『桜降る代の神語り』第74話:武神ユリナの初陣

2019.01.25 Friday

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     同じ物を想ったところで、その方向性まで同じとは限らない。
     決闘による興隆をこの地に望むユリナ。
     政治による興隆をこの地に望むシンラ。
     どちらが善でも、どちらが悪でもない。二人にあるのは、ただ強い信念だけ。

     

     想いの行く末を、今ここにカナヱは語ろう。

     

     

     


     その右手にかの武神の力はなく、その左手にも仄かなる輝きはない。
     けれど、地を蹴るユリナには迷いも不安もなかった。

     

    「行きますッ!」

     

     刃を携え、桜の根の上で悠然と構えるシンラへ、真っ直ぐに向かう。
     これまでずっと彼女の力となったメガミたちの助けがなくとも、もはや完成されたユリナの戦いが揺らぐことはない。積み重ねてきた数多の桜花決闘は、彼女のあり方を生み出していた。

     

     勝利への執念を軸に形作られた、王道の戦い。巧みな足捌きで間合いを合わせ、その末に苛烈な斬撃で相手を打ち倒す。
     その一挙手一投足は、ミコト・天音揺波のものであり、そしてメガミ・ユリナを体現する。
     まるでそれは、自身が象徴するものを示すかのようであった。

     

    「では――」

     

     しかし、相対するシンラもまた、積み重ねた己は決して劣らない。否、メガミとして生きた年月はユリナを凌駕している。
     故に、ユリナが王道の戦いを叩きつけようとしても、シンラも決して揺らがない。
     己を示すように、彼女はただ、決闘を否定する。
     周囲に揺蕩う書の一節が、仄かに光を帯びた。

     

    「自身が害悪となる可能性を理解していますか?」
    「……!」

     

     先の対話を経た上での、問い。本来なら、ただの詭弁でしかないそれ。
     しかし、毒のように染み込んできた意味をユリナが解した途端、呼応するように体内の桜花結晶が一つ失われた。
     そこに肉体の傷はない。けれど、まるで裏切りの果てに結晶が去っていってしまったような喪失感と、微かでも決意を鈍らせた己を取り戻さねばならないという焦燥感が、心の痛みとなって負傷を訴えている。

     

     これが、言葉の力。シンラが示さんとするもの。
     避けがたい不可視の刃に、ユリナはその権能の恐ろしさを改めて理解する。
     けれど、それは歩みを止める理由にはならなかった。

     

    「い……いえッ!」

     

     言葉の惑いを振り払うように吐き捨て、意思を込め直して踏み出す。
     それでも前に進み、刀を振るう。それが、武神ユリナなのだから。

     

    「やぁッ! あぁッ!」

     

     間合いを瞬く間に駆け抜けたユリナの刃が、一撃、二撃と閃いた。着込んだ見た目通りシンラが機敏に避けるということもなく、守りは破られ、先制分を取り返す。
     さらに追撃を、と力を込めるユリナだったが、言葉は容易く耳をくすぐる。

     

    「それ以上はもはや、私の有利へと働きますよ」

     

     ありえるはずもない大言壮語に、しかしユリナに刹那の迷いが生じる。理性と意思が乖離させられるような不思議な感覚の中、ついにはシンラを疑いながらも、攻めの手を止めて体勢を整えてしまった。
     言葉に、さらなる力が籠もっていく。

     

    「この程度の言葉で刃を止めてしまう……そのような覚悟で、あなたはその道を行けるのですか?」
    「っ……」
    「そして」

     

     決闘中であるにも関わらず、シンラの視線はユリナから外された。
     その先にあるのは、文字によって編まれた黒き繭。
     中で眠るメガミは、ユリナにとって共に道を行く仲間であったとしても、シンラにとってはこの世界を歪める怨敵でしかない。
     故に、

     

    「彼女は、神座桜の主席に相応しいのでしょうか?」

     

     先程までの対話を繰り返すようだが、矛先はユリナだけではない。
     ユリナの中に宿る桜花結晶。その母となる神座桜。
     彼女の考え方を改めさせるのではなく、力そのものに対して呼びかける。
     我が方につけよ、と。

     

    「……!」

     

     ユリナから、力という力が急速に失われていく。周囲に纏った守りも、内に秘めた気も、弁舌によって啓蒙されたが如く離反していった。
     踏み出されようとしていた再びの一歩は止まり、逆にシンラは笑みを深くする。
     間合いを離す好機であるはずなのに、彼女は離れない。
     まるで、ユリナの間合いであることこそが都合がいいのだと言うように。

     

    「では、その刃をお借りしましょう」
    「な……」

     

     緩く掲げたシンラの手の傍ら、宙に現れた物にユリナは絶句する。
     斬華一閃。
     もはや元の主はこの世になく、元より扱う者の限られていたそれを、ユリナはついぞ相手に構えられた光景を見たことがない。
     そんな稀有な象徴武器を送り出すようにシンラが手を動かせば、ひとりでに鋭い斬撃の軌跡を偽の刃は描いた。

     

    「ぐ、うぅっ……!」
    「ふふ……」

     

     守りを奪われたユリナを身体を、肉厚の刃が抉る。ただ複製されて投げつけられたのであれば攻撃にすらならないが、振るわれたそれはユリナの太刀筋を引用したかのように力強かった。

     

     心も抉るような一撃に歯噛みするユリナは、桜と消えた刃を見送りながら、意志の炎を込め直す。
     予想外の一撃を為したシンラは今、やや芝居がかったようにも見える、壮大さを感じさせる動きで間合いを離していた。それは刃鳴り散る決闘の舞台にしては決して早くはないものの、雄大な足取りと手振りは大望を語らんとするばかり。それを実際に成就させることのできる存在こそがシンラというメガミであり、告げようとする主論のために聴衆の視線を集めているようであった。

     

     それを許せば、負ける。ユリナの直感は、確かにそう告げていた。
     この状態から遮二無二刃を振るったところで、決着が見えるような一撃にはならないであろうことは想像がついていた。幾度も企図を挫かれている以上、こちらが容易に見いだせる勝利は、より大きなあちらの勝利の影でしかない可能性だってある。
     肉薄して刃を振るう……それ以外の何かを、見出す必要があった。

     

    「ふぅー……」

     

     僅かな焦りが首筋を冷やす。
     しかし、もはや今のユリナは完成されている。搦手を取り入れる余地などなく、付け焼き刃で策を弄しても、目の前の狡猾なメガミに通じるとは思えない。ましてやそれは彼女の信じる道の上にはない。

     

     だからユリナは、ただ自分のあり方を――進む道を見つめ直す。
     彼女にとって決闘とは、意志をぶつけ合う場。
     自分なら、勝利への執念を。
     良き好敵手であれば、技の果てへの望みを。
     そして今相対するメガミであれば、決闘への嫌悪を。
     得物は、刃であっても言葉であっても構わない。いいや、むしろ両極端なその二つが同じ舞台に立てていることこそが素晴らしいのだ。

     

     始まりは間違っていたかもしれない。けれど、ユリナは決闘という場を信じている。
     人々が愛し、彼女自身も愛した、この魂を焦がすような戦いを信じて、それに尽くすこと。それが決闘に生きてきた天音揺波の、メガミ・ユリナの進むべき道。
     もう廃れつつあることも、こうして存在を否定する者がいることも、意志を押し流そうとする激流に他ならない。

     

     けれど、声を上げるのが彼女だけだったとしても。
     それでも、激流の中を往く小舟のように。
     想いを乗せて、ぶれることなく真っ直ぐに、ユリナは歩んでいく。
     それが、勝利への渇望ではない、彼女が決闘に込める、新たな想い。言葉ではなく、身振りが、表情が、一挙手一投足がそれを体現し、決闘を見守る者たちへ静かに、けれど確かに伝える。

     

    「ほう……?」

     

     応じたのは、シンラだけではない。
     彼女がユリナの結晶を啓蒙したのとは逆に、ユリナの想いに一度は離れた結晶たちが集っていく。

     

     

     再び纏うは、想いの盾。
     そしてユリナは、斬華一閃の刃の向こうにシンラを置いた。

     

    「いいでしょう!」

     

     初めて表情を崩した、決闘の否定者を。
     獰猛に笑う、知性の信奉者を。

     

    「それでも私の理想は消えず――今こそ天地は反転し、法則は翻る!」

     

     

     自ら護りの結晶まで砕き、シンラは強引に己が権能を解き放つ。
     奇怪な色が染み入り、世界が彼女の望むがままに書き換わっていく。従えた書に書き加えられていく数多の文字が、訪れる変容の危険さを物語る。
     勝負は、静から動の局面へと移っていく。

     

     

     

     


     伝えるべき想いは示した。ならば後は、ぶつけるだけ。

     

    「はぁッ!」

     

     世界が塗り替わっていく中、一直線に駆け出したユリナが刃を振り抜いた。シンラが動いた今、ユリナもまた猛攻によって戦いの行方を手中に収める段である。
     何重にもなった袖越しに腕を捉えた一閃に、さらに追撃を図る。

     

    「てやぁぁぁッ!」
    「大振りでは?」

     

     上段からの振り下ろしに、実際シンラの言うような瑕疵はない。しかしユリナはその追求に身体を焦がされるのを感じ、必要のない軌道修正を強いられる。結果、僅かに反れた斬撃はシンラの裾を掠めただけに終わる。
     だが、連撃の意気高いユリナはそこで満足することなく、さらに一寸シンラの懐に踏み込み、柄頭で彼女の腹を強かに殴りつけた。

     

    「ぁぐ……」

     

     打撃の勢いに押されたように後退る。ただ、振り回した袖に視界を塞がれ、これ以上の追撃は許されない。
     シンラが守りが捨てていたこともあり、負わせた傷は大きい。じわじわと削られていた分の差は早くも埋まりつつある。
     だが、

     

    「ザンカの、力を……使いこなしているつもりのようですね」
    「…………」

     

     息を切らせながらも、シンラは言葉を紡ぎ続ける。
     それが彼女の武器だから。
     それが、決闘を否定する者の務めだから。

     

    「しかし、ザンカはもういないのです。あなたは……ザンカには、決してなれません」

     

     

     詭弁でも、欺瞞でも、屁理屈でもない、完全なるその論理。
     ザンカではない者が、それを持つことは矛盾する。ザンカ亡き今、ザンカの力の顕れであるそれが存在することは矛盾する。

     

     故に――ユリナの手にした斬華一閃が、はらはらと桜となって消えていく。
     世界がその矛盾を聞き届けたかのように、想いを訴えるための刃は存在の猶予を奪われ、やがて解けた桜の光も景色に溶け込んでいった。反論の余地もない、一方的な裁定の帰結は彼女の書に書き加えられ、抗う術はなかった。
     けれど、

     

    「……ますよ」
    「……?」

     

     ユリナの拳から力が失われることはなかった。
     滾る想いが胸にあり続けるのであれば、決闘はまだ終わらない。

     

    「分かってますよ、そんなこと」

     

     一抹の寂しさを滲ませながらも、尽きぬ闘志を示すように。それが、決闘を愛した者への手向けだった。
     そして、自分が歩む道へ、確と一歩を踏み直した。

     

    「だから……わたしは、わたしになるんですッ!」
    「……!」

     

     虚空を掴み、構えたユリナ。その手の中へ、光が結集していく。
     織り上げられていく形は、今まで言の葉を断ってきた肉厚の刀・斬華一閃。だがそれは、斬華一閃であって、斬華一閃ではない。
     先程よりも僅かに小ぶりで細身。ミコトとして顕現させていたときに程近い、ユリナの技にこそ最適な一振り。

     武神ユリナの斬華一閃。

     

     彼女が彼女として歩んでいくための、彼女の力。
     決闘を愛する者のためにある、彼女自身を象徴する剣。
     もう、シンラにはその実在を否定することはできなかった。

     

     

    「えあぁぁぁッ!」

     

     自分自身の想いを、自分自身の力で抱きとめて、ユリナは行く。
     想いを刻みつける斬撃は、止まることなくシンラを襲う。

     

    「省みよ、その足跡をッ!」

     

     それを、決して正面から受け止めずに、いなし、シンラは訴える。
     理想を打ち壊す論理は、絶え間なくユリナを唆す。

     

     この決闘に、刃が鳴り散ることはない。けれど、鋼の刃も言葉の刃も、己の想いを乗せた鋭い一撃に他ならず、それを交わし合う戦いを激戦と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
     数多の桜花結晶は舞い踊り、舞い散り、一太刀、一言の合間に舞台をさらに桜色に染め上げる。
     そしてその周囲。彼女たちが立つこの根は、この世全ての桜花結晶が集っているかのような濃密な桜吹雪に包まれていた。繰り広げられる決闘に、込められた想いに、惹かれた結晶たちが結果を待ちきれないようだった。

     

     斬撃という鋭利な指摘に反論するように。
     その反論という言葉の刃を切り捨てるように。
     噛み合うようで噛み合わない二柱は、桜に見守られながら、自分が勝つその瞬間まで想いを叫び続ける。

     

    「……!」

     

     幾度かの交錯の中で、ユリナは異変を見て取った。法則を塗り替えていたであろう色が褪せ、シンラの従えた巻物からは文字がこぼれ落ちていく。未だ壮大に、雄弁に振る舞っているものの、その奥には歯噛みするような苦心が滲み出していた。
     変容をもらたしていた力が、限界を迎えたのだ。
     まさにそれは好機に他ならない。

     

    「はァッ!」

     

     刹那の判断から、全身の気を圧縮しながら一気に踏み込んでいくユリナ。解き放った気が相手の守りを吹き飛ばしたその先に、届く一太刀があるはずだった。
     表情を歪めるシンラ。退路はないと悟ったか、

     

    「っ……! それで終わりなら致命の失策です!」

     

     優れた備えへの称賛ではなく、今まさに振るえるものがないことへの指摘。それはユリナが盾としていた結晶の失望と化し、宙に塵と浮かぶ。
     それはさらに、文字へと変容してユリナに纏わりついた。

     

    「そこから届く太刀筋はもはやありません!」
    「うっ……」

     

     構えた刀を、どう振るうべきか思い出せない。追い込むために閃かせるはずだった一撃が、彼女の手にはない。盾を奪われただけでも痛手ではあったが、ここに至って攻め手を封じられるのはまさしく致命とも言える。
     高まり続ける気に、けれど決着への意思は潰えない。
     だが、見据えた結末もまたシンラに否定される。

     

    「誤つ者に、未来を切り開けましょうか!?」

     

     再び問われる資質に、ユリナへ与していた桜の力が考えを改めていく。あらゆる敵を断ち切ってきたあの大技を放つだけの余力は奪われた。桜に包まれていても、彼女の頭上に月が昇ることは許されない。
     決め手を欠いたまま、接近を叶えたユリナの気が高らかに弾ける。

     

    「く……ふふっ!」

     

     シンラの笑みは、決着に至る有効打がないと知っている笑みだ。
     そうであってもユリナは自身に手を止めることを許さない。至近の間合いから、威力が損なわれることを覚悟の上で、腰だめにした斬華一閃を強引に振り抜いた。

     

    「くあぁぁぁぁぁッ!」
    「あ、ぐっ……!」

     

     直撃し、結晶が吹き散らされる。だが、次の一手に繋げられない居合斬りでは、逃れていくシンラに追いすがることはできない。彼女の身に残された結晶が、一つか二つか、風前の灯火だとしても、だ。
     そしてシンラには、それだけあれば十分だった。
     荒く息をしながら、潰えない意思に支えられたように両腕を広げ、世界に向かって断じる。

     

    「今こそ、この世の法則すべては、私の手の中に!」

     

     

     彼女の纏った巻物が眩いばかりの光を放つ。
     一瞬焼かれた瞳が捉えたのは、この舞台を桜吹雪ごと覆う、見上げんばかりの伽藍。頂点には色とりどりの硝子がはめ込まれた天窓が、満ちる桜色の光を極光へと移し替えていた。
     荘厳にして、雄大。自身がこの世界のほんの一部でしかないと実感させられる。
     絶対なる知の殿堂は、取り込んだユリナの敗北に決を下す裁きの間だった。

     

    「く、うぅぅぅぅ!」

     

     知の光が、ユリナを焼いていく。シンラが唱え続けてきた言葉が、ユリナの敗北を確定させる論拠となって、敗北を確定させていく。ユリナを選んでくれた結晶たちがそれに抗い、力及ばず消えていく。
     シンラの書も、自身の放つ光に耐えられないのか、端から光に溶けていた。だが、その全てが失われるよりも先に敗北が決定してしまうのは明らかだった。
     それでも。いや、だからこそ。

     

    「絶対に――」
    「……!」

     

     ユリナは、倒れない。
     その意志は、挫けない。
     決闘への愛を支える、勝利への執念が否定されてしまうことは、なかったのだから。

     

    「絶対に、勝つッ! てやあぁぁァァァァァァァァァァァァッ!」

     

     

     失われる勝利の底に残った、ひとすくいの力を振り絞って。
     最後の一撃が、光を切り裂いた。

     

     

     


     カナヱはこうして過去を語ることができる。だけど、未来までは領分にはない。
     当時、どちらが勝つか分からない決闘に、流石のカナヱも手に汗握ったものさ。
     これを天音揺波の英雄譚という、確定した今に繋がる物語としてしか語れないことを歯がゆく思うよ。

     

     勝敗は決した。想いと、そして君の生きるこの未来もだ。
     始まりの終わりは、もうすぐそこにある。

     

    どこにも記されていない物語

    作:五十嵐月夜   原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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