『桜降る代の神語り』第69話:決戦

2018.11.09 Friday

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     絶望の中、彼女は数々の希望を受け継ぎ、再び刃を構えた。
    人も、メガミも、この地を遍く混乱に陥れた騒動は、ついに決着の刻を迎える。


     英雄・天音揺波、最後の決闘。
     その全てを、カナヱは今ここに語ろう。

     

     

     


     穏やかな夜風が、無数の傷を撫でる。天の頂に手を伸ばした月が、戦乱を物語る瑞泉城の荒れた敷地を見下ろしている中、決戦の舞台は雄大なる翁玄桜の輝きによって照らしだされていた。
     その異様な桜に、初め揺波は息を呑んだ。巻き付くように奇妙な木製の輪と数多の歯車が取り付けられた歪な姿が、事件の中心なのだと理解したからだ。ただ、そんな侵食も今や一部の歯車がぎこちなく回るのみで、整然とした動きは感じられない。

     

     故に、その下で瑞泉と向かい合った揺波は、意識から装置のことを外していた。
     勝利のためには、不要だったからだ。

     

    「…………」

     

     瑞泉も、揺波自身も、そして成り行きを見守る者たちも、訪れた静寂に身を浸している。
     相対する二人を囲むよう、瑞泉の背後には彼らの兵たちが、揺波の背後にはジュリアを始めとした仲間たちが、それぞれ位置していた。お互い考えることは同じで、本人たちに相手方が危害を加えないよう、警戒心を顕にしている。

     

     両陣営、賭ける物はあまりに大きい。
     だが、その行方を決する闘いなればこそ、この地に生きる者として最後まで見守る必要がある。神事を尊重する心と、万が一があってはならないという懸念が拮抗し、結果として遺恨なき決着を待つ舞台が出来上がっていた。

     

     

    「天音揺波、我らがヲウカに決闘を」

     

     宣誓する揺波。
     すると、ザンカから受け継いだ長大な斬華一閃が、一度桜と散り、再び彼女の手に収束していく。
     脈動する力はそのままに、天音揺波の刃となった斬華一閃は、今まで揺波が顕現させていたものよりも一回り厚く長く、けれどしっくりと手に馴染む。刃の重みと柄を握る手に伝わる温かさが、適度な緊張感と安心感をもたらし、勝利への意志を後押ししてくれた。

     

    「瑞泉驟雨、我らがヲウカに決闘を」

     

     対する瑞泉の手に、得物はない。自然体に構える彼は、しかし足元にわだかまる影を引き連れているような不気味な雰囲気を纏っており、神帯鎧も脱ぎ去ったとて、不足はないのだと気配で示している。

     

     静かに両者の意志と覚悟は出揃った。
     一方は、己の欲する世界のために。
     一方は、己の愛する決闘のために。
     未来を勝ち取るための闘いが、幕を開ける。

     

     

     

     


     彼我に挟まれた空間が、緊張のあまりに重く、硬く、横たわっている。今から一歩を踏み出さなければならないのに、揺波は静かにその開いた間合いを見つめるのみ。両者の意志だけが、既に剣戟の音を響かせているようであった。
     相向かうだけで、決闘の舞台は威圧の底に沈む。
     もはや達人の域を超え、練り上げられていく闘いの空気は神域に近づいていた。

     

     意を決し、じり、と右足を差し出す。
     二歩目は、より早く。
     だが、

     

    「っ……!」

     

     瑞泉から放たれる圧が、さらに強められ、一瞬足を止めてしまった。彼を恐れたわけではないが、揺波の内に宿る力が怯えているかのようだ。
     彼にとってそれは行動の始まりを告げる合図だった。緩く上にかざした左手の上で、収まりのいい配置を探すように、かちゃりかちゃりと何かを弄び始めた。その力の源と対峙したことのある揺波は、その動きがよくない結果をもたらすことを理解する。
     しかし、積極的な至近を選んだ揺波を、迸る黒い影が襲った。

     

    「ぅ、ぐ……」
    「そこで見ていろ」

     

     右手を突き出した彼の表情に、慢心などない。
     軌道を読みきれず、思わず結晶のみならず刀までも盾にしてしまい、揺波は前進する意志を軽くくじかれた形となる。
     決闘の場において、彼女はウツロやクルルの力に対して圧倒的に経験が足りていない。無形の影を駆使する攻め手の早さはひと目見ただけで驚異であり、自身の戦い方を体現するまでの苦境を瞬時に悟る。

     

     だが、天音揺波は最強の男の攻めをかいくぐったミコトである。
     それに及ばぬ攻めを前に、どうして彼女が怯むことがあろうか。

     

    「ふッ!」

     

     切り替えるように息を切って、飛び出すように前へ。
     襲い来る漆黒の闇が彼女の勢いを殺そうともがくが、貪欲に至近を求める揺波を止めるには至らない。ただ傷を承知で突き進むのではなく、鉛玉の雨を切り抜けたときよりも余力を残して、彼女は瞬く間に彼我の間合いを詰めていく。
     そして、足を両断しようと地面の影から生み出された刃を、巧みな足捌きで回避した揺波は、

     

    「やあぁッ!」
    「くっ……!」

     

     気迫と共に振った刃が、瑞泉の胸を切り裂いた。吹き出した結晶の破片に、有効打を確信する。
     と、

     

    「あ――」

     

     踏み込んだ足に体重を乗せていた揺波の身体が、僅かにぐらり、と傾きかけた。物理的な反撃を受けたせいではなく、どうしてか、くらくらと渦を巻いた思考が、次の一手への動きをかき乱したのである。
     それでも刹那の混乱を打ち破り、横薙ぎに二の太刀を浴びせんとするものの、瑞泉の腹に吸い込まれていくはずだった切っ先が、彼我の間に現れた影に飲み込まれた。

     

    「ふっ」

     

     手応えはなく、相手は滑るように一歩間合いを離していく。
     まるでそうくることが予期されていたかのような、抜かりのない受けだった。乱された思考も、未知の力なのかと思うと、次の一手を繰り出すまでに対策を練らなければならない。

     

     だが、天音揺波は最硬の男の守りを打ち破ったミコトである。
     それに及ばぬ守りを前に、どうして彼女が躊躇うことがあろうか。

     

    「あ、がぁぁっ!」

     

     お返しとばかりに、揺波の全身を電撃が焦がす。
     揺波の攻めを受けてなお、瑞泉からは焦りも迷いも感じられなかった。彼の攻めも守りも、最高と評するにはいくらか物足りない。けれど、それすらも予定調和だとばかりに、瑞泉は淡々と手中の次の動きを進めていた。

     

    「ふぅー……」

     

     揺波の頭は、それこそが瑞泉の強さであるとはじき出す。
     彼が達人の域に確実に至っているであろうことは間違いない。しかし、龍ノ宮が攻めを、古鷹が守りを極めたミコトであるように、瑞泉が分かりやすい技を極めているわけではない。

     

     彼が極めたものは、決闘の盤上にはない。
     己自身をも駒とし、結果への道筋を淡々となぞるその冷徹なまでの戦略こそ瑞泉驟雨の武器。無駄が生じるはずの立ち回りを一切の無駄なく完遂する達人の動きすらも歯車とする様は、勝利を生み出す完璧な構造を体現しているかのようだった。
     個々の動きでは劣っても、龍ノ宮や古鷹を超える強敵に違いない――一合交えただけで、揺波にはそう思えてならなかった。

     

    「どうした?」
    「…………」

     

     問う瑞泉の声に嘲りの色はない。間髪入れずに迫るという予測が外れてしまったではないか、とでも言うようだった。
     ずっと同じ調子で戦い続けてしまえば、彼の勝利に組み込まれてしまう。ザンカと共にこの場に立っているような境地であってもなお、揺波は勝ちを確信することができず、再び肉薄するための力を脚に溜めるのみだった。

     

     と、そんな揺波の焦りを溶かすような、斬華一閃のものではない温かさが、彼女の手に広がった。

     

    「あ……」

     

     左手のぬくもりに、励まされている。
     どこか子供らしく手を引っ張って、わたしもいることを忘れないで下さい、と主張されているかのようで、決闘の最中だというのに、揺波の顔が仄かに緩んだ。

     

    「お願いッ!」
    「む……」

     

     ホノカの力をいざ振るう。桜色に棚引く旗を顕現させた揺波は、力を送り出すように瑞泉に向かって旗を振る。
     その勢いや、風を切る音すら聞こえるほど。
     しかし、

     

    「なんだ……?」

     

     旗の軌跡から飛び立った、手のひら大の桜の精の動きはいかにも弱々しい。ぺちり、と念を押して突き出された瑞泉の結晶に阻まれ、相打つように光と消え、そして揺波の元へ戻っていった。
     大仰さとは裏腹に、決定打とは程遠い一撃に瑞泉の眉がひそまる。しかし、揺波の瞳は失望で彩られたりはしておらず、ホノカへの信頼に強く輝いている。

     

    「なら」

     

     それを見てか、警戒心を強めた瑞泉は、影を引き連れるように動く。
     安全圏に逃れるように後方へ向かったのではなく、彼が志向したのは前だ。

     

    「な……!」

     

     一気に間合いを詰めてきた瑞泉に、慌てて揺波が斬華一閃を顕現し直す。彼は途中で影から作った大鎌を手に収めていたが、実際にそれを振るうことはなかった。左手は相変わらず絡繰を弄んでいるため、そもそも満足に振れるはずもない。
     刀を持つ相手に対して、遠距離戦が行える者が自ら接近するのは一見して異常。しかし大鎌の柄を盾にするように突き出して鍔迫り合いを仕掛けてきたことから、近すぎる間合いでは刀も盾にしかならないことを瑞泉は熟知しているようであった。

     

     前方への脱出を大胆に選べる者は、それだけで強者足り得る。
     巧妙な動きを絶やさない瑞泉を相手に、時間をいたずらに生み出すこの超接近戦を続けるわけにはいかなかった。
     ただ、やや状況は異なるものの、揺波はこれに近しい場面に遭遇したことがある。
     最強の守りすら一度は崩した手を、迷いなく選択する。

     

    「……!」

     

     体内に溜め込んだ気を、肉薄する瑞泉が悟るほどに膨張させる。相手を圧し、その守りを吹き散らす威風は、計算された立ち回りに楔となって打ち込まれるだろう。
     僅かに顔を顰める瑞泉を窺いながら、揺波はさらに次の一手を考える。
     しかし、やはり彼に焦りはなかった。

     

    「全ては欺瞞」

     

     

     そう呟くと、青白く輝く奇怪な紋様が彼の周囲に浮かぶ。
     限界を迎えた揺波の気が、それごと吹き飛ばさんと破裂の瞬間を迎える。
     だが、

     

    「え……」

     

     威風が、現れない。
     溜め込んでいた気がどこかに消えてしまったかのように、何も起きなかった。
     そして、対抗するだけの力を使われたのだと瞬時に切り替えようとした揺波は、眼前の瑞泉の姿が歪んでいることにも気づく。音からしてそんな動きはしていないはずなのに、前後に行ったり来たり、距離感がまるで掴めなくなっていた。

     

    「くっ……」
    「土産だ」
    「ぐ、ぅあぁっ、あがぁ……!」

     

     やむなく打ち払って引こうとした揺波めがけ、冷徹に追い打つような雷撃が迸る。しかも、先程とは違い、二度焼かれることとなった。
     それでも刀を降ろさないまま、しびれる身体をおして瑞泉を正眼に据える。彼の周囲に広がった紋様は、余韻も残さずに消え去っていた。役割を果たしたからか、時間に限りがあるのか、もう視界は元に戻っていた。

     

     攻めは看過できる水準まで抑えられ、防ぐことの叶わない不可避の雷撃で身を焼かれる。揺波の懸念通り、彼の勝利を生み出す頑強な仕組みに飲まれてしまっていた。
     彼の勝利に盛り上がりなど必要ない。このまま淡々と傷を広げ続け、淡々と倒し切るのだろう。

     

    「これ、から……!」

     

     決意を示すよう声に出し、歯を食いしばる。
     瑞泉流の決闘を打ち破るには、どこかで爆発を起こさなくてはならない。

     

     

     

     


     刀は引き斬ることによって鋭利さを発揮できる武器である。正確には、そう振るうように作られている。故に、想定された彼我の間合いを逸すれば、なまくらの斬撃を繰り出すことになってしまう。
     しかし一方で、刀とは刃だけからできているものではない。十分な質量と硬さを備えたそれは、ある種の鈍器とも言える。

     

    「たッ!」
    「おぉっ!」

     

     切り結ぶかと見せかけ、切っ先を地面に向けた揺波は、斬華一閃の柄頭を至近の瑞泉の顔めがけて繰り出した。
     阻まれることなく吸い込まれてった柄頭は、瑞泉がわざと結晶の盾をどかしたためである。衝撃の反動を利用しながら一歩、二歩と下がりつつ、正しい刀の間合いにて斬撃を放つ。

     

    「無駄だ」

     

     再び、影が切っ先を飲み込み、振り切った勢いを逃しきれない。しかも、その動きに連動するかのように、猛烈に歯車が回転する音が響いたかと思えば、瑞泉は己の脚も動かさずに離したばかりの間合いを再び詰めてくる。
     古鷹に攻撃をいなされ続けたときのような絶望感はない。だが、細々とした攻撃は甘んじて受け入れてもらっているが、瑞泉は一向に致命的な隙を見せない。勝負の行方を左右するような大技を、彼は明確に警戒していた。

     

    「あっ、ぐぅ……!」

     

     再三の電撃に膝が折れそうになる。
     天守閣での戦いのような、天より雷を呼び出すほどではないにしろ、瑞泉の手中より迸る雷撃の回数は異様なほどに多かった。この中では、気で圧する間隙もろくに見いだすことができない。
     序盤でついた差を、どうしても取り返せない。
     歯がゆさが広がる中、体勢を立て直す猶予を作ってもらうように、心の中でホノカのあの光を求める。左手付近から飛び出していった桜の精が、彼の視界を塞ぐように顔面めがけて体当たりを敢行する。

     

    「ふん……」

     

     やはりそれは容易く防がれてしまい、構え直すだけの時間を揺波にもたらしただけであった。
     けれど、その大きさ。
     光の姿のホノカと触れ合っていた揺波には、桜の精が先程よりも大きくなっていることに気づいた。

     

    「あ……」

     

     それを裏打ちするかのように、左手に生じたぬくもりが広がっていく。
     苦境を共にし、支えてくれる頼もしい想いが、揺波の焦りを溶かしていった。

     

    「任せて下さいっ!」

     

     と。
     今度は確かに、そう聞こえた。
     まごうことなきホノカの声が、揺波さらに奮い立たせる。
     信頼の果てに選んだのは、刀も届かぬ間合いへの全力後退であった。

     

    「うん?」

     

     油断は見せないものの、訝しげな瑞泉。構うことなく、降り積もった桜の塵を巻き上げながら、華麗な足運びで距離を離す。取り残された盾の結晶に惜しさを感じつつも、防げない攻撃を繰り出す相手を前に、防御を薄くしたところで問題ないと直感していた。
    接近して、打ち合うのでなければ。
     もはや熱いとすら言える左手は、高まる力を示してやまない。

     

    「行ってッ!」

     

     合図と共に、一気にその力を放出する。
     桜の光が精霊の形に収束し、反動すら感じるほどの勢いで瑞泉へ突撃する。その姿は先程よりもさらに一回り大きく、纏う光はなお力強い。

     

    「ぐおっ!」

     

     反射的に身体を傾けての回避を選んだ瑞泉だったが、桜の精はそれを許さない。自分の意志で喰らいつくように軌道を修正し、弱々しかったことが嘘のような強さで彼の腹を打ち据える。
     散って戻ってくる光は、戦局に一石を投じた誇りを胸に、凱旋するかのようだ。

     

    「チッ……」

     

     ふらついた身体を立て直し、瑞泉がこの決闘で初めて苛立ちを顕にした。
     だが、

     

    「ふっ、ふはっ……ふははっ……!」

     

     煩わしさすらも飲み込む大きな感情が、獰猛さを帯びていく笑みに現れる。
     乱れた髪をかきあげる彼の瞳は、暗闇に潜む獣よりもなお妖しく光っていた。待ちわびた獲物を前に、狂気すら滲んでいるようだ。

     

    「そうだ、それだ……あんな弱々しいものではない……! その純然たる力こそ、謳われしヲウカの力!」

     

     彼には今、自分も他人もない。揺波にさえも焦点は合っていない。
     あまりにも大きすぎる野心に突き動かされる獣こそ、瑞泉驟雨。成就のために求めていた力を前に、今までずっと理性で蓋をしていた動力源が暴れだしている。

     

    「それを私に寄越せ、天音揺波ァ!」

     

     感情の赴くままに叫ぶ瑞泉が、二条の電撃を放つ。再び懐に潜りこもうと前進する姿は、理性にどうにか操られてさえいなければ、妄執に取り憑かれたようにしか見えなかっただろう。

     

    「っ……! お、ことわりですッ!」

     

     意志と反して雷に怯む身体を無理やり起こし、迫る瑞泉を見据える。
     彼女の体内に残された結晶は少ない。時を刻むように淡々と襲い来る雷撃は、瑞泉という機構が健在である限り、揺波の敗北の瞬間をも告げることだろう。
     けれど、すなわちそれは、敗北の刻を見定めることができるということ。
     今だからこそ、決死の執念を見せるとき。逃すことのできない機を掴み取るため、意志を燃やし、斬華一閃を強く握りしめる。

     

    「それにこの子は――」

     

     腰だめに構えた刃の腹に、桜の光を纏わせた手を添えて。
     稲妻に散らされた全身の力を総動員し、相手を討ち果たす底力を捻り出す。

     

    「ぽわぽわちゃんですッ!!」

     

     

     放たれる居合は、揺波の意志のように強く、鋭く、敗北をもたらす全てを両断する力となる。
     その勝利への執念の結晶を前に、瑞泉は、

     

    「知ったことかぁぁぁぁぁ!」

     

     さらに前へ、持てる結晶を全て動員し、強固な盾を構えて踏み込んだ。桜花結晶の輝きは、無慈悲にも揺波の意志を受け止めて、一拍遅れて生じた剣風で吹き飛ばされていく。
     全力で刃を抜き払った揺波は次なる行動に移りきれず、計算と覚悟の上で飛び込んでいった瑞泉は、ほんの僅かに生じた余裕によって影の波動を迸らせる。

     

    「っあ……!」

     

     なおも体勢を崩された揺波を前に、瑞泉が口を歪めて嗤った。手にした絡繰は、この先を暗示するかのように、ぴり、ぴり、と閃光を瞬かせている。
     その手を払うことすら、もう揺波にはできない。
     傾いでいく視界の中、残酷なまでに猶予を奪われたことだけを理解する。

     

    「これで終われよ、天音ッ! 今度こそォ!」

     

     もたらされる終焉に対して、守りは意味を成さない。満足な攻め手も見つからない。己にできることがどんどん脳裏から消え去っていく喪失感の果てでは、彼女が求めるものとは対極の概念が手招きしていた。
     でも、と揺波は自ら執念の炎を吹き消すことはしない。

     

     己が打てる手がなかったとしても。
     己に成せない勝利だったとしても。
     だからこそ、共に戦う相棒を最後まで信じ抜く。
     刃として振るったザンカの力でも届かなかったとしても、その左手に高まる力は信頼と、そして希望に満ちている。

     

    「お願い……ぽわぽわちゃん!」

     

     祈りというよりも、それは託すと呼ぶべき叫びだった。
     瞬間、舞台が桜の光に包まれた。

     

     

    「……!」

     

     手のひらに乗るような、可愛らしい姿形は過去のもの。
     光によって象られたのは、もはや人の形であった。身体を得たホノカに近いような、あるいは別の存在のような、桜の力が形を持っているということだけがはっきりと分かるその姿。

     

     現れたそれは、揺波を執念を受け継ぐように、瑞泉へと立ち向かう。
     負けないためではなく、勝つために。
     意志の宿った力が、最後の一手となって、解き放たれる。

     

    「な、あ……」

     

     自分が求めたものへ手をかけていた瑞泉に、これを受けるための手段はなかった。彼の守りは、既に欲望に喰われた後だった。

     唖然とし、言葉を失った彼は、迫る光の奔流に己の破滅を照らし出される。
     勝利を導く歯車はもう、動かない。

     

    「ちくしょぉぉぉぉぉぉっ!」

     

     獣のような慟哭が、桜の下に響き渡る。
     それも、光の中に飲み込まれた後には、塗りつぶされたかのように静まった。
     それが終わりの合図だった。
     決闘は、ここに決着を迎えた。

     

     

     

     


     敗北による動揺も、勝利の余韻も、観客からは湧いてこなかった。

     

    「なぜ、だ……」

     

     誰もがただ、膝をついて呆然と虚空を見上げる瑞泉の様子を窺っていた。あれだけ漂わせていた支配者の風格は消え去り、この敗北によって一瞬で全て失ったようにみすぼらしく見える。
     だが、彼の中で燃えていた野心は、燻るような惨めさであっても、未だ原動力のままであり続けたようだった。

     

    「貴様ら、何をしている……」
    「は……?」

     

     生気を失った目で、控えていた兵を見やる瑞泉。
     彼は理解を示されなかったことに激怒し、口から泡を飛ばして兵たちを怒鳴りつける。

     

    「天音揺波を捕らえろッ! 力を使い果たした今が好機、そんなことも分からないのか貴様らはッ!」

     

     無様だった。
     大家の長として君臨し、世を統べると謳った者の姿では決してなかった。
     しかし、手段を選んでこなかったからこそ、今日の結果があることもまた事実。彼の残った理性がはじき出した醜い正論は、どんなに無様であろうとも揺波たちが警戒しないわけにはいかなかった。

     

     咄嗟に、千鳥と佐伯が揺波へと並び、ジュリアを背中に隠す位置をとる。楢橋でさえも、彼らの後ろで複製装置を使えるよう構え、抵抗の意思を見せていた。
     泥沼の戦いが幕を開けるのか。そう悲観し、揺波が斬華一閃を握り直す。
     けれども、

     

    「おい……何故だ、何故動かない」
    「…………」
    「どうした、私の命令が聞けないのかッ!」

     

     悲鳴に近づいていく声を浴びせられたところで、瑞泉の兵が動くことはなかった。
     自軍の総大将が桜花決闘で破れたという事実は、兵の中にいるミコトの心を折るのに十分であった。直接襲うことも、重ねるように桜花決闘を挑むことも、選択肢から消えていたのである。
     そしてその諦観は、複製装置だけを持つ兵の恐れをさらに煽る。揺波の手にした斬華一閃の斬撃に身を晒すなど、到底できるはずもなかった。

     

     何より、ここでの抵抗は桜花決闘の定めに反する。
     実力差を理解してしまったという以前に、禁忌に近しい何かが、兵たちが武器を掲げることをよしとしなかったのである。

     

    「どう、して……」

     

     怒りで生じた力が、瑞泉から抜けていった。言葉を失い、兵たちもいたたまれないように沈黙を守り、意志が消えたようだった。
    それを見て、千鳥は手にした苦無を懐にしまった。

     

    「終わったな」

     

     揺波に笑いかけ、揺波もまた疲労をおしてはにかんだ。
     弛緩した空気が流れかけ、揺波たちは勝利を手にしたという事実が染み渡ってくる感覚を覚えていた。
     と、そんな彼らの耳に、砂利を踏む足音が割り込んだ。
     一瞬にして戻った緊張感の中、彼らの視線の先にあったのは、小さな影だった。

     

     ウツロ。
     揺波たちを苦しめたメガミが、ここに来て現れたのだ。

     

    「ソンナ……」

     

     絶句するジュリアに賛同するように、顔を歪めて身構える佐伯と千鳥。
     ウツロはまさしく満身創痍を体現したような姿で、その衣服のあちこちが避けていた。ふらふらと歩いてくる彼女の一部からは、砂のように細かくなった桜の光が宙に溢れている。
     しかし、メガミが立っているというそれだけで、状況がひっくり返る。
     僅かに残った力とて、人々を屠るには十分なはずなのだから。

     

    「ウツロ、ウツロッ!」

     

     地に手をつき、すがりつくような声で瑞泉は彼女の名を呼んだ。
     ただ、この場で一人だけ、ウツロのことを新手だと認識しなかったものがいた。

     

    「おい天音、何やって――」
    「もう、やめてくれませんか」

     

     揺波は、おぼつかない足取りのウツロを、瑞泉からかばうように立つ。這いつくばって懇願する瑞泉に対して抱いた憤りをぶつけるように、彼を威圧する。
     瑞泉には、彼女の行いが理解できなかった。敵どころか、最も恐ろしい存在に無防備な背中を向けるその神経が、分からなかった。ただ、自分の理屈を超えていく彼女に反抗する気力を失い、呆然とするだけだ。
     ざり、ざり、と近づいてくるウツロに、揺波は敵意のなさを伝えるように、優しく呼びかける。

     

    「ウツロさん」

     

     けれど、その先を続けることはできなかった。
     間近で見たウツロの様子は、死に体であることを除いても、なお異常であった。

     

    「え……」

     

     空虚だった瞳に、色がついている。
     その色は、恐怖――ここになって、彼女の心が塗りつぶされ、瑞泉にも揺波にも反応していないことを悟る。
     ウツロは、間違いなく何かを見ていた。
     ここにはない、誰にも分からない、何かを。

     

    「負け、たの……?」

     

     ぽつり、自問する。
     揺波の脇を、素通りしていった。

     

    「嫌……負けるのは、嫌……」

     

     戦慄く口で、怯えを訴える。
     小さく手にすがりついた瑞泉を、道に飛び出た枝であるかのように無視していった。

     

    「もう、何もない中で――」

     

     ふらふらと、ただ導かれるように。
     彼女の足取りは、翁玄桜の根元へ収束する。そこにはただ、ジュリアたちが破壊した神渉装置の残骸が静かに鎮座しているだけだった。

     

     だけの、はずだった。
     終わりを迎えた、はずだった。

     

    「ずっと一人なのは……嫌っ!!」

     

     

     激昂に賛同するように、動かないはずの神渉装置が悲鳴を上げる。
     ガタガタと、無理を通すように。
     絞り上げた命脈が、再び顕現する悪夢を想起させる。

     

    「な、なんでだよ……どうしてだよ……」

     

     後ずさる千鳥が、小石につまずき、尻もちをついた。
     誰の目にも分かる、神渉装置の再稼働。それを何より否定したがっていたのは、装置を破壊した張本人であるジュリアである。

     

    「アリエナイ……もう、動くハズありませんッ!」
    「で、でも、どう見ても――」
    「アリエナイんです! 動くことも、あのパーツが、ああやって動くことも!」

     

     目の前の光景を受け入れられないジュリアをよそに、翁玄桜の上部に取り付けられた巨大な歯車たちが崩れ始める。ズゥン、と巨大な質量が地を揺らし、これが紛れもなく現実であることを突きつけた。
     そして、壊れた歯車を追って桜の根元に目をやった者は、根元に落ちた影がだんだんと澱んでいく様を見てしまう。

     

     そして、闇は広がる。
     桜に最も近いウツロを飲み込むように。

     

    「ウツロさん……ウツロさんッ!」
    「ウツロ……頼む……! 私の、世界を……! ウツロォッ!」

     

     揺波は説得するように、瑞泉は懇願するように、それぞれ叫ぶ。
     だが、その声は彼女には届かない。

     

    「いやーっ! ぎゃーっ! 死ぬーっ! オレっち何も悪いことしてなーい!」
    「う、うわあぁぁぁ! 逃げろーッ!」

     

     溢れ出した恐怖に、悲嘆に暮れ、逃げ惑う。
     だが、その声も彼女には届かない。

     

    「ドウシテ、ですか……なんで……!」

     

     ジュリアの困惑も、届かない。
     彼女にとって、それは雑音でしかなかったのだから。

     そして影が、ウツロへと至る。

     

    「あ、ああぁぁぁぁぁぁ――」

     

     絶叫は、途絶えた。
     瞬間、広がっていた影は一度翁玄桜の根元へと戻り、そして破裂したかのように急速に広がった。

     

     揺波たちを、飲み込むように。
     否――この地を、飲み込むように。

     

    「は……?」

     

     しゃら、しゃらと、結晶の擦れ合う音が、洪水のように響き渡った。
     理解を越えた事象に、誰もが絶句する。

     翁玄桜が、散り始めていた。

     

     

     


     この日、大地から光が消えた。
     月明かりだけに照らされるこの地は、あまりにも暗かった。
     人間も、ミコトも、メガミも、影に飲まれた世界で、ただ悟る。
     終焉の訪れを。

     

     

     


     天音家が残した数少ない桜。在りし日を思い出させるその桜を前に、一人の女中は膝をつく。

     

    「あぁ……あぁ……っ!」

     

     無慈悲に散りゆく様を前に、彼女は嘆き、主の姿を反芻した。
     天音揺波が初めての決闘で勝利した、あの日のことを。

     

     

     

     


     遠く旧龍ノ宮城敷地内に毅然と立っていた桜が、風にその花びらを舞わせている。

     

    「おーおー、なんかえらいことになってんな」

     

     この地に顕現したメガミは、言葉とは裏腹に、真剣な眼差しでその光景を目に焼き付けた。
     そして紅の閃光と共に、彼女は何処かへ飛び去っていった。

     

     

     

     


     御冬の里からさらに北進した果てにある、極寒の大地。

     

    「ふむ……」

     

     吹雪に押し流されていく桜の結晶に、女は険しい顔を作っていた。
     散った結晶の輝きが失われていく中、雪の灯りすらも頼りにならない闇へ、彼女は歩きだしていった。

     

     

     

     


     仄暗い古鷹山群で光となっていた桜が、力を失ったように枯れ枝を見せつつあった。

     

    「オボロ様……一体何が……」

     

     任務を果たし、帰還した楠坂は、震える手で忍の里の桜に触れる。
     温かみなど微塵も感じない終の気配に、彼は決戦の地へと目を向けるしかなかった。

     

     

     

     


     古鷹邸。白金滝桜があった大舞台は今、影の底に落ちていた。

     

    「我々に、どうしろというのだ……」

     

     人智を超えた現象に、指示を出さなければならない叶世座座長・仲小路も、立ち尽くす他ない。
     舞台の向こう側に見えるただの細枝が、栄華の果てのようであった。

     

     

     

     


     揺波たちを見送る立場であった者共も、不吉を極めたような現象に呆然としていた。瑞泉領までほど近い平原にぽつんと生えた神座桜はもう、一切の無駄なく禿げ上がっていた。

     

    「オ、オボロ様……儂だけは、儂だけは助けてください……!」
    「お、おおおおいずりーぞおっさん! 俺様のほうが助かるんだ!」

     

     大の男たちにすがりつかれるも、オボロはその異様な光景に目を奪われていた。
     畏怖を隠しきれない彼女の頭の中では、一つの可能性が踊っている。けれど、それが正しかったとて、最悪の発現でしかない。考えることをやめそうになるくらい、あまりにも絶望的な可能性だった。

     

    「は、はは……」

     

     オボロの指先で、結晶たちが塵となり、空気に解けていった。

     

     

     

     


     そして、往時の華美を忘れたかのように散った翁玄桜。結晶の最後の一片に至るまで無に還っていった今、枝が徒に夜空を覆い隠すのみ。色あせ、命を失ったような様子は、まるであの遺構に佇む花無き桜の再現のよう。
     揺波たちに、この現象が全土で起きていることなど知る由もない。
     だが、一本が失われただけでも這い上がってくる夜闇は、それだけで前代未聞の事態が起きたと認識させるには十分であった。

     

     その下で、影は、佇んでいた。
     ウツロを依代とするように集った影が成す人の姿。

     

     

    「…………」

     

     ただ虚空を見つめるソレの容姿は、一見すればウツロが人のように成長したものに近い。齢にして、3か4を加えたあたりだろうか。
     背中に生えた影色の四枚翅がより大きくなっていることも、衣服に刻みつけられた渦を巻いたような紋様も、ともすれば装いを変えただけだと逃避できるかもしれない。

     

     けれど、彼女から溢れ出す圧倒的な力は、元のウツロよりも、他のどんなメガミよりも強大だった。この場の誰もが、彼女は決定的に変わってしまったのだ、と理解せざるを得ないほどに。
     あるいは、これこそが本当のウツロなのかもしれない。
     謳われし存在が真なる姿で降臨した――そんな可能性が、皆の脳裏をよぎる。

     

     終焉をもたらしたその影は、焦点の合っていない瞳で世界を見渡す。揺波も、瑞泉も、誰であっても平等に、風景の一部であるかのように見ていた。

     

    「ぁ……」

     

     揺波は、動けなかった。いや、揺波のみならず、皆一様に動くことができなかった。
     各々、これが畏怖によるものなのか、それとも恐怖なのか、あるいは絶望なのか、判じることはできない。彼らに分かるのは、それらの感情の坩堝と化したここにおいて、あの影だけは自由であるということだけだった。

     

     そして影は背中の翅を羽ばたかせ、なにかに導かれるように飛び立っていった。
     真の闇に落ちた、世界へ。









     このようにして、英雄たちは勝利した。
     氷雨細音はまだ人に近く、それでも人から外れた存在として英雄たちを助け、いよいよ完全に座へと至った。
     闇昏千影は縁を辿り、絆を紡ぎ、そして仲間と共に友を助けた。彼女もまたその果てに、メガミの座へと至ることになったね。
     サリヤ・ソルアリア・ラーナークは自らが仕える者のため奮迅し、その末に彼女も至った。しかし、あのような異常な侵入になるとはカナヱですら予想はできなかったよ。
     そして、天音揺波は力を受け継いだ。師であり、最後の刹那だけは並び立つ戦友だった彼女から、桜花決闘を愛する友として、ね。瑞泉驟雨との最後の決闘は、見事だったと評するほかないだろう。

     四人の英雄は決意を貫き、巨悪を打ち破った。


     だが、まだ物語は終わらない。
     終焉の影は目覚め、この地全てを揺るがす最後の戦いが始まる。

     さあ、物語を最後の段階へ――桜降る代へと進めよう。
























     ひとつだけ、カナヱの助言も聞いてもらおうかな。
     君のことだから、心躍らせているんだろう?



     

     

     

     

     






     異相の技のことは、カナヱも聞き及んでいるよ。
     君はカナヱと共に神話を辿り、この時の彼女へと至った。
     まさかとは思うけれど、宿そうなどとは考えていないよね?

     図星かい? まあ、止めても無駄なのだろうね。
     だが、終焉の影は君の想像を超えて危うい存在だ。



     ならばせめて、死を越えて、塵すらも残らぬ――

     無への恐怖を知っておくことだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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