『桜降る代の神語り』第70話:未来のための戦いへ

2018.12.07 Friday

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     英雄たちは勝利した。だけどまだ、彼女たちに凱旋の機会は訪れない。

     

     人の世の諍いを鎮めた後に待っていたのは、この地を闇に落とした終焉の影。
    ウツロが飛び立ち、その圧倒的な力と存在感から天音揺波たちが解放された後から、物語を続けよう。

     桜降る代に至る、終わりと始まりの物語を。

     

     

     


     抑圧された感情は胸の奥で膨らんでいく。もし押さえつけていた圧が消えたのなら、その感情は身体から吹き出すように発露することだろう。
     花弁を散らした翁玄桜の下、己の常識を試されるような異常な光景を目の当たりにした者たちは、まず月明かりに他人の顔がきちんと照らし出されていることに安堵した。
     そして、安堵の後に来るのは、恐れの揺り戻しである。特にそれが大きかったのは、死線とは縁遠かった瑞泉の一般兵たちだ。

     

    「なんだよ……あれ、なんだったんだよ……!」
    「あんなの化物だ……殺されるかと思った……」
    「ウツロ様は味方だって言われてたけど、やっぱりメガミ様にこんな罰当たりなことを手伝わせるなんてだめだったんだよ!」

     

     揺波と瑞泉の決闘を見守っていた彼らは、主の敗北からさらに追い打たれ、動揺のままにざわめきを生んでいた。蹲る者、自身の正気を確かめてもらおうとする者、この場にいた不幸を嘆く者……共通していたのは、怯えに身体を震わせていたことだった。

     本来であれば彼らを御するはずの男は、膝をつき、枯れた桜を仰ぎ見るのみ。

     

    「ウツロぉ、いいぞぉ……はは、ふは……」

     

     力なく、意思も絶えた瑞泉の口から溢れるうわ言を聞き届ける者は誰もいない。この異常を前にして、そんな余裕の持ち合わせがあるはずもなかった。元を辿れば、彼こそが災厄をもたらした張本人だという安易な帰結は、恐慌の中で容易く手が届く。
     皆、畏れに駆られたように感情を吐き出していた。
     ただ、そんな中で揺波は、静かにじっと目をつぶっている。

     

    「…………」

     

     震えもなければ、強張ってもいない。まるで誰かの声に耳を傾けているようであったが、辺りを満たす恐怖に炙られた言葉に傾聴する価値があろうはずもない。
     千鳥はそんな彼女の様子を不審に想い、肩に手をかけると、

     

    「おい、どうした天音」
    「えっーーあ、あぁ、はい」

     

     上の空といった様子で揺波は応じるが、その視線は千鳥に向くことはない。
     遠く、闇のその向こうへ。彼女の意識は、強大な影が去っていった方角に注がれていた。

     

    「ウツロさん、追わないと……」

     

     ぽつり、そう零す揺波に、千鳥は眉をひそめた。
     場を支配する恐れは、あのウツロが自分たちに害を為すのではないか、という懸念から生まれたものだ。実際、なければならないものを消した下手人という事実が、散った桜という姿になって目の前にそびえている。
     瑞泉陣営ですらそんな心持ちなのであれば、元々ウツロと敵対していた千鳥がはっきりとした敵対心と、それ故の絶望感を抱いているのは至極当然のことだった。

     

     しかし、揺波にはそれがなかった。意識は明らかにウツロを見定めているのに、敵とみなしていない、いっそ心配するような面持ちであった。
     恐怖に浸るこの場には、あまりに似つかわしくない。

     

    「なんでだ? 追って、また話でもするのか? 前よりもっと話が通じなさそうになってたじゃねえか」
    「えっと、それは……」

     

     どう答えたものか、揺波は言葉選びに苦心する。自分の中にある確かな答えと、それをうまく説明できそうにない自分に気づき、次第に困惑の色が滲み出してくる。
     しかし、そんな中で唐突に、「あっ」と声を上げた揺波は、

     

    「ぽわぽわちゃんが、直接お話するそうです」
    「は……?」

     

     その意味を千鳥が理解しそこねた直後だった。
     突如として彼女の左手が輝き、辺りの闇を払拭した。何事かと衆目を集める最中、光は次第に形を帯びていき、やがて揺波の隣に並び立つように少女の姿をとった。
     桜色の装いに身を包み、背中に花びらのような四枚の翅を有した黒髪の少女こそ、揺波に宿っていたホノカ、その顕現体。時を経て、再びその姿を現した彼女は、目を点にした千鳥に訴えるよう、揺波の答えを継いだ。

     

    「理由は分からないんですけど、私が行かなきゃいけない、私がやらなきゃいけないことがある、そんなふうに感じるんです」
    「えーっと、なるほど? ……天音、ひょっとしてこの子がホノカ?」
    「ぽわぽわちゃんです。そういえば、千鳥さんはこの格好見たことなかったんでした」

     

     眉間にしわを寄せていく千鳥をよそに、揺波はホノカの両肩に手を置いて、

     

    「ぽわぽわちゃんもこう言ってるっていうのもあるんですけど、わたしもやっぱりウツロさんのこと、放っておけないな、って。だから、まずは追いかけなきゃいけないんです」
    「そうです! 居ても立ってもいられないんです!」
    「あー、待て待て。待ってくれ。俺も余裕がないんだ、一旦落ち着かせてくれ」

     

     手で制止を告げる千鳥を、揺波とホノカは不思議そうに見つめる。それは、答えるだけ答えたのだという意思表示でもあり、千鳥の頭をさらに悩ませる一因となる。
     彼はまずホノカを指差すと、

     

    「そもそもホノカの顕現には、すごい量の力が必要なんじゃないのか? それこそ、もらった神代枝でも全然足りないくらいの。だから天音の手に居るって聞いたんだが」
    「んー、そうですねえ。ユリナさんが、ザンカさんから力を受け継いだ時点で、なんだかできそうな感覚はありました」
    「なんだかできそう、ってあやふやすぎる……!」

     

     不明瞭な回答に加え、それ以上の詳細を望めない状況では、合理的な解答が得られるはずもない。旅を共にしてきた千鳥であっても、揺波が二人になったような現状に、焦りを抱えながらでは混乱がいや増す一方であった。
     と、

     

    「忍の納得より、今は話を進めるほうが先決だ。違うか?」

     

     会話に混ざってきた佐伯は、うまく反論する言葉が見つからない千鳥をじっと見据えていた。
     千鳥が渋々疑問を飲み込んだのを見て、佐伯は賛成の意を示すように、小さく手を掲げる。

     

    「行くべきである可能性があるのは確かだ。私は、ウツロの追跡に同意する」
    「可能性……? 何か心当たりでもあるのか」
    「ああ。予測が正しければ、こちらから動かないと状況は好転しないはずだ。放っておけば、この地の有り様が変わった未曾有の災害の日として、永遠に記録されるだろう」

     

     佐伯も、千鳥と同様にウツロとの戦いで負傷した身である。けれど、予感よりも確かな可能性が、起き得る未来を予見してしまった者としての義務感を生み、彼を対処へと突き動かしているようだった。
     最低限の納得を得た千鳥は、気持ちを切り替えるように大きく息を吐く。
     それを肯定と受け取った揺波は、ホノカを連れてウツロの飛び去った方角へ歩き出そうとした。

     

    「なら早く出発しましょう」
    「おいおいおい、だから待てって!」
    「……?」

     

     何故止められるのか分からないという顔が、二つ並んでいる。
     これには千鳥も具体的な反論の用意があった。

     

    「あーだこーだ言ったけど、俺だって協力するつもりだ。とりあえずウツロのところに行くのもそれでいい。けど、どうやって飛んでったあいつを追いかけるんだよ!」
    「それに、だ。我々は『行く』ということで構わないだろうが、ジュリアさんや怪我人を連れていけないからと言って、ここに置いていくわけにもいかないだろう」

     

     ちら、と動かした視線の先では、もう動くのをやめた神渉装置の成れの果てを、当のジュリアが力なく調べていた。
     人同士の決着は、先刻迎えられた。けれど、脅威の大きさに吹き飛ばされてしまっていたが、ここは敵地の真っ只中なのである。決闘の結果を反故にするような首魁を見てしまった以上、無事に帰れる保証はなおさら見当たらない。

     

     気が逸っていたのか、揺波は指摘されるまで気づかなかったようだった。ホノカはばつが悪そうに目線を落としている。方法を探さなければならないという前向きな検討事項はともかく、仲間を危険に晒しかねないという懸念は確かに彼女たちの勢いを削ぐには十分だった。

     

    「はい……ですね……」

     

     でも、とは揺波は言い出せなかった。
     一瞬の沈黙に、はっきりとした答えを持っていなかった一同はさらに口を重くする。
     だから、

     

    「複製装置を使えばいいじゃないのさ」
    「……!?」

     

     輪の外から突然投げ込まれたその言葉に、全員息を呑んで身構えた。
     声の主は、瑞泉の配下であるはずの浮雲耶宵その人だった。クルルの攻撃に巻き込まれ墜落した彼女は、頭から少し血を流し、やや歩きにくそうにしているものの、得物が弓であることを思えば立派な兵力であることに間違いない。
     しかしどうしてか、浮雲に敵意はなく、弓も持っていなければ、今の言葉は助言以外の何物でもない。

     

    「あたしの使ってた<空>だよ。それで飛んでいきゃあいい。まあ、ご覧の通りあたしたちの手持ちはクルルに壊されちまったからね。充填もできなくなった今、まともに使える予備がどれだけ残ってるかによるけど……」
    「いいのかよ」
    「いいんだよ」

     

     薄く警戒の色を滲ませた千鳥の問いに、けれど浮雲は肩をすくめて応じた。

     

    「勝負がついたなんて、みんな分かってるさね。そんなことより、目の前の危機をどうにかするのが先だよ。うちの大将は使い物にならなそうだし、ここはあたしが出張る番ってことで、やるべきことをやりに行かせてもらおうじゃあないの」
    「おまえも来るのかよ」
    「なんだい、嫌かい? 戦力は一人でも多いほうがいいと思うけど。複製装置を一番使い慣れてるわけだし」

     

     飄々とした言葉遣いだが、その目だけは真剣だった。ミコトとして、この地に住む者として、この危機をどうにかしたいという意思が確かに宿っていた。
     千鳥を含め、誰からも反対意見は出なかった。渡りに船ではあるが、船に穴が空いていないか、全く調べない訳にはいかないというだけのやり取りだと皆が理解していた。選択肢がない以上、船に乗ることは半ば確定しているのだから。

     

    「よし、あんたたちッ! 騒いでないで、あるだけ<空>持ってきな!」

     

     浮雲の一喝で、不安を吐き出すだけの装置となっていた兵たちが、屋敷の中へと続々と駆け込んでいく。その光景に欺瞞は欠片ほどもない。
     それを見ながら、指折り数えていた佐伯は、

     

    「できれば七つあればありがたいが……まずジュリアさんたちに三つあれば、オボロ様のところまで合流してもらえる」
    「藤峰さん、あの怪我で大丈夫かなあ」
    「そこはもうひと踏ん張りしてもらうしかあるまい。皮肉にも、複製装置は身をもって信頼するに至ったものの、この場所には信用が置けないからな」
    「……離脱用のは三つって言ったのかい? 二つじゃなくて?」
    「えっ……」

     

     意図の汲み取れない浮雲の疑問には、少々呆れが含まれていた。
     千鳥が彼女の視線を追った先で、一抱えほどもある風呂敷包みが動いていた。それはウツロの去った方角とは反対の、明らかに城下へ脱出する向きである。

     

    「あーっ! 楢橋、おまえ……!」
    「ひえっ……!」

     

     折れた左腕が使えないため、右腕一本で風呂敷包みを担ぐ楢橋の姿は、彼の本職たる泥棒というよりも、死闘の末に戦利品を勝ち得た強者のようだ。……やっていることは火事場泥棒のそれであり、一人勝手に逃げ出そうとしている事実は変わらないのだが。
    慌てて飛び出した千鳥に首根っこを掴まれ、

     

    「ゆ、許してっ! もういいじゃんか、オレっちの役目は終わったでしょ!」
    「あんた、俺たちの中で一番長く複製装置使ってたんだろ!? 合流地点まで飛んでくっていう最後の仕事が残ってるんだよ!」
    「やだやだ、他の人でもいいんじゃん! もうさようならしたいの!」
    「……ジュリアさんに、複製装置の使い方を教えてあげて欲しいんだ」
    「はい、手取り足取り指導させていただきます」

     

     盗品を置き、手のひらを返したようにジュリアの下へと走っていく楢橋。名を呼ぶ彼の声が、揺波たちの下へ戻っていく千鳥を虚しくさせるも、あの強大な影と再び相向かう緊張感も同時に弱まっていったようだった。
     やがて、瑞泉の兵が次々と複製装置を運んでくる。浮雲はそれを、真っ先に揺波に手渡した。
     けれど、

     

    「いえ、大丈夫です」
    「は……?」

     

     今までの話をひっくり返す遠慮に、浮雲は訝しむ。
     しかし、最初からウツロを追おうと足を踏み出していた揺波たちには、それは必要のないものであった。
     揺波の視線は、ホノカの背後に注がれている。

     

    「ね、ぽわぽわちゃん」
    「はいっ、ユリナさん! いけると思います!」
    「わたしたちは、これで」

     

     ぐ、と背中に力を込めるように力んだ揺波は、その力を背後に解き放つように胸を張った。
     すると、揺波の背中にも、ホノカと同じような二対の桜色の翅が現れた。きらきらと結晶の輝きを鱗粉のように放つそれは、宵闇と恐怖に包まれた瑞泉城の庭で人々の光となった。

     

    「さあ、行きましょう。ウツロさんのところへ」

     

     

     

     


     山の上から見渡す夜景には、従来地上の光が映えていた。空から月と星が照らすように、点々と存在する神座桜は夜闇の中であってもその輝きを失わない。月が陰っていれば次に方位の指針とできる程度には、あって然るべき光であった。

     

    「やはり、予想は当たっていそうだ」

     

     佐伯はそう言って、青空と桜とかけ合わせたような色合いの翼を羽ばたかせる。
     瑞泉城から飛び立った追跡部隊の五人は、あるべき地上の光の一切が失われた大地を眼下に収めつつ、ホノカを先頭に空路を辿っていた。現在位置の頼りになるのは前方右に連なる、御蕾山を有する山脈だけで、ホノカの感覚を曖昧な道標とする今、黒い海を泳いでいるような不安が一同を襲う。

     

    「どういうことだよ」

     

     そう訊ねる千鳥に、佐伯は皆に届くように声を少し張り上げて、

     

    「全員聞こえているか!? この状況に至った経緯と、我々がやるべきことについて、私の推測を話そうと思う。特にホノカ様、最終的にはあなたの手にかかっています。よく聞いていただきたい」
    「わ、私ですか……?」

     

     動揺するホノカ。速度を落とし、声の届く範囲に位置した彼女は、並んだ揺波の顔を思わず窺った。
     そして佐伯は、とつとつと語り始める。

     

    「これは、古い史料の記述から類推した話ですが……陰陽本殿の桜花結晶のない桜を、我々は現実に目の当たりにしました。お伽噺でしかなかった、花のない桜がああして存在しているーーその理由は一体何故か。その答えは、ウツロの権能にあります」
    「昔散らしてそのまんま、ってわけじゃあないんだろう?」
    「ああ。あの桜は、過去に散ったのではない。あの場に封印されていたウツロの力により、現在に渡ってずっと咲くことを許されてないんだ。花となるはずだった力は、結晶になる前に塵となって還されていたわけだな」

     

     なるほど、と納得を告げる浮雲。
     佐伯はさらに、ホノカに視線を移し、

     

    「では、その桜花結晶を作り出しているのは何者か。それこそが、ヲウカ様に他なりません」
    「ヲウカ……」

     

     投げかけられた名を、ホノカは繰り返す。自覚がなくとも、揺波が否定しようとも、瑞泉の強烈な求めは彼女の心に強く刺さっている。

     

    「桜花結晶の生成を司るヲウカ。桜花結晶の塵化を司るウツロ。対の力を持つこの二柱によって、桜の力は形態を変えながら循環しているわけなのです」
    「なあ……それならちょっとおかしくないか?」

     

     疑念を挟む千鳥に、佐伯は目で先を促す。

     

    「ヲウカとウツロで結晶を循環させてたってことは、力がいい塩梅のところで拮抗してた、ってことだよな? じゃあ、今までずっと神座桜を咲かせ続けてた状態で保ってたのに、桜がいきなりこんな全滅状態になるのはなんでだ? いくらなんでもウツロ側に寄り過ぎてると思うんだけど」

     

     彼の言葉の裏には、眼前で本人を前にした恐ろしさが隠れている。が、それを考慮してもなお、理性は違和感を口にさせていた。
    これには他の者も同意を示し、佐伯に答えを求めた。故に彼は、

     

    「ウツロの力が強まった、という事実は既に体感した通りだ。忍の疑問は最もで、確かにこれだけでは割に合わないと感じる。だが、もし、力の均衡が両側から崩れていたとしたら……?」
    「……!」
    「そう、ウツロの力が強まっただけではない。対するヲウカ様の力が、何故か弱まってしまっている。だからこそ、陰陽本殿の桜のような事態が全土に広がってしまったと考えられる」

     

     ですが、と間髪入れずに佐伯は繋いだ。

     

    「ここにいるホノカ様の力は、間違いなくヲウカ様の力と同質です」
    「え、あ……それじゃあ、私の手にかかってるっていうのは……」
    「理解が早くて助かります。ヲウカ様が今何処でいかがされているのかは知りませんが、ウツロの力とヲウカの力が均衡を取り戻しさえすれば問題は解決するはずです。つまり、そのためにはーー」
    「私とウツロさんの力が、釣り合えばいい……?」

     

     答えを先んじて口にしたホノカは、己のことではないような非現実感に戸惑うも、じわじわとその意味を飲み込んでいったようだった。それだけの隙間が、彼女の言葉にし切れない動機に隠れていたのである。

     

    「ご明察です。ウツロを追いたいあなたのその衝動は、均衡を取り戻すべくウツロの力に引かれているからでしょう」

     

     道が、言葉によって拓かれる。不確かな感情に説明を与える佐伯の言葉を、ホノカは己の中で反芻し、心の整理をつけていく。
    そんな中、次なる疑問を挟んだのは浮雲だった。

     

    「それで? 具体的にどうやるか、何か考えてるんだろうね」
    「当たり前だ。やるべきことは二つ。第一に、戦いを通じてウツロの力を弱める。第二に、ホノカ様には力をより高めてもらう。まあ、後者は僭越ながらホノカ様次第で、こちらから具体策を示せないのは申し訳ない限りですが」

     

     それに、千鳥は苦笑いを漏らす。

     

    「戦う? 俺たちが? あれと?」

     

     けれど、彼は反対の意図を示したのではない。
     全員、一歩も動けなかっただろうに。暗にそんな揶揄を自分にも向けて、冗談じみた提案に彼は笑うしかなかったのだ。そもそもメガミと決闘以外で戦うことが無謀極まりない行為なのに、相手はヲウカの対の存在なのだからむべなるかな。

     

    「なら逃げるか?」
    「冗談言うなよ。あんたこそやれるのか?」
    「当然だ。この地の危機に、力を尽くさずして何かミコトか」

     

     それに、と佐伯は目を眇め、

     

    「時間があるとは限らない。あのウツロの目的が何なのか分からない以上、援軍の到着を待ってはいられない。桜花結晶がなくなったことによる影響や混乱も予想されるし、我々でなければ間に合わないかもしれない。そんな状況で傍観するわけがないだろう」
    「取り返しのつかないことになったら、目覚めが悪いしな」
    「……まあ、というのは私の建前なわけだが」

     

     小さく笑った佐伯の目は、揺波とホノカを指し示している。
     理由も、やるべきことも、その意思も、彼女たちから生まれたものだ。
     二人は、求められたそれを、ただ思うままに述べる。

     

    「ウツロさんは悪いことしてるわけじゃあないんですよね? 前も、今も、やっぱり悪いメガミだとは思えません!」
    「私も、ユリナさんと一緒の気持ちですっ! それに、今すぐウツロさんのところへ行かないと絶対にダメな気がするんです! 私たちで行きましょう!」

     

     

     勢い余って二人の翅が接触しそうになる。すんでのところで回避した互いは、自然と向かい合う形となって、通った意思に満足そうな笑みを浮かべた。
     これには千鳥も笑って、

     

    「俺たちがうだうだ言うより、英雄とメガミ様を信じたほうがマシだな」

     

     絶望感を、彼女たちへの信頼の陰に隠す。

     と、そこへ、

     

    「見えてきたよッ!」

     

     鋭い浮雲の報告に、一同が進路の先へと向き直る。狩人たる浮雲の目より遅れて、揺波の瞳もまた広い夜空の中に対象を捉えた。
     巨大な黒い翅をゆったりと羽ばたかせ、静かに空を往く影の形。まるで地上に広がった闇を吸い上げたかのようで、禍々しい紋様の刻まれた翅に隠れるようにして据わっている灰色の頭部が、辛うじて人の体裁を成したモノだと認識させてくれる。

     

     枯れる桜という絶望をもたらしたウツロは、変わってしまったあの姿のままで、そこにいた。
     彼女の飛翔に、強い意志は感じられない。ただ導かれるように翅を動かすのみ。
     何者にも囚われずに。

     

    「ウツロさぁぁぁぁぁんッ!!」
    「…………」

     

     ただ、揺波の割れんばかりの大声での呼びかけに、一瞬だけ、宙で動きを止めた。
    それもすぐに、気に留めるほどのことではないと判断したのか、それ以上の反応を示すことなく、再び羽ばたいた。
    それでも、揺波の決意は変わらなかった。

     

    「行きましょう……!」

     

     同意する声が夜空に入り混じる。
     五つの光が今、影と相対する。

     

     

     


     人と人、人とメガミ……この英雄譚の戦いは、それだけじゃあ終わらない。
     己の役目を理解していくホノカもまた、天音揺波と歩む存在として、終焉の影に立ち向かう。

     けれど、きちんと覚えておいて欲しい。天音揺波の言葉通り、これが悪いメガミを退治する、そんな物語ではないことを。
     さあ、未来のための戦いをはじめよう。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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