『桜降る代の神語り』第21話:ゆりな珍道中

2017.05.12 Friday

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     氷雨細音が奇縁に導かれていた頃、天音揺波の旅路はどうなっていただろうか。
     女子の一人旅につきものの危険なんて存在しない……というのは君にも想像がつくだろう。
     けれど逆に、腕っ節以外の旅に必要なものなんて彼女には与えられてないんだ。
     旅立ちから三日も経たぬうちに、天音揺波は早くもかつてない危機に瀕していた。

     

     


    「あ、あのー……」

     

     後じさる揺波の足が、散乱した残骸を蹴飛ばす。

     

    「そのー……えっと……」

     

     彼女の眼前には、立ち向かうべき大きな敵がいる。だがしかし、常勝を誇るミコトであってしても、ずいと近づけられた男の顔を張り飛ばすどころか、視線をろくに合わせることすらできずにいた。

     

    「なあ、お嬢ちゃん」
    「ひゃい!」

     

     男はその残骸を屈んで手に取り、ぶらぶらと見せつけるように弄ぶ。呆れたような表情にはいっそ笑いすら窺える。

     

    「あんた……いったい何ならできるってんだ」

     

     冷や汗の止まらない揺波。切って終わりというわけにはいかない相手であっても、一度自分の意志でここに身を投じた以上は逃げる訳にはいかない――そんな義務感が、万策尽きた彼女を焦りで満たす。
     そんな揺波が手に取ったのは、やはり自分の信じるものだった。

     

    「か、刀とか振れます! いっぱい振れます!」

     

     軽く型を見せた彼女の足が、また残骸を蹴飛ばした。
     ……彼女がこの店で割った、七枚目の皿の破片を。

     

     

     


     時はしばし遡る。
     その健脚を活かし順調に旅程をこなしていた揺波の姿は、のどかな街道にある茶屋の店先にあった。

     

    「あいよ、お待ち」
    「うわー! ありがとうございます!」

     

     店主に運ばれた団子を頬張ると、実に幸せそうな笑みを浮かべた。

     揺波が甘味に舌鼓をうっているのは、何もただ足を止めているわけではない。旅程自体は確かに順調なのである。
     元より鍛錬に明け暮れていた彼女は、一人でいることも、ひたすら歩き続けることも決して苦ではなかった。それどころか、無計画に歩きすぎて宿をはるか後ろに置き去りにしてしまうほどで、それによって強いられた野宿は今のところなんとかこなせている。

     

     初めての一人旅にしては、一応順調。ただ、一応がつくのは、野宿したことにではない。
     揺波の座る長椅子に置かれた袋は、旅立ちのときよりも随分と嵩を減らしていた。ここには最低限の衣類と、そして食糧が入っていたはずだった。どちらが消費物か考えれば、萎びた荷の行方がわかろうというものだ。
     細音に持たされた保存の効く弁当等の食糧は、彼女の配慮も虚しく早々に食べつくされており、小腹の空いた揺波は誘われるように一息ついていたのである。

     

    「おだんごおいしいですねえ。お天気もいいし、あとはお布団で寝れたらなあ」

     

     そして、最後に茶を飲み干すなり立ち上がると、勘定のために荷から巾着袋を探し始めた。食糧と一緒に細音に持たされた旅費である。
     ただ、それはなかなか見つからなかった。

     

    「あれ……」

     

     奥の方に入り込んでしまったのか、と荷をひっくり返して中身を出すも、萌黄色だった巾着袋はその陰も見せない。
     何故お金がなくなっているのか。
     なくした可能性を考え始めた揺波が、一つの仮説に行き着いて、頭の中の焦りがきゅう、と凝縮された後、弾けた。

     

    「あっ、ああああっ!!」
    「どうしたよー?」
    「あっ、いえっ、そ、その、お勘定が……!」
    「はいはい」

     

     勝手に口をついて出た言葉で、店主がやってくる。
     確かに出発のときには荷の中にあったはずのそれがないのは、もしかしたら野宿の際に一度中身をぶちまけたからかもしれなかった。というより、それぐらいしか考えられない。お金が入用になったのはここが初めてなのだから。
     無銭飲食。揺波の脳裏に、その四文字が踊る。
     それどころか、家に帰るまでの旅費すら失ったことになる。

     

    「どうしようどうしよう……はっ!」

     

     そんな中、彼女が起死回生の一手を咄嗟に思い出せたのは奇跡かもしれない。
     人目もはばからずに帯の内側を改め始めると、指先が布ではない感触を捉える。随分とくたびれていたその紙は、金品に替えることのできる手形であった。これは、ミコトとしての活動が本格化し遠征が増えた揺波に、彼女の父親が万が一のために持たせていたものである。

     

    「す、すいません……お勘定、これでも大丈夫ですか……?」

     

     硬貨に替えてもらってから使うものだということも思い出したが、揺波にはもう正直に手形を差し出すしかなかった。価値があるものだとは分かっているので、きっとなんとかなるだろうという曖昧な希望を胸に抱く。
     店主は胡乱げに手形を受け取り、文面を改めた。
     ただ、視線がある一点に差し掛かると、その眉根がひそまる。

     

    「あー……こりゃあ」
    「だめ、ですか……? 足りませんか……?」

     

     一応お嬢様である揺波には市井の金銭感覚は備わっていない。だから手形が実際どれくらいの価値を持っているのか、そして自分がさっきまで食べていた団子がどれくらいの値段になるのか、全く検討がついていなかった。
     だから店主の渋面を前にして、自分の浪費を悔い始めていた揺波であったが、悲しいかな店主の懸念はそんな程度のものではなかった。
     店主は、そのままそっくり揺波に手形を返してしまった。

     

    「すまんが嬢ちゃん、こりゃあ受け取れんよ」
    「え……」

     

     頭が真っ白になった揺波の様子を見て取った店主は、彼女がわざとこんなものを寄越したわけではない、と悟ったようで、困ったように説明してくれた。

     

    「本当ならお釣りの心配をしなきゃなんねえくらいのもんだけど、そりゃ天音の出したやつだろう? もう誰も持ちたがらんよ。両替商に渡したところで笑われるだけさ。天音は、家燃やされてご当主殿は行方不明ってえ話だっていうのに、誰がそいつの価値を保証してくれるんだ、ってことよ。もしかして、天音が落ちたこと、知らなかったのかい?」
    「え、いや……」
    「手持ちの都合が悪いみてえだけんど、せめてこっちのほうのだったらなあ」

     

     難しいことは分からなかったが、流石の彼女でも『自分が持っていないものを求められている』ことは理解できた。
     しかし、理解できたところで失くした袖は振れない。

     

    「それが……お金落として……これしか持ってなくて……」
    「嬢ちゃん、蟹河のほうから来たんでなかったっけ?」
    「お買い物は、細音さんに任せっきりだったから……」
    「なんだか知らねえけど、そっか、持ってねえのか……」
    「ごめんなさい……」

     

     もはや揺波にはただ謝ることしかできない。
     申し訳無さと所在なさを滲ませた彼女の前で、店主は腕を組んで悩んでいた。うんうんと唸り、けれどそれは揺波を責めようとするものではなかった。

     

    「ま、持ってねえもんは仕方ねえな」

     

     出た結論は、牢屋の中にいる自分を想像していた揺波にとっては突拍子もないもの。

     

    「しょうがねえ、皿洗いでもしてくれたらそれでいいさ」
    「で、でも……」
    「おらだってあんなことが起きてなけりゃ、受け取ってやってもよかったんだからよ。ほれ、自分の皿持って流しに行きな。食った分だけ働いておくれ」

     

     手を振りながら店内に戻っていく店主。
     常識の乏しい揺波は未だ彼の帰結は理解できるものではなかった。だが、彼女はやることさえ分かってしまえば手は速い人間である。快活に応じるなり、即座に洗い場につき、渡されたヘチマを構えた。

     

    「よかったぁ、優しい人で……」

     

     そうひとりごちる揺波が、みたらし餡のこびりついた皿を手に取る。ごし、ごし、と汚れをこそぎ落とす。
     そして次に、かぴかぴになった団子のこびりついた皿を手にとって、ごし、ごし、ぴき――

     

    「ぴき……?」

     

     見れば皿は、確かに綺麗にはなっていた。ただ、端から端まで走る線を除いては。
     ちょっと力を入れると、皿は見事に真っ二つに割れた。

     

    「あ、あは……そんな」

     

     きっと元々割れかけていたに違いない。そう思って割れた皿を店主の死角になる足下にそっと置くと、次の皿をとって擦り、

     

    「え……」

     

     割れた。
     申し訳無さを払拭するように撫でた皿が、見事に割れた。むしろ、半ば砕けかけていた。

     

    「おおい、大丈夫か? 今あるやつ片付けてくれたらそれでいいかんな」
    「……は、はい!」

     

     冷や汗の止まらない揺波は、さらに皿を洗い続ける。
     そして何度も何度も割り続け――

     

     

     


    「――それはもう、いくらでも振れます!」
    「いくらでも……?」
    「はいっ! いくらでも!」

     

     そして冒頭へと――見かねた店主が揺波を止めた場面に戻る。

     ぶんぶん腕を振る揺波を眺める店主は、客を横目に空いた席に二人分の茶を置いた。ただ、この期に及んで揺波はその湯呑みを手に取れるほど図太くはなかった。一人だけ残っていた客に苦笑いされていた、というのもある。
     そうやって(揺波にとってだけ)気まずい空気が流れていると、

     

    「……ん? もしかしておめえさん、ミコトか」
    「は、はい! 決闘の……代行? もやりますよ! 力仕事でもいいです!」

     

     店主は特に揺波の言葉を信じていないわけではなかった。単に、皿洗いすら満足にできない彼女に、一応の落とし前をつけてもらうにはどうするのが最善か、考えあぐねていただけであった。
     そこへ、

     

    「だったらよう、腕自慢の嬢ちゃんにおあつらえ向きの仕事があるんだがよう」

     

     声を上げたのは、唯一残っていた髭面の客の男だった。
     彼は湯呑みを持った手で揺波を指しながら続ける。

     

    「力仕事っちゃあ力仕事だ。俺でも追い払えなかったいのし――」
    「やります!」
    「まだ途中だろうよ! 村長も頭痛めてるから、お礼出してくれるだろ――」
    「お願いします!」
    「……だってよ」

     

     必死で頭を下げる揺波に、顔を見合わせる店主と客。牢屋の中にいる自分という絵面すら想像していた彼女にとって、その提案は内容がどうであろうと渡りに船でしかなかった。
     罪悪感でいっぱいになっていた揺波は、仔細をろくに聞かず首を縦に振り続けたのだった

     

     

     


    「でぇぃッ!」

     

     蹴り飛ばした猪を、揺波の刀が容赦なく討つ。
     深々と脇腹に傷を負った大きな猪は、勢いに負けながらよろよろと逃げようとし、そして畑の脇にあった茂みに半ば頭を突っ込むような形で力尽きた。
     刀を収めつつ、念を入れて猪の息を感じる。間違いなく、彼女の感覚は討伐対象の撃破を訴えていた。

     

    「ふーっ……」

     

     揺波が受けることになった依頼は、近隣の畑を荒している獰猛な猪を駆除することだった。腕自慢の男衆でも手に負えないと誰もが音を上げて困っていたらしい。
     それこそ熊でもなければ危険と思えない揺波にとっては、報酬ついでに猪鍋すらいただけるかもしれない楽な仕事だと改めて請け負うことにしたわけだが、実際に対峙した猪は彼女の想像を越えて厄介な相手であった。
     厄介とは言ったところで、結果としてはこのように伏しているわけだが、この猪は一度、彼女の刀を受け止めていた。

     

    「…………」

     

     侮っていたわけではない。獣ごときに揺波が負けるなど万に一つもないし、手を抜いたわけでもない。現に、見つけるまで苦労しただけで、仕留めるのに大した時間はかかっていない。
     だが、桜の下ではないとはいえ、ミコトの一太刀と、猪は鍔迫り合いをした。
     そう……猪は武器を――その額に、見るからに奇怪な角を生やしていた。
     その角に受け止められた手応えが、揺波の手の中にまだ残っている。

     

     と、

     

    「……!」

     

     がさ、と木陰を渡る音と共に、影が茂みの向こうに踊った。猪に注視していた彼女は、茂みが確かに揺れるのも見ていたが、集中していたが故に影の持ち主や動きを上手く捉えられなかった。

     

    「うり坊……かな」

     

     仇討ちと襲ってくるならば、返り討ちにするまで。
     収めた刀を握る手に再び力を込めるが、もう何者かが動く気配はなかった。

     

    「……戻らなきゃ」

     

     猪を持ち帰って、報酬を貰って、お団子屋さんにお詫びをしなければならない。
     こんなに大きな猪をどう持ち帰ればいいか、思案しながら茂みから猪を引き抜いた揺波は、しかし困惑することになる。
     自分の刀を受け止めた猪には、そんなものは最初からなかったとでも言うように、角なんて生えていなかった。

     

    「…………?」

     

     伏した拍子に折れて、どこかにいってしまっただけかもしれない。
     そう思う揺波にはしかし、そんなはずはないと警告する直感もまた、働いていたのであった。

     

     


     抜けた姿を晒す平和な一幕。しかしその裏でも蠢く者もいる。
     メガミは人と共に在り、人を見守る存在だ。しかしその全てが、人にとって都合がいいなどということはありえない。
     オボロやトコヨのように自ら目的のため、限られた人間と交友を結び、共に在ることを選ぶ者もいる。
     シンラもまた、第一には自らの目的こそあれど、人間の発展を願っている側面も多分にある。
     ヒミカやハガネは人間に対して友好的で、仲良くしていくことを強く望んでいる。

     

     しかし、君も気づいているだろう。ヒミカのように、超自然的存在としてのメガミが持つ強大な力は、災厄ともなりえるということに。

     

     そして、彼女らは。
     間違いなく、この先に待ち受ける一大事において。
     災害……そう呼ぶに相応しいのだろう。

     

     

     


     揺波が猪に不可解さを覚えている頃、その畑より半里ばかり遠い山間の崖に、二つの影が起立していた。
     一方は落ち着きなく動き回り、もう一方は微動だにしない。狂騒と沈黙が、それぞれ形をとって現れたかのようだった。

     

    「ひゃー危なかったですぅ。うつろん、ありがとん。大事な大事な実験記録ちゃんが壊れちゃうかもでした」
    「……ん」
    「んー、おぼろんのマネしてみたけどー、なんだかあっさりやられちゃいましたねー。もっとぱーわふぅーなほうがよかったかなー? 刀を持ったゴリラとかとかー?」
    「…………違う。相手」

     

     その言葉に忙しなかった一方が動きを止め、静かな指摘者へ初めて目を向ける。

     

    「相手―? あのミコトがどーしたって、言うんですかぁ?」
    「龍ノ宮と戦った相手。確か、天音揺波……」
    「んー、んんー? あぁー! そんなのもいましたねぇ、意外ですねぇ、生きてたんですねぇ。まー所詮はミコト……んーミコト? そっか、ミコトかぁ。むむーん」
    「…………?」

     

     興味を失ったと思えば、その傍から目まぐるしく態度を変え、考え込む。静寂の権化は不思議そうに、そしてどうでもよさそうに彼女を眺める。
     その黙考も僅かばかり、上機嫌になって瞳を輝かせた。

     

    「くるるーん☆ ひらめきましたっ! 次はもっと、いい結果が採れそうですよー」
    「…………そう」

     

     それに相づちを打ってなお、黙する者は、心底どうでもよさそうであった。
     

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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    『桜降る代の神語り』閑話:ある三柱の一幕

    2017.05.05 Friday

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       空間に張り巡らされた巨大な根。一見しても幹と見まごうほどのそれは、淡い桜色の霞が満ちたこの場にあって、いっそ怪物のような異様を示している。
       その中の一本。見果てぬ天頂へとゆるく伸びる根の上で、対峙する影があった。


       それは、妹の家出を姉が窘めているような光景であった。

       

       

      「ライねぇ……!」
      「ダメ。ハガネ、顕現、あぶない」

       

       愛用の槌を下ろしたハガネの前には一柱のメガミが立ちはだかっていた。雷じみた色模様の差した黒髪と、ふっくらと暖かな空気を孕んだ毛皮。ぱちぱち、と彼女の周りで弾ける小さな雷につられて毛先は暴れ、鳴いた小風がさらに弄ぶ。

       

      「どうしてもだめなの? 今までみたいにわがままで言ってるわけじゃないんだよ?」
      「分かってる。でも、ダメ」
      「あたしは……なんでこうなったのか知りたいだけなのに……」
      「……それでも、らい、ハガネ止める。らい、嫌な感じ、してる」

       

       槌の柄を握りしめていたハガネの手から力が抜けたことを悟ると、追って小さな雷も止む。彼女の表情に、安堵の色がにじむ。

       ハガネはメガミの中でも精神が未成熟であると認識されている。本人は否定するが、その爛漫さからくる危なっかしさは隠しようがない。そのため、三柱のメガミを主として、何が起きるか分からない桜の外への顕現を止められているのである。
      ただ、止めるとは言っても、定期的には許す程度のものである。それが今は完全に阻止されており、ハガネは歯がゆい思いをしていた。

       

      「たっつーがなんで死んじゃったか、それを調べたいだけなの……たっつーのお気に入りだったミコトが色んなことを知ってるって、人間たちが噂してるのあたし知ってるの。お話するだけ……そう、お話するだけなんだから……」
      「ハガネ、賢い。だからハガネ、それ、自分で分かってる。顕現、会う、危ない。ヒミカみたいに、やられるかも」
      「そんなわけ――」
      「らい、ハガネが傷つく、見たくない」

       

       当事者たるヒミカも当分意識が戻る見込みはなく、人間たちからも槍玉に挙げられているらしい容疑者と『お話をする』のは、確かに現状最も合理的な選択肢だ。
       ただ、いつもは楽観的な彼女であるが、野性的な直感がその選択肢をよしとしなかった。論理と直感の板挟みとなり、ハガネをどう説得したらいいものか雲をつかむようであった。
       


      と、

       

      「ちょっとちょっと、また出ようとしてたのー?」

       

       根にふわりと舞い降りたのは、涙色の着物を着込み、唐傘を携えた縁結びのメガミ。

       

      「ユキねぇまで!」
      「よかった。ハガネ、顕現、したがる、やめない。説得、お願い」

       

       もう一柱の、より過保護なメガミの登場に、ハガネは頬を膨らませて、ぺたりと座りながら槌にしなだれかかった。経緯が説明される傍で、槌につけられた鐘に八つ当たりする。
       ややもして、そんなハガネの目の前に、高さを揃えて心配顔が差し出された。

       

       

      「ねえ、ハガネちゃん。確かにお気に入りのミコトさんが死んじゃったのは、とっても悲しいと思う。私だって、取り持ってあげた人に不幸が出たら悲しいわ」
      「…………」
      「でもね。私たちはメガミだからこそ、人間の死にはもっと慎重に向き合わなきゃだめよ。もしもハガネちゃんが会いに行くつもりだったミコトさんが、悪意を持ってその人を殺したんだとしたらどうするつもりだったの?」
      「そ、それは……」

       

       言葉に詰まるハガネだが、それは決して憎悪の火を慌てて消したわけではなかった。

       

      「飛び出したくなる気持ちも分かるわ。でも、そこで一呼吸置いて? 人が死んだら、胸を痛めるのはハガネちゃんだけじゃない。色んな人が悲しい想いをするし、それを乗り越えなきゃいけない。それ以前に、色んなものが整理されてないままかもしれない。そんな中で、その人をただ立派に見送ることが、ハガネちゃんにできるかしら」
      「でも、だからってこんなもやもやしたままじゃ……」
      「何も、ずっとこのままでいろ、なんて言ってるわけじゃないの。お墓の前で手を合わせるのは、外が落ち着いてからにしてね、ってだけなの。ハガネちゃんがもし顕現した先で変なことに巻き込まれたら、その人だってきっと悲しむわ」
      「う……」

       

       ハガネの脳裏に、奔放に過ぎて龍ノ宮に怒られた過去が映し出される。彼はひとしきり怒ったあと、困ったように眉尻を下げていた。それでも随分申し訳ない気分になったというのに、彼女たちの言うような結果となってしまったら。
       ゆっくりと立ち上がり、槌を小さくして袖に仕舞う。

       

      「わかった……もうちょっと待つ」
      「……! ありがとうハガネちゃん! 分かってもらえて嬉しいわ!」
      「よかった、らい、安心した」
      「私としては、気づいたらいなくなってるライちゃんにも見習って欲しいものなんだけど?」
      「わぅ……おぼえとく」

       

       笑顔の戻った保護者二柱を尻目に、ハガネはどこか釈然としない様子で根から飛び降り、自分の住処へと戻った。
       その後、ひたすら鉄を打ったところで、彼女の心が晴れることはなかった。

       

      語り:カナヱ
      『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
      作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

       

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      『桜降る代の神語り』第20話:細音と久遠

      2017.04.21 Friday

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         妙な縁が結ばれたとは言っても、その足を止めるほどのものじゃあない。
         一晩を明かした氷雨細音は、城跡へ向かって龍ノ宮領をひた歩く。
         けれどもまあ、先を急ぐとぷっちり縁を切れるわけもなく……。
         情け容赦もなく道連れにまとわりつかれた彼女にとって、それが悪縁でなかったことだけが慰めになるだろうね。

         


         すたすたと、迷いを振り切るようにして交互する長い脚。

         

        「ねーねー」

         

         ぴょこぴょこと、飛び跳ねるように歩幅の違いを埋めていく短い脚。

         

        「ねーってばー」

         

         細音にとって目の代わりである薙刀の石突も、いっそ掘り返してしまいかねないくらい乱暴に地面を探っている。途中で水たまりがあろうが問答無用で突っ切るだろう勢いは、朝靄も残るうちに宿場を出てから陽を仰ぎ見るほどになった今に至るまで、ずっと衰えていない。
         道程はそれゆえかなり進んでおり、城下町外縁部の田園地帯を今に抜けようか、というところである。

         

        「そんなに急がなくったっていいじゃん。やろーよ音楽やろーよー」
        「…………」
        「めくらなのに、そんなに急いでちゃ転んじゃわない? 怪我して手が使えなくなったら、演奏できなくなって大変だってば」
        「……誰のせいだと思っているのですか」

         

         ほんの少しだけ、細音の足が鈍った。それを察した少女・久遠が細音の前に躍り出て、行く手を塞ぐ。
         けれど細音は、応じたことそのものに反省しながら、華麗に避けて通る。

         

        「あたしのせい? とんでもない! あたしは、あなたの楽才が埋もれたままになっているのがもったいないって一心で、楽の道に――」
        「それが余計なお世話だと言っているのです。私には既に歩む道がありますからっ!」
        「ちぇー」

         

         ちっとも納得していなさそうに悪態をついた久遠が、再び細音の後を追った。

         

         細音の苛立ちももっともで、昨晩久遠に絡まれた細音が、夕食の同席を認めてしまったところまではまだよかった。しかし、そこで久遠が北方の弾き語りを話題にした際、弾き手として細音が乗ってしまったのが運の尽き。
         素地すらあったと知った久遠が、彼女を音楽の道に引き込もうと延々と勧誘したとなれば、さしもの細音も無視という選択を採らざるをえない。いくら音楽に親しみがあるとはいえ、氷雨細音は未だ見ぬ武の果てへの途上にいるのだから、このまま薙刀から琵琶に持ち替えるわけにもいくまい。

         

        「寝て起きたら気が変わってるかと思ったら……でも、そーゆー頑固なのも好きだよあたし」
        「…………」
        「ほらほら、もう中心街だよ? 確か芝居小屋があったはずなんだよねーここ」
        「それは……分かっています」

         

         細音がそれを判断できたのは、むっと強まった焦げた臭いのおかげだった。
         風もないというのに、木を燃やした臭いに二人は包まれていた。細音の耳が捉えていないように、火はもはや勢いを殺され尽くして久しい。けれど、熱の失せた焼け跡を片付け始めているであろう住人に、恐怖を想起させるに余りある生々しい崩壊の臭いが鼻をつく。周囲に飛ばされる作業の指示の声にも、どこか不安が滲んでいるようであった。

         

        「このへんまでメガミが暴れまわったらしいからね」
        「なるほど、ヒミカは北へ……」

         

         実際に逃げる揺波と細音を追ったからなのか、はたまた天音家を襲撃する道中だったのか、それは本人のみぞ知るところだ。けれど細音は、無関係な人を巻き込んでしまったようで、少し言葉に詰まった。
         ……が、久遠にはそんなことは関係がない。

         

        「まー火事のことは別にいいじゃん? なんでもその小屋で扱われてたのは、かの畠山松陰が手がけた笛だとかなんとか。もしかしたらあるかもよー?」
        「関係ありません」
        「吹けるかもよー? なんならあたしが吹いちゃおっかなー!」
        「……はぁ」

         

         ため息と共に、刀身を隠したままの薙刀を軽く久遠に向ける。

         

        「わかりました。その芝居小屋とやらに行きましょう」
        「やった!」
        「ただし! ……立ち寄ったらもう二度と私に付きまとわないと誓ってください。それができなければなしです。そして誓いを破れば、そのとき私の手元が狂わない保証はありません」
        「はぁーい」

         

         本当に分かっているのだろうか。
         そんな懸念もどこ吹く風と、先導し始めた久遠。後を追う形となった細音は、予想外の方向からもたらされた幸先の悪さに、不安を覚えるしかないのであった。

         

         


         焼けた龍ノ宮城を左手に見て、東西に走る通りをいくらか西へ。城を見送るようになった頃合いには、なんとか形を留めている建物も増えてくる。芝居小屋は、そんな通りも突き当たる位置で燃え残っていた。

         

        「あー、こりゃまた」

         

         肩をすくめる久遠。一体どれほどの聴衆を飲み込めるのか、というほどの芝居小屋であった建物は、向かって左側と、釣られたように屋根のほとんどが焼け落ちてしまっていた。びしょ濡れだったり人為的に破壊された痕があったりと、消火の努力が見受けられる。

         

        「この分だと期待はできそうにないかなー。燃え尽きてないのがせめてもの救い、ってくらいだけど、野ざらしにされちゃね」
        「気が済みましたか……って、どこへ!」
        「中に決まってるじゃなーい」

         

         柱が焼け崩れたりしてまだ危険かもしれないというのに躊躇なく歩き続ける久遠に、細音は義務感半分自棄半分で着いていく。
        そうして久遠が、開け放たれていた入り口から顔を覗かせると、

         

        「なんだ、先客がいるっぽいよー?」
        『あ゛ぁ?』

         

         先客たちの輪唱は、すこぶる棘のあるものだった。
         小屋の中は案の定焼け落ちた天井によって、内装が分からなくなっている有様であった。座布団の残骸にまみれている一帯が座席であることくらいは把握できるものの、肝心の舞台は床に突き刺さった何枚もの天井板の燃え残りの向こう側にあるようだ。
         先客たちは、そんな芝居小屋跡を片付けているようだった。
         物色していた、とあるいは言い換えたほうがいいかもしれないが。

         

        「おいおい、なんだぁこのガキども。いっちょまえに薙刀なんてこさえてよぉ!」
        「俺たちゃ忙しいんだ。かまってやる暇なんてねえから、さっさとおうちけぇんな! ……あっ、けぇりたくてもけぇる家がねえか!」

         

         爆笑する先客ら。その下品な気性は、金になりそうなものを抱えている彼らの姿を見ることができない細音にも、正体が火事場泥棒であると悟らせるには十分すぎた。
         薄い笑みを張り付かせたままの久遠をかばうように、細音が前に出る。
         最初に細音を笑った男がそれをさらに鼻で笑い、ぞろぞろと物陰から姿を現した賊たちの中で最もガタイのいい男を指すと、

         

        「やろうってのか? こっちにゃ山岸さんがいるんだぜ!? あのミコトの、山岸さんだぞ!」
        「ガキが敵うお方じゃねえぞ。なんてったって、宿すメガミは破壊力重視ッ! 槌のハガネに鉄拳のコダマだ! ハガネに至ってはあの龍ノ宮一志も使ってたくらいなんだ、そんな細腕すぐに折れちまうわ!」

         

         山岸と呼ばれた男は、久遠と細音を見下せる位置に陣取った。両手に指先まで覆う鉄製の手甲を装備しており、膨れ上がった二の腕は丸太のよう。

         

        「グハハハハハ! 一撃でおねんねさせてや――」

         

         そんな彼が、攻撃を繰り出す余地はなかった。
         それどころか、一言、言い終わる間すら与えてもらえなかった。

         

        「――ぁ、あ……ぁぅぁ……」
        「痴れ者め。恥を知りなさい」

         

         細音が薙刀を手元に戻し、刃を露わにした上で構える。
         山岸なる男は、見下していた細音の動きをまったく見切ることができず、みぞおちに吸い込まれていった石突によって膝をつき、そして地面に伏した。
         彼らが不幸だったのは、音楽という芸能に親しみのある細音を敵に回したことだった。

         

        「こ、こいつ……! みんな、やっちまえ!」

         

         賊は残り七人。一斉に懐から小刀や棍棒を取り出すと、両手いっぱいに抱えていた金品を放り捨てて細音に襲いかかった。
         山岸を踏み越えて戦線に躍り出た細音は、初見かつ散らかっている場所にも関わらず、向かい来る賊を的確に捌いていた。不用意に間合いに飛び込んできた男をみねうちで吹き飛ばし、後続の体制を崩したりと、咄嗟に考えうる程度の戦術を即座に実行に移せるのは彼女の基礎修練のたまものである。

         

        「くっ……」

         

         けれど、やはり人数差を容易に覆すことはできない。細音を含め、決闘に特化した修行をするミコトは多い。それは、合戦などとんと起こらない時勢であれば当然の帰結であり、多人数を相手にする戦闘技能を持つ者は限りなく少ない。
         加えて、ここは神座桜の下ではない。メガミの力を借り、最大限発揮できる環境であればいざしらず、十把一絡げの賊よりも肉体的に少し優るだけでしかない細音が、力任せに場を収めることは叶わなかった。

         

         屋内ということもあり、乱戦によって複雑に絡み合う音を整理するのに集中力を削がれていた細音は、故に気づくのが遅れてしまった。
         四人目の局部を柄で痛打した彼女の耳が捉えたのは、窮地だった。

         

        「へ、へへ……多勢に無勢だったようだなぁ」
        「しまった……!」

         

         起き上がった山岸が、苦悶の表情を浮かべながら久遠に迫っていた。かばうように前に出ていたのが仇になったか、としっかり気絶させなかった自分を細音は悔やむ。むしろ逃げる時間を稼ぐための大立ち回りだったのだが、目をつけられた今になって久遠にそう言ったところで意味はない。

         

         無論、賊はそういったところには無駄に頭が回るので、山岸が久遠を人質にとるまでの時間稼ぎをすべく、残りの三人で一斉に襲いかかる。
         万事休すか。あんな子に関わらなければよかった。
         そう、細音が三人分の力をどう捌くか、必死に考えている最中、山岸のいかつい手が、久遠に伸ばされる。

         

        「大人しくしな。この嬢ちゃんがどうなっ、て――」

         

         が、そんな彼が、久遠を取り押さえることはなかった。
         それどころか、警句を、言い終わる間すら与えてもらえなかった。

         

        「――ぇぁがッ!」

         

         大男が、今度は背中から地面に叩きつけられた。

         

        「…………」

         

         静寂に包まれる芝居小屋跡で、久遠の残身だけが起きたことを物語っている。
         肩をつかもうとした山岸の手を、僅かに身体をずらすことで避けた久遠は、そのまま身をひねりながら半歩前に出て懐に潜り込み、突き出された手を下に引っ張りながら肘の裏を軽く押した。
         まるで舞うように滑らかだった一連の動きは、けれどその流麗な見た目とは裏腹に、少女に巨体が放り投げられるという恐ろしい結果をもたらした。

         

         

        「ほらほら、そっちも早くやっちゃってよ。この馬鹿ども追い出さないと話始まんないんだからさー」
        「え、あ……は、はい」

         

         一足先に我に返った細音は、唖然としていた賊どもを押し返す。

         

         実力者を二度も瞬殺されてしまったためか、それから賊を始末するのは容易だった。結局、奪うつもりだったものも全て置いて、ほうほうの体で逃げていった。
         そんな彼らを見送った細音には、一つの想いが生まれることになる。
         焼け跡から見つかった数々の楽器を愛おしむ久遠は、決して音楽馬鹿なだけではないのではないか、と。

         

         


         こうして、氷雨細音も幾年久遠――トコヨへと関心を持つに至った。
         氷雨細音はトコヨから学べるものを見定めるため。
         トコヨは氷雨細音を自らの望む道へと引き込むため。
         噛み合うようですれ違っている、そんな二人の旅がここに始まったのさ。

         

        語り:カナヱ
        『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
        作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

         

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        『桜降る代の神語り』第19話:奇縁

        2017.04.07 Friday

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           火の手より逃れ、そして新たな目的に向かって各々旅立った天音揺波と氷雨細音。
           どちらから語るべきか迷うところだけれど、ここは氷雨細音を追うことにしよう。
           時は別れより数日後。彼女が龍ノ宮の領地へ再び入った頃合い。
           世情に触れる氷雨細音に、早くも新たな出会いが訪れる。

           


           一月も経たないうちに折り返してくることになった道を、細音はやや眉間にしわを寄せながら歩いていた。雨の気配もなく、宿場の喧騒も聞こえてきたとあって、屋根を得られる安心を覚えこそすれ、旅程に不安を覚える道理はない。杖代わりの薙刀を掴む手にも力みは見られず、旅の疲れが顔に出たのだと言われれば納得してしまう程度のそれ。
           細音が、一人きりの道中の慰みに選んだのは、至って冷静な反省であった。そこで生まれた僅かな苛立ちが、彼女を不機嫌に見せてしまっていた。

           

           

           龍ノ宮城での揺波の戦い。庭に面した廊下からその様子を聞いていた細音は、それに感じ入らずにはいられなかった。最強と謳われる相手に果敢に攻めていった揺波の足捌き、太刀筋、何より勝利を求める気迫。それは、細音が否定した彼女から生まれるはずのない、素晴らしいものだった。

           

           細音が揺波を認めるつもりがないのは事実であり、それは今も変わっていない。あの戦いを正当に、客観的に評価してもなお改まることはない。細音の考える武の道とは、どうあっても迎合しないことはもはや真理ですらあった。
           細音の苛立ちは、揺波を評価しなければならないことではなく、負けるのだと決めつけてしまっていた己の不甲斐なさから生じていた。

           

           自分が同じ立場にあって、あのように食らいつけるだろうか。
           その一刀を届かせるために、全てを投げ打つような執着心を抱けるだろうか。
           知りもしない結果を盲信した後悔が段々と熟し、至らなさに目が向くようになる。独りで武を磨いてきた細音にとって自省は発作のようなものだが、今回は特に恥ずかしさすら覚える有様で、彼女に一層の修行を決意させるには十分すぎた。

           

           揺波には情勢を調べるため、と説明したが、細音は自身でそれが建前でしかないと分かっていた。己を高めるには身体を動かす他なく、ただ漠然と雇い主である古鷹の下へ戻ったところで実りは望めない。それが怠惰に思えたからこそ、こうしてまた因縁の地に向かっているのだ。

           

           そうやって煩悶しているうちに、杖代わりの薙刀が叩く地面が、より硬い感触を返した。
           龍ノ宮城下から一番近い宿場町に到着したのである。

           

          「部屋があればよいですが……」

           

           そろそろ夕暮れも近いとあって、宿場の活気は否応にも増しているようだった。旅人の到着と飲み処のかきいれ時が重なればそれも道理であるが、考えていたよりも幾分か人が多そうだ、と細音は宿の心配をするはめになる。
           同じ道を行く者がほとんどいなかったにも関わらずこの有様なのは、南下した人間ではなく北上する人間のせいだろう。城下まで燃え広がった、という自身の目的地のことを再度思い出し、そう得心する。

           

           以前訪ねた際の地理を脳裏に呼び起こしつつ、世話になったことのある宿へと足を向ける。
          と、人を避け通りを行く細音の耳が、一つの音色を捉えた。

           

          「おや……?」

           

           ベン、ベン、とかき鳴らされる弦の旋律。曲というには曖昧で、音というには圧がある。屋内からかと思えば、明らかにそれは軒先からのものだった。
           続けて聞こえてきたのは、高らかに吟ずる妙齢の男の声音だ。

           

          「数多の人々まとめたる、龍ノ宮一志という豪気たる男。しかして彼の望んだ和の中に、天の名借りた悪がいた。道半ばにて地に還った、我らぁァ〜〜のォ、ほまァ〜れェ〜高ァき、龍ぅ〜の末ぇ〜えェ〜」

           

           それはまさに今、世に起きていることを伝える詩、その前口上のようだった。
           細音としては、世情を知るのにこれほど都合のよいものはそうなかった。幸い宿への道中だったため、流しの楽師を囲む人々の輪に入る。

           

           飲み屋の軒先で世を語り始めた楽師が二人組であることを、細音はすぐに悟った。弾き手と語り手が分かれるのはこの手にしては珍しい。語り手がつかえずにいられるのは、ひとえに弾き手がそれに合わせた伴奏をできるだけの高い技量を有しているからだった。
           ただ、細音は幼い頃から聞いてきた音色に郷愁を覚えるも、今現在紡がれている話の内容に再び眉をひそめざるを得なかった。

           

           語られたのは、龍ノ宮の死から起きる一連の出来事。メガミの炎に城が燃え、天音家が燃えた――その事実は確かに間違ってはいなかった。
           けれど、全ての原因が天音にある、という短絡かつ刺激的な結論が細音を苛立たせた。やりどころのない感情が、旋律を追って薙刀の柄を叩く指先の力へと変わる。

           

           曰く、天音のミコトは邪な手段を用いることでここまでの勝利を得ていた。
           曰く、敵わぬと考えた天音が龍ノ宮を誅殺した。
           曰く、まがい物の勝利で以って世を支配するのが天音の目的だった。
           曰く、故に天音はメガミの怒りに焼かれることとなった。
           曰く、ミコトの悪行に狂ったメガミは、正義のミコトの英雄的活躍により鎮められた。

           

          「随分と落ち着いてきた、って時分だってぇのにねえ……」
          「喧嘩がつええだけのやつに治められちゃたまらん。ヒミカ様はようやってくだすった」
          「いやぁ……それでも、あんな焼け野原にされちゃあ……ねえ? 今まであんな方が町にいたのかと思うと……」
          「おめえさん、城下のほうか。そうだな……見境なく暴れられちゃあな……」
          「とはいえ、メガミ様を討っちまったなんて、それはそれで恐ろしいよ。ヲウカ様がお怒りになっていやしないか心配だよ……」

           

           最初からとは言わずも、当事者であった細音にとっては、聴衆の反応も総じて勝手なものばかりであった。この場で身勝手な意見をばっかり切り捨ててしまいたい欲望に駆られるも、そうしたところで得はない。
           そのうち、胸糞が悪くなるような内容を話半分に聞くようになった細音は、佳境に行くにつれて激しくなっていく伴奏を捉えることに夢中になり始めていた。

           

          「ヒトかァ〜ミコトォ〜か、果てはぁァ〜メガミかァ〜。行く末ぇェ、知るべきゃァ、真かァ、桜かァ〜。――……どうも、お粗末さまでございました」

           

           はっ、と終わりを告げられた細音は、随分と熱中していた自分が恥ずかしくなった。語りの伴としては随分と複雑になったその旋律を、ひたすら追い続けることで鬱憤を晴らしていたのである。
           三々五々散っていく人々の足音に、自分も早く宿を見つけねば、と当初の目的を思い出す。すっかり頭の中からどかされていた地図をもう一度引っ張り出す。

           

          「ねえねえ、そこのお姉さん」

           

           そんな細音にかけられた声は、とても幼い女の子のものだった。
           耳が良すぎるため、自分に向けられたものだと分かってしまう細音は、訝しがりながらも応じるしかない。

           

          「……なんでしょうか」

           

           これがただの子供であったのなら、無視することもできた。
           けれど、自分の胸元まであるか怪しいくらいの背丈であろうその子供の足音が、明らかに弦の音色の発生源からやってきたこともまた、耳の良すぎる細音には分かってしまうのだ。
           そしてあの弾き手は、ともすれば語り手を手の上で転がすように奏でていたことも。
          細音の中で、興味と不審が天秤にかけられている。

           

          「今日はここに泊まっていくんでしょう? お夕飯でも一緒しない? あなたと話したいことがあるんだけど」
          「客引きなら間に合ってますが……」
          「あ、ごめんね。名乗りもせずに」
          「あの」

           

           細音の制止をよそに、その少女は悪戯めいた笑みを浮かべながらこう言った。

           

          「あたしは久遠。 幾年久遠 いくとせくおん 。よろしくね」

           


           袖振り合うも、とは言うけれど、それにしたって奇妙な縁だ。
           ……ああ、念のため伝えておいたほうがようさそうかな。
           君なら分かっているかもしれないが、彼女の正体はトコヨ。芸術と永遠を象徴するメガミさ。
           彼女はよく人の世に現れては、お忍びで芸事を嗜んでいる。そしてこのように人と触れ合うこともある。
           ま、お忍びって言ったって、分かる奴にしてみたらばればれもいいところなんだけどね。幸いにして、あの場にはいなかったようだけど。

           

          語り:カナヱ
          『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
          作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

           

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          『桜降る代の神語り』第一章

          2017.03.24 Friday

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            第5話:新たな経糸

            第6話:星詠会

            第7話:仄昏き洞より

            第8話:龍の襲来

            第9話:宿命道辻

            第10話:師弟と姉弟

            第11話:龍ノ宮一志

            第12話:超極秘製作秘話

            第13話:大家会合

            第14話:前夜

            第15話:誰がための決闘か

            第16話:生きる道

            第17話:戦いの終わり、そしてはじまり

             

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