『桜降る代の神語り』第55話:佐伯識典

2018.05.11 Friday

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     直感というのは、大方のところは経験則だ。たとえ本人が意識していなかったとしてもね。
     カナヱはその権能ゆえに、だいたいのことを知っている。だから、だいたいのことは先が分かる。しかし経験の豊富さとはまた別の技術として、その経験を鋭く引き出せるかどうかというのも重要だ。
     
     ハガネがカナヱと同じくらい物を知っているとは言わない。
     しかし、彼女はささやかな出来事から経験を引き出す力に長けている。
     
     彼女は最低限知っていて、そしてそれ故に気づいたのさ。
     その態度が、平気な顔をして嘘をつく“アイツ”にとても似ていたということにね。

     

     


     一石を投じる。それによって生まれる波紋は、明白な騒ぎを励起するとは限らない。

     

    「…………」

     

     ハガネが発した糾弾によって、場は再び沈黙に支配されていた。微笑みのまま口を開かない佐伯に対し、サリヤは武器を求める手を宙空に彷徨わせたままであった。態度を決めきれず、板挟みになった彼女は、ひりついていく空気に心を締め付けられていく。
     あわあわと佐伯とハガネを見比べているジュリアはもちろん、後ろのハガネも守らなければならない。そのためにはいち早く飛び出して佐伯を行動不能にするのが最適解であるが、理屈を超越したハガネの言葉にサリヤは踏み切ることができずにいた。そして当のハガネは、ただただサリヤか佐伯が応じるのを待ち続けている。

     

     と、

     

    「……そんな怖い顔をなさらないでください」

     

     最初に答えたのは、肩をすくめた佐伯であった。
     彼は両手を緩く掲げ、大仰にジュリアから一歩距離を取ると、そのまま不格好に会釈する。

     

    「お初にお目にかかります、ハガネ様。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」
    「いいよ、べつに」
    「……おやおや、これは随分と嫌われてしまったようで」

     

     しかし、と会釈でずれた眼鏡を直す佐伯は、笑みをさらに柔和なものにした。

     

    「皆さんにお話していないことは確かにありましょう。けれど、それで嘘つき呼ばわりされるというのは、いかに私といえど心が痛んでしまいます」
    「隠し事なんて、騙してるのとおんなじじゃん」
    「では……それを詳らかにすれば、私を信用していただけると?」
    「それは……」

     

     訝しがりながらも、言葉に詰まるハガネ。そのうちジュリアもそろりとサリヤの傍に寄り、不安そうに胸元で両手を揉んでいた。

     

    「サーキ……」
    「ご心配なさらずとも、私がジュリアさんたちを助けに来たというのは誓って真実です。しかし、ここに至るまでの過程が不透明なのも確かでしょう。私の本当の顔を教えるところから、順を追ってご説明しましょう」
    「本当の顔……?」
    「ええ。――ところで皆さんは、シンラ様というメガミについてご存知でしょうか」

     

     投げかけられたその名前に、サリヤはどう答えたものか迷う。なにせそのメガミに関しては、佐伯から聞いたことがほぼ全てだったからだ。
     では同じメガミであれば、と背後へ視線を落としたサリヤは、ハガネの眉間に皺が寄っていることに気づいた。高まった警戒心を裏付けるように、裾を引っ張るハガネの手が力を増している。
     佐伯はそんなハガネの態度に少しばかり眉尻を下げて、

     

    「シンラ様……彼のお方は、知を第一とし、この世に適切な治政を広めんとする素晴らしき存在です。力だけが全てを決めるのではなく、知ある我々は議論を尽くすことで調和のとれた世界を作り上げられるのだと、シンラ様は日々我々の道標となってくださっています」
    「我々……?」
    「そう、我々です。シンラ様率いる我々、賢人集団・碩星楼。以前私は学者だと名乗りましたが、それはあくまで表の碩星楼の構成員としての顔。実際はシンラ様の走狗として、理想の政のために微力を尽くさせていただいているのですよ」

     

     語る彼は、そこで何かに気づいたように「あぁ」と感嘆すると、申し訳なさそうに僅かに目を伏せた。

     

    「捉えようによっては、これはひょっとしたら私の『嘘』になるのかもしれません」
    「えっ……」

     

     いきなり前言を翻すような発言をする佐伯に、サリヤがついていけずにいると、

     

    「『オボロ様たちとの繋がりがある』と私は言いましたが……正確には、私個人とではなく、オボロ様とシンラ様の間に関係が持たれているのです。こちらに駆けつけたのも、シンラ様を介して情報を頂いたからなのですから。大変、失礼致しました」

     

     謝罪の言葉を述べた佐伯は、深々と頭を下げる。
     面食らったサリヤがハガネの様子を窺うと、猜疑の目を向けたままだった。けれどハガネはどう問い詰めたらいいものか分からないようで、あやふやに言葉を選んで差し向ける。

     

    「色々、変なことが起きてるけど……これって、おまえがシンラねえと何か悪いことしたってことじゃないの?」
    「ハガネちゃん、それは……」
    「いえ、いいのですサリヤさん。味方の味方が本当に自分の味方か――それを不安に思う気持ちは、とても原始的な感情です。私にはそれを払うだけの努力をする義務があります。すなわち――我々が瑞泉に与していないと説明する義務が」

     

     ゆっくりと顔を上げる佐伯の顔には、憂慮が浮かんでいる。その感情が偽りのものであるとはサリヤには到底思えなかった。
     佐伯は罪を認めるかのようにとつとつと言葉を作る。

     

    「碩星楼は、一時期瑞泉と協力関係を結んでいたこともありました。平定へ向かいつつあったこの地をさらに円滑に動かすべく、多くの大家との関係を持っていた我々ですが――まさか知性ある政治の最先鋒でもあった瑞泉が、これほどまでの蛮行に出るとは思わなかったのです」
    「…………」
    「今の瑞泉は、偉大なメガミ様方を害する愚かな行為に及んでいます。ハガネ様もお分かりでしょう? ライラ様のお力が遠いものとなってしまった私はもちろん、シンラ様も一メガミとしてこの事態を憂いておられるのです。彼らは――瑞泉は、やりすぎてしまったのですよ」

     

     彼らを支える大地にその告解が染み渡り、いたたまれない沈黙が下りる。
     疑惑の渦中にある佐伯といえど、憂うその想いを切って捨てることなどできはしない。もはや最大の敵であることが揺るがない瑞泉の非道を、ハガネたちは身をもって経験している。同じ想いがあるからこそ、彼女たちはここに来て、そして目の前の男と出会ったのである。
     と、そこまで述べたところで、佐伯は改まって真剣な表情をジュリアとサリヤに向けた。

     

    「ですが……! ――あ、いや……しかし……」
    「……?」

     

     けれど、何か告げようとして、彼は言い淀む。
     これまではっきりと説明を続けてきた彼らしくない態度に、二人は小さな驚きと共に彼の言葉を待つ。煮え切らないようでもあるが、良かれと思っているのに、それが失礼になるようにも思えて尻込みしているようでもあった。
     やがて佐伯は、自分の考えを信じたように再び目に力を込めると、

     

    「異邦のお二方よ。問わせていただきたい。――あなた方が、闘う必要はあるのか、と」
    「……!?」

     

     訊ねられた二人も、そしてハガネも、その意外な問いには言葉に詰まった。
     無論、それは彼女たちがこの場に至るまでに既に終えた問答である。瑞泉の蛮行に曝された二人には、彼女たちなりの理由があるからこそ、ハガネと共に瑞泉攻略に参加したのだ。
     ただ、それをここで改めて……しかも、自らを援軍と称する佐伯が、話の流れを乱暴に変えてまで問うてきた――その事実が、彼女たちに口をつぐませる。
     何より、佐伯のその問いには、責める意思ではなく、嘆きの色がついていた。

     

    「……いきなりこんなことを言い出して申し訳ない。ですが先程も言った通り、お二人のことはずっと気がかりだったのです。だってそうでしょう? あなた方は、あくまでこの地の動乱に巻き込まれただけ。これ以上自らを危険にさらす必要がどこにあるのでしょう」
    「そ、それは……このまま逃げ場をなくすよりも、打って出ないと――」
    「それです……! それこそが、誤解の元なのです……!」

     

     サリヤの反論を断ち切った佐伯は、彼女に向かって手を差し出した。
     どうかこの手をとってください、と。

     

    「我々碩星楼は、お二人のために安全な場所を提供しましょう」
    「エッ……!」

     

     意を決したように、佐伯は二人に事実を突きつける。

     

    「突き詰めてしまえば、今のお二人に必要なものは安全でしょう。闘うのも、安全な環境を自ら手に入れるため。ならばその安全が保証されれば、お二人が戦場に赴く理由はありますまい」
    「…………」
    「碩星楼は知識の蔵でもあります。海の外の知識や技術は、我々にとっても大変価値あるものです。それこそ、こちらからご招待し、悪鬼から手を尽くして守るほどには。これは碩星楼の総意と思っていただいて構いません」

     

     そして、

     

    「お求めとあらば、故郷への帰り道だろうと我々はご用意いたしましょう。――どうですか、ジュリアさん、サリヤさん。我々を、戦火をしのぐ傘として使ってはみませんか」

     

     とても柔らかで、揺らがぬ自信を支えにした提案だった。
     だからこそ、ジュリアも、サリヤも、揺らがされていた。その提案は、選択肢の限られた二人にとって、正しく検討に値するだけのものだったからである。

     

     目を泳がせるジュリアは、惹かれていることを隠しきれていない。その瞳の色は好奇心であり、ちらちらとバツの悪さが顔を覗かせている。
     そんな主を険しい顔で見つめているサリヤは、その表情の裏に打算を働かせる己を隠していた。彼女にとって、全てに優先されるのはジュリアの守護である。主を守れる可能性が高いほうを選択するのは当然のことだった。
     だが、サリヤは意思を口にしなかった。主の意向を待つこともそうだが、湧いてくるわだかまりが考えを声に出すことを良しとしなかった。

     

     と、サリヤは自分の手を強く引っ張る力を感じた。
     ハガネだ。
     小さなメガミは、佐伯へと僅かばかりの敵意を向けて、サリヤを決して離さないというように手を抱き寄せていた。
     そして二人の黙考を打ち破るかのように、反発の声を上げる。
     だが、

     

    「あんなやつの言うこ――」
    「……とまあ」

     

     ハガネの勢いを削いだのは、肩をすくめて両手を上げ、降参の意を示した佐伯の姿。
     彼は仕方がないと言わんばかりの苦笑いを浮かべながら、梯子を外されて黙らざるを得なくなったハガネに対し、こう続けた。

     

    「こうしてハガネ様も好ましく思われないでしょうし、ここまでいらしたジュリアさんとサリヤさんの決意を蔑ろにするつもりもありません。無理やり従わせるなど、それこそ瑞泉と同じになってしまいますからね」
    「じゃあ何が言いたいの? はっきりしてよ」
    「戦に赴くのは、満足行く解決策が見つからなかった場合に限るべきなのですから、確認は必要でしょう?」

     

     むすっとハガネが口を結んだところで、佐伯は頭を下げる。今度は謝罪ではなく、申し入れとして。

     

    「お二人の決意があるからこそ、せめてお手伝いをさせていただきたいのです。私としても、お二人を心から案じているのですから」

     

     サリヤとジュリアは、困ったように顔を見合わせるしかなかった。
     手を掴む力を逃したハガネに、この場の結論をサリヤは見る。利益を諦め、意思を尊重されたのだから、もはや彼を受け入れざるを得なかった。

     

    「サーキ、また、ヨロシクです」
    「おお、ありがとうございます……!」

     

     安堵を孕んだ佐伯の感謝を聞くサリヤは、それでもハガネが未だ、飲み込んだ警戒心が胸につかえたように苦い顔をしているのを見て、そっと頭を撫でてやることしかできなかった。

     

     

     

     

     


     つー……、と。
     地面を転がっていく巻物は、だらしなく舌を伸ばし続けているようであった。
     その紙面に、パタタッ、と。

     

    「あ、あ、ああぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

     

     巻物に降り注いだのは、飛沫であった。
     冗談のように軽快な音を立て、紙を濡らした液体の色は赤。

     

    「あっ、ああっ……! あ、あし……脚が、あぁ……なんで!? なんでぇぁぁぁぁッ!?」

     

     その血飛沫もまた、空間を満たす男の悲鳴に塗りつぶされ、澱んだ沼のように地面に広がるのみとなる。
     男は必死だった。己から生まれた血溜まりでもがき、ろくに動かなくなってしまった脚を引きずるようにして、腕だけで逃げるように這っていた。
     が、生存の未来を掴むべく突き出した腕は、虚空を掴む。
     二度と何も掴むことのできない、ただの物となって、彼の右腕は転がっていった。

     

    「ぁ……ぁが……ぁ」

     

     あまりの痛みに頭が真っ白になったのか、痛みを訴えることすらままならない。
     ……そんな彼の様子を、全身黒の忍装束に身を包んだ榊原が、緊張を漲らせながら距離を置いて眺めていた。
     少し粘度のある液体の上を歩いているような、そんな軽いようで生々しい音に顔をしかめた榊原は、この場に居ない誰かに向かって問いかける。

     

    「本当に、よかったのですか……」

     

     僅かに声を震わせた彼は、この惨状を作り出したソレの一挙手一投足から、目を離すことはできなかった。

     

     

     

     

     


    「何を言い出すかとヒヤヒヤしましたが……」

     

     現実のようでいて、その実夢の中にたゆたっているような、そんな柔らかい色彩に包まれた空間。そこで一人、シンラは微笑んでいた。

     

    「まあ、私が認めた者ですからね。流石、と言うべきか、当然、と言うべきか……」

     

     誰も居ない場所でただ、彼女は言葉を作っていく。
     今までの過程を、確かめるように。

     

    「ここまでは筋書き通り、ね」

     

     これからの道程を、思い浮かべるように。

     

     

     


     英雄に仲間は欠かせない。百人力の英雄も、千の軍には敵いっこない。だからこそ本来、佐伯識典の協力は歓迎されるべきだろう。しかしそこには幾ばくかの波風が立ち、しこりを残す結果となった。
     
     はてさて、ハガネの直感が間違っていたのか、佐伯識典がうまく煙に巻いただけなのか。
     それはこれから、彼が何を成すのかが教えてくれるだろう。
     だからひとまず今は、新たな仲間を歓迎しておこうじゃないか。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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