉まで――」
    「待て。まあ待て」

     

     いつも通りヤツハが話さなかったことまで口にし始めるクルルを、青雲は再び制した。こめかみに手を当てるその様子は、頭痛の種が舞い込んできたような、それでいてどこか呆れるような、クルルの奔放さに慣れた者の姿に見えた。
     彼は深くため息をつくと、ヤツハたちを促すように神社を示す。

     

    「その出掛かりだけでも、事情は察するに余りある。立ち話もなんだ、時間があるなら上がっていきなさい」

     

     それに間の抜けた返事をしながら、クルルは歩き出した彼の後におとなしくついていく。
     この地のメガミについて聞きに来たことなんて、彼女の頭の中から既に抜け落ちていそうだった。けれどヤツハは、旅の事情のことをクルルが嬉々として宮司に話したこともまた気になっていた。今までのクルルは、面倒事を避けるためというより、積極的に話せる相手がいないようでもあったのだ。

     

     宮司がそれだけの人物であれば、実験についても何かいい知恵をくれるかもしれない。
     新たな出会いを得たヤツハは、軽い足取りで二人の背中を追っていった。

     

     

     

     


     ボーン、ボーン、と調度から鈍い鐘の音が鳴った。旅の中、上等な宿で時折見かけた置き時計であった。ヤツハの知るものは背丈に届くほどの大きさだったが、今鳴いているそれは箪笥の上に置かれる程度に小さくなっている。こういった時計もまた自分の発明なのだと、以前クルルが解説してきたことを思い出す。

     

    「……なるほど、事情は理解した。まったく、久しぶりに会ったかと思えば……」

     

     言葉とは裏腹に、口端が少し歪んでいたのを自覚したのか、青雲はそれを誤魔化すように冷め始めた茶を啜った。
     本殿の後ろに続く社務所に案内されたヤツハたちは、これまでの旅路を軽くなぞりながら、瑞泉にまで至った経緯を語ることとなった。山城でミズキに説明して以来ではあったが、クルルの脱線を咎める程度で、聞き上手だった青雲相手に話し終えるには、そう時間はかからなかった。

     

     通された部屋は生活感に溢れた畳敷きの居間で、ここには青雲が一人で住んでいるらしかった。大昔はこの地域の寄合所として使われていたものを、もう使っていないから、と着任の際に手を入れて暮らせるようにしたそうだ。もはや社務所かも怪しい、とは青雲の言。
     彼との間に置かれた囲炉裏で、薪が遠慮がちに爆ぜる。茶請けに菜っ葉の漬物を出されていたが、何故かクルルは警戒したように一切口をつけていなかった。

     

    「そういうことであれば、ちょうど協力できることがありそうだ」
    「と、言いますと……?」

     

     先を促すヤツハに、青雲は早速天啓をもたらしてくれた。

     

    「実験の場に困っているのなら、この神社を使うというのはどうだろうか」
    「……!」
    「翁玄桜に比べれば随分と見劣りするが、きちんと桜もある。装置を完全な形で使わないのであれば支障はないはずだ。それに、ここに詣でに来る者はまずいないから、目立つ心配もしなくていい。……宮司の私が言うのもどうかと思うが」

     

     悪戯めいて自嘲した彼の提案に、ヤツハは喜色を滲ませてクルルを見やった。
     頭の中で計算を終えたらしいクルルの焦点は、既にここにはなかった。まだ始まってもいない実験の様子に胸躍らせ、目をきらきらと輝かせている。

     

    「流石せーうん、なーいすあいであーっ! ここの桜の基礎さえ分かれば、全然問題なっしんぐぅなのですぅ!」

     

     クルルは興奮のままに叫ぶと、勢いよく跳び上がるようにして立ち上がる。
     そのまま、居ても立っても居られないというように足踏みをしながら、

     

    「そうと決まればさっそく実験しましょう! ちょっくら研究所まで行ってくるんで、その間に準備よろしくですぅ!」
    「えっ、準備って何を――あっ、くるるんさーん!」

     

     ヤツハが制止する暇もなく、クルルは理不尽な頼みを言い残して玄関のほうへと消えていった。外から漏れ聞こえてくる足音はすぐに止み、代わりにぎゅるぎゅる、という回転音が響いてきて、それもあっという間に遠くへ行ってしまった。
     生まれてはすぐに過ぎ去った嵐に、ヤツハは同じく残された青雲と顔を見合わせる。
     先に苦笑いを零したのはヤツハのほうだった。けれど、先に呆れを口から漏らしたのは嘆息混じりの青雲であった。

     

    「相変わらずだな……」
    「あ……」

     

     その呟きが、ヤツハの喉まで出かかっていた、似た旨の言葉を堰き止めた。全く同じことを考えていたのがなんだかおかしくて、小さく笑った彼女に、今度は青雲も笑みを返す。出会ったばかりだというのに、クルルというたった一つの共通項が親近感を抱かせる。

     

     頼まれた準備とやらに心当たりがないヤツハには、出ていったばかりのクルルの帰りを待つことしかできない。
     だからヤツハは、これを機に気になっていたことを青雲に訊ねることにした。

     

    「あの……くるるんさんとは、どういうご関係なんですか?」

     

     彼がクルルを宿しているとしても、この僅かな間に生まれたやり取りは、ただのメガミとミコトの関係という以上の深い繋がりを感じさせる。煙家から瑞泉に至るまで、何人かの絡繰職人とは出会ったが、彼らは絡繰を介して繋がる同好の士のようでしかなかった。
     ただ、答える青雲は、その微笑みのように曖昧に返すだけだった。

     

    「昔、色々とね」
    「色々……ですか」
    「クルル自身は、ご覧になった通りで今も昔もあの破天荒ぶりは変わらない。だが、あのときはむしろ、私のほうが迷惑をかけたかもしれなくてな」

     

     淡々と告げながらも、彼の話し方は微かに自省を含んでいるように聞こえた。口元に少し寄った皺は、ヤツハにはどれくらいかも分からない、『昔』からの時間の経過を示しているようであった。
     ヤツハにはそれが意外で、つい問いを続けてしまう。

     

    「そんなようには見えませんでしたが、何があったんですか……?」
    「面白い話ではないさ」

     

     そっけなく告げた青雲は、流れを断ち切るように炉端の薬缶から急須に湯を注ぐ。視線で茶のおかわりを勧められたヤツハは、湯呑を差し出す代わりにそれ以上深く追求することはしなかった。
     青雲は一服してから、

     

    「さて、先程は君の身の上話のほうに集中してしまって申し訳なかった。今度は君の疑問について答えることにしようか。この街に縁の深いメガミ……だったかな?」
    「は、はい! そう、ですね」

     

     経緯を説明している中でさらりと触れただけであったが、彼はきちんと覚えていてくれたようだ。そのうち自分から改めて訊ねようと思っていたヤツハは、いきなり自分に焦点を当てられて一呼吸置いた。
     これを聞くことも最後になるのかもしれない――そんな感傷を過ぎらせながら、今まで己の中で何度も反復した理由を伝える。

     

    「私には、記憶がありませんから……。メガミとしての在り方を知るために、メガミの皆さんのことを知りたいんです。ここに来るまでに立ち寄った街で、色んな方のお話を聞いたり直接お会いしたりしました。じゃあ、瑞泉ではどうなのかな、って」
    「ふむ……瑞泉のメガミ、か」

     

     対し、青雲は顎を擦りながら眉間に皺を寄せた。予想していた難問が、予想通りに投げかけられたとでもいうような態度だ。
    彼は考えをまとめながら、それを口に出していく。

     

    「今の瑞泉と縁深いメガミ……それが誰かというと、なかなか難しいな。この街の人間は、自分が信じるメガミを信じている、とでも言えばいいだろうか。この地域に古くから伝わるメガミの伝承もないから、皆信仰しているメガミというのもいないんだ」
    「そうなんですね……」
    「研究者たちはクルルを真っ先に挙げるだろうが、他の人々にとってはそうではない。色々とあって疎まれてもいるからな」

     

     城や街の中で向けられた視線を思い出して、こくりと頷く。

     

    「あれ以外で強いて言うなら……そうだな。瑞泉の特色には、新しいものを貪欲に取り入れる気っ風がある。故に、近年新たに列せられた、かの英雄たち――特に、チカゲ、サリヤなどを信じる者は多いかもしれない」

     

     未だ知らぬその二柱の名前を、ヤツハは胸に刻んだ。
     さらに青雲は、無意識にか腕組みまでして言葉を探していたようだったが、

     

    「それから――…………」
    「……?」

     

     ふと、どこか遠くを見るような眼差しのまま、彼は場に沈黙を生んだ。
     不思議そうにヤツハが先を待っていると、やがて青雲の焦点はヤツハ自身へと合わせられた。
     彼が間を置いて口にしたのは、問いだ。

     

    「逆に訊こう。ここまで旅をしてきて、今のこの桜降る代について、どう思った?」
    「えっ……?」

     

     思っても見なかった質問に、ヤツハが目をぱちくりとさせて彼を見返す。
     青雲は続けて意図を語ることはなく、居住まいを正して傾聴の姿勢をとっていた。はぐらかされたわけではないことは明らかで、彼は何か答えを待っているようだった。

     

    「桜降る代……」

     

     ぽつりと、反芻するようにその名を零す。
     何も知らないところから、ヤツハの旅は始まった。わけの分からないままに手を引かれ、何も知らないながらに選び取ったのは、知って先に進むという未来だった。
     自身のことは、これから分かる。けれど、それと同じくらい、この地のことを旅を通して知ろうとしてきた。まだまだ見たことのないこの地の顔があるのかもしれないけれど、皆に教えられて、自ら訊ねて、これまで色んなことを知ってきた。

     

     言われて振り返ってみると、たくさんの思い出が胸の奥から溢れ出してくる。
     それを一つ一つ愛でるように、暖かな笑顔を湛えて、ヤツハは応じる。

     

    「とっても、楽しかったです……!」

     

     飾らない想いが、口をついて出ていた。ヤツハにとっての桜降る代が、まだ整理しきれていない生の言葉となって、問いへの答えを成していく。

     

    「たくさんの素敵な方々に出会って、桜はどれも美しくて……どこの街も、雰囲気は違っていても、どきどきするような活気があって。私が誰かなんて関係ないみたいに、気づけば輪の中に入っていることもありました」
    「…………」
    「それはここが、人と、メガミが、お互いに触れ合う場所だからかもしれません。関わり方も色々あるんだって知りました。桜降る代の景色はたぶんそこから作られていて、きっと今、その中心にあるのは――」

     

     辿々しくも至った結論を、彼女は告げる。

     

    『桜花決闘』

     

     それに、一言一句違わない青雲の声が重なった。
     ヤツハはそこで思い出の中から引き戻されたようになったが、向かい合う青雲は、どこか安堵したような穏やかな表情を浮かべていた。
     間を置くように湯呑に口をつけた彼は、ヤツハへの回答を再開した。

     

    「私にとって、この地と縁深いメガミはチカゲでもサリヤでもない。クルルはそうかもしれないが、もう一柱は明確に異なる」

     

     そして彼は、泰然とその提案を告げた。

     

    「折角だ。私との決闘を通して、その意思をお見せしよう」
    「えっ……!」

     

     小さな驚きがヤツハから生まれる。彼がミコトであることは分かっていたのに、その可能性は意識から完全に抜け落ちてしまっていた。夕羅という戦意旺盛な相手のことが印象づいてしまっていたからかもしれなかった。
     そんなヤツハに対し、青雲は続ける。

     

    「それに旅の話を聞く限り、桜花決闘に慣れておくのは、君の正体を知るためにも有益のはずだ。桜花決闘を通したほうが力を引き出しやすいのならば、クルルもまたそれを実験に取り入れるだろう。あるいは奴の言う準備とは、案外このことかもしれないな」
    「……! そういうことなら、確かに……」

     

     初めての決闘を終えた後、再度の決闘の観察を何度か示唆されていたことを思い出す。今も平時には満足に権能を使えない以上、それは半ば必然の選択肢かもしれなかった。
     となれば、ヤツハには是と言う他なかった。

     

    「で、では、お相手よろしくおねがいします……!」

     

     頭を下げる彼女を見送り、青雲が席を立つ。
     決闘の舞台が、この家の壁一枚隔てた向こう側で待っている。

     

    「ふっ……宮司として桜花決闘を取り仕切る立場だが、一応ミコトとしてもそれなりの腕はある。甘くは見ないことだ」

     

     振り返りながら、僅かな不敵さを表情に浮かべる青雲。
     実験についていい知恵をくれるどころか、直接の手伝いまでしてくれる。そんな青雲に出会えた幸運に感謝しながら、俄に近づきがたい圧を醸し出す彼の背中をヤツハは追っていった。

     

    《前へ》      《目録へ》      《次へ》