『桜降る代の神語り』第73話:彼女が望んできたもの

2019.01.11 Friday

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     闇に飲まれた神座桜に、光が戻った。当時、それを目の当たりにした者は涙まで流したものさ。
     動乱の終わりを象徴するような奇跡を、天音揺波とホノカがもたらした。
     けれど、彼女たちにとってそこはまだ終わりじゃあない。
     あと一歩、輝く未来を迎える前に、清算の時がやってくる。

     

     

     


     頭の欠けた山から、光が溢れ出していた。目にした者から異質な威容だと思われていた遺構の大樹が、満開の輝きを放っている。
     払暁とすら見紛う明るさを取り戻した世界だが、それは影を追いやることでもあった。

     

    「う……あぁ……」

     

     ウツロの影の装いは完全に形を失い、それでもなお彼女から離れていく塵が宙に溶けていく。顔を手で覆ったその姿は光に目を焼かれたようでもあり、喪失感に絶望しているようでもある。
     一方、自らもまた光を孕むホノカは、いきなり変化したその光景に呆然としていた。
     咲き誇ったのは、陰陽本殿の枯れ桜だけではない。

     

    「え……」

     

     世界、そのすべて。
     上空から見渡したこの地に、数多の光が生まれている。
     本来ならばそれこそが常であるにも関わらず、影に覆い尽くされようとしていたホノカは、その劇的な変化に戸惑っていた。
     だから、それが己の力によるものだと――ウツロと力の均衡に至った結果なのだと、ホノカは幾ばくか遅れて自覚する。

     

     だが、結果は正負を伴うものだ。
     ホノカが成し遂げたのなら、その結末を忌避し続けた者にとっては、皮肉にも終焉の訪れに他ならない。

     

    「あっ……あぁっ……! やだ、いやだぁ……!」

     

     ウツロは、光の中でホノカが佇むその悪夢のような光景に、息を荒くしていた。ホノカが何を言おうと、ヲウカの力がそこにあることに変わりなく、本能的な拒否感はあの程度の言葉で払拭できるようなものではなかった。
     ウツロにこびりついた過去の記憶が、ささくれだった心をかきむしる。
     敗北。そして、永遠の孤独。
     たった数年出られただけで、また元通り。次はいつか、そもそもあるのか、分からない。長きに渡る幽閉は、それを考える気力すら奪うのだから。

     

     そんな無の監獄が、また迫ってきた。
     桜の光に追い立てられたように湧き上がってくる恐怖が、ウツロの思考を埋め尽くした。

     

    「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
    「……! ウツロさんっ!」

     

     絶叫を響かせながら、残された影を纏って遮二無二急降下する。慌ててホノカも後を追うが、初動の遅れは取り戻せない。
     やがて、結晶をつける本殿の桜の枝を見送ろうかというところで、ウツロの視線はその幹へと注がれた。
     そして引き絞っていた力が、幹へ激突する寸前に解放される。

     

    「きゃっ!」

     

     力の余波に、ホノカは思わず目を覆った。
     彼女が次に見たものは、扉であった。
     神座桜の幹の一部が、樹皮ではなく桜の光になっている。かなり歪な形に広げられたその扉へ、ウツロは飛び込んでいったのだ。

     

     知識がなくとも、ホノカにはそれが自分がいるべき場所に繋がっているのだと理解できていた。漂ってくる気配に、懐かしいものさえ感じる。
     メガミの世界が、この向こうにある。
     しかし、彼女がすぐにウツロに続くことはなかった。躊躇が、ホノカが伸ばした手を途中で押し返していた。

     

    「ぽわぽわちゃぁーん!」

     

     と、そこで、大きく翅を羽ばたかせた揺波がようやく最前線に追いつく。
     宙で並び立った揺波は舞い散る結晶を背景に、ホノカの偉業を受けて笑顔を咲かせていた。

     

    「やったね、ぽわぽわちゃん!」
    「ユリナさん……」

     

     ただ、称える言葉を正面から受け止められず、ホノカは少し俯いて、どこか縋るように揺波を名を呼ぶ。
     揺波も揺波で、この場にウツロの姿が見えないことに思い至ったのか、きょろきょろと見渡してから、再びホノカに視線を戻す。
     ホノカは空いた扉に意識を向けながら、言外の問いに答えた。

     

    「ウツロさんは、その……メガミの世界に行っちゃいました……」

     

     それに対し、揺波は即答だった。

     

    「追いかけよう」
    「で、でも……」

     

     迷いのない返事が来ることは、ホノカにも分かっていた。それに同調するだけの気持ちもまた、ホノカの中にはたくさん存在する。
     けれども、躊躇いなく彼女の手を取ることができないだけの、理由もある。

     

    「ごめんなさい……私、行ったことないから……」

     

     開いた扉から得られた懐かしさは、ホノカにとってどこか少しだけ他人のもののようだった。その先は、本人が見たことのない場所に繋がっている。メガミであっても、幼い彼女には未知の領域に他ならないのである。
     忌避感ではない。だが、勢いよく飛び込んで行けなかった程度には、恐れが勝っている。

     

     しかし、その恐れで足を止めてしまったことに不甲斐なさを覚えていることもまた事実だ。
     そんなときだからこそ、人は、メガミは、一人ではない。

     

    「うん……わたしも、ちょっと怖い」
    「え……」

     

     心境を吐露した揺波は、だけど、と繋いだ。

     

    「ウツロさんを、助けないと」

     

     その手が、力強くホノカの手を握りしめる。
     自分と、勇気を分け合うように。恐れを、分かち合うように。
     そして、想いを確かめ合うように。
     背中を押すだけではなく、共に行くために。

     

     少しだけ足りなかったものを補って、少しだけ邪魔だったものを振り払い。
     覚悟を決めたホノカの瞳に、再び意思が漲った。

     

    「……はいっ!」

     

     威勢のよい返事が、眼下の遺構に響いた。
     そして、手に手を取って、大樹に開かれた扉へと身を投じていく。
     光に消えていった一人と一柱は――否、この瞬間をもって二柱となり、メガミの世界へと足を踏み入れた。

     

     

     

     


     桜花結晶が、鼻先を掠めた。
     闇夜にあれほど恋しかったそれが、今や周囲で無数に舞っている。どこに果てがあるかもわからないこの場所ならば、咲き戻った遺構の神座桜ですら比べ物にならないほどの量が踊っていることだろう。

     

    「すごいなあ……」

     

     捕まえた結晶を手のひらに乗せて、ユリナは感嘆を漏らした。
     彼女たちが羽ばたき進んでいくメガミの世界は、入る前の恐れを忘れてしまいそうになるほどに、優しい桜色で染まった空間だった。
     淡い光に満ちているようで、ほんのり霧がかってもいる。空も大地もなく、白い桜色をした不思議で美しい樹の根が張り巡らされており、曖昧な夢の中を泳いでいるようですらあった。

     

     人の気配はない。だが、桜に常に寄り添われている感覚がある。広大という言葉では表しきれない空間を二柱だけで行動しているのに、だからか未知の場所を進む不安はそう大きくなかった。
     ただ、突入してから今に至るまで、ウツロの姿は未だ発見できていない。果てしない空間を思えば当然で、指針もはっきりとしたものではない。

     

    「こっち……だと思います。あの根を越えないと」

     

     先導するホノカが、行き先を告げる。
     躊躇っていた通り、ホノカはメガミの世界が初めてだ。案内役を買って出ているのはひとえに、ウツロのいる場所が何となく分かる、とのことからだった。

     

    「そうしたら、またしばらく真っ直ぐです」
    「うん、ありがとう! ぽわぽわちゃんが居てよかったなぁ」

     

     明るく答えるユリナが、先を急ぐホノカに追随する。
     勘ぐらいしか頼れるもののない以上、ホノカに道を任せて考えるのは、ウツロに会えた後のことだ。
     切り口は、このままでいいのか。どう、手をのばすのか。
     また拒絶されないためにも、まずは色々と整理をつけておかなければならない。自分の想いを言葉にすることの難しさに、ユリナは密かに眉尻を下げた。

     

     ……その刹那。

     

    「……ッ!?」

     

     突如として肌を撫でた敵意に、反射的に振り返る。
     ただ、それはユリナに直接向けられたものではなかった。

     

    「これを以って、開花の担い手は――」

     

     ぞわり、と。
     女の声が染み込んでいくほどに、何かが書き換わっていく悪寒が襲う。
     そして、

     

    「今ここに、その不在を証明された……!」

     

     

     世界は、欺かれた。
     声の主の元から鎖にように溢れ出したのは、言葉が実体を得たようにひしめく数多の文字だった。
     言葉という通りに、それは向けられた相手――ホノカへと殺到する。

     

    「ぁ――」
    「ぽわぽわちゃんッ!」

     

     背中を向けていたホノカに、反応は許されなかった。真っ先に口が塞がれた次は手を、脚を縛り付けられ、ついには羽ばたくことも許されない。身動きの取れなくなったところでさらに言葉は殺到し、二重三重に鎖を巻き付け続けていけば、戒めは黒い球体のような形となって牢獄を成した。
     さらにそれは、ホノカの背丈よりもなお小さく縮み、人の頭ほどの大きさにまで圧縮される。中がどうなっているかなど、想像の埒外だった。

     

    「あっ……!?」

     

     それに合わせてか、突然ユリナの背中から桜の翅が消え去った。ウツロにやられたときのような虚脱感ではなく、まるで最初から存在していなかったかのような消失に、どうにか宙で姿勢を取り戻して根の上に着地する。
     そうしているうちに、言葉の繭はひとりでに空間を彷徨い、一処に落ち着いていた。
     天に向けた、女の右の手の上。
     鎧のように何重にも着物を着込み、流れるような長い金の髪を揺らす、その女。

     

    「何を……!」

     

     ユリナは斬華一閃を生み出し、強襲を果たしたその相手を睨みつける。
     だがその女は、向けられた切っ先を意に介さず、平然と名乗り上げた。

     

    「はじめまして、シンラと申します。長いお付き合いになるかもしれませんが、どうぞよしなに」

     

     

     

     


     ユリナにとって、その名前から連想するのは佐伯という男であった。桜花決闘で相手のミコトが宿していた経験はないが、最初は今は亡き龍ノ宮の決闘を観戦した際に、あるいは共闘した筏の上での戦いにおいては、その力によって助けてもらいもした。
     当時の記憶や感覚を反芻しながらも、ユリナはシンラ本人のことについてほとんど知らないことに思い至る。

     

     シンラの乗っている根に飛び移りながらも、警戒を一段階引き上げるユリナ。やや見上げる形となるが、彼我の距離は桜花決闘のそれに程近い。二呼吸あれば詰められることを意味するものの、言葉が届くほうが明らかに早い。
     しかし、身構えるユリナに、シンラは薄く微笑んだままこう告げた。

     

    「まずは、おめでとうございます、と言わせてください」
    「え……?」
    「偉業の果てに新たにメガミの一員となった貴女を、心より歓迎します。ようこそ、我々の世界へ」

     

     敵意の応酬が始まるのかと身構えていたユリナが、予想外の言葉に毒気を抜かれる。
     面と向かってメガミだと言われるのもこれが初めてだったため、足りない自覚が戸惑いを加速させる。

     

    「いや、そんな偉いことをしたわけじゃあ……」
    「何を言いますか。あれほどの英雄譚を打ち立て、ザンカの力を受け継ぎ、こうしてこの地にまで辿り着いたのです。そのような謙遜はもはや嫌味にしかなりません」

     

     そう言って、肩をすくめてみせる。
     オボロから英雄の一人だと担ぎ上げられたときと似たような困惑が、ユリナに生まれていた。彼女にしてみれば、たまたま目的と能力が適していただけのことで、いくらか居住まいの悪さを覚えていたのは記憶に新しい。
     どう言えば分かってもらえるだろうか――そう考え始めようとしていたユリナだったが、視界の中で揺蕩う黒が目的を思い出させる。

     

    「ぽわぽわちゃんを、どうするつもりですか」

     

     煙に巻くような会話の流れに頭を振り、改めて問い直す。
     シンラはそれに、一寸笑みを深くしてから、

     

    「乱暴なことをする意図はありません。ですが、この形がウツロを説得するために最も適しているのです。もちろん、万事解決と成ったときには可及的速やかに解放することを約束しましょう」
    「…………」
    「貴女方が苦心の末にウツロの抑制を成し遂げたこと、本当によくやったと思います。だから、ここからはどうか任せてはもらえませんか? 弁論のメガミたる私であれば、彼女を説得できるのですから」

     

     己を強調するよう、胸に手を当てる。
     しかし、

     

    「信じられません。襲ってきた上に、突然そんなこと言われても」

     

     ユリナは拒絶を突きつける。
     ただ、相手はその反論を素直に認めた。

     

    「その感情はもっともだと思います。理由があったとて、これが手放しに褒められない野蛮な手段であるとは自覚しています。ヲウカに煮え湯を飲まされ続けてきた者としての私情が含まれていることは否定できません。謝罪する他ないでしょう」

     

     ですが、と続けて、

     

    「私も、この地に起きた一大事を、一メガミとして憂いていたのです。ウツロの暴走についてだけではありません。貴女が挫いた、瑞泉驟雨の蛮行をです。彼は明らかにやりすぎていました」
    「あなたも、力を奪われたんですか」
    「いえ、私のミコトはあまりいませんし、対策もとっていたものですから」

     

     しみじみと、シンラは語る。

     

    「ずっと、陰ながら協力してきました。特に、瑞泉打倒に動いている間は、私は貴女の傍にいたのですよ」
    「え……」
    「佐伯識典を、対瑞泉の戦力として遣わしたのは私です。私は万が一にも絡繰の影響を受けないように、書の中に自らを封印し、佐伯の懐に隠れて行動を共にしていました」
    「佐伯さんが……」

     

     ハガネが彼の同道に難色を示していた、という話をユリナは思い出していた。サリヤから軽く聞いた、話が胡散臭いというざっくばらんな経緯も、今は理解できるような気がしていた。
     さらにシンラは、

     

    「ウツロに対抗するためにザンカを連れてきたり、先程までの戦いでは、私の権能を与えて支援をさせていました。あれの言葉には、力が籠もっていたでしょう?」
    「えっと……たぶん。必死だったので」
    「あの桜のない闇の空で私たちの権能を使うために、貴女の仲間たちは複製装置を使わざるを得ませんでした。しかし、私の力を扱う複製装置は存在しません。あのとき、あれは私の書を用いて三つ目の権能を振るっていたのです」

     

     言い終えるなり、シンラはユリナの得物に視線をやって、僅かに目を伏せた。

     

    「あぁ……ザンカのことについては残念でした。あの戦局においてはやむを得なかったのです。そんな中、貴女が武神の力を受け継いでくれたことは嬉しく思います。途絶えてしまうのは、やはり寂しいことですから」

     

     示された弔慰を、ザンカの死闘の委細を知らないユリナは黙って受け入れる。

     その上で、彼女が突きつけるのは再びの拒絶だ。

     

    「色々手助けしてくれたのは分かりました。でも、ぽわぽわちゃんをそんなふうに扱う人は信用できません」
    「…………」
    「それに、協力してくれるんだったら、最初からそのことを教えてくれてもよかったんじゃないですか? なんで私たちからも隠れてたんですか?」

     

     心情的な疑問として。あるいは、分かっていたら他のやりようもあっただろう、という武人の疑問として。
     対してシンラは、困ったように眉尻を下げて、こう答える。

     

    「そうできればよかったことには同意しますが、私自身、逆にヲウカを信用していなかったのですよ。先程、煮え湯を飲まされた、と言った通りに」
    「さっき、私情って」
    「個人的な恨みというわけではありませんよ」

     

     是正の前置きをし、シンラは逆にユリナにその言葉を突きつけた。

     

    「ヲウカは善良な存在ではありません。貴女は、利用されただけかもしれないのです」

     

     意識の外から放り込まれた提言に、ユリナの思考が止まる。
     彼女は、ウツロを単に悪いメガミとすることをよしとしてこなかった。佐伯から聞いた歴史からして、考えは正しかったのだと納得したばかりだった。
     だが、ウツロが悪だという誤解は、ヲウカが善だという認識が前提になっている。決闘を見届け続けてもらったヲウカを疑う機会など、今まで存在しなかったのだ。

     

    「それって、どういう……」
    「……少し、昔話をしましょう。桜花決闘が成立するまでの話です」

     

     そう言うとシンラは傍らに黒い球体を浮かべ、降ってきた桜花結晶を両手でそれぞれ一片ずつ摘んで見せた。

     

    「ご存知の通り、ヲウカとウツロは、桜花結晶の生成と塵化を象徴する、対になるメガミです。二柱が力の均衡を保つことで、桜の力は常に循環するような仕組みとなっていました」

     

     片方の結晶を、指に力を入れて砕く。
     シンラは手のひらに集まったその残骸を、ふっ、と吹き飛ばした。世界を包む霞に混ざるように、きらきらとした輝きが彼女の眼前に浮かんだ。

     

    「ですが、ヲウカはその高慢さからウツロと対立することになります。結果は、これもまたご存知の通り、ヲウカはウツロを打ち破って封印してしまいました。それにより、自分の生み出す結晶を塵にする邪魔者は消えたのです」
    「…………」
    「自分の天下に喜んだヲウカでしたが、愚かな彼女は気づいていなかったのです。循環は、一方向だけの力だけでは成立しないのだと。ウツロのいない世界では、力が循環しないことで、どんどん淀みが生じていきました。例えるなら、腐っていったとも言えるでしょう。まるで、流れのない池の水のように」

     

     だから、とシンラは、

     

    「ヲウカはこの事態を解決するために、人間を利用することにしました。当時より存在していた、彼女を信奉する結社・桜花拝宮司連合を通じて、人々にある文化を根付かせたのです」
    「それが……」
    「はい、そうです。ミコト同士が戦えば、塵が生まれるでしょう? 桜花決闘は、隠れたヲウカの興味を惹くためのものではなく、人間たちに無理やりウツロの役割を担ってもらい、桜の力を無理やり循環させるための儀式なのですよ」

     

     告げられた言葉を、ユリナは鵜呑みにするつもりはなかった。けれど、自分の常識を揺らすほどの事実に、思わず息を呑む。
     シンラは、摘んでいたもう片方の結晶も同様に砕き、足元にこぼす。そしてまた降ってきた別の結晶を、元通りのように摘んで見せる。

     

    「無論、一度や二度の決闘程度では循環はうまくいきません。全土に、やって当然のものと思われるほどの文化にならなければなりませんでした。幸いというべきか、この通り決闘は十分に普及しました。我らがヲウカのための、決闘は」

     

     祝詞であるはずのそれを唱える彼女は、とても忌々しげだ。あえて言ったことすら後悔しているようですらあった。

     

    「そうして、宮司連合の暗躍の結果、ヲウカは人間にとってなくてはならない存在となり、支配を確固たるものとして今に至ります。乗った人間が居るのも確かですが、元を辿ればヲウカの高慢さが招いたこと……人間たちもまた、ヲウカの被害者と言えるでしょう」
    「そんな……」

     

     擁護したくとも、擁護すること自体が言説を認めるようで、何も言えなかった。
     一息おいてから、シンラは手振りを交えながら、宣言するように、

     

    「桜花決闘は、悪しき文化です。私は、ヲウカを打倒し、歪んだ仕組みから人々を解放し、この世の中を知性ある政で回る世界にしたい」
    「…………」
    「知略を尽くし、追い詰めたヲウカに致命の傷を負わせたつもりだったのですが……どうも、まだどこかでしぶとく生きているようです。残念ながら、欺瞞の清算は未だ成されていません」

     

     嘆息しながら、ゆるゆると首を振るシンラは、それから話は一区切りついた、とユリナを窺う。これで理解してもらえたか、と問うように。
     斬華一閃の刃先は、とうの昔に下へと向けられていた。
     じっと目を落としながら考えていたユリナは、やがて静かに口を開く。

     

    「ぽわぽわちゃんとヲウカは違います。だから、なおさらそんなことをするあなたを信じられません」
    「ヲウカの力自体を目の敵にしてしまっているかもしれませんね。それに関しては、謝罪を深めることにしますが……ヲウカの悪行については、ご納得いただけたということでしょうか」

     

     確認を受けて、ユリナはやや言葉に迷いながらも、

     

    「……桜花決闘の始まりは、良いものじゃあなかったかもしれません」
    「では――」
    「それでも!」

     

     シンラを遮り、ユリナは声を大にして答えを放つ。

     

    「それでも、今は素敵なものなんです!」

     

     飾らない言葉で、確固たる意思をぶつける。
     シンラはそれに、貼り付けたような笑みを崩していた。眉をひそめる彼女は、理解に苦しんでいるようだった。
    そしてその様相を崩さないままに、反論の言葉を作る。

     

    「貴女は、全てを戦いで解決するような野蛮な世界が、本当に素敵だと思っているのですか? 人の知性こそが物事を動かすべきではありませんか?」

     

     その言葉には、どこか今までの彼女より、力がこもっていた。
     それに気づいたユリナは、咄嗟に声を上げようとして、やめた。そうしたところで無駄だということにもまた、気づいてしまったのだから。

     

    「シンラさん……あなたは、いくつか嘘をついてると思います」
    「ほう?」
    「でも、この地のことを想っているのは、本当なんですね」

     

     問いに、答えがあった。

     

    「はい」

     

     と。
     そこだけは偽りがないと、どうしてか理解できてしまう。
     真意を嘘の中に隠してきたシンラの心が、今は確かにそこにあった。
     重ねて、答え合わせのようにユリナが問う。

     

    「あなたは、ぽわぽわちゃんを解放するつもりはなくて、自分がヲウカみたいな立場になって、桜花決闘をなくしちゃうつもりなんですね」
    「…………驚きました。ただの決闘馬鹿だと思っていたのですが」

     

     投げかけられたその評価に、くすり、とユリナは笑いをこぼした。

     

    「あなたは、桜花決闘が大嫌いなんですね」
    「……ええ」

     

     そして最後に、重ねて問う。
     想いを理解してしまったが故に、想いが支えるものの決定的な違いに諦観を覚えながら。

     

    「わたしとあなたは、相容れないんですね」
    「そのようですね」
    「だから……」

     

     構えた斬華一閃が、シンラの姿を捉える。
     永遠に交わらない平行線の想いを抱えて、妥協点を見出すことができないのなら、想いの強さを比べるしかない。

     

    「仕方ありませんね」

     

     シンラの袖から、数本の巻物が現れる。勝手に開いたかと思えば、羽衣のように彼女の周囲を漂い始めた。独特の臨戦態勢だが、膨れ上がる圧は彼女が決して言葉を紡ぐだけの存在ではないと示している。
     賭けるものは、桜花決闘そのもの。
     活かしたいという想いと、廃したいという想い。相容れない二つが今、間合いを挟んで向かい合う。

     

     と、いつも通りに宣誓しようとしたユリナが、言葉を飲み込んでシンラを伺った。

     

    「我らヲウカ……とは、言いたくないですよね……」

     

     無言の応じられたユリナは、どうしたものかと周囲に目を配る。そもそもヲウカ本人がいるはずの世界で行われる決闘に、先程までの話を踏まえずとも、例の宣誓に若干の違和を感じていた。ユリナにとってはまだ、ヲウカは桜の向こうの存在という印象が強すぎるのだ。

     

     彼女の目に映ったのは、この世界。
     桜の根が張り巡らされ、無数の花弁が絶え間なく降り注ぐ世界。
     故にユリナは、少し間を空けてから、こう唱えた。

     

    「武神ユリナ、桜降る代に……決闘を!」

     

     そして、応じるシンラは、感情を露わにするように眉にさらに力を込める。

     

    「弁論のメガミ・シンラ。桜降る代に、決闘を」

     

     努めて淡々と告げられた宣言を皮切りに、明確な敵意がユリナの肌を刺激した。
     観客は、誰もいない。立ち会う者もいなければ、ずっと見届けていたはずのメガミもいない。宣誓と共に流れ込んでくる力もなく、ホノカも黒い繭になってずっと黙したままだ。

     

     勝手の違う戦いに、ユリナはにやりと口端を吊り上げた。
     それでも必ず勝つという意思を燃やして。

     

    「これから、最初の桜花決闘を、始めたいです」
    「そうですね……そして、最後の桜花決闘にしましょう」

     

     

     この地の有り様を巡る衝突が、今始まる。

     

     

     

     


     舞台裏で暗躍するやつが表に出てくるのは、決まって自分にしかできない一手を打つためだ。
     美味しいところだけを持っていく、なんて言うけれど、シンラにとっては育ててきた計画のまさに収穫時に他ならなかった。
     決闘のために力を尽くしてきたユリナの活躍に、一手加えるだけで真逆の結果を生み出すんだからね。

     

     ああ、そうだ。ついにここまで来た。武神ユリナの初陣にして、桜降る代に至る最後の戦いを、今こそ語るとしよう。

     

    どこにも記されていない物語

    作:五十嵐月夜   原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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