『桜降る代の神語り』閑話:ある山間の邂逅

2017.06.23 Friday

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     はためいた青年の外套が落ち着いたとき、意識ある者は彼と少女一人を除いて皆無だった。

     

    「お嬢さん、お怪我はございませんでしたか? ――おっとこれは失礼」

     

     へたり込んでいた少女に差し出した手が、まだ武器を――甲から爪を生やした手袋を纏っていることに気づき、外してから再度差し出す。角ばった眼鏡の奥から覗く目は、実に知的で落ち着いていながら少女への気遣いの想いで溢れていた。
     手を借り立ち上がった少女は、辺りを見渡して唖然とする。無理もない、己を襲った野盗たちが、この体力より知力と言わんばかりの青年に一人残らず倒されて転がっているのだから。

     

    「あー……アリガトウ……ございます」
    「いえいえ、当然の行いをしたまでです。それに、この 佐伯識典 さえきさとのり 、こんな連中に負けるほどやわな鍛え方はしておりませんから」
    「サェ……サーキ? あなたの名前、ですか?」
    「おや……?」

     

     佐伯は、改めて助けた少女を観察した。駆けつけた際に遠くから彼の目を引いたのは、胸元からくるぶしまですっぽりと亜麻色の布の筒に身を通したような格好であった。間近で見るとそれはいくらか汚れており、小豆色の腰巻きなど端が破けてさえいる。最悪の事態を想像するほどではないが、以前にも荒事に巻き込まれたのだという印象を受ける。
     しかし、対面した彼の注目は、目線一つ分も違わないその背丈に始まり、小麦よりなお焼けた肌と、緩く波打つ銀の長い髪に向けられていた。

     

    「そうです。私の名前は、佐伯、識典、です」
    「ぁ……ワタシの名前は、ジュリア、です」
    「じゅ……?」
    「ジュリア。ジュリア・ヴェラシヤ・クラーヴォ、です」
    「ふむ……」

     

     口の中で、聞きなれない音の羅列を反復する佐伯。そして、解せないという表情で彼女へと問う。

     

    「ジュリアさん……でよろしいでしょうか。貴女は、渡来の方――海の向こうから、来たお人でしょうか?」
    「……! はい、です! 船乗って、来ました!」
    「そのようなお方とお会い出来るとは……さぞ大変だったでしょう」

     

     その異邦の容姿は確かに人目についた。野蛮な輩に目をつけられるのは避けられなかっただろう。ここは割合内陸の土地であるが、そんなところをぼろぼろになりながら一人で歩いているその境遇に、佐伯は胸を痛めていた。
     そんな彼とは裏腹に、ジュリアと名乗った少女の目は希望と、好奇心に満ちていた。

     

    「サーキ、あなたは強い。あなたは、ミコト。違いますか?」
    「ええ、如何にも。シンラ様とライラ様を奉ずるミコトの身です」
    「シンラサマ……ライラサマ……メガミ? アー、読んで知ったことあります。シンラサマはコトバ、ライラサマは、カゼとカミナリ?」

     

     記憶を紐解きながらのためか、さらに言葉が怪しくなっていく。そんな彼女に佐伯は眼鏡のずれを直しながら、感心したように唸った。

     

    「おぉ……渡来の方とは思えぬ博識ですね。概ねその通りです」
    「オオムネ……? 惜しい、ですか? 詳しくは、どうなのですか?」

     

     眼鏡に添えていた佐伯の手が、止まった。

     

    「……偉大なるメガミ様に、ご興味が?」
    「ぁ……、はい。知りたい、です。ワタシ、ソレも調べるため、来ました」
    「ほう……」

     

     ……ジュリアの悲運は、怪しく光った眼鏡の向こう側に、彼の眼差しが隠れてしまっていたことだった。
     少女のそんな、好奇心と探究心を向けられた青年は。

     

    「ぃぃぃいいいいいいでしょぉぉうッッ!」
    「……!」

     

     突然、拳を握りしめて、腹の底から声を出した。
     少女の肩が跳ねたことに構わず、言葉への気遣いも忘れて語りだす。

     

    「私の信奉するメガミは社会学及び弁論を象徴なさるシンラ様と、風や雷といった自然を象徴なさるライラ様でありますこのお二方を何故私が選んだか! そう! お二方の権能が私の生き様、その理念に実に! 即しているからです。ご説明しましょう」
    「ォォ……」
    「人の営みとはとても高度な知的活動の結果成り立っていますしかし! その中で人は自然の中に生きる獣としての本分を忘れることはできません。連綿と続いてきたこの歴史において、人は、自然と生きてきた中で培われてきた知識を活用することで今の姿であることができています。……ですが悲しいことに、人は己を特別なものと動物と区別し始めて久しい。己は森に生きる獣ではないのだと。己はもっと高尚な生き物なのだと」
    「ぇ……ぁ……ジッサイ、ミコトの存在自体、他の生き物と人間、違う証拠なってると、コノ国の話聞くと思いますが……」
    「ちがァァぁぁぅうのですッ!!!」
    「ひっ」

     

     ジュリアの冷静な指摘に対し、先程野盗を蹴散らしたとき以上の興奮で以って佐伯はさらにまくし立てた。

     

    「何故そこで歴史を振りかえらない何故そこで無意味な自尊心を育てる! その人として積み上げられてきた知識! 獣として備わっている知恵! それらを一つにすることで、人間という生き物はさらなる高みへ登ることができる! 私はそう信じています。だからこそ、知識ある社会的動物であるためにシンラ様を、自然の存在として知恵を研ぎ澄ませるために、獣性をお持ちになるライラ様をそれぞれ信仰しているのです! おわかりですか!!」
    「ア、アノ……」
    「もしかしたら外聞だけで、ジュリアさんはメガミのお力がどのようなものか勘違いなさっているのかもしれない。ああ、こんな鍛錬用ではなく、お二方の顕現武器をご覧になるだけできっとご納得いただけるはずです。天地の書も、雷螺風神爪も、その有り様を感じ入らずにはいられない佇まい、お国で後世まで是非語り継――」
    「アノ! ごめんなさい、早い、分からない……」

     

     そこでようやく、相手がやや怯えの色すら伺わせていることに佐伯は気づいた。口角泡を飛ばしていた己を改め、居住まいを正す。

     

    「……大変失礼しました」
    「ウン……ワタシも、ごめんなさい……」
    「メガミ様方も大切ですが、今はこの場を脱する方が先決でしたね。そもそも何故ジュリアさんはこのようなところへ?」

     

     ちらほら呻き声が聞こえ始めた周囲に目を配ると、それに倣ったジュリアの顔がこわばる。ただ、彼の問いに答えようとした途端に上げた微かな悲鳴は、決してこの場にいる下手人たちだけに向けられたものではないようだった。

     

    「ワタシ……捕まって、逃げて、ここまで……」
    「なんと! ではひとまず、安全なところまでお連れせねばなりませんね」
    「アリガトございます……でも、一人いない、探してます」
    「お連れ様とはぐれてしまったと?」

     

     頷くジュリアは、気を紛らわすように自分の毛先を手慰みにしていた。

     

    「ワタシの、付き人……? です。キット、心配してます」
    「ふーむ、しかしご覧の通り最近は物騒ですからねえ。探すとしても、こんな人気のないところに女性が一人で居れば、それだけで狙われかねません。ましてや貴女のような異国の方ともなれば……」

     

     もう一度同じことが起きるだろう。言葉の達者でないジュリアであっても、その先は想像できた。
     佐伯としては、場違いなこの異邦人に対して湧く知的好奇心を満たしたい欲求に駆られていた。お互いそうであろうとは、彼女の渡航の目的を考えればそう予想するに容易い。できれば皆に黙ったまま客として迎えたいくらいだ、と歯噛みする。
     そう、彼は今、ジュリアに構いっきりになれる状況ではなかったのだ。

     

    「では、こういうのはどうでしょうか。お探しになるにしても、安全面からも効率面からも、人の多い所に居るのが一番です。私が近くの村落までお送りしましょう」
    「ホントですか!」
    「ええ。しかし、それには条件があります」

     

     ほころんだ顔がまたこわばったのを見て、少々言葉選びを間違えたかな、と反省しつつ佐伯は続ける。

     

    「私には今、やらなければいけないことがありますので、それが済んでから、ということでしたらお手伝いできるでしょう」
    「もしかして、迷惑、でしたか……?」
    「とんでもない! 幸い、用向きというのは、ここから半日もしない所にある陰陽本殿という遺構の調査をすることだけです。ずっと昔に使われなくなった神殿……のようなものを調べるだけなので、危険もないでしょうし、お連れ様をそう待たせることもないでしょう。それでジュリアさんがよろしければ」

     

     にこりと、先程の弁舌が嘘のような微笑みだった。

     

    「しん、でん……」
    「そこはメガミ様ととても関係の深い場所です。もしかしたら、貴女の調査のお役に立つかもしれませんね」
    「……! 嬉しい、よろしくです!」
    「よかった! では日が暮れないよう、参りましょうか」

     

     なんとか不安を少しは拭うことができたというような、ぎこちない彼女の笑み。その裏にあるものへ想像を巡らせる佐伯は、自分が把握しているよりも世の中は大きく動いているのではないか……そう、好奇心の陰で憂うことしかできなかった。
     少女の小さな歩幅に合わせながら、佐伯は一路北へと向かう。

     

     


     この地の多くの人々は、メガミへの信仰を持っている。もちろん、その度合いは人による。
     カナヱはメガミとして信仰には当然感謝もしている。でも、あれはちょっと……例外かな。
     ああいうのを何と言うか分かるかい? 狂信者さ。
     いいか、君はああはなるんじゃあないぞ。いいな?

     

    語り:カナヱ
    『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
    作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

     

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    『桜降る代の神語り』第25話:武神ザンカ

    2017.06.23 Friday

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       幸いというべきか、生家より発った天音揺波の旅路に、これといった波乱はなかった。
       明瞭さを欠いた同行者との間に諍いが起こることもなかったし、いっそ虚しさを覚えるほどには順調だったよ。
       一つ夜を越え、朝日と共に山を越え。
       彼女は、捜し物の果てにザンカの社へたどり着く。

       

       


       背後の山から吹き下ろすように、荒涼とした大地が広がっている。茶けた地面から乱雑に伸びる雑草も、どこか肩を落としているよう。さらにはしばらく雨も降っていないとなれば、ひび割れた土の底から飢えを訴えているようにも見えた。
       しかし、それらよりもなお、この地に淋しさを与えているものがある。
       無数に遺棄された武具。主なく、あるいは主だった物と共に朽ちるだけの道具たち。
       今や草木の拠り所にすらなっているそれらは、その昔、ここが血で血を洗う戦場であったことを告げていた。

       

       そんな戦場跡に、一箇所、ぽっかりと天に向かって口を開けている場所がある。周囲には穴を覆っていたであろう建造物の残骸が、すっかり虫に食われた状態で散らばっていた。下へ繋がる石造りの急な階段も、時間についていけなかったように土埃を被り、風化していた。
       揺波はそんな階段を下りきった奥に、見覚えのある光景が広がっていることに安心した。

       

      「じゃあ……行ってきますね」

       

       地上から覗き込んでいた千鳥にそう告げると、一歩一歩踏みしめるように前へ進む。
       幾許かすると、行き止まりになっていた。それも、揺波の記憶通りだった。違うことがあるとすれば、前は随分と広く感じられたこの洞穴が、飛び跳ねられないほどには手狭だった、ということくらいなものだった。
       もう衝立としての役割を果たせていない障子戸の先。そここそが、彼女の社である。

       

      「よっ……と」

       

       持ち上げるようにして戸を退けた、その奥。
       地上からの光が、辛うじて潰えるか否かという位置に、彼女はいた。

       

      「えと……お久しぶり、です……?」

       

       揺波の視線の先にあったのは、地面に突き立つ一本の刀。何千何万と打ち合ったように刀身を欠けさせたそれは、纏った紙垂を朽ちさせながらもなお、凛として洞穴の最奥にあった。
       それは、彼女であって、彼女ではない。
       揺波の言葉が外へ抜け出ていってしまってからしばらくして、暗がりであった社の中を、淡い光が照らし始めた。

       

      『――な…………ゆり、な……』

       

       それは、彼女の御神体である刀から発せられたものであった。まるで、無骨に闘いの激しさだけを物語る刀身に映ったその向こう側から、薄闇に佇む愛しき者をよく見たいがためのようだった。
       芯の強くも憂い疲れてしまった女の声は、けれど抑えきれない喜の感情を端々に滲ませながら、次第に揺波へとはっきりと伝わってくる。

       

      『ああ、揺波……我が同胞よ、久しいな……』
      「はい……」

       

       メガミ・ザンカ。武を司る存在にして、多くのミコトがその前に散っていった武神。
       短くない歳月を経て再び間近でまみえることとなった揺波は、彼女の声に安心感を覚えつつも、不思議と懐かしい気分にはならなかった。

       

      『嘗てなれの迎えし試しより幾星霜、諸々の艱難辛苦、ひいては零丁孤苦、見事打破し、再び相見えようとは……。我が魂、その芯底より湧き上がる歓喜は雀躍を抑えるも能わぬ』
      「…………」
      『此地、此時、飽くまで言祝ぎ、なれの歩みを――揺波……?』
      「は、はい」
      『どうした……? 我が言の葉は、然と届いているか?』

       

       いえ、と小さく首を振った揺波。いくらか言葉を探すも、観念したように口端に僅かな笑みを乗せながら、少し困ったように返す。

       

      「ザンカの言うことって、やっぱり難しいな、って……」
      『…………そう、か』
      「あ…………」
      『…………』

       

       気まずい沈黙の中、両者は言葉を作れずにいた。社の仄暗さも相まって、会話の糸口をどこか暗がりへやってしまったようだった。
       そしていくらか経って二人は、

       

      「あの!」『揺波よ』

       

       重なった声が消え、再びの沈黙。
       ただ、今度の沈黙はそう長くは持たなかった。

       

      『なあ、揺波よ。我はずっと、そなたの闘いを見ていた。そんなそなたと、また言葉を交わすことができて……そなたに会えて、嬉しいのだ』
      「えっ……あ、わ、わたしも――」
      『ただひたすらに勝利を見据え、間断なくそうあり続けるその姿、今も変わらず……いや、尚高まるその有り様。地を駆ける星と評して過言にあらず。かの頂きにあった龍の輝きが失われた口惜しさ、堪えうるものではないが……しかしてそなたとの一戦、御魂の沸き立つような思いであった……!』
      「えっと……」
      『……すまない』

       

       再び言葉を選び始めたザンカの前で、揺波は苦笑いしながらも、彼女の言葉が自分にきちんと向けられていることに嬉しくなった。それは決して揺波の中にぽっかりと空いた穴を埋めてしまえるものではなかったが、自分に残されたものが、そう思っていただけの幻想ではないと確かめられたことは、揺波の心を気持ち程度でも軽くしたことに相違なかった。

       

      「ううん、ありがとう……見守ってくれてた、ってことですよね?」
      『揺波……』

       

       言葉が多すぎたり、少なすぎたりすることはあったが、もう、気まずさはなかった。

       

      『そうだ。我は、そなたの歩みをいつだって見ている。そなたが武の極みに至るその時まで、届くことがなくとも、我は尽きぬ声援を送り続けよう』
      「武の……」
      『だからこそ……!』

       

       顔を曇らせた揺波の言葉を遮った声は、鋭い叱咤のようであり、その実、諦観の先に芽生えた慈悲を孕む許しのよう。

       

      『だからこそ、我は知っている。だからこそ我は、憂いている。そなたが今、歩むべき道を見失っていることを。……それを、我は、悲しく思う』
      「ザンカ……! あの、ここに来たのはザンカのことなんにも知らないからで、わたしがなにをしたらいいか全然分からなくて、だから、おうちなくなっちゃったし、お父様も見つからないし、皆、なくなっちゃって、ザンカだけ……だから…………だから、またザンカに会ってから考えよう、って……!」
      『まあ落ち着け』

       

       くつくつ、と抑えた笑いには、どこか安堵が隠れていた。

       

      『ならば話をしよう。我について、そして、そなたの見失った道への標となれるよう、桜花決闘について。長い話になるやもしれんが、知る限りの全てを、我が同胞に語って聞かせよう』

       

       刺さった刀の真正面に座す揺波。それに満足そうに声を漏らしたザンカは、唯一自分を宿してくれるミコトが理解できるよう、努めて平易な言葉を探しながら語り始める。

       

      『それは今より昔も昔。ミコトたちが我らの力を何処でも借りられた時代のこと――――』

       

       

       

       


       ザンカと言えば可能であれば関わるべきでないメガミの一柱である。それは、千鳥がミコトでなかったときから知っている程度には、戦いというものに縁の深い存在にとっての常識である。ましてやここはその社、血を見るような事態を想起してしまうのは当然だった。

       

      「お、終わったか……!?」
      「お待たせしました」

       

       

       だからその使い手である揺波であったとしても、ここから離れる理由がようやく手に入るのであれば歓迎する他ない。彼がここに来た原因であっても、だ。
       階段から上がってきた揺波を見て、まずは無事であったことに胸をなでおろす千鳥は、曇り空のようであったその瞳にやや光が差していることに気づいた。纏う雰囲気も、以前彼の見た戦闘中の彼女のようとはいかずとも、幾分ハリを取り戻しているようだった。

       

      「どう……って言い方も変だけど、どうだった?」
      「うーん……やっぱりザンカはザンカでした」
      「は……?」
      「やっぱり難しいことはよく分かんなくて」

       

       大きく伸びをした揺波。腰に佩いた刀の柄に手を当てて、今自分が出てきた穴の、さらに奥を見つめる。

       

      「でも、ちょっと元気が出てきた気がします。分かんないものは分かんないまんまですけど、そんなわたしを見てくれて、応援してくれてるってことはちゃんと分かりましたから」
      「おう、えん……? そ、そっか、それはよかった……」
      「とりあえず、分からないことが分かるまでこのまま歩いてみようかな、って。ザンカに色々聞いて、そう思いました。千鳥さんのお仲間さんのこともありますし」

       

       そう言う揺波は、自分の言葉の指すものを思い出したようで、一瞬顔を伏せた。
       千鳥の導きによって、裏側に潜んでいたものの邪さに至ってしまう彼女の姿を目の当たりにする可能性は十分にあった。千鳥にとって、任務と解釈できる余地のある現状が、とても幸運に思えた。

       

      「じゃあ里まで急がないとな。……ってところで悪いんだけど、これから任務で南に下らなきゃいけない。ああ、里は西のほうね」
      「えーと、どっちだろう……」
      「あっちあっち。ちょっと戻って街道をずっと下る感じかな。陰陽本殿跡っていう、咲ケ原の端っこにある遺跡なんだけど、ここからならどんなに遅くても一週間はかからないと思う」
      「よかった。では行きましょうか」

       

       歩き始めた揺波の脚が、心なしか来る時よりも急いているように千鳥には見えた。けれどそれは、戦場跡を行く彼女の足取りが、散らばる兵たちの遺物を越えていく相応しさを最低限取り戻したようで、全く窘める気にならなかった。
       稀代のミコトを導き、千鳥は一路南へと向かう。

       

       


       天音揺波は自らの宿すメガミ、ザンカの下を訪れた。
       残念ながらその邂逅だけで、天音揺波が救われ、全てが改められるなどはありえない。
       君は彼女たちの会話が不十分なことに不満を感じているかもしれないね。
       けれど安心してほしい、もちろん、然るべき時には語らせてもらうさ。
       そう、天音揺波が大きな一歩を、自らの求める道へ踏み出す時に。

       

      語り:カナヱ
      『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
      作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

       

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      『桜降る代の神語り』第24話:渦中へ

      2017.06.16 Friday

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         今度こそ、あの闇昏千影に相対することとなった氷雨細音。
         決闘ではない死と隣り合わせの戦いを繰り広げる彼女を、磨いてきた武は裏切らなかった。
         飛び交う苦無や針を冷静に捌いて、狭い森の中、闇昏千影に対して猛攻をも仕掛けている。
         そう……氷雨細音は、恐るべき毒使いを相手に優勢に立ち回っていたのさ。

         

         


         鋭い踏み込みと共に、八相の構えから振り下した刃。素直に相手を叩き割ることはなく、柄の運びによってそれは脛を断ち切る弧を生んだ。

         

        「ぃひッ……!」

         

         飛び退っての回避を選んだ相手から漏れる小さな醜い悲鳴の影に、尖った何かが空気を裂いて飛翔するか細い音を細音は捉える。
         刃を戻すことは諦め、余剰の勢いを利用して身を低くしながら、薙刀を逆立てるように自身の盾とする。細音の横顔を狙っていた苦無は、横っ面を張り飛ばされたように柄に弾き飛ばされた。

         

         あからさまな舌打ちに対して、細音は幾度となく流した冷や汗を拭った。
         細音にとって、飛び道具というものはよほど速度と物量がなければ当たるものではない。投擲されたその瞬間に生まれた音を聞いて、着弾する位置がかなりの確度で分かるからだ。さらにそれを捌くために必要な力は十分に備わっているとなれば、メガミの力をろくに借りられない者の飛び道具はまず打ち払うことができる。
         だが、細音の肝を冷やしていたのは、襲撃者の使う獲物がただの鋭利な飛び道具であるわけがないという、半ば確信に近い予想であった。

         

        「あぁァ……っ! なん、でッ!」

         

         隠すこともなくなった苛立ちと共に、人を貫けるほどの針が仕向けられ、そして薙刀に叩き落される。
         決闘のような力を発揮できないという条件は細音も同様であった。そしてそれは、結晶による守りは期待できないという後のなさと、いつまでも正確に打ち落とせるとは限らないという現実を意味している。
         振り回す音によって獲物の形状は分かっても、それによる傷がどれほどのものになるかまでは把握できない。そしてその懸念は、彼女が対峙している千影が毒使いであるという時点で正鵠を射ていた。

         

        「…………」

         

         故に細音は、攻め得るほどには技量の優位を自覚していても、相手の焦燥を好機と見て一気に決着をつけることはできなかった。
        お互い、一撃で勝敗が決する。
         決闘のように自分の身そのものを考慮する必要のない場とは違い、たった一手の誤りが死に直結する。慎重を期すのは、もはや命ある者としての義務ですらあった。

         

         と、樹を盾にした千影をどう攻めたものか、考えあぐねていた細音の背に、鳥肌が走る。

         

        「な……!」

         

         千影の位置から、細音が今まで味わったことのない、それこそ千影のどろりとした殺気を何倍にも濃縮したような気配が発されたのである。
         何より彼女を驚愕させたのは、それはメガミの力なのだというミコトとしての直感。
         襲ってきた悪寒が理屈を全て吹き飛ばすほどではなかったのは、その力の禍々しさには相手の殺気が見合っていないという、まだそれが明確に自分に向けられているわけではない幸運を信じられるだけのか細い感覚のおかげだった。

         ……ただ、そこへ光明を見出す前に、細音は再び薙刀を強く握りしめることになる。

         

        「まだ仕留めていなかったのですか」
        「チッ……」

         

         千影のさらに奥から発された、聞き覚えのある男の声。
         細音がここへ来た理由……その中核。

         

        「五条……やはりあなたは……」

         

         小綺麗な容姿も、傲慢さの燻る理知的な雰囲気も、細音と会ったときから変わらないその男は、身を隠す千影の横を通り過ぎ、細音の前に身を晒した。些事に煩わされることへの微かな不満が顔に滲んでおり、およそそれは殺し合いに乱入する者の態度ではなかった。

         

        「まあ、貴女のことだ、殺していなかっただけよしとしましょう。少しでも遅れていたら、骨折り損になっていたようですがね」
        「ぅるさい! ……ですよ。あ、あ、あなたに何が分かるっていうんですか!?」
        「はぁ……。少なくとも、早めに作業は終わらせるべき、ということは分かりますよ」

         

         千影がそれに答えることなく、細音の背後を取るように大きく回り込む動きを取った。
         無論細音はそれに反応するも、目の前の男は実力も獲物も実際未知数。故に判断を迷い、どちらにも対応できるよう中段に構える。

         

        「よろしい!」

         

         言葉と共に、五条が何かを構えて一直線に駆け込んでくる。

         

        「く……!」

         

         相手が二人になった時点で、もはや細音には、活路も、退路も残されていなかった。
         安全圏に逃れた千影が、水を得た魚のように狙いを済ませて苦無を次々投げてくる。下がりながらなるべく身のこなしでかわし続けようとするも、わざとらしい正中を狙ったそれは、薙刀で払わざるを得なかった。
         大きく払い、そして獲物を叩きつけてこようとする五条の打撃への牽制に代える。それは、一瞬に二つを捌くための後手であり、詰みへの布石でしかないのだと歯を食いしばりながら細音は悟る。

         

         転じて襲ってくる攻撃がなければ、千影はさらに投擲を重ねるのみ。
         それをさらにもう一度捌いたところで、無理な体勢になってしまうのは必然だった。
         踏み込んでくる五条に対応しなければならなくとも、そのための何もかもが、彼女から失われていた。

         

        「がッ――」

         

         五条の打突を脇腹に食らった細音に、全身をくまなく駆け巡る刹那的な痛みが襲う。
         細音に理解できたのは、それは打撃というよりは、獲物を身体に押し付けることを主としていたような衝撃であったこと。そして、そんな痛みをもたらす武器には心当たりがないということ。

         

         自分が地面に倒れたことを理解する前に、細音の意識は闇に落ちた。

         

         

         

         

         


         肌で感じる不快な生ぬるさ。カビに囲まれているような空気の悪さ。処分すべきものをどこかに放置しているとしか思えない悪臭。
         細音が次に目を覚ましたのは、そんな誰にでも分かる劣悪な環境下であった。

         

        (冥土への道なのだとしたら、未練のない者でも引き返したくなるでしょうね)

         

         この先にはもっとひどいものが待っている……そんな予感を抱かせるには十分であったが、それを自分で冗談だと思える程度には、細音の思考は取り戻されていた。
         床を触ったり叩いてみたり、状況の把握を始めた細音は、ここが粗雑な石造りの小さな空間でありながら、一面は開放されていることに気づいた。嫌な気持ちになりながら、その一方に手を伸ばすとそこは格子になっており、不必要な不衛生さと合わせて、ここがどこかの地下に存在する牢獄であると結論付けるには十分であった。

         

        「あぁ……」

         

         壁にもたれかかり、天を仰ぐ。
         元より不穏なものを感じ取ったからこそ龍ノ宮領に赴いていたわけだし、明らかに怪しい五条を調べるのに覚悟がなかったわけではない。捕まってしまったことそのものについては、自分の不甲斐なさに反省するばかりであった。
         しかし、どことも知れぬ場所に閉じ込められたと理解した直後に、彼女が悲壮感で塗りつぶされることはなかった。

         

        「もうっ! 皆して、なんて……」

         

         事ここに至ってなお、細音は自分を襲った二人に憤っていたのである。
         以前彼女が揺波に癇癪玉を使われたときと同じく、自分一人に対して二人で襲ってきたり、そもそも遠くから毒針を投げてきたりした連中のことを卑怯だと断じていた。無論、本物の殺し合いであったとは理解も納得もしていたが、それでも細音はその卑劣さに拳を震わせる。

         

         またか、と最近ずっと頭に居座っている悩みを反復する。
         決闘では古鷹に勝利への貪欲さが足りないと言われ、実際その通りだった。舞台が殺し合いになっただけで今回も構図は一緒だ。卑怯とはつまり、勝利という目的に貪欲なあまりに手段を選ばなかっただけ。殺すことに忠実だった二人と比べてしまえば、その意思の弱さが起因となって毒牙にかけられたという筋立ては、至極真っ当なものに細音は思えた。

         

         打倒する意思、殺意、勝利への執念――それらが欠けていることそのものが、己の至らなさなのではないか。
         こんな目に遭っても、悩みへの答えが変わることはなかった。
         それどころか、命がけの戦いという、武人にとって貴重な機会であったことは間違いなかったのに、と得るもののなかった己にさらに反省する始末であった。

         

         そこへ、

         

        「おねーさん」

         

         軽薄な男の声を細音の耳が捉えた。
         声色からしてろくな人間ではなさそうだ、と細音は音源の位置から、通路を挟んで反対側に自分と同様に捕らえられているであろう彼のことを無視することにした。
         しかし、男は諦めずに語りかける。

         

        「おねーさん、ってば。ちょっと冷たくない? オレっち、おねーさんのことずっと心配してたのにそりゃーないっしょ」
        「…………」
        「野郎ども、おねーさん意識ないってのに適当にぶち込んだもんだから、まーた美人台無しにするような真似しやがって、ってさ。いや、別に直接文句言ったわけじゃないんだけど? 言ったところで誰も聞いてくれないぽいんだけども?」

         

         聞き流したところで男が口を閉じる気配はなさそうだった。このまま放っておけば一日中喋り続けていそうな雰囲気は、久遠と相手をしていた酔っぱらいたちとは一線を画していた。

         

        「……何かご用ですか」
        「おっ! いや用ってわけじゃないんだけどさ。あ、オレ、 楢橋平太 ならはしへいた 。平太って気安く呼んでくれちゃって構わないからさ! いやーちょっと前までおしゃべり相手だった子がいなくなっちゃったもんだから、退屈でしょうがなくて。おねーさんお名前は?」
        「はあ……氷雨細音と申します」
        「細音サン! キレーな人は名前もキレー、ってオレそれ知ってた知ってた!」

         

         いちいち話し方が癪に障る男だったが、人物評に感情を交えられるほど今の細音は余裕ある立場にない。彼の言が正しければ、自分より前に投獄されていた人間のことを知っているくらいには、ここに長く居ることになる。軽薄さも、口の軽さを思えば悪いものではなかった。
         脱出するにしても情報が必要なことには変わりなく、それ以外にすることも見つからない彼女は、現状の把握のために彼に付き合ってやることにした。

         

        「楢橋さん。あなたはここがどこなのか、ご存知ですか?」
        「だから名前で呼んでくれてもいいって言ったのにー。へ・い・た! へ・い・た!」
        「……平太、さん」
        「さん付けも――って、ごめんごめん! さん付けでもいいからそんな顔しないで!」

         

         手元に薙刀がないことを嘆いたところで無駄だった。

         

        「おねーさん、この町の人じゃないっしょ?」
        「は? ……え、えぇ、そうですが」
        「分かっちゃうんだよねー。……ここって、城下からちょーっと行ったところにある地下牢でさ。いつもは町の牢に入れられるんだけど、なーんか最近になってやたら使われ始めたんだよねー。別にさ? 向こうがなくなっちゃったわけでもないだろうし。しかもしかも、普段ならとっくに出してくれる頃なのに、もう何日目かも覚えてない……! そんな憐れな平太クンなのでした」
        「いつも、って……あなた何をしたんですか」
        「いやいやいや。ほんの少し、持ち合わせがなかったから拝借しただけ! ホントホント!」

         

         呆れる細音だったが、思ったよりは遠くに連れ去られていたわけではないことを知り安堵する。ただ、その安堵の先にあるものをたぐろうとして、やめた。
         平太は加えて、やたらと来る巡回に、乱闘騒ぎでもあったかのような大量の投獄……そんな事態にただならぬものを感じていたことを打ち明けた。

         

        「細音サンもその一人だった、ってワケ。これ絶対なんか起きてるって分かってるんだけど、見廻りは教えてくれねーし、正直ビビってたんだけど――外で何かあったの? ってか細音サンなんか悪いことしたの?」
        「してません! 少し不覚を……いえ、卑劣な罠にかけられたのです!」
        「うわぁ。女の子っつっても細音サンミコトっしょ? 思ったより大事? もしかしてお城攻め落とされたとかそんな?」
        「あなた……もしかしてあの大火より前からここに?」
        「大火……? え、嘘、町燃えたの?」

         

         その驚きの声に偽りの色がないと知ると、細音は小さく嘆息した。
         前提が食い違いすぎていても支障が出るとして、細音は情報の対価代わりに龍ノ宮殺害とそれに伴う混乱の様子を言って聞かせた。平太は飄々としていた表情を曇らせていたが、たとえ細音にそれを知る術があったとしても構うことはなかっただろう。

         

        「私は暗躍していると思われる者の影を追っていたのですが、二人がかりで襲われ、ここへ。恐らくですが、大勢新たに拘留されたというのは、私と同じく罠にかけられた無実のミコトたちでしょう」
        「流石にそんなことになってるとは思わなかったっす……」
        「そう、ですね。町の方たちが、気づいてくれればよいのですが……」

         

         あるいは被害が拡大する前に、自分が企みを打ち砕くか、脱出して警告する必要がある。しかし大勢のミコトを捕らえたということは敵の実力が相応だということであり、考えなしに逃走を図ったところで今度は本当に命が危ないかもしれない。
         そういえば、とそこで細音は、平太の言葉で引っかかっていたことを問う。

         

        「先ほど、前まで話し相手だった方が居たと言っていましたが」

         

         いなくなったのだとしたら、黒幕の意図通りにしろそうでないにしろ手がかりになる。そう考えての問だった。

         

        「そうそう! 何日前だったかなー……いやもう分かんないんだけど、細音サンが来る前はそこに別嬪さん二人組がいたんだよ。細音サンも結構見た目他所の人、ってカンジだけど、あの子たちはどこの出よー? ってカンジでさ。銀髪に……色黒? って言っていいのかな。あんな濃い肌初めて見たわー。あんまりにも変わってるもんだから、最初はもしかしてどこぞのメガミ様ですかよ、って思ってたんだけど、まあこんなところにメガミ様いるわけないわなーって話よな」
        「その方たちはどちらへ?」
        「さあ……オレも分かんないんだよね。気がついたらいなくなってて。――ああ、違う違う! 別に意地悪してるとかじゃなくて、寝てる間にそこ空っぽになってたんだもん。片っぽの子泣きっぱなしだったし、もう片っぽの子もその子庇ってめっちゃ泣きそうになりがらピリピリしてたもんだから、結局名ま――」

         

         平太の証言は、そこで断ち切られることになった。

         

        「おいてめェ!」
        「……!」
        「くそッ、放しやがれってんだ! 俺様を誰だと思ってやがる!」

         

         怒号が、いくらか離れた牢から地下に響き渡る。
         荒事の到来する確かな予感。細音の耳が捕らえたのは、その怒号を皮切りにして数名がどこかへ連れて行かれる様子だった。解放を訴える声は五条の集められたミコトたちで違いなく、その中には細音が倒した山岸という名のミコトも含まれていた。
         ただ、細音の耳は、叫び以外の音も拾っていた。

         

        「この騒ぎですら起きていなかったのなら、どうしようかと思っていましたが……」

         

         足音の特徴に加え、その声まで届いたとなれば間違えることはない。
         そそくさと奥へ引っ込んでしまった平太とは対照的に、その人物を細音は檻の際から光の映らない目で睨め上げた。

         

        「五条……!」
        「ふふ、どうやら大事ないようで安心しました」

         

         他の牢に目もくれることなく細音の牢の前で立ち止まった彼は、以前にはつけていなかった小ぶりの眼鏡を通して、彼女を見下してはにやにやと笑っていた。

         

        「何をするつもりですか、この卑怯者め」
        「ほう……必要以上に大人しくなられていても困りものでしたが――」

         

         そこで言葉を切った五条は、突然その笑みを獰猛なそれへと変貌させる。そしてわざとらしく大きな音を立てて格子を掴み、間際にあった細音の顔と己の顔を突き合わせる。
         嘲るように絞った声が、もはや彼は仮面を脱ぎ捨てたと示していた。

         

        「まあ焦るな……その卑怯者に負けたという汚名は、すぐにでも雪がせてやるのだからな」

         

         ははは、とさも愉快そうに笑う五条は、細音の顔に困惑の色を見て取ると、牢から離れ、さらに告げる。

         

        「そう、決闘だ。何をするつもりかと訊かれれば、私と決闘してもらいたい、と答えよう」
        「なん……」
        「安心したまえ。正真正銘、本物の桜花決闘だ。桜のないあの場で二人がかりで襲ったことが卑怯と言うのなら、喜べ! 君は雪辱を果たす機会を与えられた。そしてその決闘は、私の望みでもある。お互い、得をしているだろう? 無論、勝てば解放してやる」
        「…………」

         

         くつくつ、と可笑しさを漏らしたように口元を抑える彼の言葉は、あまりに予想外な提案であった。最も自信のある決闘であれば、と思わぬ好条件に希望が湧くが、その希望すらも作り物のようでしかなく、細音は足場を外されたように戸惑うばかり。

         

        「まあ気楽に臨めばよい。どうせ私が勝つと決まっているのだからな」

         

         そんな細音を背後に見送りながら、五条は高らかな笑い声を響かせて去っていった。
         きちんと告げられたはずなのに、目的がさらに分からなくなった。疑念渦巻く細音の脳裏には、桜の前で勝利に笑う五条という、縁起でもない光景がよぎっていた。

         

         


         状況も把握しきれぬまま、突然決闘を申し込まれた氷雨細音。
         あまりにも奇妙な五条の提案に、彼女は困惑の底へと突き落とされていった。
         自らの道をさらに行く旅路でもあったというのに、暗躍する影は容赦してはくれない。
         彼女にとっての、ひとつの試練が始まろうとしていた。

         

        語り:カナヱ
        『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
        作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

         

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        『桜降る代の神語り』第23話:死の自覚

        2017.06.09 Friday

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           路銀をなくすなんてことをやらかした武神の話をしよう。
           とはいえ、天音揺波の旅はそれを除けば実に平穏だった。一週間ほどで無事、我が家への帰還を果たしたんだ。
           だけどたどり着いたところで、彼女が安寧を得ることはもちろんなかった。
           天音揺波を出迎えたのは、燃え尽き、朽ち果てた無残な屋敷の姿だった。

           

           


          「ぇ……」

           

           

           黒いたくさんの何かが、僅かばかりの秩序の中で折り重なっている――揺波には、目の前の光景を記憶と照らし合わせることがうまくできないでいた。
           いくらか崩れ、焼け焦げた程度で済んでいた天音の家の塀と門。その存在によって、中に広がっている物が、この土地の領主の屋敷であり、何より自分の生家であることがようやく認識できた。それでも、理解も納得もできるわけがなかった。

           

           ここは確かに、揺波の目的地であった。
           けれど、目の前の物は、求めていた何かではなかった。
           それを知っていて、確かめるために一人で戻ってきたというのに、目の当たりにした光景は彼女の頭の中から滑り落ちていく。

           

           屋敷が崩壊したことによって、門を通した景色は変わってしまっていた。それが、ひょっとしたら何かの間違いなんじゃないか、という考えを揺波に起こさせる。けれど、つい、と目をそらしただけで見えてくる山並みが、森の木々が、豊かな畑が、領民の家々が、ここが今までずっと暮らしてきた場所だと教えてくれた。

           

           記憶と現実の狭間に足を取られたまま立ち尽くす揺波を、高い空に昇った太陽が、彼女の思い出そのままに歓迎している。
          と、そんな揺波の視界の端に、動くものがあった。

           

          「ぁ……だれ……?」

           

           塀の陰から出てきたのは、果たして女であった。呆然としていた揺波は、門からやや離れたそこが、巨大なものがぶつかったように大きく抉れていたことに遅ればせながら気づいた。
           その女は敷地の外を警戒していたようだったが、こちらに気づくと一瞬身構え、そして揺波だと分かると小走りで寄ってきた。

           

          「揺波様っ!」

           

           間近になってようやく、それが特に世話を焼いてくれた女中の高野だということに思い至る。割烹着姿でなかったのと、何より何事にも動じなかった彼女が心底安堵したような表情を浮かべていたものだから、今の揺波が思い出すには時間を要した。

           

          「ご無事でいらっしゃいましたか……!」
          「うん……」

           

           荷を持っていなかった左手が、高野の両手に包み込まれる。

           

          「お怪我はございませんか? 旦那様はご一緒では? そのお荷物、まさかお一人でお戻りになられて……?」
          「うん」
          「あぁ、さぞ大変だったでしょう。ちゃんとご飯は召し上がられていましたか? お風邪などひきませんでしたか?」
          「うん……」
          「それで、あの……」

           

           ばつを悪くしたように言い淀んだ高野。その目は遠慮がちに、家だったものを捉えていた。
           それで揺波は、計画通りに確かめることができたこの光景が、間違いなく現実であるのだとようやく実感が湧いてきた。すると途端に、自らの手足が震えていることに意識がいった。聞きたいことは色々あるはずなのに、言葉にする前に、心までもが震えて考えがまとまらなくなってしまう。
           そしてそれは、全てを飲み込んだ女中の言葉によって、明確な理解へと変わる。

           

          「おかえりなさい、揺波様。もう……大丈夫ですから」
          「うん――ううん、違うの……大丈夫、じゃ……」

           

           つ、と揺波の頬を涙が伝う。
           嗚咽こそ漏らさなかったものの、身近な者の前で普段通りに朗らかでいようとし、けれどちぐはぐになったように瞳だけが笑うことができないでいた。

           

           天音家は、滅んだ。
           あの日自分の代わりに、ヒミカの獄炎に焼き尽くされて、天音は死んだ。
           揺波が味わうはずだった死が、焼け落ちた屋敷という形となって現れていた。
           それがどうしようもなく正しいのだと、ただ気休めを述べることしかできない高野の疲れた顔が、言外に告げていた。

           

           天音の屋敷以外の敷居をほとんどまたいだこともなかった子であった揺波にとって、この喪失感は計り知れないものであった。それこそ、身を震わせていた記憶の中のヒミカの殺気すらも、現実と理解した矢先にぽっかりと空いた奈落に消えていってしまったほどだった。
           自分は生きているのに、死んでしまったような。
           大変な失くしものをしてしまって、もう二度と取り戻せないことを知ってしまったような。
           幸か不幸か、揺波には、取り乱すだけの自分も見つけることはできなかった。

           と、そんな揺波の思考を引き戻したのは、努めて事務的な声色を作った高野の言葉だった。

           

          「……そうでした。あまりここに長居しないほうがよろしいかと」
          「えっ……」

           

           唐突な話題に疑問する揺波であったが、説明されるにつれて、それが単に自分にこれ以上悲惨な光景を見せないための配慮だけではないことに気づいていく。

           

          「旦那様、揺波様の行方が知れないと広まるや、盗賊まがいの連中がここに押し寄せてきたのですよ」
          「盗賊……って、もしかして鈴が?」
          「どうやらそのようです。またいつ来るか分かりませんし、私ももう揺波様にお会いできたことですから、様子を見に来るのもやめにするつもりです」

           

           そして高野は、言いづらそうにしながらも、いつも通りの落ち着き払った様子で続けた。

           

          「揺波様。もう揺波様はここに居る必要はなく、自由にやりたいことをなさってよいのです。私とて焼け出された身で、大したこともしてやれず大変身勝手ではありますが、せめて幸せであられますように願っております」

           

           少々口が過ぎました、と付け加えたその顔は、もう完全に揺波の知っている、当主相手にすらあけすけに物を言う肝の据わった彼女らしいそれであった。
           こんな有様であってもなお変わらないものがあるのか、と少し不思議な気分になったが、とはいえ願われたところで揺波はこの先が分からないからこそここに来たのである。もちろん、そのまま応と返してやることはできない。

           

          「どこに行けばいいかも、分からなくて。何をしたいのかも……。ザンカに会いに行かなきゃ、ってことだけは、なんだかそんな予感がしてるんだけど……」
          「……そちらまで、またお一人で?」
          「うん。……って言っても、前は連れてってもらっただけだから、もう詳しい場所覚えてないんだけど」

           

           それは、焼けた屋敷の灰を被ってくすみながらも、揺波の中に燃え残っていた記憶だった。
           高野はじっと揺波の目を見ていたが、やがて観念したように、

           

          「そういうことでしたら、せめて最後に今晩だけでもお世話させてください。どうせその髪、旅の間はろくにお手入れしていなかったのでしょう?」
          「うっ、それは」
          「朝にはちゃんと起こして差し上げますから……」
          「うん……ありがとう」

           

           空っぽになっていた自分の内側から出てきた感謝に、揺波はまた喪失感を覚える。
           正装を着付けられるのが嫌で逃げ回ることも、寝相の悪さで布団を散らかして呆れられることももうない。どうでもよいことだと面倒臭がっていたそんなことも、戦うこと、そしてその理由であった家を失った今では、もう疎む機会も与えられず、自分一人に全てのしかかる。

           

           この空っぽになった場所を埋められるものはなんだろう。
           女中に連れられ行く自身へのそんな問いかけも、がらんどうになった揺波の中に反響するばかりだった。

           

           

           

           


           それから一夜明け、揺波の姿は再び、天音家の門だったものの前にあった。

           

          「…………」

           

           ここに着いてから、彼女は一言も発していない。それは昨日のように再び喪失感に殴りつけられた有様になっていたわけではなく、別れを告げるどころか、「いってきます」という言葉にすらも違和感を覚えていたからだった。
           嘆くことも、決別することもできないほどの欠落は、寝て覚めたところで埋まっているということはなかった。まだ家族は行方が分からないだけだというのに、もうこの地に天音が持っていたものを取り戻すことはできない……そんな漠然とした直感は、むしろ直視した現実が揺波の中で時間を経るごとに固まっていった。

           

           何もかもが途中で終わってしまった。焼け跡は、揺波にとってその象徴となっていた。
           ずっと続くと思っていたものを、無理矢理歪に断ち切られた。揺波にとってはただの失くしものでしかなくて、元の場所に嵌め直せばいいとしか思えないのに、こぼれた何かは見つかりそうになく、見つけたと思ったらばらばらに砕けていた。
           少なからず持っていた希望も、高野という第三者によって、それが見てくれの頼りないものでしかないことに気づかされてしまった。

           

           揺波には物心ついてすぐの頃、ある女中がこっそりくれた人形を父親に取り上げられたことがある。それは直後に竈に放り込まれ、跡形もなくなり、代わりに稽古の量が増した。
           そのときのように、別れを言う暇もなく、ただ離別を受け入れることしかできない。
           当時は強くなるという義務に全てが押し流されたが、今回は喪失に置き換わっただけだった。家と桜の下にしか居場所がなかった彼女にとっては、いくら歪であろうとも、そのようになんとか消化を試みることしかできなかったのである。

           

          「……行こっか」

           

           呟いた出立の言葉は、誰に向けられたものでもなかった。

           

           くるり、と振り返り、右手にずっと広がる畑のあぜ道を目で追う。高野が教えてくれたザンカの社への道は、北の街道に出るためにまずは西へ繋がる街道に行け、というものだった。走り込みで山を駆け回っていたこともあり、揺波と言えどその街道は流石に把握していた。遠征の際にも通った記憶はある。

           

           しかし、新たな旅の第一歩を踏み出そうとした瞬間である。
           揺波の感覚は、誰に向けていたわけでもない言葉を聞いていたような、何者かの気配を感じ取った。
           背後……屋敷に向かって右側に広がっている、林の際だ。

           

          「誰ですかッ!」

           

           鋭い誰何。彼女の脳裏によぎったのは、高野の言っていた桜鈴を狙う盗賊のことであった。刀の在り処を強く意識する。
           ただ……

           

          「あ、ちょっ――ゎひゃああああぁぁっ!」

           

           返答は、若い男の悲鳴だった。伴奏に、がさがさと枝葉をかき分ける音……そして、地面に落ちた音を伴って。
           揺波が振り返って見やれば、林の手前で、黒い塊が蠢いていた。全身黒装束の青年が、茂みに真っ逆さまに落ちた姿だった。

           

          「あ、あの……大丈夫ですか」

           

           ちょうど決闘で向かい合う程度の距離で、いきなり醜態を晒した彼に対し、反射的に刀の柄を掴んでいた揺波の力が緩む。

           

          「えっ、あっ……!」

           

           青年は揺波に腹を見せる格好でもがいていたが、彼女の顔を見るなり目を見開き、血相を変えて跳ね起きた。先程の有様が冗談だと思えるほど機敏に、腕の力だけで飛び退って木影に半身を隠したのである。
           気が緩んだが、どう見ても怪しい。木の上から落ちてきたのは明らかだし、格好も、態度もおよそやましいことが何もない人間のそれではない。あまり強そうではないし、鈴を奪おうなんて考える卑劣な輩と判断するには十分な証拠が揃っていた。

           

          「鈴を盗りに来た泥棒さんですか」
          「はっ……!? い、いや、ち、違う違う! 違うからお願い――いやお願いします、刀から手を離して!」

           

           勘違いで追い立てられては敵わないというように、今度は慌てて揺波の前まで出てくる。
           しかし揺波はそこで、己の見立てを修正した。彼は詰め寄ってきたように見えて、恐れるように揺波の刀の間合いを絶妙に外していたのである。狙っているかはさておき、戦闘技術を持っている人間だと悟る。

           

          「じゃあ、どちら様ですか……?」
          「あぁー……んぁー、っとー……」
          「やっぱり泥ぼ――」
          「待って待って! 言います言います、だからお願いですから命だけは!」

           

           ……青年は、揺波に己を千鳥だと紹介した。
           彼の説明によれば、天音家の跡地を検めていたのは本当だが、それはあくまで野盗の類ではなく、ここで実際何が起きたのかを知るためだという。そこに当事者たる揺波が姿を現したのものだから観察していたのだが、気配を悟られて逃げようとしたら、焦って枝を踏み外して真っ逆さまというわけであった。

           

          「でもなんで、うちを……?」
          「ああ。もう白状しちゃうけど、ここが焼けた理由、それに付随する色んな動き……その裏側の流れを調べるためだよ。俺は下っ端なんで、こうして足で稼ぐ必要があるわけで」
          「裏側、って……じゃあ何か、私の知らない何かが……あった、ってことなんですか……?」

           

           降って湧いた状況に、辛うじて言葉を作る揺波。無論半信半疑でありはしたが、空っぽになった心には、彼の言葉の意味は嫌に染み込んだ。龍ノ宮の首を切ったときの、恐ろしい事態の一端に触れてしまった感触が蘇る。

           

           千鳥はそれに、苦い顔をしながら、慎重に言葉を作った。

           

          「たぶん……な。その物言いは、あんたも薄々、そう思ってた……ってことか?」
          「それは……」
          「期待させたようで悪いけど、俺が直接何かを掴んだわけじゃない。けど……もしかしたら、皆なら、もうたどり着いてるかもしれない」
          「皆?」

           

           問う揺波の前に、千鳥はどうも吹っ切れたように近づいてきた。
           そして極力口を動かさずに、けれどはっきりと揺波に聞こえる不思議な声で答えた。

           

          「俺は忍だ。里に行けば、同じことを調べてる仲間もいるし、真相が分かるかもしれない」

           

           握りしめた彼の拳は、何かを押さえ込んでいるようであった。
           声量を戻した千鳥は続けて、

           

          「幸いここからならそう遠くない。でも、あんたにも都合があるだろう?」
          「あ……そうだ、ザンカに会いに行かなきゃ……」
          「ザンカ……社は確か――あっ」
          「あっ?」
          「あっ……いや、えーっと、俺も任務でそっちの方面に行かなきゃいけないから、ちょうどいいな、と思っただけだよ。里に行くなら、先約を済ませてからで構わない。ちょっと寄り道させてもらうかもしれないけど、そう離れてるわけじゃないからな。ど、どうだ?」

           

           揺波は沈黙の中、持ちかけられた提案を吟味していた。
           目の前の青年が信用できる人間かと言われれば否と答えるしかない。第一印象はともかく、嘘か真か忍者を名乗っている。父親から気をつけなさいと注意されていた一つである。それに加えて、あるのかないのか判然としない腕前も気にかかる。
           しかし、それを横にどけてしまえるほど、その提案は魅力的であった。揺波自身、煮え切らない決着から始まった一連の流れに不可解さを覚えていたのは事実だったし、何よりも彼女からは今、やることがすっぽりと抜け落ちていた。

           

          「いい、と……思います」
          「そうか! ありがとう、よろしく!」
          「……? こちらこそ、よろしくお願いします」

           

           安堵したようにはにかんだ千鳥に、機械的に頭を下げる。
           動機も信用も、今の揺波には結局関係なかったのである。自分に不都合の起きないことであれば、それを行うに吝かではない……そう思ってしまえるほど、彼女の中に広がった空洞は広大だった。

           

           林の中でそそくさと平凡な着流し姿になって戻ってくるやいなや、道中の計画を一方的に相談しながら先を行き始めた彼。その後についていきながら揺波は焼け跡を振り返ることなく、自分に残ったもう一つのものに思いを馳せていた。
           ザンカ。これから会う彼女は、色んなものをなくしてしまった今の揺波に強く根を張る最後の存在だった。そして、それはきっとこれからも変わらないのだろう、という根拠のない確信があったが、その裏にはもちろん炎の影がちらついていた。

           

           失くしものを前にしても思い浮かばなかった『これから』。
           高野に問われた、『自分のやりたいこと』。
           彼女に会うことで、それが分かるのだろうか。
           そう、問いかけるように刀に手を添えたところで、記憶の中の彼女が答えてくれることはなかった。

           

           


           こうして天音揺波は、天音の滅亡を受け入れ、次の目的地へと向かう。
           氷雨細音と幾年久遠とはうって変わり、旅の道連れは不穏で不安定な関係の彼だ。
           天音揺波自身もまた不安定で、きっと彼女の空虚さに君も不安を覚えていることだろう。
           ザンカの社はここからそう遠くない。果たして天音揺波は、彼女との再会によって、何を見出し、何を感じるのだろうか。

           

          語り:カナヱ
          『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
          作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

           

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          『桜降る代の神語り』第22話:再び交わる道

          2017.05.26 Friday

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             氷雨細音と幾年久遠の出会いから、一週間ばかりが経った頃。
             二人の姿は変わらず龍ノ宮領地にあった。――いや、あの頃はもう旧龍ノ宮領地と呼ぶべきだったかな。
             ともあれ、旅の道連れに一目置くようになったからといって、もう一つの目的を忘れたわけじゃあなかった。
             それは、不穏を払拭するための旅でもあったんだからね。

             

             

             

             


             細音の奏でる音は、元々染み入るような静の音色だった。外に積もっている雪に聞かせるような、そんな落ち着いたものであった。

             

            「いいぞ嬢ちゃん!」
            「おぅ、さけ……酒がぁ、なくなっちまったよォ! 買ってきてくれよぉ!」
            「てめェで行けってんだこのタコ!」

             

             だが、彼女と、そして久遠が立っていたのは舞台ですらなく、ほとんどがただ縁台や茣蓙を並べただけの雑な野外宴会場の端。篝火に照らされた二人に喝采を叫ぶのは、装いこそばらばらであっても皆一様に龍ノ宮城下復興に汗を流した男たちである。
             もちろん彼らにしみったれた曲は似合わない。だが、そんな都合のよい曲を持ち合わせがなかった細音は、祭のような高揚を届ける久遠の笛に合わせるのに四苦八苦していた。

             

             

             久遠から何かを感じ取った細音が、複雑な心境で更なる同道を許してからこちら、やっていたことと言えば情報収集と音楽活動であった。
             龍ノ宮領地から逃げ出す者は多かったが、焼けたとあっては再建が始まるのも道理。さらに彼らの腹や欲を満たそうとする者が嗅ぎつけてくれば、それだけで人の流れは完成する。そういった連中の逗留する小さな集落が、現場に通いやすい場所にぽつぽつとでき始めており、二人はそれらを転々としていたのである。

             

             各地から人が集まっていた、というのは二人にとっては都合のよいものだった。特に細音の旅芸人というには苦しい風体が、多様な人間の中に紛れるのである。酔っぱらいに絡まれることを除けば、龍ノ宮領地での最適な行動であると彼女も認めざるを得なかった。
             それでも、久遠に音楽以外の学びを求めていた細音にとっては、甚だ不本意でしかなかったわけだが。

             

            「こんなところでうちのお囃子聞けるたぁな! ありがとよ!」
            「どうしたしましてー!」

             

             演奏が終わり、適当に応える久遠と共に空いていた縁台へ。座るなり、二人の間には焼き鳥と飲み物の乗った盆が差し入れられた。ねじり鉢巻姿の顔役の男が、細音の背を叩いて無言で去っていく。
             久遠は、自分側に置かれたお茶を、細音側に置かれた徳利お猪口とさっと取り替える。そして先程までの演奏を思い出しながら、対面の細音に講釈を垂れた。

             

            「ああいうお囃子はね、私たち楽しんでます! って気持ちが大切なのよ。もう皆の前で弾くのは慣れたでしょ? じゃあ音に楽の気持ちを乗せないと。おずおずしてちゃあ、踊りだしたくなんてならないって」
            「そんなことを言われても……そもそもあなたと私では、曲の幅が違いすぎるのです。故郷にあのような祭り囃子はありませんでしたし」
            「まあそりゃー、八郷のほうのだしー? ……うわ、これ薄っ」
            「……? 良い塩加減だと思いますが」

             

             噛み合っていない会話を正すつもりはなく、久遠は同士へと続ける。

             

            「でもあなたなら、一回聞けばもうあとはだいたいできるでしょ? 今度はあなたが主になってみなさいよ」
            「そんな……!」
            「辛気臭い顔してる連中を、根こそぎお祭り気分にしてやるのよ! あなたにはそれができるだけの才があるはずなんだから!」
            「だから、もう……。私は武を求めていると……」

             

             細音にとって、それはもう何度言ったか分からない言葉であった。そして、何度聞き流されたことだろうか。
             予感でしかない不確かな決め手で現状をよしとしたのだから、こうなることは半ば細音自身の責任である。とはいえ、自分勝手ではあっても、期待した何かが得られないもどかしさの責を、久遠に押し付けたくなる衝動を押し殺すのも、それはそれで大変なのであった。

             

             と、そこへ、

             

            「失礼。先程の奏者の……ミコトの方でいらっしゃいますかな?」

             

             空いていた細音の隣に静かに座った壮年の男が、無遠慮に二人の会話に割って入った。こんな粗野な場所だというのに、きっちりと髪を撫で付けてまでいる小綺麗な見てくれであり、人種の坩堝と化したここにあってなおやや浮いている。
             そんな彼を、久遠はあからさまな不機嫌面で迎えたが、細音は己の手が無意識のうちに薙刀を探していたことに気づいた。男の語り口は、端に若干人を値踏みするような傲慢さが香っていたが、概ね理知的で敵意もない。

             

             一体何が己の琴線に触れていたのだろうか。今まで仕方なく相手をしてきた軟派者と比べるのも失礼なほど、随分と話が通じそうな相手であるというのに。
             そう思い直した細音は、軽く頷いて闖入者の言葉を待った。

            「私、名を五条と申しまして、只今ミコトの方々にここだけのお願いをして回っているところなのですが……お時間が許すようなら、この地の未来のために、一肌脱いではいただけないでしょうか」

             

             細音の手に目をやりながら、至極困ったように男は問う。
             ある種救いを求めるようなその真摯さに、話だけでも聞いてやろうかと居住まいを正した細音だったが、次第に己の直感を見直すことになる。
             彼のその態度とは裏腹に、簡潔に告げられた内容からは抜けて落ちていたのは、明瞭さ。
             その直感は、領地に入ってから初めての進展の予感を確かに訴えていた。

             

             

             

             


             城下の多くは燃え落ちてしまったとはいえ、町の外にまで燃え広がったわけではない。町に隣接するように点在する森は、単純に恵みの場であったり、社があったりと住人にとって大切な場所である。それは、火の手が迫った外縁の家々が、数多く破壊されていることからも窺える。
             その中の一つ、町を南へ抜ける街道を見送るような木々の中で、細音は迫る夕闇に紛れながら息を潜めていた。

             

             森を抜けた先の平原には、十かそこいらほどの人間がたむろしていた。細音の鋭敏な耳は彼らの会話の一部を聞き取り、その集団こそがあの男――五条に集められたミコトたちであるという事実を導き出していた。
             そう……本来であれば、細音もあの中にいるはずだった。
             隠れて成り行きを眺める彼女の関心は、これから彼らが従事するはずの『仕事』に向けられている。

             

            『詳細はまだ話せないのですが、この事態に際してミコトが力を合わせる必要のある事業が持ち上がりまして。秘密裏に進める必要のあることですので、どうかこのお話自体もご内密に』

             

             あの場で五条は、それに加えて自分もミコトであると明かした以外には、一つも情報を落とさなかった。首を縦にも横にも振らなかった細音に、集合場所と時間だけを告げて、すぐに立ち去ってしまったのである。
             ミコト相手に表立って話ができない、というところまでは一応理解できる理由はある。ミコトは基本的に家についているため、立場というものがある。万が一利害が食い違ったとき、なるべく穏便に事を済ます手段の一つであることは、誠実ではないにしろ確かなのだ。

             

             建前は、信じようと思えば用意されている。
             けれどそれも、細音が勘ぐってなお薄いものであり、火事場であるがゆえの粗雑さを考慮に入れたとしても不用心でいられる類のものではない。
             さらに言うなら、あれだけ付きまとっていた久遠も今は隣にいない。彼女は五条が去った後、「きょーみない。気になるんだったら好きにすれば?」と席を立つなり勝手に次の演奏の予定だけを言い置いて消えていった。その声色は、この件に心底興味を持っていないことを、短い付き合いである細音に悟らせるに十分なほどいつも通りだった。

             

            「なんだァ? 俺様をいくら待たせるつもりなんだあいつァよぉ」

             

             捉えた声の中に、つい先日聞いたものが混ざっていること気づく。芝居小屋で火事場泥棒をしていたゴロツキの親玉だ。より分けた声には荒っぽいものが多く、人選には一応頭が使われていたことは分かる。細音も今は、楽士に身をやつした流れのミコトなのだ。
             しかし、だからこそ燻る火種の存在を感じる。
             何故ならミコトの能力が求められており、目的が復興のためならば、近隣の家々――なんであれば、龍ノ宮家と肩を並べた大家に正式な助力を請えばいいのだから。

             

             都合のいい駒が集められている。
             元より、再びこの地を踏んだのは疑惑を晴らすためだったのだから、そんな見方に誘導されてしまうのは至極当然な帰結であった。

             

             そのようにして細音が耳を研ぎすませて随分と経った頃。

             

            (……! 誰か来た……? いや、これは……)

             

             その足音は、話を持ちかけてきたあの五条のものだった。
             いくら先入観があり、短絡的に関連付けてしまうのが危険だと言っても、否定するほうが難しい。
             とはいえ、すぐに五条は場を仕切るだろう。声を聞けば同定は叶う。

             

             ……細音がそこで初めてソレに気づいたのは、意識が先へ向けられていたからだった。

             

            「っ……!」

             

             細音の背中が、一瞬にして粟立つ。
             心臓に、冷たく禍々しい刃を遮二無二刺し入れられたかのような、そんな鋭利さと泥臭さをないまぜにした殺気。
             慌てて薙刀を構え直す細音であったが、背後からのそれには覚えがあった。

             

             あのときは、背中に冷や汗を流しただけで終わった。
             一触即発だっただけで、結果ただすれ違っただけで終わった。
             勘違いが勘違いのまま霧散して、血を見ることなく終わった。

             

             だが、これは違う。断じて、勘違いなどではなかった。
             あの日古鷹邸で相まみえた外套の少女の殺気は、既に彼女の琴線に細音が触れてしまっていたかのように、殺し合いの成立を嗤うように叫んでいた。

             

            「くっ……!」

             

             振り向きざま身をひねった細音の鼻先一寸を、畳針ほどの重圧が突き抜けていった。その軌跡にわだかまる不吉さに、薙刀を握る手が汗ばんでいく。

             

            「チッ……」

             

             一つの舌打ちと共に、襲撃者が土を踏む。初撃を外した苛立ちから、さらに舌打ちが連続していく。
             闇昏千影。
             不吉さを纏った少女が、夕闇すらも食いつぶすかのように、昏く木陰に佇んでいた。

             

             


             かくして二つの道は、因縁の末に再び道辻へと至ることになった。
             交差したからには、今度こそ言い訳の利かない、決闘でもない本物の殺し合いが始まることになる。
             かの最強を手に掛けた闇昏千影を相手に、氷雨細音はどう立ち向かうのか。
             その結果や、いかに。

             

            語り:カナヱ
            『桜降代之戦絵巻 第三巻』より
            作:五十嵐月夜  原案:BakaFire 挿絵:TOKIAME

             

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