『八葉鏡の徒桜』エピソード3−3:暁

2019.11.14 Thursday

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    「く、うぅ……!」

     

     全身を激しく打つ雨が体力を奪う。稲鳴の民にとって、突然嵐に見舞われることはそう珍しいことではないが、礫のように雨粒を叩きつけてくるこんな大嵐を夕羅は経験したことがなかった。
     荒れ狂う暴風は海原をかき乱し、迫る船がその混沌に呑み込まれていく。どこかの浜に打ち上げられたら御の字で、乗員の大半は海の藻屑と化して二度と大地を踏むことはないだろう。

     

     彼らの明暗を分けているものは、船頭の腕か、先程ハツミを撃ち落とした力によるものか、あるいは運か……壁のような雨で詳しい船上の様子は分からないものの、ある船は転覆し、またある船は引き返し、と時の流れに従って少しずつ脱落していっていることには違いない。
     夕羅は、今自分が引き出している力がこの自然の要塞を築き上げているのだという自負の下、敵が退けられていく様をしっかりと目に焼き付ける。
     だが、苦しいのは彼らだけではない。

     

    「っ、う……! あぁ、はぁはぁっ……」

     

     彼女の隣にいた戦士が、限界を覚えたのか膝をつく。息を荒げながらも弱々しく掲げる腕からは、不安定な力が天に供給されていくのを夕羅は感じる。
     大嵐によって大きな被害を被っているのは確かに相手方だ。しかし、夕羅もまた自らの力が、それこそ普段の決闘以上の勢いで放たれていることを痛感していた。一瞬の煌めきで潰えてしまわなかったことに安堵したほどには、彼女の余力もそう大きくはない。

     

    「おい、大丈夫か!?」
    「ま、まだ……だ! まだ、やれる……!」

     

     もう一人の男に心配される彼だったが、その言葉とは裏腹に力の勢いが満足に戻ることはない。夕羅には、そのことだけ分かっていればよかった。彼自身に気を配る余裕がないことは、夕羅が一番よく理解していた。
     そもそもここは、既に戦場だ。拳を緩めてしまえば、敵はより強く拳を握り締める。
     ライラも同じ想いなのか、

     

    「ごめん……! でも、今は……!」

     

     焦燥の滲む願いは、侵略者たちが目前に迫ったことを暗に告げている。
     嵐を切り裂き進む船団、その先頭。ひときわ大きな一隻の船は、正面から吹き付けてくる暴風に苦しめられながら、それでも確かな力強さと共に陸へと手を伸ばさんとしていた。
     その船から発されるのは、心臓を穿つような敵意と、恐怖を呼び起こす威圧感。それが、夕羅の直感を辿って胸を強く蝕んでくる。

     

     未曾有とも呼べる嵐でも抗しきれない。
     ならばこのか細い均衡が崩れた結果など目に見えている。

     

    「ぁ、が……ライ、ら、さま……」
    「……!」

     

     一人目が、受け身も取らずに顔から地に伏した。全身の力をも振り絞ったように、彼から送り出される力が完全に失われた。
     影響はすぐさま現れる。凄まじい暴風に、気を抜けば吹き飛ばされてしまうほどだったものが、踏ん張る脚に余裕が出てきてしまった。滝のような雨も、随分と労りが感じられるようになったほどだ。

     

     依然として人には抗えない嵐ではあるものの、城壁は僅かでも綻べば敵の侵入を許す。事実、未だ大半の船は足止めをされていたが、先陣を切る大船は箍を外したかのようにこちらへと猛進していた。
     必死に力を送り込もうとしても、再び勢いを止めるだけの嵐には戻らない。

     

    「だめだ、突っ込んでくるぞォ!」

     

     誰かの叫びが、雷鳴と共に海岸に響く。
     次の瞬間、暴走するように突き進んだ船が、磯の大岩に正面から激突した。

     

    「っ……!」

     

     あまりの勢いに、衝撃音が夕羅にも微かに届いてきたほど。船首が耐えきれずに砕け、散っていく残骸を波が残さず平らげていく。
     そして、散っていくのはそれだけではなかった。
     紅色の人影が大破した船を見捨て、わらわらと何人も岩礁を駆けてくる。
     脅威は、ついに稲鳴へ足を着けたのだ。

     

    「ごめん……、らい、嵐、つくる……!」
    「者共、上陸した連中を抑えろ! ライラ様をお守りせねば後続が来るぞ!」

     

     ライラの苦しげな決断を汲んだ長が、周囲で待機していた戦士たちへと指示を飛ばす。白兵戦への誘いに、夕羅もまた天に訴える手を止めた。

     

    「神代枝、行くぞ!」

     

     岬から戦士たちと共に飛び降りた彼女に、桜の花弁が舞い落ちてくる。儀式で失われた力が戻っていく感覚に身体は奮えるものの、削り取られた気力はそう埋められるものではない。これから行うことを思えばなおさらだった。
     足場の悪い岩場に、めいめい得物を顕現させた稲鳴の戦士たちが立ち並ぶ。大嵐を乗り越えられた今、この戦線こそがメガミをも恐れぬ侵略者を妨げる最後の防波堤と言っても過言ではなかった。

     

     上陸したのは、およそ十を超えるほど。頭から脚まで覆う赤黒い外套を揃って身に纏い、陰に覗く眼光は恐ろしいほどに鋭い。岬から吹き下ろす強風を物ともせずに、いっそ悠然と夕羅たちへと歩みを進めていた。

     

    「おまえら、千洲波の連中か!? 何が目的だ!」

     

     戦士の一人が、緊迫感に堪りかねたように声を上げる。しかし、敵の反応は一切なく、夕羅たちを音の出る障害物程度にしか思っていないかのよう。
     彼らは見上げるほどの巨漢から、夕羅よりも小さな者まで様々であり、歩き方も武芸者のように整っているわけではない。夕羅たちと同様に、規律に准じる組織ではないと思われたが、先頭を行く男に盲目的なまでに従う意思だけはひしと感じられる。

     

     おそらくは大将格であろうその男が、腕を払って前をはだけさせる。それにつられてか、風になびいた外套に、顔が露わになった。
     彼は、嗤っていた。
     狂気に身を委ねすぎて口が無意識に歪んでしまっているような、愉快とは程遠い精神の現れがそこにある。ぎらつく眼光は獰猛さを、事ここに至って落ち着き払った足運びは冷酷さを示すようで、何かがズレてしまっているその男に、夕羅は思わず身震いする。

     

     そして彼が掲げるのは、血が凝縮してできたような、一掴みほどの大きさをした紅い結晶。
     それを、言葉と共に砕く。

     

    「裁定と共に」

     

     千千になった結晶は、錆びた血が舞うような光となって彼らの周囲に渦を巻く。
     不吉にも過ぎる光景に気圧されるが、夕羅たちを次に襲ったのは驚愕であった。

     

    「桜が……!?」

     

     その鮮血は、やがて色を落とし、鮮やかな桜色となって彼らを包んでいく。
     形作られたのは、嵐にも負けない桜吹雪。
     まるでそれは、夕羅たちが今しがた使った神代枝のようであったが、桜花結晶の生成を司るメガミ・ホノカからの賜りものである以上、未開の地の住人である千洲波の民が持っているはずもないのだ。

     

     だが、夕羅たちの動揺をよそに、侵略者たちもまた夕羅たちと同じく、その手に武器を顕現させていく。
    それは、剣。すらりと真っ直ぐに伸びた、刀とは趣を異にする刃。
     装飾を削ぎ落としたその風体はまさに原始の刃といった趣だ。両刃の刀身は刃先から血を吸いすぎたかのように赤黒く染まっており、この嵐の未明に生まれた薄闇の中で、ぬ、と妖しく浮かび上がっている。
     古より受け継がれし遺物のようだが、魅入られる理由は骨董品じみた美しさだけではない。心をかき乱し、総毛立つような恐れを抱きながら、それでも手を伸ばしてしまいそう――そんな奇怪な宝剣だった。

     

    「なに、あれ……」

     

     夕羅の呟きが、雨音にかき消えていく。
     未知の顕現武器が、その切っ先を自分たちに向けていた。

     

     

     

     


    「来るぞォ!」

     

     千洲波の民が駆け出した動きに、か細く残っていた交渉の二文字が誰の頭からも消える。容赦なく邪魔を排除しようとする意思は、躊躇なき前進の速さに現れている。
     しかし、それは稲鳴の民が躊躇というたがを外すきっかけともなる。彼らもまた戦いに身を置く民族であり、力比べはむしろ望むところである。獣の知恵とは、すなわち彼我の力関係から生み出されるもの。妥協が潰えた今、夕羅もまた獣性に身を任せて踏み出した。

     

    「数じゃこっちが有利だ、押し返せッ!」

     

     およそ三十ほどの稲鳴の戦士たちが戦場に躍る。しかし、数の力を過信してはならないと誰もが理解させられていた。千洲波の民の、そしてその手に握られた得物が持つ気配の前に、油断などできるはずもなかった。

     

    「おぉッ!」

     

     会敵を果たした夕羅は、爪を眼前に掲げ、相手の懐へ潜り込まんと力強く地を蹴った。自分の倍はあるのでは、と誤認してしまいそうな巨漢だ。腕力では到底勝ち目はない。
     並走していた戦士が飛び込むのに合わせ、しなやかな身のこなしで身を低く保つ。速さを纏って攻め入る彼女が狙うのは、木偶の坊ではさぞ大きかろう死角である。

     

    「は、あぁッ!」

     

     一歩前に出た戦士が爪を振るって巨漢の注目を奪う隙に、少し大きめに回り込んだ夕羅は巨漢の丸太のような右腿を切り刻んだ。傷跡からは赤は溢れず、代わりに砕けた桜が暴風に攫われていった。

     

    「ぐぅ……!」
    「まだまだァ!」

     

     鈍重な相手を翻弄するように、纏った風で勢いを稼ぐ夕羅は、巨漢の背面で旋回しながら彼の身を削っていく。頼りなく身を守っていた外套も、瞬く間にボロ布と化していく。
     ただ、相手もただやられているわけではない。

     

    「邪魔を……するなぁッ!」

     

     右手の剣を大きく振り上げ、正面にいたもう一人の戦士へと半ば横薙ぎにするように振り下ろす。
     それに夕羅は、獰猛な笑みが浮かんでくるのを自覚していた。共にあたっている戦士への心配よりも、自分がさらに攻撃する時間が生まれたことへの歓喜のほうが大きかったのだ。仮に彼がやられたとしても、一息に夕羅にまで反撃はできないだろう。

     

    「ふッ!」

     

     だからもう一撃――力を溜めていた膝を解放し、再度爪を振るうための勢いを生む。
     しかし、

     

    「ぬおぉぉぉぉッ!」
    「な、ぁ……!」

     

     雄叫びと共に振り抜かれた巨漢の一撃が、盾にしていた爪ごと戦士の肉体を切り裂いた。その一振りの強靭さ以上に、苦もなく金色の爪を断ち切った剣の切れ味は驚愕となって戦士の顔に表れる。彼はそのまま大量の桜吹雪を散らせ、勢いを殺しきれずに吹き飛ばされる。
     剣はそのまま一切の揺らぎなく、軸足を設けることで背面にまで至り、脛を狙っていた夕羅の首へと狙いを定める。

     

    「……っ!」

     

     刹那の判断で攻めを中断し、前傾しかけていた身体を強引に後ろへ倒し、鼻の先に血色の切っ先を見送る。
     お互い不利な体勢となった今、次に取るべき選択を思考する夕羅。
     その答えを出す前に、今度は巨漢の右肩に桜色の矢が深々と突き刺さった。

     

    「うっ……」

     

     予想外の一射に、巨漢が素直な呻きを零す。夕羅の視界の端に、青空へ桜色が滲んだような翼が一瞬掠める。ミソラを宿した稲鳴の戦士による援護だ。
     間合いを測ろうとしていた夕羅は、もたらされた好機に体重を前へ。瞬時の判断の下、さらなる至近を求め、爪を宙に溶かしてその手に纏ったのは無骨な鉄拳だ。殴打するべき肉体を目前として、奇妙な昂揚感が身体に走る。

     

     時間が不思議と遅く感じ、戦場の空気が全身を冷たく焼いていく。
     これは己の技の冴えか、それとも流れ込むメガミの力の導きか。死闘という単語に、身も心も荒ぶっていくようだ。
     そして、剣を構え直す暇もない巨漢のみぞおちへ、放った拳が綺麗に吸い込まれていく。

     

    「あァッ!」
    「ごふッ――」

     

     かつてない鋭さを帯びた矢のような一打は、分厚い肉の上から巨漢の臓腑を揺らした。音もなく崩れ落ちるように膝をつき、倒れ伏す敵。
     たった一つでしかない勝利の余韻は、肌を凍りつかせるように冷たく、しかし焼け付くように熱かった。夕羅は口元に浮かんだ笑みに気づくことなく、戦いの昂揚に身を焼かれていた。

     

     だが、束の間浮かされた熱に、すぐさま冷水が浴びせられる。
     この雨よりもずっとずっと冷たい、その視線。

     

    「……!」

     

     相手方の大将格の男と、目が合った。
     そこには、敵兵を倒した夕羅への激情などなかった。夕羅の奥深くから何かを引きずり出さんとするべく、瞳を通じて彼女を見定めているかのよう。いっそ夕羅本人すら置いてけぼりにされているその感覚がおぞましさを生んだ。

     

     時間にして一瞬の邂逅。それを打ち切ったのは、夕羅に湧き上がった予感だった。
     慌てて彼の周囲へ視線を彷徨わせる。いくつも倒れている人影。四人、五人と数えたところで、その先を続ける勇気も時間も足りなかった。
     次の獲物、という言葉が、恐怖心と共に自然と湧き上がってくる。

     

    「う……」

     

     すくんだ足が、思わず一歩を後ろに運ぶ。ただ、目測のないその後退は、少しくぼんだ岩の狭間に右足を取られる不幸を生む。
     崩した体勢は僅かなもの。しかし、それは間違いなく命取りだった。

     

    「やば――」

     

     最初からそう決めていたように、男が嵐を切り裂いて夕羅へと迫る。どうしようもないほどに容赦なく、脇目も振らずあっという間に距離を詰めた。
     真っ白になった頭で対応を考えるよりも先に、血色の剣が振るわれる。

     

    「ぁ――」

     

     死んだ。
     夕羅の直感が、無情な終わりを告げていた。

     

     

     

     


    「そこまでですよぉぉっ!」

     

     次の瞬間、夕羅を襲ったのは痛みではなかった。
     グンッ、と凄まじい速度で身を攫われる浮遊感に、刹那の間、己の所在を見失う。磯に倒れ伏しているだけでは味わえない、むせ返るほどの潮の香りが鼻をついた。しっとりとした生を感じる手触りに、彼女の頭はさらなる混乱に見舞われていた。

     

     慌てて視線を彷徨わせれば、己を運ぶ何者かの両側に、ヒレのようなもの。
     彼女は今、小さな白鯨の背の上に乗っていた。

     

    「はぁ!? って――」

     

     唐突な状況を整理できぬまま、目の前に迫った水面に息を止める。
     着水の衝撃をどうにかしがみついてやり過ごした夕羅は、今度は肩にかかる水圧に浮上の感覚を得る。鈍くなった嵐の音もすぐに別れ、白鯨の導きのままに海上へと顔を出す。

     

     暴れる胸の鼓動を鎮めつつ海上を見渡せば、先程夕羅のいた位置には、変わらず大将格の男が佇んでいた。
     そして、彼に相対するのは少女の形をとった大いなる海、メガミ・ハツミ。
     彼女の周囲には人を容易く呑み込めるほどの大きな水球が浮かび、傍らでは敵を威圧するように水でできた塔が、灯台の如く聳え立っていた。

     

    「我が海を荒らす――あー、ええーぃっ! もう、なにしてくれるんですかぁっ!」

     

     

     威厳をどこかに置いてきた、どこか滑稽なハツミの様子に、夕羅の中で張り詰めていた糸が緩むのを感じる。
     だが、ハツミの怒りの発露はまさしく人を超えたものである。水球から痛烈な水流が噴き出し、稲鳴の戦士と切り結んでいた千洲波の民二人に襲いかかる。鉄砲水もかくやという威力に敵が玩具のように吹き飛ばされていった。

     

    「よっしゃあ! ハツミ様が戻られたぞ!」
    「あの程度でやられるわけがねえって言ったろ、これで百人力だ!」
    「オレたちも押し返すぞ! 気張れェ!」

     

     これ以上望むべくもない強力な援護に、健在だった稲鳴の戦士たちが快哉を叫ぶ。戦況を決定づける存在は彼らに安堵を生み、士気を高める象徴となる。
     けれど、二柱のメガミが相手という絶望的な状況にあっても、敵の大将は依然として冷徹のままにその獰猛さの手綱を緩めることはなかった。
     彼は、ハツミに視線を合わせたまま、血色の宝剣を眼前に掲げた。

     

    「礎たれ」

     

     低く響くその指示に、散り散りになっていた千洲波の民たちが彼の下へと集っていく。その動きは大将を守る配下のようでいて、その実、大将を核として動く一つの集合体という印象すら受ける。
     決してそれが遁走のためではないと、誰もが理解していた。
     名状しがたい不穏な気配が、彼らからより濃く滲み出してきている。

     

     夕羅の脳髄を、底冷えするような直感が貫く。あれはまずい、と本能が訴えていた。
     動かなければ、と咄嗟に身体を動かそうとするも、足が蹴ったのは白鯨の肌を洗う柔らかな水だ。焦燥が肌を焼く。
     体勢を崩した夕羅だったが、味方の存在を目で探す中、その視界の中に光が射していることに気づく。針で空けたような隙間だが、曙の色が垣間見える。風雨は弱まり、大嵐は収まりつつあった。
     その理由に思い至った頃には、地を蹴る獣の足音が戦場に響いていた。

     

    「とめる!」

     

     

     岩礁に向かって落ちてきた稲妻は、長い御髪をなびかせて宙を駆けるライラ。天への祈りを中断してでも、看過できない気配に向かって飛び込んでいく。
     風のような速さで接近を叶え、ライラは雷を纏った金色の爪を振りかざす。だが、陣を組んだ敵は初めからこの事態を想定しており、二人がかりで抑えようと血色の剣が構えられる。そのうちの一人が、ライラを撃ち落とすように大上段から振り落とす。
     激突の瞬間、岩礁に遊んでいた海水が、弾け飛んだ。

     

    「ぐ、うぅぅぅっっッ!」

     

     交錯は、しかしメガミの力をもってしても拮抗していた。ぎり、ぎり、と鳴る雷螺風神爪は侵略者を切り裂くことはなく、ライラのほうが宙に縫い留められていた。それどころか、軋む音は徐々に破砕へと近づいていき、ついにはライラの爪が負けて、根本から砕け散った。
     だが、ライラもこの程度で止まるような存在ではない。撃ち負ける直前、一寸ひねった身体に合わせるように風を下に向かせた彼女は、前から迫る刃を横目に見送るように、下半身から敵の懐へと飛び込んだ。

     

    「な……!」
    「ご、ぁっ……!」

     

     切り結んでいた男のがら空きになった腹に、ライラのつま先がめり込む。彼女に切りかかったもう一人の男の刃が、一瞬前までライラの胴があった場所を素通りする。
     敵を踏み台にした勢いで、二人目の男めがけて飛び戻るライラ。その手に再び生み出した爪は、男の首元めがけて噛み付くように振り抜かれる。残身を解いたばかりの彼は、振り上げた剣で受け流すのに精一杯で、そこから続く二撃目の防御には全く腰が入っていなかった。

     

     夕羅にとっては、雷螺風神爪が撃ち負けた光景が俄に信じられなかったが、敵はライラの素早さにまでは対応しきれていない。連撃で翻弄するのは彼女の十八番、いかに相手の手に正体不明の剣があろうとも、ライラが優勢であることは間違いなさそうだった。
    しかし、前に出た二人の敵はあくまで壁に過ぎない。
     一息で彼らを倒せなかった段階で、相手の勝利条件は満たされている。遅れて動き出していたハツミも、別の千洲波の民にその攻撃を防がれていた。

     

    「ひ……!」

     

     時は、残酷にも満ちた。
     感覚を焼き切るような怖気に、夕羅が小さく悲鳴を上げる。
     そして嵐の隙間から、夜明けの太陽が顔を覗かせ――

     

    あかつき ――」

     

     刃が、振るわれた。

     

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