『八葉鏡の徒桜』エピソード2−4:Sacred Rage

2019.11.06 Wednesday

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     射し込める朝日の光条が、沈黙の降りた客車の床板を照らす。がたごと、と石畳を噛んで次第に強まっていく揺れが、目的地は目と鼻の先に迫っているのだとサリヤに教えてくれる。


     今まさにヴィーナを駆っているというのであれば、その揺れもどこか心地よく感じられただろう。しかし、今彼女を運ぶ源が愛機と同じ蒸気の力であろうとも、風を切って走る爽快さとは全く無縁であった。

     

    「…………」

     

     努めて表情を無にしながらも、時折小さく唇を噛む。向かいに座っているヴィルドニールと思わず目が合うたび、それは繰り返されていた。彼はそれに「何か?」とでも言いたげに顔を歪めるだけだった。
     もはやあえて言及するまでもない、立場の違い。
     これから待ち受ける儀式が、さらにそれを強固なものにしていく。
     それを誰もが理解し、そして不可避であるからこそ、一切の言葉に意味はなかった。

     

     サリヤの隣で両の手を握り締めるジュリアは、その暗澹たる未来への憂いを表情に浮かべている。昨日からずっとそんな沈痛な面持ちをしていた主に対して、サリヤもどう声をかけていいものか分からなかった。
     護衛として共に乗り込んできた騎士たちも、ヴィルドニールの両脇を固めるのみならず、サリヤとジュリアのそれぞれ隣についている。その過剰なまでの言外の圧に、無謀で自分勝手な最後の手段についての考えをサリヤは放棄していた。

     

    『さあ、着いたぞ』

     

     それから幾許もしないうちに、揺れは収まり、客車の扉を御者が開ける。腰の重さをあげつらうように、ヴィルドニールはサリヤたちに先を促した。
     辿り着いた大寺院は、普段の静謐さを忘れたかのようなさざめきに包まれていた。教徒が忙しなく働いているというわけではなく、この裏手からでも、表の広場に満たされ始めた人々の気配が感じられる。

     

     サリヤたちは、出迎えてくれた教徒に導かれるままに寺院の中を進んでいく。時折、すれ違った教徒がはっとしたようにサリヤに向かって手を合わせる。
     そして、寺院の正面入口が見えてきたところで、

     

    『こちらでしたか、猊下』

     

     ぼうっと、天井の絵画を眺めていたらしいテルメレオが、ヴィルドニールの声に応えて破顔する。

     

    『おはようございます、お待ちしておりました』
    『ラーナークを――いえ、サリヤ様をお連れしました。後はよろしくおねがいします』
    『軽い段取りの確認ではありますが、そこまで時間もありませんからね。さあ、壇上までざっと確認することにしましょう』

     

     テルメレオが誘うのはサリヤ一人だけ。
     彼女は大きく息を吐くと、傍らのジュリアに視線を合わせることなく、目を伏せてこう言った。

     

    『お側を離れますこと……お許しください』
    『うん……』

     

     心ここにあらずといった返事を受けて、サリヤはテルメレオと共に表へ向かった。
     ファラ・ファルードの民が待つ広場へ。
     主一人すら救えない、一柱の神として。

     

     

     

     


     事前に綿密に計画されていたかのように、ヴィルドニールの動きはあまりに迅速だった。
     パーティーにおいてサリヤとコールブロッサムについての発表を行ったその裏で、貴族たちのみならず国民に遍く周知するための喧伝の動きが作られていた。翌朝までには、貴族と寺院による一大発表と銘打たれた新聞が街に躍り、急報にもかかわらず、人々は大寺院へと惹きつけられたように足を運んだ。

     

     その結果生まれたのは、広場に揺蕩う人の海。大寺院の目の前に設けられた舞台の近くは貴賓席として確保されており、民草は声も聞こえないであろう遠方にてひしめき合っていた。しかし、今か今かと待ち侘びる彼らが一様に期待に胸膨らませているかというと否だ。
     暗雲を見て、恵みの到来と喜ぶ者もいれば、洪水を心配する者もいる。今この広場で顔を曇らせている者は、風の流れを読みに来た後者に違いなかった。

     

     それは、前列へ急ぎ列席した貴族たちのほうがなお顕著である。衛兵たちに周囲を守られた貴賓席では、状況を深く理解していない無邪気な子供たちの笑顔だけが綺麗に咲いていた。
     そして、開式を告げる笛が高らかに鳴り響き、

     

    『テルメレオ猊下よ!』

     

     壇上へ上っていくテルメレオを認めた民の声から、万雷の拍手へと波及していく。このときばかりは人々の顔も明るく、皆を導く存在の登場に純粋に湧いているようだった。
     彼に続いて衆目に晒されたサリヤは、舞台中央に進んだ彼に控える形で位置を定める。拍手に驚きや戸惑いによる乱れが生まれるのを彼女は感じていたが、苦悶する内心を微笑の仮面に隠し、一貴族としての余裕と毅然さを纏うことに集中する。

     

     筋書き通りに踊ることを求められた身ならば、それを全うするしかない。
     主たるジュリアとその家族を、そして己自身の家を護るために。
     舞台袖でほくそ笑むヴィルドニールの姿に、いっそう奥歯を強く噛んだ。

     

    『ごきげんよう、偉大なる空の下に生きる同志の皆さん。急な知らせにもかかわらず、これほど多くの方が耳を傾けてくれたことに感謝します』

     

     手を掲げ、清聴を求めたテルメレオが口を開く。その声は彼の前に据えられたやや鋭い円錐状の木管によって遠くまで響くが、音の限界を悟った民衆が少し、また少しと前へ詰めての押し合いが遠方にて起こっていた。
     始まってしまったからにはもう止められない。光明はないかと仮面の下でもがき続けるサリヤであっても、みるみる湧き出てくる諦観に溺れてしまいそうだった。

     

     そんな懊悩も素知らぬといったようにテルメレオの挨拶は淡々と終わり、鳴った拍手に再度の傾聴を求めた彼に、本題の到来を予感した緊張感が場を包む。
     そして咳払い一つ、サリヤの運命を決定づける宣言が始まる。

     

    『かのコールブロッサムの急成長について、ご不安に思われていた方もいらっしゃるでしょう。大きすぎる富は時に身を滅ぼします。ですが、ご安心ください。それが神々の恩寵によるものであると、フェラムの名において保証しましょう』

     

     ヴィルドニールのパーティーでもあったような、偽りの理由。台本通りの偽証に、サリヤは高鳴る鼓動を抑えきれない。
     だが、絶望の陰で湧いた小さな違和感が一つ。
     フェラムの長であり、どんな立場の者にも堂々と説教してみせるテルメレオの声に、僅かではあるが震えが混じっているのだ。それが歓喜を抑える興奮とは意を異にしているのだと、首筋に浮かぶ冷や汗が証言しているようだった。

     

    『何故ならあれは、彼の地の神々・メガミ様方と、我ら八ツ空の神々の間にて、交友が結ばれたことの証なのです。来歴も異なる方々であらせられても、根底に通うものは同じ……なれば、共に手を取り合えない道理などどこにあるのでしょうか』
    『……?』

     

     続いたテルメレオの言葉の迂遠さにも眉を顰める。予定では、ヴィルドニールの発表のようにすぐにでも自身の神格について言及されるはずだったのだ。
     教導者としてのありがたいお言葉なのだろうか。そう納得しようとするサリヤは、感じた違和感と共に要らぬ期待をしまい込み、思考の迷宮へ戻っていく。

     

    『もちろん、我が国は長い間八ツ空の神々を信仰し、その恩寵を受け、時には試練を与えられたその歴史を変えることはできません。ファラ・ファルードにとっての神が、かの空におわす事実を否定するものではもちろんありません』
    『…………』
    『しかし、他方でかの桜降る代における神がメガミ様方であることは、人によっては実感を伴って理解されておられることでしょう。異なる主神を抱く二つの地……そこには一見矛盾があるようですが、それは我ら小さき人だけが持つ想いでしかありません。話し合われた神々は、それをよしとされたのです。我々寺院も、架け橋となるその合意に従うと、ここに改めて誓います』

     

     自分たちの常識を崩されるような内容に、薄くはない困惑の色が場に広がっていく。ただ、起こるざわめきも拒絶によるものではなく、如何にして噛み砕こうかという至って前向きなものだった。
     その事実を理解しているサリヤには、これらは前置きでしかない。何か、轍を踏み外したような違和感を覚え始めていても、終着点は変わらないはずだった。

     

    『あの咲き誇るコールブロッサムは、その神々の同盟の証としてこの地に贈られた、彼の地からの恩寵なのです。無論、かの桜降る代には我らの偉大なる神々の恩寵の一端が与えられることでしょう』

     

     そして、とテルメレオは継いだ。
     サリヤをやんわりと手で示し、彼は告げる。

     

    『その生き証人こそが、ここにお呼びしたサリヤ様なのです』
    『え……』

     

     決定的に歯車がずれた感覚が、サリヤの仮面を剥がした。
     それは、テルメレオが紹介を続けるにつれ、脱線と呼ぶべき異常であると明らかになっていった。

     

    『彼女は、ヴェラシヤ・クラーヴォの子・ジュリアと共に、桜降る代にて素晴らしい英雄譚を築き、彼の地の神々に認められました。そして今、彼女はメガミの一柱に数えられ、この壇上に立っておられます』

     

     テルメレオの口は止まらない。ゆったりと、人々に聞かせる調子のはずなのに、一息に言ってしまいたいという願いが聞こえてくるような声色だった。
     彼は、教えを司る者としての決定を、人々に布告する。

     

    『この偉業は我が国としても誇るべきことでしょう。よって、彼女が偉大なメガミであると共に、ソルアリア・ラーナークの輩出した尊ぶべき英雄であると、フェラムの名においてここに宣言します! 英雄サリヤの偉業を、まずはここに皆で讃えましょう!』
    『……!?』

     

     割れんばかりの拍手が、サリヤに打ち付けられる。にっこりと微笑みを絶やさないテルメレオの姿に、もうサリヤの顔は貴族としての態度を取り繕うことを半ば諦めていた。

     コールブロッサムという出発点は同じでも、理由も、結論も違う。
     サリヤに出自を持つことで御するはずだったコールブロッサムは、大いなる意思の賜物にただ落ち着いた。
     この国の神として列することでフェラムの、ひいてはヴィルドニールの傀儡となるはずだったサリヤは、栄誉をもたらされただけで終わった。
     何より、その栄誉の礎が神でも国でもなく、サリヤの家であるとあえて言及された。

     

     ただ、恩寵を喜び、ただ、讃えられた。
     果てまで脱線してしまったテルメレオの宣言は、そんなあまりに毒気の抜かれた称賛でしかなかった。

     

    『うそ……』

     

     信じられないとばかりに目を見開き、唖然とするサリヤ。
     見聞きしたものを疑うようにヴィルドニールを見やれば、彼もまた開いた口が塞がらないという様子でテルメレオを見つめていた。だが、鷲鼻をひくつかせる彼の情動の方向性は、同じ事実への動揺でも真逆を向いていた。

     

     嵌められるはずだった枷が消え失せたのなら、希望の光灯る水面にだって漕ぎ着けられる。
     想像とはまるで意味の代わった人々の拍手の海を、視線だけで辿っていく。
     そんなサリヤが導かれたように目を留めたのは、貴賓席の一角であった。

     

    『あ……』

     

     

     柔和な笑みを浮かべ、高位の貴族に用意された席で一人手を振るのはユキヒその人。距離はあるはずなのに不思議と目が合い、民とは異なる祝福を言祝がれているようだった。
     やがて拍手を止めたテルメレオは、いそいそと拡声の木管まで顔の位置を戻す。

     

    『さて……私からはこれで終わりとなりますが、我々フェラムがこの国の代表として皆さんに声を届けているように、次は彼の地の方からも同盟についてお言葉を賜りたいと思います。このファラ・ファルードへと理解を示し、この日に至るまでご尽力いただいた同志にお越しいただいております』

     

     ではお願いします、と壇上へ促したテルメレオ。代わりというようにサリヤは舞台の脇へと促され、衆目から外れていく。
    ヴィルドニールたちの控えていた袖よりもさらに奥、むしろ舞台の裏から姿を現した女が、悠然とした足取りでテルメレオの求めに応じる。
     彼と同じ装いの、金の長髪を揺らす女が。

     

    『彼の地のメガミ様に仕える宮司、 かざり 殿です』
    『……!』

     

     テルメレオの紹介を受けた彼女の登場に、サリヤは驚きを得る。それは、如何に装いを改めていても、彼女が明らかにメガミ・シンラその人であったからだ。
     偽られている身分に、声をかけるわけにもいかないサリヤは、しかしシンラの登場に心のどこかで納得してしまっていた。僧衣に身を包んだ彼女の姿は、見慣れないようでいて何故かしっくり来ていて、苦笑いしたい気持ちを胸の奥にしまう。

     

     ふと事実を確認するようにユキヒのほうを見やれば、同じように彼女も口元を抑えていた。
     偽りの姿に、偽りの身分。極めつけはカザリという偽りの名。
     あれもこれも、限られた者にしか姿を見せないシンラだからこそ着飾れる欺瞞だ。近年その名を世に出すようになったとはいえ、お抱え組織の上層部にしか対面を許していないのだから、詳細な姿は未だ広まっていない。ましてや海を隔てたとなれば。

     

     そんな本性を臆面もなく隠したシンラは、テルメレオと握手を交わして彼と入れ替わるように中央へ立つ。

     

    『ご紹介に与りました、文と申します。まずは、今回の同盟締結に際しまして、深くお慶び申し上げます。私めはメガミ様にお仕えする身でありますが、今日こうして僧衣に身を包んでおりますのは、偉大なる空の御下にて頭を垂れるためです。誠の信仰を示される皆さんの前で恐縮ですが、形ばかりではあるものの、私なりの敬意の表れと受け止めていただければ幸いです』

     

     集った千を超える人々に、彼女の流暢な挨拶が染み渡っていく。
     現れた異邦の教導者を前に、誰もが傾注の姿勢を崩さなかった。

     

    『八ツ空の神々が遥かな空からこの国を見守ってくださように、私たち桜降る代のメガミ様方は、大地に巡らせた根という形で我々を抱き留めています。天と地、大いなる場にそれぞれ住まう彼らは、長きに亘って出会いの機会を逸してきました。しかし、サリヤ様の列座を契機としてついに邂逅し……そして手を取り合うに至られたのです』

     

     名を出されるとは思わず、どきりとするサリヤ。それも明らかな嘘だろうと、自分の顔に出ていないか心配でならなかった。

     

    『私はメガミ様からこの知らせを賜ったときの歓喜を、今でも鮮明に覚えています。互いに言葉も理解できないところから始まった我々の関係が、天と地を、そして大海を越えて確たるものとなったのですから。この喜びを皆さんと分かち合える幸せを、今噛み締めています』

     

     朗々と語るシンラのあまりの淀みなさに、知らぬ間にそんな決定が為されていたのかと思ってしまうほどだった。その昔、シンラと八ツ空の神々の不在について話した記憶がサリヤの中に蘇ってくる。
     嘘は目的の下に存在する。弁の立つ者の嘘ならなおさらだ。
     ならば、その嘘を補強するような前座の存在と併せて、その嘘で救われる者へ伸ばされた手と考える他ない。

     

    『あのコールブロッサムを、桜降る代では神座桜と呼びます。同盟の祝たる神座桜の恩寵を広く届けられるよう、この地の桜の守護者たるヴェラシヤの皆さんが手を尽されると聞いております。我が神より、そのご高配に対する感謝の意を賜っております』

     

     嘘と嘘が、ここに混じり合う。ヴィルドニールがその無表情の裏で多くの感情を渦巻かせているであろう中、シンラの視線は一瞬たりとも彼に向けられなかった。

     

    『このように、神の力をも豊かな暮らしへと還元する皆さんには、桜降る代の者として敬意を抱かずにはいられません。どうか誇ってください、それは御空より降り注ぐ神々の祝福によるもの。そして祈りましょう。安寧と繁栄を願う想いは、天上に間違いなく届いています』

     

     彼女の言葉に感化されたように、人々の手がちらほらと祈りの形を作っていく。その言葉を疑う人間は、この広場には誰一人として存在しなかった。
     例外たるサリヤは、この展開がメガミの友二柱によって為されたものであると想像することしかできない。たとえシンラの計略の一端なのだとしても、サリヤは表情にも出さないまま、胸中で等しく感謝を告げる。

     

     人の世からも、神の座からも、戒めが解かれていく。
     ちょうど雲を抜けた午前の日差しが、晴れていくサリヤの心を示しているかのようだった。

     

     ある意味当事者としてサリヤには滑稽ですらあったシンラの演説も終わり、寺院側からの発表は一段落を迎えた。貴族と寺院との共同発表という体だったはずなのに、ここまでの濃密さに広間には既に満足感すら漂っている。
     故に、シンラと入れ替わってヴィルドニールが登壇したときも、開式前とは一転、後詰と予想される彼のその挨拶に聴衆の多くは安堵も見せていた。

     

    『先程の決定を皆さんにお伝えする日が来たこと、ヴェラシヤの長として……いえ、五大貴族第一席として、実に嬉しく思います』

     

     舞台袖から見る彼は、想定外の宣言に唖然としていたときとは打って変わって、サリヤと同じように貴族の仮面を見事に被っていた。
     ただ、まだ油断はできないと考えていたサリヤではあるものの、実にありふれた前置きから始まったヴィルドニールの祝言に、僅かではあるが毒気を抜かれていたのも事実だった。
     だから、

     

    『偉大なるメガミ様の求めに応えられるよう、我がヴェラシヤは最大限努力することをここに誓いましょう。フェラムによって保証された、この国が誇るべき新たな神の意向に従わない理由がどこにありましょうか』
    『……?』

     

     そう告げた彼が、しっかりとサリヤを見てきたとき、彼女は一瞬意図を掴み損ねた。
     予定にはなかった宣言は降参の合図かとも思うものの、ヴィルドニール卿ほどの人物が、今日この日まで積み重ねてきた陰謀をそう簡単に諦める気もしていなかった。その程度の相手であればこの苦境はない――そう、サリヤは思い直す。

     

     話題のついでというには長い視線のやり取りに、不安を掻き立てられたサリヤは一つの予感を得て視線を走らせた。
     そして、

     

    『ッ……!』

     

     ぞくり、と。
     気づきたくもなかった事実に、さぶいぼがその背を駆け巡った。

     

     貴賓席の向かって左手、端の列。
     女子供を含め、祝いの場であることを知っていたように華やかに着飾った貴族たちが、その一角を占めていた。
     サリヤは、彼らが、彼女らが誰であるか知っている。
     実に誇らしげで、興奮冷めやらぬといった様子のその一族を知っている。

     

     ラーナーク。そして、クラーヴォ。
     サリヤが名を連ねるその一族と、彼女の主・ジュリアとその一族が、寿ぎでしかないヴィルドニールの挨拶に耳を傾け、ある者は脇に下がったサリヤを見続けていた。
     それだけだったらどれだけよかっただろうか、とサリヤは己の爪が肉に食い込む痛みを感じていた。

     

     彼らの周囲を、詰めかける民衆から護る騎士たちが固めている。
     あまりに見覚えのあるその騎士たちの顔は、皆ヴィルドニールの屋敷に並んでいたもの。ちょうどそこだけ、狙いすましたかのように配置されている。
     相手の手の者が、数歩踏み出すだけで剣の届く位置にいる、この状況。
     つまり――人質。

     

    『ヴェラシヤに連なる者の責務は、今まではただの分配に過ぎませんでした。しかし、これからは違います。彼の地からの恩寵を皆さんに行き渡らせるという、栄誉ある役割を賜った重責を噛みしめる次第であります』

     

     それを企てたであろう張本人の言葉が、右から左へ流れていく。
     ユキヒやシンラがどれだけお膳立てをしようとも、この次に控えているサリヤの挨拶で、彼女自身がヴィルドニールに従うと宣言してしまえば結果は変わらない。
     今まさに、戒めから解き放たれ、偉大なる存在としての自由が保証されたばかりなのだから。

     

     視線の先で、同様の結論に達したらしいジュリアの顔がみるみるうちに曇っていく。
     戦慄と怒りが、彼女の身を震わせた。

     

    『では、長らくお待たせしてしまいましたが、我らがファラ・ファルードの盾、サリヤ様にお言葉をいただくとしましょう』
    『……はい』

     

     下手人に呼ばれたとて、彼女は平静を装って答える。民衆の前で進む足取りも、毅然としたそれだ。
     彼女は、抱いた激情を表に出したところで意味がないということを知っている。
     英雄として列されるだけの傑物であるサリヤは、利にならない感情を直ちに抑え、冷静に戦況の把握に努めていた。

     

     ただ、分析するにも行動するにも、時間が足りない。
     挨拶が終わるまでに結論を宣誓しなければならないという期限は、護るべき人々の命を前にしてはあまりに短すぎた。

     

    『えー……皆さん、お久しぶりです。まさか帰郷の挨拶を、神として、これほど多くの方々の前で行うことになるとは思ってもみませんでした』

     

     必死に頭を回しながら、時間を稼ぐように言葉を紡いでいく。

     

    『実は、まだ少し戸惑っている、というのが偽らざる本音です。あー……担った責こそ解していますが、私自身が今度どうしていくべきか迷っているのです』

     

     曖昧な物言いの傍ら、舞台袖に控える者たちへと視線を送る。多くの人々にはそれが、ヴィルドニールに対する返答だと目に映るかもしれないが、サリヤが目を向けたのは同じく出番を終えたシンラである。
     シンラはそれに応えるよう、しずしずと笑みを返した。

     

     対し、ヴィルドニールは己の鷲鼻を三度、わざとらしく指で掻く。当然本人からは、自分が視界に入っていないことははっきりと分かってしまう。
     そうなればすることは唯一つ。

     

    『く……!』

     

     彼の意思に応じるよう、一族を護る騎士たちの手が腰の剣へと伸び、ある者は静かに抜き払ってみせた。このまま意図に沿わない宣言を続ければ、陽光の下で彼らの剣は煌めくだろう。その後のことなんて、今のサリヤには考えられなかった。
     直接止めに入ろうにも距離が遠い。自慢のしなる剣も乗騎も、一切の備えなく、瞬きの間に彼方まで届かせることは能わない。
     だが、そこへ、

     

    『どうか拝聴のほどを……!』
    『……!?』

     

     壮絶な程に力を感じさせる言葉が、この空間に響き渡った。道具で声を押し広げていなくとも、広間の果てまで届いていることが理解できてしまうような、実際の声量からは想像もつかないほどに耳をそばだてさせられる声だった。
     その声の主はシンラ。
     彼女はその忠言を、高らかに歌い上げるかのように続ける。

     

    『神になられたとはいえ、サリヤ様は第一歩を踏み出したばかり。その迷いを受け入れ、新たなる門出への決意を傾聴しようではありませんか!』

     

     

     彼女が持つのは言葉の力。その権能を最大限に引き出して成されるのは、有無を言わさぬ納得である。突然の不思議な声に驚きも一瞬、無防備となった心に誘導が滑り込む。
     壇上に立つサリヤの挨拶に注目していないのは、この場において限られる。
     意識を彼女の身内への恫喝へと傾けていた騎士たちが、手を剣から放し、呆然としたようにサリヤへと注目させられる。そして主たるヴィルドニールもまた、指示を忘れたようにぼうっと目を虚ろにするのみ。

     

     それは、明確な隙だった。
     救うべき主と、視線が交錯する。彼女の瞳は、今がその時、と確かに訴えていた。
     怒りを孕んでいながら、僅かに期待を滲ませる主に応える術はただ一つ。この二十年で見出した新たな力を振るう舞台は、ここに整えられた。
     ……秘していた戦意が、引き金を引かれたように叫びとなって飛び出した。

     

    『Quick Change, TRANSFORM FORM:KINNARI!』

     

     

     サリヤの傍らに桜色の光が咲き、その中から一瞬にして黒に染まる乗騎ヴィーナが姿を現す。彼女の愛機は待ちきれないといった様子で即座にその身体を組み換え始め、三つを数え終わる前に、疾駆だけでは終わらないその力を形と成した。
     前輪を支える骨格が操舵部を中心として展開し、左右に翼を広げるようにして生まれたのは、一対の大きな丸い口のような部位。それは妙なる調べを紡ぐために半身を声に捧げたかのようであり、今は野蛮な観客たちへと向けられている。

     

    『感謝するわ……ご丁寧に、全員ちゃんと集めてくれて……』

     

     突然、無から生まれた物体に、聴衆はただ唖然とするしかない。一方、シンラの言葉によって意思を奪われていた騎士たちは、敵対する存在の傍らに現れた異形にようやく危機感を覚えたようだった。
     我に返ったヴィルドニールの合図も相まって、理解を超える光景を前に、その手が再び武器へと伸ばされる。
     しかし、それが命取りであった。

     

    『おかげで全員、ちゃんと助けられるものッ!』

     

     意気と共に手を振りかざしたサリヤ。それを皮切りとして、変形したヴィーナが憤怒を示す怒声を騎士たちに向かって鋭く吐き出した。
     轟音は空間を瞬く間に渡り、びりびりと大気を震わせる。狙い澄ました音の一撃は的確に騎士たちだけを打ち据え、大の男を衝撃だけでよろめかせる。まるで見えない鉄槌がその空間だけを打撃したかのようだった。

     

     そんな突然の攻撃に晒される中で、意識を乱されていた者が手元を確かにし続けられる道理はない。
     彼らがほうほうの体で握った、刃が――

     

    『え……?』

     

     からん。からから。
     一瞬の轟音の後に生まれた静寂に、その金属音は嫌に響いた。ありえない音に疑問を漏らした声が、聴衆の何処かからぽつりと湧いた。

     

     ぞっとするような数の双眸が、一斉に音の発生源へと向けられる。
     その視線の先にあるのは、護衛にあたっていた騎士たちが貴賓席の前で何故か抜剣している光景。呆けたままの者もいれば、顔を強張らせて落とした剣を拾おうとする者もおり、滑稽な劇の一幕のようですらあった。

     

    『お、おい、なんで騎士が……』
    『あれはヴィルドニール家の方々では……?』

     

     得られた事実と答えを求める憶測が、貴賓席の貴族たちの間で生まれ始める。それは次第に周囲へと伝播していき、ざわめきとなって広場を駆け抜けていく。ここが祝いの場だという認識がなければ、人々は恐慌状態に陥っていたかもしれない。
     サリヤに代わって衆目を集めた騎士たちは、動揺も露わに苦笑いを浮かべて剣を納めることしかできない。ある者はヴィルドニールに縋るような眼差しを向けてすらいた。

     

     当然、不可解な行動には主人の責が問われる。
     数多の疑いの目が、舞台袖で冷や汗を流すヴィルドニールを穿つ。
     戦慄く彼には、サリヤたちを手のひらで踊らせていた余裕などありはしなかった。

     

    『ち、違う! ヴェラシヤの長として、両家を厚く護るよう手配しただけだ!』
    『何も言わず剣を抜いた理由は!?』
    『あの騎士たちを配置したことは認めるんですね!?』
    『そのラーナークのサリヤ様がお怒りのようなのはどういうことですか!?』

     

     でまかせの釈明へ矢継ぎ早に疑念が投げつけられていく。貴賓席に記者たちが混ざっていなければ、もう少し追求は穏やかだっただろう。自身が喧伝のために呼んだ者たちに啄まれる様は、いっそ道化のようですらあった。

     

    『それは、その……不幸なすれ違いがあったんだ。信じてくれ、私は何も指示していない!』

     

     無様に言い訳を続けるヴィルドニールに、式典の行方はさらに混迷を極めていく。
     それだけの時間があれば、十分だった。

     

    『I AM THE WAR, I DEFEAT YOU. TRANSFORM FORM:ASURA!』

     

     憤りを込め、処断を告げるように唱えるサリヤ。それに応じるように、轟音を響かせたヴィーナが再び姿形を組み替えていく。
     大口を解体し、前輪を腹に抱えるように身を畳んだかと思えば、代わりに前に突き出すのは人の顔じみた意匠の部位だ。それはさらに左右を見渡すようにあと二つ展開し、人の世を遍く見通す三つの形相を顕現させる。

     

     正面に現した表情は、憤怒そのもの。
     今、サリヤが抱いているであろう感情を代弁するかのような異形の機体に威圧され、新たなる怒りの発露を予感した人々から言葉が消える。
     何故ならそれは、無実を主張するヴィルドニールを睥睨していたのだから。

     

    『皆様、お騒がせして申し訳ございません。ただ今お見せしましたものこそ、メガミとして得た私の権能です』

     

     拡声器をひったくるようにして口元に寄せたサリヤは、愕然とするヴィルドニールを愛機と共に見下ろす。
     そして、と継いだ彼女は、

     

    『この席の裏で起こっていた不幸なすれ違いと、そちらを踏まえたメガミとしての意向について、お話しさせていただきます』

     

     荒げることなく、淡々と説明をしているようで、その声色には隠しきれていない獰猛さが滲み、秘した攻撃性の矛先は間違えようもない。
     何より、彼女が浮かべるのは淑女の笑み。
     最後に貴族としての仮面を被り直した神を前に、老体が一人、膝から崩れ落ちた。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     サリヤの「新しい力」……、凄かったわね。

     

     人間からメガミになったばかりの子は、新しい自分に慣れるためにもそうあるものだけれど、それにしてもサリヤたちの努力は凄かったわ。チカゲちゃんも、ユリちゃんも、サイネさんも頑張ってたけど、多分サリヤたちには敵わない。

     

     海の向こうの人だったからかもしれないわね。変化も大きく、そして近い未来に、今日みたいに決着をつけないといけないことが待っている。そんな予感があったからこそ走り続けた。

     

     いろんな縁を育んだわ。英雄譚の頃のみんなだけでなく、シンラさんや、クルルさんとも。だからこそ、今では桜降る代のかけがえのない一員。そしてその縁はジュリアちゃんに着想を与えて、新たな力になった。

     

     ……なんていったかしら。難しい言葉が多いのよね。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     ヴィーナMk.2……。

     「こうそくかんそう」に特化し、

     「へんけいがったいきこう」を備えた新型機……だったかしら?

     ……ごめんなさい、聞きかじりなのよ。そういうの疎いから。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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