『桜降る代の神語り』エピローグ

2019.02.15 Friday

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     瑞泉への強襲、時代を巡る英雄たちの激闘、終焉の影の目覚め、記録には残されていない初陣、そして三柱の和解と宣言。
     あまりにも多くのことがあった一夜から、時は流れて一ヶ月。
     狭間の時代は終わり、新たな始まりを人々は感じていた。だけれども、日常にはまだまだ動乱の余韻は色濃く残っている。
     桜降る代は、そんな夜明けを迎えていた。

     

     

     

     


     奥へ踏み込むには灯りの一つも欲しくなるような洞窟。わだかまる闇は、壁面のそこかしこに水晶が顔を出していたとて払えるものではない。
     ただ、その暗がりの中、吹き込んでくる風もないというのに、風を切るような音が次々と生まれていく。

     

    「ふッ……はッ……!」

     

     己の吐いた白い息をも断ち切るのはサイネだ。
     一人、演舞をするように薙刀を操る彼女には一糸の乱れもない。僅かにでも集中を欠けば、長い得物が壁や天井に当たってしまうというのに、一太刀ごとに勢いを増してすらいる。美しくも力強い薙刀捌きは、人間時代の愛刀から持ち替えたところで、むしろさらなる冴えを見せているようであった。

     

     やがて手を止めたサイネは、手ぬぐいで汗を拭いながら、上気した身体を冷ますように洞窟の外へと向かう。
     御冬の里。雪に覆われた彼女の故郷の外れに、小高い丘がある。彼女の姿は今、そんな里を遠くに見下ろす位置にあった。

     

    「相変わらずですね……」

     

     視力のないままである彼女が嘆息したのは、その耳が捉えた里の様子のせいだった。
     御冬の里は本来、雪に音が吸われきってしまったように静かな場所だ。海に寄ればまた違ってくるが、外ではしゃぐ子供の声すらあまり聞こえてこない。南に比べたら寂しさもあれど、耳の良すぎるサイネにとってはそれがありがたくもあった。

     

     けれどここ1,2週間、里には普段とは違った騒がしさで溢れていた。祭の季節でもないのに、どこか活気に満ちているようだった。その源泉こそが、ようやくこの北限の玄関口にまで届いた、様々な噂話である。
     動乱の委細についてがその大半を占めている。だが、中にはサイネのことも含まれており、耳をくすぐられる度に彼女はむず痒さを覚えるのだった。
     そして人々の関心の中心の一つが、新たな桜花決闘について、である。

     

    「大したものです」

     

     発起人として挙げられた好敵手の名を、彼女はもう何度聞いたか分からない。それも、あの日サイネが刃を交えた強大なメガミと共に、だ。感心する想いに偽りはなかった。過去にユリナが打ち明けてくれた通りに事が運ぼうとしているのだから。
     けれどサイネは同時に思うのだ。決闘を推し進めていくのは結構だが、自分と渡り合えるだけ武に力を注げるのか、と。

     

    「今度は、私が……」

     

     口に出しかけて、やめた。渦巻いた感情を打ち払うように首を振り、己の不出来を認めて微笑んだ。
     時代は変わって次の流れが始まり、ユリナとの付き合いもまた長くなる予感はしていた。けれど、メガミになっても修行を続けているように、自分は自分らしく武の道を進めばそれでいい。自分の道からでも、賑やかな流れを感じることはできるのだから。

     

     再び洞窟へ戻ろうとしたサイネを、南からの風が撫でた。
     心なしか温かなその風の来た道には、因縁の地からの脱皮を図ろうとしているらしい、この地で最も騒がしい町の一つがあるはずだった。
     そう、動乱の始まりの地、龍ノ宮が。

     

     

     

     

     


    「はーい、そこ止まってー!」

     

     ねじり鉢巻を頭に巻いた童女が、建材を運ぶ大工たちに指示を飛ばしていく。

     

    「そのおっきい石、たぶん割れやすくなってるから下のほうに積むのはやめてね。細工の人に持ってくといいかも」
    「こいつらは如何しましょう!」
    「おー、そっちの丸太はよさそうだね! それはあっちのおじさんに回して! で、こっちは……ジュリにゃん!」

     

     喧騒に負けないハガネの大声に、遠くから銀の髪を揺らして少女が駆け寄ってきた。

     

     旧龍ノ宮領。此度の動乱の始まりの地でもあるここも、ようやく大火からの復興の終わりが見えてきたところである。しかし町並みは戻せても、生活や人の心まで元通りというわけにはいかない。当主の死や瑞泉の支配による余波は、依然として残ったままであった。
     しかし、そんな領内にあって往時に負けない賑わいを見せる一角がある。それが、ハガネたちのいるここ――龍ノ宮が守護していた神座桜のうちの一つが膝下であり、そこに堂々とした建造物が新たに築かれつつあった。舞台があり、それを取り囲む客席があれば芝居のそれかと思われるものの、彼女たちの目指すものは、一柱の武神の望みを体現する場であった。

     

    「オォ……チョウドぴったり! コノ七十三から七十八番に使えそうデス! 中心軸をチイサイ歯車で組み合わせるのムズカシくてですね、台を支える重さも考えると、やっぱりアブナいのは、ココ! から、ココ! なんですよ。この角度に負荷かかるのが大変デス」

     

     材木を運んできた大工に、設計図片手のジュリアが説明を始める。彼女一人で設計した絡繰仕掛けの舞台装置を、彼女以外の人間が理解できるはずもない。その饒舌な説明も、だ。辛うじて意訳してくれていた従者も今は側にいない。
     目を回しそうになった大工へと助け舟を出したのは、ジュリアの陰からひょっこりと現れたこそ泥であった。

     

    「あー、つまりですね? 七十三番から七十八番の大歯車を切り出してくれ、って話なんだけども、向かって右っかわに繋がる歯車からの力がヤバイかも、って。形ぴったりでも、力に耐えられなかったら意味ないからさ、ちゃんと耐えられそうか確認しといてちょ」
    「お、おぅ。分かった。あんがとな、兄ちゃん」

     

     礼を述べ、去っていく大工に笑顔で手を振る楢橋。
     そんな彼の手を取って、ジュリアは目を輝かせていた。

     

    「ヘータサン、ありがとゴザイマス! カラクリのこと、いっぱい興味持ってくれてホントに嬉しいデス!」
    「い、いやぁ、役に立ってるんだったらオレっちも大感激! ジュリアさんのとこだったらバリバリ働いちゃうもんね! こ、こんなキレーな手に力仕事とかさせるわけにいかないしさ、いくらでも手伝っちゃうよ!」

     

     彼の鼻の下は、噛み砕いて伝えた内容が合っていたことへの安堵と、柔らかでいながらもある種の強かさを併せ持つ彼女の手から伝わる温もりによって、際限なく伸び切っていた。
     けれどこの楢橋、ジュリアの周囲を勝手にうろついているだけである。もちろん、ジュリア本人を含めて、誰からも従者の真似事をしろなどと請け負ってはいなかった。
     つまるところそれは、本来の仕事をすっぽかしているわけで。
     背後から迫る巨大な拳骨に、苦笑いするジュリアを見逃したのが、彼の運の尽きだった。

     

    「楢橋てめぇ!」
    「い、っだぁぁーっ!」

     

     丸太のような腕から繰り出された拳骨に、楢橋はあえなく撃沈し、激痛に地面を転がることとなった。制裁を成した山岸は、肩に乗せて運んでいた木材の先で、しぶとく逃げようとする楢橋の背中を軽く押さえつける。
     そこへさらに、汗を滲ませた銭金が顔を突き出した。

     

    「貴様、あれほど持ち場を離れるなと言っただろうが! なんとしてでも納期に間に合わせなければならんのだぞ!」
    「だ、だってぇ……」
    「だってもへちまもあるか! これが一体どれだけの収益に繋がるか、耳にタコができるくらい聞かせてやったと思ったんだがまだ足りんか! 商人として、この新しい流れに乗らんわけにはいかんのだ!」

     

     小太りの中年男性から飛んでくる叱責に唾と汗が混ざっていれば、楢橋がげんなりとするのも無理はない。
     暴れるのを諦め、言い訳だけが地面に吸われていく。

     

    「ちぇ……いいじゃんかよぅ。ジュリアさんの助けになれてたし、今もいい感じで……」

     

     それを小馬鹿にしたように鼻で笑った山岸は、

     

    「やめとけやめとけ。てめぇに勝ちの目はねぇからよ」
    「それどういう――っておい、離せ! やめろってば! 頼むから、ジュリアさんと愛の共同作業を続けさせてぇーー!! おっさんばかりはやだぁーっ!!」

     

     木材とは逆の肩に楢橋を担いだ大男は、銭金と共に別の作業場に向かっていった。響き渡る悲鳴も、もうこの場の皆も慣れてしまったのか、最後まで成り行きを見守ることなく粛々と作業に戻っていた。
     一人取り残されたジュリアだったが、隣に並んだハガネが悪戯めいた笑みを見せていた。

     

    「相変わらず、面白い人たちだね」
    「ソ、ソウデスネ……いいヒト、思います」

     

     思いもよらない同意を求められて、言葉が見つからなかったジュリアは雑に返してしまう。彼女自身は研究絡みで破天荒な行動をすることが多いものの、以前は従者がいたし、家柄から周りには落ち着いた人間たちばかりだった。だから彼女は、拙いこの地の言葉ではうまく言い表しきれないほどには、賑やかな人々に呆気にとられているのである。

     

     吹き飛んだ頭の中の作業手順を整え直そうとしていたジュリアは、しかし空から聞こえてきた風を切る音に意識を取られる。
    見やればそこには、炎を使って飛ぶヒミカの姿があった。

     

    「よう、順調か?」
    「ダイジョブですヨ! ヒミカサンも、1週間ぶりですけど、ドコ行ってましたか?」

     

     とつ、と降り立ったヒミカにジュリアが問う。
     ヒミカはそれに、ちろちろと頭上の炎を揺らしながら、

     

    「そこらじゅう回ってきたんだよ。やっぱどこも盛り上がってるわ。そりゃ百云十年ぶりかって一大事だもんな、みんなわくわくするに決まってる!」
    「ヒミカっちはもーっとわくわくしてるでしょ!」
    「たりめーだろ!」

     

     からから、と相手の背中や肩を叩きながら二柱は笑い合う。その遠慮のなさが、彼女たちの心の距離の短さを物語っているよう。
     そこでふと、ヒミカは思い出したように、

     

    「そういや、この間港にデカい船来てたみたいだけど、あれ大丈夫だったのか?」

     

     本来、おまえたちが乗るはずのものだったのでは、と。
     動乱の中、不安渦巻く胸の奥で幾度求めたか知れない帰郷の手段。結果的にジュリアたちは救いの手として必要とされたが、それももう終わった。だから今度こそ、異邦の地から脱する術に彼女が手を伸ばすのだと、多くの人が当然のように、それでいて仕方なく思っていた。
     だが、

     

    「オコトワリ、しました」

     

     爽やかな笑顔を浮かべ、何も後腐れを感じさせないよう、彼女は答えた。

     

    「調査は続けます。マダマダ知りたいコト、たくさんありますし、ミナサンと一緒に何かを造れるの、トッテモ楽しいデス。色々報告したら、心配されましたケド。デモ……」
    「でも?」
    「イチバンは、ここにサリヤがいるからデスヨ!」

     

     ジュリアの視線の先では、一本の神座桜が立派に花弁を咲き散らせていた。
     未だ姿を見せない従者が、そこから繋がる世界のどこかにいるのだと彼女は知っている。たとえ直に触れ合うことがまだ叶わなくとも、健在であることを聞き及んでいる。実在をその目で確かめるまでどこか不安が消えないのは、技術者であるが故か。

     

     答えに満足したのか、ヒミカはにかり、と歯を見せて笑った。
     そして、ジュリアの想いに応えるようにこう言った。

     

    「心配すんなって、あいつがちゃんと新入りの面倒見てるはずだからよ!」

     

     

     

     

     


     ぺらぺらと捲れる冊子の感触は、今までのものと遜色ない。少し前まではどこか少しだけ浮いた感じがしていたものの、背中を預けている樹皮の手触りも、仄かな桜に色づいた空気の味も、もう彼女のよく知るそれでしかなくなっていた。

     

    「うーん……うん?」

     

     頁を行ったり戻ったりしながら、サリヤはうまく飲み込めないその内容の難しさに、眉間に皺を寄せていた。
     渡航前にみっちりと予習していたサリヤは、この地の言葉での読み書き会話は難なくこなせていた。だから今読んでいる本も、所々難解な表現がありはしたものの、意味をなぞるだけならば彼女には問題はないはずだった。
     ただ、彼女の持つ常識との齟齬が、その読解を妨げている。

     

    「えっと……ユキヒ? ちょっといい?」

     

     自力での理解を諦めたサリヤは、未だ呼び慣れない名で講師に助けを求めた。
     斜めに伸びる大きく太い桜の根の一部に、鉋を突き立てたかのように抉れた場所がある。十分に駆け回れるだけの広場になったそこでは、まどろみに意識を任せかけていたユキヒと、その傍らでごろごろと暇そうに転がるライラが、新たにメガミとなったサリヤの目付けとして、彼女の勉強の様子を見守っていた。
     柔和な笑みで応じたユキヒに、本を掲げるサリヤは困惑した表情で訊ねる。

     

    「あの……私の理解が間違ってたらごめんなさい。でも、なんというか、ここからはメガミの役割がうまく読み取れないというか……その、適当? って言えばいいの?」
    「ちゃんと適当よ。適当に、適当なメガミをやっているわ」
    「えぇ……もっとこう、持てる者の義務、みたいなものはないの? 言い方は悪いかもしれないけど、色んなことが主従なくなあなあで決まっていると言うか。てっきり、メガミが一番上で、次にミコト、それ以外、みたいな階級があるのかとばかり思っていたのよ」

     

     だが、彼女が渡されたこの地についての書に、そのようなことは一切書かれていなかった。存在からして既に異なっているという以前に、サリヤの故郷とは文化の面からして違う。だから、彼女がいくら肩に負った気でいた義務に背筋を正そうとも、それを求める者は誰もいないのである。

     

    「ふふ、海の向こうは大変なのね。そんなにかっちり考えなくても大丈夫よ」
    「自然、従う。それ、すべて」
    「……そういうもの、なのかしら」

     

     先輩からのふわふわとした回答を理解しつつも、釈然としないサリヤ。
     そこへ、

     

    「ユキノたちの言う通り、ですよ」

     

     根の下のほうから登ってきた影から、追認する声がかかる。揺れる襤褸の外套はこの優しい桜色に満ちた世界では少々浮いていて、枝から離れられずに朽ち果てた葉のようだった。
     同じくメガミの一員となったチカゲは、言葉を続ける。

     

    「ホロビも、オボロ様もユキノも、チカゲに優しくしてくれます。でも、本質的には自由な存在なんです。ぎ、義務なんてもってのほかですよ」

     

     その言葉を受けてユキヒは声を上げるが、

     

    「だから私はもうユキヒだって――」
    「チカゲにとっては、ユキノとホロビですよ」
    「…………」

     

     はっきりとそう言い切られてしまえば、ユキヒはもう眉を下げて言及をやめる他ない。
     現れたチカゲは、外套の裏地から小さな薬包を取り出し、摘むようにしてサリヤに掲げてみせる。

     

    「身体、大丈夫ですか。一応、用意しておきましたけど」
    「もうだいぶ馴染んできたみたい。おかげですごい助かったわ、ありがとう!」
    「お、恩を返しただけです」
    「でも、やっぱりチカゲちゃんがすんなりいったのは羨ましいわ。覚悟はしてたけど、最初は身体がばらばらになりそうだったもの」

     

     そう言って、サリヤは自分の身体をゆるく抱きかかえる。
     チカゲは自身とサリヤの差異がまだ腑に落ちていないようで、先達であるユキヒに水を向けた。

     

    「こういう拒否反応じみた症状に、前例はないんですか」
    「そうねえ。比べられるほど、メガミ成りしたての子に会ったことはないのよねえ。ひょっとしたら、ミコトの身体じゃないから、なんて話だけかも」
    「そ、それを言ってしまえば、サリヤさんはこの地の生まれですらありません。それとも、チカゲのようにメガミの何かを受け継いだとか、そういうきっかけもなく飛び込んだから、という可能性のほうがもっともらしいとは思いませんか。権能もまだ、判然としていませんし」
    「それ、すぐ、見つかる……ぐぅ」

     

     議論を交わす二柱と、睡魔に囚われた一柱。その間もチカゲは、誰からも一定以上距離を保ったままだ。それはユキヒであっても例外ではない。けれど、こちらに来てから生えた警戒の棘はもう随分と折れかけているようで、無防備に寝返りを打ったライラ相手に間合いを保つ努力は放棄していた。
     と、自分のことについで論じられていたサリヤは、二柱に対してわざとらしく肩をすくめてみせた。

     

    「私の権能だとか、それこそ私を宿すミコトが出てくるとか、どうしてもまだ信じられない。メガミになってこれからどうしようかなんて、想像もつかないわ。ジュリア様はまだこの地にいらっしゃるみたいだから、どうにか守っていきたいけど……」

     

     主の名を口にしたことをきっかけに、サリヤの表情に僅かな陰が差す。
     装備もほとんどそのままだし、彼女の愛機もついてきている。しかし、自分という存在が絶対的に変わってしまったことへ順応することは難しい。守り続けてきた主が隣にいないという以上に、見知らぬ地で分不相応の立場を手に入れてしまった事実はあまりにも大きかった。
     ただ、

     

    「いいじゃないですか。チカゲなんてもういるんですよ」
    「えっ」

     

     自分で言ってから渋い顔をするチカゲに、サリヤは思わず聞き返した。

     

    「だから、もうチカゲを宿す酔狂なミコトがいるんです。正直、むず痒くてやめてほしいんですが」
    「あ、そういう感覚なの……?」
    「い、いえ、宿されているという事実が既に……」

     

     やり場のない感情を握りつぶすように外套の裾を掴む。
     けれど、うつむき始めたチカゲを追撃するのは、微笑みを湛えたユキヒだ。

     

    「何言ってるのよ。薬学の権能を頼りに、お医者様なんかが宿してるのよ? とっても素敵なことじゃない!」
    「ど、どどどうして知ってるんですか、知らないでおいてくださいよっ! 情報が伝わるのが早すぎます!」

     

     慌てふためいたチカゲは、そのうち何かに気づいたよう叫びを上げ、頭を抱えてうんうん唸り始めた。
     彼女の古巣は、対外的には諜報を売りにしている組織なのだから。

     

    「ううぅぅぅ、ユキノが知ってて、皆が知らないはずがありません……絶対です、知らないほうがおかしいんです! 一体どういう顔で接すればいいっていうんですか! チカゲを避けてた人たちからいきなり敬われても嫌ですっ! 挙げ句宿されるなんてもっての外、気まずいにもほどがありますっ!」
    「ま、まあまあ、すぐそうなると決まったわけでもないし」

     

     気まずさというより怖気の源を取り込まないように頭を押さえつけていたチカゲは、ありもしない視線を気にして忙しなかった瞳を地面に向けた。長く息を吐き、苦笑いを浮かべるサリヤとユキヒの目も避けるようにそっぽを向いてしまう。
     そこでチカゲは、自分を宥めるようにとつとつと、

     

    「あの愚弟が宿していないだけマシと思いましょう……」
    「ああ、そうだ。宿す宿さないは置いておいて、一度は会いに行ってあげたら? 彼も大変みたいよ」

     

     その提案に、チカゲは小さく鼻で笑った。
     そこに浮かべられた微笑みを、誰も目にすることはなかった。
     メガミになっても消えることはなかった、優しい姉の表情を。

     

    「まあ、当然の報いです。チカゲを、こんなふうに引っ張り出したんですから」

     

     

     

     


     動乱の最中、炎に飲まれた地は多い。ヒミカに焼かれた龍ノ宮城や天音邸だけではなく、侵攻の果てに人の手によって燃やされた集落も無視することはできない。
     そんな焼き討ちに遭った場所の中でも、最も復旧が早かった忍の里は、強襲をかけられる以前の姿に戻っていた。建材には事欠かない地であることもそうだが、優秀な忍たちの手の速さは市政の大工たちにも引けを取らない。

     

    「闇昏千鳥」
    「は!」

     

     里の広場に、青年の力強い返答が響き渡る。硬く、どこか緊張を隠すような発声だ。
     そのまま千鳥は集団から抜け出すように一歩前へ。彼の前にはずらりと上位の忍たちが立ち並び、中には千鳥のことをあからさまに睨みつけてくる者もいる。
     そして今、彼の目の前には、忍の元祖たるオボロがいた。

     

    「お主の弛まぬ研鑽を認め、ここに中位の証を贈ることとする」
    「一層精進することを誓いますっ!」

     

     簡潔で、ほとんど定型句でしかないやり取り。オボロの手から真新しい小刀を受け取ることもまた決まりきっている、そんな儀礼。
     見た目以上にずしりとしたそれを千鳥は恭しく両手で受け取り、顔も上げないままその場で手早く腰に佩く。
     それもまた、決まった手順だった。緊張のせいで少しだけまごついただけだ。
     けれど、姿勢を正した千鳥が目にしたのは、表情を崩したオボロだった。

     

    「よくがんばったな。自慢の弟子だ」
    「え……」

     

     

     予定になかった言葉に、千鳥は戸惑う。
     あの終焉の影との戦いをくぐり抜け、彼女に褒められはした。けれど、それも非常にそっけない、普段と変わらない調子であった。

     

     今まで一度も受け取ったことのない称賛に、うまく応えることができない。
     落ちこぼれだった自分がそう呼ばれる日など、出来損ないの見習いだったときの彼は想像もしていなかった。ずっと願っていた姉との再会も果たし、背中を預け合うまでとなった。
     その得難き結果が手中にあるのだと、オボロによって改めて悟った千鳥の瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出す。

     

    「ありがとう、ございますっ!」

     

     再度一礼をした千鳥が顔を上げたときには、オボロが呆れたように下がるよう目で追い払われていた。
     ……その様子を、非常に気に食わないといった態度で、上忍の列から眺める者が一人。

     

    「見習いから一気に中忍など異例にも程がある……俺はまだ、あの姉弟を認めていないというのに……!」

     

     藤峰徹。今回の動乱と決戦において、最前線で戦うことになった忍である。
     ぎりぎりオボロに聞こえるかどうか、という小声で悪態をつく彼と意見を同じくする者は少なくない。けれど闇昏が成した功績はあまりに大きく、過去については早めに忘れてしまおうという忍らしい合理的な考えの者もまた多い。
     最も近くでそれを見てきた藤峰が千鳥たちを認められないはずもないのだが、騒動からこちら、ずっとこの調子であった。

     

    「藤峰よ、貴様も素直になったらどうだ?」

     

     くつくつ、と含み笑いと共に姉弟の肩を持つのは、隣に立つ榊原。
     煽ったような物言いに、藤峰は矛先を榊原へと向けた。

     

    「俺は正しく評価しているつもりだ。お前こそ、闇昏姉に請願したとはどういう了見だ」
    「なに、私も彼女の精進と、今回の努力を認めたからこそ。貴様がメガミを変えた理由も同じだと思っていたのだがな」
    「その口を閉じろ」

     

     じろり、と睨む藤峰に、榊原は言われた通り口を閉じたまま静かに笑った。
     小さく咳払い一つ、無理やり平静を装った藤峰は、

     

    「例の件はどうなった」

     

     強引に変えられた話題に、しかし榊原は素直に応じる。実務の話であれば、戯れを続ける理由など彼らにはない。

     

    「もうひと波乱あるかと思ったが、連中、意外にも大人しい」
    「ほう。逆に不安になるな」
    「念の為、漆谷を送り込んである。……が、この様子だと問題は起きんだろう」

     

     楽観ではなく、確たる己の推測を語る榊原と、直に振り回された藤峰との間の温度差は激しい。ただ、藤峰はそれが、深手を負わされた恨みからくる個人的なものであるということをきちんと理解していた。

     

    「瑞泉共も、このままおとなしくしてくれればいいが……」

     

     彼は、願うことしかできない。
     もう当分、動乱の中心だった地へ行かなくて済むように、と。

     

     

     

     


     広い畳の間にぽつんと座り続ければ、脚も心もしびれを切らすというもの。たとえそれが三人揃ってのものだとしても、いつ来るか分からない待ち人相手に焦れてしまうのは仕方のないことである。

     

    「美の都という割には質素だな」
    「おい」

     

     景観と沈黙に飽きた末の失礼な文句に、浮雲は右隣の架崎の腿を叩いた。彼女たちが今、身を置いているのが古鷹の都であり、ただならぬ因縁を抱えていたことを考えれば、常識的には出てこない発言だ。
     しかし、浮雲が頭痛を覚える中、彼女の左隣から同調の声を上げるのは五条だ。

     

    「もう少し豪華にしてもいいんじゃないかとは、私も思いますがね。そう、例えばあの欄干の細工に仕込みを入れて、一定周期で木彫りの鳥を羽ばたかせるとか!」
    「やめなやめな! こういうのは、これで収まってるもんなんだよ。あたしもよく分からないけど、少なくともあんたらよりはよっぽど趣味がいいさね。……ったく、邪魔になるんだったら、大人しく寝ててくれたほうがいくらもよかったよ」

     

     大きなため息が一つ。
     彼女にとっては毒づいただけだろうが、当の男二人はただの心配と捉えたようだった。

     

    「はっ! 安心しろ浮雲、俺の肉体はあんな土石流程度に負けるような作りはしていない。見ろこの腹筋を! 果敢にも臓腑を最後まで守り通したおかげで随分と傷んでしまったが、もはや傷は見る影もない。むしろ躍動を抑えきれんほどだ!」
    「いやいや、人間の再生力に頼るよりも、部位を代替可能にしたほうが便利ですぞ! 真っ二つにされたこの腕も、一週間も経たないうちに時計の組み立てまでできるようになりましたからな! ある意味、病床とはもう無縁の身体と言えましょう!」

     

     甦った己の肉体を自慢する架崎と五条に、浮雲はわざと聞こえるように舌を打ち鳴らした。暑苦しい空間に、心底鬱陶しがっているようだった。
     架崎はそれに、「冗談だ」と詫びながら、静かに笑みを深めた。

     

    「この状況で瑞泉の地を守るためには、倒れている暇などないからな。心配は無用だ」
    「はは、そうかい。――っと」

     

     近づいてくる気配を察し、二人に黙るよう身振りで伝える。ややもしないうちに、す、とほとんど音も立てずに襖が開き、桜色を基調とした装いに身を包む少女と、彼女の後ろに控える初老の男が姿を見せる。
     ただ黙って部屋に足を踏み入れただけなのに、少女の発する威圧感に浮雲は息を呑んだ。それは少女が浮雲の正面で向かい合うように膝を折った後も、収まることはなかった。

     

    「確認は終わったわ。心身共に問題なくて結構」

     

     至って事務的に告げたのは少女・トコヨだった。浮雲たちは、瑞泉家が引き受けていた古鷹の者をここまで護送するという役割を担っていた。トコヨの言葉は、そんな爆弾のような案件が無事完了したことを意味しており、浮雲は思わず安堵に表情を崩しかける。
     だが、戦後処理はまだまだ続くのだということも、彼女は理解していた。

     

    「あなたたちが瑞泉の代表、でいいのかしら」

     

     トコヨは胡乱げに浮雲たち三人を見渡すと、そっけなくそう訊ねた。

     

    「はい。当主驟雨は臥せっておいでですので、私・浮雲耶宵以下三名が代理として遣わされています」
    「そう。世話になったから挨拶したかったんだけど、ならいいわ。で、早速本題だけど……」

     

     適当に納得したのか、端から言うほど興味がなかったのか、トコヨは半ば一方的に話を進めていく。

     

    「今回のお詫びの話。こっちも色々考えたんだけど、瑞泉の絡繰技師を何人か、うちに派遣してもらうって案が出てね。どうかしら」
    「なる、ほど……それは――」
    「はい、お任せを! 謹んでご協力させていただきますとも!」

     

     浮雲の言葉を遮って、応じたのは五条だった。
     トコヨの出した案は、そういう話になるかもしれない、と事前に打診されていたものの一つだ。けれど、いかに浮雲が気を病んだ当主に代わって重い決定権を預かっているとは言え、提案された段階のそれを即決してしまう勇気は彼女にはなかった。
     けれど五条が発した言葉はもう戻らない。幸いなのは、内容的にどのみち判断材料を彼に求めていたであろうことだ。歯噛みする浮雲は、睨みを利かせながら、黙って様子を伺った。

     

    「此度の騒動においては大変ご迷惑をおかけしたものの、クルル様の技術は混乱をもたらすものばかりではありません。枢式絡繰を取り入れた我々瑞泉の技術力は、この地随一だと自負しております。麾下の者をお送りしますので、必ず役に立ってご覧に入れましょう」
    「そう言って、爆発しなければいいけどね」
    「クルル様のことをよくご存知で。ですが、爆発には我々ももう飽き飽きしておりますので、古鷹の技術者が爆発に悩むことはないかと」

     

     自身を売り込む五条は、流石に専門ということもあって口が回る。クルルの名前が出てきた段階でトコヨの眉がひそまったものの、特段事を荒立てるつもりもないようで、程々の嫌味を五条は無事に受け流した。

     

    「じゃ、そういうことにしておきましょう。仲小路」
    「詳細については、私から詰めさせていただければ幸いです」

     

     そこからは、トコヨの隣に座した仲小路との交渉が始まった。賠償の名目である以上、古鷹側主導で出された条件に、瑞泉側は大きく抗うことはできない。あまりに一方的なものではないにしろ、分かりづらい細かい部分まで引き出されたあたり、仲小路の性格と秘めた想いが知れる。
     やがてそれも一段落し、深い因縁にも関わらず、割合あっさりと会談は終わる。結局、茶の一つも出されないままに、浮雲たちはこの場から去っていった。

     

     トコヨと共に部屋に残された仲小路。
     彼は瑞泉との間に交わされた証文を整理しながら、トコヨに問う。

     

    「これでよろしかったのですか」

     

     それに彼女は、感情を揺るがすことなく答える。

     

    「新しい流れが来ているわ。だから、伝統はその新しきを十分に知り、いずれ膝元に置かなくてはならないの。好きになんてさせないわ」
    「座員からは反発もありそうで心配なのですが」
    「それを抑えるのはあんたの約目でしょ。あたしは別にそういう折衝がしたいわけじゃないもの。そういう意味だと、天詞の教育方針も早いとこ考えないと」

     

     突然次期当主の名を負ったまだ若い娘の未来に、鞠つきでもして遊んでいるような見た目のトコヨが思い馳せる。
     仲小路はそれが頼もしいやら可笑しいやらで、笑みを漏らしながら懸念を告げる。

     

    「筋はいい、学もある。ですが、いかんせん身体の弱さだけはどうにも……」
    「それよねえ。舞にしても演奏にしても、すぐ息が上がっちゃうんじゃ」
    「詩文方面の才覚もありますし、政を学ぶにつれ、いっそう筆が手放せないお人になるやもしれません」
    「うー、そうよね、当主だものね。統治者としてのお勉強……あいつがまた話振ってきそうだなあ」

     

     トコヨの脳裏に浮かんでいる顔に、仲小路は心当たりがあった。交流のあるメガミではあるのだが、芸事についての話題で出てくるときはともかく、損得の絡む話になるとトコヨは必ずと言っていいほど渋い顔をするのだ。
     彼は、そのメガミの力も知っているため、背中を押すばかりである。

     

    「悪い話ではないと思いますが」
    「悪くはないだろうけど、あいつだからたちが悪いのよ」

     

     けれどトコヨはやはりいい顔はしなかった。天秤が動いたまま定まらないといった様子だった。
     足を崩し、畳に手をつきながら天を仰ぐ彼女は、溜まった疲れを吐き出すようにぼやく。

     

    「どうせ、ろくでもないこと考えてるだろうしねえ」

     

     

     

     


     天窓より差し込めた光は、静謐な空間にもたらされる恩寵のようだった。紙が擦れる音、筆が走る音、時折交わされる会話も落ち着き払ったもので、荘厳さを醸し出す室内には知性もまた溢れている。
     その文机の並んだ一角から、佐伯は書を片手に立ち上がった。
     向かうのは、部屋の最奥で構える、彼が崇敬するメガミの下である。

     

    「シンラ様、誘致に際して提示する書面の確認をお願いします」

     

     まるで鎧のように何重にも着込んだ服を畳に広げるシンラは、目を通していた書を横に置き、無言で彼の書を受け取った。
     それから手早く目を動かして内容を確認すると、

     

    「問題ないでしょう、ご苦労さまでした」
    「……! じ、じじ直に労っていただくなど、恐悦至極に存じます!」
    「……何度も顔を合わせているのに、いまさら何を言っているのですか」

     

     呆れるシンラ。彼女の言う通り、ここ碩星楼の秘密の部屋で佐伯は度々シンラを交えた議論に加わっていた。
     しかし今、佐伯たちがいるのは碩星楼でも表の場所。
     佐伯と共に書き仕事に励んでいた構成員たちの中には、ついこの間までシンラの顕現体に対面したことすらなかった者までいる。

     

    「皆と同じ空間に、シンラ様がいることがまだ慣れないのです……。この試みを伺ったときの驚きすら、まだ忘れられないというのに」
    「もう少し、表に出るだけですよ。そんなに驚くようなことではありません。むしろ、暁星塾の設立と合わせても、半ば当然の帰結とも言えるでしょう」

     

     為政者に知恵を貸す賢人集団としての表の顔と、己の理想へ世界を誘導していく秘密結社としての裏の顔。二つの顔を持つ碩星楼でも足りないと踏んだシンラは、碩星楼の面々を動かして新たな学習機関を創設するために動いていた。
     と、シンラは自分が口にした言葉に、自嘲気味に笑った。
     そして彼女は、佐伯に謝罪を述べる。

     

    「折角、最善を尽くしたのに……最後に負けていなければ、また遠回りをすることもなかったでしょうに。申し訳ないわ」
    「そ、そんなとんでもない! 道はまだ潰えていないと、ご自分でおっしゃっていたではありませんか。この佐伯、どんなに絶望的な状況であっても一生お供させていただきます」
    「頼もしいですね」

     

     でも、とシンラは続けて、

     

    「今回の件……すべてが理想通りとはいきませんでしたが、別に悪い結果に終わったわけではありません。ヲウカは姿を変えて生き長らえていましたが、少なくともヲウカの糞婆そのものは消えたのですから」
    「…………」
    「つまり、老練に事を進め、私の動きを抑制していた存在が消えたと断言してよいでしょう。ホノカとかいう小娘をどう扱うべきかは、桜花拝宮司連合でも判断が分かれている通り、今は混乱の最中にあります」

     

     一呼吸入れたシンラに、佐伯は先を訊ねた。

     

    「だからこそ、ですか」
    「そう……今こそ、表舞台へと駒を進めていくべき時……今こそ、この世界に考え方という種を撒いていくべき時なのです」

     

     そう言うと彼女は、笑みを張り付かせて脇に退けてあった複数の書簡をやんわりと指した。それらは各地から報告された、新たに生じた勢力の動向についてまとめたものである。
     シンラは、他ならぬ自分に言い聞かせるように、言葉を作る。

     

    「ユリナたちの高い求心力によって、『新たな桜花決闘』を中心に大きな流れが生まれつつあります。そのような中で、一つ覚えで逆行するのは賢いとは言えません」
    「厳しい時代が、始まりますね」
    「幸い、あの連中は糞婆のように悪賢く地位を築こうとするでもなければ、この地を致命的にかき乱すほどに愚かすぎるということもありません。ならば急ぐ必要はなく、理想の世界を作るために、正しく時間を使っていくとしましょう」

     

     そして彼女は、今は何処とも知れぬ宿敵に、冷たい笑顔で語りかけた。

     

    「武神ユリナ。次の戦いは、長く続きますよ」

     

     

     

     

     


    「ん〜! やっぱりここのお団子が一番ですねえ」

     

     美味に緩んだ頬。みたらし団子を手にしながら、ユリナは昼下がりの細い街道を行く。
     彼女の後ろにはホノカとウツロが続き、桜団子を頬張っていたホノカは上機嫌で笑顔を咲かせていた。

     

    「ですね! 本当においしいです! ほら、ウツロちゃんも食べて食べて!」
    「ん……」

     

     口元に運ばれた団子を、ウツロは小さな口でひとかじり。もぐもぐと無表情で味わっていた彼女は、やがて微細に表情を緩めてから、ぽつりと呟く。

     

    「おいしい……」
    「ですよね! ウツロちゃんも自分の買っておけばよかったのに」
    「私は、別に――んぐ」
    「そんなこと言ってー、ほっぺたはもっと食べたい、って言ってますよ。こんなに美味しかったら、ほっぺた落ちちゃうのも仕方ないですよねえ。わあ、ほっぺぷにぷにです!」

     

     

     ユリナにされるがままになっているウツロ。逆の頬をホノカにも弄られ、おかしな顔になったところで一同から笑いが起きる。
     あまりに平穏な時間。けれど、彼女たちは理想に向かって進む者たちである。
     この一月の間にも、少しずつ、着実に彼女たちは歩んでいた。

     

    「それにしても大変でしたね。まさか龍ノ宮さんの名前で、あんなこと企んでたなんてひどいですっ!」

     

     つい先日の出来事を思い出しながら、ホノカは頬を膨らませる。
     ユリナたちは現在、見聞を広めるための旅の道中にあった。今は蟹川を西に発った後で、そこでかの最強の男を騙る者が引き起こした事件を解決していたのだった。
     ユリナは残りのみたらしをホノカと交換しながら、

     

    「ですねえ。でも、蟹川が龍ノ宮さんの故郷だったとか、お兄さんがいたとか、全然知りませんでした。そもそも、蟹川ってかなり近かったのに、知らないことばっかりで……サイネさんと来たときも町まで行きませんでしたし」

     

     緩んだ表情が引き締められていく。けれどそれは深刻というよりは、己の想いの先にあるものを、自然と見定めているからだった。
     吐露するように、確認するように、ユリナは口にする。

     

    「世界は、分からないことだらけ。わたしたちが素敵な桜花決闘を広めていきたいと思っても、みんながどう感じるか、これからどう変わっていくかは分からない」
    「ユリナ……」
    「だから、世界のことをちゃんと知ろう。大きな間違いを犯さないために。今は三人で、世界を回ろう」

     

     故に、彼女たちは途上にある。自分たちの信じるものが、みんなにとってどういうものかを理解するために。
     言い出したユリナも計画を明確に持っていたわけではなく、ふらふらと何かに導かれるように旅は続いている。目的地はなく、しいて言えば『みんな』こそが目指すもの。はっきりとした形が見えてきたということもないが、幼いメガミたちは、少しずつ確実に己の世界に色を塗っていた。

     

     何度目かの決意に沈黙が降り、黙々と足を動かす中、街道の脇から山へと続いていく林が目に留まる。ユリナはとても見知ったその景色に笑みを取り戻した。

     

    「あそこを抜けたらすぐですよ」

     

     心なしか、足取りが速くなる。
     天音領。山に囲まれ、見上げるような神座桜もなければ、常に活気に溢れた町もない。見渡せば田畑が延々と続くような、面白みがないと言われてしまえばそれだけの場所である。

     

     けれどユリナは、そこから始まった。
     天音揺波を形作ったものは、そこにある。
     変わり果てた姿になっていようとも、桜花決闘を愛する少女の礎は、今もそこにある。

     

    「あれが、ユリナの故郷……」
    「はい、とっても素敵な場所ですよ」

     

     呟いたウツロに、ユリナは微笑んだ。
     近づいてくる故郷の姿は、やはりユリナの記憶と相違なかった。修練のために駆け回った畦道が懐かしく、点々と構えられた家もそのままだ。実際、年を一つや二つ数えたところで風景が劇的に変わることもないが、ここはさらに時間の進みが遅くなったようだった。

     

     けれど、そんな変わらない光景の中に、ユリナの知らないものが一つ。
     街道の先で、集まる人々がいる。

     

    「え……」

     

     彼らは皆、手を振っていた。
     誰かを迎える、歓迎の手を。
     それは、農作業をほっぽりだした天音の領民たちであり、天音家に奉公に来ていた者たちであった。ユリナが随分と世話になった女中の姿もある。
     そのみんなは、ユリナたちを迎えようとしていた。

     

    「わぁ……!」

     

     感嘆の声を上げるホノカの見上げた先、ユリナの目頭に涙が滲む。
     失くなったと思った帰る場所は、ここにある。ミコトからメガミになっても、変わらずここにある。
     未知に向かって駆け出した彼女を、よく知るみんなが迎えてくれる。
     だからユリナは、誰からも見えるように大きく手を振り返した。
     そして、万感の想いを込めて叫んだ言葉は、遍くこの地に響き渡った。

     

    「ただいま!」

     

     

     

     


     そして、桜降る代へと世界はたどり着く。
     ひとつ前の時代の英雄たちは結末へとたどり着き、ひとつ上の視点から次の物語を見届けていくのだろう。
     新たな桜花決闘が広がり、人々の賑わいも、神座桜の働きもより大きくなった黄金の時代へ。

     

     カナヱが語るべき歴史はもはやこれで終わりだ。
     だってこの先どうなるかなんて、全く分からないのだから。
     でも、この先の時代を作り、世界を進めていくのが誰かははっきりしている。

     

     さあ、物語を次の段階へと進めて、

     

     

     

     

     

     君たちの物語をはじめよう。

     

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    『桜降る代の神語り』最終話:桜降る代に幕開けを

    2019.02.15 Friday

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       全ては、落ちこぼれた家の野心から始まった。
       それは最強の男の死へと繋がり、雨の時代が訪れ、メガミの存在をも揺るがす未曾有の厄災がこの地を襲った。
       そして英雄は立ち上がり、雲を晴らし、やがて影をも晴らし、光は取り戻された。

       

       始まりがあれば、終わりもある。けれど、終わりの先には、次の始まりがある。
       この長い長い始まりの物語も、ついに終わりを迎えるときがきた。
       激闘の果て、シンラを打ち倒したユリナ。彼女の想いが向かう先はただ一つ。


       さあ今こそ、桜降る代の幕開けへ。

       

       

       

       


       ふわり、と桜色の翅が空を舞う。つむじ風に乗る花びらのように、できる限りの速さで突き進む二つの人影。

       

      「――ちゃん」
      「…………」
      「ぽわぽわちゃん!」
      「……! は、はいっ!」

       

       再び先導を務めていたホノカは、ユリナの呼びかけによってようやく進路を大きな根が塞いでいることに気づいた。
       ゆら、と身体を倒し、右側から回り込むべきだと行動で示す。けれど制御がうまくいっていないのか、旋回中も時折がくりと高度を落とすことがあり、伸びた木枝に危うくぶつかってしまうところであった。

       

      「大丈夫?」

       

       後ろから、心配そうなユリナの声が届く。一戦終えた後だというのに、彼女は未だ芯がはっきりとしていた。
       そんなユリナに倣うよう、ホノカは意気高く応じる。

       

      「大丈夫ですっ! あれくらいへっちゃらでしたから!」
      「ならよかった」

       

       ただ、ユリナから返ってきた答えは、そんなやや淡々としたものだった。
       冷たい態度、というわけではない。ひどく考え込んでいる、というようでもない。彼女の視線の先に、今までと同じものがあるままだということは間違いなさそうだった。
       不安を覚えるものではないと理解しつつも、いつもとは異なる様子にホノカは、

       

      「あの……ユリナさんも、大丈夫ですか……?」
      「大丈夫だよ。それより、ウツロさんのところに急ごう」

       

       そう言われてしまえば、ホノカは翅に力を込めるしかなかった。頷きを一つ作り、まだいくらか感覚の定かではない身体でさらに加速していく。
       だから、風を切って行くホノカの耳に、その呟きは届かなかった。

       

      「シンラさんの言う通り、本当に全てを桜花決闘で決めちゃうのは、きっと間違ってるんだと思います」

       

       語るようでいて、誰に聞かせるでもないユリナの独白。
       彼女はただ、確かめるように口にする。

       

      「それでも桜花決闘は、胸がどきどきするような、とっても素敵なものだから……」

       

       己の、想いを。

       

      「わたしは、わたしにできることを、するんです」

       

       

       

       


       四方から天地に至るまで、彼方を淡い光に飲まれたこの世界では、物の大きさや距離の感覚が狂ってしまう。人間たちに大樹と呼ばれるような大きさの樹と、同じかそれ以上の太さの根がそこかしこに伸びているのだから無理もない。
       ユリナたちがたどり着いたのは、そんな尺度の異なるメガミの世界でもひときわ巨大な桜の根――否、幹であった。それはさながら世界を支える柱のようで、近くで見るほどにその荘厳さに圧倒される。この地の未来を定める今この時を、桜は確かに見守っているようだった。

       

       伸びる枝の上に降り立つユリナとホノカ。
       彼女たちの視線の先では、幹を見上げるようにして、ウツロが佇んでいる。

       

      「私をまた、閉じ込めに来たんでしょう」

       

       小さく、それでも強い拒絶。全てを諦めきってしまったような絶望の声音が、両者の間に見えない壁を作っていた。身の丈以上に、その背中は小さく見えた。
       思わず反論しようとするホノカ。だが、湧き上がった感情がそのまま言葉として飛び出すことはなかった。
       先んじて囁いたのは、ユリナだった。

       

      「違います」

       

       小さく、それでいて決意が篭っていて、力強い。
       何よりそれは、温かかった。
       ウツロの言うように放逐を望む者が込めることのない、手を差し伸べるような温かさが、ユリナの言葉にはあった。

       

       だからウツロは、僅かに振り返り、肩越しにユリナたちを見やった。
       ユリナは、続ける。

       

      「違います、ウツロさん」

       

       小さく、微笑みを乗せて。
       一歩を踏み出すことなく、まず言葉を差し伸べたユリナに、ウツロの目が泳ぐ。到来したのは覚悟していた終わりではなかった。それが、少しだけ彼女が持つ拒絶の色を薄めた。
       けれど、

       

      「でも……」

       

       伏せられた目は、澱んだままだった。
       諦観、絶望、恐怖……敗者として自身に刻まれた感情は、もはや本能に寄り添うようにウツロを苛んでいる。伸ばされた手の温かさだけでは、溶かしきれないほどに。
       ただ、ウツロはもう、その苦悩を叫んでいた。
       彼女の本能が、元凶だと謗る者へ。
       だからこそ、彼女に共感する者が、ここにいる。

       

      「ウツロさんのこと、分かりましたからっ! だから、私のことも分かって欲しいんです!」

       

       突然、力いっぱい叫んだホノカにウツロは面食らう。
       そしてさらに告げられたホノカの言葉に、驚きに飲まれることになる。

       

      「だって、ウツロさんと友達になりたいからっ!」
      「え……」

       

       予期していなかったのだろう、ウツロは口を開けたまま、呆然とホノカを見返していた。ウツロを囲んでいた負の感情の脆い箇所を突くということはなく、鋭く力強い一撃で強引に隙間をこじ開けるような、そんな想いの吐露だった。
       半歩、ウツロが後退る。けれどホノカは、一歩を詰めた。
       自分は、共にある者なのだと。

       

      「あのとき……何がしたいか分からない、何にもない、って言われたときに、色々言い返しちゃいましたけど……でも、私すごい安心したんです! 同じ気持ちの子が、他にもいたんだなあ、って!」
      「…………」
      「自分が誰かも分からないまま、気づいたらこの世界に居て、とっても怖かったんです。私も同じ、何もない、だったんです。そんな気持ちを、私はウツロさんと分かち合いたい! 分かち合って、一緒に何かを見つけたいんですっ! それが友達だって、私は思うから……だから!」

       

       あのときと変わらない、真っ直ぐな意思。ウツロがついに応えることができなかった、前を見据えるホノカの言葉が、より強く、不器用ながらも寄り添うように向けられる。
       永劫とも思われる孤独を生きた者に、隣人はいなかった。
       それが今、ホノカという形となって、影から連れ出そうとさえしている。
       ひとりぼっちではなくなる未来を前にして、飢えた彼女が拒絶を抱き続けることはできなかった。

       

      「とも、だち……」

       

       遠慮がちに、手が伸びる。諦観も絶望も、未来から溢れてくる光に溶け始めていた。
       しかし、光は一方で彼女に孤独をもたらしたものである。
       ヲウカの光は、彼女にとっての終焉の象徴だった。

       

      「や……」

       

       胸の奥から恐怖が蘇ってきたのか、手が引っ込められる。ウツロの瞳に、じわりと再び拒絶の色が刺した。
       だが、その光は、

       

      「私は、ぽわぽわちゃんですっ! ヲウカじゃありません!」

       

       感情を爆発させたように背中の翅を大きく羽ばたかせ、ホノカが飛び出した。真っ直ぐに向かうはウツロの下であり、殺しきれなかった勢いにたたらを踏みつつも、ウツロの震える小さな手を握った。
       ホノカの目には、涙が浮かんでいた。

       

      「……!」
      「ちがうんです、分かってくださいよぉ! 私は、ウツロさんを傷つけたいなんて、思って、ないんですっ! どうしたら……うぅ、信じてくれるんですか……! ヲウカじゃなくて、わ、私を、見てほしいんです! 私も、今のウツロさんを、見ますからぁ……!」

       

       ホノカの願う声は次第に上ずっていき、堰を切ったように涙は流れていく。袖で拭いながら泣きじゃくる姿は見た目相応に子供らしいけれど、それは真摯な想いが受け入れてもらえず、胸の内で行き場をなくしているからであった。
       素直な感情をだだ漏れにさせた相手を目の前にして、警戒心などあったものではない。ましてや恐れなど抱いたままでいられるはずもない。

       

      「え、っと……」

       

       ウツロの顔には、混乱と困惑の色がありありと浮かんでいた。むしろ、泣きじゃくるホノカを前にして、おろおろと対処を決めかねているような様子で、この場の空気も徐々に和らぎ始めていた。
       そこへ、くすくす、と笑うユリナが加わる。
       彼女は小さな二柱を順に見ながら、

       

      「ウツロさん、ぽわぽわちゃん。ずっと考えてたことがあるんです。聞いてくれませんか」
      「ぅ……?」

       

       しゃっくりを飲み込むホノカは、これから何が語られるのか知らないという様子だ。ウツロはそれを見てか、あるいは泣き顔がユリナへ向いてくれたからか、黙ってホノカと共に言葉を待つ。
       ユリナは集まった視線に満足して、先を続けた。

       

      「桜花決闘は、始まりはよくないものだったかもしれません。それに、桜花決闘だけで全てを決めちゃうのもよくないんだと思います」
      「…………」
      「それでも、桜花決闘は楽しくて、みんなが本気になれて、胸がどきどきするような、素敵なものなんです」

       

       真っ直ぐに二柱を見つめる目は、希望を宿していた。

       

      「だからわたしは、桜花決闘をもっと広めて、もっと素敵なものにしていきたい。もっともっと楽しくて、苦しいしがらみのない桜花決闘をみんなが楽しめるような、そんな時代を作りたいんです」
      「そんなの、どうやって……」
      「まだ分かりません。分からないことだらけです。でも、これがわたしのやりたいことなんです。昔はお家のために戦うだけで何も分からなかったわたしですけど、やっと進みたい道ができたんです」

       

       だから、とユリナは胸に手を当ててから、手を差し出した。

       

      「ウツロさん、ぽわぽわちゃん。二人がやりたいことを見つけるまで、わたしに力を貸してくれませんか」

       

       影から無理やり引きずり上げるのではなく、手をとって欲しい、と彼女は言っていた。
       寄り添うだけではなく、求められる。
       真っ直ぐな想いと信念が詰まったその問いに、偽りを疑う余地などなかった。だからこそウツロは、それが自分に向けられていることが信じられないのか、伺うように戸惑いの目を返していた。
       けれど、応じたウツロの声には、光の温かさが滲んでいた。

       

      「いいの……? 私で。どうして……?」

       

       ユリナに奮い起こされたように、希望がウツロの中で芽生えていたようだった。望外の誘いを確かめざるを得ないのは、ここに至るまでにあらゆるものを灰燼に帰した己の行いが故か。
       ユリナはそれに、しっかりと頷く。

       

      「はい。ウツロさんと仲良くなりたいし、それに多分……ウツロさんの力は絶対に必要だと思うんです」
      「それって……」

       

       途切れた言葉の先を、ユリナはすぐに悟った。ウツロの力を求めた瑞泉の企図を打ち砕いたからこそ、三柱はここにいる。
       再び力を求められれば、同じ結果が待っているかもしれない。それは恐怖を喚起するのに十分な想像であり、ウツロの表情に躊躇の翳りが差すのは当然だった。
       ただ、それはホノカにとってはありえない疑いだ。故に彼女は、自分の言葉で説得を重ねようとした。

       

      「瑞泉なんかと一緒に――」
      「ぽわぽわちゃん!」
      「……!」

       

       けれどそれは、ユリナに少しだけ厳しく制止される。
       ユリナは、返事を待ち続けていた。言い繕うことなく、ただウツロに考え続けてもらった。どれだけ言葉を重ねても、それらがどんなに理屈が通っていても、自分自身を信じてもらわなければ始まらない。
       伸ばした手は、取られるそのときまで伸ばし続ける。
       想いを伝え終わったユリナは、だからこそじっと、ウツロを待ち続けていた。

       

      「ぁ……」

       

       つー、と。
       ウツロの頬に、雫が伝った。
       一瞬、ユリナとホノカの間に僅かな動揺が走るが、その涙は悲嘆でも、恐怖でも、怨嗟でも、どんな苦しい感情のものでもなかった。
       ただ、信じてもらうために手を伸ばし続けることを選んだユリナの態度に、ウツロの全身から緊張が抜けた。それが、涙という形となって、静かに流れ出ていた。

       

       拒絶されるでもない。
       利用されるでもない。
       求めるために、信じ合いたいことを訴える者。
       ウツロはその手を、掴んだ。

       

      「アマネユリナ……ううん、ユリナ、ありがとう……」

       

       涙で歪み始めたその顔に、はにかむような小さな笑みを浮かべて。

       

      「今は……、一緒に、頑張りたい。だから……よろしく……」

       

       不慣れな想いにどう言葉を作っていいのか迷いながら、ユリナの想いを受け入れた。
       ぱあっ、とユリナの顔に笑顔が咲いた。

       

      「ありがとう……ありがとう、ウツロちゃんっ!」

       

       彼女も張り詰めていた緊張が解けたのか、うれし涙が溢れていた。ウツロの手を両手で包み込み、ただただ感謝の言葉を繰り返す。
       そこに重ねられたのは、涙に濡れたホノカの手だった。
       彼女は泣き笑い半々といった様子に、少しの嫉妬を浮かべながら、

       

      「ずるいですよ、ウツロさん。わたしも、もちろん手伝いますからっ!」
      「うん……うん!」

       

       ホノカに涙を拭われるまま、これ以上言葉が出てこないのか、ひたすらにウツロは頷く。拭っても拭っても止まらない涙は、干上がったウツロの心を潤していっているようだった。
       孤独の終わりに泣き、未来の始まりに笑う。

       

      「ぽわぽわちゃん、ウツロちゃん、ありがとう……!」

       

       寄り集まった三つの光は、厳めしい桜に見守られながら、希望を語らう友となった。それを確かめ合うように吐き出される感情は、しばらく収まることはなかった。
       そんな中、ふと何かに思い至ったようなユリナは、

       

      「そうだ。わたしたちの宣言を、しませんか?」

       

       唐突な提案に、ウツロは首を傾げる。離れていくユリナの手に寂しさが差し込めるが、信じて彼女の説明を待った。

       

      「今の桜花決闘の宣誓は、花隠れの物語のときに、決闘に魅せられて人々の前に出てきたヲウカが、桜花決闘の成立を認めたときのものですよね。だったら、別のものにしたほうがいいと思うんです。わたしたちの新しい桜花決闘を、これから始めるために」
      「何か、考えていたものがあるんですか……?」

       

       恐る恐る伺うホノカに、「それはね」と満面の笑みで答えたユリナは、二柱に対して耳打ちをした。
       そして円形に向き合った三柱は、微笑みを浮かべてそれぞれ頷き合った。
       まずはウツロが手を差し出し、唱える。

       

      「胸に想いを」

       

       果ての見えぬこの地の底から、暗い塵が舞い上がる。けれどそれは万物を灰燼に帰す恐ろしいものではなく、彼女の胸の奥の想いが燃え上がり、踊り出しているようだ。
       ウツロの手に、小さな光が灯った。
       次に、ホノカが手を差し出し、唱える。

       

      「両手に華を」

       

       天に円を描くように桜花結晶が舞い、彼女たちの居る枝の上が満開の華で満たされたようになる。想いを受け、華たちが応えたかのように。
       ホノカの手に、小さな光が灯った。
       そしてユリナが、最後に唱えた。

       

      「桜降る代に、決闘を……!」

       

       

       塵も桜も混ざり合い、場が光に包まれていく。ユリナの手にも光が灯り、三柱の持つ光がさらに強まっていく。
       想像もしていなかった出来事に唖然とするユリナだったが、彼女はこれを祝福として受け入れた。だからこそ、驚きを力強い確信の笑みに変えて、桜の後押しされるよう、ユリナは己の信じる道を前へと進むことを選ぶ。

       

       見回せば、この地の桜花結晶全てがその宣言を見届け、受け入れたかのように輝き、踊り出していた。
       その中から飛び出した結晶たちが、ユリナたちの手のひらの光へ惹かれていく。まるでそれは彼女たちの告げた盟約を確かなものとするように、大きな一つの花弁の形を成す。
       三柱が三つの華となり、新たな桜花決闘の象徴であると認めたように。

       

       そして三柱は手を掲げ、三つの華は空へと昇っていった。
       彼女たちの、想いを乗せて。

       

       


       こうして桜花決闘は、一人の少女の想いの果てに、在り方を変えていくことになった。
       始まりは終わり、およそ二十年の時を経て、君の興じる今の桜花決闘がある。
       あぁ、決して今まで語ってきた内容を思い起こして、決闘を必要以上に重く捉えないでおくれよ? それはユリナの望むところじゃあない。
       桜花決闘を、今まで以上に楽しむ。そうしてくれれば、カナヱも長いこと語り続けてきたかいがあったというものさ。

       

       さて、これにて英雄譚は真の終わりを迎えた。最後まで聴いてくれてありがとう!
       ……おや? なんだか少し物足りない、って様子だね。
       ふふ、分かったよ。ここまで付き合ってくれた君の頼みだ。
       幾ばくかの未来を、最後に語ることにしよう。

       

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      『桜降る代の神語り』第74話:武神ユリナの初陣

      2019.01.25 Friday

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         同じ物を想ったところで、その方向性まで同じとは限らない。
         決闘による興隆をこの地に望むユリナ。
         政治による興隆をこの地に望むシンラ。
         どちらが善でも、どちらが悪でもない。二人にあるのは、ただ強い信念だけ。

         

         想いの行く末を、今ここにカナヱは語ろう。

         

         

         


         その右手にかの武神の力はなく、その左手にも仄かなる輝きはない。
         けれど、地を蹴るユリナには迷いも不安もなかった。

         

        「行きますッ!」

         

         刃を携え、桜の根の上で悠然と構えるシンラへ、真っ直ぐに向かう。
         これまでずっと彼女の力となったメガミたちの助けがなくとも、もはや完成されたユリナの戦いが揺らぐことはない。積み重ねてきた数多の桜花決闘は、彼女のあり方を生み出していた。

         

         勝利への執念を軸に形作られた、王道の戦い。巧みな足捌きで間合いを合わせ、その末に苛烈な斬撃で相手を打ち倒す。
         その一挙手一投足は、ミコト・天音揺波のものであり、そしてメガミ・ユリナを体現する。
         まるでそれは、自身が象徴するものを示すかのようであった。

         

        「では――」

         

         しかし、相対するシンラもまた、積み重ねた己は決して劣らない。否、メガミとして生きた年月はユリナを凌駕している。
         故に、ユリナが王道の戦いを叩きつけようとしても、シンラも決して揺らがない。
         己を示すように、彼女はただ、決闘を否定する。
         周囲に揺蕩う書の一節が、仄かに光を帯びた。

         

        「自身が害悪となる可能性を理解していますか?」
        「……!」

         

         先の対話を経た上での、問い。本来なら、ただの詭弁でしかないそれ。
         しかし、毒のように染み込んできた意味をユリナが解した途端、呼応するように体内の桜花結晶が一つ失われた。
         そこに肉体の傷はない。けれど、まるで裏切りの果てに結晶が去っていってしまったような喪失感と、微かでも決意を鈍らせた己を取り戻さねばならないという焦燥感が、心の痛みとなって負傷を訴えている。

         

         これが、言葉の力。シンラが示さんとするもの。
         避けがたい不可視の刃に、ユリナはその権能の恐ろしさを改めて理解する。
         けれど、それは歩みを止める理由にはならなかった。

         

        「い……いえッ!」

         

         言葉の惑いを振り払うように吐き捨て、意思を込め直して踏み出す。
         それでも前に進み、刀を振るう。それが、武神ユリナなのだから。

         

        「やぁッ! あぁッ!」

         

         間合いを瞬く間に駆け抜けたユリナの刃が、一撃、二撃と閃いた。着込んだ見た目通りシンラが機敏に避けるということもなく、守りは破られ、先制分を取り返す。
         さらに追撃を、と力を込めるユリナだったが、言葉は容易く耳をくすぐる。

         

        「それ以上はもはや、私の有利へと働きますよ」

         

         ありえるはずもない大言壮語に、しかしユリナに刹那の迷いが生じる。理性と意思が乖離させられるような不思議な感覚の中、ついにはシンラを疑いながらも、攻めの手を止めて体勢を整えてしまった。
         言葉に、さらなる力が籠もっていく。

         

        「この程度の言葉で刃を止めてしまう……そのような覚悟で、あなたはその道を行けるのですか?」
        「っ……」
        「そして」

         

         決闘中であるにも関わらず、シンラの視線はユリナから外された。
         その先にあるのは、文字によって編まれた黒き繭。
         中で眠るメガミは、ユリナにとって共に道を行く仲間であったとしても、シンラにとってはこの世界を歪める怨敵でしかない。
         故に、

         

        「彼女は、神座桜の主席に相応しいのでしょうか?」

         

         先程までの対話を繰り返すようだが、矛先はユリナだけではない。
         ユリナの中に宿る桜花結晶。その母となる神座桜。
         彼女の考え方を改めさせるのではなく、力そのものに対して呼びかける。
         我が方につけよ、と。

         

        「……!」

         

         ユリナから、力という力が急速に失われていく。周囲に纏った守りも、内に秘めた気も、弁舌によって啓蒙されたが如く離反していった。
         踏み出されようとしていた再びの一歩は止まり、逆にシンラは笑みを深くする。
         間合いを離す好機であるはずなのに、彼女は離れない。
         まるで、ユリナの間合いであることこそが都合がいいのだと言うように。

         

        「では、その刃をお借りしましょう」
        「な……」

         

         緩く掲げたシンラの手の傍ら、宙に現れた物にユリナは絶句する。
         斬華一閃。
         もはや元の主はこの世になく、元より扱う者の限られていたそれを、ユリナはついぞ相手に構えられた光景を見たことがない。
         そんな稀有な象徴武器を送り出すようにシンラが手を動かせば、ひとりでに鋭い斬撃の軌跡を偽の刃は描いた。

         

        「ぐ、うぅっ……!」
        「ふふ……」

         

         守りを奪われたユリナを身体を、肉厚の刃が抉る。ただ複製されて投げつけられたのであれば攻撃にすらならないが、振るわれたそれはユリナの太刀筋を引用したかのように力強かった。

         

         心も抉るような一撃に歯噛みするユリナは、桜と消えた刃を見送りながら、意志の炎を込め直す。
         予想外の一撃を為したシンラは今、やや芝居がかったようにも見える、壮大さを感じさせる動きで間合いを離していた。それは刃鳴り散る決闘の舞台にしては決して早くはないものの、雄大な足取りと手振りは大望を語らんとするばかり。それを実際に成就させることのできる存在こそがシンラというメガミであり、告げようとする主論のために聴衆の視線を集めているようであった。

         

         それを許せば、負ける。ユリナの直感は、確かにそう告げていた。
         この状態から遮二無二刃を振るったところで、決着が見えるような一撃にはならないであろうことは想像がついていた。幾度も企図を挫かれている以上、こちらが容易に見いだせる勝利は、より大きなあちらの勝利の影でしかない可能性だってある。
         肉薄して刃を振るう……それ以外の何かを、見出す必要があった。

         

        「ふぅー……」

         

         僅かな焦りが首筋を冷やす。
         しかし、もはや今のユリナは完成されている。搦手を取り入れる余地などなく、付け焼き刃で策を弄しても、目の前の狡猾なメガミに通じるとは思えない。ましてやそれは彼女の信じる道の上にはない。

         

         だからユリナは、ただ自分のあり方を――進む道を見つめ直す。
         彼女にとって決闘とは、意志をぶつけ合う場。
         自分なら、勝利への執念を。
         良き好敵手であれば、技の果てへの望みを。
         そして今相対するメガミであれば、決闘への嫌悪を。
         得物は、刃であっても言葉であっても構わない。いいや、むしろ両極端なその二つが同じ舞台に立てていることこそが素晴らしいのだ。

         

         始まりは間違っていたかもしれない。けれど、ユリナは決闘という場を信じている。
         人々が愛し、彼女自身も愛した、この魂を焦がすような戦いを信じて、それに尽くすこと。それが決闘に生きてきた天音揺波の、メガミ・ユリナの進むべき道。
         もう廃れつつあることも、こうして存在を否定する者がいることも、意志を押し流そうとする激流に他ならない。

         

         けれど、声を上げるのが彼女だけだったとしても。
         それでも、激流の中を往く小舟のように。
         想いを乗せて、ぶれることなく真っ直ぐに、ユリナは歩んでいく。
         それが、勝利への渇望ではない、彼女が決闘に込める、新たな想い。言葉ではなく、身振りが、表情が、一挙手一投足がそれを体現し、決闘を見守る者たちへ静かに、けれど確かに伝える。

         

        「ほう……?」

         

         応じたのは、シンラだけではない。
         彼女がユリナの結晶を啓蒙したのとは逆に、ユリナの想いに一度は離れた結晶たちが集っていく。

         

         

         再び纏うは、想いの盾。
         そしてユリナは、斬華一閃の刃の向こうにシンラを置いた。

         

        「いいでしょう!」

         

         初めて表情を崩した、決闘の否定者を。
         獰猛に笑う、知性の信奉者を。

         

        「それでも私の理想は消えず――今こそ天地は反転し、法則は翻る!」

         

         

         自ら護りの結晶まで砕き、シンラは強引に己が権能を解き放つ。
         奇怪な色が染み入り、世界が彼女の望むがままに書き換わっていく。従えた書に書き加えられていく数多の文字が、訪れる変容の危険さを物語る。
         勝負は、静から動の局面へと移っていく。

         

         

         

         


         伝えるべき想いは示した。ならば後は、ぶつけるだけ。

         

        「はぁッ!」

         

         世界が塗り替わっていく中、一直線に駆け出したユリナが刃を振り抜いた。シンラが動いた今、ユリナもまた猛攻によって戦いの行方を手中に収める段である。
         何重にもなった袖越しに腕を捉えた一閃に、さらに追撃を図る。

         

        「てやぁぁぁッ!」
        「大振りでは?」

         

         上段からの振り下ろしに、実際シンラの言うような瑕疵はない。しかしユリナはその追求に身体を焦がされるのを感じ、必要のない軌道修正を強いられる。結果、僅かに反れた斬撃はシンラの裾を掠めただけに終わる。
         だが、連撃の意気高いユリナはそこで満足することなく、さらに一寸シンラの懐に踏み込み、柄頭で彼女の腹を強かに殴りつけた。

         

        「ぁぐ……」

         

         打撃の勢いに押されたように後退る。ただ、振り回した袖に視界を塞がれ、これ以上の追撃は許されない。
         シンラが守りが捨てていたこともあり、負わせた傷は大きい。じわじわと削られていた分の差は早くも埋まりつつある。
         だが、

         

        「ザンカの、力を……使いこなしているつもりのようですね」
        「…………」

         

         息を切らせながらも、シンラは言葉を紡ぎ続ける。
         それが彼女の武器だから。
         それが、決闘を否定する者の務めだから。

         

        「しかし、ザンカはもういないのです。あなたは……ザンカには、決してなれません」

         

         

         詭弁でも、欺瞞でも、屁理屈でもない、完全なるその論理。
         ザンカではない者が、それを持つことは矛盾する。ザンカ亡き今、ザンカの力の顕れであるそれが存在することは矛盾する。

         

         故に――ユリナの手にした斬華一閃が、はらはらと桜となって消えていく。
         世界がその矛盾を聞き届けたかのように、想いを訴えるための刃は存在の猶予を奪われ、やがて解けた桜の光も景色に溶け込んでいった。反論の余地もない、一方的な裁定の帰結は彼女の書に書き加えられ、抗う術はなかった。
         けれど、

         

        「……ますよ」
        「……?」

         

         ユリナの拳から力が失われることはなかった。
         滾る想いが胸にあり続けるのであれば、決闘はまだ終わらない。

         

        「分かってますよ、そんなこと」

         

         一抹の寂しさを滲ませながらも、尽きぬ闘志を示すように。それが、決闘を愛した者への手向けだった。
         そして、自分が歩む道へ、確と一歩を踏み直した。

         

        「だから……わたしは、わたしになるんですッ!」
        「……!」

         

         虚空を掴み、構えたユリナ。その手の中へ、光が結集していく。
         織り上げられていく形は、今まで言の葉を断ってきた肉厚の刀・斬華一閃。だがそれは、斬華一閃であって、斬華一閃ではない。
         先程よりも僅かに小ぶりで細身。ミコトとして顕現させていたときに程近い、ユリナの技にこそ最適な一振り。

         武神ユリナの斬華一閃。

         

         彼女が彼女として歩んでいくための、彼女の力。
         決闘を愛する者のためにある、彼女自身を象徴する剣。
         もう、シンラにはその実在を否定することはできなかった。

         

         

        「えあぁぁぁッ!」

         

         自分自身の想いを、自分自身の力で抱きとめて、ユリナは行く。
         想いを刻みつける斬撃は、止まることなくシンラを襲う。

         

        「省みよ、その足跡をッ!」

         

         それを、決して正面から受け止めずに、いなし、シンラは訴える。
         理想を打ち壊す論理は、絶え間なくユリナを唆す。

         

         この決闘に、刃が鳴り散ることはない。けれど、鋼の刃も言葉の刃も、己の想いを乗せた鋭い一撃に他ならず、それを交わし合う戦いを激戦と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
         数多の桜花結晶は舞い踊り、舞い散り、一太刀、一言の合間に舞台をさらに桜色に染め上げる。
         そしてその周囲。彼女たちが立つこの根は、この世全ての桜花結晶が集っているかのような濃密な桜吹雪に包まれていた。繰り広げられる決闘に、込められた想いに、惹かれた結晶たちが結果を待ちきれないようだった。

         

         斬撃という鋭利な指摘に反論するように。
         その反論という言葉の刃を切り捨てるように。
         噛み合うようで噛み合わない二柱は、桜に見守られながら、自分が勝つその瞬間まで想いを叫び続ける。

         

        「……!」

         

         幾度かの交錯の中で、ユリナは異変を見て取った。法則を塗り替えていたであろう色が褪せ、シンラの従えた巻物からは文字がこぼれ落ちていく。未だ壮大に、雄弁に振る舞っているものの、その奥には歯噛みするような苦心が滲み出していた。
         変容をもらたしていた力が、限界を迎えたのだ。
         まさにそれは好機に他ならない。

         

        「はァッ!」

         

         刹那の判断から、全身の気を圧縮しながら一気に踏み込んでいくユリナ。解き放った気が相手の守りを吹き飛ばしたその先に、届く一太刀があるはずだった。
         表情を歪めるシンラ。退路はないと悟ったか、

         

        「っ……! それで終わりなら致命の失策です!」

         

         優れた備えへの称賛ではなく、今まさに振るえるものがないことへの指摘。それはユリナが盾としていた結晶の失望と化し、宙に塵と浮かぶ。
         それはさらに、文字へと変容してユリナに纏わりついた。

         

        「そこから届く太刀筋はもはやありません!」
        「うっ……」

         

         構えた刀を、どう振るうべきか思い出せない。追い込むために閃かせるはずだった一撃が、彼女の手にはない。盾を奪われただけでも痛手ではあったが、ここに至って攻め手を封じられるのはまさしく致命とも言える。
         高まり続ける気に、けれど決着への意思は潰えない。
         だが、見据えた結末もまたシンラに否定される。

         

        「誤つ者に、未来を切り開けましょうか!?」

         

         再び問われる資質に、ユリナへ与していた桜の力が考えを改めていく。あらゆる敵を断ち切ってきたあの大技を放つだけの余力は奪われた。桜に包まれていても、彼女の頭上に月が昇ることは許されない。
         決め手を欠いたまま、接近を叶えたユリナの気が高らかに弾ける。

         

        「く……ふふっ!」

         

         シンラの笑みは、決着に至る有効打がないと知っている笑みだ。
         そうであってもユリナは自身に手を止めることを許さない。至近の間合いから、威力が損なわれることを覚悟の上で、腰だめにした斬華一閃を強引に振り抜いた。

         

        「くあぁぁぁぁぁッ!」
        「あ、ぐっ……!」

         

         直撃し、結晶が吹き散らされる。だが、次の一手に繋げられない居合斬りでは、逃れていくシンラに追いすがることはできない。彼女の身に残された結晶が、一つか二つか、風前の灯火だとしても、だ。
         そしてシンラには、それだけあれば十分だった。
         荒く息をしながら、潰えない意思に支えられたように両腕を広げ、世界に向かって断じる。

         

        「今こそ、この世の法則すべては、私の手の中に!」

         

         

         彼女の纏った巻物が眩いばかりの光を放つ。
         一瞬焼かれた瞳が捉えたのは、この舞台を桜吹雪ごと覆う、見上げんばかりの伽藍。頂点には色とりどりの硝子がはめ込まれた天窓が、満ちる桜色の光を極光へと移し替えていた。
         荘厳にして、雄大。自身がこの世界のほんの一部でしかないと実感させられる。
         絶対なる知の殿堂は、取り込んだユリナの敗北に決を下す裁きの間だった。

         

        「く、うぅぅぅぅ!」

         

         知の光が、ユリナを焼いていく。シンラが唱え続けてきた言葉が、ユリナの敗北を確定させる論拠となって、敗北を確定させていく。ユリナを選んでくれた結晶たちがそれに抗い、力及ばず消えていく。
         シンラの書も、自身の放つ光に耐えられないのか、端から光に溶けていた。だが、その全てが失われるよりも先に敗北が決定してしまうのは明らかだった。
         それでも。いや、だからこそ。

         

        「絶対に――」
        「……!」

         

         ユリナは、倒れない。
         その意志は、挫けない。
         決闘への愛を支える、勝利への執念が否定されてしまうことは、なかったのだから。

         

        「絶対に、勝つッ! てやあぁぁァァァァァァァァァァァァッ!」

         

         

         失われる勝利の底に残った、ひとすくいの力を振り絞って。
         最後の一撃が、光を切り裂いた。

         

         

         


         カナヱはこうして過去を語ることができる。だけど、未来までは領分にはない。
         当時、どちらが勝つか分からない決闘に、流石のカナヱも手に汗握ったものさ。
         これを天音揺波の英雄譚という、確定した今に繋がる物語としてしか語れないことを歯がゆく思うよ。

         

         勝敗は決した。想いと、そして君の生きるこの未来もだ。
         始まりの終わりは、もうすぐそこにある。

         

        どこにも記されていない物語

        作:五十嵐月夜   原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

         

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        『桜降る代の神語り』第73話:彼女が望んできたもの

        2019.01.11 Friday

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           闇に飲まれた神座桜に、光が戻った。当時、それを目の当たりにした者は涙まで流したものさ。
           動乱の終わりを象徴するような奇跡を、天音揺波とホノカがもたらした。
           けれど、彼女たちにとってそこはまだ終わりじゃあない。
           あと一歩、輝く未来を迎える前に、清算の時がやってくる。

           

           

           


           頭の欠けた山から、光が溢れ出していた。目にした者から異質な威容だと思われていた遺構の大樹が、満開の輝きを放っている。
           払暁とすら見紛う明るさを取り戻した世界だが、それは影を追いやることでもあった。

           

          「う……あぁ……」

           

           ウツロの影の装いは完全に形を失い、それでもなお彼女から離れていく塵が宙に溶けていく。顔を手で覆ったその姿は光に目を焼かれたようでもあり、喪失感に絶望しているようでもある。
           一方、自らもまた光を孕むホノカは、いきなり変化したその光景に呆然としていた。
           咲き誇ったのは、陰陽本殿の枯れ桜だけではない。

           

          「え……」

           

           世界、そのすべて。
           上空から見渡したこの地に、数多の光が生まれている。
           本来ならばそれこそが常であるにも関わらず、影に覆い尽くされようとしていたホノカは、その劇的な変化に戸惑っていた。
           だから、それが己の力によるものだと――ウツロと力の均衡に至った結果なのだと、ホノカは幾ばくか遅れて自覚する。

           

           だが、結果は正負を伴うものだ。
           ホノカが成し遂げたのなら、その結末を忌避し続けた者にとっては、皮肉にも終焉の訪れに他ならない。

           

          「あっ……あぁっ……! やだ、いやだぁ……!」

           

           ウツロは、光の中でホノカが佇むその悪夢のような光景に、息を荒くしていた。ホノカが何を言おうと、ヲウカの力がそこにあることに変わりなく、本能的な拒否感はあの程度の言葉で払拭できるようなものではなかった。
           ウツロにこびりついた過去の記憶が、ささくれだった心をかきむしる。
           敗北。そして、永遠の孤独。
           たった数年出られただけで、また元通り。次はいつか、そもそもあるのか、分からない。長きに渡る幽閉は、それを考える気力すら奪うのだから。

           

           そんな無の監獄が、また迫ってきた。
           桜の光に追い立てられたように湧き上がってくる恐怖が、ウツロの思考を埋め尽くした。

           

          「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
          「……! ウツロさんっ!」

           

           絶叫を響かせながら、残された影を纏って遮二無二急降下する。慌ててホノカも後を追うが、初動の遅れは取り戻せない。
           やがて、結晶をつける本殿の桜の枝を見送ろうかというところで、ウツロの視線はその幹へと注がれた。
           そして引き絞っていた力が、幹へ激突する寸前に解放される。

           

          「きゃっ!」

           

           力の余波に、ホノカは思わず目を覆った。
           彼女が次に見たものは、扉であった。
           神座桜の幹の一部が、樹皮ではなく桜の光になっている。かなり歪な形に広げられたその扉へ、ウツロは飛び込んでいったのだ。

           

           知識がなくとも、ホノカにはそれが自分がいるべき場所に繋がっているのだと理解できていた。漂ってくる気配に、懐かしいものさえ感じる。
           メガミの世界が、この向こうにある。
           しかし、彼女がすぐにウツロに続くことはなかった。躊躇が、ホノカが伸ばした手を途中で押し返していた。

           

          「ぽわぽわちゃぁーん!」

           

           と、そこで、大きく翅を羽ばたかせた揺波がようやく最前線に追いつく。
           宙で並び立った揺波は舞い散る結晶を背景に、ホノカの偉業を受けて笑顔を咲かせていた。

           

          「やったね、ぽわぽわちゃん!」
          「ユリナさん……」

           

           ただ、称える言葉を正面から受け止められず、ホノカは少し俯いて、どこか縋るように揺波を名を呼ぶ。
           揺波も揺波で、この場にウツロの姿が見えないことに思い至ったのか、きょろきょろと見渡してから、再びホノカに視線を戻す。
           ホノカは空いた扉に意識を向けながら、言外の問いに答えた。

           

          「ウツロさんは、その……メガミの世界に行っちゃいました……」

           

           それに対し、揺波は即答だった。

           

          「追いかけよう」
          「で、でも……」

           

           迷いのない返事が来ることは、ホノカにも分かっていた。それに同調するだけの気持ちもまた、ホノカの中にはたくさん存在する。
           けれども、躊躇いなく彼女の手を取ることができないだけの、理由もある。

           

          「ごめんなさい……私、行ったことないから……」

           

           開いた扉から得られた懐かしさは、ホノカにとってどこか少しだけ他人のもののようだった。その先は、本人が見たことのない場所に繋がっている。メガミであっても、幼い彼女には未知の領域に他ならないのである。
           忌避感ではない。だが、勢いよく飛び込んで行けなかった程度には、恐れが勝っている。

           

           しかし、その恐れで足を止めてしまったことに不甲斐なさを覚えていることもまた事実だ。
           そんなときだからこそ、人は、メガミは、一人ではない。

           

          「うん……わたしも、ちょっと怖い」
          「え……」

           

           心境を吐露した揺波は、だけど、と繋いだ。

           

          「ウツロさんを、助けないと」

           

           その手が、力強くホノカの手を握りしめる。
           自分と、勇気を分け合うように。恐れを、分かち合うように。
           そして、想いを確かめ合うように。
           背中を押すだけではなく、共に行くために。

           

           少しだけ足りなかったものを補って、少しだけ邪魔だったものを振り払い。
           覚悟を決めたホノカの瞳に、再び意思が漲った。

           

          「……はいっ!」

           

           威勢のよい返事が、眼下の遺構に響いた。
           そして、手に手を取って、大樹に開かれた扉へと身を投じていく。
           光に消えていった一人と一柱は――否、この瞬間をもって二柱となり、メガミの世界へと足を踏み入れた。

           

           

           

           


           桜花結晶が、鼻先を掠めた。
           闇夜にあれほど恋しかったそれが、今や周囲で無数に舞っている。どこに果てがあるかもわからないこの場所ならば、咲き戻った遺構の神座桜ですら比べ物にならないほどの量が踊っていることだろう。

           

          「すごいなあ……」

           

           捕まえた結晶を手のひらに乗せて、ユリナは感嘆を漏らした。
           彼女たちが羽ばたき進んでいくメガミの世界は、入る前の恐れを忘れてしまいそうになるほどに、優しい桜色で染まった空間だった。
           淡い光に満ちているようで、ほんのり霧がかってもいる。空も大地もなく、白い桜色をした不思議で美しい樹の根が張り巡らされており、曖昧な夢の中を泳いでいるようですらあった。

           

           人の気配はない。だが、桜に常に寄り添われている感覚がある。広大という言葉では表しきれない空間を二柱だけで行動しているのに、だからか未知の場所を進む不安はそう大きくなかった。
           ただ、突入してから今に至るまで、ウツロの姿は未だ発見できていない。果てしない空間を思えば当然で、指針もはっきりとしたものではない。

           

          「こっち……だと思います。あの根を越えないと」

           

           先導するホノカが、行き先を告げる。
           躊躇っていた通り、ホノカはメガミの世界が初めてだ。案内役を買って出ているのはひとえに、ウツロのいる場所が何となく分かる、とのことからだった。

           

          「そうしたら、またしばらく真っ直ぐです」
          「うん、ありがとう! ぽわぽわちゃんが居てよかったなぁ」

           

           明るく答えるユリナが、先を急ぐホノカに追随する。
           勘ぐらいしか頼れるもののない以上、ホノカに道を任せて考えるのは、ウツロに会えた後のことだ。
           切り口は、このままでいいのか。どう、手をのばすのか。
           また拒絶されないためにも、まずは色々と整理をつけておかなければならない。自分の想いを言葉にすることの難しさに、ユリナは密かに眉尻を下げた。

           

           ……その刹那。

           

          「……ッ!?」

           

           突如として肌を撫でた敵意に、反射的に振り返る。
           ただ、それはユリナに直接向けられたものではなかった。

           

          「これを以って、開花の担い手は――」

           

           ぞわり、と。
           女の声が染み込んでいくほどに、何かが書き換わっていく悪寒が襲う。
           そして、

           

          「今ここに、その不在を証明された……!」

           

           

           世界は、欺かれた。
           声の主の元から鎖にように溢れ出したのは、言葉が実体を得たようにひしめく数多の文字だった。
           言葉という通りに、それは向けられた相手――ホノカへと殺到する。

           

          「ぁ――」
          「ぽわぽわちゃんッ!」

           

           背中を向けていたホノカに、反応は許されなかった。真っ先に口が塞がれた次は手を、脚を縛り付けられ、ついには羽ばたくことも許されない。身動きの取れなくなったところでさらに言葉は殺到し、二重三重に鎖を巻き付け続けていけば、戒めは黒い球体のような形となって牢獄を成した。
           さらにそれは、ホノカの背丈よりもなお小さく縮み、人の頭ほどの大きさにまで圧縮される。中がどうなっているかなど、想像の埒外だった。

           

          「あっ……!?」

           

           それに合わせてか、突然ユリナの背中から桜の翅が消え去った。ウツロにやられたときのような虚脱感ではなく、まるで最初から存在していなかったかのような消失に、どうにか宙で姿勢を取り戻して根の上に着地する。
           そうしているうちに、言葉の繭はひとりでに空間を彷徨い、一処に落ち着いていた。
           天に向けた、女の右の手の上。
           鎧のように何重にも着物を着込み、流れるような長い金の髪を揺らす、その女。

           

          「何を……!」

           

           ユリナは斬華一閃を生み出し、強襲を果たしたその相手を睨みつける。
           だがその女は、向けられた切っ先を意に介さず、平然と名乗り上げた。

           

          「はじめまして、シンラと申します。長いお付き合いになるかもしれませんが、どうぞよしなに」

           

           

           

           


           ユリナにとって、その名前から連想するのは佐伯という男であった。桜花決闘で相手のミコトが宿していた経験はないが、最初は今は亡き龍ノ宮の決闘を観戦した際に、あるいは共闘した筏の上での戦いにおいては、その力によって助けてもらいもした。
           当時の記憶や感覚を反芻しながらも、ユリナはシンラ本人のことについてほとんど知らないことに思い至る。

           

           シンラの乗っている根に飛び移りながらも、警戒を一段階引き上げるユリナ。やや見上げる形となるが、彼我の距離は桜花決闘のそれに程近い。二呼吸あれば詰められることを意味するものの、言葉が届くほうが明らかに早い。
           しかし、身構えるユリナに、シンラは薄く微笑んだままこう告げた。

           

          「まずは、おめでとうございます、と言わせてください」
          「え……?」
          「偉業の果てに新たにメガミの一員となった貴女を、心より歓迎します。ようこそ、我々の世界へ」

           

           敵意の応酬が始まるのかと身構えていたユリナが、予想外の言葉に毒気を抜かれる。
           面と向かってメガミだと言われるのもこれが初めてだったため、足りない自覚が戸惑いを加速させる。

           

          「いや、そんな偉いことをしたわけじゃあ……」
          「何を言いますか。あれほどの英雄譚を打ち立て、ザンカの力を受け継ぎ、こうしてこの地にまで辿り着いたのです。そのような謙遜はもはや嫌味にしかなりません」

           

           そう言って、肩をすくめてみせる。
           オボロから英雄の一人だと担ぎ上げられたときと似たような困惑が、ユリナに生まれていた。彼女にしてみれば、たまたま目的と能力が適していただけのことで、いくらか居住まいの悪さを覚えていたのは記憶に新しい。
           どう言えば分かってもらえるだろうか――そう考え始めようとしていたユリナだったが、視界の中で揺蕩う黒が目的を思い出させる。

           

          「ぽわぽわちゃんを、どうするつもりですか」

           

           煙に巻くような会話の流れに頭を振り、改めて問い直す。
           シンラはそれに、一寸笑みを深くしてから、

           

          「乱暴なことをする意図はありません。ですが、この形がウツロを説得するために最も適しているのです。もちろん、万事解決と成ったときには可及的速やかに解放することを約束しましょう」
          「…………」
          「貴女方が苦心の末にウツロの抑制を成し遂げたこと、本当によくやったと思います。だから、ここからはどうか任せてはもらえませんか? 弁論のメガミたる私であれば、彼女を説得できるのですから」

           

           己を強調するよう、胸に手を当てる。
           しかし、

           

          「信じられません。襲ってきた上に、突然そんなこと言われても」

           

           ユリナは拒絶を突きつける。
           ただ、相手はその反論を素直に認めた。

           

          「その感情はもっともだと思います。理由があったとて、これが手放しに褒められない野蛮な手段であるとは自覚しています。ヲウカに煮え湯を飲まされ続けてきた者としての私情が含まれていることは否定できません。謝罪する他ないでしょう」

           

           ですが、と続けて、

           

          「私も、この地に起きた一大事を、一メガミとして憂いていたのです。ウツロの暴走についてだけではありません。貴女が挫いた、瑞泉驟雨の蛮行をです。彼は明らかにやりすぎていました」
          「あなたも、力を奪われたんですか」
          「いえ、私のミコトはあまりいませんし、対策もとっていたものですから」

           

           しみじみと、シンラは語る。

           

          「ずっと、陰ながら協力してきました。特に、瑞泉打倒に動いている間は、私は貴女の傍にいたのですよ」
          「え……」
          「佐伯識典を、対瑞泉の戦力として遣わしたのは私です。私は万が一にも絡繰の影響を受けないように、書の中に自らを封印し、佐伯の懐に隠れて行動を共にしていました」
          「佐伯さんが……」

           

           ハガネが彼の同道に難色を示していた、という話をユリナは思い出していた。サリヤから軽く聞いた、話が胡散臭いというざっくばらんな経緯も、今は理解できるような気がしていた。
           さらにシンラは、

           

          「ウツロに対抗するためにザンカを連れてきたり、先程までの戦いでは、私の権能を与えて支援をさせていました。あれの言葉には、力が籠もっていたでしょう?」
          「えっと……たぶん。必死だったので」
          「あの桜のない闇の空で私たちの権能を使うために、貴女の仲間たちは複製装置を使わざるを得ませんでした。しかし、私の力を扱う複製装置は存在しません。あのとき、あれは私の書を用いて三つ目の権能を振るっていたのです」

           

           言い終えるなり、シンラはユリナの得物に視線をやって、僅かに目を伏せた。

           

          「あぁ……ザンカのことについては残念でした。あの戦局においてはやむを得なかったのです。そんな中、貴女が武神の力を受け継いでくれたことは嬉しく思います。途絶えてしまうのは、やはり寂しいことですから」

           

           示された弔慰を、ザンカの死闘の委細を知らないユリナは黙って受け入れる。

           その上で、彼女が突きつけるのは再びの拒絶だ。

           

          「色々手助けしてくれたのは分かりました。でも、ぽわぽわちゃんをそんなふうに扱う人は信用できません」
          「…………」
          「それに、協力してくれるんだったら、最初からそのことを教えてくれてもよかったんじゃないですか? なんで私たちからも隠れてたんですか?」

           

           心情的な疑問として。あるいは、分かっていたら他のやりようもあっただろう、という武人の疑問として。
           対してシンラは、困ったように眉尻を下げて、こう答える。

           

          「そうできればよかったことには同意しますが、私自身、逆にヲウカを信用していなかったのですよ。先程、煮え湯を飲まされた、と言った通りに」
          「さっき、私情って」
          「個人的な恨みというわけではありませんよ」

           

           是正の前置きをし、シンラは逆にユリナにその言葉を突きつけた。

           

          「ヲウカは善良な存在ではありません。貴女は、利用されただけかもしれないのです」

           

           意識の外から放り込まれた提言に、ユリナの思考が止まる。
           彼女は、ウツロを単に悪いメガミとすることをよしとしてこなかった。佐伯から聞いた歴史からして、考えは正しかったのだと納得したばかりだった。
           だが、ウツロが悪だという誤解は、ヲウカが善だという認識が前提になっている。決闘を見届け続けてもらったヲウカを疑う機会など、今まで存在しなかったのだ。

           

          「それって、どういう……」
          「……少し、昔話をしましょう。桜花決闘が成立するまでの話です」

           

           そう言うとシンラは傍らに黒い球体を浮かべ、降ってきた桜花結晶を両手でそれぞれ一片ずつ摘んで見せた。

           

          「ご存知の通り、ヲウカとウツロは、桜花結晶の生成と塵化を象徴する、対になるメガミです。二柱が力の均衡を保つことで、桜の力は常に循環するような仕組みとなっていました」

           

           片方の結晶を、指に力を入れて砕く。
           シンラは手のひらに集まったその残骸を、ふっ、と吹き飛ばした。世界を包む霞に混ざるように、きらきらとした輝きが彼女の眼前に浮かんだ。

           

          「ですが、ヲウカはその高慢さからウツロと対立することになります。結果は、これもまたご存知の通り、ヲウカはウツロを打ち破って封印してしまいました。それにより、自分の生み出す結晶を塵にする邪魔者は消えたのです」
          「…………」
          「自分の天下に喜んだヲウカでしたが、愚かな彼女は気づいていなかったのです。循環は、一方向だけの力だけでは成立しないのだと。ウツロのいない世界では、力が循環しないことで、どんどん淀みが生じていきました。例えるなら、腐っていったとも言えるでしょう。まるで、流れのない池の水のように」

           

           だから、とシンラは、

           

          「ヲウカはこの事態を解決するために、人間を利用することにしました。当時より存在していた、彼女を信奉する結社・桜花拝宮司連合を通じて、人々にある文化を根付かせたのです」
          「それが……」
          「はい、そうです。ミコト同士が戦えば、塵が生まれるでしょう? 桜花決闘は、隠れたヲウカの興味を惹くためのものではなく、人間たちに無理やりウツロの役割を担ってもらい、桜の力を無理やり循環させるための儀式なのですよ」

           

           告げられた言葉を、ユリナは鵜呑みにするつもりはなかった。けれど、自分の常識を揺らすほどの事実に、思わず息を呑む。
           シンラは、摘んでいたもう片方の結晶も同様に砕き、足元にこぼす。そしてまた降ってきた別の結晶を、元通りのように摘んで見せる。

           

          「無論、一度や二度の決闘程度では循環はうまくいきません。全土に、やって当然のものと思われるほどの文化にならなければなりませんでした。幸いというべきか、この通り決闘は十分に普及しました。我らがヲウカのための、決闘は」

           

           祝詞であるはずのそれを唱える彼女は、とても忌々しげだ。あえて言ったことすら後悔しているようですらあった。

           

          「そうして、宮司連合の暗躍の結果、ヲウカは人間にとってなくてはならない存在となり、支配を確固たるものとして今に至ります。乗った人間が居るのも確かですが、元を辿ればヲウカの高慢さが招いたこと……人間たちもまた、ヲウカの被害者と言えるでしょう」
          「そんな……」

           

           擁護したくとも、擁護すること自体が言説を認めるようで、何も言えなかった。
           一息おいてから、シンラは手振りを交えながら、宣言するように、

           

          「桜花決闘は、悪しき文化です。私は、ヲウカを打倒し、歪んだ仕組みから人々を解放し、この世の中を知性ある政で回る世界にしたい」
          「…………」
          「知略を尽くし、追い詰めたヲウカに致命の傷を負わせたつもりだったのですが……どうも、まだどこかでしぶとく生きているようです。残念ながら、欺瞞の清算は未だ成されていません」

           

           嘆息しながら、ゆるゆると首を振るシンラは、それから話は一区切りついた、とユリナを窺う。これで理解してもらえたか、と問うように。
           斬華一閃の刃先は、とうの昔に下へと向けられていた。
           じっと目を落としながら考えていたユリナは、やがて静かに口を開く。

           

          「ぽわぽわちゃんとヲウカは違います。だから、なおさらそんなことをするあなたを信じられません」
          「ヲウカの力自体を目の敵にしてしまっているかもしれませんね。それに関しては、謝罪を深めることにしますが……ヲウカの悪行については、ご納得いただけたということでしょうか」

           

           確認を受けて、ユリナはやや言葉に迷いながらも、

           

          「……桜花決闘の始まりは、良いものじゃあなかったかもしれません」
          「では――」
          「それでも!」

           

           シンラを遮り、ユリナは声を大にして答えを放つ。

           

          「それでも、今は素敵なものなんです!」

           

           飾らない言葉で、確固たる意思をぶつける。
           シンラはそれに、貼り付けたような笑みを崩していた。眉をひそめる彼女は、理解に苦しんでいるようだった。
          そしてその様相を崩さないままに、反論の言葉を作る。

           

          「貴女は、全てを戦いで解決するような野蛮な世界が、本当に素敵だと思っているのですか? 人の知性こそが物事を動かすべきではありませんか?」

           

           その言葉には、どこか今までの彼女より、力がこもっていた。
           それに気づいたユリナは、咄嗟に声を上げようとして、やめた。そうしたところで無駄だということにもまた、気づいてしまったのだから。

           

          「シンラさん……あなたは、いくつか嘘をついてると思います」
          「ほう?」
          「でも、この地のことを想っているのは、本当なんですね」

           

           問いに、答えがあった。

           

          「はい」

           

           と。
           そこだけは偽りがないと、どうしてか理解できてしまう。
           真意を嘘の中に隠してきたシンラの心が、今は確かにそこにあった。
           重ねて、答え合わせのようにユリナが問う。

           

          「あなたは、ぽわぽわちゃんを解放するつもりはなくて、自分がヲウカみたいな立場になって、桜花決闘をなくしちゃうつもりなんですね」
          「…………驚きました。ただの決闘馬鹿だと思っていたのですが」

           

           投げかけられたその評価に、くすり、とユリナは笑いをこぼした。

           

          「あなたは、桜花決闘が大嫌いなんですね」
          「……ええ」

           

           そして最後に、重ねて問う。
           想いを理解してしまったが故に、想いが支えるものの決定的な違いに諦観を覚えながら。

           

          「わたしとあなたは、相容れないんですね」
          「そのようですね」
          「だから……」

           

           構えた斬華一閃が、シンラの姿を捉える。
           永遠に交わらない平行線の想いを抱えて、妥協点を見出すことができないのなら、想いの強さを比べるしかない。

           

          「仕方ありませんね」

           

           シンラの袖から、数本の巻物が現れる。勝手に開いたかと思えば、羽衣のように彼女の周囲を漂い始めた。独特の臨戦態勢だが、膨れ上がる圧は彼女が決して言葉を紡ぐだけの存在ではないと示している。
           賭けるものは、桜花決闘そのもの。
           活かしたいという想いと、廃したいという想い。相容れない二つが今、間合いを挟んで向かい合う。

           

           と、いつも通りに宣誓しようとしたユリナが、言葉を飲み込んでシンラを伺った。

           

          「我らヲウカ……とは、言いたくないですよね……」

           

           無言の応じられたユリナは、どうしたものかと周囲に目を配る。そもそもヲウカ本人がいるはずの世界で行われる決闘に、先程までの話を踏まえずとも、例の宣誓に若干の違和を感じていた。ユリナにとってはまだ、ヲウカは桜の向こうの存在という印象が強すぎるのだ。

           

           彼女の目に映ったのは、この世界。
           桜の根が張り巡らされ、無数の花弁が絶え間なく降り注ぐ世界。
           故にユリナは、少し間を空けてから、こう唱えた。

           

          「武神ユリナ、桜降る代に……決闘を!」

           

           そして、応じるシンラは、感情を露わにするように眉にさらに力を込める。

           

          「弁論のメガミ・シンラ。桜降る代に、決闘を」

           

           努めて淡々と告げられた宣言を皮切りに、明確な敵意がユリナの肌を刺激した。
           観客は、誰もいない。立ち会う者もいなければ、ずっと見届けていたはずのメガミもいない。宣誓と共に流れ込んでくる力もなく、ホノカも黒い繭になってずっと黙したままだ。

           

           勝手の違う戦いに、ユリナはにやりと口端を吊り上げた。
           それでも必ず勝つという意思を燃やして。

           

          「これから、最初の桜花決闘を、始めたいです」
          「そうですね……そして、最後の桜花決闘にしましょう」

           

           

           この地の有り様を巡る衝突が、今始まる。

           

           

           

           


           舞台裏で暗躍するやつが表に出てくるのは、決まって自分にしかできない一手を打つためだ。
           美味しいところだけを持っていく、なんて言うけれど、シンラにとっては育ててきた計画のまさに収穫時に他ならなかった。
           決闘のために力を尽くしてきたユリナの活躍に、一手加えるだけで真逆の結果を生み出すんだからね。

           

           ああ、そうだ。ついにここまで来た。武神ユリナの初陣にして、桜降る代に至る最後の戦いを、今こそ語るとしよう。

           

          どこにも記されていない物語

          作:五十嵐月夜   原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

           

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          『桜降る代の神語り』第72話:陰陽事変

          2018.12.22 Saturday

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             神座桜が散り、真っ暗だったあの夜を照らすものは3つあった。
             1つは星々。けれど、それに影を払拭する力なんてないし、微かな灯りでしかなかった。
             2つ目は、天音揺波やホノカたちの輝き。しかし、絶望的な力の差にそれも曇っていった。
             最後の3つ目……それこそが、闇夜を払う鍵となる。そう、駆けつけたヒミカとハガネ、縁が導いた、メガミたちの灯だ。

             

             英雄が紡いできた縁の灯火は、さらなる希望を得て燃え盛る。

             

             

             

             

             


            「バァーン、バァーン!」

             

             紅が、空に二条の軌跡を描いた。
             銃声に紛れた掛け声が送り出したのは、二発の金属塊。噴出する炎によって自在に飛翔するヒミカが、敵意みなぎる終焉の影に向かい、手にした二丁の銃から放ったものである。

             

             彼女の銃は、自身の炎によって弾丸を打ち出す。
             ミコトが扱うそれとは違い、溢れ出さんばかりの本人の力が込められたそれは、銃声よりも先に着弾し、ウツロの身から結晶を大きく吹き散らせていた。押し出した炎の激しさから、弾道そのものを一瞬燃え上がらせる。

             

            「ォ……」
            「んで、もいっちょ、バァーン!」

             

             炎を纏った弾丸は吸い込まれるように命中し、ウツロの右肩をえぐった。
             揺波たちが手を尽くして、命からがら与えられた有効打は数えるほどしかない。単純な力量差だけで押し返され、果ては影となって無力化された。そんな障壁を越えても、影は顔色一つ変えなかったのである。

             

             それを、援軍のハガネ、ヒミカは容易く凌駕する。
             メガミたちの一撃は、ウツロにとって明確な障害となる。

             

            「……!」

             

             

             目を見開いたウツロの周囲で、影が形を生む。
             それは、刃だ。柄すらない、ただの刃だ。
             人の背丈よりもなお長尺の漆黒の刃が、無数に連なり、切っ先をヒミカへと向けていた。

             

            「マジかよ……!」

             

             寒気すら覚える殺気の束が、高空へ退避するヒミカをなお取り囲んだ。
             一発、二発と引き金を引いたところで、霧散した刃は弾と同じ数でしかない。一度に持てる武器が二つだけである以上、四方八方からなだれ込む数の暴力に武器だけで対抗することは難しい。

             

            「チッ……こんなもん……!」

             

             正面から突いてきた刃をひねって交わし、その間に両脇に迫っていた影を銃を叩きつけて吹き飛ばす。さらに足元を薙いできた一本は、身体を支える炎の出力を瞬間的に上げることによって回避、別の刃が二の腕を斬りつけるが、そのまま上へ突き抜けて飛び退った。
             置き土産とばかりにその場に爆炎で吹き散らしたヒミカは、炎の向こう側からやってくる刃たちを迎撃すべく、仰向けになるように飛翔し、銃を構えようとする。

             

             だが、数の利とは、決して単純な物量だけに留まらない。
             影の刃は、夜の帳が下りた森を背景にすれば、容易く紛れてしまう。

             

            「ぐ、ぅあッ……!?」

             

             前面に気を取られていたヒミカの背中に、地上から迂回するように飛び上がってきた一本の細い刃が突き立った。
             さらに到着した刃が、一本、また一本と彼女の身体を切り刻んでいく。

             

            「くそっ!」

             

             たまらず全身から爆炎を迸らせ、まだ迫ってくる刃が押し返された隙に、ウツロから離れるように進路をとった。健在な影の刃が、その後を追っていく。
             誰が見ても、たとえメガミであっても、大きな傷を負ったのは間違いない。ただ、看過できない力でもって、ヒミカは敵の目を引きつけた。人はそれを、好機と呼ぶ。
             大鎌の圧力が緩んだ今、再び翅を手にした揺波がウツロへの至近を叶えるべく、音も立てずに飛び込んでいった。
             だが、刃を振り下ろさんとしたそのときだ。

             

            「……ッ!?」

             

             背後をとっていたはずなのに、突如ウツロは携えていた大鎌を、揺波のいる空間ごと刈り取るように後ろへ振るう反応を見せたのだ。
             怪物のようになったウツロの得物は、人の身で対抗するには大きすぎる。力比べも勝てず、ともすれば鈍器ですらあるそれで吹き飛ばされる未来が、振り下ろした刀を止められない揺波を待ち受けていた。
             そこへ、

             

            「得物は長い、懐は安全だ!」

             

             響く佐伯の声に導かれ、翅を無理やり羽ばたかせて前へ出る。
             巨大な上顎のような鎌の刀身は後頭部を掠め、代わりに鎌の柄と斬華一閃とで鍔迫り合いが始まる。揺波は両手を添えて必死に、一方ウツロは背中越しに。力の差は歴然としており、その様子は膠着と呼ぶには揺波は劣勢が過ぎた。
             そんな揺波を援護するべく、ホノカは桜の精を呼び集める。

             

            「お願いっ!」

             

             だが、彼女の願い虚しく、光はウツロが差し出した闇の片翼に全て阻まれる。防御行動を強いた、と言えば聞こえはいいが、その実、精彩を欠いた攻撃はついでのように払われただけである。
             と、

             

            「おい、何しょぼくれてやがんだ!」
            「ひゃい!」

             

             ホノカの背中を叩く力強い手。
             戦闘中にも関わらず、全く接近に気づかなかった彼女は、その声の主がヒミカだと知る。ちらちらと背後を気にするその姿は、刃に全身切り刻まれたのか、傷だらけになっていた。
             思わず息を呑むホノカだったが、力なく抗議の声を上げる。

             

            「だって……やっぱり私じゃ、全然戦えなくて……」
            「はぁ? 戦えないだぁ?」

             

             するとヒミカは、見ろ、とホノカの頭を掴み、ウツロへと向き直らせる。
             そして、肩越しに耳元まで顔を近づけると、

             

            「おまえはあいつのなんなんだよ」
            「なんだ、って……」
            「あいつはやべー、だからぶっ飛ばす。アタシはそうだけど、おまえらはあいつぶっ殺すとかそういうのじゃないんだろ?」

             

             なら、と続けたヒミカは、ホノカの背中に拳を当て、残りの言葉を告げた。

             

            「おまえはあいつをどうしてやりたいのか、ちゃんとここに訊いてみな」
            「…………」

             

             一拍、二拍と返事が来ないのを受けて、ヒミカはそれ以上何も言わずに飛び去っていく。その際、ウツロへ向けて一発弾丸を放つも、至近し始めた数多の刃に気を取られて影色の翅を掠めるだけに終わる。
             ホノカは、ヒミカを追う刃たちが傍を通り過ぎても、口を引き結んで宙に佇んだままだ。揺波をすぐ助けられないことに歯がゆさを感じようとも、即答できなかった問いの答えを探っていた。

             

             ただ、劣勢を覆す手立てがなければ、揺波はこのままウツロに押し切られる運命だ。
             ギリ、ギリ、と噛み合う刃と柄。今や正面から両手でもって大鎌を押し付けてくるウツロに、揺波は次第に上を取られていく。踏ん張りの効かない空中にあって、徐々に高度が下がっていく。
             と、周囲から、轟、と風を圧縮したような音が鳴った。

             

            「……?」

             

             少しだけ、ウツロはそれに気を取られたのか、揺波から意識が反れたようだった。同時に揺波へ加わる圧力も減じるが、それでも斬り返すには至らない。
             だが、その一瞬の間に、揺波だけはウツロの向こうに音の正体を見た。
             宙を駆ける、巨大な鉄槌を。

             

            「空飛んでるとか、ずるいよっ!」

             

             

             振りかぶっていたそれをウツロめがけて落とすハガネは、足元に空色の翼を生やしていた。否、浮雲を移動手段として使い、大物を構えるには狭すぎる彼女の背中で器用に構えていた。
             初撃よりはかなり控えめであっても、傷を生むには十分な大きさ。
             先に落ちてきたその陰に、ウツロは危機を感じたのか、揺波を弾き飛ばして迎撃を為す。

             

            「っ……!」

             

             見上げるウツロの得物が、対抗するように大きさを増す。揺波のときと同様に、背後へ振り切られようとする大鎌は、ハガネたちをまるごと飲み込もうとしていた。

             

            「おぉーーっとッ!」
            「ぐおっ……!?」

             

             ハガネが選んだのは、跳躍だ。
             既に鉄槌を振っていた体勢だというのに、ハガネの足裏と浮雲の背中との間に凄まじい反発力が生まれたかのように、ハガネは前方上へ、浮雲は鎌の届かない後方下へ、それぞれ別れた。
             そして、

             

            「ォ……!」
            「あ、ぐ……!」

             

             鉄槌はウツロに、大鎌はハガネに。
             同時に命中した攻撃に痛み分けとなる。けれど、得られた結果には大きな差があり、ウツロはその場に留まりきれずに体勢を崩しただけだったが、ハガネは胴を深々と抉られ、大量の桜を散らしながら地上へと落ちていった。
             だが、生まれた隙は値千金のものである。揺波にも、ヒミカにも、それが分かっていたからこそ、その身へ加速を叩き込んでいた。

             

            「今が好機だッ!」
            「チッ……わかってるよ、んなこたぁ!」

             

             佐伯の号令に苛立つヒミカは、足からの炎をさらに倍化させ、下方から間合いを捨てての急接近を試みる。
             彼女を襲っていた刃は取り残され、二つの銃口がウツロの背中を捉えた。
             凝縮された炎が、銃を通して迸る。

             

            「クリムゾン・ゼロッ!!」

             

             

             局地的な爆発が、ウツロの身体を上空へ打ち上げる。散った塵が、爆煙の中に踊る。
             さらに、より上に位置していた揺波が、急降下と共に斬華一閃を斬り落とす。

             

            「つき、かげ……おとぉぉぉし!!」

             

             

             人の身だけでは稼げない高度が加わり、揺波必殺の一撃が浮き上がっていたウツロを真っ二つに断ち切る。
             竹を割るような一刀によって吹き出した桜が、爆風に消えていった。

             

             二人の大技は、ハガネの作り出した隙によってどちらも直撃したのである。
             間違いなく、防がれることもなく。
             けれど、それでも戦場に吹き荒れるのは、暴力的な影であった。

             

            「が、ぁっ……!?」
            「いッーー」

             

             あれほどの衝撃や傷の後とは思えない、力強い大鎌の振りによって、揺波とヒミカは打ち出されたように吹き飛ばされていく。
             両者共、樹々に抱きとめられたために、地表に打ち付けられることはなかった。しかし、全身の傷は元より、空に留まるための翅や炎の力のなさが、満身創痍の証に他ならなかった。

             

            「おいおい……しぶとすぎんだろ……」

             

             毒づくヒミカは、もう樹を支えにしている状態であり、満足に戦場へ復帰できる余裕を失っていた。そんな彼女を、ウツロは悠然と見下ろしながら、元々向かっていた方角へと着実に下がっていく。
             大きすぎる力量差に加え、油断もなければ体力の底も見えない。
             相手にすること自体が間違っているーーそんな徒労感すら覚えさせる影の形に、あるかどうかも分からない次の一手を皆が探し始める。

             

            「アタシたちじゃ埒が明かねえ」

             

             戦意を保ちながらも、半ば呆れたように言ってみせる。
             そんなときだ。

             

            「なら、もう、一撃」

             

             ヒミカの言葉に、応える声が。
             風に乗ったその音がウツロの背後から響いたかと思えば、彼女に向かって吹いた一陣の風がバチバチと雷を孕む。
             そして、風の中から現れた人影は、手に備えた三又の爪を振り抜いた。

             

            「ゥ……」

             

             素早いその一撃に反応しきれなかったウツロは、傷を負わせた相手を鎌で振り払わんとする。だが、薙いだ空間にはもう誰もおらず、ぎょろりと動いた瞳が眼下に収束していく。
             樹の先端に掴まった影の主は、頭の上の獣の耳を、警戒するようにぴんと立てる。

             

            「ら、らららライラ様……!」
            「おまえにしちゃおせーぞ」

             

             興奮する佐伯を無視して、冗談半分で文句を飛ばすヒミカ。
             ライラはそれに、ウツロを注視したまま答えた。
             

            「たおれてた。でも、休んだから、いける」

             

             それに、と続けた彼女は、ほんの小さく、口端を吊り上げた。

             

            「みんな、まにあった」

             

             

             

             

             

             


             たった五人で大いなる影に挑み、強大な力に絶望した。
             二柱の助力を得たとしても、返り討ちにあった。
             いかに敵本人から敗北を突きつけられなくとも、挫けそうになる心が打つ手がないと訴えようとしていた。

             

            「みんな……」

             

             ライラの言葉を受け、周囲を見渡す揺波に、『みんな』を目視することはできない。
             けれど、あちこちから集まってくる心強い気配は、確かに感じられる。
             たとえ誰か分からなくても、広がった闇に瞬く星のように、それは彼女にとって鮮烈だった。

             

            「急いだ甲斐があったってもんだ」
            「これ……ヒミカさんが?」
            「いんや? そりゃ来るやつは来るだろ」

             

             けど、とヒミカは揺波に歯を見せて笑いかけた。

             

            「ここでみんな集まれたのは、アタシたちより先に駆けつけたお前らのおかげだ。ありがとよ!」
            「そんな、私はただ……」

             

             結果論だと反論しようとして、揺波は言葉を飲み込む。援軍をあてにしていなかったのは事実だが、揺波たちだけでは打開が難しいこともまた確かだ。不必要に謙遜するより、会釈でもって返す。
             そうして、集まってきた力を把握しようとした揺波の耳を、この場に似つかわしくない音色がくすぐった。

             

             剣戟の音でも、銃撃の音でもない。
             奏でられるは、共鳴し合う音楽。美麗であり、勇壮でもあり、不思議と力が湧いてくる、そんな音色。

             

            「これって……」

             

             それは、森のどこかから響き渡っていた。

             

             

             

             

             


             仄かに月明かりが差し込めるだけの、樹々の狭間。
             逞しい馬から降り立った二人の手には、彼女たちだけの武器がある。

             

            「いいのですか? 千影やサリヤさんの分も、私は戦うべきでは……」

             

             ここにきて、未だ迷いを見せるのはサイネだ。
             戦場に駆けつけたはずなのに、持てと言われたのは薙刀ではなく、琵琶であった。

             その弦に合わせる笛を構えたトコヨは、サイネの言葉をばっさり切り捨てる。

             

            「いーのよ、あたしたちは飛べないし」
            「それはそうですが」
            「別に斬りかかるだけが戦いじゃあないわ。音楽の、あたしたちの演奏の力、見せてやればいいの」
            「そういうものですか」
            「そういうもんよ。ほら、演るわよ!」

             

             先行して奏でられる笛の音に、笑みを零すサイネ。
             バチに力を込め、一つ、二つと弦を震わせる。次第に音色を増やしていけば、交互に、時に混ざり合って、旋律を主張し合う音楽となっていく。

             

             二重の音色が、鼓舞となって闇夜に響いた。

             

             

             

             

             


            「ウ、アァーー」

             

             深い意思が見えないウツロであっても、表情を明るくした揺波たちに、その音楽が自分に不利益を生むことは本能的に理解したようだった。
             故に彼女は、それを無意味なものとすべく、あの透き通った悲痛の声を上げようとしていた。
             だが、

             

            「よ、よっしゃー! いっちょぶちかましてやんなー!」

             

             可愛らしくもありながら、威勢のいい合図がウツロの意識に割り込んだ。
             彼女の背後、現れた新手には、手足の代わりにヒレと尾がついていた。
             鯨だ。
             宙に浮いた巨大な水球で、鯨が泳いでいた。

             

             体長はむしろ小ぶりなほどだが、顔にいくつもの刀傷をつけたその鯨は、自分よりも優に長い大太刀を口に咥えている。どこか笛の音にも似た鳴き声は、けれど滾る戦意を抑えられないように気迫に満ちていた。
             そして、鯨の上には小柄な少女が一人。
             海のメガミ・ハツミが、しがみつくように両手に持った櫂をウツロへと向けると、水球ごと鯨が突撃を敢行する。

             

            「……!」

             

             大鎌で切り返し、弾こうとするウツロ。しかし、ハガネの鉄槌ほどの巨大さではないものの、鯨が繰り出したのは体当たりではなく、質量を帯びた斬撃である。
             なんとか押し返すことには成功するも、ずぶ濡れのウツロは体勢を崩す。一方、鯨とハツミは吹き飛ばされはしたものの、その身体を受け止めたのは彼女自身の水球である。逆に受けた衝撃を利用して水球を巡るように泳ぎ、瞬く間に再度間合いに入る。

             

            「もーいっかいぃ!」
            「グ……」

             

             盾にした大鎌をものともしないようなぶちかましに、ウツロはその身を綻ばせながら地面へと吹き飛ばされた。
             影色の翅を大きく広げ、勢いを殺しながら森の中へ着地する。
             それを見計らったかのように、ただでさえ闇に包まれているというのに、ウツロの周辺が霧で覆われ始める。

             

             ちょうど、彼女にはそれを払えるだけの大きな翅と、鎌があった。
             だから、と動きを作ろうとしたウツロは、

             

            「……?」

             

             その身も翅も動かせないことに、小さく眉をひそめた。
             腕に、細い糸状のものが食い込んでいた。

             

            「は、はやくッ……!」

             

             苦悶の声を樹上で上げるのは千鳥。
             彼の腕にはめられた複製装置<忍>は火を吹きそうな勢いで駆動し、革の手袋をはめた彼の手は幾条もの鋼鉄の糸が集っていた。明かりのなさが、空間に満ちた罠をさらに罠足らしめていたのである。

             

            「よくやった……!」

             

             

             ウツロを挟んで千鳥と反対側の位置では、オボロも片腕ながらまた鋼糸を掴んでいた。傍では、霧を吐き出す鰻が役目を終えたとばかりに彼女へすり寄っていた。
             そうして忍二人がウツロを拘束した、その直後だ。

             

             霧の向こうから、いや、霧煙るこちら側へと、立ち入る女が一人。ウツロが人の形をした影ならば、こちらは雪が人の形を成しているような女だ。
             一歩、踏み出すごとに彼女の足元が凍りつく。いかにも暖かそうな厚手の服に身を包んでいるのに、その身からは冷気が溢れ出しており、彼女の周囲の霧が晴れていくようですらある。

             

            「貴様ら、巻き込まれるでないぞ」

             

             メガミ・コルヌ。氷を象徴とする彼女が、手のひらのものに吹きかけるように、ウツロに向けて息を吐いた。
             その途端、森に極寒が訪れた。
             いきなり吹き荒れた大寒波が、動けなくなったウツロへ強烈に吹きつけたのである。

             

            「ーーーー」

             

             ハツミとの交戦で濡れていたことも相まって、瞬く間に一つの氷像が完成する。
             周辺の草木が凍って砕ける音があちこちで響く中、ミシミシと内側から破壊しようと試みる音は聞こえるものの、重ねられた拘束がすぐに解けることはない。

             

             

             

             

             

             ……そんなウツロを、ここから一番近い山の中腹から狙う者たちがいる。
             そこでは、空色の光が場を強烈に照らしていた。中心となるのは、メガミ・ミソラ。空を駆ける狩人は今、浮雲たちのものよりも雄大な翼を畳み、同じく空色の光で編まれた弓で、眩い輝きを放つ矢を引き絞っていた。
             彼女たちからは、樹々に隠れてウツロの正確な位置は分からない。けれど、その鏃は必ずウツロを指しているのだと、隣で弾かれる算盤が告げている。

             

            「パチパチパチー、っとこれで終いです。あとなんぼか上で、右にも頼んます。ーーあぁー! ちゃうちゃう! ……そこ! そこや! もっと力込めて、ガツンといてこましたってください!」
            「……言われなくとも」

             

             尖った耳を鬱陶しそうにひくつかせると、高まる力になびいていた、新緑を思わせる色合いの髪が払われる。ミソラはこの口うるさいメガミ・アキナが、金勘定だけが能ではないことを知っており、素直に狙いを修正する。
             そして、巨大な力がたった一本の矢に収束し終わった。

             

            「僕の矢が、千里の果てまで貫こう……!」

             

             アキナが確定した場所めがけ、全霊を込めてミソラはその矢を放つ。
             あまりに凝縮された力は軌跡の大気を破壊し、暴風を生んだ。それでいて狙いは寸分違わず、ブレることもなく、氷漬けとなったウツロの胸に突き立った。

             

            「ガ、ァァオォ……!」

             

             頑丈な身体に風穴が開くことはなかったが、それが返って長く彼女を苦しめる。穿っただけでは勢いはなくならず、衝撃で氷が砕け散り、鋼糸もほどけて自由になった手でウツロが押し止めようと、彼女を地面に縫い付けてやまなかった。
             大量の塵が洪水の如く吹き出しても矢は満足しなかったのか、行き場を失った力は枷から解き放たれようにウツロを巻き込んで爆発する。

             

            「ォ、ォォ……」

             

             余韻も去り、再び音楽だけが響く森が返ってきたとき、ウツロは膝をついていた。
             あれだけの攻撃を立て続けに受けて五体満足なままであったが、土がついたというその事実は、揺波たちにしてみれば多大な成果である。

             

             だが、この地を覆う影は、それをよしとしない。
             たとえ忘我の果てにあったとしても。

             

            「ゥゥウアアアアァァァァァッ……!」

             

             慟哭が、天を衝いた。初めて、感情らしいものが垣間見えた叫びだった。
             ウツロの身体から影が溢れ出し、肉体の一部が塵となっていく。それは身体を構成することを諦めた力の末路ではなく、塵という形に部分的に再構成しているようで、あるいはさらなる力に自分を食わせているかのようだった。

             

             押し込めた己が求めた力を、ウツロは周囲に解き放つ。
             揺波の翅を奪ったあの灰色の空間が、ミソラの矢に負けじと爆発的に広がっていく。

             

            「ーーーー」

             

             それは一瞬、音を奪った。
             漂っていた霧も、名残のような氷も、生み出された虚無の空間によって尽くかき消される。皆を力づけていた音楽でさえも、誰の耳にも届かなくなった。

             

            「ウウウウッ……!」

             

             影の翅を展開し、空へと舞い戻ったウツロは、最初の進み方が嘘のような速さで行程を再開する。
             その先には、樹海の中に聳える、上半分を砕かれた山が。
             陰陽本殿。
             彼女が封印されていたはずの地を求めるように、乱雑なまでに力強くウツロは羽ばたいた。

             

            「ま、待ちやがれ!」

             

             灰色の空間による虚脱によって対応が遅れた中、ヒミカはどうにか引き金を引く。同時、彼方より変化を察知したミソラも、次弾を放っていた。
             しかし、弾も矢も、塵を撒き散らしながら飛ぶウツロに届くことなくかき消されてしまう。狙われたことすら、本人は認識していなかっただろう。

             

             無事に飛んで追いつける者が復帰した頃には、ウツロは陰陽本殿の目前まで迫っていた。砕かれて不格好になった山の中心に、火口のように空いた穴の下では、もう珍しくもなくなってしまった結晶のない桜が待っているはずだった。
             実のところ、誰もウツロがここに辿り着いて、何が起きるのか理解していなかった。
             それでも、一目散に目指すだけの理由が彼女にはあり、目的を果たさせてはならないという最悪への恐れが、多くの者を動かしていた。

             

             ……ただ、二人を除いて。
             そして、ウツロの力に影響されなかった一柱が、最後の砦として立ちはだかる。

             

            「ァ……」
            「ウツロさん、お待たせしました……!」

             

             桜色の光を帯びた旗を掲げ、ホノカは告げる。

             その瞳にはもう、迷いはなかった。

             

             

             

             

             

             


             悲哀が、夜を包む。

             

            「ァアアア……!」

             

             新たな障害を前に、ウツロは速度を緩めなかった。全身から吹き出した濃密な影を纏いながら、ホノカを空間ごと塵にせんと空を駆ける。
             対し、ホノカは周囲にいくつもの桜の精を現した。桜の色で空を満たそうと、それらはウツロの影を受け止めるべく飛び出していく。

             

             この戦いの始め、ホノカの光がウツロに届くことはなかった。
             しかし、己の意思を固め、手の届ききらなかったメガミたちの意思を乗せた光は、今や神座桜を思わせるほどに強く、逞しく輝いている。
             そして今、数多の光は、迫りくる影をどうにか受け止めていた。
             影の奔流と光の奔流が、陰陽本殿の直上でぶつかり合う。

             

            「……!?」
            「お願い……話を、聞いて下さいっ……!」

             

             飛び込んできたウツロの勢いが弱まっていく。
             影と光は、衝突した傍から宙に溶け合うように消えていく。あらゆるものを一方的にかき消してきたウツロの影だが、ホノカの光だけは例外だった。逆に、ホノカの光がウツロの影を一方的に打ち払うこともまた、なかった。

             

             相克する力。対極に位置する力。
             拮抗しあうことを定められた彼女たちの権能の現れは、やがて両者の間に陰陽の巡りを生む。塵を結晶に形作る光と、結晶を塵に還す影……どちらが押し負けてしまうこともないが、相反する力が混じり合えずに混じり合う矛盾を叶え、互いの存在に触れていく。
             そして、身体に亀裂が走ったウツロの顔が、はっきりと恐怖に歪んだ。

             

            「い……やだぁっ!」

             

             そこに、意思はあった。顔は未だ、終焉をもたらした影そのものであっても、自我は確かにあった。
             揺波たちが知る、ウツロ。その自我が。
             けれど、意識を取り戻そうとも、我に返るということはなかった。表情のように、心は未だ歪みに囚われたまま、彼女は慟哭する。

             

            「やめて、もうやめてッ! 来ないでッ! あなたとまた戦うのは、嫌……また、負けるのは、嫌ぁっ!」
            「何をーー」
            「ひとりぼっちは、もう嫌なの……! やっと出てこられたのに、負けて逆戻りなんて絶対に嫌っ!」

             

             錯乱しているようにしか聞こえない言い分に、ホノカは言葉に詰まる。
             そこへウツロは、涙を零しながら、こう叫んだ。

             

            「だからもう来ないでよ、ヲウカっ!」
            「え……」

             

             それは彼女の言葉であって、彼女の言葉ではない。かつて存在し、けれど彼女の中にはないはずの過去に炙られた悲痛な訴えは、光に旧き仇を見出したホノカへと叩きつけられていた。
             意表を突かれたホノカは、その名を受け止めきることができていない。
             だが、彼女はハッと我に返り、固めた意思を瞳に映し出した。

             

            「違いますっ!」

             

             願いへの答えになっていないその否定に、今度はウツロがひるむ。

             

            「な、何が……!」
            「何故かは分かりませんけど、私はヲウカの力を持っている……んだと思います。でも、ここにいる私はヲウカじゃありません!」

             

             その口から理由が告げられることはなかった。
             曖昧で、しかもウツロからしてみれば戯言にもほどがあるその言葉を、彼女は勝者からの嘲りと受け取ったようで、声の悲痛さに若干の怒りが交じる。

             

            「下らない嘘はやめてッ!」
            「本当です! 私は、私……ぽわぽわちゃんです!」
            「ふ、ふざけないで……!」
            「ふざけてませんっ!」

             

             込めた意気が、光の強さとなってウツロの勢いをさらに削ぐ。
             変化は、それだけではなかった。引きつった端正な顔が光にあてられて崩れ去っていき、徐々に元のやや幼いウツロの顔が見え始める。手足も影の装甲を剥がされていくように、輪郭がおぼろげに掴めるまでとなっていた。
             ホノカは加えて、

             

            「それに、そもそも私とユリナさんはウツロさんの敵じゃありません! あの悪い人はもうやっつけたんですから。ユリナさんも前に訊いてましたけど、ウツロさんは……何がしたいんですか?」

             

             瑞泉城で問うた、揺波の再現。互いの立場は、明確に変わっている。
             手を差し伸べるように優しく問いかけたホノカは、今こそ円満な解決の糸口を心から欲していた。
             だが、あのとき無だと答えたウツロは今、己こそが答えを求めていると訴えるように、悲痛な顔つきで首を横に振る。

             

            「わから、ないの……」
            「え……?」
            「分からないのっ! 自分が何をしたいのか、自分でも分からないの……! 私にはなんにもないの! だから……ッ!」

             

             繰り返す。同じ答えを、自分こそ望んでいないのに、叫び返す。
             無駄な問答を打ち切るべく、ホノカの妄言によって削がれていた戦意をウツロは取り戻し始める。終焉をもたらしたあの姿すらもはや邪魔だというように、意思に満ちたウツロ自身から塵が吹き出していく。

             

             しかし、繰り返すのはホノカもまた、同じだった。
             揺波が応じたあの言葉で、ウツロの戦意を撃ち抜くように言い放つ。

             

            「分かりますっ!」
            「……!」

             

             否定でも疑問でもない、理解という返答に、ウツロの表情が固まった。
             未だ明暗のせめぎあいが続く中、がむしゃらに口から飛び出したような同意は、ウツロへとはっきり届いた。
             ホノカは、溢れ出してくる共感を必死に届けるように、

             

            「私だって、なんだか分からないままにこの地にいるんです。たまたまユリナさんと出会えたけど、そうじゃなかったら……ううん、今だってどうなるか分からない!」
            「…………」
            「でも、だから! 色んなことを知りたいんですっ! やれることを……やりたいことを見つけていきたいんですっ!」

             

             真っ直ぐな意思だった。
             ただ一人、ウツロと同じ境遇にある者は、諦観など知らぬとばかりにひたすらに前向きな意思を胸に抱いていた。
             不安がないわけではない。けれど、そこでうずくまることはない。

             

             そんな意思を浴びせられ、ウツロには受け流す言葉も否定する言葉も、そして諦観に根ざしていられるだけの意思も、ありはしなかった。
             放出する影の矛先が、ぶれていく。仇敵に対して全力であたっていくための力が、端々から夜闇に溶け出していく。もはやウツロが身体に纏った影はなく、ホノカが輝きを一段と強めていくのとは対照的であった。
             そして、それが最後のきっかけだった。

             

            「あっーー」
            「う……!」

             

             影と光が、二人の間で釣り合った。
             均衡を越え、平衡を越え、混ざり合うはずのないものが混ざり合う。互いが互いであるままに影と光は手を取り合い、一つの大きな力として広がっていく。

             

             そして、世界は光に包まれた。
             空っぽでも、終焉を告げるでもない温かな光は、戦いによって傷ついた者たちの希望となる。
             それは何も、人やメガミに対してだけではなかった。

             

             ホノカとウツロの眼下では、陰陽本殿の枯れ桜が満開を迎えていた。

             

             

             

             

             


             手を尽くし、持てる力で終焉に抗った者たちがいた。彼女たちは影を打ち破り、平穏を取り戻そうとした。

             だけど天音揺波と、ホノカは違った。彼女たちはウツロを理解しようとした。与えられた力と共に理解を差し伸べた。そして彼女たちの言葉は影を揺らがせ、この地に光を取り戻すに至る。

             これにて一件落着……となればよかったのだけれど、物語はもう少しだけ続く。
             君も気をつけたほうがいい。解決を間近に控えたときこそ、話をあらぬ方向に転がされてしまわないように、ね。

             

            語り:カナヱ
            『桜降代之戦絵巻 第五巻』より
            作:五十嵐月夜  原案:BakaFire  挿絵:TOKIAME

             

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