『桜降る代の神語り』第61話:メガミマンVSメカゴジョー

2018.08.03 Friday

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     仮面と仮面。さらには、程度の差こそあれど、悪党と悪党。
     あの衝突が、英雄譚にしては異質すぎる相対だったことは間違いない。
     けれど、多くの人々が彼をほら吹きだと笑っても、カナヱはそれが語られるべき大切な出来事だと知っている。

     

     華々しい英雄譚の陰で繰り広げられた、即席の英雄の戦いを君に聞かせようじゃないか。さあ、愛の戦士、メガミマンの生き様にご括目だ。

     

     

     


    「おわっ……っと、っとぉ! 危ないってば!」

     

     物が乱雑に散らばった床に気をつけながら、メガミマン、もとい楢橋は身体をくねって攻撃を回避していく。
     彼に向かって繰り出されているのは突きだ。それも、赤面の男が作り出した桜色の光で編まれた兜の立派な一本角によるものである。頭突きと言えば聞こえは悪いが、見た目以上に軽い身のこなしから繰り出されるそれは、楢橋にただ回避を強いていた。
     顔を覚えられてはならないという泥棒の本能から仮面を外せずにいる彼は、慣れない覆面の視界の中、奇怪な仮面から必死に逃げ回っていた。

     

    「大人しくッ! しろッ! 曲者めッ……!」
    「いやだねっ!」

     

     振り回される角の先が腕を掠めていく。その力強さに楢橋はひやりとしつつも、足元にあったガラクタを相手に向かって蹴り飛ばす。まともに追いつかれたら刺し殺される以上、足を鈍らせるのは分かりやすい対抗策の一つだ。
     しかし、僅かな隙をついて距離をとった楢橋は、あくまでそれが比較的マシな選択肢でしかないこともまた理解していた。

     

     足を打ったガラクタを忌々しげにどける赤面の男は、ガラクタの山を挟んだ向こう側にいる楢橋へ右手を向ける。
     飛び出た炎が、軌跡を辿るように楢橋の背中に食らいつく。

     

    「ぅわっちちちち!」
    「こっちはひと思いには死ねんぞ? ネズミ一匹のせいで、研究成果を焼き尽くすわけにはいかないからな」
    「だから、死なないって――あっづ!」

     

     今度は足を炙られ、飛び上がるようにしてひたすら彼我の距離を求めた。
     赤面の男の言う通り、この部屋の損傷を避けたいのか、角による攻撃よりも炎による攻撃のほうが随分と殺意が薄かった。忍の里を焼き払ったというには、あまりにも火勢は弱い。それが楢橋の数少ない幸運の一つであった。

     

     けれど、それは好機の礎というにはあまりに心もとない。それこそ、じわじわと焼かれて逃げ切れなくなる結末は目に見えていた。
     何故なら両者には、その程度の加減では埋まらない根本的な差があったからだ。

     

    「まったく、ちょろちょろちょろちょろと……」

     

     立ち止まり、顔と面の境を掻く赤面の男。
     油断なくその様子を伺っていた楢橋は、歯車で出来た仮面の歯の向こうに、男が嗤うのを見た。

     

    「ふん……ミコトですらないくせに」
    「……!」
    「気づかないとでも? ここまで入り込んでくるなんて手練れの忍かと思ったが、まさか逃げ回るだけが能の、ただの人間だったとはなあ。どこから制服を手に入れたのかは知らないが、コソドロを少しでも警戒した私が馬鹿みたいだ」

     

     ははは、と光る手の甲を晒しながら響かせる嘲笑はあまりにわざとらしく、仮面越しに楢橋に染み込んでいく。

     

     神座桜のない場において、ミコトと人間の違いは絶対的なものではない。超人的な力や技を発揮できないミコトは、あくまで常人の枠に留まる存在である。
     だが、多くのミコトは先天的に優れた身体能力を有している。それは概ね人間が鍛えれば超えられる程度のものではあるが、逆に言えば鍛えていない人間とは根本的に差が生まれているということでもある。
     何より――天音揺波たちの襲撃の可能性を認識していたらしい赤面の男にとっては、神代枝という切り札を無視してもよいというさらなる安堵に繋がるのだ。

     

     ぐ、と楢橋の拳が握りしめられる。
     楢橋もまた、仮面の口の向こうで、不器用に口を歪ませていた。

     

    「へぇー……よく見てるじゃん。でもさー、それ女の子にはあんまりやんないほうがいいよ? じろじろ手見てたら『きもちわるーい!』って怒られちゃったことあるし」
    「コソドロで、軟派者か。はは、残念だったなあ! クズらしい惨めな人生を送っていたんだろう? せめてミコトに生まれていれば、多少はマシだったろうものを!」
    「そうかよッ!!」

     

     吠えると同時、前へ突き出された楢橋の手から、吹き出したものがあった。
     水だ。
     左腕につけていた複製装置<雫>によって、猛烈な水流が赤面の男に向かって宙を走った。

     

    「む……!」

     

     今まで袖の下に隠れていたためか、思いもよらぬ反撃に虚を突かれた様子の赤面であったが、染み付いた動きは身体が勝手に繰り出すものである。装着していた桜の兜をお辞儀をするように差し出せば、放たれた水流は霧と散っていった。
     伏せていた切り札を出してしまった以上、楢橋に攻撃の手を緩めることは許されていない。ミコトのように与えられた力で敵をなぎ倒すことができない彼には、手持ちの武器を最大限活かし、そして頼る他ないのだ。

     

     両の手を互いに掴んだ楢橋は、掌底に空いた隙間を相手へ向ける。すると、先程よりも細く、勢いのある水流がそこから短い間隔で飛び出し、矢のようになって赤面に迫った。
     水の矢の半数は相手に当たる軌道を描いていたが、赤面はむしろ自分に当たらない矢に感心したようだった。

     

    「ほう!」

     

     彼は立てた右腕を前に出すことで、守護の力を前面に広げた。即座に組み上がった桜色の城壁が、水の矢を悉く弾いていく。背後にあった本棚や大型の絡繰に当たるはずだった矢も、同様に砕け散っていった。
     その様子を見て取った楢橋は、今の射角を放棄するように位置取りを変えながら、合図をするように二本指を下に振り下ろす。矢に気を取られている間に、赤面の頭上に特大の水球を移動させていたのだ。
     だが、

     

    「悪くない」
    「な……!」

     

     赤面が左手で弾ける何かを表現した瞬間、その水球の中から火炎が溢れ出し、弾け飛んでしまった。
     ぽたぽた、と蒸発しそこねた水が床に撒き散らされ、赤面の男に降り注ぐはずだった大質量の水の檻の無残な最期に楢橋は歯噛みする。
     そんな彼の下へ、城壁を解いた赤面の男は静かに駆け出していく。

     

    「いかに誰でもメガミの力を扱えると言っても、複製装置はそれを可能にするだけで使いこなせるかはまた別の話だ。その使いよう……今すぐにでも機巧兵団に入れるぞ。私が保証してやろう」

     

     さらに速度を上げて迫る男に水流を叩きつけようとするも、向けた腕から軌道を読まれて回避される。
     さらに一歩、踏み込むことで距離を詰めた赤面は、

     

    「まあ――あくまで、一兵卒としてだがな!」

     

     言い放つなり、入り込んだ懐から楢橋の腹を抉ろうと、兜の角を突き出した。
     打つ手のない楢橋は、少しでも受け流そうと決死の覚悟で後方へ飛び退る。しかし、そこで躱したはずの角が、一呼吸置く前に再び迫っていた。
     赤面の男が背後に向けた手のひらから、爆発が生じていた。

     

    「……!?」

     

     脚によらない推力で繰り出された二段目の刺突に、今度こそ楢橋は回避の失敗を悟った。宙に浮いた彼の正中線を見事に狙った攻撃は、身をひねったところでどうあがいても当たる軌道だった。
     彼が差し出したのは、左腕。
     二の腕に突き刺さった角は骨に直撃し、嫌な音が響く。力の入らなくなった腕は緩衝材に成り下がったが、それでも赤面の突進の衝撃は殺しきれない。

     

    「あッ――ぐぁッ……!」

     

     吹き飛ばされた楢橋は、二度、三度と跳ね、散らばったガラクタをさらに無秩序な状態にしつつ、細音が安置されている柩に背中からぶつかって止まった。

     

    「ぁ……ぁ、ぁ……」
    「ネズミ退治もそろそろ終わりか」

     

     頭を揺らす衝撃に思考が曖昧になりかけたが、左腕から発せられる痛みが味方する。しかし、左腕以外はわりと動く、と把握したまではいいが、ただでさえ追いつかれていたのにこれから赤面の攻撃を捌ける自信はとんと湧いてこなかった。
     複製装置<雫>もつけた腕が動かなくてはろくに扱えない。それ以外に、彼が持つ武器はない以上、詰みがそこに待っていた。

     

     苛立たしげに面との境を掻く赤面の男が、一歩、また一歩と近づき、それは次第に追撃を成すために加速していく。
     何か、と動く右手を彷徨わせる楢橋。この期に及んで外れなかった笑う髭男の面に運命を感じずにはいられなかったが、あとはもう投げつけてひるませるくらいしか彼には考えつかなかった。
     と、そんな彼の手が、『何か』に触れた。

     

    「死ねええぇぇぇぇッ!」

     

     叫びを上げ、角を向けて走り込んでくる赤面。どれほど不格好な突進であろうとも、今の楢橋には避ける手段はない。
     そう――避ける手段は。

     

     最後の踏み込みを為した赤面の男の眼前。
     そこに、一抱えほどもありそうな、大きな八面体の水晶が突然現れた。

     

     

    「は――」

     

     止められない勢いのまま、突進の矛先は阻むように出現したその水晶へと吸い込まれていく。
     だが、その水晶は砕けることなく、赤面の刺突を受け止めた。生じるはずの激突音すらもじんわりと吸収していくようで、一瞬、宙で静止した赤面と相まって、時が止まったかのようだった。
     さらに、世界の再開は、赤面の動きによって告げられる。

     

    「う、うおっ!?」

     

     赤面の男が、強い衝撃を受けて弾き飛ばされた。まるで、受け止めた衝撃を、水晶がそのまま反射したかのように。
     そのままふわりと楢橋の前に浮いた水晶を、赤面はその面の向こうから不快そうな眼差しで睨み、視線はその奥、楢橋本人へと向けられる。
     楢橋は、手にしたソレを右腕にはめながら、柩に体重を預けるようにして立ち上がっていた。

     

    「ふ、ふふーん、複製装置<晶>って……とこ、かな?」

     にやり、と面の奥で笑った楢橋は、この部屋に持ち込んでいたもう一つの複製装置を、赤面の男に突きつけたのだった。

     

     

     

     


     柩を開けるために楢橋が行った試行錯誤は多岐にわたる。繋がっている線を辿った先を調べたり、欠落していそうな部品がないか探したり、ガラクタの山をひっくり返したり……全ては結局無駄だったわけだが、一つだけ、無駄に意味がありそうなハズレがあった。

     

    「これは……ひょっとすると、細音サンに、助けられた……とかなのかなー?」

     

     血の滴る左腕をだらんと垂らす楢橋の周りには、たった今赤面の男の攻撃を跳ね返したものと同じ水晶が、計五つ、守りの陣を敷くように浮かんでいた。
     楢橋が惜しいと感じていたハズレ……それは、細音の柩の側面に、複製装置がちょうど収まる口が開いていたことだった。彼はそこに、先程くすねたばかりの複製装置<巌>を差し込んでみたのだが、結局うんともすんとも言わなかったことに肩を落としてそのままになっていたのだ。

     

     赤面の男との遭遇前に再装着できなかったこと、戦闘中にその余裕がなかったことは不運であったが、最終的に運良く手中に収めることができたのは、彼の悪運の強さを称える他ない。

     

    「うーん……よく分かんないけど、これはきっと……オレっちの想いが、細音サンに通じたんだよ、ネ? はは、嬉しいなあ……愛、感じちゃうよ」
    「ちっ……馬鹿馬鹿しい。だから何だと言うんだ。お前が死ぬまでの時間が延びただけじゃないか!」

     

     悪態をつく赤面が再度踏み切る。楢橋はちらりと背後を振り返ってから、戦場を柩の周りから移すように横へ駆け出した。
     深手を負った彼の動きは鈍い。水晶という防御手段が手に入ったのは幸いだが、使い方がろくに分からないままでそれに頼り切りになるわけにもいかない。なんとなく、動かせているような気になっているだけでは状況は好転しない。

     

     そんな状況を強調するように、色味を増した兜の角が、水晶の一つを穿った。
     身を固くしていた赤面の男が弾き飛ばされることはなく、水晶は楢橋の身代わりになって無残に散った。

     

    「ははッ! どうした、あと四つだぞ!?」
    「くっ……!」

     

     砕けて落ちていく水晶を相手に蹴りつけるも、その程度では小揺るぎもしない。そうした無駄な反撃で崩した体勢を立て直すために、もう一つ水晶が犠牲になる。

     

    「最初の、やってくれても、いいじゃん……」
    「まぐれがそう何度も続くか!」
    「愛だもん!」

     

     痛みを紛らわせるように叫んだ楢橋だったが、ふと、自分の声がやけに響いたことに気づいた。まるで洞窟の中で声を出したときのような、そんな反響が耳につく。物が溢れかえっているこの部屋では、今までなかった現象だった。
     そこで彼は、三つになった水晶の盾を全て自分の前面に集めようと念じた。応じる動きは決して機敏なものとは言えず、お互いぶつかってしまう始末であったが、彼が求めたのはむしろその結果であった。

     

    「はっは、今にも割れそうな音だな!」
    「ならどうぞっ!」

     

     楢橋は水晶のうちの一つを、赤面の顔に向かって思い切りぶつける。流石にまるごととあっては衝撃があったらしく、赤面は若干ひるんだ。その隙に柩を飛び越えた楢橋は、敵とその柩を挟んで対面することになる。
     無論、すぐに後を追おうとした赤面の男だが、それに楢橋は、左腕の痛みを努めて隠しながら、

     

    「あんたさー、なんか拍子抜けだよねえ」
    「……なんだと?」

     

     赤面の男の足が、止まった。
     仮面の下で口端を歪める楢橋は、右だけで肩をすくめてみせる。

     

    「いやね? 赤い変なお面を被ったやつには気をつけろ、って言われてたからさー。忍のみんなを焼き尽くした外道、っていうもんだから、もーっと怖くて強い人かと思ってたんだよねえ」
    「…………」
    「見つかったときも、正直ダメかと思ってたんだけど……でも、オレっち一人ろくに始末できないのに、それホントかなー? って思い始めてきたんだよね。ミコトですらないオレっち一人に、そんな奴が手間取るかなあって」
    「……ほう」

     

     そっと、左腕の傷を抑えながら、彼は言う。

     

    「必死に頭ぶんぶん振って、猪じゃないんだからさー。そんなんじゃ牡丹鍋にされちゃうよ? ……そろそろ、お仕事片付けた忍たちが、ここに来る頃だしね」

     

     得意げに。けれど、脂汗を滲ませながら。
     それは、苦し紛れについた嘘のようであるが、そういった体の挑発でもあった。援軍の到着という情報の真偽を赤面の男が確かめる余裕はない。彼にとって、楢橋の言葉から導き出される結論は、真偽問わずたった一つである。
     弱者相手に手間取っていることは、確かに真実なのだから。

     

    「……望み通り、忍同様焼き殺してやるッ!」

     

     轟、と赤面の男の手の上で、火球が燃え盛った。
     そして、太陽のような灼熱の塊が、楢橋を灰にせんと放たれる。

     

    「待ってまし、た……ッ!」

     

     部屋の損害も顧みない一撃に楢橋があてがったのは、折れていた左腕だった。右手で無理やり前に向けると、手の先から大瀑布が溢れかえった。ひっくり返りそうになる勢いに足で堪えながら、迫る火球を押し返すように全力で水を放出する。
     それがメガミの力によるものだろうと、膨大な熱量に膨大な水流をあてがえば、生じる結果は自ずと決まってくる。柩の直上で衝突した相反する二つは、互いを削り合うように勢いを減じ、そして消えた。

     

     後に残ったのは、白だ。
     隠し部屋は、水蒸気で満たされた。
     一瞬で広がった濃密な水蒸気の向こうに、彼我の姿が隠される。

     

    「あっ、クソ……前が……!」

     

     眼前の敵を見失う焦りは尋常なものではない。さらに、局所的な高温多湿という特異な環境に放り込まれたことで増していく不快感が、それを炙るように加速させていく。赤面の男が慌てて桜の城壁を展開し始めたのも無理はない。
     狙うのは、その瞬間だった。

     

    「喰らえーーッ!!!」

     

     気合を込めた一撃を、楢橋は繰り出そうとする。
     あえて、その気合を声に乗せて。

     

    「馬鹿め……!」

     

     視界が頼りにならない現状、咄嗟に声の方向へ反応した赤面の男は、正しい。見えない敵が漏らした自分の位置に向かって、迎撃の炎を放ったのもまた、正しいだろう。遅れる決着への焦燥の中、好機に食いつかないわけにはいかないからだ。
     けれどそれは、失敗に他ならなかった。あるいは、もう少し耳をそばだてていれば違っていたかもしれない。

     

     白い視界の中を行く炎は、確かに獲物を捉えた。
     焼き尽くしたそれは、バタン! と中身の詰まった書架が倒れたような音で、息絶えたことを主張した。
     ……明らかに、肉の音ではなかった。

     

    「あーあ、いっけないんだぁ。瑞泉サマに言ってやろーっと」
    「あっ、ああっ……!」

     

     空間を奔った炎を皮切りに、徐々に水蒸気が晴れていく。赤面の男は、その中に決してあってはならない光景を認めて絶句した。
     細音が収められている柩から延びていた複数の線……その先に繋がっていた大きな箱状の絡繰が、木造部分が炭と化した無残な姿を晒して倒れ伏していた。
     そして狙われたはずの楢橋は、声の源とは全く別の場所で健在であった。

     

    「な、ななななん……」
    「わざとさ、別の場所に……物音立てて、誘導するの、コソドロの常套手段なんだ。悪いね」

     

     楢橋が目の前に浮かべた水晶を叩くと、コンコン、と柩の絡繰の向こうから響いてくる。そこには、無事だったあと一つの水晶が浮かんでいた。音に干渉する水晶を組み合わせることによって、音源の位置を誤魔化したのである。
     受け入れがたい現実に動揺しきりの赤面は、自分の失敗を素直に飲み込むことを放棄したのか、えらを掻きむしりながら、

     

    「き、貴様……貴様ァ、よくも……!」
    「いや、あんたがやったんじゃん。オレっち悪くないもんね」
    「あああぁぁぁぁっ、絶対許さん!!」

     

     激昂した彼は、兜の角をさらに逞しくさせながら、柩の向こう側で口笛を吹く楢橋へ突進の姿勢を見せる。
     けれど、赤面の男が柩を飛び越えようと、踏み切ろうとした瞬間だ。

     

     ガンッ! と柩が中からの衝撃に大きく揺れた。
     突然のことに赤面の男は驚きに身体を震わせて、狼狽えながら柩から距離を取る。

     

    「…………」

     

     赤面の男の息を呑む音は、しかし異音によってかき消された。
     柩の頭のほうから、多くの回転する何かが急加速したような低い唸り声が聞こえ始めていた。さらには、うっすら黒い煙が立ち上ったり、焼けた装置とを繋げていた幾本もの線が、扱っていた力に耐えかねたように柩から千切れ飛んだり、明白に異常を訴えている。

     

     そして、パリィン! と。
     甲高い音を立て、柩の天板の硝子が、勢いよく割れた。

     

    「ひっ……」

     

     破砕に一度目をつぶったその間に、柩の中から天を指すものが一本。
     それは、寒気を覚えるほど美しい、極寒の海底から汲み上げてきたような色合いの刀身を持つ薙刀であった。

     

     彼女の瞳は、光を映さない。
     彼女の耳は、敵の鼓動を聞き逃さない。
     彼女の全ては、ただ技を極めんがためにある。

     

     氷雨細音。
     技巧を追い求める少女は、今、縛めから解き放たれ、立ち上がった。

     

     

    「よかった……ちゃんとオレっちの愛が通じてたんーーぐはぁッ!」

     

     後退る赤面の男とは対照的に、彼女の下へ駆け寄った楢橋は、仮面ごと顔面に裏拳を叩きつけられる。容赦のない一撃に耐えきれず、今まで彼の顔を守り続けた仮面は割れてしまった。

     

    「あーっ! め、メガミマンが……! メガミマンがーっ! 助けてあげたのにいくらなんでもそれはないんじゃない!? オレめっちゃ怪我してるんですけど!?」
    「すいません、先程から不愉快な声が聞こえていましたので」
    「……しかも、いつの間にか服着てるし」
    「何か言いましたか?」
    「な、なんでもないですよー……」

     

     しかし、と柩より一歩、踏み出す足の向く先は、赤面の男。人の身が放つには余りある細音の圧が、この場に存在する唯一のミコトに降りかかる。

     

    「き、貴様は……本当、だったのか……」
    「それよりも、打倒すべき相手がいるようですね」

     

     楢橋のものよりも規律をもって周囲に水晶を浮かべた細音が、感覚を確かめるように薙刀を振り回し、カタカタ震える赤面の男へ切っ先を突きつける。
     この場の力関係が入れ替わったことは、明白であった。

     

     

     

     

     


     す、す、と板はよどみなく動く。何度も繰り返されたであろうそれは扉の癖のようになっており、隠し部屋への扉の鍵開けを試みる千影の観察眼と推測を裏付けてくれる。

     

    「ひひ……」

     

     手順そのものは多い。けれど、それは単なる嫌がらせでしかない。上に、右に、扉の切れ目をずらしていくにつれて、解除方法の正しさはどんどん担保されていく。これが時間稼ぎ用の誤答だった場合の心配は、彼女の中でもうほとんど消えかかっていた。
     と、扉の板全体が、カタリと、支えがとれたように動いた。
     鍵となる寄木細工の仕掛けが解除されたのだ。

     

    「……!」

     

     そのまま右に引くと、ややガタつくものの、戸袋に収まっていってくれそうな手応えが返ってくる。
     にや、と千影の口端が吊り上がる。
     けれど、扉を開け放ってしまうべく、力を込めたときだ。

     

    「っ……!」

     

     

     ぞくり、と走った悪寒に、手は懐へと舞い戻る。
     そして振り向きざま、手中で砕いた試験管を背後へ放り投げる。入っていた痺れ粉が、薄暗い廊下に撒き散らされた。

     

    「あたーっ!」
    「ぃひぁ……!」

     

     聞き覚えのあるふざけた悲鳴に、全身総毛立つ。
     いつの間にか背後まで迫っていたクルルは、割れた試験管が鼻っ面にあたったことだけを嘆きながら、漂う毒を意に介さず距離を詰めてくる。
     千影にとって、クルルとの三度目の邂逅はあってはならないことだった。もはや手元に神代枝はなく、生身で抵抗しきれないことは証明済みだ。今度こそ、本当の死が手を伸ばしてきているのである。

     

     弾かれたように開けた扉に食いついた千影は、あらん限りの力を込めて扉を引いた。元から袋小路である以上、逃げるためには先に進むしかない。だが、焦りのせいか、はたまた仕掛けが中途半端に残っているのか、古い家のふすまのようにガタガタと何度も引っかかり、退路は素直に開かない。
     その間にもクルルは、完成済みの電撃装置を手に、一歩ずつ迫ってくる。

     

    「やぁっ! い、いやです、こないでェッ! やだ、やだぁッ!」
    「聞き分けの悪い子はメッですよーん」

     

     苦し紛れに投げる苦無も毒針も、クルルの動きを妨げるには至らない。無意味だと分かっていても、爆発的に膨れ上がった恐怖心では抵抗せずにはいられない。
     扉はまだ開ききらない。いや、それどころか、千影はその扉の向こうにもう一枚、金属質の扉が控えているのを見てしまっていた。それが本当にただの戸であればいいが、もしさらに仕掛けがあったときのことを考えると、彼女はどうにかなってしまいそうだった。

     

     ただ、狂うための時間も、千影には与えられなかった。
     クルルの指が、装置の突起を押そうと構えられた。
     妨害しようと放った苦無は回避され、代わりにクルルの脇腹へ突き刺さる。

     

    「あっ、ああっ……!」

     

     一枚目の戸を開ききり、現れた二枚目の戸の取っ手に手をかける。
     その瞬間、

     

    「ーー!」

     

     バガン! という大きな破壊音と共に、いきなり戸の上半分が吹き飛んだ。室内から押し出されてきた何かは、ギリギリ千影の頭上を掠めて廊下へと転がされていく。
     うめき声が小さく響く中、千影はクルルの足元で止まったそれが、今の自分と同じ服装であり、さらに自分の知っている男であることに気づいた。ただ、赤い仮面をつけている彼の折れた腕の断面には、肉や骨に混じって歯車が詰まっているようで、その冒涜的な有様は人間と呼ぶにはやや憚られた。

     

    「おやーん? ごじょーんが吹っ飛ばされてきました……あ?」

     

     不可解な出来事に首をひねるクルル。けれどそのメガミは、千影のさらに向こう、手下を痛めつけたであろう下手人の姿を目の当たりにして、口を開いたまま固まった。
     彼女の視線、その先。
     千影もまたそれを追えば、扉の向こうで毅然と薙刀を構える少女が一人。

     

    「ひ、さめ……?」

     

     そこには、千影が思わず息を呑んでしまうほどに存在感を放つ細音が、クルルと対峙するように光のない瞳を向けていた。

     

     

     

     


     こうして、愛の戦士……もとい、楢橋平太の活躍によって、氷雨細音は再び舞台に上がることを許された。
     決して表舞台に上がらない小悪党。全てを知るカナヱだからこそ、こんな陰の立役者も語れるというものさ。

     

     さあ、こうして改めて英雄は四人、決戦の地に立ち並んだ。
     計画は概ね予定通り。
     だけど、彼女たちにとっての本番はあくまでこれからさ。
     この先の戦いはこれまで以上に強敵揃い。彼女らが如何にして立ち向かうか。ご期待あれ。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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