『桜降る代の神語り』第37話:メガミへの挑戦

2017.10.20 Friday

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     尋常ではない気を伴って、道端で呼び止められようものなら、次の瞬間には鍔迫り合いになっていてもおかしくない。
     けれど、天音揺波を呼び止めた童女はこれでもメガミだ。辻斬りなんかじゃあない。
     正しく相対するには、当然手段も相応のものを用意する必要があるだろう。
     そうして設けられる一席で、天音揺波はメガミという存在にどう向き合うのだろうね。

     

     


     目と鼻の先だった町を尻目に、背の高い針葉樹に覆われた小さな山を登ることしばし。陰気な山道を抜けると、幾分と開けた中腹が顔を見せる。これより先は、大地を東西に分断する山脈に繋がっており、気軽に臨めたものではない。
     無論、先導していた童女の足も止まった。

     

    「あなたはあっちね」

     

     神座桜の前で。

     

    「え……」

     

     桜の向かって左側へすたすたと歩いていく童女に、揺波は抗弁することができなかった。
     ここに至るまで、揺波が聞いた最後の言葉は『着いてきて』というもの。普通であれば不可解に過ぎて逃げ出すが道理だが、有無を言わせない童女の圧力の中で拒むことなどできようはずもない。ちろちろと、揺波の胸中に燻る炎もまた、その一助となっていた。

     

     揺波にとって神座桜とは、言うまでもなく決闘の舞台である。何者かと相対する状況下でそれを前にしたら、右手側か、左手側か、いずれかに粛々と歩を進め、相手と向き合う。それが揺波の当然である。
     しかし今、揺波の足は動かない。
     相手となるミコトが、この場に存在していないからだ。
     揺波をここへ連れてきた存在は、あくまでメガミである。

     

     と、そんな揺波の様子を見たのか、童女は緩く握り込んだ右手を横に突き出し、空に向けて開き、そして――

     

    「――!」

     

     次の瞬間には、彼女の手には大きな鉄槌が握られていた。まるで手のひらの上に極々小さなそれが乗っており、瞬く間に童女の背丈ほどの大きさに膨らんだようであった。
     左手の篭手と同じ、緑青を基調としたその大鎚。片面には、胴よりも大きな鐘のついた、奇妙なそれ。
     揺波には、その鉄槌に見覚えがあった。

     

    「その武器……もしかしてあなたは――」

     

     問いながら揺波は、粛々と童女の対面に向かって歩いていた。答えを待つまでもなく、それはまさしく最強の名を冠していた男の顕現武器であり、そして、相手がメガミということが正しければ、象徴武器ということになる。
     桜の下で振るうべき武器を桜の下で向けられた以上、揺波は位置につかざるを得なかった。

     

    「うん。あたしはハガネ。たっつー……あぁ、龍ノ宮一志に大地の力を貸してたメガミだよ」

     

     そう名乗ったハガネは、伏せがちに揺波を見やっていた。睨むというほどではないが、その瞳には暗いものがなかったかと言えば嘘になる。
     ヒミカのような殺意はない。だが、快活そうな見た目とは裏腹に、やや澱んでいる。
     そんなハガネが、相対するという意志を持って桜花決闘の舞台に導いた以上、問われるべきは一つしかない。

     

    「龍ノ宮さんのことは――」
    「あー、待って待って。言わなくていいよ」

     

     立場を明確にしておこうと口を開いた揺波を、けれどハガネは左手で制止した。

     

    「あたしはね、分からないの。たっつーが死んじゃったのはなんでか、色んな人が色んなことを言ってる。だいたいは、アマネユリナが悪い、って話だったけど……でも、あなたはたっつーのお気に入りだったってことも知ってる。だから、あたしには分からないの」
    「…………」
    「あたしはたっつーを信じたい。たっつーが信じたアマネユリナを信じたい。信じられるなら、そんなややこしい話なんてすっ飛ばして、あなたを信じられる。けど、あたしはあなたのこと、まだ知らないってことに気づいて」

     

     自分の身の丈ほどもある大鎚を、軽々片手で揺波へと向ける。

     

    「だから、あたしはあなたと決闘がしたい。決闘で、あなたのことを知りたいんだ」
    「わたしを……」
    「たっつーも、きっと……きっと、こうすると思うから」

     

     その言葉には、どろどろとした感情は含まれていなかった。眼差しもまた、純粋にただ揺波へと注がれる。
     真っ直ぐな意志に、揺波はもう必要以上に言葉を返すことはなかった。

     

    「我らがヲウカに決闘を……!」

     

     顕現させた斬華一閃の切っ先を向けることで、返答とする揺波。
     あの日について、体験してきたこと、考え続けてきたこと、知ったこと、それらをハガネに語るのは容易い。メガミに決闘で勝利するよりもずっと簡単だろう。だが、それで納得してもらうことは、勝利よりもなお遠い果てにある。
     意志を請われれば、意志をぶつけるだけ。
     その点、揺波は目の前の小さなメガミに親近感すら湧いていた。

     

    「じゃあ……行ってみようか!」

     

     その親近感も、この時この瞬間からは邪魔なものでしかない。
     己を主張するために、メガミに刃を向ける。その大事の渦中に身を置いた揺波は、静かに切っ先の向こうにハガネを見定めた。
     ――メガミへの挑戦が今、始まる。

     

     

     


     巨大な鉄槌による近接戦での圧倒的な打撃力。それは龍ノ宮戦で身に沁みていたことであり、銃によってその打撃圏内に引きずり出される戦術には苦戦を強いられた。だが何よりも厄介だったのは、後退による遠心力と共に鉄槌を巨大化させ、間合いと威力を得たことであった。
     身なりこそ童女であるが、ハガネはその槌を得物とするメガミである。必然、苦汁をなめさせられた中、遠距離への強打を警戒し、揺波は間合いを測ろうとしていた。

     

     だが、ハガネが選んだのは、前のめりとなった迷いなき前進であった。

     

    「な……!」

     

     その疾駆の最中、己も宙に浮きながらくるりと縦に一回転、鉄槌が振るわれる。揺波に直接届く間合いではないが、打撃したものは確かにあった。
     砂。そして、大気。
     凄まじい膂力で振り切られた鉄槌によって巻き上げられた砂塵が、揺波の視界を奪う。

     

    「ほらほら、ぼーっとしないでよ!」
    「くッ……!」

     

     咄嗟に揺波は、目を細めながら砂塵へと突っ込む。自分の手が封じられている状況で、自分より間合いの広く情報で優位に立つ相手に対し、間合いをとる選択はかえって危険である。
     身を打つ弾丸のような砂に守りの結晶が削られる。けれどその結晶は、ただ身を守るために消費したのではない。

     

    「いぃぃやッ!!」
    「っと」

     

     強い踏み込みと共に最上段から振り下ろした刃が、跳び上がっていたハガネの脚を掠めた。砂塵の残りと共に、ハガネの守りもまた一つ削られる。
     揺波が守ったのは、己の目である。文字通り目の前に結晶の盾を配することで、目を開けていられない砂塵の中で、辛うじてハガネの姿を捉えることができていた。

     

     対するハガネは、僅かであるが反射的に回避の姿勢を取ってしまったため、振りかぶっていた鉄槌を満足に振り下ろすことができない。
     そこで彼女が採ったのは、振るのではなく、下ろすだけ。
     跳び上がった状態で鉄槌を巨大化させれば、あっという間に大質量の打撃力が生まれる。

     

    「どーん!」
    「っ……!」

     

     一回りも二回りも大きくなった鉄槌は、ただ地面に落ちるだけで山を揺らす。直撃こそしなかったものの、間近で大地を砕かれた揺波は大きく体勢を崩した。
     しかし逆に、ハガネもまた落ちた鉄槌の柄にぶら下がったままであり、無防備に間合いに入っている。
     ここは、好機に他ならなかった。

     

    「っく――」
    「えっ……」
    「――ぁぁぁッ!」

     

     大地に縫い付けるように踏ん張り、下段にまで振り切っていた刃を、居合の形で無理やり振り上げる。
     果たしてそれは、身を捩ったハガネが回避しきる前に、胸へ深々と吸い込まれていき、結晶の霞を吹き散らした。

     

    「おぉ……!」

     

     咄嗟に鉄槌を元の大きさに戻し、地面を突いて己の身を後ろへと送るハガネ。地に足を着けると同時、勢いを稼ぐように後ろへさらに跳躍する。
     すぐさま追おうとする揺波であったが、ハガネは彼女の追従を拒絶するかのように、鉄槌を振り回しての回転を始めていた。一回転、二回転と重ねていくごとに、大地を砕いたそれよりもなお大きな槌へと変貌していく。

     

    「大・天・空――!」

     

     

     最も警戒していた、最も強烈な一撃。
     しかし揺波がこの技を受けるのは、これで二度目である。一度目までに対策を練り、一度目を辛うじて捌いたその後、もう一度受けることを考えて、胸中で幾度も対策を重ねてきた。

     

     相手は、存在からして一度目より格上。だが、全てが上位というわけではない。銃弾の雨をかいくぐった傷はなく、攻撃の流れはより素直である。
     そして何より、今の揺波に気負いはなく、武神ザンカの威風を完全に使いこなしている。
     故に――この帰結は、明々白々。

     

    「吹き荒れよ、嵐の如く!」

     

     

     先程の砂塵と遜色ない暴風が、瞬く間に戦場へ吹き荒れる。それは、最後の回転の半ばであったハガネの上体を揺らし、地面と水平だった鉄槌の軌道が僅かに空へと反れる。
     すかさず体勢を限りなく低くし、前傾の姿勢のまま、左腕に結晶を集中させた揺波は、まるで弾きあげるように鉄槌を受け流した。

     

    「――ッくっっ!」
    「うわ……!」

     

     打撃の軸を完全に外されてしまったハガネは、暴れる鉄槌に身体が持って行かれる前に、慌てて鉄槌を小さくする。
     が、それでも対策を積んだ揺波の前では、遅い。

     

    「やぁぁぁッ!!」

     

     切り込み、突き出し、斬り払う。
     鈍重な槌では防ぎきれない連撃によって、ハガネの身体から桜色の塵が傷の証として数多飛び散っていく。

     

     大きな有効打に、刀を握る揺波の手がいっそう力を孕む。
     この戦況、メガミ相手に十分戦えていると言って相違なかった。メガミという強大な存在を前に無力さを覚えたことのある揺波には、望外の状況である。
     このままいけば勝てる。
     自分の実力は、メガミとさえ戦える位置に来ている。
     勝つこと以前に、戦うことすら無謀だと考えていた揺波は、その事実にえも言われぬ喜びを感じていた。

     

    「ねえ――」

     

     けれど、

     

    「ダメだよ?」

     

     にっ、と歯を見せ、不敵に笑うハガネを相手に、それは命取りだった。
     油断にすらならないほんの僅かな気の緩み。それは、人にとっては些細であっても、メガミにとっては十分すぎる隙。

     

    「ほいっ」
    「――!」

     

     刀が、軽い返しの利いた篭手によって大きく外側へと反らされる。
     効果的な一撃を叩き込むことに集中していた揺波は、あえてその連撃を身体で受けきっていたハガネの篭手の妨害を、きちんと捌くことができなかった。しびれる手が、動きは小ささに似合わないハガネの力強さを物語っていた。
     意趣返しでもされたように動きを乱された揺波。それを尻目に再び飛び退るハガネであるが、同時、揺波が力の発露の刻までその身に宿し蓄えていた結晶が、吸い寄せられるようにハガネへと向かっていく。
     そして結晶を纏い、行われるは、無論――回転。

     

    「いっくよぉーっ!」

     

     一回転、二回転。三、四、と速度と大きさを得ていく鉄槌。
     再び、あの大技が来る。轟と風を切る大鎚は、揺波の身の丈ほどとなって暴力を形作る。
     けれど、揺波にとってこの技は三度目だ。防ぎ、捌いたからこそ、分かる。未だ五体満足な己を信じ、恐れず前へ出ればいいのだと。痛打を受けたところで、自分よりもなお多くの結晶を失っているハガネに至近し、さらなる一太刀を浴びせればいいのだと。
     だから、一歩前へ。迷わず、揺波は踏み出した。

     

    「だいッ――」
    「……!」

     

     だが、図らずともその足は、止まる。
     ハガネが、踏み切って、跳躍していた。

     

    「せんッ――」

     

     ひたすら後ろへ体重を運びながら、回転を続けていたハガネは、宙空でそれを縦とした。
     揺波が軽く見上げるほどの高さまで余裕を稼いだその身は、振り下ろした鉄槌を後ろに流す傍ら、次には叩きつけられるように半分捻っている。
     その高さでは、いくら人の背丈ほどの鉄槌でも、届ききらないだろう。

     

    「は……?」

     

     その現実味のない光景に、揺波は思わず言葉を漏らしていた。
     ハガネが後ろへ送った鉄槌は、地面を掠めたその直後から、遠心力を急に吹き込まれたように、膨張、伸長していた。

     

     ハガネの後ろには、東西を分ける山々が連なっている。
     そこに、ハガネの超巨大鉄槌が、堂々と肩を並べていた。

     

    「くうぅぅぅぅーーーーー!!!!!!!」

     

     

     背面から振り下ろされる鉄槌は、空をも覆う。
     天蓋が欠けて、落ちてきてしまったような、そんな冗談じみた一撃。旋回による遠心の力に加え、先程大地を砕いたような落下の力も加算されたそれは、人の身はおろか、どんなミコトであっても、まともに喰らえばそれだけで押しつぶされてしまうだろう。

     

     これが決闘でよかった、と呆然とする揺波は思う。
     メガミ相手に優位に事を進めているなどという驕りは、来るこの一撃によって粉砕されるに違いなかった。手応えを感じる以上のことを覚えてはならない……とても小さな、しかし大きすぎる過ちの対価は、そう胸に刻みこむのに十分過ぎた。

     

     その断罪を、甘んじて受ける。
     決闘人生で初めて敗北の覚悟を決めた揺波を、影が覆い尽くした――

     

    「っ……!」

     

     その時である。

     

    「ぇ……」

     

     影は、晴れた。
     揺波の左手から生じた桜色の光が、巨槌の影を払拭していた。

     

     それは、周囲をも照らす光量を凝縮したように収束すると、すぐさま揺波の全身を覆う。
     揺波を守るように。

     

     そして――衝撃。

     

    「うそ……」

     

     それに打ち砕かれたのは、ハガネの自信だった。
     山のようになった鉄槌の打撃は、確かに揺波に届いた。しかし、それだけで終わった。
     打撃したことによる衝撃は起きなかった。
     やや左上から打ち下ろされていた鉄槌は、揺波の頭上僅か拳一つ分のところで、止まっていた。彼女の髪の毛一本、揺るがすこともできずに。

     

    「なにが……?」

     

     呟く揺波に合わせたように、彼女を覆っていた光は霧散した。左手も、いつもと変わらないただのミコトの左手である。
     それを皮切りに、鉄槌は力を全て使い果たしたように、揺波の傍にずり落ち、胴を地面に投げ出した。取り付けられていた鐘が、ひどく鈍い悲鳴のような音を上げ、地面は唸りを上げたように揺れる。

     

    「はっ――!」

     

     唖然としていた両者であったが、未だ決着がついていないことにいち早く思い至ったのは、揺波であった。彼女の勝利への執念は、対処不可能な一撃が除かれた時点で、勢いを取り戻していた。
     駆け込む揺波に対し、ハガネの行動は限られる。大きくしすぎた鉄槌を手中に収めるまでの間があれば、揺波が距離を詰めるには容易かった。

     

    「たあぁぁッ!」

     

     そのまま駆け抜けるように、一閃。
     胴を薙ぎ切った斬華一閃が、散る桜の残滓を纏う。
     だが、ハガネが倒れる気配はない。先程のように受け止める余裕がまだあったのかと驚愕するも、揺波のやることは変わらない。
     もう一撃、叩き込む――!

     

    「――参った」
    「……!」

     

     振り向きざまの大上段が、ハガネの後頭部すれすれで止まった。
     ハガネは、その姿勢を保つ揺波へと振り向く。そして、おどけたように小さく舌を出して、

     

    「負けちゃった」

     

     そう、揺波の勝利を告げたのであった。

     

     

     


     砕いてしまった地面に向かってハガネが手をかざすと、割れ目から土が湧き上がってきた。それから自ら耕しているように、地面が脈動する。
     その様子を眺めながら、不可解な決着に未だ気を張っている揺波に対し、

     

    「あたし自身はまだ大丈夫だよ? でもさ、ミコトだったらもう結晶がなくなってるよね? 決闘を申し込んで、決闘の作法に則って、決闘をしたんだから、その勝敗はキミたちミコトの基準じゃなきゃ」
    「じ、じゃあ……」
    「だから、もうそんな怖い顔しないでよ。十分、分かったからさ」

     

     その言葉に、揺波はようやく肩の力を抜いた。役目を終えた斬華一閃が桜の花びらとなって消えていく傍ら、じわりと湧いてくる勝利の感覚を味わっていく。けれどそれはあくまでこの決闘の本題ではないことを、ハガネの一言によって思い出していた。
     地面を均し終わったハガネが、困ったように頭を掻きながら、揺波に向き合う。

     

    「うーん、ほらさ。話を聞いて分かってあげられるか分かんないから、こうして戦ったわけだし……分かったんだけど、何がどう分かったのかは、うまく言えないんだよね」
    「あー、それならなんとなく分かる気がします」
    「でしょでしょ? ……うん、そうだよね。たっつーが気に入ったんだったら、あたしが嫌いになれるわけないよね」

     

     鉄槌を手のひらに乗るまで小さくし、帯の中にしまいこんだハガネ。
     次に彼女は――揺波へ頭を下げた。

     

    「疑ってごめん!」
    「えっ、えっ……そんな!」

     

     すぐに頭は上げられたが、メガミに頭を下げられる経験などそうあるものではない。うろたえてどう返したものか思いつかない揺波に、言葉を継ぐ。

     

    「たっつーを、皆が言ってるみたいに卑怯な方法で殺しちゃうなんて、キミの太刀筋からは全然想像がつかない。ごめんね、信じられないからって、こんな試すような真似して」
    「いえ……こちらこそ、その、ごめんなさい」
    「あー辛気臭いのはナシ! いいのいいの、別に復讐しにきたとかそういうやつじゃないし。たっつーの気に入ってたユリりんが、そういう人じゃなかったって分かったんだもん、それでいいよ」
    「ユリりん……? ――わっ、ぽわぽわちゃん!」

     

     妙な呼ばれ方をしたが、突如、今まで鳴りを潜めていた旅の友が現れた。それは実に嬉しそうに揺波の周りを飛び回っている。その渾名の響きが気に入ったとでも言うように。
     ただ、この存在をハガネにはなんと説明したものか。そう少し困った揺波だったが、ハガネはふざけ半分で頬を膨らませ、揺波の傍らの桜色の光へにじり寄っていく。

     

    「あっ、そうだ! ユリりんそれずるいよぉ」
    「ずるい、ですか……?」
    「そうそう、さっきの大旋く――」

     

     言葉は、そこで打ち切られた。
     声音を断ち切る刃があるのなら、その業物によって成されたのかと思うほどに。

     

     がくり、と足を踏み出していたハガネは、突如全身の力が消失してしまったかのように、体勢を崩した。
     糸が切れたように。
     童女の身体が、生々しい音を立てて、顔から地面に倒れた。

     

    「はがね、さん……?」

     

     うめき声の一つ、聞こえない。
     あまりに突然の出来事に理解が追いつかない揺波であったが、今は決闘の直後である。死闘を繰り広げた後には何があるか分からないし、本人は否定していた上、メガミである以上薄い可能性だが、万が一ということもある。

     

    「ハガネさん! ハガネさん!」

     

     駆け寄り、背中を揺する。反応はない。
     それがもどかしくて、うつ伏せになっていたハガネを仰向けに横たえる。
     半ば祈りながらハガネの顔を見やると、意思も感じられない有様であったが、それから肩を乱暴気味に揺さぶっていると、目に光が戻ってきた。

     

    「大丈夫ですか!?」
    「ぁ……ぅ……」

     

     応じようとする意思もある。だが、喉を震わせるだけの力もなくしてしまったように、明確な声を発することができていなかった。
     目を泳がせながら発声を繰り返していくうち、ようやくまともな音が生まれる。

     

    「……ない」
    「え? なんですか!?」
    「……ないの」

     

     あまりにか細いその声に、揺波は耳を彼女の口元まで近づける。
     その声は、聞き取ることが難しくとも、震えているということだけは、はっきりと分かった。

     

    「立て、ない」
    「どこか、お怪我を……!?」

     

     揺波の問に、ほんの僅かに動かせるようになった頭を、左右に揺らすハガネ。
     そして彼女は、自分でも何を言っているのか理解しきれていないといった声音で、こう答えた。

     

    「あたし、の、ちから…………なくなっちゃった……」

     

     山の冷えた風が、びょう、と揺波の首筋を撫でていった。

     

     

     


     天音揺波は、決闘という意味でも、遺恨という意味でも、その因縁を消化した。
     こうして彼女はまた一つ、しらがみから解放されたと言えるだろう。
     しかし、消化されたとしても、その因縁の痕は更なる因縁の種になる。
     天音揺波の因縁の行き着く先は、果たしてどこにあるのだろうか。

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第四巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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    『桜降る代の神語り』第二章

    2017.10.14 Saturday

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      第18話:旅立ち

      第19話:奇縁

      第20話:細音と久遠

      閑話:ある三柱の一幕

      第21話:ゆりな珍道中

      第22話:再び交わる道

      第23話:死の自覚

      第24話:渦中へ

      第25話:武神ザンカ

      閑話:ある山間の邂逅

      第26話:神渉

      第27話:奇妙な四人(揺波側)

      第28話:奇妙な四人(細音側)

      第29話:陰陽本殿跡

      第30話:大乱戦!

      第31話:異文化座談会

      第32話:忍の里へ

      第33話:里の数日間

      第34話:想い廻りて

      閑話:ある姉弟の交差

      第35話:天音揺波と氷雨細音

       

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      『桜降る代の神語り』第36話:帰路へ

      2017.10.13 Friday

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         天音揺波と氷雨細音の最後の決闘が終わり、そして二つの旅も終わりを迎えた。
         けれど、幸か不幸か天音揺波の物語はまだ終わらない。
         己の道を見出した彼女は、決闘を終え、これからどうしていくのだろうか。
         一つの区切りを迎えた天音揺波のその後から、そして新たな出会いを語ることにしよう。


        「ここ、置きますよー……?」

         

         そう揺波は恐る恐る言い、袴と薙刀を畳の上に置いた。手狭な玄関に踏み込んでいた大股の一歩を戻せば、もう揺波の身体は主のいない家から出てしまう。そして夕焼けも黒く染まってきた景色を右に左に確認して、音を立てぬよう戸を閉めた。

         

        「ふぅ……細音さん、どこ行っちゃったんだろ」

         

         彼女が案じるのは、つい先刻まで決闘をしていた好敵手の行方であった。
         結局決着の後、身体だけがそっくり消えてしまっていた氷雨細音を見つけることはできなかった。ただ、特に薙刀をそのまま置き去りにしておくのを申し訳なく思った揺波は、それらを携えて御冬の里は細音の家へとこうしてやってきていた。
         けれど、こじんまりとした一軒家の前で呼んだところで返事はなく、途方に暮れた揺波は、行儀が悪いと思いながらも勝手に入って勝手に薙刀たちを置いたのだった。

         

         ただその一方で、揺波の表情に深刻さは見られない。確かにどう考えてもおかしい去り方ではあったが、不思議でありこそすれ、悪い予感はしていなかったのである。それもまた不思議に思う揺波であるものの、これ以上の追求は無駄だという予感もまた得ていた。
         細音さんなら大丈夫。そんな根拠のない確信は、生涯で初めて引き分けた相手だからこそ生まれ出るもの。それよりもむしろ、おたおたしていたら却って彼女に怒られてしまうかもしれない――そんな想像をして、揺波は小さく笑った。

         

        「さて、と」

         

         ひとまず、今やらねばならないことは終わった。今日はこのまま御冬の里で、激戦で疲れた身体を癒やすつもりだった。そこで一休みしながら、区切りを迎えた自分の今後について考えようという腹づもりである。
         だが――考えるべきは、自分のことだけではない。

         

        「次はあなたかな」

         

         揺波の左腕に寄り添うようにしてふわふわと浮ぶ、桜色に淡く光る飛翔体。
         この、生き物かどうかすら分からない謎の存在も、目下の懸案事項であった。

         

        「わたしと一緒に行きたいの?」

         

         四枚の翅を持った謎の物体は、揺波の問に対して、彼女の目線の高さで小刻みに上下に飛んだ。まるで全身で首を縦に振る所作を模しているかのようである。
         揺波はその反応が、なんだか懐いた子犬がはしゃいでいるようで、全く悪い気はしかなかった。けれど頭を撫でてやるつもりで触れると、指は素通りする。ほんのりとした温かさがなければ、これのことを幽霊の類だと思ってしまったかもしれない。

         

        「よく分かんないけど、まあ、いい子……なのかな? えーと――」

         

         漠然と謎の存在を連れて行こうと決めた彼女は、そこで言葉に詰まった。
         呼びかけようとして、なんと呼べばいいのか分からなかったのである。

         

        「あなたなんて言うの? ――って言っても答えられないか」

         

         うーん、と唸りながら首を傾げる揺波。桜色の光は、それに追従するように彼女の眼前で漂っている。先程の反応からして、言葉は解しているようだが、名前の手がかりになるような反応は示してくれない。
         自分で考えるしかない。そもそも、口を利かない相手なのだから結局は自分で好きなように呼ぶしかないのである。ぶつぶつと呟きながら、揺波はじーっと謎の光を見つめていた。

         

        「光ってる……ふわふわしてる……ふわふわ? うーん――どっちかっていうと、ほわーっと? ほわほわ? 違うなあ、もっとこう可愛い感じですよね。あと、ぼんやり光ってる感じが足りない? ぽわー、ぽわーん……ぽわぽわーんって。ぽわぽわ……そう、ぽわぽわ、してる……?」

         

         そして、はっ、となった揺波は、ぐっと拳を握って謎の存在に呼びかけた。

         

        「ぽわぽわちゃん! あなたのお名前はぽわぽわちゃんです!」

         

         果たして桜色の物体は、喜びを露わにしたように、揺波の周りを飛び回った。可愛さを飛び越えて、いくらも間の抜けた名前であっても、少なくともこの謎の物体が持つ意志は、その名を受け入れたようだった。

         

        「さあ、行きましょうぽわぽわちゃん! おいしいご飯が待ってます!」

         

         星の見えてきた空の下、雪道を行く揺波の後を、桜色の光が追っていった。

         

         

         

         

         


         御冬の里を含めた一帯は、北限に至る玄関口とも称される。それより北は、山を一つ越える度に寒さは厳しさを増し、やがて人の住めない氷の世界へと至るのだと言われている。時には背丈以上に雪の積もる御冬の里でも、まだ優しい地域なのだ。

         

        「ぽーわっぽわー、ぽーわっぽわー、ぽーわぽーわちゃーんですよー♪」

         

         そんな里を早朝に発った揺波は、銀世界に別れを告げ、来た道を引き返すように南へ下っていた。昼餉を経た今は、食休みも兼ねてゆっくりと歩いているが、もう雪が見る影もない程度には走り通しであった。

         

        「むしろぽかぽかしてきちゃいましたね。寒かったから走ってきましたけど、今日は結構暖かかったみたいですねぇ。ぽわぽわちゃんは、寒いところじゃなくて大丈夫ですか?」

         

         揺波の問に答えるように、桜色の光は彼女の周囲を飛び回った。

         御冬の里で一晩を過ごした揺波は、当座の目的地を忍の里へと定めていた。家は焼失してしまっており、まずは知己を頼る他なかったが、それ以外にも尋ねる理由はあった。
         彼女が胸に抱いた目標は、みんなに決闘を好きになってもらうこと。そのために思いついたのは、ただ決闘をする、という漠然としたものであり、具体的な方向性について助言を欲していた。オボロは揺波が頼れる中でも一番の知識人である。無論決闘についても造詣が深い。

         

         加えて、実際に決闘を行うに際し、細音は決闘代行の立場であったことを揺波は思い出していた。その雇い主は古鷹であり、古鷹領は忍の里の森を北に抜けた場所にある。オボロに相談した次は、その線を辿ってみるのも悪くないのではないか、とぼんやりながら考えていた。

         

        「あとはぽわぽわちゃんのこと、何か分かればいいんですけど」

         

         右の肩口に留まったその存在は、悪性ではないと思われるも、謎の塊である。こんな存在について知っているなんて、オボロか、ひょっとしたらジュリアたちくらいなものだ。正体を明らかにできるのであれば、するに越したことはないのだ。

         

        「でも、ぽわぽわちゃんがなんであっても、可愛いから許しちゃえる気がします。――あっ、もう町ですよ! あそこ、草団子が美味しかったんですよぉ」

         

         とはいえ、今の揺波にとっては旅の友が増えたようなものである。行きで寄った際のことを話しながら、軽快な足取りで進んでいく。

         

         と、

         

        「ねえ」

         

         一つ、声を投げかけられた。
         足を止めた揺波は、声の源へ――後ろへと、振り返る。

         

         そこにあったのは、童女の姿であった。
         揺波より頭一つ分背の低い彼女は、腿のあたりまでで断ち切られた山吹色の着物に袖を通していたが、左は完全にはだけており、妙に肌に密着した黒の下着が顕になっている。けれどそれ以上に目を引くのは、左の肘まで覆われた、見た目に硬質な緑青色の篭手である。

         

        「あなたが、アマネユリナ……?」

         

         

         道のど真ん中で佇んでいた童女は、その問いかけに不安を滲ませていた。けれど、揺波が足を止めてまで彼女に向き合ったのは、今にも泣き出しそうに助けを求める幼子へ向けるような憐憫のためではない。
         その問いかけには、小さな圧が込められていた。
         それを無視してはいけない、無視は許されない――いっそそんな存在感を持って、もう通り過ぎたはずの場所から投げかけられたものに、揺波は通せんぼを食らっていた。

         

         だから揺波は、自然と、けれど強いられたように、それに答えた。一応世間からよく思われていなかったり、直接命を狙われたことがあったりと、真面目に答えるにはやや悪い身の上ではあるが、それでも揺波は是と答えた。

         

        「はい……わたしが、天音揺波、です」

         

         それを受け取った童女は、己の中でそれを反芻するように深く目を閉じる。
         固唾を呑んで見守る揺波だったが、ややあって童女は目を開き、篭手に守られた左の手をゆっくり握り込んでいった。
         そして、

         

        「……ッ!」

         

         真っ直ぐに、揺波を見た。
         拳を握って、揺波を見た。
         意を決して、揺波を見た。
         ただそれだけ。
         ただ、それだけのことで、揺波は、思わず腰の刀に手を伸ばしていた。いや、伸ばそうとして、脂汗の滲んだその手は、虚空で固まってしまっていた。

         

         揺波は以前に一度、同じような経験をしたことがあった。あの時は、膨大で濃密な殺意が揺波を動けなくするどころか、権能とは逆に恐怖で凍りつかせていたが、今は違う。刺されるような敵意ではないし、あの拳の中に迷いを閉じ込めているのも想像に難くない。
         これは、意志だった。害意なく、ただ純粋に、相対するという圧倒的な意志の力の発露。
         それが身の丈に合わない凄まじい存在感と、圧を生み出している。無論、ただの童女に可能なことではない。

         

        「なん、で……」

         

         メガミ。
         天音揺波は今、超越した存在と相対していた。

         

         


         天音揺波の帰路は、こんな新たな出会いによって阻まれることになった。
         『天音のため』から始まり、そして悲しき終わりを迎えたその因縁。
         劫火に焼かれ、それも鎮められたものの、残り火は未だ燻っていたというわけさ。
         さあ、彼女は再び因縁に直面する。彼女たちがどこに至るのか、ご期待あれ。

         

        語り:カナヱ
        『桜降代之戦絵巻 第四巻』より
        作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

         

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        『桜降る代の神語り』第4'話:果ての果てのその先へ

        2017.09.22 Friday

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           鈍く、鮮烈な音が静寂を切り裂き、白い世界を色めかせた。
           周囲は無人。二人だけが舞い、二つの刃が戦いの音を響かせる。
           
          「今度は何をしてくるつもりですか……、天音揺波ッ!」
           
           足下からすくうようにして切り上げた揺波の逆袈裟を、打ち下ろされた細音の薙刀の僅かな鍔が受け止めている。お互い両の手で、相手の獲物を弾かんと力を込めているものの、宙に縫いとめられたかのように動きはない。打ち下ろした分体重を使える細音に分がありそうなものだったが、揺波の力は不利な体勢にあっても揺るがない。
           
          「わたしは、ただ刃を以って、あなたと打ち合っているんです!」
          「誰がッ……それ、をッ……!」
           
           間合いが詰められていることに変わりはない。そう判断する細音が、刀を切り払って後退する。大きく踏み込んでの一撃だっただけに、揺波は即座に追いすがることは叶わず、再び薙刀は縦に構えられる。
           両者息は荒く、身体中から沸き立つ湯気にまぎれて白く消えていく。
           
           揺波は、決して満足に肉薄させてくれない細音に。
           細音は、捉えきれぬ足捌きで距離を詰める揺波に。
           互いが己の技を十全に繰り出そうとして、叶わずに深手を負わせることができていない。けれど、致命だとは言い切れない刃であっても、確実に互いの体力は削れていた。
           
           砕け散った桜花結晶の煌めきが、決闘の舞台を染め上げている。
           命の代替として散る微小の桜吹雪は、もはや身を守る盾すら尽きた二人に残された命――結晶が、残り僅かであることを告げていた。
           
          「わたしも、色々なことを学びました!」
          それでも剣戟は止まず、
          「だからまた、ここに、来たんです――ッ……!」
          細腕より生じたとは思えぬ重さが、言葉と共に薙刀を打ち払う。
           
          「……それでも、私はそれでも……」
          しかし、払われた力は衰えることなく円弧を描き、
          「あなたの在り方を、受け入れることは、できないッ!」
          流麗なる一撃となって、再び揺波を捉える。
           
          身を逸らし、目鼻の先でその刃を見送った揺波は、
          「それならわたしは、今日ここで!」
          瞳に意思を強く燃やし、
          「わたしの、全部をぶつけて――」
          総てを込めた、言葉を作った。
          「細音さんに、お礼をしたい!」
           
           戦いが長引いてもなお、揺波は細音の間合いを漫然としか把握できていなかった。中段に構えられた薙刀であれば容易いものの、八相の構えから繰り出される細音の研ぎ澄まされた一太刀は、気づけばその一歩を断ち切られている不可視の圏域にて主を守っていた。
           まるでその見えない領域で削ぎ落とされているかのように、細音はもう言葉を作らない。その何も映らない虚ろな瞳は、揺波の放つであろう一手を、彼女の武を見据えている。
           
          「行きますッ!」
           
           だがそれでも、一瞬、細音は相手の捕捉に失敗した。
           きっかり瞬き一つ終えた頃には、地面の際を潜るようにして走り込んでくる闘神の姿が、細音の右手側、間合いの内にあった。あまりに短く、そしてさり気ない一手。観客であればこれが手であると理解できなかったろう。しかし今この時、桜の他にこれを見守る者はいない。
           しかと大地を噛む揺波の一歩は、その態勢からは想像もできないほどに大きく、そして静かであった。宣誓があってもなお、細音が認識を遅らせたほどに。
           
          「させないッ……!」
           
           あっという間に間合いに飛び込んだ揺波に対し、後手になった細音は右足を下げ、相手の頭が来るであろう位置に容赦なく刃を払い下ろした。
           揺波はそれを、
           
          「く、ぅあァッ!」
          「な……!」
           
           回避でも、防御でもない。周囲に散った結晶を集めて盾としたでもない。
           細音の刃は、間違いなく揺波の喉笛を掻き切る太刀筋だった。そして確かにその細い首筋を横から捉え、捌いた。傷口となるはずの肌から桜花結晶がまろび出で、砕け散る。
           
           揺波は、耐えた。人間であれば反射的に守りを選択してしまう一撃を前に、自分の命を差し出し、それを対価として距離を削っていく。切られた衝撃にも耐え、地を揺るがさんとする右足の踏み込みは、さらに退路すらも犠牲にしていた。
           この一撃で仕留められなければ、自分には負けしかない。そんな覚悟を帯びた一突きが、けれども今の揺波にとっての最高の一手が、溜めた力に跳ね上げられるようにして細音に迫る。嗚呼、これこそが彼女の底力なり!
           
          「いああああああああッ!」
           
           前足は下げてしまった。薙刀は地面を向いている。
           細音に、揺波の最後の一撃を防ぐ手段はなかった。彼女の常として、間合いに入った者をよりよう捉えられるよう、盾とする結晶を積極的に散らせている。そして、薙刀は至近距離での点攻撃への防御が極めて難しい武器である。
           
           故に細音は、その突きを捌く手段を、一つも持っていなかった。
           
          「それは、自分を認めさせるための武ですか……?」
          音すら鈍く、遅れて感じる。時が歩みを止めたような、そんな中、
          「あの日の、炎を払うための武ですか……?」
          彼女は独りごつ。
          「違う……そう、きっと違うのでしょう……! だから、こんなにも――」
          そしてそれは、
          「天音揺波……私は、お前に……勝ちたいッ!」
          叫びに変わり――
           
          「はああああああああああッ!」
           無理やり応えるように、その下ろされた薙刀を、そのまま全力で、振り上げた。
          つい先程、右足の体重を乗せて揺波の首を薙いだその刃を、太刀筋をなぞり返すように、そのまま振り上げた。今まで磨いてきた全ての技を忘れ、ただただ相手に刃を届かせる一心で。だからこそ垣間見、辿り着く。その白刃の行き着く果てへ――

           当然、刀を突き出す揺波は、身をさらに前に突き出している。元々首のあった位置には、僅かばかりの時間を経た今、玉の汗すら弾ける胸元があった。
           
           揺波の切っ先が、細音の胸を。
           細音の切っ先が、揺波の胸を。
           穿ち、結晶が砕け、そして――――

           

           


           彼女が目を覚ましたのは、陽の大分傾いた頃だった。
           踏み荒らされた雪の上に寝転がっていたミコトは、刺し違えたはずのミコトの姿を探す。
           けれど、そこに人の形はありはしなかった。
           抜け殻のように打ち捨てられた袴と、そして使い込まれた薙刀が一本。
           ぽつり、と同じく雪の上に、あった。
           ミコトの姿は、もう、どこにもありはしなかった。

           

           

           


           こうして、天音揺波と氷雨細音の最後の決着は真なる意味で幕を下ろした。
           武は勝利のためだけのものじゃない。でも、自他を越えるためのものでもある。
           ようやく己の技の果てへたどり着いた氷雨細音は、メガミの座へと向かうことになる。
           そして天音揺波は己の道を見つけ出し、決闘を愛するミコトとして、この地で生きていくのだろう。


           これにて、この物語は閉幕。おつきあいに、深く感謝。

           

           

           ――こう締めくくれたら、これもまた、幸せだっただろう。
           そう。何事もなければ、あるいは物語はここで終わってもおかしくなかったんだ。
           一人のメガミが生まれ、一人のミコトが歩き始めた。それでいいじゃないか。

           

           しかし、運命はそれを許さなかった。時代は求めてしまったのさ、英雄を。


           さあ、進めようじゃないか。物語をいまだ見ぬ、次の段階へと。

           

           

           

           

           

           

           

           


           幾重にも。幾重にも幾重にも、開け放たれたままの襖向こうには部屋があり、さらに襖が口を開け、また部屋が続いている。月明かりの中、もうその果てをまともに見ることは叶わない。
           そんな部屋の一つで暗がりに身を溶かしているのは、漆塗りの柱に背を預ける架崎と、弓の手入れをする浮雲。

           

          「奴さんらの準備も上々だとよ。成功したら、まーたたまげることになりそう」
          「実験結果を見ても信じられん。あのようなことが可能とは、恐れ入る」
          「ま、あの娘には酷だがね」
          「構うまい。奴のような泥濘に身を浸す輩を、いつまでも傍に置くなどはありえんよ。むしろ計画の要であったことを誇りに思うべきだ。――ああ、ああ……! なんたる光栄か」

           

           眇める架崎の視線の先では、今にも泣き出しそうな濃い雲に月が隠されていた。

           

          「隠形の娘よ、俺は羨ましい。驟雨様の作る素晴らしき未来の礎となれた貴様が」

           

           

           

           


          「遺構の追調査は? 瑞泉の手の者に妨害されたのだろう?」
          「しても構いませんが、得られるものは薄いかと」

           

           そう隣に答えた佐伯は、それから円卓の部屋の奥側に座る者へと意見を求めるように目を配った。
           シンラ。彼、そして彼の属する知識集団・碩星楼が崇敬する弁論のメガミである。
           顕現した彼女と直に議論できる者は、碩星楼の定期議会である星詠会の参加者よりもさらに限られる。佐伯を含めた五人は、彼らしか知らない隠し部屋でシンラと言葉をかわしていた。

           

          「必要ないでしょう。どうしても、と言うのでしたら止めませんけど」
          「いえ、そのようなことは……」
          「そろそろ結するには十分じゃないかしら。ここまで探して見つからないのだから、もうそういうことだと考えて動いたほうが有意義でしょう」
          「でしたら――」
          「えぇ、ならば次の段階へと進めましょう」

           

           そしてシンラは、全く変化のないが故に、圧を孕んだ微笑のまま、こう続けた。

           

          「ヲウカ抹殺計画を」

           

           

           

           


           距離感が失われるほどの巨木の根、辺りに漂う桜色の靄。そんな中を一人でいれば、孤独感もいや増すというもの。

           

          「ライねぇ、ユキねぇ、どこ……? いないの……?」

           

           不安に背中を叩かれたように名を呼んだハガネは、応じる者のいない世界がますます寂しくて仕方がなかった。
          いつも自分の周りにいるのに。呼ばなくったって出てくるのに。

           

          「ねえ……どこいっちゃったの……?」

           

           そうして視線を彷徨わせたハガネが目にしたのは、自分が足をつけている根が天に向かうほどに光を放つその光景。
          危ないから行ってはいけない――そう口酸っぱく言ってくるメガミたちは、ハガネがそこに近づこうとするたび、いつもすぐに飛び出して妨害してきた。

           

          「ぁ……」

           

           小さな大地の象徴に、根の果てから静かな光が注いでいた。

           

           

           

           


           天守の頂上。その外周に巡る欄干に静かに腰掛けているのは一人の少女。灰色の髪が月光を淡く照り返す以外、彼女の色彩は黒く、頭だけ浮いているかのように夜陰へ溶け込んでいる。

           

          「全く、おまえたちのお陰だ。幸運のメガミとはこのことを言うのだろうな。生きていた天音も、捉え損ねた技術者も、商人も、忍の連中も……! 万事が良い方向に転がっているとは言えんが、今更それがどうしたというのだ」

           

           少女の後ろ姿に盃を掲げる瑞泉驟雨は、くつくつと小さな嗤いを噛みしめる。

           

          「なあ、私が成し遂げたその後で、おまえは一体何を望む? 再びこの地に降り立ったこの地で、おまえは一体何を成す?」

           

           少女は、答えない。ただじっと、遥か下に落ちた城の影を見つめている。
          その沈黙を当然と受け止める瑞泉は、唇を酒で湿らせた。

           

          「これも縁だ。私から望んで始まったにしろ、おまえがまだ多くを取り戻せないままにしろ、私がおまえに望む以上、おまえもまた私に望む権利がある。覇道を目指す私の望みに釣り合うような望みでもな。それが理性的な取引というものだろう?」

           

           少女は、答えない。声まで宵闇に溶けてしまったように。

           

          「だから……なあ、その清算が叶うよう、私に力を貸してくれ……ウツロ」

           

           少女はやはり、答えなかった。答える必要などないとでも言うように。

           

           

           

           


          「細音、さん……?」

           

           抜け殻のように雪の上に放り出された袴の前で、揺波はぽつりと呟いた。それから周囲を眺めて、もう一度名を呼んだが、その声量はおよそ見失った誰かに呼びかけるそれとは程遠い。自分が白昼夢を見ていたのではない……そう自覚させているかのようだった。
           ただ、それも雪に吸われてしまうと、辺りは全てが止まっているかのような不思議な静寂で包まれていることを知った。

           

          「うーん……」

           

           つい今しがた、刃を交えていた相手が消えた。それを不可解に思う一方で、それに納得している自分がいることに、遅ればせながら揺波は気づいた。奇妙さに違和感を覚えてもおらず、むしろ清々しい気分であった。
           そんな余韻に長らく浸っていると、そのうちみるみるうちに日が沈んでいった。

           

          「あー……これ、どうしよっかな」

           

           宿すら決めていないというのに、夕闇に飲まれていく細音の袴と薙刀を前にして立ち尽くす。
           と、そうして頭を悩ませていた揺波の視界の端を、仄かな光がよぎった。

           

          「ん……」

           

           その光は揺波の左腕を中心として、脈絡なく動き回っていた。
           落ちてきた桜花結晶とするには随分と宙を飛び回っているし、蛍の類でもない。けれどその桜色をした玉の光は、同じく桜色の翅を忙しなく動かしていた。
           揺波が身じろぎしても、歩いても、光は絶えずついてくる。右に踏み出すと見せかけて左に大きく跳ぶと、待ってくれと言わんばかりに慌てて揺波を追う。

           全力疾走して距離をとっても、えっちらおっちら追いついてきたその光を見て、揺波は小首を傾げてこう問うた。

           

          「あなた、だれ?」

           


          語り:カナヱ
          『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
          作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

           

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          『桜降る代の神語り』第35話:天音揺波と氷雨細音

          2017.09.22 Friday

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             二週という時間は、秒読みするには長すぎ、雌雄を決するまでには短すぎる。
             そんな時を経て、天音揺波と氷雨細音は再び対峙することとなった。
             もはやカナヱが多くを語る必要もあるまいよ。
             さあ、ふたつの旅の終わりを共に見届けよう。

             

             


             その丘に至るまでの道は、記憶の中のそれとほとんど変わらなかった。
             わざわざ踏み固められていない端を行くことなく、たった一人、揺波は澄んだ青空の下、雪を噛みしめるように進む。

             

            「ふぅ……」

             

             やがて丘のてっぺんまでたどり着いた揺波は、やはり、その景色を綺麗だ、と思った。
             あのときと変わらない、銀世界に毅然と立つ神座桜。結晶の輝きが水滴に乱れ散り、いっそうの力強さを感じさせるその光景。
            そして、その根本で待つ彼女の姿もまた、変わらなかった。

             

             

            「お待たせしました、細音さん」
            「ええ、お待ちしておりました」
            「早速始めましょう」

             

             丁寧に顔を向けて応じた細音は、しかし動き出すことはなかった。揺波はもう決闘の開始位置に向かっていたが、それに細音はくすりと笑った。

             

            「細音さん……?」
            「ああ、いえ。あの時も、到着するなり決闘を始めようとしたことを思い出しまして」
            「そうでしたっけ。でも細音さんも、忍の里で会ったらいきなり決闘しよう、って言い出したんですし、一緒じゃないですか?」

             

             揺波の指摘に「すみませんでした」と苦笑交じりに謝った細音は、肩の力を抜いたまま、桜を挟んだ揺波の反対側へと歩き出した。

             

            「私も少し反省しています。本当は、色々話しておきたかったんです。蟹河で別れた後、私が何を見聞きしてきたか。そして、あなたが何を見聞きしてきたのかも知りたかった。――私を阻んだ者の魔の手が、あなたにも伸びるのではないかと、ずっと気がかりだったのです」
            「いいですよ。細音さんが、それで余念を晴らせるなら、今話しちゃってください」
            「しかし――」
            「大丈夫ですから」

             

             促す揺波の意志は揺るぎない。桜の前で相対しながら、直前に不穏な話をちらつかせてしまった細音としては、もう割り切って話してしまう他なかった。
             龍ノ宮領にまで戻ったこと。復興は早くも始まっていたこと。そこで久遠が旅の道連れになったこと。ミコトが拐かされており、不覚にも自分が捕まったこと。クルルの怪しい装置を使った相手と決闘したこと。一連の流れの裏には瑞泉がいるかもしれないということ。

             

            「ですから、その……もしかしたら……いや、これは可能性でしかありませんが、あの炎上の裏にもまた瑞泉がいたのかもしれないと――」
            「ああ、細音さんもですか」
            「え……」

             

             あっけらかんと言い放った揺波は、困ったように頬を掻き、

             

            「知ってますよ。そんな大変なことになってたことまでは知りませんでしたけど、もしかしたら瑞泉がやったんじゃないか、って聞きました」
            「一体それをどこで……まさか忍に?」
            「うん、まあそんなところです」

             

             それから揺波は細音と同じように、今までの道程をかいつまんで話した。家はやっぱり焼かれていたこと。ザンカと会ったこと。千鳥やジュリアたちに会ったこと。瑞泉からの刺客に襲われたこと。そして、忍の里で、色々な答えを得たこと。
             語る揺波は、ヒミカから逃げ隠れていたときからすれば、人が変わったようだった。さらに細音は、それよりももっと前――一度目に相対したときとも、龍ノ宮城で会ったときとも違う揺波の態度に、安心しながらも梯子を外されたようであった。

             

            「それを知って、あなたは何故……」

             

             困惑する細音の問いに、揺波は既に答えを持っていた。オボロとの対話で気付かされた結論から、この二週間でさらに具体的な形に育ち始めていたその意志を。

             

            「わたしはね、細音さん。決闘が好きなんです。桜花決闘が、大好きなんです。わたしは闘うのも好きですけど、ただそれだけじゃなくて、決闘の在り方が好きなんです」
            「決闘の、在り方……」
            「家がなくなって決闘ができないと思ってましたけど、そうじゃない。家か人かなんて、関係ないんです。決闘は、二つの意志があって、それがぶつかり合って、一つに決する――わたしは今まで天音のミコトとして、家のために決闘をしてきました。お父様から言われたことだけど、でも、そこにもわたしの意志はあった。決闘で、家のために勝つという自分の意志を通し続けてきた。ヲウカの前で、貫いたその意志を証明する……それが決闘なんです」

             

             だから、と繋ぐ揺波の瞳には、揺らぎない意志の光が宿っていた。

             

            「わたしは決闘が好きです。決闘をするまでのどんなことも、一つになって刃の重さになる。そんな決闘の純粋さが、わたしは好きです」
            「それは……現状の、儀礼じみた決闘の在り方からしたら――」
            「だと思います。ザンカも、決闘が少なくなってきてるみたいなことを言ってました。……それでもわたしは、一人のミコトとして、ずっと桜花決闘という文化に向き合っていたい。できれば、もっともっとみんなに決闘を好きになって欲しい」

             

             両手を広げながら理想を語る揺波の姿は、まるでこの二人きりの決闘場に多く観客がおり、彼らに向かって主張をしているかのようだった。
             やがて現実に焦点を合わせた揺波は、手を下ろしては苦笑いしながら言葉を継いだ。

             

            「確かに瑞泉は卑怯かもしれないけど、それだけです」
            「えっ……」
            「オボロさんにも言われましたけど、復讐なんて考えてもみませんでした。そんなことをする時間があったら、決闘が、何のしがらみもなく、意志と意志をぶつけ合う純粋な場だってことを決闘で示して、みんなに決闘を好きになってもらったほうがいいです」

             

             本題に戻ってきた揺波を、もう心配してはいなかった。その声色は荒削りな希望に満ちており、瑞泉への暗い復讐心など欠片もなかったのだから。

             

            「瑞泉は、卑怯、ですか……ふふっ、あなたが言うと重みがありますね」
            「わたしは、意志を通してただけですよ。『わたしが勝つ』って。それに、細音さんの在り方とは今でも違います。だって――」

             

             そして揺波は、その微笑みに不敵さを混ぜて、告げる。

             

            「勝利してこその武。わたしにとっての武の道は、勝つためにあるんですから」

             

             細音の口から息が漏れた。不敵な笑みは、もう望んだ回答は得られた、というものだった。揺波にとっての真っ直ぐな言葉は、有り様の違う細音にとっては辛うじて理解し得るものであったとしても、どこまでも納得し切れるものではない。
             けれど今、ここは桜花決闘の場。揺波曰く、意志を通す場。

             

            「氷雨細音、我らがヲウカに決闘を」

             

             薙刀の感触を確かめるように回し、雪を貫き石突を地面に突き立てる。

             

            「天音揺波、我らがヲウカに決闘を」

             

             両者の宣言を以って、神座桜からいくつもの結晶がこぼれ落ちた。そのうち三つずつが、守るように彼女たちの周囲を緩く飛び回る。
             さらに揺波は、早速ザンカの力を右手に宿し、そして目を閉じて胸の前でゆったりと虚空を握った。まるで、普段使っている刀より一回り肉厚のそれを抱いているような彼女の手の中には、次第に桜色の淡い光が結実していった。
             細音の見守る中、やがて揺波はその刀身を露わにし、陽光に煌めかせた。

             

            「……見事です」

             

             ――銘刀・斬華一閃。武神ザンカの象徴武器。

             それは揺波の意志を示すために、顕現せしめられた。

             

             正眼に斬華一閃を構えた揺波に対し、細音は愛用の薙刀を誇示するかのように、八相に構えた。お互い、変わっていないように見えて、あらゆることが変わっている。たとえ顕現武器の有無があろうとも、構えた細音の威圧感の前に、それをあえて口にする必要はなかった。
             もはや待ったなし。あとはただ、意志がぶつかるのみ。

             

            『…………!』

             

             己の有り様を証明すべく、二人のミコトは猛然と雪を蹴った。

             

             

             

             


            一歩、ないしは二歩分の距離。それが、刀と薙刀の間合いの差である。

             

            「てェィ……ッ!」

             

             細音の薙ぎ払いは、まるで目が見えているかのように揺波の踏み込みに反応して繰り出される。突き出せばあるいは届くかもしれない距離。されど、鋭さを伴って確実に身体を捉えるには遠い距離。その圏域は線から面を成し、分厚く揺波を阻む。
             しかしそれは、不用意に踏み出すことで薙ぎ切られてしまうことへの恐れを自覚させるものでもある。

             

            「ふッ……」
            「……!」

             

             揺波の一歩に、迷いはない。迷いなく、二の足を踏んだ。
             速度を考慮して左へと振り下ろしていた薙刀が、慣性に揺れる揺波の毛先を掠めていった。刃先の向こうにあるのは、二歩目に留めていた力を、三歩目に込める不退転の闘志。軌道を読ませてくれない薙ぎ払いを一度でも躱せればよい……そんな、僅かな緩みが仇となってしまう状況下での絶妙な足捌きによって、圏域を突き抜ける。

             

            「ヤァァッ!」

             

             繰り出される斬撃は、あまりに重く、鋭い。それは手にした銘刀の冴えであり、また、勝利への追求によって磨き上げられた、その斬撃そのものが一種の刀であるような、そんな一撃であった。
             己の手を信頼しきった袈裟斬りは、吸い込まれるように細音の左肩から胸元を切り裂く。白銀に、砕けた結晶が舞い散る。

             

             好奇と見た揺波は、間合いを離されないよう肉薄する心づもりで、体重を前に置いていた。薙刀は遠心力を味方につけられる以上、有効な間合いでは非常に重い攻撃を繰り出すことができるが、最至近距離においては棒状の盾にしかならない場合すらある。故に圏域を突破した今、出せる限りの手を繰り出すのは最善と言えた。
             だが、

             

            「え……」

             

             思わず間の抜けた声が出てしまうほど、揺波の追撃に手応えは全くなかった。
             返す刀での逆袈裟。細音の右脇腹から首元までを狙ったそれは、最低でも引き戻した薙刀の柄によって阻まれるものだと、揺波は確信していた。
             けれど今、細音の姿は、揺波から見て右側にあった。振り下ろした薙刀の余韻にむしろ自分から身を委ねたように、くるりと背中と見せてまでの一回転。振り上げられた斬華一閃に臆するどころか、枝垂れた柳を優雅にくぐるかのように、細音は揺波の追撃を躱していた。

             

            「はァッ!」
            「ぐっ……」

             

             たおやかさとは裏腹に、返す一撃はまた重い。舞うように回転して限定的にも自身の間合いを作り出した細音は、飛び退きざまに揺波のがら空きになった腹へ刃を見舞う。
             両者の足捌きは、雪で足場が悪いにも関わらず、檜舞台での演目かのよう。
             ただ、揺波の踏み込みは栄光ある勝利に手を伸ばすためのもの。一方で細音のそれは、流麗なる技のためのものである。

             

             自らを律し、動きを作り、描いた弧が、連撃を成す!
             氷雨細音にとっての勝利とは、ただただ磨いた武の果てに約束されているものなのだから。

             

             

            「はッ、ふッ――!」

             

             意気を込めた声すら、細音には不要。ただそうあるように成された刃の舞が、揺波に襲いかかる。
             懐から追い出されたばかりの揺波は体勢が悪い。逃げるための一歩すらろくに踏ませてくれない細音に対して、結晶を盾にせざるを得なかった。それも続けばジリ貧になるのは必定、彼女の流れに間隙を作る他ない。

             

             それは、細音が一段と強く、踏み込んだ瞬間だった。
             刀で受けるでも、結晶を盾にするでもない。
             揺波の気が、銀世界を吹き荒らす。そう、嵐の如く!

             

             

            「はああぁぁぁぁぁぁッ!」
            「っ……!」

             

             凄まじい気流が、細音に一歩を下がらせた。
             そして生まれたのは、一瞬の間。
             舞い上がった雪に白く煙る桜の下、互いに間合いを外した両者は、相手を、そして己を、改めて見据える。

             

            「たぁぁぁッ……!」
            「おぉッ……!」

             

             意志は、再び交錯する。

             

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