『桜降る代の神語り』第37話:メガミへの挑戦

2017.10.20 Friday

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     尋常ではない気を伴って、道端で呼び止められようものなら、次の瞬間には鍔迫り合いになっていてもおかしくない。
     けれど、天音揺波を呼び止めた童女はこれでもメガミだ。辻斬りなんかじゃあない。
     正しく相対するには、当然手段も相応のものを用意する必要があるだろう。
     そうして設けられる一席で、天音揺波はメガミという存在にどう向き合うのだろうね。

     

     


     目と鼻の先だった町を尻目に、背の高い針葉樹に覆われた小さな山を登ることしばし。陰気な山道を抜けると、幾分と開けた中腹が顔を見せる。これより先は、大地を東西に分断する山脈に繋がっており、気軽に臨めたものではない。
     無論、先導していた童女の足も止まった。

     

    「あなたはあっちね」

     

     神座桜の前で。

     

    「え……」

     

     桜の向かって左側へすたすたと歩いていく童女に、揺波は抗弁することができなかった。
     ここに至るまで、揺波が聞いた最後の言葉は『着いてきて』というもの。普通であれば不可解に過ぎて逃げ出すが道理だが、有無を言わせない童女の圧力の中で拒むことなどできようはずもない。ちろちろと、揺波の胸中に燻る炎もまた、その一助となっていた。

     

     揺波にとって神座桜とは、言うまでもなく決闘の舞台である。何者かと相対する状況下でそれを前にしたら、右手側か、左手側か、いずれかに粛々と歩を進め、相手と向き合う。それが揺波の当然である。
     しかし今、揺波の足は動かない。
     相手となるミコトが、この場に存在していないからだ。
     揺波をここへ連れてきた存在は、あくまでメガミである。

     

     と、そんな揺波の様子を見たのか、童女は緩く握り込んだ右手を横に突き出し、空に向けて開き、そして――

     

    「――!」

     

     次の瞬間には、彼女の手には大きな鉄槌が握られていた。まるで手のひらの上に極々小さなそれが乗っており、瞬く間に童女の背丈ほどの大きさに膨らんだようであった。
     左手の篭手と同じ、緑青を基調としたその大鎚。片面には、胴よりも大きな鐘のついた、奇妙なそれ。
     揺波には、その鉄槌に見覚えがあった。

     

    「その武器……もしかしてあなたは――」

     

     問いながら揺波は、粛々と童女の対面に向かって歩いていた。答えを待つまでもなく、それはまさしく最強の名を冠していた男の顕現武器であり、そして、相手がメガミということが正しければ、象徴武器ということになる。
     桜の下で振るうべき武器を桜の下で向けられた以上、揺波は位置につかざるを得なかった。

     

    「うん。あたしはハガネ。たっつー……あぁ、龍ノ宮一志に大地の力を貸してたメガミだよ」

     

     そう名乗ったハガネは、伏せがちに揺波を見やっていた。睨むというほどではないが、その瞳には暗いものがなかったかと言えば嘘になる。
     ヒミカのような殺意はない。だが、快活そうな見た目とは裏腹に、やや澱んでいる。
     そんなハガネが、相対するという意志を持って桜花決闘の舞台に導いた以上、問われるべきは一つしかない。

     

    「龍ノ宮さんのことは――」
    「あー、待って待って。言わなくていいよ」

     

     立場を明確にしておこうと口を開いた揺波を、けれどハガネは左手で制止した。

     

    「あたしはね、分からないの。たっつーが死んじゃったのはなんでか、色んな人が色んなことを言ってる。だいたいは、アマネユリナが悪い、って話だったけど……でも、あなたはたっつーのお気に入りだったってことも知ってる。だから、あたしには分からないの」
    「…………」
    「あたしはたっつーを信じたい。たっつーが信じたアマネユリナを信じたい。信じられるなら、そんなややこしい話なんてすっ飛ばして、あなたを信じられる。けど、あたしはあなたのこと、まだ知らないってことに気づいて」

     

     自分の身の丈ほどもある大鎚を、軽々片手で揺波へと向ける。

     

    「だから、あたしはあなたと決闘がしたい。決闘で、あなたのことを知りたいんだ」
    「わたしを……」
    「たっつーも、きっと……きっと、こうすると思うから」

     

     その言葉には、どろどろとした感情は含まれていなかった。眼差しもまた、純粋にただ揺波へと注がれる。
     真っ直ぐな意志に、揺波はもう必要以上に言葉を返すことはなかった。

     

    「我らがヲウカに決闘を……!」

     

     顕現させた斬華一閃の切っ先を向けることで、返答とする揺波。
     あの日について、体験してきたこと、考え続けてきたこと、知ったこと、それらをハガネに語るのは容易い。メガミに決闘で勝利するよりもずっと簡単だろう。だが、それで納得してもらうことは、勝利よりもなお遠い果てにある。
     意志を請われれば、意志をぶつけるだけ。
     その点、揺波は目の前の小さなメガミに親近感すら湧いていた。

     

    「じゃあ……行ってみようか!」

     

     その親近感も、この時この瞬間からは邪魔なものでしかない。
     己を主張するために、メガミに刃を向ける。その大事の渦中に身を置いた揺波は、静かに切っ先の向こうにハガネを見定めた。
     ――メガミへの挑戦が今、始まる。

     

     

     


     巨大な鉄槌による近接戦での圧倒的な打撃力。それは龍ノ宮戦で身に沁みていたことであり、銃によってその打撃圏内に引きずり出される戦術には苦戦を強いられた。だが何よりも厄介だったのは、後退による遠心力と共に鉄槌を巨大化させ、間合いと威力を得たことであった。
     身なりこそ童女であるが、ハガネはその槌を得物とするメガミである。必然、苦汁をなめさせられた中、遠距離への強打を警戒し、揺波は間合いを測ろうとしていた。

     

     だが、ハガネが選んだのは、前のめりとなった迷いなき前進であった。

     

    「な……!」

     

     その疾駆の最中、己も宙に浮きながらくるりと縦に一回転、鉄槌が振るわれる。揺波に直接届く間合いではないが、打撃したものは確かにあった。
     砂。そして、大気。
     凄まじい膂力で振り切られた鉄槌によって巻き上げられた砂塵が、揺波の視界を奪う。

     

    「ほらほら、ぼーっとしないでよ!」
    「くッ……!」

     

     咄嗟に揺波は、目を細めながら砂塵へと突っ込む。自分の手が封じられている状況で、自分より間合いの広く情報で優位に立つ相手に対し、間合いをとる選択はかえって危険である。
     身を打つ弾丸のような砂に守りの結晶が削られる。けれどその結晶は、ただ身を守るために消費したのではない。

     

    「いぃぃやッ!!」
    「っと」

     

     強い踏み込みと共に最上段から振り下ろした刃が、跳び上がっていたハガネの脚を掠めた。砂塵の残りと共に、ハガネの守りもまた一つ削られる。
     揺波が守ったのは、己の目である。文字通り目の前に結晶の盾を配することで、目を開けていられない砂塵の中で、辛うじてハガネの姿を捉えることができていた。

     

     対するハガネは、僅かであるが反射的に回避の姿勢を取ってしまったため、振りかぶっていた鉄槌を満足に振り下ろすことができない。
     そこで彼女が採ったのは、振るのではなく、下ろすだけ。
     跳び上がった状態で鉄槌を巨大化させれば、あっという間に大質量の打撃力が生まれる。

     

    「どーん!」
    「っ……!」

     

     一回りも二回りも大きくなった鉄槌は、ただ地面に落ちるだけで山を揺らす。直撃こそしなかったものの、間近で大地を砕かれた揺波は大きく体勢を崩した。
     しかし逆に、ハガネもまた落ちた鉄槌の柄にぶら下がったままであり、無防備に間合いに入っている。
     ここは、好機に他ならなかった。

     

    「っく――」
    「えっ……」
    「――ぁぁぁッ!」

     

     大地に縫い付けるように踏ん張り、下段にまで振り切っていた刃を、居合の形で無理やり振り上げる。
     果たしてそれは、身を捩ったハガネが回避しきる前に、胸へ深々と吸い込まれていき、結晶の霞を吹き散らした。

     

    「おぉ……!」

     

     咄嗟に鉄槌を元の大きさに戻し、地面を突いて己の身を後ろへと送るハガネ。地に足を着けると同時、勢いを稼ぐように後ろへさらに跳躍する。
     すぐさま追おうとする揺波であったが、ハガネは彼女の追従を拒絶するかのように、鉄槌を振り回しての回転を始めていた。一回転、二回転と重ねていくごとに、大地を砕いたそれよりもなお大きな槌へと変貌していく。

     

    「大・天・空――!」

     

     

     最も警戒していた、最も強烈な一撃。
     しかし揺波がこの技を受けるのは、これで二度目である。一度目までに対策を練り、一度目を辛うじて捌いたその後、もう一度受けることを考えて、胸中で幾度も対策を重ねてきた。

     

     相手は、存在からして一度目より格上。だが、全てが上位というわけではない。銃弾の雨をかいくぐった傷はなく、攻撃の流れはより素直である。
     そして何より、今の揺波に気負いはなく、武神ザンカの威風を完全に使いこなしている。
     故に――この帰結は、明々白々。

     

    「吹き荒れよ、嵐の如く!」

     

     

     先程の砂塵と遜色ない暴風が、瞬く間に戦場へ吹き荒れる。それは、最後の回転の半ばであったハガネの上体を揺らし、地面と水平だった鉄槌の軌道が僅かに空へと反れる。
     すかさず体勢を限りなく低くし、前傾の姿勢のまま、左腕に結晶を集中させた揺波は、まるで弾きあげるように鉄槌を受け流した。

     

    「――ッくっっ!」
    「うわ……!」

     

     打撃の軸を完全に外されてしまったハガネは、暴れる鉄槌に身体が持って行かれる前に、慌てて鉄槌を小さくする。
     が、それでも対策を積んだ揺波の前では、遅い。

     

    「やぁぁぁッ!!」

     

     切り込み、突き出し、斬り払う。
     鈍重な槌では防ぎきれない連撃によって、ハガネの身体から桜色の塵が傷の証として数多飛び散っていく。

     

     大きな有効打に、刀を握る揺波の手がいっそう力を孕む。
     この戦況、メガミ相手に十分戦えていると言って相違なかった。メガミという強大な存在を前に無力さを覚えたことのある揺波には、望外の状況である。
     このままいけば勝てる。
     自分の実力は、メガミとさえ戦える位置に来ている。
     勝つこと以前に、戦うことすら無謀だと考えていた揺波は、その事実にえも言われぬ喜びを感じていた。

     

    「ねえ――」

     

     けれど、

     

    「ダメだよ?」

     

     にっ、と歯を見せ、不敵に笑うハガネを相手に、それは命取りだった。
     油断にすらならないほんの僅かな気の緩み。それは、人にとっては些細であっても、メガミにとっては十分すぎる隙。

     

    「ほいっ」
    「――!」

     

     刀が、軽い返しの利いた篭手によって大きく外側へと反らされる。
     効果的な一撃を叩き込むことに集中していた揺波は、あえてその連撃を身体で受けきっていたハガネの篭手の妨害を、きちんと捌くことができなかった。しびれる手が、動きは小ささに似合わないハガネの力強さを物語っていた。
     意趣返しでもされたように動きを乱された揺波。それを尻目に再び飛び退るハガネであるが、同時、揺波が力の発露の刻までその身に宿し蓄えていた結晶が、吸い寄せられるようにハガネへと向かっていく。
     そして結晶を纏い、行われるは、無論――回転。

     

    「いっくよぉーっ!」

     

     一回転、二回転。三、四、と速度と大きさを得ていく鉄槌。
     再び、あの大技が来る。轟と風を切る大鎚は、揺波の身の丈ほどとなって暴力を形作る。
     けれど、揺波にとってこの技は三度目だ。防ぎ、捌いたからこそ、分かる。未だ五体満足な己を信じ、恐れず前へ出ればいいのだと。痛打を受けたところで、自分よりもなお多くの結晶を失っているハガネに至近し、さらなる一太刀を浴びせればいいのだと。
     だから、一歩前へ。迷わず、揺波は踏み出した。

     

    「だいッ――」
    「……!」

     

     だが、図らずともその足は、止まる。
     ハガネが、踏み切って、跳躍していた。

     

    「せんッ――」

     

     ひたすら後ろへ体重を運びながら、回転を続けていたハガネは、宙空でそれを縦とした。
     揺波が軽く見上げるほどの高さまで余裕を稼いだその身は、振り下ろした鉄槌を後ろに流す傍ら、次には叩きつけられるように半分捻っている。
     その高さでは、いくら人の背丈ほどの鉄槌でも、届ききらないだろう。

     

    「は……?」

     

     その現実味のない光景に、揺波は思わず言葉を漏らしていた。
     ハガネが後ろへ送った鉄槌は、地面を掠めたその直後から、遠心力を急に吹き込まれたように、膨張、伸長していた。

     

     ハガネの後ろには、東西を分ける山々が連なっている。
     そこに、ハガネの超巨大鉄槌が、堂々と肩を並べていた。

     

    「くうぅぅぅぅーーーーー!!!!!!!」

     

     

     背面から振り下ろされる鉄槌は、空をも覆う。
     天蓋が欠けて、落ちてきてしまったような、そんな冗談じみた一撃。旋回による遠心の力に加え、先程大地を砕いたような落下の力も加算されたそれは、人の身はおろか、どんなミコトであっても、まともに喰らえばそれだけで押しつぶされてしまうだろう。

     

     これが決闘でよかった、と呆然とする揺波は思う。
     メガミ相手に優位に事を進めているなどという驕りは、来るこの一撃によって粉砕されるに違いなかった。手応えを感じる以上のことを覚えてはならない……とても小さな、しかし大きすぎる過ちの対価は、そう胸に刻みこむのに十分過ぎた。

     

     その断罪を、甘んじて受ける。
     決闘人生で初めて敗北の覚悟を決めた揺波を、影が覆い尽くした――

     

    「っ……!」

     

     その時である。

     

    「ぇ……」

     

     影は、晴れた。
     揺波の左手から生じた桜色の光が、巨槌の影を払拭していた。

     

     それは、周囲をも照らす光量を凝縮したように収束すると、すぐさま揺波の全身を覆う。
     揺波を守るように。

     

     そして――衝撃。

     

    「うそ……」

     

     それに打ち砕かれたのは、ハガネの自信だった。
     山のようになった鉄槌の打撃は、確かに揺波に届いた。しかし、それだけで終わった。
     打撃したことによる衝撃は起きなかった。
     やや左上から打ち下ろされていた鉄槌は、揺波の頭上僅か拳一つ分のところで、止まっていた。彼女の髪の毛一本、揺るがすこともできずに。

     

    「なにが……?」

     

     呟く揺波に合わせたように、彼女を覆っていた光は霧散した。左手も、いつもと変わらないただのミコトの左手である。
     それを皮切りに、鉄槌は力を全て使い果たしたように、揺波の傍にずり落ち、胴を地面に投げ出した。取り付けられていた鐘が、ひどく鈍い悲鳴のような音を上げ、地面は唸りを上げたように揺れる。

     

    「はっ――!」

     

     唖然としていた両者であったが、未だ決着がついていないことにいち早く思い至ったのは、揺波であった。彼女の勝利への執念は、対処不可能な一撃が除かれた時点で、勢いを取り戻していた。
     駆け込む揺波に対し、ハガネの行動は限られる。大きくしすぎた鉄槌を手中に収めるまでの間があれば、揺波が距離を詰めるには容易かった。

     

    「たあぁぁッ!」

     

     そのまま駆け抜けるように、一閃。
     胴を薙ぎ切った斬華一閃が、散る桜の残滓を纏う。
     だが、ハガネが倒れる気配はない。先程のように受け止める余裕がまだあったのかと驚愕するも、揺波のやることは変わらない。
    もう一撃、叩き込む――!

     

    「――参った」
    「……!」

     

     振り向きざまの大上段が、ハガネの後頭部すれすれで止まった。
     ハガネは、その姿勢を保つ揺波へと振り向く。そして、おどけたように小さく舌を出して、

     

    「負けちゃった」

     

     そう、揺波の勝利を告げたのであった。

     

     

     


     砕いてしまった地面に向かってハガネが手をかざすと、割れ目から土が湧き上がってきた。それから自ら耕しているように、地面が脈動する。
     その様子を眺めながら、不可解な決着に未だ気を張っている揺波に対し、

     

    「あたし自身はまだ大丈夫だよ? でもさ、ミコトだったらもう結晶がなくなってるよね? 決闘を申し込んで、決闘の作法に則って、決闘をしたんだから、その勝敗はキミたちミコトの基準じゃなきゃ」
    「じ、じゃあ……」
    「だから、もうそんな怖い顔しないでよ。十分、分かったからさ」

     

     その言葉に、揺波はようやく肩の力を抜いた。役目を終えた斬華一閃が桜の花びらとなって消えていく傍ら、じわりと湧いてくる勝利の感覚を味わっていく。けれどそれはあくまでこの決闘の本題ではないことを、ハガネの一言によって思い出していた。
     地面を均し終わったハガネが、困ったように頭を掻きながら、揺波に向き合う。

     

    「うーん、ほらさ。話を聞いて分かってあげられるか分かんないから、こうして戦ったわけだし……分かったんだけど、何がどう分かったのかは、うまく言えないんだよね」
    「あー、それならなんとなく分かる気がします」
    「でしょでしょ? ……うん、そうだよね。たっつーが気に入ったんだったら、あたしが嫌いになれるわけないよね」

     

     鉄槌を手のひらに乗るまで小さくし、帯の中にしまいこんだハガネ。
     次に彼女は――揺波へ頭を下げた。

     

    「疑ってごめん!」
    「えっ、えっ……そんな!」

     

     すぐに頭は上げられたが、メガミに頭を下げられる経験などそうあるものではない。うろたえてどう返したものか思いつかない揺波に、言葉を継ぐ。

     

    「たっつーを、皆が言ってるみたいに卑怯な方法で殺しちゃうなんて、キミの太刀筋からは全然想像がつかない。ごめんね、信じられないからって、こんな試すような真似して」
    「いえ……こちらこそ、その、ごめんなさい」
    「あー辛気臭いのはナシ! いいのいいの、別に復讐しにきたとかそういうやつじゃないし。たっつーの気に入ってたユリりんが、そういう人じゃなかったって分かったんだもん、それでいいよ」
    「ユリりん……? ――わっ、ぽわぽわちゃん!」

     

     妙な呼ばれ方をしたが、突如、今まで鳴りを潜めていた旅の友が現れた。それは実に嬉しそうに揺波の周りを飛び回っている。その渾名の響きが気に入ったとでも言うように。
     ただ、この存在をハガネにはなんと説明したものか。そう少し困った揺波だったが、ハガネはふざけ半分で頬を膨らませ、揺波の傍らの桜色の光へにじり寄っていく。

     

    「あっ、そうだ! ユリりんそれずるいよぉ」
    「ずるい、ですか……?」
    「そうそう、さっきの大旋く――」

     

     言葉は、そこで打ち切られた。
     声音を断ち切る刃があるのなら、その業物によって成されたのかと思うほどに。

     

     がくり、と足を踏み出していたハガネは、突如全身の力が消失してしまったかのように、体勢を崩した。
    糸が切れたように。
     童女の身体が、生々しい音を立てて、顔から地面に倒れた。

     

    「はがね、さん……?」

     

     うめき声の一つ、聞こえない。
     あまりに突然の出来事に理解が追いつかない揺波であったが、今は決闘の直後である。死闘を繰り広げた後には何があるか分からないし、本人は否定していた上、メガミである以上薄い可能性だが、万が一ということもある。

     

    「ハガネさん! ハガネさん!」

     

     駆け寄り、背中を揺する。反応はない。
     それがもどかしくて、うつ伏せになっていたハガネを仰向けに横たえる。
     半ば祈りながらハガネの顔を見やると、意思も感じられない有様であったが、それから肩を乱暴気味に揺さぶっていると、目に光が戻ってきた。

     

    「大丈夫ですか!?」
    「ぁ……ぅ……」

     

     応じようとする意思もある。だが、喉を震わせるだけの力もなくしてしまったように、明確な声を発することができていなかった。
     目を泳がせながら発声を繰り返していくうち、ようやくまともな音が生まれる。

     

    「……ない」
    「え? なんですか!?」
    「……ないの」

     

     あまりにか細いその声に、揺波は耳を彼女の口元まで近づける。
     その声は、聞き取ることが難しくとも、震えているということだけは、はっきりと分かった。

     

    「立て、ない」
    「どこか、お怪我を……!?」

     

     揺波の問に、ほんの僅かに動かせるようになった頭を、左右に揺らすハガネ。
     そして彼女は、自分でも何を言っているのか理解しきれていないといった声音で、こう答えた。

     

    「あたし、の、ちから…………なくなっちゃった……」

     

     山の冷えた風が、びょう、と揺波の首筋を撫でていった。

     

     

     


     天音揺波は、決闘という意味でも、遺恨という意味でも、その因縁を消化した。
     こうして彼女はまた一つ、しらがみから解放されたと言えるだろう。
     しかし、消化されたとしても、その因縁の痕は更なる因縁の種になる。
     天音揺波の因縁の行き着く先は、果たしてどこにあるのだろうか。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第四巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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