『桜降る代の神語り』第31話:異文化座談会

2017.08.04 Friday

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     異国の救世主と共に、難敵を退けた天音揺波一行。
     取り返しのつかない傷こそなかったものの、治療が必要なこともまた道理。
     一番近い里の医者の下へ駆け込んだ五人と鉄の獣に、奇異なものを見る目を向けられたのはご愛嬌というものだ。
     結局彼女たちが一息ついたのは、翌日の夕刻、旅籠での食事時だった。

     

     


    「なんだか、久しぶりにまともなご飯を食べている気がします……!」
    「俺、むしろ落ち着かないんだけど……」

     

     姿勢を正し、膳に向き合う浴衣姿の揺波は、柔らかい白米と一緒に喜びを噛み締めていた。
     本殿跡のある咲ヶ原はあまり人のいない土地であるが、西から岩切へ向かう通り道にあるこの地は宿場町として賑わいを見せている。旅人の多くは岩切で湧く温泉での湯治が目的で、中には当然金払いのいい者だっている。彼女たちが泊まっているのは、そんな客を見据えた、里でも上等な旅籠だった。

     

    「ガキの使いの忍にはまだ早かったか。なんなら、外でヴィーナの見張りでもしているか?」
    「ありがたくご厚意に甘えさせていただきますっ!」

     

     揺波の隣で飯をかきこむ千鳥。いかに佐伯の身の上を怪しんでいると言っても、この場にいる全員の宿代をぽんと払った上座の彼の前で、下座の千鳥が文句など言えるはずもない。
     そんな佐伯であるが、漬物を掴む箸先が震えている。背中の傷は処置こそされたものの、後は回復力に任せる他なく、右上半身の動きのぎこちなさは如何ともしがたい。細身の身体に巻きつけられた包帯が痛々しく、額には脂汗が滲んでいる。

     

    「あの……辛いようでしたらお手伝いしましょうか?」

     

     そんな様子が見ていられなくなったのか、千鳥の正面の席のサリヤは、ジュリアの代わりに焼き魚をほぐしながら慮る。

     

    「いえ、お気遣いなく。この程度でへばっていてはライラ様に顔向けできません」
    「そうですか……サエキさんはジュリア様を救ってくださった恩人なんですから、なんでも言ってくださいね」
    「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……あの鉄の獣は一体なんなのか、そしてあれを作り上げた貴方たちは一体何者なのか、教えていただけないでしょうか」

     

     軽く笑みを交えて問うた佐伯が目配せする先には、興味津々な揺波と千鳥の姿がいる。サリヤはしてやられた、と苦笑いを零した。
     ただ、許可を求めて顔を向けたときには、箸との格闘を続けていた彼女の主は、問われたのだから当然返すのだ、と言わんばかりに答え始めていた。

     

    「ヴィーナの基本は、蒸気機関を動力源にした二輪車デス。馬に引っ張らせる代わりに、水蒸気のチカラで車輪が回ります。デスガ、蒸気のチカラであの巨体を動すには、もっと大きなボイラーが必要になります。そこで、造花結晶の出番デシタ」
    「そう、ずっと気になってたんだけど、造花結晶……って桜花結晶のことじゃないのか?」
    「コンポンテキには同じと考えてますが、別物です。アナタたちが知っている結晶の花弁に対し、造った結晶の花弁――ソレ、造花結晶と呼んでます」

     

     ジュリアの溢れ出すような説明にサリヤは不安げな面差しであったが、主は彼女の顔色を伺うようなことはしない。

     

    「まず、こっちの桜花結晶と、ワタシたちの桜花結晶では、こっちの桜花結晶が、比べられない量のチカラ持っているようです。ワタシたちの結晶は、ミガワリ? になるなんて高度なコトできません」
    「なんと。ではもしや……桜花決闘もないのですか?」
    「ハイ、ソウデス。そもそも、いっぱい結晶を咲かせる樹も、ミコトも、ないです」
    「えっ……」

     

     その土地的な差異に、三人のミコトは多かれ少なかれ驚いていたが、中でも揺波は何を言っているのか信じられない、といった反応であった。
     ジュリアは一同の驚きを粛々と受け止め、さらに言葉を続ける。

     

    「ワタシタチにとってコールブロッサム――イエ、カムクラザクラは、葉っぱも花もない、たまに変なカタチの花弁を散らすフシギな樹です。昔、花弁のエネルギーに気づいた先祖サマは、石炭みたいな燃料として研究シテ、今は特別な燃料として一部で使われてます。開発中の造花結晶は、その結晶を高密度にしたもの、と思ってクダサイ」
    「ジュリア様はヴェラシエ――結晶を扱うことを許された身分であり、その中でも若く、異才と評される技師です。彼の地では、より強力な結晶を、もっと昔から利用していると聞き、こうして研究調査に参られたのです。……ですよね?」
    「あ……ウン」

     

     サリヤの念押しを受けて、ジュリアはつまらなそうに口をすぼめた。けれどサリヤの態度は強硬的なものではなく、ある種の申し訳無さがにじみ出ている。
     対し佐伯の納得は早く、サリヤの顔も立てるように再度促す。

     

    「ではヴィーナは、蒸気の力に加えて造花結晶の力で動かしている、と」
    「ハイ! 蒸気機関に造花結晶を与えるコトで、瞬間のチカラと効率、機関部の小型化ができました! それだけダト逆に動力ありすぎで、真っ直ぐ走って吹き飛ぶダケのおもちゃですが……それを制御するための機能も実現してアリマス!」
    「走ってるときに急に曲がろうとすると、足にすごい負担が来ますよね? ヴィーナで本来それをやると、私が放り出されるくらいの衝撃になるんですが、ほとんどそれがないんです」

     

     ソウデス! と親指を立てた両手をサリヤへと突き出すジュリア。
     
    「全てはそこに生じたエネルギーなのデス! 結晶のチカラは中でも一番可能性を秘めていますから、造花結晶によって密度が十分なった今、あとの課題はチカラに方向性をあげるコト! そのシステム『Blackbox』を組み込んで作ったのがヴィーナです! サリヤしか上手に使えません!」
    「正直に言うと、こちらであんなに激しい戦闘機動をとったのは初めてだったので、うまくいって本当によかったです……その前も、ジュリア様を探して走り通しでしたし」
    「そういえば、よくあの場所が分かりましたね」

     

     熱いジュリアの講義の最中、脇に逸れるように訊ねたのは揺波だった。彼女は早々に、ヴィーナの技術が明らかに自分の理解の及ばないものだと、見切りをつけていたのであった。

     

    「ああ、それなら、探し回っている途中で親切な方々が教えてくれたんです。道のど真ん中で伸びてましたけど」
    「……もしかして、ジュリアさんに絡んでいた、あのならず者どもでしょうか」
    「盗賊団、と名乗ってましたけどね。ジュリア様を攫ったそいつらの本拠地に乗り込んだらもぬけの殻で、ジュリア様共々探し回っていたんです。運良くお二人の行き先を聞いていた方がいたので助かりました」

     

     喋っていくうちに嫌なことを思い出したのか、顔をしかめるサリヤ。それはジュリアも同様であった。

     

    「恩人の前で言うのは気が引けますが、その盗賊団もそうですけど、私たちはこの土地に試されている気がするんですよ……」
    「なんだかジュリアさんも、前にそんなこと言ってたような……」
    「だって!」
    「……っ!?」

     

     怒りを露わにするように、大きく身振りするサリヤであったが、そんな彼女を見ていた千鳥が驚きの声を必死に飲み込んでいた。何故なら、彼女は浴衣を着るのが今回で初めてであり、己の所作でどう着崩れるのか把握できていないままであり、そして千鳥がその結果を観測してしまったからであった。
     その様子に気づかないサリヤは、さらに熱弁を振るう。

     

    「長い船旅が終わったと思ったら、港で牢屋に入れられたんですよ!? 何を言っても、怪しいやつの一点張りで。助けてもらった方に代わりに結晶研究の権威をご紹介していただきましたけど、あまりにも運が悪いというか。それで二人旅が始まったと思えば、盗賊に襲われる始末! 挙句の果てに、明確に命を狙われることになるなんて」
    「そ、そそそれは、災難、でしたね」
    「サリヤさん、前はだけてますよ」
    「えっ……――あっ、やだ、ごめんなさい。まだうまく着こなせなくて……」

     

     揺波の冷静な指摘によって観測結果が過去のものになっていくのを感じる千鳥だったが、サリヤに咎められなかったことにほっとしていた。浴衣の紺と褐色の肌の間に現れた、薄桃色の綺麗な布の正体に考えが行ってしまうが、彼がちら、と奥を見れば、佐伯が塵芥を見るような目で千鳥のことを見ていた。
     身だしなみを整えている侍従に代わり、言葉を引き取ったジュリアは、ため息をつきながらも随分と前向きだった。

     

    「しかし、順番と人がおかしいですが、メガミサマのチカラと、神聖な場所が見れたのはとてもヨカッタです。こうして、ミコトの人に知り合えたコトも」
    「縁のメガミ様に祝福されているようでありますな」
    「歴史知るコトも、技術のためには必要です。貴重なケイケンでした。是非もっと詳しい話を聞きたいのですが、それよりも……」

     

     そこで切ったジュリアは、汁を啜る揺波を見据えた。

     

    「襲われて途中になりましたが、ユリナサン、伝説について、話が違う言ってましたね? あれはどういう意味でしょう。ずっと気になってました」
    「あっ……あぁ! そう、そうでした……バタバタしてて訊く暇がなかったんですよね」

     

     矢によって断たれた疑念が蘇ってきたのか、こめかみに指を押し当てた揺波は、探し当てるようにその疑問を言語化していく。

     

    「あのとき、佐伯さんが教えてくれたヲウカ伝説。決闘の成立についてのお話だから、たぶん間違いない……と、思うんですけど……」
    「なんだ、言ってみろ」
    「決闘の始まりには、ヲウカとウツロの戦いがあったはずなんですけど、その伝説だと全然触れられてなくて、でもいろんな人が知っている話だって……どうしてなんでしょう?」

     

     その揺波の提示に対して、残る四人の反応は様々であった。
     サリヤは元々話に入れなかったので静観しており、ジュリアはさらなる情報を大人しく待っていた。
     そして主として問われていた佐伯は、

     

    「それを、誰から聞いたんだ?」
    「ザンカからです」
    「なる、ほど……やはり私にも覚えはない。だが、それをメガミ様から聞いたのだとすれば話は別だな……我々の間から失われた異説を知っていたとしても、不思議ではないからな」

     

     答える半ば、何かに納得したように、左手で顎をさすり、最後には黙考を始めた。
     ただ、その思慮の裏で巡らされていたのは、残る一人――千鳥が、反射的に揺波へ向けた視線を慌てて戻していた光景への解釈。
     当の千鳥が息を殺したところで、佐伯には既に見られていたのだ。

     

    「ただ……もしかしたら調べ物の得意な忍なら、ウツロについてだろうと知っているんじゃあないか?」
    「ガキの使いだからってほいほい教えるわけないだろ」
    「はっ! なら、あそこがウツロにも関係していることは認めるんだな? そして忍がそれを調べていたんだ、ということも」
    「うっ……」

     

     サリヤの苦笑いと、佐伯に鼻で笑われたことが、千鳥の心に刺さる。

     

    「……まあ、ジュリアさんたちもいるので軽く説明しましょう。ウツロとは、伝説だけが残っているメガミ様のお名前です。宿すミコトの話も聞かないどころか、社すら定かではありません。人嫌いでも暴れん坊でも、一人くらいは使い手がいるものですがね」

     

     一瞬、揺波を目で指した佐伯は、

     

    「確認できる文献もかなり断片的で、実態は杳として知れません。一説によれば、とても古い……それこそヲウカ様と同じくらい永くあるメガミ様だと言われています」
    「スゴイです! それなら、ヲウカサマとウツロサマの戦いのキロクも、どこかにあるかも知れません!」
    「しかしまあ、それが正しく伝えられていないのだとすれば、私がこの場で天音の問に答えられる道理は、やはりなかったということになりますな。忍なら、あるいは、ですが」

     

     あからさまに見下す佐伯に、千鳥はどうにか鼻を明かしてやろうとするも、

     

    「へ、へぇー! そんな忍がわざわざ調べるような場所を調べてた、どこのどなたかも分からないあんたにも、分からないことがあるんだぁー!」
    「それはそうだ。言っただろう? 私は学者だと。そして学者とは、まだ陽の光を浴びていない真実を求める者でもある」
    「チドリくん……」
    「憐れむような目で見ないでください! どうせ俺はガキの使いですよ!」

     

     膝を抱えて嘘泣きをし始めた千鳥の姿に笑いが起きる。
     傷に響かないように抑えて笑っていた佐伯は、皆がひとしきり笑った頃合いを見計らったか、その笑みに真剣さを混ぜた。まるで、自分は高みの見物をしていられる立場にある、とでも言うように。

     

    「まあ、ウツロについて話してくれないのは残念だが、その道化に免じてここは一つ、それとは別に、全員が気になっているであろうことを教えてやろう。遅かれ早かれたどり着くことになっただろうが、あの猟犬たちの飼い主は、ほぼ間違いなく瑞泉だ」
    「瑞泉、って、大家のか……?」
    「全てはあの大火から繋がっている……そうだろう? 天音」

     

     虚を突かれた揺波は、びくり、と肩を震わせた。その言葉自体は彼女の抱えていた曖昧な疑念に一本、線を通すようなものであったが、こわごわと見返した佐伯には、あの日自らの手で起こしてしまったことを見透かされたようで、声が出なかった。

     

    「ジュリアさんたちを港で捕らえたのも瑞泉の者でしょう。ゆめゆめ気をつけることです。連中、あんな反則的な技術を持ち出してくるようになった……それが意味するのはつまり、泉の湧き水程度では到底足りない、支配的な雨の時代の訪れ、なのですから……」

     

     場には、四人が息を呑んだ音だけが溶けて消えていた。
     自分たちの置かれている状況を再認識した者たちの前で、佐伯だけが、静かに眼鏡の奥で笑っていた。

     

     

     

     


    「お見送りまでしていただいて……お世話になりました」
    「いえいえ、私もここでお別れとは大変残念です」

     

     翌朝、五人の姿は里の北西に構えられた門にあった。揺波と千鳥に加え、サリヤとジュリアの四人が、北西に伸びる街道側へ。佐伯だけが、里の側に一人残っていた。

     

    「怪我がなければ、というところですが、あいにくまだ仕事の途中でして」
    「アゥ、ゴメンナサイデシタ……」
    「まあまあ。……古鷹山群へはかなり距離がありますが、森に入るまではほとんど開けたのどかな道ですので、襲われる可能性は低いかと。森から里へは、きっとあれが案内してくれるでしょう……おそらく」
    「何だよその間は! 客の案内ぐらいできるから!」
    「ふふ、よろしくお願いね、チドリくん」

     

     荷物をヴィーナにくくりつけ終わったサリヤが、悪戯っぽく笑いかける。そうされると千鳥はもう何も言い返せなくなり、挙句そっぽを向いてしまった。
     佐伯はそれから、袂より折りたたまれた紙を取り出すと、そっとジュリアの手に持たせる。

     

    「ここに、私が立ち寄る場所が書いてあります。それを見せて私の名前を出せば、悪いようにはされないでしょう」
    「エ、でも……」
    「ジュリアさんたちの素晴らしい技術について、もっと詳しくお聞きしたいですし、研究のお手伝いもして差し上げたい気持ちでいっぱいなのです。本当は同道して、メガミ様としてでなく、結晶研究の権威としてのオボロ様にも是非お会いしたいのですが、今は他に為すべきこともあります。これがまた我々を巡りあわせてくれることを祈って、お別れとしましょう」

     

     それにジュリアは、受け取った紙をサリヤに預けることで答えとした。腰の物入れにそれをしまったサリヤが、丁寧に頭を下げる。

     

    「では皆さん、今度こそお気をつけて。あの忍が若気の至りで過ちを犯さないとも限りませんので、身内にもお気をつけください」
    「あんたほんとに見送る気あるのか!?」
    「そうやって貴様が構ってくるだけ、お二人の到着が遅れるんだぞ? ああ、仕方ないな、私が消えたほうが建設的か。じゃあな」
    「く、くそーっ! 今度会ったら覚えてろよ!」

     

     そんな捨て台詞に満足した佐伯も、四人に背を向けて里の中へと戻っていった。

     

    「じゃあ行きましょっか、ユリナちゃん! ……ユリナちゃん?」
    「え……あっ、はい! 行きましょう! 目指せ忍の里、です!」
    「オー!」

     

     ぼうっと遠くを見つめていた揺波は、慌てて明るく振る舞い、先頭を歩き始めた。ヴィーナを押すサリヤに苦笑されながら、揺波はどこか落ち着かない気持ちを持て余していた。
     彼女が感じていた、もやもやとした一連の流れに、瑞泉という形は与えられた。
     けれど、それが『分からなかったこと』から『分かったこと』になって、すっきりするということもなかったのである。

     

     一体自分は何を掴めずにいるのか。
     その答えがあるかもしれない場所へ、彼女は淡々と歩を進めるのみであった。

     


     こうして天音揺波の側に訪れた動乱も、どうにか一段落を迎えることになった。
     しかし不穏の陰は消えず、静かな胎動は彼女たちに不安を感じさせてやまない。
     この五人の間でも、お互いそれなりに信用はあるものの、信頼と呼べる絆はサリヤとジュリアの間くらいなものだろう。
     それでも彼女たちは、同じ目的地に向かって、同じ道を進むのさ。

     

     さあ、いよいよ次は忍の里だ。いくつもの思惑が交錯するこの地で待つのは果たして?
     次の舞台を、乞うご期待と言ったところだね。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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    『桜降る代の神語り』第30話:大乱戦!

    2017.07.28 Friday

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       突然の襲撃。それも桜の下でなく、遥か遠くからの狙撃。
       如何なミコトとて、逃げる以外の選択肢なんてない。天音揺波一行だろうとそれは同じさ。
       洞窟に駆け込み、佐伯識典への軽い手当を済ませても、渦中を脱したわけじゃあない。
       姿なき射手に怯えながら、四人は入り口へとひた走る。

       

       


      「あと少しです、がんばってください!」

       

       山のなりから考えれば随分と整っている洞窟も、駆け抜けるとなれば話は別だ。先頭を行く千鳥、それに続く揺波は元より、殿を務める佐伯も負傷こそしているが鍛錬を積んでいる身。しかし一方ジュリアは、緊張下ということも手伝って外の光を前に息を切らせていた。
       彼らにとって幸いだったのは、後ろから追ってくる伏兵の気配が未だないことだった。つまり上を取っている射手にだけ警戒すればよく、うまく森に逃げ込めばそのまま逃走できる可能性もあった。

       

      「出るぞ!」

       

       故に、光へ飛び込んでいった千鳥の意識が、上空に向けられていたのは、当然とも言えた。
       苦無を構え、万が一出鼻を射られたとしても、躱すことも逸らすこともできるように。
       だが――

       

      「……ポルチャルトー」

       

       四人の誰のものでもない呟きが、千鳥の耳に入った時には、既に遅かった。
       空へ目を向け、なるべく勢いをつけて飛び出した千鳥の左足が踏みしめたのは――いや、足を滑らせたのは、鏡のような氷面。
       どのようにも躱せるように、足のばねに溜めていた力が、凍りついた地面によってあべこべな方向へと流される。

       

      「ぁ……」

       

       驚きと共に、一瞬、身体を宙に浮かせた千鳥。そして次の瞬間には、彼の左手から、

       

      「ふんッ!」
      「……がッ、はぁッ……!」

       

       衝撃は、千鳥のそう小さくない身体ですらも軽々と吹き飛ばす。一度、二度、いっそ美しさすら覚える氷の地面に叩きつけられ、いくらも滑り、やがて止まった。白く罅の入った氷が、その激しさを物語っている。

       

      「千鳥さん!」

       

       さらなる強襲に、刀を正眼に構えた揺波は千鳥の名を叫ぶ。だが、その視線は同じく爪を構えた佐伯共々、姿を現した新手の男から逸らせないでいた。
       よく鍛え引き締められた上半身を晒す男の身体には、武勲として誇れるような傷が散見される。しかし堅い面差しにそれを魅せる意思はなく、瞳だけが静かに、目の前の敵こそ栄誉の礎だと訴えるように燃えている。右の爪先を軽く突き立てた前傾の構えと相まって、冷徹な肉食獣を思わせる。
       彼の得物は佐伯と同じく両手の爪。しかしそれだけではなく、異質なものが二つ。一つは右腕に取り付けられた、小ぶりな歯車が三つ噛み合った玩具のような篭手。もう一つは、静かに氷上に立つ男の靴底に取り付けられた、刃のようなもの。

       

       彼我の距離は、お互い接近に対して少し余裕を持って対応できる程度のもの。千鳥を欠き、佐伯が負傷しているとはいえ、人数で有利を取っている揺波側は、射手の援護が来ないうちの短期決着を目指し、慣れない氷上での間合いを測る。
       ただ、揺波が一歩、千鳥の側へと位置をずらした瞬間だった。

       

      「……!」

       

       彼女が次に目にしたのは、いつの間にか間合いを詰めていた男の姿だった。滑る地面を逆に活かして加速に加速を重ねる動きは、滑走として走りとは異質の接近を成す。
       突き出した爪の一撃に対し、峰に手を添えた刀で受け止め、下へと受け流す。返す刀で男を薙ぎ払おうとするも、踏ん張りが利かない揺波とは対照的に男の動きは機敏かつ柔軟、流された爪に逆らうことなく身体を下げ、斬撃を潜っていく。
       揺波の背後をとれる形となった男だったが、そこには佐伯も控えており、無事な右腕で迎撃される。しかしそれを悠々と受け止め、足場の悪さと靴の奇怪さを物ともしない方向転換で、再度距離をとる。

       

       一度目の交錯で傷のなかった揺波は、けれど襲撃者の実力に刀を構える手に力が篭った。自分や細音と同等の腕前だという直感が、彼女に一つ、呼吸を忘れさせる。
       この場で同等とは、戦ってなんとか退けられるかもしれない……という意味ではない。

       

      「貴様もライラ様を……いや、それ以前にどういうことだこれは! 何故コルヌ様のお力を、桜の下でないにも関わらず使えている!?」

       

       揺波と佐伯の焦燥も、どういうわけか一方的にメガミの力を使われているという不可解な事実を前にしては避けられない。
      力の有無、さらにそれを活用して生み出された地の利。
       その上で同等の技量を持つ相手と対峙することの絶望感。
       たとえ数で勝っていても、これでは突破して逃げることなど叶うわけがない。

       

      「な……!」

       

       そんな佐伯の問に対する男の答えは、有無を言わさぬ爆進だった。
       揺波を目指しても、佐伯を目指してもいない、加速に身を包んでの前進。
       ……気づけば、じわじわと広がり続けていた氷は、洞窟の淵にまで侵食を始めていた。

       

      「エ……」

       

       入り口の石門から様子を窺ってたジュリアへ、怜悧な眼差しの男が猛然と迫る。

       

      「貴様……!」

       

       反応の遅れた佐伯は、氷上を拙く滑るようにして男の前に割って入ろうとした。
       辛うじて間に合うか、そんな間合いを詰めた佐伯は、風を切る男の進路を邪魔するように、胴のあたりを大きく爪で薙いだ。
       だが、腰が入っておらず、遠心力で威力を加えるための左肩が負傷している状態で繰り出されたそれは、襲撃者を退かせるだけの一撃には程遠かった。

       

      「退け」
      「ぐぁ……」

       

       佐伯の右側を抜ける動きを直前に左へ切り替えた男は、虚しく爪を振り抜いてがら空きとなった佐伯の背中を、通り魔のように裂いていった。
       氷面に散る、鮮血。

       

      「サーキィッ……!」

       

       顔面蒼白となったジュリアが彼を呼ぶ裏返った声が、背後の洞窟へ吸い込まれていく。
       遅れてようやく間合いに入った揺波は、まずはジュリアと佐伯から男を引き剥がすべく彼の正中に狙いを定める。
       だがそこへ、絶望を最悪へと上塗りする風切り音が、揺波を狙う。

       

      「はッ!」

       

       頭上を払った揺波の傍を、曲がった矢が滑り転がっていった。

       

      「おおっ……!」
      「く……」

       

       無論、天からの攻撃に応ずれば、地よりの攻撃に応ずる余地はない。辛うじて身を捻り、深手には至らなかったものの、掬い上げられるように振り抜かれた男の爪先は、揺波の右の太腿に三筋の赤い線を浅く描いた。

       そうして再び距離をとった男は、ちらりと陽の照った空を見上げ、それから揺波たちを順番に値踏みするように視線を動かした。
      千鳥は衝撃に未だ伏し、佐伯は広がる血の中片膝をついている。ジュリアは理性が恐慌に押しつぶされる寸前で、まともに立っているのはもはや揺波だけ。

       

      「終わりだな」
      「……! わ、わたしが相手です!」

       

       す、と男が爪を向けたのは、揺波ではなく、佐伯とその後ろのジュリアだった。青ざめた揺波が思いつきで挑発するも、男の視線がぶれることはない。紛れもない殺意に、自分に向けられたものではないというのに、揺波の背中に嫌な汗が浮かんだ。
      順々に殺され、最後には自分も。
       結晶が身代わりになってくれない本当の殺し合いに、揺波の頭の中で一手先が浮かんでは消えた。

       

      「ふん、貴様は後だ」

       

       万事休す。
       その言葉すら、揺波の脳裏をかすめた。

       

       そんなときだった。

       

      「……?」

       

       揺波の耳に、地鳴りのような音が飛び込んできた。
       ゴウンゴウン、とも、グルングルン、とも、大地の腹の底から悲鳴のようにひり出された叫び声のようなそれ。
       もしや山の鳴動かと思うものの、山に向かい合っている男もまた、音の正体を掴もうとし、失敗していた。
       音は、だんだん大きく、そして近づいてきている。それも、かなりの速さで。
       化物のような獣が、森で暴れているとでもいうのだろうか。

       

      「関係ない……!」

       

       ただ、男も男で、音の正体が揺波たちの隠し玉でないと、彼女の態度から推測していた。山崩れでもないのなら、と決着に向けて全身に力をみなぎらせた。

       

       ……しかしここで、彼は一つの失敗をした。
       端から脅威ではないと眼中になかった存在の変化を――この状況にあって、安堵を滲ませたジュリアの表情の変化を、まずは佐伯に目標を絞っていた今、目にしていなかったのである。
       一歩、氷を噛みしめるように靴底の刃で踏み切った男は、故に判断が遅れた。

       

      「なん――」

       

       何だ、と彼が言い終えることはできなかった。

       

      「ぁぐッ――」

       

       前のめりになっていた男を、森から凄まじい速さで飛び出してきた黒く大きな何かが、先刻彼が千鳥にしたように、弾き飛ばした。
       ろくに反応もできなかった彼は、癇癪を起こした子供に投げ捨てられた人形のように、冗談じみた軽さで優に千鳥の倍を転がされる。凍った領域からも投げ出され、彼の全身が土にまみれた。

       

       あまりの唐突さに、場がソレの低い唸り声に支配される。
       ソレには、女が跨っていた。焦げた肌と真っ直ぐに流れる銀の長髪を持ち、豊満な体躯を最低限の装甲で覆っている女は、およそこの地の者ではなにしろ、確かに人であり、女だった。
       では馬を駆る女かと問われれば、それも違った。低い重心は肉を狩る獣を彷彿とさせるも、ソレに毛並みなんてものはない。彼女の手には鞭のように長く伸びる得物が握られていたが、彼女の髪よりもなお輝く銀のそれは革ではなく、細くしなやかに伸びる剣のようで、馬の尻を叩くにしてはあまりに異質であった。

       

      「い、や……あれ、は……馬鹿な……」

       

       博覧強記たる佐伯からしても、いっそ血を流しすぎたせいで幻覚を見ているのだと言われたほうが信じられる程度に、ソレは目を疑うような代物であった。
       ソレは、そもそも生き物ではなかった。落ち着いた黒で彩色されているものの、照り返すそれは金属光沢であり、大の男一人分よりもなお長いその胴体のほとんどが、金属らしきもので形成されている。例外は、前と後ろに据えられた黒い車輪くらいか。さらにはソレの後部からは、人や動物が息を切らせるように、もうもうと白い煙が吐き出されていた。
       鉄の獣。その乗騎は、彼の知識をもってしてそう呼び表す他なかった。

       

       と、乗っていた女は自分の頭に引っかかっていた枝葉をどけると、辺りを見回した。そしてその視線が一点に定まると、焦燥しきった顔が一気に綻んだ。

       

      「ジュリア様!」
      「サリヤっ!」

       

       そんな闖入者に答えたのは、彼女と同じく小麦色の肌をした、ジュリアその人。
       構えたままの揺波は状況の変化についていけず、ぽかんと戦闘中の彼女らしからず、二人を交互に見比べていた。
       そんな中、好機とばかりに苦痛を押してジュリアの近くまで下がる佐伯は、

       

      「も、もしやあの方は、今までおっしゃっていた、お付きの……」
      「ソウデス! サリヤ、来てくれまシタ! ああ、ヨカッタ……」
      「しかし、あの鉄の獣は一体……。あんな金属の塊、およそまともに動かせるものではないでしょう……。それを、馬のように颯爽となんて、信じられません」

       

       まるでこの場の空気を代弁するかのような佐伯の問。至極もっともなそれに、ジュリアの表情は先程までの悲痛なものから一変していた。それは、自分たちの信じる物によって全てが解決するのだと、確信を抱いた顔だった。

       

      「あのマシンはワタシの最高傑作・ヴィーナ。動力は、蒸気と――造花結晶の力デス!」

       

       

       


      「く、ぐ……おまえェ……!」

       

       乱入によって一度弛緩した空気だが、襲撃者が立ち上がるなりサリヤの眼差しは再び鋭いものへと変わる。ただ、目の下のくまといい、据わったその瞳はなりふり構ってはいられない彼女の心中を表してやまない。
       対して構えられた男の爪だったが、ほとんど全力疾走の駿馬に轢かれたようなものであるにも関わらず、少しふらつくだけで彼の戦意に衰えは見受けられない。
       それに、主へと切っ先が向けられたことを想起したのか、サリヤの感情が爆発する。

       

      「よくもジュリア様をぉォォッ!」

       

       篭手で守られた左手で乗騎の取っ手を掴むなり、あの地響きのような唸り声を上げて急発進する。砕かれた氷の破片を車輪が巻き上げ、男を食い殺せとばかりに飛びかかる。
       ただ、サリヤの武器は鉄の獣だけではない。手にしたしなる長剣を振り回し、自身の周辺に入り込もうとする者を切り裂く領域を作り出している。

       

      「邪魔をするなあぁぁァァァッ!」

       

       それへ吠えた男に後退の選択肢はなかった。靴底の刃を土に噛ませ、さらに相対速度を上げていくように接近する。
       交錯の直前、踏み切って飛び上がった男の爪は、的確にサリヤの顔面を捉えていた。いかに体勢が悪くとも、当たりさえすれば速度に任せて深手を負わせられる、という判断だ。自分の足で駆けるのとは違い、騎兵の動作は馬に依存する。右の爪で狙い、左の爪で伸びる剣を防げばいい、という単純にして合理的な解だった。
       ……前提が間違っている、ということを除けば、だが。

       

      「は……!?」

       

       突如乗騎の前輪が急速に回転を減じ、後輪だけが滑るように旋回した。ちょうど前輪を中心にして、時計回りに回転したようであった。重量感が嘘のような挙動に意表を突かれる。
       無論、馬鹿正直に直進すると思い込んでいた男の爪は空振りし、蛇のように襲い掛かってくる剣の餌食となる。

       

      「くそォァッ!」

       

       先程までの堅い顔つきは過去のもの、隠すことなく怒りを露わにした男は、胸に走った切り傷に構うことなく、もう一度速度を身にまとったサリヤへと向き直る。
       だが、二度目の交錯は訪れない。

       

      「ぐっ、ぁ……」

       

       飛来した矢が、風を切るサリヤを正確に撃ち抜いていた。すんでのところで反応し、肩当てで弾き飛ばすも、その威力は衝撃だけで彼女の右腕を痺れさせるほど。男からの追撃を嫌い、左手の操縦でなんとか距離をとり、射手を視界に収める。
       空を背景にしていたのは、淡い桜色の翼を生やした女であった。女は適当な樹の上に着地すると、弓の残身を解き、腰の矢筒から矢を引き抜きながら男を睨みつけた。

       

      「架崎! あんた馬鹿じゃないのかい!」

       

       一喝した女は、つがえないままの矢でサリヤを指す。

       

      「よく見な、こいつもうぼろっぼろじゃないか! そんな黒焦げ女相手にみっともない!」
      「だが浮雲、この黒い馬は――」
      「だがもくそもないよ! おまえさんはすぐそうやって頭に血が上るんだ。いくら変な馬だからって、なんでわざわざ騎兵の土俵で戦ってやらにゃいけないんだい。悪い足場に誘うのは基本だろうに。それに、得物だって長すぎるもんだから、ほうら、走ってないと、もろこしの髭みたいにくたびれてるじゃないか」

       

       それから浮雲と呼ばれた射手の女は、矢をつがえて弦を引かないまま、ぞんざいに凍っている領域を示した。その指摘に、かちかちと気持ちを落ち着かせるように爪を噛み合わせた架崎が、元の堅い顔つきへと戻っていく。
       そして、大きくその場で一歩、踏み込む直前、

       

      「悪いな」

       

       その足元から氷が生じ、元々凍っていた地面へ向かって真っ直ぐ細い道を作った。間髪入れずに身体を前に倒す架崎が、鉄の獣に負けじとあっという間に速度を得る。
       狙いはもちろん、最初から狙っていたうちの一人、ジュリア。

       

      「ジュリア様ッ!」

       

       架崎の一手を予期できずにいたサリヤは、慌てて乗騎の脇腹に足をかけた。いななくように重低音を響かせるも、架崎の行手を遮るにはもはや遅い。さらに実際、最初の素直な吶喊ならまだしも、氷の上では満足な機動が行えないのも事実であった。

       

       転倒を覚悟で凍った地面に乗騎を乗り込ませていくサリヤは、主の危機を前に視野が狭まっていた。ちょうどそれは、サリヤに反応できなかった架崎という構図を裏返すように、彼女から視野を奪っていた。
       現状、敵にとってこの場で一番厄介なのはサリヤ。
       その彼女の視線が一点に集中している今、狙わないわけがない。

       

      「血が昇りやすいのは、おまえさんも一緒、ってね……」

       

       樹上、ひとりごちる浮雲。
       引き絞った弦が解き放たれれば、矢は素早いサリヤの動きを先読みしたように空を裂く。かじりつくようにしてマシンを操縦する彼女の無防備な頭を、鏃がひた狙う。

       

       未だ気づかないサリヤ。振り回した剣も、上からの攻撃には咄嗟に対応できない。
       浮雲が、勝利を確信した……そのときだった。

       

      「な……!」

       

       矢はサリヤに当たる直前、飛んできた何かによって軌道を変えられた。その鈍い音でサリヤもはっとするが、救世主へ片目をつぶってすぐさま視線を前へ。
       浮雲はすぐに新たな矢をつがえるが、その最中、下手人の存在に至る。

       

      「忍のガキ……!」
      「忘れてもらってたなら本望だね!」

       

       ずっと伏していた千鳥が、苦無や手裏剣を次々投げつける。高所にいる浮雲にとってそれらは決して致命的な脅威というほどではなかったが、たとえばそう、矢を弾くには十分な鋭さを持っていた。
       最初架崎に吹き飛ばされ、戦闘不能になったと思われていた千鳥だったが、正直に突進を食らったわけではない。きちんと腕を盾にし、地面に叩きつけられた際も受け身を取っていた。回復力も含め、昔の彼ならばいざしらず、オボロによる修行は実を結んでいたのである。
       それから彼は、射手共々敵の意識の影に己が沈む頃合いを見計らっていたが、こうしてサリヤを救うべく復帰と相成ったわけであった。

       

       一方、ジュリアへ邁進する架崎へ追いつけないサリヤは、敵の行手を阻む少女の姿を見る。

       

      「わたしも、忘れてもらっては困ります!」
      「ありがとう!」
      「天音の娘がァ! 退けェェェァッ!」

       

       しっかりと氷の上に立ち、両の手で刀を構えた揺波は、強引に押し通ろうとする架崎の突進を正面から受け止めた。身を低くし、頭上で構えられた爪を刀で防ぎ、鍔迫り合いの様のまま滑っていくも、ジュリアに遠く及ばぬ位置で勢いは無へと減じる。

       

      「はッ!」

       

       気合一つ、架崎の爪を弾き返した揺波は、たたらを踏む架崎へ上段を叩き込むと見せかけ、容赦ない突きを入れる。喉元を狙ったそれを架崎は防御することしかできず、さらなる連撃を繰り出すことで、速度を活かした立ち回りに戻る暇を揺波は与えない。
       そして彼女にとって、架崎を仕留めきる必要はなかった。自分が有利になるように動く、それだけを考えるなら、時間を稼ぐだけでよかったのだから。

       

      「離れて!」
      「このアマァ!」

       

       後退を強いられていた架崎へ襲いかかるサリヤの剣。空間ごと切り裂くそれに、彼はサリヤと入れ違いになるように大きく後退した。そうせざるを得なかったのである。
       肌から垂れる鮮血に、砕いてしまいそうなほど食いしばられた歯が軋む。
       そんな彼から、サリヤは小さく旋回してマシンの鼻先をそらした。

       

      「ねえ、あなた。刀のあなた」
      「あ、わたしですか?」
      「うん。ちょっとだけ、私に時間くれないかな。ちょっとでいいの。ジュリア様をお願い」
      「分かりました」

       

       即答し、油断なく架崎を見据える揺波。サリヤはその思い切りの良さに感心しつつも、短い感謝の言葉と共にマシンの脇腹を叩く。
       果たしてサリヤが向かったのは、千鳥とじりじりと静かな遠距離戦を繰り広げていた浮雲の足元であった。森の端、見上げるほどには高い樹の上で弓を構える浮雲に目標を据え、森へ突っ込むかのように急加速する。

       

      「そんな紐でなにしようってんだい!」

       

       訝しがりながらも嘲ってみせる浮雲の言葉ももっともで、俯瞰的に見ていた浮雲には、いかに全長が長くとも、鋭さを保ったまま剣を高所へ正確に届かせるのは至難の業だと見て分かっていた。
       さらに速度を上げ、挙句前輪が浮き、後輪だけで走る有様になってなお器用に剣を振り回すサリヤ。加速に耐えるように食いしばり、剣を持つ右手への荷重に耐える。彼女を囲む剣身は、二重に、三重に重なっていく。
       そう、その剣は、猛烈な速度の中で引き伸ばされていたのである。

       

      「たあぁぁぁぁぁァァァァァアアッ!」

       

       

       浮雲の立つ樹の脇を駆け抜けながら、真上に向かって剣を振り上げる。重力に逆らって宙を泳いでいくその剣は、邪魔な枝葉を切り落としながら不規則に頂点へと突き進む。

       

      「嘘だろ……!」

       

       いつまで経ってもその勢いは衰えず、目算を誤った浮雲は足を切りつけられたことで馬鹿げた得物の切れ味を思い知る。ついでのようになます切りにされた樹は足場として心もとなく、咄嗟に翼で空へと逃げる。
       眼下には、千鳥、揺波、サリヤという脅威。いかに佐伯とジュリアという荷物が居たとて、機を先した浮雲たちの有利がもはや失われていることには変わりなかった。

       

      「ちっ……架崎、退くよ!」

       

       土産とばかりにジュリアへ矢を放った浮雲は、その矢が揺波に落とされたのを横目に急降下し、架崎を抱えて飛び上がる。千鳥が追撃を試みようとするも、瞬く間に空の点となった二人に届くことはなかった。
       場に残ったのは、僅かに舞った土埃と冷えた空気、そして戦いの余韻。

       

      「終わっ、た……のか……?」

       

       佐伯の一言で、再度彼らは認識する。
       嵐のように訪れた襲撃者が、嵐のようにまた去っていったのだ、と。

       

       

       


      「サリヤ……サリヤぁ……!」
      「ジュリア様ぁ……よくご無事で……。お怪我はありませんか? ちゃんとご飯食べていましたか? 私がいながら、本当に、本当に、ごめんなさい。ヴィーナがなかったらこうして再会することもできませんでした。ありがとう、ありがとう……!」

       

       架崎が謎の原理によって現出させたコルヌの氷も、時間が経ち、彼が遠く消えたことで、自然と溶けていった。少しぬかるんだ洞窟前を避け、木陰で一息ついていた一行の中、再会を果たしたサリヤとジュリアが涙ながらに抱擁を交わす。
       彼女たちの間で交わされる言葉は異国のものであったが、揺波たちにその大まかな内容を察するのは容易い。千鳥から貰った軟膏を傷に塗りながら、主従というより姉妹のような二人を揺波は微笑ましく見守っていた。

       

      「いっ……っっ……! おい忍、もっと丁寧にやれ!」
      「傷が深いんだから響くような声出さないでって! 治療は最初が肝心なんだから、やってもらってるだけ有難く思ってくださいよ」

       

       丸まった佐伯の背中は、拭ったところで未だ血が滲む有様だった。千鳥が根気よく対処し、薬を塗れる程度には収まったものの、ちょっと動こうものなら出血するので、きちんとした対処と安静が必要なのは明らかだった。
       そんな彼の苦悶に、ジュリアの顔が曇る。

       

      「アノ……それ、ゴメンナサイでした……ワタシ、のせいです」
      「ジュリアさんが謝る必要はありませんよ。私は当然のことをしたまでです」
      「私からも……ジュリア様を助けてくださって、ありがとうございました。特に……サエキさん、でしたか。あなたはならず者からもジュリア様を救い出してくださったようで。この御恩は決して忘れません」

       

       異国人にも関わらず、丁寧に膝を折り、流暢な言葉遣いで頭を下げるサリヤ。千鳥はそうした彼女の一部に、見てはいけないものを見たようで、咄嗟に赤くなった顔をそらす。もちろん手元を狂わせた千鳥を、悲鳴を噛み殺した佐伯が睨みつける。
       そんな中揺波は、襲ってきた敵に思い馳せていた。

       

      「あの人たち……ジュリアさんも狙ってましたけど、わたしの名前も呼んでたし、もしかしたらわたしを狙ってきた人たちかもしれません」
      「あんたらどんだけおっかない連中に目つけられてんだよ……」
      「ジュリア様は、まあ……うーん、命というよりは、たぶん造花の技術に用があると思うの。ゆりなちゃん? にも用があったんだとしたら、一挙両得ってことだったんじゃないかしら。あの二人には、現にそれができるだけの力があったんですもの」

       

       沈黙する一同の脳裏には、メガミの権能でしかありえない氷と翼がよぎっていた。そしてその先で行き着くのは、彼らに対抗できた鉄の獣、それを操るサリヤの存在である。

       

      「……まあ、ここで考え続けたところで仕方ないだろう。この乗騎といい、造花結晶? とやらといい、ジュリアさんたちに聞きたいことも山ほどある。が、こうしてご活躍いただいたサリヤさんも、長旅で随分とお疲れのようだ」
      「え、あ、私は……!」
      「愛馬もですね」

       

       否定するサリヤの見てくれは、近くで見ればそれはひどいものだった。森を無理やり駆け抜けたせいで全身に細かい擦り傷が走っており、長い銀の髪は土埃にまみれてごわごわ。今にも落ちそうな瞼は目元のくまも相まって眠気を主張してやまない。もちろん、彼女の乗騎にもひた走り続けた汚れが散見された。
       救世主の登場までには、それ相応の苦労があったのだ。いかにしっかりしていそうな彼女とて、容姿に気を回せぬほどには。

       

      「里はそう遠くありません。私の傷もありますし、まずは一休みしてからにしましょう」
      「はい……お言葉に甘えて……」

       

       苦笑いしながら提案を飲んだサリヤ。彼女のお腹に飛び込むジュリアの顔には、悪戯めいた笑みと、心の底からの安堵が浮かんでいたのだった。

       

       

       


       目まぐるしい大乱戦。その果てにどうにかひとまずの勝利、そして安息を得た天音揺波ら一行。彼女ら同様に君も混乱しているだろうが、ここはひとつ落ち着いてくれ。物語の裏、様々な事情はどのみちすぐに語ることになるさ。

       それよりも、今は彼女たちの話をしよう。

       サリヤ・ソルアリア・ラーナーク、そして彼女の従える蒸気と鉄の獣ヴィーナ。
       君のことだからもう予想はついているだろうから、変に勿体付けずに言ってしまおうか。彼女、いや彼女たちこそが四柱目だ。

       メガミになった人間という時点で前例は少ないが、彼女はその中でもとびきりのイレギュラーさ。この地の人間でない、つまり、そもそもミコトですらないんだからね。

       とはいえ、彼女の実力は折り紙つきさ。目の当たりにした君も理解しているだろう? 鉄の獣を駆っての機動戦闘、そしてその推進力ゆえに、鞭と剣の長所を合わせたようなあの武器が成立する。
       かの時代の人間では最強の一角だよ。まあ、最強であるには、いささか前提条件が多いようだけどね。そもそも、桜の下では戦えないわけだし。

       君にとっては関係ないか。
       今は桜降る代、彼女を宿すならば問題はない。
       象徴武器たる乗騎ヴィーナは現出し、前提は全て満たされる。
       彼女の鋭利なる技、君には使いこなせるかな?

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       


       
       

       

       


       

       


       
       そして彼女の異常性の根幹、なぜメガミになったのか。
       君の疑問は尤もだ。だが、闇昏千影のときと同様、今すべてを語ってはつまらない。これからの物語にこうご期待というところだね。

       だが、その異常を成し遂げた裏に、もう一人の少女がいたことは間違いない。
       蒸気迸る鉄の獣、その生みの親。彼女は天才であり、そして下手をすると、かのメガミと比肩するほどにイカレた技術者なんだからね。
       鉄の獣には、まだまだ秘密があるということさ。



       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       
       サリヤ・ソルアリア・ラーナーク、ジュリア・ヴェラシヤ・クラーヴォ。彼女らの席が埋まり、英雄たちにとって、欠けた席はいよいよあと一つ。


       「彼女」が目覚める時、英雄譚のおぜん立ては、すべて整う。

       

       

      語り:カナヱ
      『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
      作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

       

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      『桜降る代の神語り』第29話:陰陽本殿跡

      2017.07.21 Friday

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         天音揺波ら四人は、陰陽本殿跡はその中心部でめいめい検分を進めていた。
         前にも言った通り、彼女らがここに来た目的はまちまちだ。
         調査と言っているが、果たして何を調査しているのだろうね?
         そしてそもそも、この場にいるのは彼女らだけではなく……。

         

         


         花のない巨大神座桜は天に怨念を抱く老人の枯れた腕のようで、それに見守られながらというのは、ミコトらにとってあまり居心地のよいものではなかった。だが、それを除いてしまえば本殿跡は、自然の胎内とでも言うべき穏やかさを湛えていた。
         時折はるか頭上で小鳥が遊ぶ中、大きな正円によって他と区切られた最中心部に足を踏み入れた一行。直径は揺波が五つ数えるうちに駆けきるかという長さであるが、その石床に継ぎ目は見受けられず、波打った一本の線で区切られた右側は黒、左側は白、とたった二枚の石板で作られた、明らかに人の手に余る代物であった。また、黒い領域には一抱え以上もありそうな白い円柱状の石が一つ、白い領域には黒いそれが一つ、各々対称になるよう安置されている。

         

        「ここでヲウカが……」
        「ヲウカ? ヲウカサマ、ですか? サーキ、先程ヲウカ伝説言いましたが、それワタシ気になります」

         

         ぽつりとつぶやいた揺波に追従して、ジュリアは佐伯に解説を求める。
         咳払い一つに、いいでしょう、と前置きして、

         

         

        「ヲウカ伝説とは、メガミ様の始祖と言われるヲウカにまつわる数々の逸話、その総称です。中でも特に知られているのが、花隠れの伝承とも呼ばれる桜花決闘の成立に関するもの。単にヲウカ伝説と言った場合、それを指していることも多い」

         

         円の中心までたどり着いた一同に、佐伯は淡々と語って聴かせる。

         

        「あらましはこうです。昔、人間にとってメガミ様がより身近だった頃。そのときはメガミ様の力は桜の下でなくともお借りできる時代でした。それには良いこともあり、一方で悪いこともある。そう、人々は争いの中でメガミ様の力を使うようになり、尋常ならざる力はさらなる争いを生んだのです」
        「昔は、決闘が、なかったカラ?」
        「ええ。ヲウカは人の世が乱れていくことを憂いて洞窟に篭ってしまい、その洞窟のある山をすっぽり取り込んでしまうように、筒のように一本の大きな桜の樹を生やして入り口を覆い隠してしまいました。それを悲しんだ桜は花を散らし、大地は暗闇に包まれたのです」

         

         ぼうっと聞いていた揺波だったが、ふいに叩かれた肩に振り返った。千鳥だ。彼は無言で周りを指し、そして揺波に手を振って離れていった。確かに彼のやることは、佐伯の昔話を聞くことではないので、揺波はそれを黙って見送った。

         

        「これは大変と、人間と、他のメガミ様がヲウカを引っ張り出そうと試みます。ある人間は、たくさんの食べ物と酒を用意しましたが、ヲウカは見向きもしません。ある力自慢のメガミ様は、なんとその樹と山を砕いて無理やり連れ出そうとしましたが、山の半分まで砕いたところで音を上げてしまい、結局ヲウカを連れ出すことはできませんでした」
        「……ところでサーキ。どうしてヲウカサマだけサマがないんですか。ここは、偉いソンザイにサマを付けて呼ぶ、と聞いています。ヲウカサマは一番偉いのではありませんか?」
        「えっ……」

         

         そこで僅かに固まった佐伯は、ゆっくりと眼鏡をかけ直した。

         

        「い、いえ。大変失礼しました。ヲウカ様、ですね」
        「……?」

         

         小首を傾げるジュリアだったが、それ以上追求することはなかった。
         一方傍で聞いていた揺波は、敬称の有無などではなく、佐伯の語る内容そのものに違和感を覚え始めていた。揺波はおとぎ話としてこの話を聞かされた経験はなかったが、しかしごく最近ザンカから決闘成立にまつわる話は語ってもらっていた。
         確かに違う。だが、何故違うのか、表現の違いではなく本当に違うのか、分からない。

         記憶の中のそれと照らし合わせての思考は、彼女に知恵熱を出させるには十分だった。気疲れを催した揺波は、ふらりと佐伯とジュリアから離れていく。白い領域を調べに行った千鳥とは対称的に、黒い領域を彷徨う。

         

        「えー……それで、ヲウカ様がどうしても出てこないと悟った人間とメガミ様たちは、用意した食べ物と酒で宴を始めました。そして宴の余興として、争うことをやめた人間たちが、いがみ合うことはなく楽しそうに刀を交わしあったのです。ヲウカ様はそれに、どうしたことかと樹のうろから隠れ見ていましたが、あまりに賑やかな宴に気を引かれて、とうとうお出でになられたのです」
        「オォ、それで桜が戻ったのですね!」

         

         ジュリアの感嘆を他所に、揺波は一息つくべく、自分の膝上まである白い円柱状の石に腰掛けた。佐伯たちを挟んで反対側からは、同じ形の黒いそれを調べ終わったと思しき千鳥が、険しい表情で思考に没頭しながら戻ってきていた。
         調査とやらが進展したのかもしれない。難しいことは分からないが、聞くだけ聞いてみようかな、と思った揺波だったが、

         

        「ん……?」

         

         ふと、石柱からぬくもりを感じた気がして、尻に敷いたそれほど変わった特徴のないそれを見やった。
         先程まで誰かが座っていたわけでもないし、手元を見ればしっかりと日差しが降り注いでいる。気の所為で済ませてしまえるそれは、単にお日様の温かさを吸ったからなのだと結論した揺波は、もう少し思考を巡らせるべく佐伯たちの言葉に耳を傾け直した。

         

        「その刀をカワシ? というのが、桜花決闘の始まりなのでしょうか」
        「その通り。大地に光と桜が戻ったことを喜んだ皆は、もう二度とメガミ様の力を争いに使わないとヲウカ様に誓いました。そしてそれは、今も盟約として生き続けています。『我らがヲウカに決闘を』という桜花決闘の宣誓や、桜の近くでしか力をお借りできない制約は、このときに生まれたのだ、とそう結ばれることが多いですね」

         

         ちらり、と佐伯がジュリアに見せた手の甲の結晶は、何も言わずにただ煌めいていた。さらにその指が示すのは、あの大樹。

         

        「故に現代の我々にとって、桜が結晶をつけていないというのは、伝説上のお話でしかないのですよ」
        「ナント! それで皆ビックリしてましたね。では、あの樹と伝説は関係あるでしょうか」
        「少なくとも伝説上では語られるものではありません。この山の上半分が砕けていること、ここに儀式的な施設が存在することを考えれば、ヲウカ伝説を生んだ史実がここに眠――って天音! 貴様何をしている!」
        「はい?」

         

         語り終えたことで視野が戻ってきたのか、辺りを指し示そうとしたところで、佐伯が悲鳴のような声色で怒鳴りつけた。
         そしてつかつかと早足で揺波に迫ると、

         

        「どけ! 貴様の尻の下にあるものは、断じて椅子にしてよいものではない! これから調べようというところで、まったく……」
        「ご、ごめんなさい」

         

         飛び降りた彼女を一瞥すると、そのまま懐から小さな古めかしい虫眼鏡のようなものを取り出して、白い円柱の検分を始めた。
         手持ち無沙汰になった揺波は、佐伯の調査が気になるらしいジュリアとすれ違いざま、円の中心へと戻る。そこでは未だ千鳥が深刻な顔で自問自答を繰り広げているようであり、動く口元が声を伴わない独り言の存在を示している。さしもの揺波も声をかけづらく、ただ時間が過ぎていく。

         

         とはいえ実際のところ、屈んだ佐伯が立ち上がるまでにそれほど長い時間は要しなかった。憮然とした表情を揺波に向けながら、今度は黒い円柱に向かう道すがら、あからさまに肩をすくめてみせる。
         そしてジュリアと共に黒い円柱を調べ始めた佐伯に、揺波は今まで考えていたことを素直にぶつけてみることにした。

         

        「あの、さっき教えてもらったヲウカ伝説? なんですけど」
        「なんだ、それがどうした」
        「わたしが聞いた話と、違うんです」
        「は……?」

         

         振り返り見た佐伯の眉間にしわが寄る。けれど一方で、揺波の意を解釈したジュリアは、

         

        「それは、伝承に地域差あるということですか。アナタの聞いた話、キョーミあります!」
        「いやいやいや、ヲウカ伝説全般ならともかく、花隠れの内容は北から南までほぼ共通のはずだ。ましてや貴様の家は岩切だろう。一体どこの誰に――――」

         

         佐伯の疑問は、しかし途中で断ち切られた。
         否……射抜かれた。

         

        「がッ……!」

         

         衝撃に尻もちをついた佐伯の左肩を、地面に縫い付けるかのように一本の矢が貫いていた。
         突然の出来事に全員動きが止まる。苦痛に呻く佐伯の声だけが本殿跡に響く。

         

        「はッ!」

         

         次に生じた動きは、揺波が鞘に収めたままの刀で、二射目を打ち払ったものだった。太い木枝が打撃によって折れる鈍い音が、石床に叩きつけられる。
         上空から、狙い打たれている。それは明白となった。
         たとえ弓であろうとも狙い撃つは至難という距離があったとしても、それは角度からして間違いなく、この本殿跡のはるか頭上で丸く切り取られた空より仕向けられたものであった。

         

        「は……走れ! 入り口だ!」

         

         苦痛に顔を歪める佐伯は、足を止めている三人を焚き付けた。それに呼応するようにまず千鳥が先を駆け、ジュリアの助けを借りながら佐伯が続き、二人を狙う矢を弾く揺波がそれに追従する。
         何故自分たちが狙われているのか、誰も疑問を口にすることは許されない。
         どう言い繕ったところで命の危機でしかない狙撃に対し、一行は入ってきた洞窟をひたすら戻ることしかできないのであった。

         

         

         

         


         鏃の先を逃げ惑う者たちが視界から消え、その女は弦と共に絞っていた息を深く吸った。

         

        「はん……」

         

         ここは本殿跡を照らす天窓の縁である。横から見れば上半分の砕けたように見えるこの山だが、上空から見ると本殿跡の位置のあたりを中心として歪なすり鉢状に大きくくぼんでいた。そうであってもなお射るには距離はあるが、女は自分の不出来さを自嘲しているようだった。
         女は二十代も終わりといった年嵩で、藍色の手ぬぐいで乱雑に後ろに逃された髪はひどく傷んでいる。得物である大弓の邪魔にならないようにするためか、装いも各部を短く切り詰めてなおぼろぼろになった道着で飾り気がない。

         

         ただ、小ぶりな弓に持ち替えた彼女は一つだけ、奇妙な飾りを――それも、ともすれば弓を引く際に邪魔になりかねない右の腕につけていた。
         カタリ、カタリ、カタカタ、と。
         回るのは、歯車。親指と人差し指を丸めたくらいの大きさの、部品。
         篭手とするにはあまりに見た目に脆く、表層でそれが三つ噛み合っている何か――それが、彼女を急かすように回転数を高めていく。

         

        「行くよ、ミソラノソラ!」

         

         そう女が言い捨てると、途端、女の背中で淡い光が弾ける。
         形成されたのは、翼だった。雲の浮かぶ晴れた空に桜色を溶かし込んだ優しい色合いのそれは、けれど獲物を追い詰めるための獰猛さを示すように、二度三度、その場に羽ばたいては砂埃を巻き上げた。

         

        「さあ、狩りはこれからさね!」

         

         そして女は、羽ばたきと共に跳躍、鷹のように力強く山の外周へと一直線に飛んでいった。
         手負いの獲物を仕留めるために。

         

         


         意外や意外、闇昏千鳥や佐伯識典の言う調査は、少なくともこの場においては達成されたようだ。
         しかし、だからといって万事平穏無事に終わるなんて、そうは問屋がおろさない。
         突然の襲撃者。天音揺波たちはこの窮地を、いかにして乗り越えるのだろう。
         そして謎の道具を使う襲撃者の正体とは。さあ、次回を乞うご期待だ。

         

        語り:カナヱ
        『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
        作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

         

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        『桜降る代の神語り』第28話:奇妙な四人(細音側)

        2017.07.14 Friday

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           ひとつの壁を打ち破り、窮地を脱した氷雨細音。
           彼女を含めた奇妙な取り合わせの四人は、辛くも追手を撒くことに成功する。
           そして半日ほど費やした逃走劇の果て、押しかけた商屋の蔵で一行はようやく一息つくことができていた。
           よくまあ匿ってもらえたと思うだろうけど、あくまで『穏便』に協力してもらっただけさ。
           氷雨細音救出の影の立役者は、それができるだけの商人だったというだけの話だよ。

           

           


          「ねーねー、おっさん。喉乾いたんだけど、お水欲しくない? お茶でもいいけど」
          「まだ目があるかもしれんだろう。日が暮れたら貴様をお茶汲みに使ってやるからありがたいと思え」
          「えぇー! やーだーよぉー、ここお酒しまってたりしないのー?」
          「贅沢言うな! 助けてやったんだからそれだけでありがたいと思え!」

           

           うぇー、とただでさえ狭い板間に寝転がり、足を遊ばせる軟派者の平太に対し、喝を入れた恰幅の良い中年の男。平太への尊大な態度とは裏腹に、きっちりと正座で居住まいを正している。ここまで長い間走り通しであった後ともなれば、平太のような若者でもへばるのは道理だというのに、未だ汗を垂らしたまま誰かの視線を気にしたように背筋を伸ばしている。
           どけられた荷の山に背を預けていた細音は、一同から警戒の色が抜けてきた頃合いと見て、話を切り出した。

           

          「あの……どなた様か存じませんが、助けていただいてありがとうございました」
          「ふん、ワシらが間に合ったからよかったものの、貴様のあの不甲斐なさ、一歩遅ければあやつらのいいようにされておっただろう。せいぜい感謝す――ぅぁ痛ぁっ!」
          「……?」

           

           同じく男の隣で荷にもたれかかっていたトコヨが、閉じた扇の角で男の膝を痛打する。目の見えない細音に、何事もなかったと主張するようにすまし顔を向ける彼女の姿に、男は痛みをこらえてさらに背筋を伸ばした。
           咳払い一つ、彼は少々威勢を落として、

           

          「ワシは銭金商會の長をやっとる 銭金舐蔵 ぜにかねなめぞう という者だ。貴様のいた北にまでこの名前が届いてるかは知らんが、ご覧の通り南じゃちっとは名の知れた大商人様よ」
          「私のこと、ご存知なのですか」
          「情報は金と天秤にかけられるくらいには大切だからな。むしろ、北で五本の指に入るとも謳われる決闘代行・氷雨細音を知らんとなれば恥もかく」
          「おぉ、細音サン、そんなにつよーいミコトサンだったんだ。かっくいー!」

           

           銭金が睨みつけると、飄々と笑顔で受け流した平太が寝返りをうって細音の足下に近づいた。しかし抱えていた薙刀の石突が、彼の頭の接近を許さない。
           そんな攻防などないように、涼しい顔の細音は銭金に問う。

           

          「商會の偉い方が、私の助けに来ていただいた、というのは少し突飛に思えるのですが……。そもそも私が囚われていた場所もどうやって?」
          「まあ焦るな。ワシだってなんでこんなことをしているのか分からん。燃えた店の始末も終えんままに赤南に下ったと思ったら、瑞泉の接収騒動に巻き込まれて、まぁた龍ノ宮城下に戻ってくるはめになった。挙句、迷子のミコト捜索に駆り出されたんだ、これが金にならんと思うと涙が出てくるぞ」
          「ちょーどいいとこにあんたがいたのが悪いのよ」
          「……というと、お知り合いで?」

           

           トコヨの挟んだ口に細音はさらに銭金に向けて重ねて問うが、応じたのは銭金ではなくトコヨだった。

           

          「まあね。だって細音ったら、予定の時間になってもどこにも見当たらないんだもの。で、どこほっつき歩いてるか探してたら、ちょうどこいつがいたから調べてもらったの。お金のことばっかり考えてるやつだけど、似たようなお友達はいっぱいいるみたいだからね」
          「いくら火事場で混沌としていようが、ワシら商人の耳はどこにでもある。郊外へ向かった貴様の足取りはすぐに掴めたさ。元より、そんな混沌の中にあってなお歪な人と物の流れってもんが薄々見えてきておってな。あのクルルの活発化も本当だったし、結果論だが貴様によってミコトの拉致が行われているともはっきりしたわけだ」

           

           さらに銭金は、件の地下牢や決闘場のある地域への秘密裏な物流の増加を足がかりにして、どうにか細音の行方を突き止めることができたのだと言う。
           ここまでの流れで一切出てこなかった平太は、地下牢に潜り込んだ銭金とトコヨ相手に、細音の情報と引き換えにして手八丁口八丁で助け出してもらったというわけだった。

           

          「切羽詰まっていたとはいえ、こんなクズの口車に乗らねばならなかったとは……」
          「なーんでさー。ちゃーんと細音サンがどこ行ったのか教えてあげたじゃーん!」
          「あぁ、決闘場見つけるまで随分手間取っちゃったわよねえ……」
          「うぇーん、ごめんねごめんね! 俺っちがもーっと錠前破りがうまかったら、颯爽と細音サンを助けて君を待っていられたのに……!」

           

           ふざけて仰向けに寝たまま胸を抑えてトコヨに片手を差し出す平太の態度に、トコヨ本人は極めて無関心であった。だがその一方で、顔を赤くしたり青ざめたりしている者がいた。

           

          「おい、貴様ッ!」
          「ん?」
          「貴様、よくもそんなふざけた口を利けたものだな! いいか、このお方はぁ痛っ……!」

           

           逼迫した銭金のその言葉は、身を乗り出してまで扇で頭を殴りつけてきたトコヨによって遮られる。ついた汗を彼の着物で拭うにこやかな彼女の目は、全く笑っていなかった。
           実のところ、銭金はトコヨを宿すミコトである。彼の審美眼はトコヨに認められる程度のものではあったが、決闘の実力が下の下なのはともかく、金銭的価値が第一という価値観のせいで、宿すことを許されていながら嫌われているという少々複雑な関係にある。
           そんな彼の紹介を遮った打撃の意味は、『余計な事を喋ったらただじゃおかない』というそれ。
           そう、トコヨはまだ己の正体を細音に打ち明けていないのである。

           

          「うわぁ、いたそー……おっさん大丈夫?」
          「なん、でも……ない…………けど、言葉遣いは、正せ……」

           

           それが、トコヨの前で銭金ができる精一杯の忠告だった。
           流石の細音も二人の上下関係を理解したのか、空笑いをこぼすと、助け舟ついでに気にかかっていた話題を差し向ける。

           

          「先ほど、南から逃げてきた、という旨のお話をしていたように思うのですが、なにかあったのでしょうか」

           

           項垂れながらも銭金はそれに納得したように、

           

          「ああ、瑞泉だ。やつらには気をつけるんだな。有事と称して赤南の港を占拠しおって、ワシの金も品もほとんど持っていきおった。接収とはよく言ったもんだ」
          「つまり、侵略を始めていると?」
          「さあな。あくまでも龍ノ宮の御用達としての見方だ。……まあ、あんなに手際よく港から攻めたんだ、龍ノ宮に入る金も物も、奴さんたち根こそぎ持っていくつもりだとしても不思議じゃなかろうよ。ワシらの商船にいち早く目をつけてたしな」

           

           だが、と銭金は一拍置いた。

           

          「それだけで終わらない何かを始めようとしていることは確かだ。あやつらが懐に入れようとしているものの目録に、人が加わっているかもしれんことは、氷雨――貴様を始めとしたミコトの拉致を、瑞泉の手の者が行っている可能性があることを加えて考えれば、だ。あながち間違っておらんとは思わないか?」
          「一体何を……」
          「まだ分からんし、どうなろうとワシは商いをうまく転がす方法を考えるだけだ。ただ、あいにくお仕えしてた一志殿はおっ死んじまわれた。喧嘩売ってきた瑞泉から巻き上げてやるのも悪くないが、災難続きから早々何をするにも色々手が足りないし、何よりワシらにすら薄っぺらく見える建前に、荒事が透けて見える。命あっての物種、弱っちいワシには――あ?」
          「あ……?」

           

           突然固まった銭金。焦点の定まらない目の裏で必死に計算を回していることは、頭に収まりきらない何かを数えたり並べたりしている指先が示している。それからぎこちなく視線をトコヨに向け、細音に戻し、その薙刀を見て、また細音の顔に戻した。
           彼は、気づいてしまったのである。

           

          「え、あ、うゎ……」
          「どうされまし――……!?」

           

           先を促した細音は、いきなりがらりと変わった空気の色に鳥肌が立った。
           それは別に恐怖だとかそういったものではなく、今まで無愛想だった男が戦慄いたかと思った矢先、突然猫なで声を上げたら、誰だって顔をひきつらせるといった、生理的なものだった。

           

          「氷雨殿、そういった不安定な情勢でありますが、だからこそこそ銭金舐蔵、精一杯頑張らせていただきますので、どうぞご贔屓のほどよろしくお願いしますぅ」

           

           冷や汗でびっしょりになった脂ぎった中年男の、へりくだった笑み。
           メガミに気に入られた凄腕のミコトだという、このご時世縁を結んでおいて全く損のない存在――細音をそう捉え直した銭金は、先程までの態度をどうか忘れてくださいと言わんばかりの商人魂を発揮していた。
           明らかに目を、心なしか金色に輝かせた銭金のゴマすりには、技巧を究めんとする細音であろうとも対応の一手を打つことはできないのであった。

           

           


          「氷雨殿、ワシらはこのあたりでお別れであります」

           

           夜襲をかけられたということもなく、翌朝、四人の姿は小屋にほど近い細い街道にあった。
           細音の嘆願もあって目一杯おもねることもなくなった銭金は、二又の分かれ道の右手を指してそう告げる。

           

          「咲ヶ原を抜けることになりますが、古鷹へはここからがむしろ今は一番よろしいでしょう。トコ――い、幾年殿の案内もあることですし、貴女であれば心配ないかと」
          「どうも色々とありがとうございました」
          「いえいえ! 落ち着くまで蟹河の店に居るつもりですので、今後お困りことがありましたらご一報ください。こちらも勉強させていただきますので……!」
          「いいからあんたはさっさと金数えに行きなさいよ! 拝金主義が細音に伝染る!」

           

           しっしっ、と細音の腕を抱きかかえながら追い払ってくるトコヨに、彼の作った笑顔は強張っていた。メガミとミコトとして縁を切られたわけではないから、トコヨの言葉はいつでも半分冗談なのだったが、悲しいかな、だからこそ彼に口答えは許されないのである。
           流石に印象が悪いと思ったのか、別れ際にさらに話題を続ける。

           

          「そ、そうだ。古鷹領へ行かれるのでしたら、異邦の方々にもしお会いすることがあれば、是非よろしくお伝えいただけると。なんであればお力添えしていただけると有難く」
          「異邦……? どのようなお方でしょう」
          「海の向こうから来られた、技術者とその侍従のお二人です。どちらも黒い肌に銀の髪の女性ですので、見ればすぐに分かることでしょう。ジュリアさんとサリヤさんと申されます」
          「あ、知ってる知ってる! 確かに見たことないキレーなおねーさんたちだった!」
          「なんで貴様が知っとるんだっ!」

           

           荷を抱えて身動きの重い平太の頭が殴りつけられる。もちろん、細音たちに向ける笑顔は忘れない。

           

          「ジュリア様には桜花結晶の研究の権威としてオボロ様を紹介したので、忍に縁深い地ですから、道が交わることもありましょう。我々としても随分興味深い技術をお持ちの方ですので、重ねて何卒」
          「金づるだって素直に言えばいいのに」
          「……そこは否定しませんが、それだけではないことは、お会いすれば分かるかと」

           

           珍しく、そう答える銭金はトコヨに対して随分と得意げであった。メガミである彼女すらも驚くようだと宣言しているようで、それ以上トコヨが食い下がることはなかった。
           もう言い置くこともなくなったような空気に、細音は西へと足を向ける。

           

          「承知いたしました。それではお気をつけて」
          「そちらこそお気をつけて! 古鷹殿にもよろしくお伝えくださいませ」
          「べーっ!」
          「じゃあねーおっさーん!」
          「おいこら待て」

           

           銭金と別れ、西へ歩き出そうとしたのは三人。だが、そのうちの一人は、素早く伸ばされた銭金の手に首根っこを抑えられた。

           

          「えー! やだやだやだぁー! 俺おっさんと二人旅なんてやだよぅ! 女の子二人とわくわくどきどきの冒険したいぃぃ!」
          「スリの平太がどの口を利いとるんだ。不釣合いも甚だしい。食い扶持はくれてやるから、大人しくワシにこき使われるんだな!」
          「絶対それ使い潰す気満々じゃんかよー!! 助けてぇー!!」
          「いいから荷物持ちはさっさと歩け!」

           

           そのまま、見かけによらない銭金の力強さで引っ張られていく平太を、困ったように見送った細音とトコヨ。ほっとしていないと彼女たちが答えれば、もちろん嘘になる。
           やがて遠くで平太が観念したのを認めると、細音は再び歩き出す。

           

          「さあ、行きましょう久遠」
          「あ、うん」

           

           先に声をかけた細音の後を、トコヨははにかんで追っていった。

           


           こうして、氷雨細音の周りで起きた動乱は、ひとまずの終わりを迎えることになる。
           彼女はこれから古鷹領、そしてそのほど近くに存在する忍の里へと向かっていく。
           そう……天音揺波もまた、忍の里へと向かっていることに、君ならば気づいているだろう?
           二人の再会は、もう遠くはない。

           

          語り:カナヱ
          『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
          作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

           

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          『桜降る代の神語り』第27話:奇妙な四人(揺波側)

          2017.07.07 Friday

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             君は咲ヶ原の森の中にある、腹あたりまで砕けたような不格好な山を見たことがあるかい? 
             陰陽本殿跡と呼ばれるかの遺構への道は、そんな山だったものの麓で口を開けている。
             出迎えてくれる石門も、今や随分と歴史を感じさせてくれる佇まいだよ。
             それをくぐって洞窟を進めばたどり着けるのだけど……あのときは、そんな普段人気のない場所になんと四人もいたんだ。
             ……そう、奇妙な二人組が二組で、奇天烈な組み合わせになった四人がね。

             

             


             沈黙。それは武器であり、防具でもある。雄弁に物を語れば人の心を動かせるかもしれないが、語らないことで語る姿は時に言葉以上の説得力を持つ。
             しかし沈黙は、武具であるが故に、顔を見合わせて構えてしまえばそこはもう戦場となる。
             出会ってしまった。目があってしまった。そして、黙ってしまった。
             そこで会釈も無視も選べなかった者たちは、たとえ出来心で構えてしまった武器であろうとも、もはや鍔迫り合いの最中であるという現実からは逃れられないのである。

             

             そんな沈黙の中で、千鳥はあまりの気まずさに溺れそうになっていた。
             揺波と共に北から森を抜けてきた彼は、ようやく目印の石門を見つけて安堵していた。だがそれと同時、石門を挟んでちょうど反対になるような位置からも、男女二人組が木影から姿を現したのである。
             千鳥からしてみれば、こんな辺鄙な所で誰かと合うことがそもそも想定外だった。極秘の任務ではないので見られたことそのものは問題なかったが、しかし想定外を想定外として受け流しそこねた理由は別にある。

             

             眼鏡をかけた男は学者然とした雰囲気を持っており、立派な革の外套を羽織っていた。そこまではまだ、千鳥も百歩譲って学究の旅の人なのだと解釈することができた。だが、はためいた外套から覗いたのは、腰にくくられた爪のような武器。手を見やれば、確かに彼はミコトであった。
             極めつけは女のほうである。土より濃い肌に白……否、銀の髪。身体に上等な布を巻きつけたような服装。見たこともないような格好の彼女は目端に涙を浮かべていたが、千鳥もまた心の中で泣きそうになっていた。

             

             怪しい。地元住民の一言では到底済ませられない。
             だがいくら怪しいと言ったところで、ここで出くわした以上目的地は同じはずである。この泥のような気まずさを突っ切って、洞窟に入ることはいくらなんでもできなかった。何より、武器を持った男に荒事の可能性を見出してしまったのが、千鳥の一番の不幸であった。

             

             故に千鳥は永遠のように感じられる沈黙を打ち破り、穏便に別れる、ないしは怪しい二人と合流する必要に迫られていた。
             ……しかし悲しいかな、彼は諜報も請け負う忍とはいえ、あまり世渡り上手ではなかった。

             

            「か……、観光、の方……ですか?」

             

             勇気を振り絞っての問が、濃密すぎる沈黙の中に消えていった。鉢合わせしたときから何も言わず神妙な面持ちで考え込んでいた揺波も、それは何か違うと、調子を崩されたように眉をひそめていた。
             どっと背中から嫌な汗が吹き出た千鳥は、さらに冷やしてしまった空気に後悔しきりの胸中を、なんとか顔に出さないようにするので精一杯だった。

             

             それからさらにまた一分に迫る沈黙。
             次にそれを破ったのは、学者然とした男のほうだった。

             

            「忍がここに何の用だ」
            「……!」

             

             警戒心露わに問い返してきた男に、千鳥は頭皮から汗が滲み出すのを感じていた。驚きの声を飲み込むことには辛うじて成功していたが、強張った身体は誰が見ても図星のそれである。
             沈黙がそのまま霜になって降りてしまいそうなほど、場の空気はさらに凍りついていく。銀髪の女は、ピリピリとした男の様子に今にも泣いて喚き出しそうだった。

             

             忍者の存在自体は秘匿されているわけではないものの、依頼人以外に個人が忍と特定されるのは稀である。道中揉め事が起きるとしたら、むしろ龍ノ宮殺害の犯人である揺波を原因とするものだろうと考えていた手前、彼の頭が真っ白になるのも無理はなかった。
             よもや調査内容に関わる存在では、と身構えようとするが、その顔を赤土のように染めている人畜無害そうな女の姿が、その気構えを横から蹴り飛ばしていく。

             

             問われる側となった千鳥が、目を泳がせながら沈黙することさらにしばし。
             次にそれを破ったのは、得心のいったようにぽんと手を叩き、男に目を向けた揺波だった。

             

            「あ! ふっとばされた人!」

             

             ……このとき千鳥は生まれて初めて、空気が割れる音を確かに聞いた。いっそ男の眼鏡が割れた音のようですらあったが、幻聴であるかもしれなくとも、確かに千鳥の前で空気は音を立てて割れた。
             そう、先程まで神妙な顔をしていた揺波は、記憶の端に引っかかっていた男のことを思い出そうとしていたのだ。そして彼女にとって、彼は確かにふっとばされた人であった。……ヒミカに招待されて観覧した、龍ノ宮一志との決闘において。

             

            「は……?」

             

             そんなことはつゆ知らず、平静さを保つように眼鏡を掛け直す男。明らかに弛緩した空気は、先程まで敵意すら薄く滲ませていた男が、混乱の渦に叩き込まれたのだと示していた。
             一人満足そうな揺波は、それから言葉を続けることはなく、成り行きを見守る観客と化していた。ただ、どう考えても揺波が怪しい男を知っている旨の発言に、当事者だろう、と彼女を引っ張り戻せるほど、千鳥の思考回路は頑丈ではなかった。

             

             方向性を完全に失った沈黙。
             最後にそれを破ったのは、

             

            「アァァァァァァァァァッ! もうッ、これがアンマリですっっッ!」

             

             涙の意味を怒りに変えた、片言の女の爆発だった。

             

            「アナタタチ、もうイイカゲンにしてください! なんなんですか、アナタタチは! 遠くから長く海を船で一緒に来て、研究いっぱいできる喜んでマシタのに、到着したらワタシたちいきなり捕まって! ゼニャーネさんに助けられて出ることできたら、次は道分からなくなって! オネガイしたのワタシからもですけど、なんで招待されたワタシがお部屋で眠ること許されなかったのですか!? そのせいで外で寝てたら怖い人たちいっぱい来て、また捕まって、一人なって、助け来てくれなくて!」
            「じゅ、ジュリア、さん……?」
            「ソウデス! でも! サーキが助けてくれた、思ってました! これで終わり、思ってました! ……だけどまたナンデスカ! もうワタシイヤです!」

             

             怪しい男こと佐伯の動揺を他所に、堪忍袋の緒が切れた元人畜無害な女ことジュリアは、今までの鬱憤を晴らすように等しく三人を睨みつけていた。そしてあっけにとられている三人を叱りつけるように指さして、

             

            「サーキも! アナタも! アナタも! 会ったら、最初、アイサツ! この国、それ違いますか!? 皆、誰ですか!? 三人、知ってる人、違いますか!? ワタシ、ジュリア言います! ジュリア・ヴェラシヤ・クラーヴォです! この国にサクラの研究しにキマシタ! 次、サーキです!」
            「え、いや……」
            「サーキ、誰! 言います!」

             

             完全にジュリアに飲まれた空気の中、誰も激怒する異邦人に逆らうことはできなかった。

             

            「佐伯識典……という者だ。メガミ様に関する遺構を調査する学者……とでも思ってくれ」
            「次、そこのオトコの人!」
            「あの、俺、闇昏千鳥、って言います……。えーと、同じくここを調べに来た人、です……」
            「最後! オンナノコ!」
            「あ、はい。天音揺波です。千鳥さんに着いてきただけなので、ここで何するかはよく分かってません!」
            「……ウン? アー……いや、ヨロシイ、です!」

             

             男二人とは対照的に、自信満々で不明瞭な答えを返した揺波にジュリアはやや困惑していたが、隣で首をぶんぶん縦に振っていた千鳥の姿を認めると、納得したように怒りの表情を収めていった。

             

            「ミンナ、この先、行きたい。なら、一緒に行く、それはゴーリテキではありませんか?」
            「合理的……では、確かにありますが……」

             

             もう千鳥には、彼女の言葉に対して首を横に振る気力は残されていなかった。だから、再び眼鏡を掛け直して思案する佐伯の反応をただ待つしかない。
             そうして千鳥、揺波、ジュリア、最後に石門を見比べた佐伯は、一つ、深い溜め息をつく。

             

            「仕方ありません、同道することとしましょう。……いいな?」

             

             覇気の欠けた佐伯の睨みにもまた、千鳥は頷くことしかできない。
             こうして奇妙な二組の男女は、晴れて奇妙な四人組となったのであった。

             

             

             

             


             山肌に口を開けた洞窟となれば、どこまでも深く続いていく荒れた迷路を想像してしまうが、本殿跡に繋がるここは、人の手が長く入っていない印象とは反対に、傾斜のほとんどない一本道が整然と伸びているだけだった。
             入ってから黙々と進み続けた一行は、入り口からの光が潰えるよりも前に、行く手から差し込む光に気づいた。

             

            「あれ、もうお山の反対側に出ちゃったんですか」
            「いいや違う。あの先に我々の目的地が――ってこら、こんなところで走るな! 崩れたらどうする!」

             

             陰気に早くも嫌気が差していた揺波は、定かではない足下をものともせず、光に向かって駆け出していた。
             そして他の三人を置き去りにして、真っ先に洞窟から出た揺波は、思わず足を止めた。
             それは、目の前の光景に対する感動でも、驚愕でもなかった。

             

            「えっ……」

             

             揺波が立っていたのは、山の中に存在することなど考えられないほど広大な空間であった。咄嗟に比較できる対象として彼女は屋敷の敷地を思い浮かべたが、それでもなお足りない。何故なら、山を筒でくり抜いたように空まで吹き抜けていたのである。
             さらに居場所を見失わせるのは、そのくり抜いた筒――空間の壁面であった。凹凸こそあれど、朽ちた枯木の樹皮のような色合いは、苔のことを考えても明らかに岩肌のそれではない。土と緑の匂いが鼻をくすぐるのも相まって、ここは岩砂に埋もれた超巨大な樹の中だと言われても納得してしまいそうである。

             

             揺波は、ここが社のように神聖で、なおかつ誰かの手で作れられたものと理解できていた。眼前から広がる石造りの床は自然物というには平らすぎるそれで、二つの色合いを基調とした模様も認められた。
             だが、疑問が口をついて出た彼女の目を最も惹いたのは、彼女のよく知っているもので、けれども一度も見たことのない異様を呈すものだった。

             

            「うわ、すげぇ……これ……」
            「樹、ですか?」

             

             追いついてきた一同も、足を止めた揺波の隣でそれを目の当たりにした。唯一、ジュリアだけがその意を異にしていたが、ミコトである三人は等しくその異様さを甘受していた。
             広大な空間の中央にそびえる巨大な桜の樹。若々しさこそないが、天を掻き抱くように広げる枝は老成してなお躍動感に溢れている。あまりに大きすぎるものだから、遠近感も狂ってしまうほどである。
             ただ、その大樹には、大切なものが欠けていた。

             

            「そう、古鷹大社の白金滝桜や、瑞泉城の翁玄桜のように、格の高い社ほど大きな神座桜を擁しているものだ。しかし、かのヲウカ伝説の舞台ともされているここ陰陽本殿跡のそれはまるで別物だ。大きさも然り、そして何より――」

             

             慣れないといった様子で目を揉む佐伯は、自分でもう一度確かめるように、事実を告げる。

             

            「世にも珍しい、結晶のない桜なのだから」

             

             苔むした巨大神座桜は、輝きを放つことなく静かにそこに鎮座していた。

             

             


             同道することになった奇妙な四人は、君も知るようにそれぞれ複雑な事情を持っている。
             そんな複雑な四人がやって来たこの遺構も、実のところ色々と訳ありなのさ。
             表向きは一応平穏、しかし裏には様々な思惑渦巻くこの空間。
             果たして彼らは、平穏なままに為すべきを為すことができるのだろうか。

             

            語り:カナヱ
            『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
            作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

             

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