『桜降る代の神語り』第49話:事態急変

2018.02.02 Friday

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     極まっていく混迷を前にしては、いかに天音揺波といえど刃先を迷わせるばかりだ。
     進退窮まる古鷹京詞の想いは、彼女ほどの齢の者にはあまりに重い。
     受け止めるにも、跳ね除けるにも、ともすれば自分の想いが押しつぶされてしまいそうなほどにね。
     答えを出そうともがく天音揺波だが……彼女の予想だにしない出来事が、混迷を打ち破ることになる。

     

     

     


     ごろり、と打った寝返りは、もう何度目かもわからない。掛け布団は、その定まらない考えを現しているかのように、乱雑に退けられていた。

     

    「うー……」

     

     夜闇に襦袢姿を晒す揺波は、延々と頭を巡り続ける考えに寝付けずにいた。
     彼女を悩ませるものは多く、そして大きい。直近の課題もあれば、将来に渡る懸念もある。一つの出来事から出発して、連鎖的に考えが広がってしまい収集がつかなくなったわけだが、決闘以外のことにもこれほど眠りを妨げられるのは、彼女には珍しいことだった。

     古鷹の見せてくれた舞台は、間違いなく彼女の心に残るものだった。こき下ろしていた久遠はともかく、彼が大切にする理由は肌で感じられた。勝利ではなくあくまで技を求めた細音のように、古鷹は芸を求めるのだと、揺波が納得するには十分であった。
     そして同時に、破滅的な意思で忍の里を襲ったわけではないということも、揺波には理解できていた。理解できてしまっていた。

     

    「答え……」

     

     古鷹には、それを求められている。天音揺波個人に対して、手を貸してくれないか、と。見せるべきものを彼が見せた今、態度を保留し続けるわけにはいかない。時間のなさも、たとえ天音の人々を例に挙げずとも揺波には理解できている。
     しかし、忍の里への恩が古鷹の想いの陰に隠れるようになったわけではない。そして感情的な面を横に置いて戦略的な観点から見たら、両者が手を取り合わなかったことへの口惜しさが溢れてくる。恣意的に浮かべられたもしもは、迷いの証左でしかなかった。

     

     さらには、先程の別れ際の古鷹の様子も気にかかっていた。あれから彼が部屋に来るということもなく、何が彼を逸らせていたのかは分からずじまいであったが、この微妙な状況下で取り乱す当主の姿は、不吉以外の何物でもない。
     情勢が、悪い方向に傾いたか――そう仮定したときに出てくるのは、やはり瑞泉である。
     瑞泉の脅威があるからこそ、全ては悪い方向に向かっている。それは、桜花決闘のために何ができるのか、未だ理想的な解答を得られていない揺波も同様である。

     

    「…………」

     

     仰向けのまま、ぐ、と突き出した右の拳が、夜目にぼんやりと映っていた。
     瑞泉と戦う、という答えはある。だが、それは答えであっても今の選択肢にはない。古鷹が意のままになっている現状、そしてオボロすらも完全な後手に回っている現状、揺波一人の戦力と戦略でどうにかなるはずもないのである。

     

     ホノカがもっと活躍できれば、と揺波は思うが、オボロの指摘した事実は覆しようがない。膨大な対価は、揺波個人であれば尚更払えるものではない。
     直接相談したいという気持ちはあったが、当のホノカは古鷹との会談以来姿を現していない。きっと自分の中にいるのだろう、とさほど心配はしていなかったし、一応隠し玉でもあるので都合もよかったのだが、それは揺波の身体が彼女一人のものではないことと同義であった。
     一歩踏み込むだけの勇気はある。けれど、一柱のメガミと命運を共にしていると考えれば、なおのこと無謀な選択肢は採れないのだった。

     

    「はぁ……どうしたら……」

     

     右腕を放り出せば、布団の脇に置いていた刀の鞘にぶつかった。斬華一閃ですらないその刀は、立ちはだかる敵の前にはとても頼りなかった。
     と、そこへ。

     

     ギ……。

     

    「……?」

     

     床が軋むような、それこそ誰かが廊下を歩いているような、そんな音を耳が拾ったような気がして、揺波は身体に緊張を走らせた。
     それが、ただの足音だけであれば、思索の海に戻ったことだろう。音は、彼女が刀を置いた方、その向こうのふすまの、更に向こう側から聞こえてきた。そちらは中庭に面しており、誰かが通る可能性がないわけではない。
     しかし場には、深夜の静寂というだけでは説明できないような緊張感が漂っている。
     それを人は、殺気と呼ぶ。

     

    「…………」

     

     少し迷ってから、右手でもう一度刀の位置を確かめる。客人として招かれている以上ありえないという気持ちと、ここは敵地であるという事実が彼女の心の内で反発し合う。
     揺波の採った選択は、念のために備える、というものだった。気のせいだったらそれでいい、と刀を懐に抱えようとする。彼女が実家まで帰る際、野宿のときにもやったことだ。

     

     けれど、鞘を掴んだ瞬間だ。
     膨れ上がった殺気と共に、一枚のふすまが乱暴な音をたてて室内に飛び込んできた。
     直後に続くのは、荒い足音である。

     

    「……っ!」

     

     下手人の姿を確認する間もなく、咄嗟に自分の刀を掴んだ揺波は、微かに地面を這う影の動きに反応して、納刀したままがむしゃらに両手で刀を掲げる。

     

    「く、うぅ!」

     

     振り下ろされた強烈な一撃は、辛うじて鞘に受け止められる。相手の得物が刃物で、切っ先を突きこまれていたら即死もあり得たが、姿勢の低い揺波に高い威力の攻撃を確実に叩き込むには動作が限られる。下手人が背に受けた月の光は、そんな大きな動作の予兆を、影を通して揺波に教えていたのだった。
     揺波は手が傷つかなかったことに胸中で安堵しつつも、相手の観察は怠らない。得物は棍。押し付けてくる手の逞しさから男であると分かる。だが、まるで影から生えてきたような黒装束は、彼の顔をも覆い隠している。

     

     そのまま力比べをされては、上をとっている相手が有利である。そこで揺波は、力を受け流すようにわざと背中から倒れ込んだ。

     

    「……!」

     

     意表を突かれたのは襲撃者である。拮抗状態からの唐突な脱力に反応できず、かけていた体重ごと前のめりになってしまう。その体勢では当然、守るべき箇所の守りも薄くなる。
     鍔を利用して棍を横へ逃した揺波が、下から蹴り上げるのは、顎だ。

     

    「ッハ!」
    「がッ――」

     

     倒れ込んだ反動も使った反撃は、布によって隠されていたはずの男の顎に直撃した。
     すかさず転がって間合いを離す揺波は、多少ふらつきながらも棍を構え直した男を見て、刀を素早く抜く。ただ、向けるのはあくまで峰である。
     ぐ、と畳を噛む足には躊躇はなかった。相手の方が長い間合いを持つ以上、揺波から飛び込まなければ話にならない。鞘を投げつけてできた隙に飛び込むのが上策だと、その一瞬の間に検討は終わっていた。
     けれど、

     

    「え……」

     

     一歩、踏み出そうとした揺波の視界に、目の前の男とは別の影が映った。
     投げようとしていた鞘を慌てて左への盾としながら、状況の把握に努める。
     押し入ってきた場所を塞ぐように三人。襲撃者の背後にさらに二人、そして揺波を挟んだその反対側にも二人、隣の部屋への退路を断っている。
     では残りの一面は、と視線を動かせば、壁の両端にある出入り口への経路上に、一人ずつ陣取っていた。

     

    「く……」

     

     囲まれている。その事実と、それが気づかないまま為されたことに、揺波は歯噛みする。
     多勢に無勢とはまさにこのことであり、刀一本で相手するのは絶望的である。ましてや黒ずくめの襲撃者の中には、あの歯車の篭手を装備した者もいる。それがどんなメガミの力を内包していようとも、あるだけで勝機は皆無となる。
     切り抜けられる可能性があるとすれば、同じ次元で対抗するしかない。だが、それを叶えてくれる神代枝は、布団の傍に転がっている荷の中だ。使うには、最低でも一度は危ない橋を渡る必要がある。さらにその先の橋を渡るために、だ。

     

     選択肢は二つ。
     全力で逃げるか。それとも、神代枝を使って戦うか。

     

    「っ……」

     

     じり、と静かにかけられる圧に、決断を迫られる。
     まずは牽制の意味でも、峰打ちを諦めて構え直そうとした。
     そのときだ。

     

    「ごッ……」

     

     バリ! と木板が割れる音と共に、天井から降ってきた何かが、対峙していた一人目の襲撃者に向かって落ちてきた。
     突然のことに、刀を強く握り直しながら口はぽかんと開けてしまっている揺波であったが、次第に落ちてきたものが、人の形をしていることに気がついた。
     そしてその新手は、踏みつけた男の頭を蹴り飛ばすなり、鋭く揺波へ言い放つ。

     

    「なんだその阿呆面は! 気を抜くな!」
    「藤峰さん!」

     

     懐かしさすら覚えるその悪態の主は、調査のためにずっと揺波の前から姿を消していた藤峰その人であった。
     辺りを見渡した黒い忍装束の彼は、隠していた口元も露わにし、ぬ、と夜闇に顔だけが浮き出たようになった。しかしその顔色は幽霊のように白いわけではなく、むしろやや赤みがかっている。
     それが怒っているからだ、と揺波が気づいたのは、彼の足元で呻いていた襲撃者を今度こそ昏倒させた蹴りが、八つ当たりのようであったからだった。

     

     しかし、思っても見なかった援軍によって、状況が一変するかというとそうではない。様子を窺っている襲撃者たちも引く様子はない。包囲網の中にわざわざ飛び込んできたところで、彼らが脅威に思う必要はどこにもないからである。

     

    「……藤峰さんこそ」

     

     急ぎ、彼に背を預けるよう立ち位置を変える揺波。一人よりは勝機ができたが、残り九人が依然立ちはだかっている以上、一人が二人になったところで大差はない。神代枝に手を伸ばす余裕ができたかすら怪しいところだ。
     いっそ外側からかき乱してくれていたほうが、とあまり効果的とは思えない登場にもどかしさを募らせる。

     

     鞘を捨て、しっかりと刀を構え直す両の手に汗が滲む。
     視界を広く持ち、陣形の綻びを見出そうとしたところで、突破の糸口などあるはずもない。
     強引に突き崩すか――そう、揺波が覚悟を決めようとしていたときである。

     

     横目に窺う藤峰には、どこか窮地を思わせない余裕があった。それでいて、忌々しげな苛立ちを隠せずにいる。
     果たしてその理由は、揺波が問う前に明かされた。

     

    「俺たちもいるぜ!」

     

     

     ひゅ、と冗談のように軽い音は、手裏剣が宙を裂く音。高い位置から放たれた刃が、揺波たちに集中していた襲撃者たちへ意識の外から襲いかかる。
     増援を警戒していたのか、何名かは忌々しげにそれを打ち払っていたが、揺波は彼らの姿が空気の澱みの中に飲まれていくことに気づく。その足元から立ち上っている、紫がかった薄煙は、次第に彼らの口元までたどり着く。

     

    「う、うぇ……がほっごほっ!」
    「なんだ、これ……!」

     

     今まで沈黙を貫いていた襲撃者が、たまらず悲鳴を上げる。煙を吸うことに身体が拒否反応を示しているような様子で、揺波は咄嗟に口元を抑えた。いやらしい援護に心強ささえ覚えてしまうが、巻き込まれてしまっては元も子もない。
     故に、説明を求めようと振り返る先は、藤峰が落ちてきた天井から奇襲と共に現れた、新手の影だった。

     

    「そうだな、あまり吸わないほうがいい」

     

     その肯定は、揺波にとって聞き覚えのある声だった。ここにいるはずのない青年の声に、耳を疑い、そして藤峰の隣にいる新手の顔を見て、目も疑った。

     

    「ち、千鳥さん……!?」
    「久しぶりだな、間に合ってよかった」

     

     不敵に笑う闇昏千鳥。藤峰とは違い、完全に勘定から抜けていた援軍の登場に揺波は混乱する。何から問うていいものか、修羅場の緊張も相まって言葉が出てこない。
     そんな揺波であったが、ふと、千鳥の陰に隠れたもう一人の援軍の存在に目が行く。襤褸の外套を纏ったその少女は、襲撃者たちを襲う煙のように澱んだ雰囲気も纏っていた。
     あの、と問う揺波に、少女は小さく肩を震わせてから答える。

     

    「ち、千影……闇昏、千影…………です」

     

     

     そっけないというよりも、揺波のことを怖がっているといったような態度だった。けれど、牽制として放った苦無の鋭さに、並の強さではない、と揺波は評する。
     それきり千影は揺波から視線を外して、急かすように千鳥の肩を小突く。
     応じる千鳥は、包囲に飛び込んできただけある確かな自信を顔に表していた。

     

    「ああ、とりあえずこいつらを何とかしないとな」
    「いいから早く使え!」
    「言われずとも!」

     

     藤峰にどやされて懐から取り出したのは、手のひらに収まる程度の白桜色をした棒。
     神代枝。揺波が望んでいた、逆転に向けた一手である。
     四人全員がミコトである以上、全力を出せるようになれば、いかに相手が複製装置を持っていようとも、いかに倍ほどの人数がいたとしても、揺波たちは容易く叩き伏せることができるだろう。

     

    「天音! いくぞ!」

     

     千鳥はそれを、宙に放ってから握りつぶす。そして頭上に振りまいた淡い桜色の光は、闇から揺波たちを守るように場に満ち、穏やかな桜吹雪はミコトたちへ確かな力を貸し与える。
     ミコトが乞うのは、メガミの力。揺波は持っていた刀を畳に突き立て、代わりに手にするのは斬華一閃。顕現した刃は、鈍く月の光を浴びている。
     そして、ザンカを求める揺波のように、闇昏姉弟もまた、彼女を求める。

     

    「さあ!」
    「力を貸して――」

     

     無形から有形へ。舞い散る桜花結晶の力は、顕現武器となって二人の手中に結実する。
     素直な気持ちを現すようにまっすぐ伸びた柄を包むのは、大地を燃やす夕日よりもなお濃い朱色に染まった胴。頭に被った紺色の頭巾はところどころ擦れており、時間の染み込んだ風合いになっている胴と合わせて、長く使われてきたのだと思わせる。

     

     二人は呼ぶ。その本来の持ち主の名を。
     二人は呼ぶ。二人の縁を取り持った彼女を――二人が縁を繋いだ彼女の名を。

     

    『――ユキノ!』

     

     

     人の縁を象徴するメガミの名と共に、敵対者へ向けられたのは、唐傘。
     結ばれた縁は、今度は揺波を助ける力となって、戦場を駆ける。

     

     

     

     


     二転三転する状況下とはいえ、これはあまりにも穏やかじゃあない。
     もはや巻き込まれたなんて言い訳は聞かないね。天音揺波は、明確に狙われた。
     起死回生の助力がなければ、事態は最悪の方向へ転がっていたかもしれない。

     

     己がここにいる意味とは、そして己が進む道とは。
     突然の襲撃は、英雄に、否応なき決断を迫る。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第四巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

     

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