『桜降る代の神語り』第54話:口火

2018.04.27 Friday

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     こうして四人の英雄は、最終決戦に向け、各々の物語を進め始めた。
     とはいえ、四つもの視点があっては混乱は避けがたいね。まずはどこから語ったものかな?
     
     ……そうだね。時の流れに即す意味でも、混乱を避けるためにも、まずは彼女たちから語るべきかな。
     反撃のための重大な一手と、そこに生まれた微かな緊張を、ね。

     

     

     


     薄く霧がかった林道。涼やかな空気に未だ支配されるそこは、普段であれば歩む者が静謐さを噛みしめるほどであろう。緩やかに曲がりくねった道の先、折り重なる葉の隙間から覗く威容は、午前の日差しをいくらも遮っているが、仄かに翳っているだけで不思議と不気味さを感じさせない。
     そんな落ち着いた山裾の森に響くのは、ヴヴヴ、という重低音。常に一定の旋律を刻むその音は、人の話し声を妨げない程度に抑えられてはいるものの、木々の間を駆け巡るには十分であった。

     

     

    「なんか……動物たち、怖がらせちゃってません?」

     

     困ったように訊ねるのは、低く唸るヴィーナを操縦するサリヤだ。彼女は主であるジュリアを載せながら、非常にゆっくりとした速度で山道を進んでいた。重量に見合わないその安定感は、緩やかな傾斜と所々地面から突き出た石塊程度では微塵も揺らぐことはない。
     彼女の言葉通り、一行を遠巻きに眺める視線は数えきれないほどある。ただ、そんな懸念を否定したのは、ヴィーナの横、両手を頭の後ろにやりながら歩調を合わせているハガネであった。

     

    「んー、あたしがいるからそんな怖がってるわけじゃないよ。物珍しさ、って感じ」
    「はぁ……ならいいんですが」
    「この山、みんなから霊山――あー、パワーを持ってる山? って扱われ方してるんだよね。そのおかげであんまり人が来ないから、人ってだけで珍しいし、海の外から来た二人に加えて変な馬も一緒なら尚更だよねえ」

     

     そう苦笑いしたハガネが右手を緩く眼前に差し出すと、美しい翡翠のような色をした小さな鳥が留まった。細く高い鳴き声に呼応するように、ハガネもまた「ぴぃぴぃ」と鳴き真似をして返す。

     

    「トリの声、分かりマスカ?」
    「なんとなーく、だけどね。そういうのは、ライねぇとかソラさんのほうが得意だよ。あたしはどっちかっていうと、金属とお話するほうが得意かな。あたしを宿してる鍛冶師みんなもそうだけど、鍛冶は鉄とお話しながらやるんだよ? ――あ、そこの崖脆いから気をつけて」

     

     指摘を受け、サリヤは車体を山側に寄せる。
     問題の地点も飄々と通り抜けたハガネは、小鳥を頭の上に乗せてから、

     

    「麓の村にも四人いるよ。あれ、二人くらいもう他所に行ったんだったっけ……?」
    「そのヒトたちは、この山のヤシロまで行って、ハガネサンにお願いを? 村のヒトたちが行くなら、もっと下デモいいのでは?」
    「それでいいメガミもいるんだけど、あたしは大地のメガミだから」
    「できるダケ、山、近く?」
    「うん、山奥がいい。社は、自分が象徴するものの傍にあるのが一番! あたしの社は、そんな立派なものは多くないけど、色んな山にたーくさんあるんだ!」

     

     量を示すように腕を広げた拍子、頭上の小鳥が驚いて飛び立ってしまった。あらら、と小さく舌を出して戯けて見せたハガネは、また一つ差し掛かった蛇行する道の折り返しまで先駆けると、道に頭を垂れるように成っていた赤い木の実をもいだ。
     投げ渡されたそれをサリヤが口にすると、ほのかな甘みの後からそれをかき消すような強烈な酸味が襲ってきた。ハガネもまた楽しそうに口をすぼめる一方で、サリヤの手から奪い取って口に運んだジュリアは、不思議そうに二人の様子を見守っている。

     

    「ハガネサン、それだけ信仰されてるんデスネ……デモ、意外でした。メガミサマは、もっとミコトを選んでると思っていたノデ、あの村にもそんなにタクサン居るなんて。オボロサマのミコトは、里にモットタクサンでしたが」
    「あたしとか、ヒミカっちとか、来た人はだいたい受け入れてるからねー。オボロっちは忍の人たち相手だけだし、ある意味特別なほうなんじゃないかな。ライねぇなんかは直感で選んでるみたいだし、ユキねぇはお話しして決めるって言ってた。まあ、ユキねぇを宿したいミコトはあんまりいないみたいだから、たまに寂しがってるけどね」

     

     へへ、と悪戯めいて笑うハガネに、サリヤも形ばかり同調した。

     

    「せーがん、なんて堅苦しいのも好きじゃないんだ」
    「ハガネちゃんらしいと言えばらしいけど、初めての人はびっくりするんじゃない?」
    「いーのいーの。みずきちなんてすごいんだよ? 前聞いた話だと、そのミコトの家が持ってたお城の形が気に食わなかったらしくて、『わたくしが満足する姿になるまで、加護は差し上げませんでしてよ!』って延々作り変えさせたことがあったみたい」
    「そ、それはまた……」

     

     ハガネ本人は親しみやすくとも、その力と語られる内容は人知を超えたものである。苦笑するサリヤは道に伸びてきていた樹の根を丁寧に乗り越えながら、肩越しにジュリアが目を輝かせていることに気づいた。
     そうやって、貴重なメガミの生の情報にジュリアが心を踊らせていると、

     

    「あたしは、みんなが喜んでくれるならそれで十分だから。――ほら、着いたよ」

     

     木々の途切れた先まで駆けていくハガネの声色が、少し調子を下げる。
     彼女を追って森を抜けたサリヤは、薄霧の晴れたそこに切り立つ山肌を見出した。これまでの森からすると些か緑に乏しく険しい山であり、視界の端に遠慮がちに続く登山道も人を受け入れているとは言い難い。
     森側に寄ったところでは、小ぢんまりと神座桜が咲いており、その隣にはこれまた小さくまとまった社が建っている。社は、その正面に立つと、山と神座桜を一直線に眺められるような向きに設えられていた。

     

     御蕾山――咲ヶ原南端から八郷北部にかけて広がる山脈で、一際目立つ大霊山。
     ハガネの社に辿り着いたサリヤは、その当のメガミのように表情をやや硬くしながら、唸るヴィーナを鎮めるのであった。

     

     

     


     やや日も昇ってきて明るさを得た麓は、厳粛などといった雰囲気とは縁遠い場所であった。それはメガミの社があろうとも変わらない。あるいは祀られているハガネの気質のせいかもしれない、とサリヤは小さなメガミが力強く頷く姿にそう思った。

     

    「なんとかいけそうでよかった。結構久々だから、もっとダメになってたらどうしようかと思ってた」
    「ジゼンに、調べたのデハ?」
    「実際に見ると、やっぱり安心するから。本当は、最後までうまくいくか分かんないんだけど……」

     

     ぐ、とハガネの手が握りしめられる。
     そして迷いを断ち切るように、

     

    「ううん、こんなこと言ってらんないよね。あたし、頑張るよ! みんなのためにも!」

     

     宣言したハガネの気概に満ちた笑みに、ジュリアとサリヤも深く頷く。
     それからジュリアの手をとったハガネを受けて、サリヤは手袋を嵌め直すと、

     

    「では、私は見張りに立ってきます」
    「怪しいヒト、ゼッタイ通すダメですよ!」
    「分かっています。ハガネちゃんの安全は――……?」

     

     ジュリアへの返答を区切るサリヤ。何かを耳にしたようで、口元で人差し指を立てながら神経を尖らせて辺りを見渡す。同時、社の脇に停めたヴィーナの位置を確かめつつ、音源と思われる森の出口から二人を背中に庇うよう立ち位置を変えた。

     

     次第に、気のせいで済まされるように微かな、足が土と砂利を噛む音が近づいてくる。林道を登ってくる人間が間違いなくいることは、疎いジュリアにも理解できた。旅程が順調だったおかげで図らずも遠いものとなっていた、闘争に身を置いているという事実が、彼女にハガネの細腕を掴ませる。
     もうじき姿を見せる――そう、サリヤが腰の物入れに手をかけたときだった。

     

    「ふーぅ……! 休みなしは、流石に、いい運動になるな……!」

     

     それは、落ち着いた雰囲気の青年の声であった。
     敵意もない。害意もない。ただ、ここまで歩いてきたことで生じた身体の火照りを、目的地に到着した達成感に転じさせているような、純粋な喜びを誰にもなく訴えていた。
     羽織った革の外套はあちらこちらが土に汚れており、肩に載っていた枝葉は彼の手に払われる。その下の狩衣もまさかここまでの山歩きに連れ回されるとは思っていなかったのか、随分とくたびれている。

     

     その男は、眼鏡を外し顔の汗を拭ってから視線を彷徨わせると、サリヤたちを認めて近づいてきた。
     揺れる外套の中に覗くのは、長く伸びた爪を持つ武器。
     けれどサリヤは、その物騒な得物に対して全身の力を抜いた。
     学者然とした彼は一同に会釈しつつ、口端に笑みを乗せてこう言った。

     

    「お久しぶりです、ジュリアさん、サリヤさん」
    「サーキ……!」

     

     サリヤを他所に飛び出していったジュリアは、遠慮することなく思い切り彼の元に飛び込んだ。彼は自分よりむしろ若干背の高いジュリアをなんとか受け止めて着地させると、冷静に一歩下がってサリヤへ苦笑いを見せた。
     佐伯識典。サリヤたちが一時命運を共にした学者である。
     ジュリアに掴まれた手を振り回され、再会の感動を表現させられている佐伯に、サリヤは困惑しながら、

     

    「お、お久しぶり、です……」
    「驚かせてしまって申し訳ない。ですが、お元気そうで何より。あれからもお二人のことが気がかりでならなかったのですよ」
    「はあ……それは、どうも。サエキさんもお怪我の具合は……大丈夫そうですね」
    「ええ、おかげさまで。最近ライラ様が遠く感じられていたものですから、ここに来るまでも少々森を駆けてきたところなのですよ」

     

     ははは、と笑い飛ばす佐伯に、あはは、と愛想笑いを浮かべるサリヤ。
     彼女とて、ジュリアほどではないにしろ恩人との再会は喜ばしい。佐伯はこの地で数少ないサリヤたちの協力者の一人である。連絡先を持たされたのに、こちらから行く間もなく再会してしまったことに僅かながら引け目を感じる程度には、サリヤもこの意外な再会を嬉しく思っていた。
     けれど、

     

    「あの……どうしてサエキさんが、こちらに?」

     

     どの感情よりも、サリヤはその戸惑いが先に立ってしまって仕方がなかった。
     街道でも行商路でもないここが、用がなければ来ることはない場所であることは、出発する前から分かっていたことだ。
     ジュリアに手を離させた佐伯は、ジュリアとサリヤを共に視界に入れながら、偶然というには出来すぎているこの再会の理由を答える。

     

    「皆さんをお手伝いするためです」
    「……!」
    「オボロ様たちとの繋がりがあるもので。どうやら反撃の手を進めているとのことで、その要請を受け、協力させていただこうと急ぎやってきた次第です」

     

     突然の助っ人宣言。素直に受け取るのであれば、またとない話である。
     だが、

     

    「…………」

     

     ジュリアとサリヤは、佐伯の説明に息を呑んでいた。
     彼女たちの作戦行動が水面下のものであることは、打ち合わせ中に何度も確認したことだ。瑞泉側に出鼻をくじかれることは避けねばならなかったし、動向を察知されるだけでも致命に近い痛手となる。
     そのために選択した少数精鋭という前提を鑑みれば、いかに恩人たる佐伯であっても『事前に知らされていない援軍』に忌避感を覚えるのは当然のことだった。

     

     ちら、とジュリアがサリヤを窺う。
     彼女は佐伯に、恐る恐るこう訊ねた。

     

    「『水面揺らすは』……?」

     

     それは、もしものときのために教えられていた符丁。
     本当にオボロからもたらされた援軍なのであれば、返し方を知っているはずである。
     果たして口を開いた佐伯は、小さく笑ってから返答する。

     

    「『風雨切り裂く鳶の羽根』」

     

     その答えが出た瞬間、ジュリアとサリヤの口から、盛大なため息が漏れる。
     もちろん、安堵の意味でだ。
     その答えは、確かに佐伯が正式な援軍であると証明していた。

     

    「キンチョウしました……」
    「疑いたくはなかったんですけど……ごめんなさい」

     

     詫びるサリヤに佐伯は笑顔になって、

     

    「とんでもない! 当然のことをしただけじゃありませんか。私は、貴女がたが重責を負っていることも知っています。ならば秤にかけられたとて、快く応えこそすれ、責める理由がどこにあるというのですか」
    「そう言っていただけると助かります。ここまで順調だったので、ちょっとびっくりしてしまって……オボロ様も言ってくれればよかったのに」

     

     張り詰めていた空気も、一転穏やかなものへ。
     仲間が増えたことで、サリヤはまず情報を共有しようとか、どう手伝ってもらうのがいいのか、そもそも今どれくらい戦えるのかだとか、作戦を遂行するにあたってどうするべきか、いい意味で検討を始めていた。

     

     が、

     

    「ねえ」
    「……?」

     

     くい、と後ろからサリヤの裾が引っ張られる。
     そういえば、とサリヤは、佐伯が現れて以来ハガネが一言も発していないことに気づいた。初対面だし背中に隠れているだろうか、と脳裏をよぎるが、振り返ったサリヤは佐伯のことを紹介しようとして、出かかった言葉を飲み込まざるを得なかった。

     

     じっ、と。
     佐伯のことを見つめるハガネは、子供が人見知りをしていると表現するにはあまりに隔意が剥き出しになっていた。
     不安、警戒心、さらには不信感が、そこにはある。
     そしてサリヤは、ハガネが背中に隠れて己を盾にしているというのが自惚れであり、実際はその逆――ハガネに心配されているのだと悟ることになる。

     

    「この人、嘘ついてる」

     

     メガミの警告によって、場は、再び疑心の渦に飲み込まれたのであった。

     

     

     


     サリヤ・ソルアリア・ラーナーク、ジュリア・ヴェラシヤ・クラーヴォ、そしてハガネ。
     彼女らの目指していたのは、ハガネの社を抱えるひとつの山であった。

     そこにやってきたのは意外にも佐伯識典。死線を共に潜った縁は、こうして再び交わることと相成った。
     しかしそれは、どうにもすべてが円満にとはいかないようだね。はてさて、どうしたものかな?

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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