『桜降る代の神語り』第40話:滲む平穏

2017.11.03 Friday

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     こうして闇は蠢き、世界は塗り変わった。
     気づいた者もいる。気づかなかった者もいる。多くは後者であり、天音揺波もその一人だ。
     目の前で倒れたハガネこそが、彼女にとってその時一番重要だったんだからね。

     

     幸いにしてハガネは数刻のうちに回復し、問題なく歩けるようにはなった。
     それでもこの現象は二人にとって謎でしかなく、解を求めるのは必然と言えよう。
     ハガネはそれを、知己の賢人であるオボロに求めた。図らずとも天音揺波の歩みは、確かに忍の里への帰路と相成ったわけだ。
     そして同日、近くの町へ辿り着いた彼女の一幕を語ることにしよう。

     

     


    「ゆりりん……」
    「……はい?」
    「そっちのお団子一個ちょうだい!」

     

     揺波の味噌餡団子に好奇の目を輝かせていたのは、けろっとした様子のハガネだった。
     御冬の里の手前に位置するこの町は、雪景色が日常となる地域に向かう最後の宿場である。宿場と言っても北行きの人間はそう多くないため、中心街に旅籠がいくらか並んでいるだけで、少し外れたところへ目を向ければ、川を挟んで南北に別れただけの普通の農村である。
     宿のあてをつけた揺波は、茶屋の軒先で、この町おすすめの団子をハガネに振る舞っていたのであった。

     

    「じゃあハガネさんの草団子と交換っこしましょう」
    「やった! じゃあ……はい」

     

     

     三つのうち一つ食べてしまった草団子を揺波に差し出すハガネ。彼女の装いは、揺波と決闘した際のそれではなく、揺波と並んで違和感のない程度に着崩した、どこにでもいるような村娘の格好である。巨大な鉄槌もなければ、左手の篭手もない。
     揺波はちょっと迷ってからがぶりと食らうと、白い生地の中に味噌餡の包まれた団子を、同じようにハガネへ差し出した。ハガネは、中途半端に噛んだせいで垂れた餡を手で受け止めつつ、最後まで頬張る。

     

    「うーん……初めて食べたけどなかなかだね」
    「ですよね! みたらしとは違った甘じょっぱさがまた癖になるんですよ。このあたり、いっぱい田んぼがあったので、きっといいお米で作ってるんでしょうねぇ」
    「そうだねー。ぱっと見ても良さそうな土地だし、美味しいのも納得!」

     

     からからと笑うハガネにつられ、揺波も顔を綻ばせる。
     そんな中、串に一つだけ残った揺波の団子に、桜色が差した。

     

    「あれ、ぽわぽわちゃんも食べたいんですか?」

     

     問う揺波をよそに、光は団子の様子を窺うように行ったり来たり。表へ裏へ覗き、そっと近づいて触れたと思えば、輪郭を大小させていた。
     どうも食事はできなさそうなそれに苦笑しながら残りの団子を口に運んだ揺波に対し、ハガネはその忙しない光球を温かい眼差しで見つめていた。

     

    「ぽわぽわちゃん……って言うの? その子」
    「そう……ですね。わたしが勝手に呼んでるだけなんですけど。この子のこともよく分かんなくて、オボロさんに聞いてみようと思ってるんですよね。ハガネさんは、この子のことどう思います?」

     

     それにハガネは、んー、と指を口元に当てて考えてから、

     

    「ずるい」
    「……決闘のときは、その、ごめんなさい」


    「あはは、冗談だよ。でも、悪い気は全然しないなあ、ぽわぽわちゃん。むしろ……なんていうか、親近感を覚えるんだよね。近くにいると安心するっていうか……そうだねー、メガミっぽい? じゃないかな」
    「随分とあやふやですね……」
    「まあ、仮にメガミの力だったとしても、知らないメガミのだろうしねー」

     

     最後の一つを歯でこそぎとるように収めたハガネは、串を弄びながら続ける。

     

    「あたしの一撃を打ち消したあの力、知ってる誰のとも違ったし。――どっちにしろ、今のあたしに分かるのは、その子がいい子ってことだけかな。桜の根で寝てるときみたいな暖かさがする。そんな子が悪い子なわけないよね」
    「おぉ……よかったですね、ぽわぽわちゃん! ハガネさんのお墨付きをもらいました!」

     

     喜ぶ揺波の頬に、当の本人は団子を容赦なく食った恨みとばかりに体当たりを繰り返していた。綺麗に食べ終わった団子の串で応戦の構えを取る揺波にも、果敢に攻め入る。えいやえいや、と振るわれる串の剣を機敏な動きで避けていく。
     遠目に見ている分には、ひらひら舞う小鳥と微笑ましくちゃんばらごっこをしているようになんとか見えなくもない光景。ただ、通り沿いでそれをする揺波は、弱った姿で騒ぎになってはまずいから、とハガネが変装したことなどとうの昔に忘れているようである。

     

     と、

     

    「ミコトが逃げただぁ?」
    「……?」

     

     呆れた男の声が、揺波の耳に入った。店内からである。

     

    「じゃあ今年はどう水引くか、どうやって決めたんだ? 代役もおらんだろうに」
    「そりゃあ、戦わずして勝った我ら北が優先よ。んだから、うちらとしては悪い気にはならんのだけども、祭は白けちまってなあ。皆早々に帰っちまってよ。本当だったら今頃宴会の支度さ忙しいはずだのに、こうしてオレも湿気た面、店に並べとるわけ」

     

     答えるもう一方の男の声は、ここの店主のものであった。彼は、先の男とは違い、その声音には呆れではなく、怪訝を多分に含んでいた。
     北の地は南ほど決闘文化の衰退は見られず、村々の争いの解決に決闘が用いられることはまだ多い。それが伝統として根強く残っている地域も存在しており、行事の一つとしてお祭り騒ぎになることも珍しくない。

     

     もちろん、揺波にとって決闘から逃げるなど言語道断である。彼女にしてみれば、天音のために戦っていた時期に、その役目を放り出して逃げるようなもの。憤りもそうだが、何よりもったいないという意識も先に出る。
     ただ、そうやって心の中で憤慨していると、

     

    「あいつ、今朝まであんだけ調子良いこと言ってたのに、いざ、ってぇときに急に逃げやがって、いっそ気味悪ぃよ。二年連続でうちのを負かした勢いはどこ行っちまったってんだ」

     

     からん、からり、と。
     それは、ハガネの手から、串が椅子へ、そして地面へ落ちた音だった。

     

    「落ちましたよ?」

     

     拾い、皿に戻した揺波は、ハガネからなんの反応もないことを、ややあってから悟った。

     

    「ハガネさん……?」

     

     そして、訝しがりながら顔色を窺う。
     その眼差しの先にあったのは、確かにハガネではあった。でもそれは、快活さを溢れさせた童女の姿ではなかった。
     目を開いたまま、定まらない焦点で地面を見続けるハガネは、談笑していたのが嘘のように無表情が張り付いていた。だがそれも、内から湧き出る感情を圧し殺しているように力んでいて、事実、溢れた何かは強張った肩に否応なく現れていた。

     

    「あの、大丈夫ですか……?」
    「ぁ――う、うん、大丈夫!」

     

     肩を揺すろうとした揺波の手が届くより早く、ハガネは元の笑顔を見せる。
     これでもハガネは一応病人のような立場である。揺波はそれが分かっているから、また倒れるんじゃあないかと心中穏やかではなかったが、太陽のような笑顔を見せられては不安も晴れるというものであった。
     だが、その太陽の陰、腿の上で握られていた小さな拳の微かな震えを目にすることは、揺波にはできなかった。

     

    「お団子食べれば元気いっぱいですからね! でも、そろそろ日が落ちて寒くなってきましたし、お宿に戻りましょうか。病み上がりなんですから、今夜は暖かくして寝ないとですね」
    「うん……」

     

     気のない返事を待たず歩き出す揺波の後ろを、ぎこちない笑顔のハガネが続く。

     

    「まあ、ぽわぽわちゃんのことはオボロさん頼りということにしちゃいましょう。寄り道しなかったらそんなにかかりませんから、あれこれ考えるより歩くほうが先です。――あっ、そうだ。ぽわぽわちゃん、一緒に寝るとほのかに暖かくていいんですよ! 今晩貸してあげます!」
    「あり、がと……」

     

     応えるハガネの意識は、もう揺波に向いていなかった。いや、向けようとして、どうしても頭から離れない想像に遮られていた。
    自分の首を大斧で分かたれるような、そんな悪寒。
     そして、それが比喩にしては気持ち悪いほどに的を射ているかもしれないという、予感。
     大地を見つめながら揺波を追うハガネには、その背中を呼び止めて、自分を襲う嫌な想像を聞いてもらうことなんてできなかった。

     

     地面に転がった石へ手のひらを翳したところで、今の彼女には満足に動かせない。じとり、と滲んだ脂汗が冷えるだけで、数刻前に地面を耕していたのが嘘のよう。
     微かな力を与えられて震える小石は、まるで今の無力な彼女そのものだった。
     大いなる大地の力で様々な些事を振り払ってきたハガネは今、見た目通りの童女でしかないのだ。

     

    「…………」

     

     けれど、小さく下唇を噛むハガネは、自身でそれを分かっている。分かっていて、そうであって欲しくないという矛盾した想いもまた、抱えていた。
     今、自分は、メガミは――いや世界は、前代未聞の事態に見舞われているのではないかと。
     この矮小な顕現体を捨てて帰ることに恐ろしさを感じるほどの何かが、起きてしまっているのではないかと。

     

     いずれにせよ選択肢を持たないハガネは、いつの間にか開いていた揺波との距離を、小走りに詰める以外にできることはなかった。
     駆け出すその一歩が、小さな身体に、とても重く感じられた。

     

     


     彼女らの旅は、表面上では穏やかで楽しげなものである。
     しかし、轟く影は静かに忍び寄り、彼女らの足元をじわじわと腐らせている。
     目指すは再び忍の里。そこで得られるのは、安堵か、平穏か、それとも……?

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第四巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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