『桜降る代の神語り』閑話:ある最後の閑話

2018.09.28 Friday

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     茜色に焼けた空に、数えるほどの雲が浮かんでいる。よい月夜になると喜ぶ者は多いだろうが、密かに動く存在にとっては、あと少しでもいいから空を覆って欲しくなるところだ。
     そんな逢魔が刻、咲ヶ原の深い森の入り口は、立ち入る者を飲み込む禍々しい口のようであった。そんな場所を見下ろすように、こぢんまりとした丘にぽつんと佇む白衣の影が一つ。

     

    「贅沢は言えんな」

     

     ひとりごちたオボロの目は、不運を切り捨てる言葉とは裏腹に、どこか物憂げに伏せられていた。
     瑞泉城攻略に向けた作戦の決行まであとしばし。日が沈んだそのときには、開戦を告げる鐘が地響きとして鳴らされることだろう。オボロの参加しなかった強襲部隊は、今は遠く南に見える御蕾山の頂で、その刻を今かと待っているはずだった。
     と、オボロの傍に人の形をした黒い風が三つ、吹き込んだ。

     

    「ご無事で何よりです、オボロ様」
    「誰の心配をしている。……首尾のほどは?」

     

     片膝をつき、かしずく三人はいずれも里の実力者。個の腕も然り、部隊を的確に運用する術も身に着けた、オボロの信頼も厚い忍たちである。
     戦いは、英雄として本拠地に向かった者たちだけのものではない。彼らもまた、彼らなりの戦いを進めていた。

     

    「はっ! 牛飼へ移動中だった兵団へ、二度の夜襲を敢行、菰珠への足止めに成功しています。例の絡繰兵で構成されていましたが、部隊の練度は低かったようで」
    「旧龍ノ宮領は、どうも蟹河侵攻の一派がたむろしてたみたいです。合流されたらまずかったですが、勝手に分断してたわけですからね……奴ら、身動きとれずに補給を切らして、領民との軋轢が生まれ始めてますよ」

     

     ふむ、と頷いたオボロに、残りの一人が、

     

    「それは銭金を是非褒めてやってくれ」
    「ほう? あやつの功績はそれほどか」
    「顔の広さには感心しました。商人誰もが、手紙一枚で当意即妙とばかりに動き始めるのです。きっと身銭を切って、商機を与えていたのでしょう。どうも現地の商人も反瑞泉が多数だったようで、結果、翌日には赤南の港から多くの荷馬車が西に消え、物もなくなり、駐屯していた兵団が自活するだけで手一杯の有様に」

     

     瑞泉はあくまで武力によって各地の恭順を得られた段階であり、直接的な支配体制を敷き終わったわけではなかった。故に、未だ大部分を商人に頼らざるを得なかった兵站は、行軍そのものに慣れていない彼らにとって急所であった。
     いかにメガミの力を引き出せる軍団であろうとも、平和であったこの地では教科書通りにしか考える脳を持たない。
     影は、そこを狙い、乱す。それが、陽動という彼らの為すべきことであった。

     

    「加えて本日、指揮官一人の拉致に成功したこともあって、当面の混乱は必至かと」
    「略奪の心配をせねばならんほどにうまくいっているようだな。よくやってくれた」

     

     僅かに頬を緩めたオボロに、手短に報告を終えた三人が立ち上がる。
     と、

     

    「榊原は……うまくやったでしょうか」

     

     それは、ここにはいない忍の名であった。
     オボロの視線は北に向く。その先で、榊原には為すべきことあった。

     

    「あやつならば問題なかろうよ。それに……」
    「…………」

     

     ただ沈黙でもって答える忍たちに、オボロはいくらか苦々しげに続けた。それは彼らに対する感情などではなく、もっと遠く、ともすればどこにいるかも分からない相手への想いだ。

     

    「それに、これは連中の計画によるものだ。どうせ上手くいくようできている」
    「高く買われているのですね」
    「払う対価がこうも悪質でなければ結構なのだがな。全く、この札の切り方、よくもまあこれほどたちが悪くなれるものだと感心するよ。……だから、最後までこの計画のことは言う気になれなかった。特に、揺波の前ではな」

     

     懺悔のようなオボロの言葉に、誰も、何も言えなかった。ただゆらゆらと、中身のない白衣の袖が、穏やかな風にはためいている。
     いたたまれなくなったのか、忍は実務上の問いを挟む。

     

    「連中の言う誘導路とやらによれば、ここを通るのですね」

     

     ああ、とだけ返したオボロに、これ以上この会話を続ける意志はなかった。
     何故なら、もう改めて説明するだけの余地がないことを、彼女だけは肌身で感じていたからだ。
     僅かに遅れて、忍たちの顔がこわばる。

     

    「オボロ様ッ!」

     

     瞬時に身をかがめ、濃くなってきた夕闇に紛れようとする三人の忍。
     彼らが捉えたのは、高速で南下してくる大きな気配だ。姿こそまだ見えないというのに、存在するだけで人々にピリピリとした警戒心を抱かせるような、そんな気配の持ち主が、こちらに向かってくるのである。

     

     待ち構えていた存在の到来か、とオボロも全身にゆるく力を漲らせる。
     だが、

     

    「いや、待て」

     

     配置につくべくこの場を離脱しようとしていた忍たちを呼び止めた。
     その間も気配はどんどん近づいてくる。それは人よりも、あるいは馬よりも速く、吹き荒ぶ風のように疾い。
     それは丘の下をずっと走り抜けようとしていたようだったが、夕闇にぬらりと立つオボロの姿に気づいたようで、進路を曲げた。
     そして、土を撒き散らしながら速さを殺し、オボロの前で止まる。

     

    「こんばんは、オボロさん」
    「何故お主らが……」

     

     待ち人ではないその二柱――ライラと、彼女に抱きかかえられたユキノが、夕暮れの丘に風となって現れた。

     

     

     

     

     


    「ライちゃん、ありがとね」
    「ちょっと、やすむ」

     

     ユキノが、速度によってえぐれた地面に足をつける。荒く息をするライラはそのままどっかりと腰を落とし、憚ることなく疲労を吐き出していた。
     ユキノはオボロの左腕がないことを気づいて眉をひそめたが、それに言及することなく話を切り出した。

     

    「わたしたち……千影ちゃんたちを助けに行くところだったの」
    「おぉ……! そういえば、うちの連中が世話になったらしいな。事情を聞き及んでいるのであれば話は早い。拙者たちも陽動として、闇昏姉弟を始めとしたミコトたちを支援する立場にある」

     

     登場に意表を突かれはしたものの、ここでの加勢は願ったり叶ったりである。いかにオボロと言えど笑みが浮かぶ。
     しかし、ユキノも、ライラも、オボロを見る目に仲間と巡り合った喜びを浮かべているわけでは、決してなかった。

     

    「……どうした?」

     

     何かを異様に気にしている素振りの二柱に、思わず訊ねてしまう。
     すると、ユキノは滲み始めていたぎこちなさをしまい込み、じっとオボロの目を見つめて問いかけた。

     

    「ねえ、オボロさん……支援、って本当に陽動だけ?」
    「え……」

     

     意味を掴みかねたオボロが声を詰まらせると、そこにライラが言葉を重ねる。

     

    「風が、震えてる。すごい力、怖い。壊れそうなくらいの、怒り……」
    「…………」
    「らいも、ユキノも、感じた。それ、オボロ知らない、変。だから――」
    「あなたがこんなことするはずないって分かってるの。でも、ここにいるってことは、知ってるってことでしょう? わたしには見えるわ、とっても歪な縁の通い路が」

     

     だから、と継いだユキノが、再び問う。

     

    「教えて? ザンカに何をしたの?」

     

     それはどこか、非道を否定してくれるという期待を含んでいた。確証に至るだけの材料を持ちながら、今起きていることは同族の手によってもたらされた悪行ではないのだと、そう答えてくれることを願うように伺っていた
     けれどオボロは、即座に応えなかった。首を横に振ることも、縦に振ることもなく、ユキノたちを追い越すように数歩歩き、ただ背中を見せた。

     

    「ふぅー……」

     

     大きく、長く、皆に聞こえるように息を吐く。
     彼女はそのまま振り返ることなく、淡々と答えを紡ぎ始める。

     

    「ザンカは、拙者たちの切り札だ。三人の人間を切り札として決戦の地に送り込んだように、ザンカもまたメガミにおける切り札として送り込んだ。それだけだ」
    「切り札、って……そんな様子じゃ――」
    「なあ、ザンカの封印を施したのが誰か、知っていたか?」

     

     突然の質問に、ユキノは短く否を返した。
     オボロはそれに、ふ、と笑うと、

     

    「シンラだよ」
    「……!」
    「拙者も初耳だった、納得はしたがな。――だからこそ、下準備の時間はいくらでもあったのだろう。長い年月をかけて、言葉の毒を染み込ませて……こういうときのための駒として使えるよう、仕込んであったに違いない」

     

     不穏な言葉に、ライラの耳が力を失ったように伏せられる。

     

    「ザンカは今、狂気に堕ちている。そしてシンラの手によって封印を解かれ、忘我の中、敵の居城に向かっている。この騒動に幕を降す力としてな」
    「うぅ……それ、ひどい」
    「どうしても越えがたい障壁が一つ、あったものでな。ザンカがいなければ、この戦の勝敗は目に見えている。……まあ、シンラのことだ、これ幸いとザンカを始末するつもりで投じたのやもしれん」

     

     すくめてみせた肩が、返答の終わりを示していた。
     明かされた事実の重さに耐えかねて、ライラは背後で控えていた忍たちの顔色を伺う。ただ、オボロにここまで同行している以上、彼らもまた真相を知る身であり、逸らされた目が何よりも雄弁に主の言葉を肯定していた。
     と、

     

    「あなたはそれでいいの?」

     

     ユキノの険しい視線が、オボロの背中に刺さる。もはや期待は消え、糾弾と呼ぶべきその問いは、真っ直ぐに小さなメガミへと向けられていた。

     

    「望んだわけではない」

     

     返答は、早かった。
     淡々と、けれどいち早く否定したがっているように。

     

    「これが、合理的な手段なのだ」
    「……っ!」

     

     声色は変わらない。自らの判断を、オボロは翻さなかった。
     それでも考えを改めてもらおうと、ユキノは回り込んでオボロの両肩を掴む。ただ、返ってくる感触は左腕の欠損だけでは足りないほどに軽く、絶句する。
     その最中、オボロの眼尻が夕日に小さく煌めいていることに気づいたユキノは、自分の理解が浅かったことを理解して、一歩下がった。

     

    「ごめんなさい……」

     

     それは、謝罪でもあり、赦しでもあった。
     各々自由に振る舞うメガミの中でも、オボロは明確に立場を持つ稀有な存在である。目的のために常に顕現体で活動し、忍の里で人と共に暮らす――それは、単にミコトに力を貸し与える以上の関係を、人々と育んでいるということもでもあった。
     選択とは、切り捨てること。風来坊なメガミであれば、抱えているものは少ない。けれど多くの人々の命運を握ったオボロにとっては、そこに厳しい取捨選択が生じる。

     

     難しい判断は後悔を生む。決意は、その後悔を覆い隠す。
     けれど、オボロの中で溜まり、醸成されていったその後悔は自責の念となって、彼女ですらも蝕んでいた。
     そして合理性の鎧が綻んだ結果が、表情を変えないオボロが僅かに滲ませた涙であった。

     

    「構わんさ」

     

     じっくりと目をつぶってその涙を追い出すオボロ。
     ユキノはそんな彼女に、取り繕ったような優しい言葉をかけることはなかった。苦しみを一端でも理解した今、寄り添うことだって気休めにしかならない。
     だからこそユキノは、不安を滲ませながら、胸に手を当ててこう言ったのだ。

     

    「わたしなら……できることが、あるかもしれない」

     

     

     

     

     


     空気が、張り裂けるようだった。
     暗い森から漂う不気味さを正面から食らいつくしてしまうかのように、到来したソレによって殺伐とした空間が生み出される。

     

    「……!」

     

     覚悟はしていたはずなのに、その暴力的な威圧感にオボロは息を呑んだ。
     狂気、敵意、殺意……撒き散らされた刺々しい負の感情に、いかに夕闇が地に広がろうとも、この場にいる誰もが、地を駆けるソレをはっきりと視認した。

     

     おそらく、それは女の形をしていた。憤怒を全身に漲らせた女は、身の丈ほどもある長い黒髪を怨嗟の炎のように揺らめかせ、焦点どころか意識の定まらないまま、見えない何かを辿るように大地を蹴っていた。
     その手に持つのは、野太刀どころか、刀と呼ぶことすら憚られる巨大な刃。大男と肩を並べるような刃渡りに、無骨に力を誇示するような肉厚の刀身、そして人の腕ほどもある柄――そのどれもが、およそこの世の存在を相手にするとは思えないほどの尺度であり、彼女はそんな大業物を片手で持ち運んでいた。

     

    「…………」

     

     煮詰められた感情に声すら蒸発させた、目を血走らせるその女こそ、武神ザンカ。
     かつて、天音揺波へ不器用ながら暖かく語りかけた、戦好きのメガミの面影はそこにない。誰かの血を求めてひとりでに歩き回る一本の刀になってしまったように、根幹から存在そのものが塗り替えられたかのようだった。
     北の山間から点々と広がっていた森より現れたザンカは、ただ己の感情のみと向き合っているかのようにひた走っていたが、オボロたちの目前に迫るより遥か前で、その脚を緩めた。

     

    「……っ!」

     

     すわ見つかったか、と固まる一行。
     だが、ザンカが見つけたのはオボロたちではなかった。

     

    「ァ……ガアァァッッ!」

     

     突然、わなわなと手を震わせたかと思えば、言葉にならない叫びを上げ始める。
     そして、ザンカが癇癪を起こしたように刃を地面に叩きつけると、彼女の右手側にそびえていた樹々が千切れ飛んだ。地面にはさらに、巨人がつけたひっかき傷のような、斬撃の痕が一条走っていた。

     

    「アアァッ! アッ、アッ、アアァァァァァッ!」

     

     地面に彼女が見出したらしい何かに向かって、高ぶるままに感情をぶつける。
     やがて怒りの矛先が足元以外にもあることを――それが彼女の進む先に確かに存在していることを理解したようで、定まらない視線が森のその向こうを向いた。
     ……駆け出すその姿は、まさに爆発と呼ぶべきであった。
     現れたときよりなお速く、彼我の距離が存在することが嘘のような冗談じみた速度で、ザンカは再び走り始めた。

     

     不用意に目をつけられてあの暴力に曝されないよう、オボロは姿勢を低く保つ。忍たちも、ライラもそれに倣っていた。
     けれどユキノだけは、物怖じせず立ったままだ。

     

    「何をするつもりだ! 危険だぞ!」

     

     ザンカの登場によって端に追いやられていたユキノの言葉が、オボロの脳裏に蘇る。
     しかし、彼女が警告に応じることはなかった。
     ユキノは、自分というものを失っているザンカをしっかりと見定め、ほっとしたように胸の前で両手を合わせた。

     

    「やっぱり、強くて、温かい縁があるわ……」
    「……なに?」
    「わたしにできるのは、縁を紡ぐ、ほんのささやかな手助けだけ。歪な縁に埋もれて今は見えない、その縁を少しだけ表に出してあげる」

     

     そう言うユキノが両手を前に差し出すと、淡い光が現れる。日没まであと僅かという暗がりにあっても人の目を焼くほどではない。まるでそれは、夜空に現れた一粒の雪のようだ。
     光はユキノの手を離れ、がむしゃらに進むザンカへと吸い込まれていった。目に見える変化はなく、ザンカは気づいてすらいないようで、黒髪を暴れさせながらオボロたちの前を嵐のように抜けていった。

     

    「……ライちゃん、行きましょう」
    「わかった。らい、まだ、がんばる……!」

     

     呼びかけに応じ、再びユキノを抱きかかえるライラの足元から、風が巻き上がった。ただ、オボロの知るそれと比べて随分と弱々しい。
     別れ際、ライラの腕の中でユキノは、

     

    「わたしたちも千影ちゃんたちを助けに行くわ。オボロさんは――」
    「拙者はもはや指揮をこなすので精一杯。為すべきことを為す、ただそれだけだ」

     

     きっぱりとした返事に、ユキノに憂いの色を浮ぶ。

     

    「……そうね。じゃあ」
    「また。次は一緒に、にく、食べる」

     

     にかり、と八重歯を見せて笑ったライラに、オボロが苦笑した。
     そして、「そうね、また」と追従するユキノの声を合図に、風が爆発したように場に吹き荒れた。二柱は、月明かりに移り変わりつつある夜陰に飛び込むように、ザンカを追って南の森の中へと消えていった。
     あとには四人の忍が残されるばかりとなり、物々しい気配も余韻を残すのみである。

     

    「……あとは、彼女らがうまくやってくれることを祈る他ないな」

     

     呟くオボロからは歯がゆさが隠しきれていなかった。
     三柱を見送ったその先には、山を越え、ここからでは手の届かない決戦の地がある。

     

    「願わくは、拙者の欠片が、未来を拓く一助となっていることを」

     

     オボロの右手が、失われた左腕の付け根を抑えた。





     こうして物語の欠片は、全て揃った。

     英雄たちから少し外れた、しかしそれでも決して欠かせぬ小さな物語。
     ある時は、三柱のメガミたちの葛藤を。
     ある時は、少し奇妙な男女の出会いを。
     ある時は、弟の見つけた必然の縁を。
     ある時は、愚かで滑稽な脱出劇を。
     そしてある時は、この陰謀の始まりを。

     閑話を語るのは、これで終わり。あとは全ての欠片を結び、物語を結末へと進めるのみ。

     そして忍のメガミは、英雄たちに望みを託し、舞台を降りた。最後に願わくば、彼女の意志が、未来の力とならんことを。

     

     

     








     そして未来、即ち今。異相の技は、その力をあなたの手の中にも。

     

     

     

     

     

     

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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