『桜降る代の神語り』第20話:細音と久遠

2017.04.21 Friday

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     妙な縁が結ばれたとは言っても、その足を止めるほどのものじゃあない。
     一晩を明かした氷雨細音は、城跡へ向かって龍ノ宮領をひた歩く。
     けれどもまあ、先を急ぐとぷっちり縁を切れるわけもなく……。
     情け容赦もなく道連れにまとわりつかれた彼女にとって、それが悪縁でなかったことだけが慰めになるだろうね。

     


     すたすたと、迷いを振り切るようにして交互する長い脚。

     

    「ねーねー」

     

     ぴょこぴょこと、飛び跳ねるように歩幅の違いを埋めていく短い脚。

     

    「ねーってばー」

     

     細音にとって目の代わりである薙刀の石突も、いっそ掘り返してしまいかねないくらい乱暴に地面を探っている。途中で水たまりがあろうが問答無用で突っ切るだろう勢いは、朝靄も残るうちに宿場を出てから陽を仰ぎ見るほどになった今に至るまで、ずっと衰えていない。
     道程はそれゆえかなり進んでおり、城下町外縁部の田園地帯を今に抜けようか、というところである。

     

    「そんなに急がなくったっていいじゃん。やろーよ音楽やろーよー」
    「…………」
    「めくらなのに、そんなに急いでちゃ転んじゃわない? 怪我して手が使えなくなったら、演奏できなくなって大変だってば」
    「……誰のせいだと思っているのですか」

     

     ほんの少しだけ、細音の足が鈍った。それを察した少女・久遠が細音の前に躍り出て、行く手を塞ぐ。
     けれど細音は、応じたことそのものに反省しながら、華麗に避けて通る。

     

    「あたしのせい? とんでもない! あたしは、あなたの楽才が埋もれたままになっているのがもったいないって一心で、楽の道に――」
    「それが余計なお世話だと言っているのです。私には既に歩む道がありますからっ!」
    「ちぇー」

     

     ちっとも納得していなさそうに悪態をついた久遠が、再び細音の後を追った。

     

     細音の苛立ちももっともで、昨晩久遠に絡まれた細音が、夕食の同席を認めてしまったところまではまだよかった。しかし、そこで久遠が北方の弾き語りを話題にした際、弾き手として細音が乗ってしまったのが運の尽き。
     素地すらあったと知った久遠が、彼女を音楽の道に引き込もうと延々と勧誘したとなれば、さしもの細音も無視という選択を採らざるをえない。いくら音楽に親しみがあるとはいえ、氷雨細音は未だ見ぬ武の果てへの途上にいるのだから、このまま薙刀から琵琶に持ち替えるわけにもいくまい。

     

    「寝て起きたら気が変わってるかと思ったら……でも、そーゆー頑固なのも好きだよあたし」
    「…………」
    「ほらほら、もう中心街だよ? 確か芝居小屋があったはずなんだよねーここ」
    「それは……分かっています」

     

     細音がそれを判断できたのは、むっと強まった焦げた臭いのおかげだった。
     風もないというのに、木を燃やした臭いに二人は包まれていた。細音の耳が捉えていないように、火はもはや勢いを殺され尽くして久しい。けれど、熱の失せた焼け跡を片付け始めているであろう住人に、恐怖を想起させるに余りある生々しい崩壊の臭いが鼻をつく。周囲に飛ばされる作業の指示の声にも、どこか不安が滲んでいるようであった。

     

    「このへんまでメガミが暴れまわったらしいからね」
    「なるほど、ヒミカは北へ……」

     

     実際に逃げる揺波と細音を追ったからなのか、はたまた天音家を襲撃する道中だったのか、それは本人のみぞ知るところだ。けれど細音は、無関係な人を巻き込んでしまったようで、少し言葉に詰まった。
     ……が、久遠にはそんなことは関係がない。

     

    「まー火事のことは別にいいじゃん? なんでもその小屋で扱われてたのは、かの畠山松陰が手がけた笛だとかなんとか。もしかしたらあるかもよー?」
    「関係ありません」
    「吹けるかもよー? なんならあたしが吹いちゃおっかなー!」
    「……はぁ」

     

     ため息と共に、刀身を隠したままの薙刀を軽く久遠に向ける。

     

    「わかりました。その芝居小屋とやらに行きましょう」
    「やった!」
    「ただし! ……立ち寄ったらもう二度と私に付きまとわないと誓ってください。それができなければなしです。そして誓いを破れば、そのとき私の手元が狂わない保証はありません」
    「はぁーい」

     

     本当に分かっているのだろうか。
     そんな懸念もどこ吹く風と、先導し始めた久遠。後を追う形となった細音は、予想外の方向からもたらされた幸先の悪さに、不安を覚えるしかないのであった。

     

     


     焼けた龍ノ宮城を左手に見て、東西に走る通りをいくらか西へ。城を見送るようになった頃合いには、なんとか形を留めている建物も増えてくる。芝居小屋は、そんな通りも突き当たる位置で燃え残っていた。

     

    「あー、こりゃまた」

     

     肩をすくめる久遠。一体どれほどの聴衆を飲み込めるのか、というほどの芝居小屋であった建物は、向かって左側と、釣られたように屋根のほとんどが焼け落ちてしまっていた。びしょ濡れだったり人為的に破壊された痕があったりと、消火の努力が見受けられる。

     

    「この分だと期待はできそうにないかなー。燃え尽きてないのがせめてもの救い、ってくらいだけど、野ざらしにされちゃね」
    「気が済みましたか……って、どこへ!」
    「中に決まってるじゃなーい」

     

     柱が焼け崩れたりしてまだ危険かもしれないというのに躊躇なく歩き続ける久遠に、細音は義務感半分自棄半分で着いていく。
     そうして久遠が、開け放たれていた入り口から顔を覗かせると、

     

    「なんだ、先客がいるっぽいよー?」
    『あ゛ぁ?』

     

     先客たちの輪唱は、すこぶる棘のあるものだった。
     小屋の中は案の定焼け落ちた天井によって、内装が分からなくなっている有様であった。座布団の残骸にまみれている一帯が座席であることくらいは把握できるものの、肝心の舞台は床に突き刺さった何枚もの天井板の燃え残りの向こう側にあるようだ。
     先客たちは、そんな芝居小屋跡を片付けているようだった。
     物色していた、とあるいは言い換えたほうがいいかもしれないが。

     

    「おいおい、なんだぁこのガキども。いっちょまえに薙刀なんてこさえてよぉ!」
    「俺たちゃ忙しいんだ。かまってやる暇なんてねえから、さっさとおうちけぇんな! ……あっ、けぇりたくてもけぇる家がねえか!」

     

     爆笑する先客ら。その下品な気性は、金になりそうなものを抱えている彼らの姿を見ることができない細音にも、正体が火事場泥棒であると悟らせるには十分すぎた。
     薄い笑みを張り付かせたままの久遠をかばうように、細音が前に出る。
     最初に細音を笑った男がそれをさらに鼻で笑い、ぞろぞろと物陰から姿を現した賊たちの中で最もガタイのいい男を指すと、

     

    「やろうってのか? こっちにゃ山岸さんがいるんだぜ!? あのミコトの、山岸さんだぞ!」
    「ガキが敵うお方じゃねえぞ。なんてったって、宿すメガミは破壊力重視ッ! 槌のハガネに鉄拳のコダマだ! ハガネに至ってはあの龍ノ宮一志も使ってたくらいなんだ、そんな細腕すぐに折れちまうわ!」

     

     山岸と呼ばれた男は、久遠と細音を見下せる位置に陣取った。両手に指先まで覆う鉄製の手甲を装備しており、膨れ上がった二の腕は丸太のよう。

     

    「グハハハハハ! 一撃でおねんねさせてや――」

     

     そんな彼が、攻撃を繰り出す余地はなかった。
     それどころか、一言、言い終わる間すら与えてもらえなかった。

     

    「――ぁ、あ……ぁぅぁ……」
    「痴れ者め。恥を知りなさい」

     

     細音が薙刀を手元に戻し、刃を露わにした上で構える。
     山岸なる男は、見下していた細音の動きをまったく見切ることができず、みぞおちに吸い込まれていった石突によって膝をつき、そして地面に伏した。
     彼らが不幸だったのは、音楽という芸能に親しみのある細音を敵に回したことだった。

     

    「こ、こいつ……! みんな、やっちまえ!」

     

     賊は残り七人。一斉に懐から小刀や棍棒を取り出すと、両手いっぱいに抱えていた金品を放り捨てて細音に襲いかかった。
     山岸を踏み越えて戦線に躍り出た細音は、初見かつ散らかっている場所にも関わらず、向かい来る賊を的確に捌いていた。不用意に間合いに飛び込んできた男をみねうちで吹き飛ばし、後続の体制を崩したりと、咄嗟に考えうる程度の戦術を即座に実行に移せるのは彼女の基礎修練のたまものである。

     

    「くっ……」

     

     けれど、やはり人数差を容易に覆すことはできない。細音を含め、決闘に特化した修行をするミコトは多い。それは、合戦などとんと起こらない時勢であれば当然の帰結であり、多人数を相手にする戦闘技能を持つ者は限りなく少ない。
     加えて、ここは神座桜の下ではない。メガミの力を借り、最大限発揮できる環境であればいざしらず、十把一絡げの賊よりも肉体的に少し優るだけでしかない細音が、力任せに場を収めることは叶わなかった。

     

     屋内ということもあり、乱戦によって複雑に絡み合う音を整理するのに集中力を削がれていた細音は、故に気づくのが遅れてしまった。
     四人目の局部を柄で痛打した彼女の耳が捉えたのは、窮地だった。

     

    「へ、へへ……多勢に無勢だったようだなぁ」
    「しまった……!」

     

     起き上がった山岸が、苦悶の表情を浮かべながら久遠に迫っていた。かばうように前に出ていたのが仇になったか、としっかり気絶させなかった自分を細音は悔やむ。むしろ逃げる時間を稼ぐための大立ち回りだったのだが、目をつけられた今になって久遠にそう言ったところで意味はない。

     

     無論、賊はそういったところには無駄に頭が回るので、山岸が久遠を人質にとるまでの時間稼ぎをすべく、残りの三人で一斉に襲いかかる。
     万事休すか。あんな子に関わらなければよかった。
     そう、細音が三人分の力をどう捌くか、必死に考えている最中、山岸のいかつい手が、久遠に伸ばされる。

     

    「大人しくしな。この嬢ちゃんがどうなっ、て――」

     

     が、そんな彼が、久遠を取り押さえることはなかった。
     それどころか、警句を、言い終わる間すら与えてもらえなかった。

     

    「――ぇぁがッ!」

     

     大男が、今度は背中から地面に叩きつけられた。

     

    「…………」

     

     静寂に包まれる芝居小屋跡で、久遠の残身だけが起きたことを物語っている。
     肩をつかもうとした山岸の手を、僅かに身体をずらすことで避けた久遠は、そのまま身をひねりながら半歩前に出て懐に潜り込み、突き出された手を下に引っ張りながら肘の裏を軽く押した。
     まるで舞うように滑らかだった一連の動きは、けれどその流麗な見た目とは裏腹に、少女に巨体が放り投げられるという恐ろしい結果をもたらした。

     

     

    「ほらほら、そっちも早くやっちゃってよ。この馬鹿ども追い出さないと話始まんないんだからさー」
    「え、あ……は、はい」

     

     一足先に我に返った細音は、唖然としていた賊どもを押し返す。

     

     実力者を二度も瞬殺されてしまったためか、それから賊を始末するのは容易だった。結局、奪うつもりだったものも全て置いて、ほうほうの体で逃げていった。
     そんな彼らを見送った細音には、一つの想いが生まれることになる。
     焼け跡から見つかった数々の楽器を愛おしむ久遠は、決して音楽馬鹿なだけではないのではないか、と。

     

     


     こうして、氷雨細音も幾年久遠――トコヨへと関心を持つに至った。
     氷雨細音はトコヨから学べるものを見定めるため。
     トコヨは氷雨細音を自らの望む道へと引き込むため。
     噛み合うようですれ違っている、そんな二人の旅がここに始まったのさ。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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    『桜降る代の神語り』第19話:奇縁

    2017.04.07 Friday

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       火の手より逃れ、そして新たな目的に向かって各々旅立った天音揺波と氷雨細音。
       どちらから語るべきか迷うところだけれど、ここは氷雨細音を追うことにしよう。
       時は別れより数日後。彼女が龍ノ宮の領地へ再び入った頃合い。
       世情に触れる氷雨細音に、早くも新たな出会いが訪れる。

       


       一月も経たないうちに折り返してくることになった道を、細音はやや眉間にしわを寄せながら歩いていた。雨の気配もなく、宿場の喧騒も聞こえてきたとあって、屋根を得られる安心を覚えこそすれ、旅程に不安を覚える道理はない。杖代わりの薙刀を掴む手にも力みは見られず、旅の疲れが顔に出たのだと言われれば納得してしまう程度のそれ。
       細音が、一人きりの道中の慰みに選んだのは、至って冷静な反省であった。そこで生まれた僅かな苛立ちが、彼女を不機嫌に見せてしまっていた。

       

       

       龍ノ宮城での揺波の戦い。庭に面した廊下からその様子を聞いていた細音は、それに感じ入らずにはいられなかった。最強と謳われる相手に果敢に攻めていった揺波の足捌き、太刀筋、何より勝利を求める気迫。それは、細音が否定した彼女から生まれるはずのない、素晴らしいものだった。

       

       細音が揺波を認めるつもりがないのは事実であり、それは今も変わっていない。あの戦いを正当に、客観的に評価してもなお改まることはない。細音の考える武の道とは、どうあっても迎合しないことはもはや真理ですらあった。
       細音の苛立ちは、揺波を評価しなければならないことではなく、負けるのだと決めつけてしまっていた己の不甲斐なさから生じていた。

       

       自分が同じ立場にあって、あのように食らいつけるだろうか。
       その一刀を届かせるために、全てを投げ打つような執着心を抱けるだろうか。
       知りもしない結果を盲信した後悔が段々と熟し、至らなさに目が向くようになる。独りで武を磨いてきた細音にとって自省は発作のようなものだが、今回は特に恥ずかしさすら覚える有様で、彼女に一層の修行を決意させるには十分すぎた。

       

       揺波には情勢を調べるため、と説明したが、細音は自身でそれが建前でしかないと分かっていた。己を高めるには身体を動かす他なく、ただ漠然と雇い主である古鷹の下へ戻ったところで実りは望めない。それが怠惰に思えたからこそ、こうしてまた因縁の地に向かっているのだ。

       

       そうやって煩悶しているうちに、杖代わりの薙刀が叩く地面が、より硬い感触を返した。
       龍ノ宮城下から一番近い宿場町に到着したのである。

       

      「部屋があればよいですが……」

       

       そろそろ夕暮れも近いとあって、宿場の活気は否応にも増しているようだった。旅人の到着と飲み処のかきいれ時が重なればそれも道理であるが、考えていたよりも幾分か人が多そうだ、と細音は宿の心配をするはめになる。
       同じ道を行く者がほとんどいなかったにも関わらずこの有様なのは、南下した人間ではなく北上する人間のせいだろう。城下まで燃え広がった、という自身の目的地のことを再度思い出し、そう得心する。

       

       以前訪ねた際の地理を脳裏に呼び起こしつつ、世話になったことのある宿へと足を向ける。
      と、人を避け通りを行く細音の耳が、一つの音色を捉えた。

       

      「おや……?」

       

       ベン、ベン、とかき鳴らされる弦の旋律。曲というには曖昧で、音というには圧がある。屋内からかと思えば、明らかにそれは軒先からのものだった。
       続けて聞こえてきたのは、高らかに吟ずる妙齢の男の声音だ。

       

      「数多の人々まとめたる、龍ノ宮一志という豪気たる男。しかして彼の望んだ和の中に、天の名借りた悪がいた。道半ばにて地に還った、我らぁァ〜〜のォ、ほまァ〜れェ〜高ァき、龍ぅ〜の末ぇ〜えェ〜」

       

       それはまさに今、世に起きていることを伝える詩、その前口上のようだった。
       細音としては、世情を知るのにこれほど都合のよいものはそうなかった。幸い宿への道中だったため、流しの楽師を囲む人々の輪に入る。

       

       飲み屋の軒先で世を語り始めた楽師が二人組であることを、細音はすぐに悟った。弾き手と語り手が分かれるのはこの手にしては珍しい。語り手がつかえずにいられるのは、ひとえに弾き手がそれに合わせた伴奏をできるだけの高い技量を有しているからだった。
       ただ、細音は幼い頃から聞いてきた音色に郷愁を覚えるも、今現在紡がれている話の内容に再び眉をひそめざるを得なかった。

       

       語られたのは、龍ノ宮の死から起きる一連の出来事。メガミの炎に城が燃え、天音家が燃えた――その事実は確かに間違ってはいなかった。
       けれど、全ての原因が天音にある、という短絡かつ刺激的な結論が細音を苛立たせた。やりどころのない感情が、旋律を追って薙刀の柄を叩く指先の力へと変わる。

       

       曰く、天音のミコトは邪な手段を用いることでここまでの勝利を得ていた。
       曰く、敵わぬと考えた天音が龍ノ宮を誅殺した。
       曰く、まがい物の勝利で以って世を支配するのが天音の目的だった。
       曰く、故に天音はメガミの怒りに焼かれることとなった。
       曰く、ミコトの悪行に狂ったメガミは、正義のミコトの英雄的活躍により鎮められた。

       

      「随分と落ち着いてきた、って時分だってぇのにねえ……」
      「喧嘩がつええだけのやつに治められちゃたまらん。ヒミカ様はようやってくだすった」
      「いやぁ……それでも、あんな焼け野原にされちゃあ……ねえ? 今まであんな方が町にいたのかと思うと……」
      「おめえさん、城下のほうか。そうだな……見境なく暴れられちゃあな……」
      「とはいえ、メガミ様を討っちまったなんて、それはそれで恐ろしいよ。ヲウカ様がお怒りになっていやしないか心配だよ……」

       

       最初からとは言わずも、当事者であった細音にとっては、聴衆の反応も総じて勝手なものばかりであった。この場で身勝手な意見をばっかり切り捨ててしまいたい欲望に駆られるも、そうしたところで得はない。
       そのうち、胸糞が悪くなるような内容を話半分に聞くようになった細音は、佳境に行くにつれて激しくなっていく伴奏を捉えることに夢中になり始めていた。

       

      「ヒトかァ〜ミコトォ〜か、果てはぁァ〜メガミかァ〜。行く末ぇェ、知るべきゃァ、真かァ、桜かァ〜。――……どうも、お粗末さまでございました」

       

       はっ、と終わりを告げられた細音は、随分と熱中していた自分が恥ずかしくなった。語りの伴としては随分と複雑になったその旋律を、ひたすら追い続けることで鬱憤を晴らしていたのである。
       三々五々散っていく人々の足音に、自分も早く宿を見つけねば、と当初の目的を思い出す。すっかり頭の中からどかされていた地図をもう一度引っ張り出す。

       

      「ねえねえ、そこのお姉さん」

       

       そんな細音にかけられた声は、とても幼い女の子のものだった。
       耳が良すぎるため、自分に向けられたものだと分かってしまう細音は、訝しがりながらも応じるしかない。

       

      「……なんでしょうか」

       

       これがただの子供であったのなら、無視することもできた。
       けれど、自分の胸元まであるか怪しいくらいの背丈であろうその子供の足音が、明らかに弦の音色の発生源からやってきたこともまた、耳の良すぎる細音には分かってしまうのだ。
       そしてあの弾き手は、ともすれば語り手を手の上で転がすように奏でていたことも。
      細音の中で、興味と不審が天秤にかけられている。

       

      「今日はここに泊まっていくんでしょう? お夕飯でも一緒しない? あなたと話したいことがあるんだけど」
      「客引きなら間に合ってますが……」
      「あ、ごめんね。名乗りもせずに」
      「あの」

       

       細音の制止をよそに、その少女は悪戯めいた笑みを浮かべながらこう言った。

       

      「あたしは久遠。 幾年久遠 いくとせくおん 。よろしくね」

       


       袖振り合うも、とは言うけれど、それにしたって奇妙な縁だ。
       ……ああ、念のため伝えておいたほうがようさそうかな。
       君なら分かっているかもしれないが、彼女の正体はトコヨ。芸術と永遠を象徴するメガミさ。
       彼女はよく人の世に現れては、お忍びで芸事を嗜んでいる。そしてこのように人と触れ合うこともある。
       ま、お忍びって言ったって、分かる奴にしてみたらばればれもいいところなんだけどね。幸いにして、あの場にはいなかったようだけど。

       

      語り:カナヱ
      『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
      作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

       

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      『桜降る代の神語り』第一章

      2017.03.24 Friday

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        第5話:新たな経糸

        第6話:星詠会

        第7話:仄昏き洞より

        第8話:龍の襲来

        第9話:宿命道辻

        第10話:師弟と姉弟

        第11話:龍ノ宮一志

        第12話:超極秘製作秘話

        第13話:大家会合

        第14話:前夜

        第15話:誰がための決闘か

        第16話:生きる道

        第17話:戦いの終わり、そしてはじまり

         

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        『桜降る代の神語り』序章

        2017.03.24 Friday

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          第1話:天音揺波

          第2話:天音の胸中

          第3話:氷雨細音

          第4話:果ての果て

           

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          『桜降る代の神語り』第18話:旅立ち

          2017.03.24 Friday

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             天音揺波と氷雨細音が燃え上がる龍ノ宮の城から逃げ延び、それから十日ほど。
             龍ノ宮領より僅かに北上した地で身を隠していた二人が、それだけの平穏な時間を得られたのは幸運なことだっただろう。
             激動と混乱に飲まれた彼女たちが、物事と気持ちの整理をつけるには、時間が必要だった。
             でも、世界はそんなことなんてお構いなしに廻り、そして旅立ちの時は訪れる。
             一つの終わりを直視させられたミコトたちの、次なる始まりを語るとしよう。

             


             剣閃が、枝葉を薙ぐ。

             

            「…………」

             

             息遣いだけを零し、相手も据えずにただただ空を刃で切る。自分の持っている型をひたすら確認し続けていくような、そんな淡々とした稽古。森がぽっかりと口を開けたようなこの荒れた広場も、彼女の鍛錬の舞台となってからは随分と踏み固められてしまった。
             すぐ傍にある小屋に転がりこんでから、毎日。元々戦いに偏重した教育を施されていた揺波に家のことができるわけもなく、力仕事を時折任される以外はこうして身体を動かすか、ぼうっとしているかのどちらかであった。

             

             さらに無心に一歩、二歩と踏み込み、袈裟に切ると、そこに混ざった自分のものではない三歩目に、動きを止めた。

             

            「ただいま戻りました」
            「……おかえりなさい」

             

             獣の通るそれに毛が生えた程度の道から、低くなった陽で影法師を伸ばしているのは細音。脇に抱えた麻袋から、泥を洗い落とされた野菜が顔を出している。
             この小屋は、以前細音が古鷹の依頼によって南に下った際に与えられた、誰にも使われていない猟師の小屋であった。細音を最後に誰も立ち入っていなかったようで、彼女記憶にあった当時の小屋よりはやや荒れてはいたものの、片付ければ当分暮らすには事足り、かなり森を入ったところにあるので隠れるにはうってつけであった。

             

            「支度をするので、薪をお願いできますか」
            「うん……」
            「そんなにたくさんは切らなくていいですよ」
            「大丈夫」

             

             まるで声から色が失われてしまったような返事に、細音は静かに嘆息する。
             逃げる最中も、そしてここに来てからも、揺波はずっとこんな調子であった。これがまだ、明らかに落ち込んでいるというのであれば激の一つでも飛ばせただろう。あれだけのこととはいえ、いつまでもぐずぐずするのは心が弱い証拠だ、と考えていたからだ。

             

             ただ、そんな細音でもどう触れていいか分からない程度には、天音揺波という存在から彼女を彼女足らしめていたものが抜け落ちていたのは明らかだった。さらに、それでもなお彼女の刃が切り裂く虚空が、今まで溜め込んでいた揺波に対する言葉を圧し殺していた。
             あくまで、揺波の真意や在り方全てに納得した結果、言葉を飲み込んだわけではない。けれど、彼女の歪さを理解し、言葉や意思をぶつけ、互いの行く道を問うのは今ではないともまた感じていた。

             

            「天音……この隠伏も、ひとまずは終わりを迎えたようです」

             

             簡素な流しで薙刀を包丁代わりに芋を剥く細音。薄い壁一枚隔てた向こうでは、小斧を振るう揺波が乾いた音を立てている。
            壁にそう小さくない隙間こそあったが、盲目の細音に揺波の顔色を伺うことはできない。
             故に細音は、食糧と共に街で仕入れてきた情報を、まずは淡々と述べる。

             

            「ヒミカが討たれたようです。曰く、各大家より遣わされたミコトたちが事にあたった、と」

             

             龍ノ宮の死を目の当たりにして、全てを灰燼に帰さんとしたメガミが、倒された。
             それは、揺波というヒミカにとっての龍ノ宮殺しの犯人が、怨嗟の炎に包まれる未来がしばらく訪れなくなった、という意味を持っていた。永遠の保証こそないが、メガミの顕現はおいそれとできるものではない。細音にとっても、少なくとも滞在中に森ごと焼き払われる心配はなくなった、とそれを聞いたときには胸中穏やかになったくらいである。

             

            「あの炎によって、城はほぼ全焼したようです。城下にもいくらか燃え広がって、かなりの者が焼け出されたとも聞きました。そして――」

             

             来ない反応に声色を伺うこともできず、細音はそのまま努めて淡々と言葉を続けた。

             

            「燃やされたのは、天音……あなたの家もだそうです」

             

             今まで軽快だった薪の割れる音が、芯を外したように鈍くなった。

             

            「城に居たはずのあなたの父君の安否も含め、それ以上のことは分かりません。ただ、ヒミカの矛先が天音へ向いたと、多くの人間が口にしていました。もちろん、実際に見てきた者はまだいないでしょうから、どこまで本当かは保証しかねますが……」

             

             取り繕うようにしても、気休めにもならないと、細音が自身で理解していた。
             ならば、とずっと切り出せていなかった、今後のことについてまで一気に言及する。

             

            「ともあれ、最大の危機は去りました。私は、ここにいつまでもいるべきではないと考えています。かといって、北にも、古鷹殿の下にも、すぐには戻るつもりはないのですが……。私は一度龍ノ宮城下まで下って、知己を頼りながら赤東の地を中心に調べて廻ろうと考えています。世情の変化もそうですし、少し、はっきりしないまでも気にかかることがあるので」
            「…………」
            「ただ、あなたが同行するのは、あまりおすすめできません。彼の地へ戻れば、焼け跡から何か……よからぬものが飛び出してくる気がするのです。勘違いで済めばよいですが、それはあなたを地獄に引きずり込む魔の手ではないかともまた思うのです」

             

             最後にもう一つ、再び快音を響かせた揺波は、やたらと細く割った薪を小さな竈に放り込んだ。石を打つ細音をよそにそのまま小上がりに寝転がると、無色の眼差しを天井へと向ける。

             

            「これから……どうするのですか」
            「私は……」


            「こちらは、早ければ明日の朝にでも発つつもりです。別に急ぎの旅というわけでもありませんから、その……もう少し時間をかけて準備をする分には構いませんが、でも、ここにこれ以上長居するつもりもまたありません」

             

             水を張ったくたびれた鍋に芋を始めとした野菜を放り込むと、屈んで窯には葉や木屑を放り込む。木肌の弾ける音だけが、小屋に響く。
             揺波の返事が来たのは、火が鍋底を舐めるほどに強まった頃合いだった。

             

            「まだ……何をすればいいか、はっきりは分からない」

             

             そんな漠然とした言葉にさえ、芯は感じられなかった。手にした勝利のあまりの歪さが、彼女から現実感を奪ってしまったようにふわふわと浮いている。細音には、自分が足をつけているべき場所をあの炎の中に置き忘れて焼かれてしまったようにも感じられた。
             けれど、なお彼女が鍛錬を忘れないように、細音には彼女がそのまま飛んで消えてしまうような気はしなかった。どこか、彼女の足を抑える何かがあるような、浮遊感とはまた違った確証も得ていた。

             

            「おうち……焼けちゃったって言われても、なんだか自分のことじゃないみたいで。でも、あのヒミカさんならそうしてもおかしくないなあ、って気もして。だから……だから、うん、お父様にも会いたいし、一度帰りたいな……」
            「そう、ですか。およそこのまま西行きの街道沿いを進めばよいですし、安全でしょう」
            「それに」
            「……?」
            「最近、夢を見るんです」

             

             何を言い出すかと思えば、と一瞬細音は思ったが、すぐに取り消した。続いた揺波の言葉が、その予想を裏付けてくれる。

             

            「たぶん……ザンカだと思う。私の、メガミ。あまり良く覚えていないんだけど、話しかけてくれてることだけは分かるみたいな、そんなぼんやりしたものなんですけど」
            「メガミが語りかけてきている……?」
            「たぶん……。でも、それで、思ったんです。私、あんまりザンカのこと知らないなあ、って。細音さんは、ザンカのこと知ってますか?」

             

             小さく、細音はそれに否定を返した。ミコトとして持っている程度の知識は、当然揺波も持っているだろう、と。

             

            「戦ってるときも助けてもらった気がするし、今もこうして……たぶんですけど、話しかけてくれてる。もし、おうちが本当に燃えちゃってて、もし、お父様にこのままずっと会えずじまいで、もし、龍ノ宮さんが……死んじゃったことで、決闘することもなくなるんだとしたら、決闘に関係してるのって、もう私にはザンカしかいなくなっちゃうのかなあ、ってさっき聞いたときに考えちゃったんです」
            「…………」
            「それなのに、一度社に行ったきりで、全然ザンカのこと知らない……もしかしたら、どうせ何もすることがないんだったら会いに来い、って言ってるのかもしれません」

             

             煮立ち始めた鍋に味噌を溶き終わると、それを居間に持っていった。さらに二人分の碗と箸。位置を覚えないとろくに動けない細音としてももう手慣れたものだ。
             のそり、と起き上がった揺波は、しかしそこに見慣れないものを認めた。

             

            「これ……地図ですか?」
            「街で旅支度をしている際に用意していただいた物です。対価はきちんと払ったので、問題はないと思いますが」

             

             北から南に向かって、水かきの張った手を広げて突き出しているような、そんな地形。およそ親指の付け根にあたる沿岸部に朱色で小さく丸がしてあり、蟹河という名と合わせて現在地なのだと分かる。大きな街と、それらを繋ぐ街道、そして主要な地名が大雑把に書き入れてあるだけの大変簡素なものである。
             揺波はそれを眺め、光に透かしながら見、そして訊ねた。

             

            「細音さん」
            「餞別です。どうせ帰り道が分からないとでも言い出すと思いまして。ここまで世話を焼いておいて、道に迷って行き倒れられても目覚めが悪いですからね」
            「あ、はい……ありがとうございます。でも……」
            「もっと詳しいほうがよかったですか? ですがあいにく手持ちが少なくて」
            「そうじゃなくて……」

             

             細音に見えないと分かっていつつも、揺波はもらった地図を細音に向けてこう言った。

             

            「私のおうち……どこですか?」

             

             細音がそれに盛大なため息をついたことは言うまでもない。
             結局、地面に書いてあげた地図と比べながらの地理講義を経て、旅の計画を共に立てることになった二人は、日没によって翌日を準備日にすることを余儀なくされ、出発は二日後と決まった。
             この十日あまりの猶予で、揺波が地に足をつけることはついぞなかった。

             

             

             


            『空き――器よ。……べき同胞よ』

             

             意識すらも霧に飲まれたような、曖昧な光の中。揺波はもう馴染みすら覚えたその声を、心の片端で受け止めていた。

             

            『疾く満た――歪んだおま……器が、妙な…………砕けて――う前に。その一振……、自ら――――てしまわぬように』

             

             もうこれが夢の中での出来事だとは分かっている。そして、何度聞いたところで、結局どうしてほしいのか分からない願いのようなものが、おそらくザンカのものであるということも半ば確信している。
             難しい問にすぐ答えられるほど、揺波は自分が頭がよくないことを知っていた。けれど、そんな彼女であっても一つだけ分かることがあった。

             

            『どうか、……を見届けよ。どうか、我と……。どうか、その…………どり着く日まで――』

             

             その声はどうにも不器用で、けれど自分を気遣ってくれている。
             その不器用さはまるで、戦うことしか能がない自分みたいで、なんだかおかしかった。ひょっとしたらザンカを宿しているからこうなったのかもしれない。

             

            『……揺波』
            (うん……)
            『――ねゆりな』
            (うん……?)
            「天音揺波ッ! 起きなさい!」
            「わっ!」

             

             一気に晴れた霧の先に、怒り顔の細音がいた。抱えていた袋をどさりと投げて寄越す。
             ここは、小屋のあった森を出たところにある街道傍の原っぱだ。日が昇る頃に起こされたせいで眠くて仕方のなかった揺波は、少し行ったところにある街へ最後の買い出しに行く細音を見送って、陽にまどろむうちに寝てしまったのである。
             揺波はそもそも細音と完全に別れた気でいたが、細音はといえば最後まで面倒を見てあげたのに当人は高いびきとあっては、それは眉根もひそまるというもの。

             

             数日分の食糧が入った二つの繋がった麻袋をありがたく肩に引っ掛けると、改めて細音に向き直る。

             

            「細音さん、色々ありがとうございました。お気をつけて」
            「それはこちらの台詞です。……はあ、まったく。よほど大丈夫かとは思いますが、ここまでさせておいて野垂れ死になんてやめてくださいね」
            「あ、あはは……頑張ります」

             そして、氷雨細音は南へ。天音揺波は西へ。

            「では、またいずれお会いしましょう」
            「はい!」

             

             片や柱が一本折れた世の行く先を見据えるために。
             片や己に残ったものと残らなかったものを確かめるために。
             心地よい日差しに見送られた二人のミコトは、それぞれの目的を胸に旅立った。

             

             


             これまで、カナヱが語ってきた第一章は、様々な縁の糸、その交錯を追ったものだった。
             次なる第二章では、この二人の英雄を追っていくこととしよう。
             天音揺波と氷雨細音の、数ヶ月の旅。
             そこで二人は何を見て、何を得るのか……しばらくおつきあい願おうじゃないか。

             

            語り:カナヱ
            『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
            作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

             

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