『桜降る代の神語り』第56話:熱意と冷酷の都

2018.05.25 Friday

0

    《前へ》      《目録へ》      《次へ》

     

     さて、サリヤ・ソルアリア・ラーナークら一行は、こうして新たな仲間を加え、計画を進めることとなる。
     彼女たちの一手は気になるところだろうけれど、ここは時間軸に従って、別の視点で物を語るとしよう。

     サリヤ一行が御蕾山に到着してからおおよそ一週間後。
     言葉巧みに検問を潜り抜け、一台の荷馬車が都へと辿り着いていた。

     そう……火照るような熱い意欲と向上心、そして身震いするような冷酷さを併せ持つ都・瑞泉へ――

     


    「ねえ千影ちゃん」
    「…………」
    「ねえってば」
    「…………」
    「やっと着いたんだし、ここらで美味しいものを――」
    「舌切りますよ?」

     

     

     荷台から届いた温度のない返答に、雑踏の中、馬を引いていた楢橋は人目も憚らずに嘘泣きをしてみせるのだった。

     北の山々から流れる豊かな水を湛えた長柄河と、それが流れ込む大柄湾。この地の中央は南端に広がる八郷にあって、千影一行が辿り着いたこの帝都・瑞泉は、水辺に寄り添うようにして漫然と構えられていた。
     大家当主のお膝元とあって、人々は活気に満ちている。建物すらもそれに倣っているようで、大通りと思しき場所であってもすぐさま商家が待ち構えている。振り返れば、瑞泉城と翁玄桜が聳えているというのに、そこに至る道はまるで木々に隠されているかのように判然としなかった。

     

     今が戦時であると認識しているのが、ともすれば自分たちだけなのではないか。千影たちがそう考えてしまっても無理はないほど、町並みは日常、もしかしたら平時以上の活力を湛えていた。

     

    「えー、だってあれ気になるじゃん! 『南海しびれ汁』だよ? さっきからいい匂いして、オレっちお腹空いてきてさー。汁なのに『飯の友』なんだよ? どんな食べ物か気にならないの?」
    「気になりませんね。妙な物を口にしようとする、その己の立場を弁えない浅はかさは気になりますが」

     

     ちら、と指された飯屋を千影が観察すると、一見して具の多い味噌汁をおかずに、客が汗を流しながら米を食らっている様が見て取れた。ただ、味噌とは明らかに異なる刺激の強い香りに、彼女は警戒心を高めずにはいられなかったようだった。

     

    「なんか辛辣ぅ……」
    「毒を盛られたらどうするんですか? あなたは敵地の飯を食べると?」
    「ちぇー。知らない食い物もあるって聞いてたから、せめてそれだけでもって思ってたのに。なんとか言ってやってくださいよ、旦那ぁー」

     

     話を振った相手は、荷台で仏頂面を作っていた藤峰である。
     彼は被っていた笠を少しだけ持ち上げて、楢橋に視線を合わせてやると、

     

    「そんなに毒味役をしたいのなら、勝手にするといい」
    「ひどい! ここまで旅してきた仲なのに、オレっち泣いちゃう……!」
    「我々の立場からすれば、興味をそそられないほうが不自然だろう。新しいものというのは、それだけで利だからな」

     

     藤峰は、二人にわざと見せるように己の服の胸元を掴んだ。彼らの表向きの顔は今、あくまで銭金商會の下請け商人である。それは、潜入工作員としての顔を隠すために、きちんと被り続けていなければならないものだ。
     当てつけのように諭された千影は、どんよりとした顔で二人から顔をそらした。
     それに苦笑いする楢橋であったが、所狭しと棚に絡繰を並べた商店を流し見ながら、ふと、

     

    「でもさー、目新しいものいっぱいあって飽きなさそうなのはいいんだけど……」
    「なんだ」
    「いやね? もーっとこの町全体がそういう感じなのかと思ったら、全然そうじゃなくて、あれー? って感じするんだよね。別に中ほど元気なのはいいんだけど、それにしても差激しすぎじゃないかな」

     

     通りを右に曲がると、三人を潮風が撫でる。昼下がりの雑踏では、目指す港から引き上げたらしい荷を満載した荷馬車が、大声で人を散らしながら城のほうへと駆けていく。
     目で先を促した藤峰に、楢橋は所感を告げてみせる。

     

    「河渡ってくる前は、田んぼも畑もいっぱいあって、わりとのどかーって感じだったけど、もうここらへんまで来たら、のどかなんじゃなくて置き去りって言う方が合ってる気がして。前来たときは西側しか見てなかったからびっくりびっくり」
    「港があるほうが栄えるのは当然だろう」
    「それにしてもなー。西側に押し付けてる気がするんだよねえ。ほら、瑞泉サマの敵は今西側にいるでしょ? こっちの活気見たら、面倒なこと任せて好きなことやってるように見えちゃってさ。いざとなったら橋落とせばだいたいなんとかなるもんね」

     

     そうつらつら述べた彼に対し、千影は鼻で笑った。

     

    「あ、あなたはつまり、こちら側の人たちがあちら側の人たちを犠牲にしていることに、怒ってるんですか」
    「怒っては、ないけどさ。犠牲って言うと大げさだし」
    「いいじゃないですか。千影は別に悪いことだとは思いませんよ。この辺りは前からこんな感じですし、今に始まったことでもありません。海路の利益はもちろん、舶来品なんて実際に手にできるのはほんの一握りなんですから」

     

     彼女は取り出したおしろいで目元のクマを隠しながら、

     

    「自分の目的のために他人を切り捨てる必要があるのなら、当然切り捨てるでしょう。他人を気にかけながら望みを実現できるほど、現実は甘くないんです」
    「それは、まあ……」
    「俺も同感だな」

     

     楢橋が反論できずにいる間に、藤峰も同意を示す。
     だが、と藤峰は続けた。

     

    「その考えを全土に広められては敵わん。そうなったとき、切り捨てられているのは俺たちなんだからな」

     

     笠を外した藤峰は、顔を自分で叩くと、次の瞬間には凝り固まっていた表情筋が溶けたような笑みを浮かべていた。それが彼らがこの都で忍ぶために必要なことだからである。
     応えるように口端に笑みを乗せた楢橋は、人混みをかき分けるように声を張り上げた。

     

     

     


     瑞泉の港は、湾内の幸が集まる漁港でもあるが、それ以上に交易拠点として名高い。南方の中心に広がる咲ヶ原は商団が通過するには危険が伴うため、大量の物資は海路を通ってここ大柄港に集められ、同じく船に揺られて各地に運ばれていく。
     必然、物流の心臓部である大柄港からは蔵町が広がる。船乗りたちは船旅を無事終えられた感謝を歌を通じて海のメガミ・ハツミに捧げながら、荷揚げで汗を流している。小僧たちは検品に追われ、荷馬車がひっきりなしに行き交っていた。支配下に置いた領地からの接収品もあるのか、いっそ殺気立った活気に満ちている。

     

    「おやおや。これは古鷹から、はるばるご苦労さまです」

     

     そんな中、千影たちは運んできた荷を引き渡すべく、港の一角にある長柄商会を訪れていた。ひょろひょろとした商人の遠藤が、渡された証文と、商館の前につけられた馬車の荷とを眼鏡越しに検分している。
     取引を任されているのは楢橋であり、少し離れた位置から藤峰がそれを見守る形となっている。千影はといえば、不審に見えない範囲で立地の把握に努めているようで、荷台に背中を預けながらしきりと目を動かしていた。
     と、小僧に荷を検めるよう指示した遠藤は、検分の対象を楢橋に定めた。

     

    「栗谷さん……でしたかな」
    「は、はい!」

     

     名乗った偽名を確認されて、楢橋が初々しさを装いつつも答える。

     

    「こちらに来られたのは初めてで?」
    「そ、そうですね。今まで狭い世界しか見てこなかった若輩者でございます、ええ」
    「なるほど。瑞泉は魅力ある町です。古鷹にはない刺激は、きっとあなたを良い商人として成長させてくれるでしょう」
    「勉強させていただきます」

     

     はにかむ楢橋であったが、遠藤の次の言葉に笑顔を凍りつかせた。

     

    「ですが、私も同じ商人ですから……この取引をお受けするわけにはいきませんねえ」
    「え……っと、それは……」

     

     とても残念そうに言い放った遠藤に、なんとか苦笑いを浮かべながら説明を求める楢橋。
     それに遠藤は、

     

    「こちらは全て古鷹家の名義でお持ちいただいたものでしょう? 古鷹の酒はとても好評なので、我々としても贔屓にさせていただいておりまして、お持ちいただいてとてもありがたいのですが……」
    「なにか問題が……?」
    「それがですねえ。その古鷹が売り手、というのが少々問題でして……あくまでこちらの取引は、古鷹ご当主殿の名義で結んでいただくという前提の下、特別便宜を図っていたものなのですよ。そのご当主殿にご不幸があったとなれば、このお約束の存続も……難しいものがありますでしょう?」

     

     困ったような笑みを貼り付けた遠藤に、楢橋は内心歯噛みしていた。
     楢橋たちにとってこの取引というのは、あくまで瑞泉潜入にあたっての口実でしかない。銭金の伝手で手に入れた身分を、雑に捨てるわけにもいかないため、正式な取引をきちんと行おうというだけのことだ。
     本来は取引は早々に終え、身軽になったところで今後に向けた調査を行う予定であった。時間の猶予が十二分にあるわけでもないため、明らかないちゃもんに時間を消費するわけにもいかないのである。

     

    「さすが瑞泉の商人様、お耳が早い。ですが、あっしとしてもこの樽全部飲み干すわけにもいかないんですよ。溢れた酒を飲んでるだけで金が湧いてくれば話は早かったんですけどね?」
    「そうなればどれだけいいことか! ですが、そんな楽な商売あってたまるか、とアキナ様にも怒られてしまいそうです」

     

     遠藤は袂から小さなそろばんを取り出すと、

     

    「わざわざお越しいただいたのに、そのままお引取り願うのは流石に偲びありませんから、こちらとしても勉強させていただきたいところ。こちらは、当商会の古鷹氏に対する弔慰だとお考えいただいて……こんなところでどうでしょうか」
    「んな……!」

     

     弾き出された数字は、実に元の値の半額以下である。明らかに足元を見た、交渉と呼ぶのも憚られる提示に、楢橋は思わず声を張り上げてしまう。

     

    「いくらなんでもそれはないでしょう!?」
    「そうですか……では、こちらはお返ししたほうがよろしいでしょうか」

     

     にやにやと悪意を漏らす遠藤から証文を差し出される。元々の貧乏性が彼に叫ばせたのだが、ちら、と振り返れば藤峰が小さく首を振っていることからも、これ以上食い下がることは本題から外れてしまう。
     千影も澱んだ視線を楢橋に注いでおり、ここは遠藤の言いなりになる他ないように思えた。
     と、そこへ、

     

    「何の騒ぎだ」

     

     低く響く、男の声が割って入る。
     声の主に気づいた遠藤が、慌てたように商会の中から現れたその男に頭を下げた。厳しい顔つきの男は、古傷の浮いた上半身を曝け出しており、商人でも船乗りでもなく、この場に似つかわしくない武闘家と呼ぶに相応しかった。けれど、右腕に取り付けられた歯車の意匠の篭手が、なお異彩を放っている。

     

    「こ、これは架崎様。いえ、些細な条件の不一致があっただけですので、架崎様のお手を煩わせるようなことは……」
    「いいから話してみろ」

     

     有無を言わせず、醸し出される威圧感と共に、男・架崎宗明は二人を睥睨する。
     その対象は、遠藤と楢橋。
     架崎の声がした瞬間、千影は傍を通った荷馬車に紛れ、商会と隣にあった蔵の間の細い路地に身を潜めていたのである。後を追った藤峰も同様に姿を消したため、取り残された楢橋は、それに気づいた段階で膨大な冷や汗を流していた。

     

     証文を確かめ、遠藤の言い分を聞いた架崎は、力強くその証文を遠藤に握らせた。

     

    「勘違いしてもらっては困る。我々は世を統べるべく動いてこそいるが、圧政を敷くつもりは毛頭ない。分かるか? 民がいてこその国だ。歪な力関係は、歪な構造を生みやすい。お前は今、優位な立場を使って搾取を行おうとしたんだぞ」
    「そ、そのようなことは……」
    「この証文、確かに古鷹京詞の名で結ばれているが、代理人として天詞殿が指名されているじゃあないか。ご息女は息災であらせられるはずだが、それを知らぬお前たちではあるまい。それとも、証文を読むお前の目が曇っていただけかな?」

     

     何も反論できない遠藤に、本来であれば騙された悔しさを楢橋は噛みしめるところであるが、努めて架崎の複製装置から視線を外すので精一杯であった。

     

    「覇権を握る瑞泉の商人であれば、それに甘えるのではなく、相応しい振る舞いをするんだ。足元を見るなど言語道断。驟雨様による平定が行われた先、お前も正しい世界を形作っていくその一人なんだからな」

     

     がっしりと、遠藤の肩を掴む架崎。真っ直ぐな期待を込めたその手を、遠藤は振り払うことはできなかった。
     ……そして、そんなやり取りを路地で聞く千影の瞳は、いっそう澱んでいた。

     

    「あ、あいつ……何もこんなところにいなくたっていいじゃないですか。なんでそんなに千影を困らせたいんですか」

     

     右の親指の爪を噛む千影に、隣の藤峰が訊ねる。

     

    「奴は?」
    「架崎宗明。瑞泉の側近の一人ですよ。腕は立ちますけど、あ、頭が筋肉と瑞泉のことでいっぱいな、いけ好かないやつです」
    「それはまた大物を引いたな。今、事を起こすわけにもいかないし、なんとも迷惑な時に来てくれたものだ」

     

     ええ、と答える千影は、衝動を抑えるように、右手を左手で包み込むように握りしめる。

     

    「本当に、迷惑です。今回も……」

     

     ゆらり、と怨嗟の炎を瞳の中で燃やして。

     

     

     


     敵地への潜入なんて、何があるか分かったものじゃあない。闇昏千影たちは本懐を遂げる前に、こうして敵将と遭遇することになってしまったというわけだ。
     相手はかつて天音揺波たちを追い詰めた、あの架崎宗明。彼に正体が見抜かれるようなことがあっては、当然ながら台本は崩れてしまうだろうね。
     さてさて。計画が胎動する中、闇昏千影たちはこれをどう切り抜けたものかな?

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

    《前へ》      《目録へ》      《次へ》