『桜降る代の神語り』第42話:忍の里防衛戦

2017.11.17 Friday

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     こうして忍の里に騒乱が、ああ、まさに文字通り放り込まれたということになる。
     仲間意識の強い忍たちのことだ。仲間を、さらに言うなら里を支える重要な一人を失ったとあっては、黙っているはずがないだろう。
     逃れえぬ戦いの時。さてさて、何が起こったのかを見ていくとしようか。

     


     しん、と静まり返った場を破ったのは、忍たちの敵意だった。

     

    「……おっと」

     

     歯軋りの音。刃を抜く音。畳を踏みしめる音。何か一つ、合図があれば即座に飛び出さんと構えた忍たちを前に、それでも御堂はうっすらと浮かべた笑みを崩さなかった。
     遅れて揺波が膝立ちとなって刀に手を伸ばし、サリヤが主を背後へと隠した。
     最後まで動かなかったのは、二柱のメガミだけであった。

     

    「どういう……ことかな?」

     

     その一柱であるオボロは努めて無表情を張り付かせたまま、一音一音に圧を込める。首から上だけの姿になった忍から、瞳だけを動かして、御堂へと。少女のような外見からは想像もつかないほどの威圧感が、ただ一点に向けられていた。
     常人であれば、そこで生を諦めるか、遮二無二許しを請うほどの状況。
     けれど御堂はそれでも、まるで風に吹かれているだけ、といった態度を保っていた。それどころか、問い質すオボロに小さく苦笑いを零す始末。

     

    「あなたならば、敢えて聞き直す必要もないでしょう?」
    「ほう……?」
    「用件は、この通り確かにお伝えしましたよ。誤解の余地が生じないよう、わざわざ形にしてきたのですが、どうも配慮が足りなかったようで……まあ、次の機会までに、もう少し伝わりやすい形を我々の方で考えておきますね」

     

     極めて事務的に謝罪した御堂は、僅かな目礼の後、何事もなかったかのように、今来たばかりの廊下へ身体を向けた。
     そして、皆にわざと聞こえるように、言葉を補った。

     

    「次の機会があれば、ですけど」
    「っ……!」

     

     前のめりになっていた忍たちの殺気が、さらに膨れ上がる。それを意に介さず帰ろうとする御堂の肩を掴もうと、最も近くにいた藤峰が手を伸ばす。

     

    「おい貴様ただで帰れると――」
    「たっ、大変ですッ!!」

     

     だがその手は、宙で止まった。
     廊下の奥――御堂と入れ違いになるようにして駆け込んできた忍の悲痛な声。普段の藤峰であれば、それを無視してまずは同胞を殺した男を捕えただろう。
     しかし、彼は悟ってしまったのだ。

     

    「里が……」

     

     会議場に飛び入ったその忍の顔色は、同じく皆に悟らせるには十分なほど、青ざめていた。
     首の入っていた竹籠を放り捨て、逃げていった男は、ただ自分たちに答えを示しただけなのだと。

     

    「里が、火攻めに遭っています……!」

     御堂の示した答えのその先が、既に目の前までやってきているのだと。

     

     

     

     

     


     古鷹山群は、赤く燃えていた。

     

    「……!」

     

     屋外へ出た一行は、里を囲む木々が燃えているという事実に言葉を失った。議場は里の北寄りに位置していたが、そこより見える北の森は、真っ赤な舌で大地を舐め回されているかのように火が回っていた。
     今はまだ、湿気も相まって背の低い草木が燃えているだけのようであったが、放置すれば里を隠す雄大な木々が、揺波たちを焼き殺す薪となるのは時間の問題だった。

     

     下手人の姿は、文字通り火を見るより明らかである。白鬚の生えた笑顔の老人をかたどった面をつけた者たちが、里を闊歩し、あるいは木々に紛れ、火を生み出していた。
     彼らの放つ炎の勢いは人一人が扱うには凄まじく、樹や家を舐め上げるほどであったが、その行為に反して所作に野蛮さは感じられない。舞台の上で火の化身を演じるような、ある種の優雅さすら纏っているのが不気味であった。
     火勢に煽られるように揺波の旅の友が、その桜色の光球の身体を震わせる中、ジュリアもそんな歪な襲撃者に声を震わせていた。

     

    「なん、デスカ……あのヒトたち……」
    叶世座 きょうぜざ ……古鷹が有する私兵団だ。あいつらまで持ち出すとは、やつは本気か……!」
    「半数は南に散れ! 炎に囲まれては敵わん! 半分……半分だ! そこで必ず食い止めろ!」

     

     オボロの指示を皮切りに、半ば呆然としていた忍たちが動く。サリヤもジュリアと共にそれに同調し、研究室のヴィーナの元へと急いでいった。
     揺波の手は自然と刀の柄へと添えられていたが、そこで敵の装備に目が行き、動きが固まる。

     

    「オボロさん、あの篭手! たぶん、遺跡で襲ってきた人たちがつけてたやつと一緒です!」
    「……だろうな」

     

     低く唸るようなオボロの同意。目にする仮面の人間は全て、あの爪使い、弓使いと同じく、手のひら大の歯車を噛み合わせたような篭手をつけている。先程まで、要警戒だと議論していた実物が、こうして一同の前に現れた形となった。
     そこでさらに同意を示したのは、ハガネである。

     

    「じゃなきゃ、こんな場所でヒミカっちの炎、使えるわけないもんね……」
    「そんな……! ヒミカさんが、こんなことする人たちに力を貸してるっていうんですか!?」

     

     信じられない言葉を聞いたとばかりにハガネを見る揺波。
     だが、ハガネが否定を返すよりも先に、それに答える者がいた。

     

    「使わせていただいているとも。これのおかげでね」

     

     興奮を抑えきれないながらも、冷静であろうとする、少しくぐもった男の声。
     家屋の陰から姿を現したのは、例に漏れず歯車の篭手を装備した一人の襲撃者であった。他と違うのはその面……真っ赤な猿のような顔に、飛び出た金の目、見せびらかすように開いた口には歯車の歯が覗く、そんな異様な面をつけていることだった。
     同じ襲撃者でも、彼は一見して異質であり、奇怪だった。

     

    「複製装置<焔>。ああ、素晴らしいものだな! こうしてヒミカの力を自由に振るえるというのは! このようなゴミ掃除にヒミカの炎を使えるというのは、いっそ清々しい!」

     

     言いながら赤面の男は、寄りかかっていた家に炎を放った。雅に野蛮へ走る他の叶世座の面々とは明らかに異なり、この者はまさに、我によって野蛮を為していた。
     全員が、一斉に得物を構える。

     

    「おまえッ……!」
    「おっと、これはよくない。私は掃除に来ただけで、遊びに来たわけではないからな。なに、遊び相手は私の他にもいるさ。ハッハッハハハ!」

     

     笑いと共に、篭手のつけた右腕を大きく振るうと、特大の火柱が立ち上がり、家がさらに燃え上がっていく。
     火柱が消えたとき、既に男の姿はなかった。

     

    「オボロっち……あれ、ひょっとして……」
    「ああ。だが今は詮索している場合ではない。考えなしに挑んでは返り討ちにされるということが分かっただけで十分だ」

     

     オボロは静かに、藤峰も含め残っていた忍たちにも指示を出し、放った。あくまで防衛なのだと、念を押して送り出す。
     そして最後に残った揺波に向けて、拳を突き出した。一瞬、何のことか分からなかった揺波だったが、拳からはみ出した白桜色に気づいた。

     

    「すまないが、力を貸して欲しい。ハガネもそうだが、拙者も十分な戦力とは言い難い。何より、この身も今や貴重な資源だ。全体を統べる任にあたらせてもらおう」
    「これがあれば……戦えるんですね?」
    「折るように潰して、撒くように放ればいい。あいにく安定版ではないから保証しきれんが、あとは決闘と同じ感覚のはずだ」

     

     短く笑ったオボロの目は、全く笑っていなかった。
     差し出した揺波の手に落ちてきた神代枝は、穏やかな温かさを返してくる。桜の光球は、それを揺波の肩越しにおずおずと観察しているようだった。
     ただ、次のオボロの言葉に、揺波は冷水を背に差し入れられたように震えを走らせた。

     

    「だが――これからお主が行うのは決闘ではない。殺し合いだ」
    「……っ」

     

     唇をかみしめて、辛うじて抗弁を飲み込んだ。燃え盛る炎の向こうに幻視するのは、最強の男。その物言わぬ身体を脳裏から追い払うように、小さく頭を振る。
     そんな揺波にオボロは、手厚く諭すでも、叱咤するでもなく、

     

    「目標は敵を退けることだ。無理はするなよ」

     

     そう平坦な口調で言い残すと、いきなりハガネの首根っこを掴み、彼女に反論を許すことなく、まだ燃えていない家々を足場にして南の方へと消えていった。
     一人残された揺波だったが、ここは紛れもなく戦いの場であり、そうである以上何もしないことは許されない――そういったある種強迫めいた意識が、彼女を下ではなく前へ向かせる。
     そして左手に握った神代枝を砕き、言われた通り放った。

     

    「……!」

     

     その軌跡は桜色の尾となって、ぐるりぐるりと周囲を周り始めた。さながらそれは桜の花びらを巻き上がる一陣の風のようであり、実際、小ぶりではあるものの、桜花結晶がいくつも揺波を取り巻いていた。
     決闘の宣誓を終えたときのような高揚感が、稀代のミコトを包み込む。

     

    「決闘じゃないけど……お願い、ザンカ……!」

     

     言葉と同時、メガミの力を宿らせた揺波の脚は、いつも通り戦いの場に赴くように、大地と大気を蹴った。収まりつつあった桜色の風を吹き散らすかのように、力強い一歩が刻まれる。
     揺波は確信と共に、普段使いの刀を打ち捨てた。そして次の瞬間には、彼女の手中には斬華一閃が収まっていた。
     曇りなき銘刀の輝きが、健在であるザンカの力を十分に引き出せたと示していた。

     

    「いきます……!」

     

     疾風と化した揺波が、戦場へと躍り出る。
     その銘刀の峰を、前に向けて。

     

     

     

     


     ジュリアの研究室代わりとなっている倉庫から発進するなり、サリヤの視界は里の食堂に火を放つ赤い仮面の男を捉えていた。

     

    「やめなさいっ!」

     

     制止の叫びと共に、容赦なくヴィーナに加速を叩き込む。相手の装備する篭手に既視感を覚える彼女ではあったが、ヴィーナでの戦闘機動が通用するのはその一度目の邂逅で学んだことだ。その持ち主が、彼女の主を殺めようとしたことも忘れていない。
     最初から全力で。躊躇のない突貫で速度を身に纏うサリヤであったが、

     

    「やめればいいんだろう?」
    「な……!」

     

     赤面の男の思わぬ行動に、サリヤは急激に右へと距離を取った。
     男は、近くに倒れ伏していた別の忍を――それも、全身を焼かれているというのに、それを盾にしたのだ。

     

    「このっ……!」
    「はっ! いくら速い馬だろうと、騎手が焼かれては意味がないぞ」

     

     その隙に男は、サリヤの視界を奪うように空間を焼いた。迂回で角度を変えての再突撃を図っていたサリヤはこれに、さらなる回避を余儀なくされる。
     ヴィーナは確かに純粋な戦闘において、他より大きな優位をもたらしてくれる存在である。だが男の指摘通り、ヴィーナはあくまで神速の矛であり、サリヤを守る盾にはなれない。飛び込む動きに対して反撃を置かれれば、それが致命傷となりかねないのだ。

     

     炎による目眩ましが晴れたときには、男も逃げるように離れていた。焼けた忍を放り、攻め込んできた北へ向けて、だ。押し通ろうとする意思の全く見えないその動きに、サリヤは刃の鞭をしならせながら警戒の色を露わにする。
     と、住居を背にした男は、くつくつ、と嗤いを零した。

     

    「まさかこんな場所で再会するとは。いやまあ、貴様は覚えていないだろうがな。くくっ……もう一人はどうした? おまえが必死に守ろうとしていたやつだ」
    「何……あなた誰なの?」
    「いるんだろう? ……ああ! つまりこのあたりなのか。あれほど大事にしていた人間だものなあ、離れるわけにはいかんよなあ」

     

     嫌味ったらしい男の顔色は窺えない。けれど、背にしていた家の屋根から強襲をかけようとしていた忍に対し、咎めるように火炎を放った彼が実力者であることは、疑うまでもないことであった。
     相手の正体は分からない。首を寄越してきた御堂とも声が違う。けれど、里にとって、そして主にとって脅威足りうることが分かれば、サリヤには十分だった。

     

    「これも何かの縁だろうが、残念ながら貴様と戯れることは本来予定にはない。……だが、この辺で火遊びをするくらいの余裕はある。どれが当たりか、探す遊びだ。面白いだろう?」
    「全然笑えないわ……!」
    「おお、怖い」

     

     表情の読めない相手との間に、一種の膠着状態が生まれる。
     初撃をいなされた時点でサリヤが攻めあぐねるのも無理はない。彼女にとって、メガミの力を使う相手との戦いは、片手で数えられるくらいしかない。経験の無さは、深慮にて補うしかない。
     しかし、サリヤにとって時間は敵だった。主のことを知っているこの男を逃す訳にはいかないが、ここにほど近い倉庫に戦禍がいつ及ばぬとも知れない。

     

    「ジュリア様に手は出させない!」

     

     ヴィーナを唸らせたサリヤは、再び一直線に男へ向かう軌道を描いた。戦場の雑音をねじ伏せるような低い嘶きと共に、弾丸のような一撃と化す。
     対し、男は背を向け走り出しながら、後ろに回した右手から炎を生み出した。瞬く間に灼熱の壁が立ちはだかり、何人も越えられない領域がサリヤの行く手を阻む。
     だが、そこでサリヤは急激に左へ舵を切った。
     ヴィーナの常識はずれの機動力によって、右側を中心として生み出された炎壁を撫でるように左へ抜ける。

     

    「あ――っつい!」

     

     じり、と焼ける肌に耐えるサリヤは、突貫を諦めたわけではない。
     今まで後ろへ流していた鞭の剣は、突如の方向転換によって前を志向したまま。サリヤはそれを、ただ前へ送ってやるだけでよい。人の速さと機動だけでは成し得ない、獰猛な蛇の如き斬撃は、それだけで為された。
     燃え尽きつつある壁を切り裂いて、剣は赤面の男のうなじへ吸い込まれ――

     

    「残念」

     

     キィン、と。金属音を奏で、弾かれた。
     男の頭部は、いつの間にか桜色に透けた兜の幻影に覆われていた。

     

    「うそ!?」
    「危ない危ない。複製装置<護>――あいにく、私の手は一つだけではなくてね」

     

     悠々と振り返る赤い仮面の男に、もちろん傷はない。
     積極的な攻撃こそないが、こちらの攻撃もまた通らない。戦場に居続けるという目的に特化したような振る舞いに、サリヤは彼に弄ばれているような気にすらなっていた。
     そしてそれは、事実でもあった。
     多数の敵を持ち前の機動力で倒す――この戦場で今最も必要とされている能力を持つのは、間違いなくサリヤである。だが、こうして悪戯に時間を浪費させられては、この能力も腐っていると言わざるをえない。

     

    「くっ……」

     

     倉庫への進路を塞ぐようヴィーナを止めたサリヤは、徐々に焦りを募らせていく自分にさらに焦りを感じていた。
     そこへ、

     

    「む……!?」

     

     突如、赤面の男が警戒を露わに、サリヤの背後へ注視した。それは、まさに彼女の主がいるはずの倉庫の方角である。
     罠かもしれない、と思いつつも、案じる心は振り向くことを選んだ。

     

    「え……なに……?」

     

     赤面が目の当たりにしたものを見て、サリヤは呆然とする他なかった。
     倉庫の中から、膨大な桜色の光が溢れ出しているではないか。
     見守っているうちにそれは収束していったが、

     

    「キャアアアッ!」
    「ジュリア……様?」

     

     間違いなく、それは倉庫から聞こえる彼女の主の悲鳴だった。
     けれどサリヤはより心配を募らせるのではなく、困惑していた。その悲鳴は、凶器を突きつけられた悲鳴というよりも、長い間成果がなかった研究の実験が予想外にうまくいったときのような、そんな驚きの悲鳴に近かったからだ。

     

    「あああああもう……!」

     

     理解はできない。けれど、駆けつけないわけにもいかない。
     ヴィーナの腹を蹴ったサリヤは、赤面の男に背を向け主の下へと急いだ。

     

     

     

     


     決闘であれば、傷はつけられないものの、切った身体は物を断った手応えを返してくる。そしてそのまま振り抜くことができる。太刀筋が悪く、肉と骨に刀を巻き取られた、なんてことはそうありえない。
     ましてやそんな決闘において、あえて峰打ちを選ぶ必要は皆無に等しい。

     

    「い――ぃやッ!」
    「がっ……」

     

     翁面の女の腹を、強い踏み込みと共に切りつけた揺波は、三度目の悪手をもう一度払拭すべく、強引に振り抜いた。重厚な斬華一閃の峰打ちは鈍器の一撃に等しく、仮面の女は遠く吹き飛び、動くのをやめた。
     揺波が倒したのはこれで六人目。ミコトではあったが、ヒミカの炎以外にメガミの力は使ってこないことに揺波は気味の悪さを覚えていた。だがむしろ問題なのは、相手のミコトはむしろ少数派のようであることだった。そのことが、なお彼女にやりづらさを課している。

     

     メガミの力を扱うのに、結晶による守りがない、あるいは扱い得ない相手。決闘中、相手の結晶の力を測りながら戦う揺波にとって、相手がそれを持たないというのは本能的に加減をもたらしてしまう。遺跡の爪使いもそうだが、手練れであることがむしろ幸運だった。でなければ、揺波の手は致命的なまでに鈍っていただろう。
     そして何より揺波にとってやりにくかったのは、相手はあえて襲ってこないことだった。邪魔になりそうな者がいれば攻撃する、くらいの積極性で、むしろ逃げ回っているのは仮面たち叶世座のほうだと言っても過言ではなかった。

     

    「……!」

     

     火に包まれた里の中、次の相手を探し、辺りを見渡したところで、二人を相手取っている忍の姿を見つけた。先行していた藤峰だ。
     猛然と駆け出す揺波は、彼が飛び道具でうまく炎による優位を低減させていることに気づいた。しかし、彼の足元に無数に散らばる苦無や手裏剣が、じりじりと追い詰められているという事実もまた教えてくれる。

     

    「藤峰さん!」
    「天音か!」

     

     揺波の叫びは、二人の仮面の注目をひきつけた。その隙を突き、藤峰は一方の仮面へと肉薄する。もう一方の手前の仮面はどちらの対処を優先するか一瞬迷っていたようだったが、メガミを宿すという優位を持つ揺波には、それだけで十分であった。
     手前の仮面に至近した揺波は、迎撃の炎に対して、何もしなかった。いや、むしろ手前の仮面に対して、何も行動を起こさなかった。

     

    「はあぁッ!」

     

     そのまま駆け抜けた揺波は、藤峰の小刀を辛うじて捌いていたもう一人へ、仮面をぶち割るように斬華一閃を叩き込んだ。疾駆の勢いの乗ったそれは、あっという間に仮面の男に昏倒をもたらす。

     

    「なんと……!」
    「逃しません!」

     

     離脱を図る残された仮面は、慌てて牽制の炎を放とうとするが、鋭く姿勢を低くした揺波の切り上げによって、右腕が弾き上げられる。そのままさらに踏み込み、重い上段が仮面の頭蓋を撃ち抜いた。

     

    「ふん、やるな天音」
    「大丈夫でしたか?」
    「見ての通りだ。問題ない」

     

     そううそぶく藤峰の忍装束は、あちらこちらが焼け落ちていた。見える肌も赤く、左腕に至っては一目で火傷と分かる有様であった。
     それを指摘しようとした揺波だったが、倒したばかりの敵を見下ろしていた藤峰が、なんの前触れもなく向けてきた力の篭った視線に射すくめられた。藤峰は何か言いたそうにしていたが、深い深呼吸と共にそれを飲み込んだようで、表情からやや険が取れる。

     

    「人の心配をしている暇があったら前を向け。向こうの通りへの援護だ、行くぞ!」
    「は、はい!」

     

     燃えていない家々の間を縫い、藤峰と共に里の南北へ跨る東の通りへ出た揺波は、彼が傷を押してまで急いだ理由を悟ることになる。
     先程まで揺波が一人進軍していた里の西側も確かに被害が大きかったが、東のそれは煌々と炎の明るさに照らされるような絶望感に裏打ちされていた。まるで流れ作業のように外縁の木々を、家々を焼いていく仮面たちによって、大きな炎の壁ができているかのようだった。

     

    「くっ……!」

     

     弾かれるように飛び出した揺波は、多くの忍が抵抗する激戦区へ身を投じる。
     ヒミカの炎というあまりにも強力な手が向こうにある以上、忍に可能なのは藤峰のように遠距離で戦うか、人数差を生み出して電光石火で片を付けるか、そのどちらかであった。

     

    「はッ!」
    「……助かる!」

     

     若い忍と対峙していた仮面の延髄に峰を叩き込み、黙らせる。
     次に目についた仮面の女は、揺波に気づいて炎を向けようとするが、回り込む揺波の後ろには別の仮面が忍とやりあっている。その間一つ数えることすらできず、頭を横合いから殴りつけられ地に伏した。

     

    「森のやつは深追いするな!」
    「あッ、ああぁぁッ!! あづい!!! たすげで!!」
    「援軍はまだか!」

     

     だが、全体の数と、火力が違う。揺波がこの場において一騎当千の兵であることはおよそ間違いない。けれど敵兵とて雑兵ではなく、揺波が一人倒す間に失われるのは、一人の忍と一軒の家、そして里を隠す一本の樹であり、相手にとってはそれで十分なのである。
     奪われる一方。敵の総数すら判然としない。

     

    「つ、次……、は……」

     

     決闘とはまるで違う戦いが、揺波を焦燥で炙る。無理に峰打ちをしていたことも、彼女の体力を着実に奪っていた。
     揺波は戦いの達人ではあったが、より正確に言うならば決闘の達人である。繰り出した技に合わせられたときのために体捌きに余裕を持つことはするが、決闘の最中に次の決闘を意識して消耗を抑えることなどしない。決闘は、常に一対一の全力勝負なのだから。

     

     言うなれば揺波は、短い決闘を幾度も繰り返しているようなものだった。藤峰を手助けしたときも、各個撃破が真っ先に頭に浮かんだからそうしたまで。多数の敵と味方を俯瞰しての戦いの仕方を、彼女は知らない。
     故に、ザンカの力があったとしても、彼女一人では限界がある。
     一人奮戦したところで、多くの人、多くの物を、護ることはできない。彼女にできるのは、一本の刀で一人の敵に勝つことだけ。

     

    「はぁ……はぁ……」

     

     悲鳴と怒号、燃え上がる炎の叫び。桜花決闘とは程遠い惨状の中、まだ味方はいるというのに、揺波は急に独りになった感覚に襲われる。
     そこでふと、揺波は不思議な相棒のことを思い出した。

     

    「あれ……ぽわぽわちゃん……?」

     

     だが、旅の友の姿はどこにもない。
     温かみのあるあの桜色の光が、傍に居ない。
     すわ炎に巻かれたか、と心配になる揺波。だがそれよりもなお、この悲惨な戦場で本当に一人になってしまったようで、不安が湧き上がってくる。

     

     一人が勝ったところで、皆が負ければ意味がない。
     味方が倒れていく中、最後まで立っていたところで、揺波一人で残った敵全員を倒し切るなど不可能だ。揺波が参陣したところで、既に里の東側はオボロが死守を命じた中央付近まで侵攻されている。このままでは最後まで蹂躙されるだろう。それは明確な敗北である。
     勝てるのに、勝てない。理解はできるはずなのに、矛盾を突きつけられたように揺波の頭は真っ白になっていた。

     

    「うぅぅっ!!」

     

     それでも揺波は、敵に向かって走った。闘争本能に導かれるように、忍を屠る仮面へと。
     大局を動かすことができずとも、動かねば必ず負けるのだから。
     揺波には珍しい、大きく振りかぶった大上段。

     

    「ああああああぁァァッ!」

     

     威勢に気づいた仮面の男に、それを叩き込もうとして――

     

    「……!?」

     

     揺波の視界が、なくなった。
     否……桜色に、塗りつぶされた。
     仮面の男を、桜色の光の奔流が、飲み込んでいたのだ。

     

     

    「うおっ、なんだこれ!」

     

     戸惑う揺波が間合いを離す中、光の向こう側で仮面は慌てているようだった。時折、何かを追い払おうと振り回される腕が見え隠れする。
     彼を覆っていたのは、翅を持つ桜色の光球――その大群であった。次から次へ突撃していく光の玉が、あまりの密度に桜の光条を成しているようですらある。威力はさほどなさそうであったが、突然の出来事に仮面の男は混乱をきたしている様子だった。

     

    「えっ……」

     

     突撃の流れには、源流もあった。見知った友とあまりによく似た造形に、揺波が驚きと共にそれを目で追うと、家と家の間にそれはあった。
     ……いや、それは『居た』。

     

     それは、少女だった。淡い桜色を基調とした着物に袖を通した、黒髪の少女。背丈は揺波より目線一つ分くらい低い程度だろうか。口を固く結び仮面たちを睨んでいるが、あどけない顔では迫力に欠ける。
     まるで、苦戦している揺波という姉を助けに、ちょっと背伸びして駆けつけた妹のよう。

     

    「だ、誰だ貴様はッ!」

     

     別の仮面が、出現した新手に激昂する。ただ、敵味方問わず、彼女に気づいたこの場の誰もがこの時ばかりはその問を胸に抱いていた。
     襲撃者も、忍も……そして、揺波も。
     全員の視線を一身に集めた少女は、その控えめな胸を張り、腰に両手を当てながら……さも当然だと言うように、こう答えた。

     

     

    「ぽわぽわちゃんです!」

     

     

     

     

     

     

     おや、どうしたんだい。そんな鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして。
     なんてね、冗談さ。君の気持ちも分からなくはないよ。確かにこの時点では、彼女は意味不明の存在だ。
     しかしカナヱは言ったはずさ。いつだったかな? そうだ。サリヤ・ソルアリア・ラーナークの紹介をした時だよ。英雄たちにとって、欠けた席は残りひとつ。そして彼女が目覚める時、英雄譚は真なる意味で始まる、そんな具合にね。そう、あの時にこそ、天音揺波は英雄となるべく、決定づけられたといっても過言ではない。

     彼女はあの時点で、天音揺波のもとに眠っていた。そして氷雨細音との戦いを経て目を覚まし、そしてこの騒乱の中で、いよいよ覚醒となったというわけさ。

     彼女の正体については、君ほどのものならば想像はできているかもしれないね。流石に委細は捨て置くとしても。まあ、慌てなくてもこの物語の中で明らかにはなっていくよ。少なくとも、次回の時点で語らせてもらうこともあるだろうね。

     むしろ君は、今感じている予感を確かなものにしたいんじゃないかな?


     ああ、もちろんそれは正しいとも。
     彼女はこの英雄譚の最後の欠片であり、そして今この瞬間、君の戦う舞台においても最後の欠片だというわけさ。

     今は多くは語らない。それよりも感じるといい。
     彼女の力、その片鱗を……!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第四巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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